黒衣の魔道士

オレンジペコ

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第一部 アストラス編~王の落胤~

66.恋心

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その頃、部屋に戻ったシリィはシャワーで旅の汚れを洗い流し、服も着替えてすっきりしていた。
そしてお茶を飲んで一息つくと、そっとクレイの衣を手へと取る。

馬車が横転したところと外へと投げ出されたところまでは覚えているが、正直そこから意識を失ってしまったようで記憶がない。
気が付けば誰かに呼ばれていて、口の中にふわりと芳しい何かが与えられたところで目を覚ました。
そこは思いがけずクレイの腕の中で、その瞳が紫だったことから思わず見惚れてしまった。
初めて見た時から自分を捉えて離さないあの綺麗なアメジストの瞳。
それからクレイと話しながらぼんやり自分に何があったのか考えている内に、彼の衣に包まれて抱き上げられながら王宮まで運ばれた。
それはまるで夢のような時間で…。

「クレイ…」

彼の事がどうしようもなく好きで好きで仕方がなかった。
初めて会った時はこんな気持ちになるなんて思いもしなかったのに、彼の優しさに触れれば触れた分だけ恋心が募ってしまう。

「どうしよう…」

シリィはそっと頬を染めながらギュゥッとクレイの衣へと顔を埋めた。


***


馬車の横転事故があったその日の夜、ロックウェルは悩んでいた。
今日は色々事故処理含め仕事が沢山あったので、既に遅い時間となっている。
これからクレイの所に向かってもいいが、今日のリーネとロイドの件で問い詰めてしまいそうな自分がいて、気持ちを抑える自信がなかった。
このままではクレイを縛ってでも犯し尽くしそうな気がする。流石にそこまで嫉妬を暴走させたくはない。

(今日は諦めるか)

一晩頭を冷やせば大丈夫だろうと、今日はもう割り切ってシャワーを浴びて寝ることにした。
けれどシャワーから出て寝室へと戻るとそこにはクレイが居て、思わず目を見開いてしまう。
もしや願望が幻になって現れたのかと思ったのだ。
けれどそこにいるのは紛れもなく愛しい恋人で…。

「ロックウェル…」

どこか不安げな眼差しで自分を見つめてくるクレイに近づき、そのままそっと腕の中へと閉じ込めた。
するとクレイもそのままギュッと強く抱きしめ返してくる。

「クレイ…。どうした?」

そうやって優しく声を掛けると、クレイがそっと自分を見つめながら言いにくそうに口を開いた。

「…来ないから、もしかしてリーネの件で怒らせたかと不安になった」

そんなクレイに思わず頰が緩んでしまう。
これまでのクレイなら、自分は悪くないと譲らなかっただろうに…。

「俺が好きなのはロックウェルだけだから、心配せずに見ててくれないか?」
「それはあのリーネの言葉に関係があるのか?」

確か『これからちょくちょく誘惑に行く』と彼女は言っていた。
あれに関しては確かに気になっていたから、教えてもらえるのなら有難かった。
けれどその口から飛び出したのは思っても見なかった言葉で────。

「ああ。リーネと落とし合いの遊びをすることにしたんだ」

黒魔道士同士のただの遊びだから心配はいらないとクレイは言う。

「あっちは俺と魔力交流をして手っ取り早く魔力を上げてのし上がりたいだけだし、こっちはそれを上手くあしらって落とせたらお前やシリィに手を出さなくなるだろうと踏んでの事なんだ」

そこに好きだという感情は互いに皆無なのだと言う。
だから邪魔してくれるなとクレイは口にした。
確かに言わんとすることはわからないでもないが…。

「……私でさえお前に誘惑されたことがないのに」

そこがなんだか悔しくもあった。
けれどその言葉を口にした途端、クレイが不思議そうな顔でこちらを見つめてくる。

「どうした?」
「いや。まさかお前が俺に誘惑されたいなんて言うとは思ってもみなかったから…」

モテるし、今まで誘惑なんて星の数ほどされただろうから興味もないだろうと思っていたとまで言われてしまった。
確かに他の誰かにされても今更鬱陶しいだけだが、クレイは別だ。

