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「ありがとうございました」
カランカランと音を鳴らして、馴染みのサローネさんが出て行った。
入れ替わりに入って来たのは、初めて見る女性だった。
きりっとした眉に大きな瞳、強そうという表現が合いそうな女性だけど、かなりの美人でもあった。
どちらかというと、王都よりの顔だった。
こんな田舎町ではさぞ目立つだろう。
「いらっしゃいませ。すみません。もう残っているのはそれだけなんですけど」
と、僕は中央のテーブルに置いてある苺タルトを指差した。
「じゃあ、それを頂くわ」
女性は快活な声で言った。
「ありがとうございます。村の方ではないですよね。態々、遠くからいらしてくださったんですか」
「ええ。このパン屋さんの評判を聞いて食べてみたくなったの」
それなのに、残っているのが苺タルト2個だけなんて申し訳ない気がした。
「あっ、ちょっと待っていてください」
僕は店の奥の厨房に入って蜂蜜を練り込んだ甘いパンを三つ袋に入れて戻った。
「お待たせしました。これ、店には出さないお家用のパンなんです。でも、すごく甘くて美味しいから、どうぞ持っていってください」
彼女は僕からパンを受け取ると、袋の中の匂いを嗅いだ。
「う~ん、蜂蜜の甘い香り。あの子が好きなパンだわ。今でも好きなのね」
「あの子?」
問いかけると、ふふっと笑った。
誰かを思い出させる笑い方だ。
「気にしないで。あら、素敵なブローチね」
彼女は目を輝かせて、僕の襟元に付けている黒い貴婦人を見た。
「あ、これは……大事な人から頂いたんです。あっ、でも、くれたのはサイラス様だから……いや、元はギルバートのお母さんのだから」
「それ、大事にしてね」
「えっ、はい」
元気よく返事をすると、彼女はとびきりの笑顔を見せてくれた。
まるで薔薇のようなあでやかさだ。
「じゃあ、これはお代ね」
金貨を2枚も手に乗せられて、僕はびっくりする。
「こんなには頂けません。銀貨二枚でいいんですけど」
そう言ったら、彼女は首を振った。
「それしか持ち合わせがないの。それに、この蜂蜜パンはそれくらいの価値があるわ」
「ええっ! 店にも出さない自分用なのにっ」
「いいの、いいの」
カラカラ笑って、彼女は店を出て行った。
「あっ、待ってくださいっ」
お金を返しそびれて、僕は慌てて彼女を追いかけた。
でも、店を出て周りを見たけど、彼女の姿はどこにもなかった。
「困ったな。何処へ行ったんだろう?」
キョロキョロと捜しまわっていると、後ろから誰かに羽交い絞めにされた。
「ぎゃっ!」
びっくりして悲鳴を上げると、耳元に聞き慣れた声が響く。
「僕ですよ。アレク」
ちゅっと頬にキスされて、体温が上昇する。
「……おかえりなさい」
「はい。ただいま」
ぎゅうと抱きしめられて、幸せがくすぐったい。
「何をしていたのですか?」
問われて、僕はお金のことを話した。
「どうしましょう。苺タルトに金貨二枚だなんて……それに、蜂蜜パンは売り物じゃないのに…」
困っているのにギルバートは何も言ってくれない。
「……ギルバート」
「どんな人でしたか?」
問われて、僕は感じたままの外見を話して聞かせた。
「とにかくよく笑う人でした。ああ、そうだ、ギルバートに似た笑い方もしてました」
ああ、そうだ。
誰かに似ていると思ったら、仕草がギルバートに似ていたんだ。
外見は全然似ていないけど――
「……蜂蜜パン」
「はい。あっ、駄目でしたか?」
勝手に自分たちの食事の分をあげてしまって悪かっただろうか。
せっかく、ギルバートが作ってくれたのに――
「いいえ、いいんですよ」
ギルバートはにっこりと笑った。
彼の笑顔尾を見ると、ほわんと幸せになる。
僕に笑いかけてくれることなんて、一生ないと思っていた。
それどころか、こんな風に二人で暮らせることも……
ギルバートが王子様に疑いの目を向けられたため、しばらく国外で身を隠すことにした。
