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第一部 アストラス編~王の落胤~
71.恋人の扱い方
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その日は珍しく夜中に一度起きて用を足してからさあもう一度寝ようと寝台へ入り、ウトウトと微睡んでいたのだが…。
フッと人の気配を感じて一気に覚醒した。
もしやカルロが自分を狙ってきたのかと思ったからだ。
けれど目を閉じたままそちらに意識を集中してみると、それはどうも違っていたようで…。
(クレイ?)
気のせいではないのかと思いながらそのまま黙って事の成り行きを見守っていると、不意にヒュースの声が聞こえてきた。
【…クレイ様。夜這いですか?】
「ば、馬鹿なことを言うな!…眠れないから顔だけ見に来たんだ」
起きるから騒ぐなと言いながらクレイがそっと自分の傍までやってくる。
ギシッと寝台が軋むのを感じながらこれはどうしたものかと悩みに悩む。
ここで目を開けたら恐らくクレイはまた逃げ出すだろう。
正直昨日ヒュースから話を聞いていなかったなら、このまま寝台へと引きずり込んだだろうが、今日はちょっと様子を見てみるかという気になった。
どうもクレイはヒュースとは付き合いが長いからか、やけに素直に心情を吐露する。
これなら自分の知らない本音を聞けるかもしれない。
【そんなに切ないお顔をなさるのなら普通に会いに来れば良いではありませんか】
ヒュースの呆れたような言葉が聞こえてくるが、クレイはやはり素直ではない。
「そ、そんなことできるわけがないだろう?!」
【何故ですか?】
「だって…恥ずかしいし…」
【何がです?】
「~~~っ!だってあんなに翻弄されて乱れた姿、絶対ロックウェルに呆れられてる!」
(……?)
【散々乱してきたのはロックウェル様なんですから気にしなくても宜しいのでは?】
「…!!それでも恥ずかしいものは恥ずかしいんだ!あんな姿…っ!嫌われたらどうするんだ!」
……どうやったらそんな発想になるのだろう?
嫌われるとしたらクレイではなく自分の方ではないのだろうか?
【……クレイ様は本当にどこまでズレてらっしゃるんですかね~】
「うるさい!もういい!明日も顔だけ見に来るからお前はロックウェルが寝たら教えてくれ」
【はいはい。わかりました】
それからそっと自分に軽く触れるだけの口づけを落としてクレイは帰ってしまった。
【ロックウェル様?起きてらっしゃるんでしょう?】
ヒュースが面白そうにそう尋ねてくるのでそっと目を開け思わず顔を覆ってしまう。
【ですから昨日言ったでしょうに…】
確かにヒュースが言うように、その言葉の通りだった。
クレイは本当に素直ではないというのがよくわかった。
「…どうしてクレイはあんなに可愛いんだ」
あのやり取りはヒュースだからこそ引き出せたもので、自分では絶対に引き出せなかったことだろう。
【もうあんな感じでいつも我々にはロックウェル様が大好きなのだと全身で語っておられるのですよ】
「…たまらないな」
【単純で可愛らしい方なのです。できれば虐めるばかりではなく、大事にして差し上げて下さい】
そう言ってヒュースは静かに下がっていった。
(クレイ…)
黙っていてもきっと明日も夜に来てくれる。
そう思うとなんだか嬉しくて仕方がなかった。
その次はいよいよハインツの教育の日だ。
毎日クレイを感じられるのなら今はそれでいい。
自分はやるべきことをやろうと思いながら、ロックウェルは幸せな気持ちで眠りについた。
***
ハインツの教育係を務めるその日、クレイは朝からそわそわしながら王宮へと向かう。
一週間ぶりにロックウェルとまともに顔を合わせるのだ、正直どんな顔をして会えばいいのかわからなかった。
(…多分怒っているよな?)
ドS全開の笑みで出迎えられるのはまず間違いないだろうと思いつつ、どうせそれにもまた見惚れてしまうんだろうなと思ってしまう自分が悲しい。
このままではまたお仕置きコースまっしぐらだ。
一体自分は何をやっているのだろう?