「望めばしてくれるのか?」

誘うようにそう尋ねると、クレイはあっさりと頷いてくれる。

「別に構わないが…?」

そう言ってクレイが嬉しそうに艶やかに笑い、ゆっくりと腕を首へと回し口づけてきた。

「んっ…んぅっ…」

甘く見つめ合いながら互いにうっとりと溺れていく。

「わざわざ誘惑するまでもなく、お前には俺に酔ってほしい…な」

そんな言葉にロックウェルは思わず笑顔になる。

「お前に酔って溺れ続けるのなら悪くはない」

そうしてゆっくりと二人で充実した夜を過ごした────。


***


翌日シリィが職場へと向かうと、そこで同僚のリーネと顔を合わせた。
「あら、シリィ。もう体の方は大丈夫なの?」
「…大丈夫よ」
シリィはどうもこのリーネが好きになれない。
元々黒魔道士は好きではないのだが、同じ黒魔道士でもクレイとは大違いだと思う。

(そもそもクレイが特別なのよ)

ロックウェルの友人というだけあって、黒魔道士なのに優しいのだ。

(確かに不器用だし、天然だし、仲良くなるまではそっけない人だったけど…)

どうもクレイは自分のテリトリーに入れた相手にだけ対応が違う気がする。
けれど自分に対して優しくしてくれると言うことはそれだけ気を許してくれていると言うことに他ならなくて…。

(ダメダメ!だめよ!期待しちゃ!)

思わずパタパタと熱くなった頬を冷ましたくなり、足早にリーネの傍を通り抜けた。
けれどそこへ思いがけない言葉が掛けられる。

「そうそう。貴女を助けたクレイ。あの人、私がもらうことにしたから」

その言葉に思わず足を止め、リーネの方へと視線を向ける。

「彼、最高よね。とっても黒魔道士らしくてゾクゾクしちゃうわ」
「…クレイは貴女とは違うわ」
「あら。わかっていないのね。彼は私からの挑戦を受けて立ったわよ?」

落としあいの約束をしたのだと聞いてシリィに衝撃が走った。

「これからハインツ王子の教育係として王宮に出入りすると情報も得られたから今からとっても楽しみなの」

邪魔はしないでねとフッと笑われ、シリィはブルブルと怒りに震えてしまう。
自分の好きな相手がこんな女に付きまとわれるなんて冗談ではない。

「クレイは貴女には渡さないわ!!」
「ふふっ…。彼は白魔道士の手におえるような相手じゃないわ」

黙って引っ込んでいろと言われて益々腹が立ってくる。
これは絶対に自分の気持ちを分かった上での牽制に違いない。
そうやって二人で火花を散らしていると、何故かそこへクレイがやってきた。

「シリィ。元気になったのか?」
「ク、クレイ?!どうしたの?!」
「え?ああ。昨日はロックウェルの部屋に泊ったんだ」

その言葉に、それなら今日マントを持ってくれば良かったと肩を落としてしまう。

「ごめんなさい。また今度でもいいかしら?」
「ああ。全然構わない」

そうやってニコリと優しく笑ってくれるから胸がキュッと締め付けられる。
しかしそんな甘い時間はリーネによってあっさりと終わりを告げてしまった。

「クレイ。私との勝負、忘れていないわよね?」
「…もちろんだ。落とせるのなら落としてみるといい」

そうやって目の前で挑戦的にリーネに言ったクレイは、自分に対するものとは明らかに違う目でリーネを見つめている。
そのどこか近寄りがたい雰囲気は確かに黒魔道士そのものと言ってもいいだろう。
それがなんだかどこか遠くに感じられて、思わず不安に駆られキュッとクレイの裾を掴んでしまった。

