よこはま物語 参、ヒメたちのエピソード

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ヒメと明彦5、美姫編

第41話 美姫の引っ越し2

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 千駄ヶ谷の明彦のアパートに美姫と一緒に行った。アパートの鍵は美姫が持っている。道すがら、美姫がアパートの大家さんは布団屋さんで生田さんというのだけど、面白いのは、彼女の大学の専攻が中世・近代の日本史なの、と言う。私や良子がちょくちょくアパートに来るのを了解しているんだ、という。ヘェ~。

 千駄ヶ谷の駅前通りを通って、和菓子屋に行った。生田さんへのお土産を買います、と美姫は言う。みたらし団子と大福にしようかしら?雅子さん、何がお好きですか?と聞かれた。そうやね?関東風のみたらし団子、結構好きやねん。でも、あれ?美姫が和菓子?意外だなあ、らしくない。

 駅からそれほど離れていない住宅街に明彦のアパートがあった。美姫の言うように1階は布団屋さん。おばさんが店先ではたきをかけていた。美姫をみかけて、「美姫ちゃん!先々週の日曜日以来じゃないか?良子さんも来ないし、どうしちゃったんだろう?って思っていたのよ」と言う。あれ?ここは明彦のアパートだよね?男子の部屋に女の子の出入りがないことを心配する大家さんってなんだ?

 美姫ちゃんが大家さんに和菓子のお土産を渡した。生田さんは、お茶を淹れるから待っててね、と言う。ほほぉ、下町みたいね?

「生田さん、今日は、明彦の部屋の私物を取りに来たんですよ。もうここへは来ません。お世話になりました」ほうじ茶を淹れてくれた生田さんに美姫が言う。「それで、これ、明彦から預かっていた部屋の鍵です。用事が済んだらお返しします。生田さんから明彦に渡しておいていただけますか?え?そんなギョッとした顔をしないで。え~っとね、私、もう彼の彼女じゃなくなったんです。この方、小森雅子さんが、今、明彦の彼女なんですが、私、雅子さんの飯田橋のマンションに引っ越すんです。雅子さんに家庭教師をしてもらって、大学を受け直そうと思ってます」美姫、その説明、関係者以外、絶対に理解不能だと思うよ。

「・・・あのね、彼氏と別れた彼女が、彼氏の新しい彼女に家庭教師をしてもらって、新しい彼女の部屋に引っ越して、大学の再受験をするってのは、美姫ちゃんの住んでいる横浜では、今、流行りなのかい?」
「流行りじゃないですよ、生田さん。私たち独特というか・・・」
「じゃあ、良子ちゃんはどうするんだい?美姫ちゃんは来なくなるけど、良子ちゃんはここに来るのかい?この鍵は良子ちゃんに渡した方がいいのかね?」
「いや、それは明彦が決めるべき問題ですので・・・」

「でも、そうすると、宮部さんの新しい彼女さんの小森さんが困っちゃうね?こっちに良子さんが来て、美姫ちゃんは小森さんの部屋に引っ越して、宮部さんはどうするつもりなんだろう?小森さん、訛があるけど、関西人?」
「ハア、京都の生まれですけど・・・」
「京都かい?京都の生まれも横浜に染まっちまうのかね?江戸っ子の私にゃ、わかんないご時世だよ」
「え~、あのぉ・・・」

「アハハハ、面白かった。美姫ちゃん、小森さん、私をボケ老人と思ったようだよ。小森さん、冗談だよ。冗談。わかってますよ。細かい事情は知らないけど、小森さんが美姫ちゃんと仲良さそうで安心しました」
「じょ、冗談だったんですか?」
「ええ、冗談。でも、細かい事情は知らないけど、去年から、年が明けてから、だんだん、美姫ちゃんが悲しそうな顔をしてるしね。良子ちゃんも悩んでいたみたいで。まあ、見るところ、問題は解決したようじゃないの?詮索しないけどさ。美姫ちゃん、スッキリした顔をしているし。がんばんなよ。この小森さん、信頼できそうだよ、美姫ちゃん。江戸のおばさんの第六感だけどね」
「ええ、頑張ります」って、美姫ちゃん、ここで涙ぐむ場面なの?フーテンの寅さんの世界かよ?
「まあ、いろいろあったろうけど、宮部さん抜きに、ここに遊びに来るんだよ。茶飲み話しをしようじゃないの」
「ええ、生田さん、また戻ってきますから」

