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10.闇医者の往診
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「王家の直轄地で横領が?」
その一報は俄かに信じ難く、正直耳を疑う出来事だった。
父の手の者がきちんと定期的に足を運び、不正が行われないよう対策を取っていたはず…。
そう思っていたら、ミュゼが俺のせいではと言ってきた。
どうやら兄を凌辱して楽しむ俺のせいで父に心労が募り、仕事の指示に影響が出てきたらしい。
「ざまぁみろと言ってやりたいな」
クククッと笑ってやったらミュゼから笑い事では済まないと窘められた。
王の不調は臣下の者達の暗躍にも繋がるし、求心力が下がれば俺を操り人形にとほくそ笑む輩が湧いて出るらしい。
「貴方がカリン王子に夢中なのはもう誰しもが知っている事ですし、二人揃って離宮にでも押し込めれば政治は思いのままと考える者も多いんです」
それこそ適当に自分達の家から娘を妃として差し出し、俺以外と子作りさせて跡継ぎにと言い出す者までいそうなのだとミュゼは重く息を吐く。
けれど俺は別にそれでも構わなかった。
こんな王家、滅ぼうとどうしようと別にどうでもいいのだ。
自分を虐げてきた者達がどうなろうと知ったことではなかった。
「ブルーグレイ王国が追い討ちをかけてこないのは、貴方のそのどこまでも破滅的な性格をわかってのことなのでしょうね」
暗に国を滅ぼす王太子と言われて思わず笑ってしまった。
確かに言われてみればそうかもしれない。
「別にいいじゃないか」
昏く笑いながらそう言ってやったらミュゼは深々と溜息を吐いて、これも両陛下の自業自得なのかもしれませんねと小さく言った。
今日は闇医者の往診日だ。
薬を投与し始め早三か月。
そろそろ良くなったのではと兄のその後の経過を診に来てくれたのだが、一通り診たところで何か思うところがあったのか少し二人で話してもいいかと訊かれたので許可を出した。
この闇医者のことは昔から知っているので信用はしている。
余程の何かがなければおかしなことはしないだろう。
そう思い、茶の用意だけを指示して部屋を出た。
今日の午後は仕事もないことだし、久しぶりに庭園にでも出てみようか。
たまにはぼんやり花を眺めるのもいいかもしれない。
***
【Side.カリン王子】
今日は医師の診察だと話には聞いていた。
今目の前にいる医者がどうやら毎日の薬を用意してくれている医者らしい。
自分が知っている王宮医師ではないからきっと外から来たのだろう。
一応ぼんやりしたように装ってはいるのだが、なんとなくこの医者にはバレている気がしてならない。
「ふふ…そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。カリン王子」
「…………」
「貴方の症状がだいぶ良い方向に改善しているのは今日診ただけでわかりました。本当はもうほぼ元通りに近いのではないですか?」
「…………」
「黙っているのはロキ王子に気を遣っているからですか?」
「…………」
こちらが黙っていようと相手は確信でもあるのかどんどん勝手に話を進めていく。
かと思えば、全く違う話までしてくる始末。
「あの方、面白い方ですよね」
「…………」
「出会ったのはあの方がまだ十になるかならないかの頃だったんですけどね、お忍びで城を出てフラフラしていたところを人攫いに目をつけられたんですよ?」
そんな話は初耳だった。
「普通はそんな状況になったら泣いたり叫んだり、周囲に救いを求めようとしたり果敢に反撃しようとしたり…そんな行動に出るでしょう?」
まあそうだろう。逆にそれ以外に何かあるのかと言いたい。
けれど闇医者は楽し気に笑いながら続きを口にしてくる。
「あの方はね、なんと大笑いしたらしいですよ。それはもう気が狂ったかのようにケラケラとね」
「……は?」
「自分は王族だが能無しのスペアでしかないから身代金なんて取れないし、奴隷に売り飛ばしても関わった者達全てがあっという間に暗殺される。そんな自分に目をつけるなんてどうかしてるぞって」
「…………」
「せめて城に戻して金目のものでも持ってこさせた方がずっと稼ぎになるのにってそりゃあもう楽し気に大笑いしていたらしくて、その様子があまりにもおかしかったから同情されてしまったようで、せめて真面にしてやってくれって私のところに連れてこられたんですよ」
どうやらロキは子供の頃、悪党が思わず同情するくらいぶっ壊れていたらしい。
そんなにぶっ壊れるほどの何かがあったなんて特に自分の記憶にはないのだが……。
「その時に治療の一端で色々生い立ちを聞いたりしたんですけどね、聞けば聞くほど面白くて、気づけば友達になっていました」
その時にある程度真面にしたのだと闇医者は口にする。