「シリィ?どうかしたか?」
そんな自分にクレイはすぐに気づいてくれて、優しい声を掛けてくれる。
「あっ…!ごめんなさい!大丈夫よ!」
何でもないと言いながらパッと手を放すとクレイが心配そうに疲れているのかと気遣ってくれた。
「あまり無理はするな」
「う…。ありがとう」
真っ赤になって俯いていると、リーネがするりと二人の間に割り込むように身を滑らせ、そのままクレイへと腕を絡ませた。
それはやけに自然な姿で、咄嗟に声をあげることすらできない。

「随分シリィに優しいのね。妬けるわ」

そう言いながらもクスクスと笑う姿は自分が負けるわけがないと言わんばかりだ。
「ねぇクレイ。貴方の好みのタイプを教えてくれないかしら?できるだけ期待に応えてみせるわよ?」
そうやって甘く誘うように尋ねるリーネに、クレイは少し考えて口を開いた。
「好みのタイプ…ね。嫉妬深いのは困るが、妖艶な笑みに魅了されるのは好きだ」
その答えにリーネが満足そうに笑う。
「ふふふ…そうだと思った」
その言葉に暗にお呼びじゃないのよと言われたようでシリィは俯くことしかできない。
妖艶な笑みなど自分には逆立ちしても無理だ。
けれど次の言葉で思わず顔を上げてクレイの方を見てしまった。

「まあお前がロックウェルより魅力的になれたら落ちるかもな」

クレイがニッと笑ってそのままスイッとリーネから身を離したのだ。
「シリィ。ロックウェルの所まで送っていってやる」
これ以上リーネに付きまとわれたくはないだろう?と手を取ってくれたクレイに、シリィの顔にも自然と笑顔が広がる。

「行くぞ」

その言葉に力強く頷いて、クレイの手をしっかりと握った。
こんな風にリーネを軽くあしらってくれたクレイに嬉しくなる。
やっぱりクレイがこんな女にそう簡単に落ちるはずがないのだ。
「リーネ。クレイにあまり付きまとわないでちょうだい!」
それだけを言うと、グイッとクレイの手を引いて頼りになるロックウェルの元へと向かったのだった。


***


執務室の扉がコンコンと軽く叩かれそちらへと顔を上げると、そこにはシリィと手を繋いだクレイの姿があった。
思わず眉を顰めてしまうが事情を聴いて納得する。
リーネがシリィに絡んでいたのを助けてきたらしい。

「リーネはクレイにも絡んでいたんですよ!好みのタイプまで聞いていて…!」
「ほぅ…?」

リーネはどうやらクレイの言っていた通り、本気でクレイを落とす気のようだ。

「クレイが『妖艶な笑みに魅了されるのは好きだ』って言ったら勝ち誇ったように笑ってくるし…!」

その言葉に思わずクレイの方へと視線を向けてしまう。
そして更に続いた言葉に思わず頬が綻んでしまった。

「でもロックウェル様より魅力的になれたら落ちるかもってクレイが言ったら、悔しそうにしていましたよ」

見せてやりたかったと微笑むシリィにロックウェルも満足げに微笑みを返す。
「そうか。それは何より」
これでいいんだろうと笑っているクレイに心満たされ、今なら何でも言うことを聞いてやりたい気持ちになった。


「そう言えばリーネがクレイがハインツ様の教育係になったと言っていたのですが…本当ですか?」
シリィが思い出したと言うようにそっと尋ねてくる。
「ああ。陛下から頼まれて、私とクレイでハインツ王子に週に一、二度魔法をお教えすることになった」
「そうですか。クレイ、じゃあマントを返すのはその時でいいかしら?綺麗に洗って返したいし、また助けてもらったお礼もさせて頂戴」
「ああ」
そんなやり取りをしてクレイがそのまま踵を返す。

「ハインツ王子の件は明後日だったな?」
「ああ」
「じゃあまたその時にでも」

そう言ってクレイは用は済んだとばかりに部屋を出ていく。
本当にあっさりしたものだ。
けれど自分の腕の中に居る時だけ可愛ければいいかと微笑みながら、ロックウェルはそっとその姿を見送ったのだった。



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