うっかりするにも程がある。
少し考えればわかることなのに…。
「はぁ…」
そうやって深いため息を吐きながら回廊を歩いていると、後ろからトンッと誰かが飛びついてきた。
「クレイ!」
この声は…。
「リーネ。どうした?」
「どうしたじゃないわ。一週間ぶりだから嬉しくて抱きついただけなのに、ご挨拶ね」
そう言いながらも彼女は今日も楽しそうだ。
「ねぇクレイ?今日は新しい香水を試してみたのよ?どう?私に似合っているかしら?」
けれどふわりと香る芳しい香りは甘く誘うような香りではあるが、少し彼女には合っていないような気がした。
「…どちらかというとリーネにはもう少しローズ系の可憐な香りの方が似合いそうな気がするが?」
真面目に答えてやると、その答えは彼女には予想外だったのか驚いたように目を見開いてくる。
「この間の花の香りもよく似合っていたし、あれは俺も好みだった。今日の香りよりもあちらの方がいい。別に焦る必要もないんだから無理はするな」
そう言いながらスッと髪を一房手に取りそっと口づけた。
「ああ。こちらはこの間と同じ香りだな」
フッと笑ってやるとリーネが何故かその場で固まってしまう。
「……どうかしたか?」
「…なんでもないわ」
「そうか」
そして自然な仕草で彼女から身を離すとそのまま身を翻してロックウェルの元へと向かった。
(女からの逃げ方は簡単なのにな…)
どうしてロックウェルからは上手く逃げられないんだろうと思いながら、やれやれとまた深くため息を吐いたのだった。
***
「クレイ!」
ロックウェルの執務室に恐る恐る入室すると、何故かそこには嬉しそうなロックウェルの姿があって驚いた。
てっきり絶対零度の空気を纏って怒っているものだとばかり思っていたのに、これはどうしたことだろう?
「…待たせてすまない」
「いや。こちらもちょうど切り良く仕事を片付けたところだ」
その言葉になんだタイミングが良かっただけかとホッと息を吐く。
この分なら普段通り接することができるかもしれない。
けれど久しぶりに見るロックウェルの笑顔は目に眩しくて、やけに鼓動が高鳴って仕方がなかった。
(どうしよう…)
絶対に挙動不審になりそうな自分が容易に想像できて、今すぐ帰りたくなる。
けれどここには仕事で来ているだけにさすがに逃げ出すわけにもいかなかった。
そうこうしている内にロックウェルはそんな自分を不思議そうな眼差しで見つめ、ツイッとこちらへと足を向けてくる。
「クレイ?どうかしたのか?」
そんなロックウェルに、クレイはただふるふると首を振りながら後ずさることしかできない。
そして扉の方へと追い詰められたと思ったら何故かそのまま胸に顔を埋められて驚いた。
「ああ。なるほど」
そしてにっこりと笑うとそのままガチャリと扉の鍵を閉めてしまう。
「ほら。こちらに来い」
そして腰を浚われたと思うと、そのままソファのある方へと連れ去られてしまった。
一体何事だと思いながらパニックに陥っているうちに、ロックウェルは隣り合うように腰を下ろし自分をそっと引き寄せてくる。
「クレイ…会いたかった」
そんな言葉を耳元に落とされて心臓が爆発しそうになってしまった。
さすが百戦錬磨。実に鮮やかな事の運び方だ。
女性ならこのままソファに押し倒されてなし崩し的に事に及ばれてしまうことだろう。
けれど自分は男で、これからまだ仕事がある。
大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせ、ゆっくりと息を吐きながら言葉を紡ぐ。
「わかった!わかったから。これから仕事だろう?」
「ああ。だがハインツ王子は少し別件で用があると仰っていたから、もう暫くは大丈夫だ」
サラリとそう流されて言葉が思うように出ないが、これは多少の時間はあると受け止めていいのだろうか?
(どうしよう…)
どこまで許されるのかわからないが、それでもほんの少しだけ甘えたくてそのまま肩に顔を埋めてしまう。
これくらいは仕事中でも許してもらえるだろうか?