そしてそれを縁としてロキは何度かそこへと足を運ぶようになり、挙句の果てには彼ら裏の商売の者達に気に入られ、溜まり場に顔を出すたびに「よぉっ!今日もぶっ壊れてるか?」と挨拶されるようになったらしい。
まさかそんなに城を抜け出していたとは思いもしなかった。
「まあ昔話はこれくらいにして……あの方は壊れた貴方をきっと気に入ってしまったのではないかと思って」
これでも心配してるんですと闇医者がポツリと溢す。
闇医者曰く、ロキは幼い頃から虐げられ過ぎて愛情に飢えたところがあるらしく、壊れた俺がロキに依存することによって愛情を抱いたのではと予想したらしい。
その言葉は恐らく正しいと思う。
ロキは壊れた俺を慈しむように愛してくれていて、それは疑う余地もない。
けれど…………。
「…………あいつは壊れた俺が好きなだけで、正気に戻った俺は嫌いになると…そう言っていた」
だからついポロッとそんな言葉を溢してしまった。
そんな俺に闇医者はフッと笑って「やっぱり」と言った。
「それでいつまでもまだ正気ではないと装っていたんですね。別にいいとは思いますよ?一番平和的ですし。ただ…このまま放っておけばきっとどこかで破滅してしまうでしょうね」
「破滅…?」
「そうですよ。あの人は王太子なんて器じゃない。自分のことで手一杯で、国を潰すことしかできない哀れな人なんです」
その生い立ちゆえにねと言って茶を飲む闇医者。
確かにそれはその通りなのかもしれない。
ロキの頭にあるのは父や母、自分に対する復讐心だけだ。
このままいっても望んで国のために働くようになるとはとても思えない。
「俺は……どうすればいい?」
「あの人を救いたいなら、諦めてもう正気に戻ったと伝えるべきでしょうね」
「正気に戻ったら他の男に抱かせて視姦してやりたいと言っていたが?」
「はははっ!それくらい願いを叶えてやればいいじゃないですか。どうせここに戻ってきた際にいくらでもあの方以外に抱かれていたんでしょう?今更と割り切って一度や二度好きなようにさせてやったらどうです?」
「…………」
その言葉に、他人事だと思ってとどうしても苦いものが込み上げてきてしまう。
「病んでるロキを…治してはやれないのか?」
「ああそれはね、完全には無理ですよ。病んでるのは幼少期からなので。人格形成に大きく影響を受けてるからあれが限界です」
俺とはそもそも置かれていた立場が違うのだから仕方がないと嗤う闇医者。
「まあ揶揄うのはこれくらいにして。多分一番いいのは貴方が支えてやることですよ」
王太子の仕事を一緒にこなしてやり、夜は好きなようにさせてやる。
愛情をこれでもかと与えてやり、必要なのだと伝えてやる。
それが一番ロキに必要なことだと闇医者は言った。
「ま、それもこれも貴方次第なので、面倒だと思うならいっそ殺してやった方が幸せかもしれませんが」
お好きにどうぞと言って闇医者はそのまま席を立つ。
「ロキは……お前の友人と言っていなかったか?」
「友人ですよ?」
「じゃあどうして殺してやれなどと……っ」
「その方が幸せだからです。愛を与えられることもなく重荷を背負わされて、足掻いて足掻いて潰される。そんな人生に幸せなんてありますか?繊細な彼にはあまりにも負担が大きすぎる。それくらいならいっそ一思いに殺してやった方がいい。貴方はそう思いませんか?」
その言葉に怒りにも似た感情が込み上げる。
(殺してやった方が幸せ?そんなこと、あるものか…!)
今、わかった。
俺はあんな弟を───いつの間にか愛しく感じてしまっていたのだ。
いつからなのか、正気に返る前からだったのかはわからない。
嫌いだったはずなのに、馬鹿にしていたはずなのに……あいつがあまりにも愛おしそうに俺を見つめ愛してくるから────。
(ロキ……)
そこに救いがあるのだとしても、どうしても殺してやる気にはならなかった。
助けてやりたいと……そう願ってしまったのだ。
ずっと────あんな風に俺を愛するロキを見ていたかった。
「まあ貴方があの方と同じようにあの方を想い、見捨てなければ、貴方の望む未来も訪れるかもしれませんね」
それは一体どういう意味だと尋ねたら、
「だってもし本当に憎いだけだったなら、闇医者などに頼らず放っておけばよかっただけでしょう?」
そう言われてしまった。
確かにそれはそうだ。
壊れた兄など、優秀な闇医者に診せたりせず放っておけばよかった。
どうしようもなく憎んでいたのなら、俺が勝手に堕ちて狂っていく様をただ眺めておけばよかった。
わざわざ引き取って面倒を見る必要などなかったし、愛するのではなくもっと酷い目に合わせていても全くおかしくはなかった。
それなのにロキは俺を見捨てるのではなく助け、居場所を与えてくれた。
愛と憎しみは表裏一体だと聞いたことがあるが、それこそまさにロキを表す言葉ではないのだろうか?