 明彦のアパートに行った。初めてだった。彼の、というより、美姫と明彦の部屋と感じられる。美姫の私物は、ビニール製のファスナーの付いた収納にキチンと入っていた。クローゼットにも。可愛い下着がたくさんある。ユニットバスには洗顔用具や化粧品の類が。

 ここで、彼と美姫、良子がエッチしてたんだ。ちょっと生々しい。

 美姫が忘れ物がないように隅々まで点検した。一つの彼女の時代の封印。表情が悲しい。

 仕方がなかった。もっと早く私がついていてあげれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。彼女は、大学に通って、まだここにちょくちょく遊びに来ていて・・・そうだ、うまくいっていたら、明彦は私と付き合うこともなく、ただの大学、美術部の先輩、後輩の関係だったんだろう。この世界は、何かの歯車が噛み合わないと、起こる出来事も全て変わってくる。

 でも、これで終わったわけじゃないのよ、美姫。これから、また、再構築するだけ。後は登るだけ。もう、二度と堕ちないように。

 私が先に部屋を出る。美姫が部屋を見回す。バイバイと言う。

 布団屋に戻った。美姫が部屋の鍵を生田さんに渡した。お世話になりました。たまに茶飲み話をしにまいります。どう過ごしているか、報告に参ります、と言う。生田さんは、よしよしと美姫の肩を抱いた。美姫、ちょっと涙目になっている。

 総武線各停で飯田橋へ。千駄ヶ谷、信濃町、四ツ谷、市ヶ谷、飯田橋。四ツ谷を通り過ぎる時、美姫が「明彦のアパートを決める時、四ツ谷は絶対にイヤ!って言ったんです」と懐かしそうに言う。

「なぜ、四ツ谷はダメなの?」
「四ツ谷には、横浜の同じ名前の系列の違う女子校があるんですよ。私の高校と仇敵なんです。明彦のやつ、高校の頃、横浜のその女子校の女の子と一時付き合っていたんですよ。私が付き合いを止めさせました」
「アハハ、束縛」
「そうですよね。私って、彼をかなり束縛していたんでしょうね」
「こんな可愛い子に束縛されたら男子にしてみれば嬉しいでしょう」
「雅子さん、知ってます?」
「何?」
「雅子さんが私の容姿を褒めるのって、私とソックリの雅子さんは、自画自賛しているんですよ?」
「そうか・・・」

「でも、ファンファンが言うように、私と雅子さん、中身は別物なんですね・・・」
「雅子、でいいわよ。『さん』付け止めましょう」
「じゃあ、雅子も私を『ヒメ』と呼んでください。高校の頃、『美姫』って大木の『幹』みたいでイヤだから『ヒメ』と呼んでと明彦に頼んだんです。彼しか私のことを『ヒメ』と呼びません」
「じゃあ、ヒメ。良子みたいにヒメの頭を抱いてよしよししたくなった。私は、良子みたいに背が高くないけど」

「フフフ、良子だと同級生なのに私をおこちゃま扱いしているみたい。事実、おこちゃまですけど。雅子なら、お姉さまだからいいな。私、お姉さま、いないから。あのね、雅子、私とあなたは中身が別物で、私はおこちゃまなんですね。自分をどう変えたらいいんだろう?」

「ドイツの小説家のヘッセの作品の中で、《《『鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという』という一節があるの。人格は連続していて、飛躍はしない。だけど、次の状態に変わろうとするなら、以前の状態を破壊する必要があるのかもしれない。でも、あなたはあなた。別に自分を全部否定する必要もないし、過度に肯定する必要もないのよ。問題点を自己認識した上で、適切な部分修正で十分。てってー的にやる必要はないの》》」

「・・・ちょっと考えてみます。それで、相談します」
「急ぐ必要はないのよ。ゆっくり考えればいい」

 飯田橋についた。神楽坂方面の西口へ歩く。この駅の西口は改札口までゆるい坂みたいで距離が無駄に長い。変な駅だなあといつも思う。交差点を渡って、神楽坂を登る。登るって変だけど、坂を上がるのか?15分ほど神楽坂の商店街を早稲田通り方向にブラブラ歩いていった。美姫と自然に手をつないでいた。姉妹に見えるかしら?