「クレイ。もう少しだけ私に甘えてくれないか?」
そうやって優しく声を掛けてくれるロックウェルに思わず頬を染めてしまう。
(そんなこと…言ってくれるんだ…)
全く素直になれない自分に何故か今日のロックウェルは優しかった。
本音を言えばこの一週間自分だって会いたくて会いたくて仕方がなかったのだ。
そのせいで夜中にこっそり顔だけ見に行っていたなんて死んでも口にできそうにないが、それでもロックウェルの香りに包まれて、抱きつきたい気持ちが勝ってしまう自分がいた。
思わず誘われるようにそのまま背へと腕を回してギュッと抱きついてしまう。
「…………」
そのままそっと抱き込んでくれるロックウェルの腕が温かくて安心してしまう自分がいた。
だからだろうか?
「…寂しかった」
ポツリと思いがけず本音がこぼれ落ちて、ハッと我へと返る。
これは大きな失態だ。
けれど、離れないとまずいとそのまま慌てて立ち上がろうとしたら、逃がすものかと捕まえられてそのまま口づけられてしまった。
「んっ…んん…ッ」
久方ぶりのその口づけはふわふわするほど心地よくて、あっという間に蕩けさせられる。
「クレイ…可愛い」
そうやって急に思い切り抱き締められて妙に気恥ずかしい想いでいっぱいになってしまった。
「ふ、ふざけるな!今から仕事なのに…っ!」
こんなことをしている場合ではないと照れ隠しに言い放ち、そのままロックウェルの身体を突き放す。
本当はもっとくっついていたかった気持ちを抑えて『仕事に行くぞ』と促したのに、何故かロックウェルはまた背後から自分を抱きしめてきた。
「本当にお前は素直ではないな」
ゾクリとするその声音の低さにまで胸が鳴ってしまうなんて重症にも程があるだろう。
「俺はいつでも素直だ」
こんなに振り回されているのに素直ではないなど、どこをどう見ればそんな答えに繋がるのかさっぱりわからない。
「そろそろハインツも待っているだろう?」
再度そうやって促してやると、何故か深いため息を吐かれた。
「……クレイ。では、今夜の予約だけ入れさせてくれないか?」
「え?」
「今夜は優しくお前を溶かしてやりたい」
そんな言葉に一気に顔が熱くなる。
「そ…それは…」
「うん?」
「~~~~~っ!!……あ、空けておく」
結局誘惑には勝てなくて小さく答えを返した。
「じゃあ約束だ」
自分の返事に笑顔で応え、そう言いながらそっと口づけてきたロックウェルについうっとりと身を任せてしまう。
「はぁ…」
唇を離されてからもなんだか名残惜しくて、そのまままた正面からギュッと抱きついてしまった。
「ロックウェル…逃げて悪かった」
素直に謝ってそっと顔を上げるとそこにはやっぱり優しい笑顔のロックウェルがいて嬉しい気持ちになる。
どうやら嫌われてはいないようだと安心した。
「行くか」
「ああ」
そうして穏やかな気持ちで二人並んでハインツの元へと向かったのだった。
***
ロックウェルは内心満足感でいっぱいだった。
(なるほど…こうすればよかったのか)
執務室に入ってきたクレイはどこか緊張した様子だったので、怒られると思って来たんだろうなとすぐにわかった。
けれど敢えて怒らずにいると、短く話してくれる。
それで問題なく今日はいけるかと思っていたのに、何故かクレイは動いてこなかった。
自分はまた何か読み間違えたのかとそっとクレイへと近づいてみたのだが、クレイは首を振りながらジリジリと後ずさるばかり。
この間までの自分なら先週の件で嫌われてしまったのかと不安に思っただろうが、今日は違った気持ちでクレイへと近づきそっとその鼓動を確認してみた。
見た目からは想像できないほどバクバクと弾んでいる。
これは自分を恐れてと言うよりは、久しぶりに会って気持ちが抑えられず距離を置いたと言うのが正しい気がした。
だから安心できるように邪魔が入らないよう鍵を閉め、素直に甘えられるようなシチュエーションへと持ち込んでみる。
何やらパニックになっているようだが、自分から逃げ出さないのだから概ね間違ってはいないはずだ。
それから優しく声を掛けてやるとやっと甘えてくれた。
(可愛い…)
そう思いながら抱き締めていると、これまで全く聞けなかった寂しかったなどと言う可愛いセリフまで零れ落ちてくる。
内心やったと思っていたら、何故かまた逃げ出そうとしたので慌てて逃すものかと捕まえた。
本当に油断も隙もない。
そのまま逃げられないようにと口づけると、うっとりとすぐに身を任せてくるくせにどうしてすぐに逃げようとするのだろう?