ほとぼりが冷めたら、戻るつもりだ。
それまでに、サイラス様の悪い癖が治っていればいいけど、きっと無理だろう。
「さあ、店仕舞いをして、夕食にしましょう。今、タルトを届けたら、ステラおばさんからカボチャを頂いたんです。シチューでも作りましょうね」
ギルバートに続いて、僕も店に入る。
ふと鼻を掠めたのは、甘く懐かしい香り。
それは、ギルバートの庭に咲いていた薔薇の香りと同じだった。
「……薔薇の香り」
「多分、さっきの女性の香水かな。あっ、あれはっ」
カウンターに白い薔薇が置いてあった。
蜂蜜パンを取りに行ったときに置いたのかな。
まるで怪盗銀の薔薇みたい。
いや、盗まれたものはないけれど――
「母が好きな薔薇なんですよ」
ギルバートは懐かしむように薔薇に触れた。
「そうなんですか」
「ねえ、彼女は幸せそうでしたか?」
そう訊かれて、僕は一も二もなく頷いた。
だって、幸せじゃなかったらあんな風に笑えないはずだ。
「……僕は誰もが不幸になればいいと思っていました。幸せなど知らなかったから……でも、今は君が僕を幸せにしてくれる。だから、他人が幸せになっても許せる気がします」
胸がズキズキと痛む。
ギルバートは時折、とても陰湿な話し方をするから……
「ギルバート、誰もが幸せでいいじゃないですか」
「はい。今、そう言いましたよ」
ふふっとギルバートが笑う。
あれ? そうだったかな。
「アレク」
「はい?」
すごく近い場所までギルバートの顔が近づいてきていて、びっくりする。
「好きです」
言いながら、ギルバートが僕に口づけてきた。
「僕も」という声はギルバートの唇の中へと消える。
すごく幸せだ。
ギルバートも幸せそうに笑ってくれる。
軽いキスをした後、ギルバートは口づけを深めた。
薔薇の香りが鼻をくすぐる。
濃密な愛おしさをこめて、僕はギルバートの想いに応えた。
全てが甘くて蕩けそう。
二人の甘い時間が続くことを願って――
END
カランカランと音を鳴らして、馴染みのサローネさんが出て行った。
入れ替わりに入って来たのは、初めて見る女性だった。
きりっとした眉に大きな瞳、強そうという表現が合いそうな女性だけど、かなりの美人でもあった。
どちらかというと、王都よりの顔だった。
こんな田舎町ではさぞ目立つだろう。
「いらっしゃいませ。すみません。もう残っているのはそれだけなんですけど」
と、僕は中央のテーブルに置いてある苺タルトを指差した。
「じゃあ、それを頂くわ」
女性は快活な声で言った。
「ありがとうございます。村の方ではないですよね。態々、遠くからいらしてくださったんですか」
「ええ。このパン屋さんの評判を聞いて食べてみたくなったの」
それなのに、残っているのが苺タルト2個だけなんて申し訳ない気がした。
「あっ、ちょっと待っていてください」
僕は店の奥の厨房に入って蜂蜜を練り込んだ甘いパンを三つ袋に入れて戻った。
「お待たせしました。これ、店には出さないお家用のパンなんです。でも、すごく甘くて美味しいから、どうぞ持っていってください」
彼女は僕からパンを受け取ると、袋の中の匂いを嗅いだ。
「う~ん、蜂蜜の甘い香り。あの子が好きなパンだわ。今でも好きなのね」
「あの子?」
問いかけると、ふふっと笑った。
誰かを思い出させる笑い方だ。
「気にしないで。あら、素敵なブローチね」
彼女は目を輝かせて、僕の襟元に付けている黒い貴婦人を見た。
「あ、これは……大事な人から頂いたんです。あっ、でも、くれたのはサイラス様だから……いや、元はギルバートのお母さんのだから」
「それ、大事にしてね」
「えっ、はい」
元気よく返事をすると、彼女はとびきりの笑顔を見せてくれた。
まるで薔薇のようなあでやかさだ。
「じゃあ、これはお代ね」
金貨を2枚も手に乗せられて、僕はびっくりする。
「こんなには頂けません。銀貨二枚でいいんですけど」
そう言ったら、彼女は首を振った。
