BL世界に迷い込んだ人、死を賭し風紀を取り締まる(旧:オリジナルBLでよくある設定の世界に迷い込んだ人の話)

とりのようこ

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第33話:金魚階段

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 廊下袖にある教室を順に廻っていく内に、H型校舎の西奥の隅に着いた。
 途端、大きな物音が響いた。
 続けて、すぐ後ろで落下音がする。
 驚いて振り返ると、落としたらしい懐中電灯を拾おうとする高田のつむじが目に入った。
 高田は懐中電灯を拾った後に靴紐の解けているのに気が付いたらしくその姿勢のまま紐に取り組み始めた。

 「すいません、靴紐が解けたのでなおします」

 その様子を少しのあいだ見ていたが、第三の物音が続くことは無かった。
 これは霊障かと構えていたが、単に外壁に何か倒れただけかも知れない。最後に行う予定の外壁見回り時に確認しよう。

 高田は片足の靴紐を正すと、もう片方の足の方に取り掛かり始めた。
 作業をじっと見てるのも何なので、辺りを見回す。
 廊下奥に向かって右手に、ドアの無い開口部を持つ部屋が見えた。
明かりに惹かれて覗きこんでみると、大きな格子窓と椅子と机が並んだちょっとした休憩室があった。
正面の窓の前には椅子が窓側を向けて並べてあり、それと別に椅子とテーブルが二組ずつ置いてある。部屋の右手にはガラス扉付きの本棚があった。
 緑のカーテンは開いており外光が部屋を満たしている。
黒い木のテーブルと緑のモケット地を張った黒い椅子とに、雨模様がゆらゆら投げ掛けられていた。
 部屋に入り本棚の前に立つ。

 『桜堂学園、80周年記念誌~教育理念と時代の歩み~』
 『教育社会学研究第49集』
 『神奈川県教育年鑑』

 埃っぽい本のタイトルを目で追っているところで、高田が部屋に入ってきた。
 そちらを振り向いた途端に窓の外が光った。
 誰も座っていない椅子の背もたれの柵の陰が、さっと床へ伸びた。 
 遅れて稲妻がとどろき、その後に部屋は元の静かな様子に戻った。
 椅子は、空のまま嵐の空を向き、部屋は午後のかげりに満たされていた。

「幽霊でも、座っていそうな雰囲気じゃねえか」

 ぽつ、と生徒会長がつぶやいた。

 視界の端で光が震えた。
 高田が付け直し、廊下の暗がりへ投げ掛けていた懐中電灯の明かりだ。

「す、すいません、ちょっと、トイレに行ってきます」

 そう言うなり、高田は近くに居た生徒会長に急いで懐中電灯を渡し、来た道を小走りで戻っていった。

 手持ち無沙汰になったので、部屋の境に立って廊下側の方を見回していた。
 向かいの壁に見える凝った装飾に目が留まった。
 開口部から廊下の壁に向かって右斜向かいに、奥に向かって凹んだ形に空間が開けており、空間の奥の壁には、階段の横を覆っているらしい黒茶の板が左上方向に向かって延びているのが見えた。
 地図に寄ればこれは講堂上階に直接抜けるための階段だったはずだ。

 階段の横を手すりの高さまで覆った重厚な木の板には、波のあわいを泳ぐ金魚が彫り込まれている。
 見事な意匠だった。
 浅く彫られた波と泡の中でひらひら大きな黒い尾びれを広げている。
 うろこの一枚一枚が、開口部から届く弱い外光に鈍く光った。
 ヒレや背のうねりに沿って力強い稜線が彫られており、それが生きているような筋肉の動きを感じさせる。
 美しいが、特性を強調しすぎているためどこか戯画的なグロテスクさもあった。
 黒一色の中で青い瀬戸物の目が印象的だ。

 金魚なのだが、薄暗い校舎の奥まった一角にある魚のレリーフは深海魚のようにも見えた。
 見上げていると、突然魚の目がきらりと光った。
 振り返ると、生徒会長が俺のすぐ後ろで懐中電灯の明かりを金魚に投げ、しげしげ見つめていた。

 確かに、見事な意匠だ。
 自分は絵画や彫刻を見るのが結構好きだが、生徒会長もこういう物が好きなのだろうか。
 そうして、しばらく黙って美術鑑賞した後、生徒会長は懐中電灯を渡してきた。

「遅えな……俺も行ってくるわ」

 そうして会長も居なくなった。 
 窓の外に目をやっていると、無線の着信音が鳴った。

「古川より、恐川委員長へ。
 田中が怪我をしました。
 地学資料室の床材が腐っていたらしく、踏み抜いて怪我をしてしまいました。
 傷は大した事が無いように見えますが、どうも気分が優れないようで寝かせています。
 見回りは終わっていません。どうぞ」

「恐川より古川へ。
 わかった、本部に連絡する。
 今は他の二人がトイレに行っているが、戻って来たらそちらに様子を見に行く。
 そこから動かないでくれ。どうぞ」

「古川より、恐川委員長へ。わかりました。待機しています」

 田中の怪我の件を本部に報告し、通話のスイッチを切る。
 自分の声が消えて、校舎はことさら静かに感じられた。
 微かな雨風の音以外は何も聞こえない。
 来た道を振り返ると、暗い廊下の上にカーテンの開いた窓から投げられる明りがところどころに落ちていて、それがポツポツと遠くまで続いて見えた。
 そうして暗い静かな校内で金魚の前に居るうちに、何とも居えず不気味な気分がつのってきた。
 人形などでもたまにあることだが、その目はどこに立ってもこちらを見ているように見える作りだった。
 こういった物への耐性はかなりある方なのだが、今は間が悪い。
 トイレの前にでも行こうかと足を踏み出そうとした。

 その時。
 頭上の階段の上から、物音がした。
 幽霊、
 最初にすぐそう思った。
 が、続けて階段に足を掛ける音が聞こえてきたので、息を押さえ足音を消して階段の壁に身を寄せる。
 不審者か、霊かは分からない。
 しかしどちらにせよ相手から身を隠さねば。
 ……霊相手ならば無駄な動作かも知れないが。

『それ』はかなり遅いテンポでギィ、ギィ、と、階段を軋ませながら降りてくる様子だった。
 待つ間、自分がつばきを呑む音がやけに大きく聞こえた。
 長い時間の果てに、自分と同じ高さの床をふむ音がした。
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