まだ甘さが足りないのかと可愛いと囁き抱き締めてみたが、これはやりすぎだったようで、そこから突き放された。
耳まで真っ赤にしているくせに、照れ隠しもいいところだ。
本当にヒュースが言うように照れ屋なのは間違いないようだと理解する。
けれどその背中はどこか残念そうで、試しにもうひと押しと抱き締めてみた。
どうやら逃げる気はないらしい。
自分から離れたくせに寂しかったとはどれだけ素直でないのだろう?
だから素直じゃないと言ってみたのに、本人はどうやら自分を素直だと思っているらしいので始末が悪い。
これは今夜じっくり教えてやったほうがいいのではないだろうか?
そう考えているとあっさりと仕事に行くぞと促されたのでサラリと今夜の約束だけは取りつけておくことにした。
これでまた一週間お預けはさすがにお断りだ。
甘く優しく言葉を掛けるとあっさりと了承が得られたので約束だと口づけたら、急にクレイが抱きついて謝ってきて驚いた。
(なるほど。攻めすぎると照れて逃げるが、優しく言い含めていけば懐いてくるのか…)
何となくクレイの扱いが理解できてなんだか嬉しくなる。
これもヒュースのお蔭かもしれない。
そっと感謝の気持ちを抱えながら行くかと声を掛けるとクレイが花のように笑ってくれた。
どうやらクレイの不安も払拭できたようだ。
まだまだ恋人として始まったばかりなのだから焦る必要などない。
クレイの気持ちが自分から動かないと言うのなら、じっくり恋人とはこういうものだと理解させていこうと、そう思いながらゆっくりと二人仲良く並んでハインツの元へと向かったのだった。
フッと人の気配を感じて一気に覚醒した。
もしやカルロが自分を狙ってきたのかと思ったからだ。
けれど目を閉じたままそちらに意識を集中してみると、それはどうも違っていたようで…。
(クレイ?)
気のせいではないのかと思いながらそのまま黙って事の成り行きを見守っていると、不意にヒュースの声が聞こえてきた。
【…クレイ様。夜這いですか?】
「ば、馬鹿なことを言うな!…眠れないから顔だけ見に来たんだ」
起きるから騒ぐなと言いながらクレイがそっと自分の傍までやってくる。
ギシッと寝台が軋むのを感じながらこれはどうしたものかと悩みに悩む。
ここで目を開けたら恐らくクレイはまた逃げ出すだろう。
正直昨日ヒュースから話を聞いていなかったなら、このまま寝台へと引きずり込んだだろうが、今日はちょっと様子を見てみるかという気になった。
どうもクレイはヒュースとは付き合いが長いからか、やけに素直に心情を吐露する。
これなら自分の知らない本音を聞けるかもしれない。
【そんなに切ないお顔をなさるのなら普通に会いに来れば良いではありませんか】
ヒュースの呆れたような言葉が聞こえてくるが、クレイはやはり素直ではない。
「そ、そんなことできるわけがないだろう?!」
【何故ですか?】
「だって…恥ずかしいし…」
【何がです?】
「~~~っ!だってあんなに翻弄されて乱れた姿、絶対ロックウェルに呆れられてる!」
(……?)
【散々乱してきたのはロックウェル様なんですから気にしなくても宜しいのでは?】
「…!!それでも恥ずかしいものは恥ずかしいんだ!あんな姿…っ!嫌われたらどうするんだ!」
……どうやったらそんな発想になるのだろう?
嫌われるとしたらクレイではなく自分の方ではないのだろうか?