「それしか持ち合わせがないの。それに、この蜂蜜パンはそれくらいの価値があるわ」
「ええっ! 店にも出さない自分用なのにっ」
「いいの、いいの」
カラカラ笑って、彼女は店を出て行った。
「あっ、待ってくださいっ」
お金を返しそびれて、僕は慌てて彼女を追いかけた。
でも、店を出て周りを見たけど、彼女の姿はどこにもなかった。
「困ったな。何処へ行ったんだろう?」
キョロキョロと捜しまわっていると、後ろから誰かに羽交い絞めにされた。
「ぎゃっ!」
びっくりして悲鳴を上げると、耳元に聞き慣れた声が響く。
「僕ですよ。アレク」
ちゅっと頬にキスされて、体温が上昇する。
「……おかえりなさい」
「はい。ただいま」
ぎゅうと抱きしめられて、幸せがくすぐったい。
「何をしていたのですか?」
問われて、僕はお金のことを話した。
「どうしましょう。苺タルトに金貨二枚だなんて……それに、蜂蜜パンは売り物じゃないのに…」
困っているのにギルバートは何も言ってくれない。
「……ギルバート」
「どんな人でしたか?」
問われて、僕は感じたままの外見を話して聞かせた。
「とにかくよく笑う人でした。ああ、そうだ、ギルバートに似た笑い方もしてました」
ああ、そうだ。
誰かに似ていると思ったら、仕草がギルバートに似ていたんだ。
外見は全然似ていないけど――
「……蜂蜜パン」
「はい。あっ、駄目でしたか?」
勝手に自分たちの食事の分をあげてしまって悪かっただろうか。
せっかく、ギルバートが作ってくれたのに――
「いいえ、いいんですよ」
ギルバートはにっこりと笑った。
彼の笑顔尾を見ると、ほわんと幸せになる。
僕に笑いかけてくれることなんて、一生ないと思っていた。
それどころか、こんな風に二人で暮らせることも……
ギルバートが王子様に疑いの目を向けられたため、しばらく国外で身を隠すことにした。
ほとぼりが冷めたら、戻るつもりだ。
それまでに、サイラス様の悪い癖が治っていればいいけど、きっと無理だろう。
「さあ、店仕舞いをして、夕食にしましょう。今、タルトを届けたら、ステラおばさんからカボチャを頂いたんです。シチューでも作りましょうね」
ギルバートに続いて、僕も店に入る。
ふと鼻を掠めたのは、甘く懐かしい香り。
それは、ギルバートの庭に咲いていた薔薇の香りと同じだった。
「……薔薇の香り」
「多分、さっきの女性の香水かな。あっ、あれはっ」
カウンターに白い薔薇が置いてあった。
蜂蜜パンを取りに行ったときに置いたのかな。
まるで怪盗銀の薔薇みたい。
いや、盗まれたものはないけれど――
「母が好きな薔薇なんですよ」
ギルバートは懐かしむように薔薇に触れた。
「そうなんですか」
「ねえ、彼女は幸せそうでしたか?」
そう訊かれて、僕は一も二もなく頷いた。
だって、幸せじゃなかったらあんな風に笑えないはずだ。
「……僕は誰もが不幸になればいいと思っていました。幸せなど知らなかったから……でも、今は君が僕を幸せにしてくれる。だから、他人が幸せになっても許せる気がします」
胸がズキズキと痛む。
ギルバートは時折、とても陰湿な話し方をするから……
「ギルバート、誰もが幸せでいいじゃないですか」
「はい。今、そう言いましたよ」
ふふっとギルバートが笑う。
あれ? そうだったかな。
「アレク」
「はい?」
すごく近い場所までギルバートの顔が近づいてきていて、びっくりする。
「好きです」
言いながら、ギルバートが僕に口づけてきた。
「僕も」という声はギルバートの唇の中へと消える。
すごく幸せだ。
ギルバートも幸せそうに笑ってくれる。
軽いキスをした後、ギルバートは口づけを深めた。
薔薇の香りが鼻をくすぐる。
濃密な愛おしさをこめて、僕はギルバートの想いに応えた。
全てが甘くて蕩けそう。
二人の甘い時間が続くことを願って――
END
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