上 下
28 / 32
第ニ章 騎士見習いアントニー

情報収集

しおりを挟む
「よし、じゃあそろそろ終わりにしよっか。……ね、この後俺の家来るでしょ? 今日はメアリの好きそうなお茶とか揃えてるんだけど」

 そう言ってふわりと微笑んだのは今日も例によって鬼のようなスパルタ訓練を付けてきた担任教師__コーディ・グローリアであった。ゼイゼイと息を切らし汗を流している私に一切の躊躇もなく近づき、腕を絡め誘ってくる。猫のように甘える色を宿した瞳は、しかし本来想定されるシチュエーションとはそぐわず、私の頭上から視線を降らせていた。彼はその内面のわりに背が高いのだ。

「ああー、いや、その今日は休みたいと言いますか」

 私がその視線から逃れるように下を向けば、コーディはすっと笑みを消す。

「……それさ、俺の家じゃ駄目なの? 休めない?」

 圧が強い。笑みが消えたのと同時に氷点下まで温度を下げた声が恐ろしい。

「答えて。俺じゃ駄目?」

「だ、駄目じゃないです……」

 根負けした私が諦めて白旗を振れば、再びにっこりと微笑んだ彼が満足げに頷いた。
 これでまだ私に惚れてないの、かなりびっくりじゃない? 私は心中で呟く。

 そう、彼はまだ私に恋をしていないのである。





「メアリくん、今日呼び出したのは他でもない、君がさっそく一人恋に落としたと__」

「恋じゃないです」

 昼休み、私はいつものようにクラスメイトとご飯を食べた後、学園長室まで呼び出しを受けていた。心なしかワクワクとした表情で待ち構えていた学園長は、さっそく本題を切りだ__そうとしたところで思わぬ反論を食らう。ぴたりと固まった学園長をまっすぐ見つめ、私はもう一度、「恋じゃないです」と繰り返した。

「……ええと、それはどういうことかね? 殿下__コーディ様と恋人のように仲睦まじくしていたと、ある筋から情報が入っているのだが」

「それがですね、私も途中で気付いたんですが」

「うむ」

「あれ、たぶん親を私に求めているだけでまだ恋になってませんよ」

 私はため息をついた。全く恋愛とは一筋縄にはいかないものである。
 確かにコーディは私に懐いている。というか依存している。とにかく会いたがるし私が彼以外を優先しようとすると烈火のごとく怒る、が……しかし、彼の眼に情欲の色が見えないのである。
 いいか? 彼は二十五歳だ。好きな女を見てるなら多少はよろしくないところに視線も向くだろう。しかし、それがない。皆無だ。いくら彼の家に行こうが、ただお茶を飲みおしゃべりし多少のスキンシップとって終わりだ。

 あれは、惚れていない。

「むむ……そのようなこと……」

「あるんですよ、本当です」

 渋い顔の学園長に、私は力強く頷いた。私も驚き困惑したが、本当にあるのである。

「それより学園長」

「いや、あれはやはり、うーむ……む、なんだね?」

 学園長はまだ唸っていたが、私の呼びかけに再びこちらを見つめた。

「アントニーについて教えてほしいのですが」

「……ほう」

 学園長は怪しげに目を光らせた。





 アントニー・オルブライト。彼はいわゆる、完璧な優等生__つまり委員長タイプだ。スポーツ万能成績優秀、服装も乱れ無し。困っている人がいたら積極的に手を差し伸べるその性格はクラスでも一目置かれており、我の強さが特徴的な第十一年生たちも、彼の言うことなら聞くらしい__というのが、学園長から聞き出した情報である。

「なぜこの情報を最初からガイドに載せて戴けなかったので……?」

「文字だと外部に漏れたら困ってしまうだろう。主に私が……」

「あ、なるほど」

 私はポンと手を叩いた。確かに情報漏洩はまずい。
 しかしまあ、と私は考えた。今貰った情報は、確かに私が今までの一か月で抱いた彼への印象と同じであった。それがいままでの十年強を通して学園長や教師陣が抱いた印象と同じであるのならば、アントニーは裏表なくそういう人間であるのだろうか。
 そんな完全な人間が存在するものであるのだろうか。

「あの、つかぬ事をお聞きしますが、本当にこれだけでしょうか」

「うむ、そうだが……何か気になることでもあったかね?」

「いえ……ただ、本当にこんな好青年が実在するのかと疑問で」

 ああ、と学園長が相槌のように頷いた。

「まあ、確かに他の五色を持つ子は一癖も二癖もあるような方ばかりだが。一人くらい爽やかな子がいても良かろう」

 子、と方、という表現が混在しているのは王族への配慮だろうか、学園長は何でもないように流した。

「それもそうですね。それでは、ありがとうございました学園長。また何かあったら連絡します」

「うむ。好い報告を待っておるよ」

 私も頷き、そしてそのまま挨拶をすると扉に手を掛けた。考えてみれば、最初がちょっとイレギュラーすぎたのだ。アントニーはまだ学生。爽やか好青年でも何ら問題はない。……まあ、そんな若者をこれから私は誑かすわけだが。
 多少の罪悪感が頭をよぎったが、しかし、そうしなければ世界は滅びる。滅びるのだ。そしてリズの願いも叶わなくなる。

「……よし」

 気合を入れ直し、改めて私は学園長室を退出した。どうやってアントニーを攻略しようか頭を悩ませながら。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

6年間姿を消していたら、ヤンデレ幼馴染達からの愛情が限界突破していたようです~聖女は監禁・心中ルートを回避したい~

皇 翼
恋愛
グレシュタット王国の第一王女にして、この世界の聖女に選定されたロザリア=テンペラスト。昔から魔法とも魔術とも異なる不思議な力を持っていた彼女は初潮を迎えた12歳のある日、とある未来を視る。 それは、彼女の18歳の誕生日を祝う夜会にて。襲撃を受け、そのまま死亡する。そしてその『死』が原因でグレシュタットとガリレアン、コルレア3国間で争いの火種が生まれ、戦争に発展する――という恐ろしいものだった。 それらを視たロザリアは幼い身で決意することになる。自分の未来の死を回避するため、そしてついでに3国で勃発する戦争を阻止するため、行動することを。 「お父様、私は明日死にます!」 「ロザリア!!?」 しかしその選択は別の意味で地獄を産み出していた。ヤンデレ地獄を作り出していたのだ。後々後悔するとも知らず、彼女は自分の道を歩み続ける。

処理中です...