【……クレイ様は本当にどこまでズレてらっしゃるんですかね~】
「うるさい!もういい!明日も顔だけ見に来るからお前はロックウェルが寝たら教えてくれ」
【はいはい。わかりました】
それからそっと自分に軽く触れるだけの口づけを落としてクレイは帰ってしまった。
【ロックウェル様?起きてらっしゃるんでしょう?】
ヒュースが面白そうにそう尋ねてくるのでそっと目を開け思わず顔を覆ってしまう。
【ですから昨日言ったでしょうに…】
確かにヒュースが言うように、その言葉の通りだった。
クレイは本当に素直ではないというのがよくわかった。
「…どうしてクレイはあんなに可愛いんだ」
あのやり取りはヒュースだからこそ引き出せたもので、自分では絶対に引き出せなかったことだろう。
【もうあんな感じでいつも我々にはロックウェル様が大好きなのだと全身で語っておられるのですよ】
「…たまらないな」
【単純で可愛らしい方なのです。できれば虐めるばかりではなく、大事にして差し上げて下さい】
そう言ってヒュースは静かに下がっていった。
(クレイ…)
黙っていてもきっと明日も夜に来てくれる。
そう思うとなんだか嬉しくて仕方がなかった。
その次はいよいよハインツの教育の日だ。
毎日クレイを感じられるのなら今はそれでいい。
自分はやるべきことをやろうと思いながら、ロックウェルは幸せな気持ちで眠りについた。
***
ハインツの教育係を務めるその日、クレイは朝からそわそわしながら王宮へと向かう。
一週間ぶりにロックウェルとまともに顔を合わせるのだ、正直どんな顔をして会えばいいのかわからなかった。
(…多分怒っているよな?)
ドS全開の笑みで出迎えられるのはまず間違いないだろうと思いつつ、どうせそれにもまた見惚れてしまうんだろうなと思ってしまう自分が悲しい。
このままではまたお仕置きコースまっしぐらだ。
一体自分は何をやっているのだろう?
うっかりするにも程がある。
少し考えればわかることなのに…。
「はぁ…」
そうやって深いため息を吐きながら回廊を歩いていると、後ろからトンッと誰かが飛びついてきた。
「クレイ!」
この声は…。
「リーネ。どうした?」
「どうしたじゃないわ。一週間ぶりだから嬉しくて抱きついただけなのに、ご挨拶ね」
そう言いながらも彼女は今日も楽しそうだ。
「ねぇクレイ?今日は新しい香水を試してみたのよ?どう?私に似合っているかしら?」
けれどふわりと香る芳しい香りは甘く誘うような香りではあるが、少し彼女には合っていないような気がした。
「…どちらかというとリーネにはもう少しローズ系の可憐な香りの方が似合いそうな気がするが?」
真面目に答えてやると、その答えは彼女には予想外だったのか驚いたように目を見開いてくる。
「この間の花の香りもよく似合っていたし、あれは俺も好みだった。今日の香りよりもあちらの方がいい。別に焦る必要もないんだから無理はするな」
そう言いながらスッと髪を一房手に取りそっと口づけた。
「ああ。こちらはこの間と同じ香りだな」
フッと笑ってやるとリーネが何故かその場で固まってしまう。
「……どうかしたか?」
「…なんでもないわ」
「そうか」
そして自然な仕草で彼女から身を離すとそのまま身を翻してロックウェルの元へと向かった。
(女からの逃げ方は簡単なのにな…)
どうしてロックウェルからは上手く逃げられないんだろうと思いながら、やれやれとまた深くため息を吐いたのだった。
***
「クレイ!」
ロックウェルの執務室に恐る恐る入室すると、何故かそこには嬉しそうなロックウェルの姿があって驚いた。
てっきり絶対零度の空気を纏って怒っているものだとばかり思っていたのに、これはどうしたことだろう?