 マンションに着く。私の部屋は三階の角部屋。間取りは2LDK。学生にしてはリッチな都心のマンションみたいに思われるけど、パパが東京に出張する時に使うから、ついでに私が間借りしているのよ、とヒメに説明した。明彦のアパートに比べればそこそこ広い。それに、ちゃぶ台じゃなくて、ちゃんとダイニングテーブルもある。私の部屋には机もある。こっちの方がヒメが受験勉強をするにはいいんじゃないかしら?

「さあ、いらっしゃいませ。自分の家と思って頂戴。ここからなら、千駄ヶ谷ほどじゃないけど、代々木も近いわ。定期券を買わないといけないわね」
「明彦の部屋と違う。男の匂いがしないです」
「パパはたまにしか来ないもの。明彦も先週の金曜日に泊まっただけだから」
「雅子が言うと嫌味に聞こえない」
「え?」
「元カノに今カノが先週彼氏が泊まったのってサラッと言うのに嫌味に聞こえません。ちょっと傷ついたけど」
「あ!私、考えなしに言っちゃうことが多いから、ゴメンね」
「謝る必要はありませんよ、雅子。第一、今カノの部屋に元カノが受験勉強で泊まっちゃうこと自体、おかしな話ですもの・・・明彦、ここに来るんですよね・・・」
「うん、ベッド見る?」

 私の部屋をヒメに見せた。ベッド、三人だと狭いかな?その時は明彦を床に寝かせよう。

「ベッド、三人だと狭いかな?その時は明彦を床に寝かせよう」
「ねえ、雅子。あんなことをした私が、ここで寝るのって・・・」
「あら?私とソックリなおヒメさま、私があなたを抱くのよ。明彦は二の次。自分を抱いているみたいで新鮮でいいじゃない?」
「なるほど。私は雅子に抱かれるんだ。明彦はおまけか」
「レズの趣味はなかったんだけどなあ。ヒメや良子、ファンファンだったら、いいかも?なんて、お~、この発想、ダメだわ。堕ちていくわ。でもね、ヒメを抱きながら、この英語の前置詞はどこにかかるんでしょうか?って質問できるわ」
「え~、最悪!気持ちいいことされながら、英語の前置詞のことを聞かれるんですか?」

「2ヶ月しかないもの。時間を無駄にしない。ねえ、良子ともエッチしたんでしょ?気持ちいいの?良子だから、ヒメを責めるんだよね?」
「雅子、真面目な顔して、かなりエッチです。いいえ、良子は私を責めません。私が良子を責めて虐めるんです。良子、喜んで、身悶えします」
「へぇ~、人はみかけによらないんだ」
「良子は、ベッドの上ではマゾです。お尻を叩くと泣いて喜びます。雅子、発情しちゃったの?」

「理学部化学科の女子大生にも性欲はあるのよ。ねえねえ、お酒、飲んじゃおうか?」
「昼間だよ?雅子?」
「部屋にヒメがチェックインしたウエルカムドリンクよ」
「雅子、良子みたい。彼女、のんべだから」
「良子の家で、一昨日のお昼に、カツ丼と天ぷら蕎麦をご馳走になって、ビールとウイスキーを良子と二人で飲んじゃって、明彦とファンファンが呆れてたわ。ねえ、お腹空かない?後で、店屋物を取ろうよ。カツ丼と天ぷら蕎麦、食べたくなった。ウナギでもいいかな?」

 たぶん、明彦は気になって、気になって、授業が終わったら来るんだろう。しかし、私たちの感覚はおかしい。元カノの用事で横浜まで行った今カノがどうしたか、気になるというのは変だ。私も変だ。