愛してほしいのに愛してもらえず、愛が憎しみに変わっていた…。
それが逆転してああなったのだと────そうは言えないだろうか?
そんな風に考えると、歪んでいてわかりにくい弟がどうしようもなく愛しく思えて……不覚にも涙が浮かんでしまった。
けれど闇医者はそんなに悲観しなくても大丈夫だと言ってくる。
「きっとなるようになるでしょう。それに今の貴方にとってはヤンデレくらいの相手の方が都合がいいでしょうしね。お似合いだと思います」
「…どう言う意味だ?」
「それはそのうち分かりますよ。取り敢えず、あの方には試しに新薬を飲ませたら正気に返ったとでも伝えましょうか?」
「…………」
「まあ無理にとは言いませんが」
「…………わかった。腹を括ろう」
万が一あの方の狂気に晒されても何とか気が狂わないよう頑張ってくださいねと嗤われたが、もしそうなったらまた頼むとこっちも皮肉を返してやった。
「貴方がおかしくなったなら、その時は勿論ちゃんと治療はお引き受けしますよ」
俺がどれだけ壊れようとロキを治すよりもずっと簡単だと言ってのけるこの闇医者は、結局のところロキのために俺に犠牲になれと言っているのだ。
俺よりも友人であるロキが大切で、できれば助けてやりたいと本心では願っている。それが真実なのだろう。
それ即ち、ロキを殺したくはないと言っているようなものだ。
「貴様も随分歪んでいるな」
「お褒め頂き光栄ですよ。殿下」
そしてひらりと手を振り部屋から出ていくと、暫くして庭園へと姿を現し、そこにいたロキと少し話してそのまま去って行った。
残されたのは庭で呆然と佇むロキと、そんなロキを窓から見下ろす俺だけ。
(さて、話し合いの時間だ────)
その一報は俄かに信じ難く、正直耳を疑う出来事だった。
父の手の者がきちんと定期的に足を運び、不正が行われないよう対策を取っていたはず…。
そう思っていたら、ミュゼが俺のせいではと言ってきた。
どうやら兄を凌辱して楽しむ俺のせいで父に心労が募り、仕事の指示に影響が出てきたらしい。
「ざまぁみろと言ってやりたいな」
クククッと笑ってやったらミュゼから笑い事では済まないと窘められた。
王の不調は臣下の者達の暗躍にも繋がるし、求心力が下がれば俺を操り人形にとほくそ笑む輩が湧いて出るらしい。
「貴方がカリン王子に夢中なのはもう誰しもが知っている事ですし、二人揃って離宮にでも押し込めれば政治は思いのままと考える者も多いんです」
それこそ適当に自分達の家から娘を妃として差し出し、俺以外と子作りさせて跡継ぎにと言い出す者までいそうなのだとミュゼは重く息を吐く。
けれど俺は別にそれでも構わなかった。
こんな王家、滅ぼうとどうしようと別にどうでもいいのだ。
自分を虐げてきた者達がどうなろうと知ったことではなかった。
「ブルーグレイ王国が追い討ちをかけてこないのは、貴方のそのどこまでも破滅的な性格をわかってのことなのでしょうね」
暗に国を滅ぼす王太子と言われて思わず笑ってしまった。
確かに言われてみればそうかもしれない。
「別にいいじゃないか」
昏く笑いながらそう言ってやったらミュゼは深々と溜息を吐いて、これも両陛下の自業自得なのかもしれませんねと小さく言った。
今日は闇医者の往診日だ。
薬を投与し始め早三か月。
そろそろ良くなったのではと兄のその後の経過を診に来てくれたのだが、一通り診たところで何か思うところがあったのか少し二人で話してもいいかと訊かれたので許可を出した。
この闇医者のことは昔から知っているので信用はしている。
余程の何かがなければおかしなことはしないだろう。
そう思い、茶の用意だけを指示して部屋を出た。
今日の午後は仕事もないことだし、久しぶりに庭園にでも出てみようか。
たまにはぼんやり花を眺めるのもいいかもしれない。
***
【Side.カリン王子】
今日は医師の診察だと話には聞いていた。
今目の前にいる医者がどうやら毎日の薬を用意してくれている医者らしい。
自分が知っている王宮医師ではないからきっと外から来たのだろう。
一応ぼんやりしたように装ってはいるのだが、なんとなくこの医者にはバレている気がしてならない。
「ふふ…そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。カリン王子」
「…………」
「貴方の症状がだいぶ良い方向に改善しているのは今日診ただけでわかりました。本当はもうほぼ元通りに近いのではないですか?」
「…………」
「黙っているのはロキ王子に気を遣っているからですか?」
「…………」
こちらが黙っていようと相手は確信でもあるのかどんどん勝手に話を進めていく。
かと思えば、全く違う話までしてくる始末。
「あの方、面白い方ですよね」
「…………」
「出会ったのはあの方がまだ十になるかならないかの頃だったんですけどね、お忍びで城を出てフラフラしていたところを人攫いに目をつけられたんですよ?」