「…待たせてすまない」
「いや。こちらもちょうど切り良く仕事を片付けたところだ」
その言葉になんだタイミングが良かっただけかとホッと息を吐く。
この分なら普段通り接することができるかもしれない。
けれど久しぶりに見るロックウェルの笑顔は目に眩しくて、やけに鼓動が高鳴って仕方がなかった。
(どうしよう…)
絶対に挙動不審になりそうな自分が容易に想像できて、今すぐ帰りたくなる。
けれどここには仕事で来ているだけにさすがに逃げ出すわけにもいかなかった。
そうこうしている内にロックウェルはそんな自分を不思議そうな眼差しで見つめ、ツイッとこちらへと足を向けてくる。
「クレイ?どうかしたのか?」
そんなロックウェルに、クレイはただふるふると首を振りながら後ずさることしかできない。
そして扉の方へと追い詰められたと思ったら何故かそのまま胸に顔を埋められて驚いた。
「ああ。なるほど」
そしてにっこりと笑うとそのままガチャリと扉の鍵を閉めてしまう。
「ほら。こちらに来い」
そして腰を浚われたと思うと、そのままソファのある方へと連れ去られてしまった。
一体何事だと思いながらパニックに陥っているうちに、ロックウェルは隣り合うように腰を下ろし自分をそっと引き寄せてくる。
「クレイ…会いたかった」
そんな言葉を耳元に落とされて心臓が爆発しそうになってしまった。
さすが百戦錬磨。実に鮮やかな事の運び方だ。
女性ならこのままソファに押し倒されてなし崩し的に事に及ばれてしまうことだろう。
けれど自分は男で、これからまだ仕事がある。
大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせ、ゆっくりと息を吐きながら言葉を紡ぐ。
「わかった!わかったから。これから仕事だろう?」
「ああ。だがハインツ王子は少し別件で用があると仰っていたから、もう暫くは大丈夫だ」
サラリとそう流されて言葉が思うように出ないが、これは多少の時間はあると受け止めていいのだろうか?
(どうしよう…)
どこまで許されるのかわからないが、それでもほんの少しだけ甘えたくてそのまま肩に顔を埋めてしまう。
これくらいは仕事中でも許してもらえるだろうか?
「クレイ。もう少しだけ私に甘えてくれないか?」
そうやって優しく声を掛けてくれるロックウェルに思わず頬を染めてしまう。
(そんなこと…言ってくれるんだ…)
全く素直になれない自分に何故か今日のロックウェルは優しかった。
本音を言えばこの一週間自分だって会いたくて会いたくて仕方がなかったのだ。
そのせいで夜中にこっそり顔だけ見に行っていたなんて死んでも口にできそうにないが、それでもロックウェルの香りに包まれて、抱きつきたい気持ちが勝ってしまう自分がいた。
思わず誘われるようにそのまま背へと腕を回してギュッと抱きついてしまう。
「…………」
そのままそっと抱き込んでくれるロックウェルの腕が温かくて安心してしまう自分がいた。
だからだろうか?
「…寂しかった」
ポツリと思いがけず本音がこぼれ落ちて、ハッと我へと返る。
これは大きな失態だ。
けれど、離れないとまずいとそのまま慌てて立ち上がろうとしたら、逃がすものかと捕まえられてそのまま口づけられてしまった。
「んっ…んん…ッ」
久方ぶりのその口づけはふわふわするほど心地よくて、あっという間に蕩けさせられる。
「クレイ…可愛い」
そうやって急に思い切り抱き締められて妙に気恥ずかしい想いでいっぱいになってしまった。
「ふ、ふざけるな!今から仕事なのに…っ!」
こんなことをしている場合ではないと照れ隠しに言い放ち、そのままロックウェルの身体を突き放す。
本当はもっとくっついていたかった気持ちを抑えて『仕事に行くぞ』と促したのに、何故かロックウェルはまた背後から自分を抱きしめてきた。
「本当にお前は素直ではないな」
ゾクリとするその声音の低さにまで胸が鳴ってしまうなんて重症にも程があるだろう。
「俺はいつでも素直だ」
こんなに振り回されているのに素直ではないなど、どこをどう見ればそんな答えに繋がるのかさっぱりわからない。
「そろそろハインツも待っているだろう?」
再度そうやって促してやると、何故か深いため息を吐かれた。