 ヒメに何飲む?強いカクテルもできるよ?パパのお酒がたくさんある、と聞いたら、じゃあ、ウイスキーベースのをと言う。こりゃ、良子の躾だろうね?マンハッタンを作った。ソファーで飲もうよ、とヒメに言う。

「ハイ、ウエルカム、マイルーム!乾杯!」
「乾杯!って、雅子、寛政の改革は何年?なんて聞かないでね」
「1787年!覚えているもんだね」
「わぁ、すぐ答えられる!」
「丸暗記って言ったでしょ?疑問を持たずに丸暗記。江戸の三大改革。『今日(享)かん(寛)てん(天)食べたい』、享保の改革、寛政の改革、天保の改革。これで、既に1点確保。『よし(吉)! まず(松)は 水(水)だ!』で、享保の改革は徳川吉宗、寛政の改革は松平定信、天保の改革は水野忠邦。こんなくだらない、各々の改革の主導者にあたるのはどれでしょうか?A、B、C、なんて問題が出るのよね。考えたって仕方ないでしょ?私はこのくだらないゴロ合わせの宝庫。脳の容積の数%を占めているんじゃないかと思う。入試から三年経っても忘れられないの。『いろ(16)んな花(87)がよい(41)改革!』、享保の改革は1716年、寛政の改革は1787年、天保の改革は1841年!とてもじゃないけど、人生の役にたつとは思えない」

「ほほぉ、メモしないと」
「私の対策ノートに書いてある。たっぷりと嫌になるくらい。それをただ何も考えずに書き写す。一字一句。なぁ~んにも考えないで。そうすると、書くことで自然と覚える。書くのが大事なのよ。考えるとかいらない。高校の同級生がそれをやって、偏差値が45から62になったわ」
「雅子、ぜんっぜん、明彦とか良子の教え方と違う!」
「彼らに悪いけど、ああいうオタクの秀才や天才美少女と同じことをしてもヒメは大学に合格なんてできない。彼らは、他人がその問題を解けない、理解できないのが理解できないのよ。私のやり方は、高校で実証済み。さすがに良子の大学は無理かもだけど、六大学なら大丈夫」
「やる気が湧いてきました!」
「私は『どこがわからないの?』なんて無駄な質問しないもの。ねえ、ヒメ、どこがわからないの?」
「入試4教科全部!」
「ほらね?あ!酔っ払う前に、ヒメのママに電話しておこう。最初が肝心」

 ヒメが家に電話した。声が明るくなっている。ヒメのママも感じるのだろう。神楽坂のこと、私の部屋のこと、丸暗記のこと、長くお話していた。電話を代わってもらった。雅子さん、どんな魔法を使ったの?昨日までのあの子じゃないみたい、と言う。

 明彦と良子のド反対のアプローチです、私は美姫ちゃんと同じだから気持ちがわかるんです、オタクの秀才の明彦や天才美少女の良子の反対のことをすればいいだけです、と答えた。ふ~ん、そんなものなのね?中華街全部貸し切りにしちゃいましょうか?え?満漢全席ですか?じゃあ、美姫ちゃんのお兄さんの茨木の大学も目標にしちゃいますか?なんてね。では、失礼いたします。ガチャ。

「雅子!茨木に追放はイヤ!雅子と明彦の近く、法政大学で良い!あら?いっそのこと、単位はあるんだから、理系に鞍替えして、雅子と明彦と同じ大学にしようかしら?」
「おいおい。数学はこれからだよ?理科科目が入るから5教科になるわ」
「なんか、できそうに思えてきた!」
「やれやれ。ねえ、私たち、なんで明彦をスキなんだろうね?」
「う~ん、何を考えいるのかわからない、何を仕出かすか、わからないとこ」
「確かに、そうだ。あのさ、言っていいかな?林田のアパートで、明彦は林田を頭突きでぶちのめしたんだよ。殺すかと思った。ファンファンが止めたのよ。頭突きよ。大木金太郎みたいな頭突き!信じられないわ。よっぽど、ヒメのことで頭にきていたんでしょうね」
「雅子、泣いて良い?うれしい」
「あ!良子式でよしよしする」
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