そんな話は初耳だった。
「普通はそんな状況になったら泣いたり叫んだり、周囲に救いを求めようとしたり果敢に反撃しようとしたり…そんな行動に出るでしょう?」
まあそうだろう。逆にそれ以外に何かあるのかと言いたい。
けれど闇医者は楽し気に笑いながら続きを口にしてくる。
「あの方はね、なんと大笑いしたらしいですよ。それはもう気が狂ったかのようにケラケラとね」
「……は?」
「自分は王族だが能無しのスペアでしかないから身代金なんて取れないし、奴隷に売り飛ばしても関わった者達全てがあっという間に暗殺される。そんな自分に目をつけるなんてどうかしてるぞって」
「…………」
「せめて城に戻して金目のものでも持ってこさせた方がずっと稼ぎになるのにってそりゃあもう楽し気に大笑いしていたらしくて、その様子があまりにもおかしかったから同情されてしまったようで、せめて真面にしてやってくれって私のところに連れてこられたんですよ」
どうやらロキは子供の頃、悪党が思わず同情するくらいぶっ壊れていたらしい。
そんなにぶっ壊れるほどの何かがあったなんて特に自分の記憶にはないのだが……。
「その時に治療の一端で色々生い立ちを聞いたりしたんですけどね、聞けば聞くほど面白くて、気づけば友達になっていました」
その時にある程度真面にしたのだと闇医者は口にする。
そしてそれを縁としてロキは何度かそこへと足を運ぶようになり、挙句の果てには彼ら裏の商売の者達に気に入られ、溜まり場に顔を出すたびに「よぉっ!今日もぶっ壊れてるか?」と挨拶されるようになったらしい。
まさかそんなに城を抜け出していたとは思いもしなかった。
「まあ昔話はこれくらいにして……あの方は壊れた貴方をきっと気に入ってしまったのではないかと思って」
これでも心配してるんですと闇医者がポツリと溢す。
闇医者曰く、ロキは幼い頃から虐げられ過ぎて愛情に飢えたところがあるらしく、壊れた俺がロキに依存することによって愛情を抱いたのではと予想したらしい。
その言葉は恐らく正しいと思う。
ロキは壊れた俺を慈しむように愛してくれていて、それは疑う余地もない。
けれど…………。
「…………あいつは壊れた俺が好きなだけで、正気に戻った俺は嫌いになると…そう言っていた」
だからついポロッとそんな言葉を溢してしまった。
そんな俺に闇医者はフッと笑って「やっぱり」と言った。
「それでいつまでもまだ正気ではないと装っていたんですね。別にいいとは思いますよ?一番平和的ですし。ただ…このまま放っておけばきっとどこかで破滅してしまうでしょうね」
「破滅…?」
「そうですよ。あの人は王太子なんて器じゃない。自分のことで手一杯で、国を潰すことしかできない哀れな人なんです」
その生い立ちゆえにねと言って茶を飲む闇医者。
確かにそれはその通りなのかもしれない。
ロキの頭にあるのは父や母、自分に対する復讐心だけだ。
このままいっても望んで国のために働くようになるとはとても思えない。
「俺は……どうすればいい?」
「あの人を救いたいなら、諦めてもう正気に戻ったと伝えるべきでしょうね」
「正気に戻ったら他の男に抱かせて視姦してやりたいと言っていたが?」
「はははっ!それくらい願いを叶えてやればいいじゃないですか。どうせここに戻ってきた際にいくらでもあの方以外に抱かれていたんでしょう?今更と割り切って一度や二度好きなようにさせてやったらどうです?」
「…………」
その言葉に、他人事だと思ってとどうしても苦いものが込み上げてきてしまう。
「病んでるロキを…治してはやれないのか?」
「ああそれはね、完全には無理ですよ。病んでるのは幼少期からなので。人格形成に大きく影響を受けてるからあれが限界です」
俺とはそもそも置かれていた立場が違うのだから仕方がないと嗤う闇医者。
「まあ揶揄うのはこれくらいにして。多分一番いいのは貴方が支えてやることですよ」
王太子の仕事を一緒にこなしてやり、夜は好きなようにさせてやる。
愛情をこれでもかと与えてやり、必要なのだと伝えてやる。
それが一番ロキに必要なことだと闇医者は言った。
「ま、それもこれも貴方次第なので、面倒だと思うならいっそ殺してやった方が幸せかもしれませんが」
お好きにどうぞと言って闇医者はそのまま席を立つ。
「ロキは……お前の友人と言っていなかったか?」
「友人ですよ?」
「じゃあどうして殺してやれなどと……っ」
「その方が幸せだからです。愛を与えられることもなく重荷を背負わされて、足掻いて足掻いて潰される。そんな人生に幸せなんてありますか?繊細な彼にはあまりにも負担が大きすぎる。それくらいならいっそ一思いに殺してやった方がいい。貴方はそう思いませんか?」
その言葉に怒りにも似た感情が込み上げる。
(殺してやった方が幸せ?そんなこと、あるものか…!)