「……クレイ。では、今夜の予約だけ入れさせてくれないか?」
「え?」
「今夜は優しくお前を溶かしてやりたい」
そんな言葉に一気に顔が熱くなる。
「そ…それは…」
「うん?」
「~~~~~っ!!……あ、空けておく」
結局誘惑には勝てなくて小さく答えを返した。
「じゃあ約束だ」
自分の返事に笑顔で応え、そう言いながらそっと口づけてきたロックウェルについうっとりと身を任せてしまう。
「はぁ…」
唇を離されてからもなんだか名残惜しくて、そのまままた正面からギュッと抱きついてしまった。
「ロックウェル…逃げて悪かった」
素直に謝ってそっと顔を上げるとそこにはやっぱり優しい笑顔のロックウェルがいて嬉しい気持ちになる。
どうやら嫌われてはいないようだと安心した。
「行くか」
「ああ」
そうして穏やかな気持ちで二人並んでハインツの元へと向かったのだった。
***
ロックウェルは内心満足感でいっぱいだった。
(なるほど…こうすればよかったのか)
執務室に入ってきたクレイはどこか緊張した様子だったので、怒られると思って来たんだろうなとすぐにわかった。
けれど敢えて怒らずにいると、短く話してくれる。
それで問題なく今日はいけるかと思っていたのに、何故かクレイは動いてこなかった。
自分はまた何か読み間違えたのかとそっとクレイへと近づいてみたのだが、クレイは首を振りながらジリジリと後ずさるばかり。
この間までの自分なら先週の件で嫌われてしまったのかと不安に思っただろうが、今日は違った気持ちでクレイへと近づきそっとその鼓動を確認してみた。
見た目からは想像できないほどバクバクと弾んでいる。
これは自分を恐れてと言うよりは、久しぶりに会って気持ちが抑えられず距離を置いたと言うのが正しい気がした。
だから安心できるように邪魔が入らないよう鍵を閉め、素直に甘えられるようなシチュエーションへと持ち込んでみる。
何やらパニックになっているようだが、自分から逃げ出さないのだから概ね間違ってはいないはずだ。
それから優しく声を掛けてやるとやっと甘えてくれた。
(可愛い…)
そう思いながら抱き締めていると、これまで全く聞けなかった寂しかったなどと言う可愛いセリフまで零れ落ちてくる。
内心やったと思っていたら、何故かまた逃げ出そうとしたので慌てて逃すものかと捕まえた。
本当に油断も隙もない。
そのまま逃げられないようにと口づけると、うっとりとすぐに身を任せてくるくせにどうしてすぐに逃げようとするのだろう?
まだ甘さが足りないのかと可愛いと囁き抱き締めてみたが、これはやりすぎだったようで、そこから突き放された。
耳まで真っ赤にしているくせに、照れ隠しもいいところだ。
本当にヒュースが言うように照れ屋なのは間違いないようだと理解する。
けれどその背中はどこか残念そうで、試しにもうひと押しと抱き締めてみた。
どうやら逃げる気はないらしい。
自分から離れたくせに寂しかったとはどれだけ素直でないのだろう?
だから素直じゃないと言ってみたのに、本人はどうやら自分を素直だと思っているらしいので始末が悪い。
これは今夜じっくり教えてやったほうがいいのではないだろうか?
そう考えているとあっさりと仕事に行くぞと促されたのでサラリと今夜の約束だけは取りつけておくことにした。
これでまた一週間お預けはさすがにお断りだ。
甘く優しく言葉を掛けるとあっさりと了承が得られたので約束だと口づけたら、急にクレイが抱きついて謝ってきて驚いた。
(なるほど。攻めすぎると照れて逃げるが、優しく言い含めていけば懐いてくるのか…)
何となくクレイの扱いが理解できてなんだか嬉しくなる。
これもヒュースのお蔭かもしれない。
そっと感謝の気持ちを抱えながら行くかと声を掛けるとクレイが花のように笑ってくれた。
どうやらクレイの不安も払拭できたようだ。
まだまだ恋人として始まったばかりなのだから焦る必要などない。
クレイの気持ちが自分から動かないと言うのなら、じっくり恋人とはこういうものだと理解させていこうと、そう思いながらゆっくりと二人仲良く並んでハインツの元へと向かったのだった。
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