今、わかった。
俺はあんな弟を───いつの間にか愛しく感じてしまっていたのだ。
いつからなのか、正気に返る前からだったのかはわからない。
嫌いだったはずなのに、馬鹿にしていたはずなのに……あいつがあまりにも愛おしそうに俺を見つめ愛してくるから────。
(ロキ……)
そこに救いがあるのだとしても、どうしても殺してやる気にはならなかった。
助けてやりたいと……そう願ってしまったのだ。
ずっと────あんな風に俺を愛するロキを見ていたかった。
「まあ貴方があの方と同じようにあの方を想い、見捨てなければ、貴方の望む未来も訪れるかもしれませんね」
それは一体どういう意味だと尋ねたら、
「だってもし本当に憎いだけだったなら、闇医者などに頼らず放っておけばよかっただけでしょう?」
そう言われてしまった。
確かにそれはそうだ。
壊れた兄など、優秀な闇医者に診せたりせず放っておけばよかった。
どうしようもなく憎んでいたのなら、俺が勝手に堕ちて狂っていく様をただ眺めておけばよかった。
わざわざ引き取って面倒を見る必要などなかったし、愛するのではなくもっと酷い目に合わせていても全くおかしくはなかった。
それなのにロキは俺を見捨てるのではなく助け、居場所を与えてくれた。
愛と憎しみは表裏一体だと聞いたことがあるが、それこそまさにロキを表す言葉ではないのだろうか?
愛してほしいのに愛してもらえず、愛が憎しみに変わっていた…。
それが逆転してああなったのだと────そうは言えないだろうか?
そんな風に考えると、歪んでいてわかりにくい弟がどうしようもなく愛しく思えて……不覚にも涙が浮かんでしまった。
けれど闇医者はそんなに悲観しなくても大丈夫だと言ってくる。
「きっとなるようになるでしょう。それに今の貴方にとってはヤンデレくらいの相手の方が都合がいいでしょうしね。お似合いだと思います」
「…どう言う意味だ?」
「それはそのうち分かりますよ。取り敢えず、あの方には試しに新薬を飲ませたら正気に返ったとでも伝えましょうか?」
「…………」
「まあ無理にとは言いませんが」
「…………わかった。腹を括ろう」
万が一あの方の狂気に晒されても何とか気が狂わないよう頑張ってくださいねと嗤われたが、もしそうなったらまた頼むとこっちも皮肉を返してやった。
「貴方がおかしくなったなら、その時は勿論ちゃんと治療はお引き受けしますよ」
俺がどれだけ壊れようとロキを治すよりもずっと簡単だと言ってのけるこの闇医者は、結局のところロキのために俺に犠牲になれと言っているのだ。
俺よりも友人であるロキが大切で、できれば助けてやりたいと本心では願っている。それが真実なのだろう。
それ即ち、ロキを殺したくはないと言っているようなものだ。
「貴様も随分歪んでいるな」
「お褒め頂き光栄ですよ。殿下」
そしてひらりと手を振り部屋から出ていくと、暫くして庭園へと姿を現し、そこにいたロキと少し話してそのまま去って行った。
残されたのは庭で呆然と佇むロキと、そんなロキを窓から見下ろす俺だけ。
(さて、話し合いの時間だ────)
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