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第一章
第十三話 こまくらべ
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レイから指令を受けたマッドと御子は、とある場所へと向かっていた。そこは王都から西へ離れた郊外の街ウェンザー、この地のランドマークといえば、王の別荘とも言えるウェンザー城が有名だろう。それ以上に、競馬という娯楽の発祥の地としても知られ、街の中心には歴史ある競馬場が建てられている。
「ここが、異国の競走場。何とも壮観なものだ」
「シーナ、こっちだ」
「承知」
王の城、ウェンザー城の城下町に所在するウェンザー競馬場。歴史ある由緒正しいレース場で、その規模は世界最大級と言われている。毎週レースが行われており、人種、階級問わず多くの客が訪れ、連日大盛況である。
「それにしても、もう少し目立たない服はなかったのか?」
「何を、皇国ではこれが正装だ」
御子が着込んでいるのは、皇国で正装として扱われているのは第一礼装、別名正礼装と呼ばれる着物で、この王国では良くも悪くも目立つ。
「……まぁいいか」
"はぁ、今度ボスにシーナ用の目立たない服を用意してもらおう…"
マッドとしても、今更この程度のことで文句を言うつもりはない。それよりも今は、与えられた任務を完遂する事を最優先としていた。
ため息をついたマッドは、煙草を一本口に咥えると、マッチで火を点けて煙を吐き出す。
「さて、それじゃあ行くぞ」
「うむ」
2人は場内に入ると、そのまま関係者専用の通路を通っていく。レース前の騎手たちが靴を磨いていたり、通路を行き交う関係者達が2人を見るが、あえて何も話そうとしない。
「シーナ、約束だ。何も言わず、誰とも話さず俺についてきてくれ」
「…………」
無言のまま、御子は無表情で首肯する。それを確認してから、マッドはさらに奥へ進んでいく。階段を上った先、扉の前で道を塞ぐように紳士服を着た男と、ドレスを着た女が立っていた。
「ボディチェックを」
男女はマッドと御子に近づくと、ボディチェックを行う。しばらくして、男の方が2人に頭を下げる。
「マッドさん、お待ちしておりました。こちらはどうぞ」
案内されたのは貴賓室、本来であれば貴族以外入ることが許されないこの部屋に、マッドと御子は招かれた。
部屋の中央には豪華な椅子が一つ、ガラス張りの壁からコースを見下ろすように置かれていた。その椅子に座る赤髪の女が一人。2人に背を向けているその女は、椅子に腰掛けながら口を開く。
「皇女殿下が遣わした2人、1人は歴戦の猛者、もう1人は異国の戦士、と言ったところか…」
女はゆっくりと立ち上がると、2人の方へと歩み始める。身長はマッドと同じくらい高身長、女優の如きスタイル、炎のように真っ赤な髪、そして全てを見通すかのようなパールの目。
彼女こそ、赤髪の死神と謳われるもの。
「ようこそウェンザー競馬場へ。ミスターマッド、ミスシーナ。私はリドリー=ファン=ライドリヒ。以後、よろしく」
リドリーはそう言うと、フィンガースナップを鳴らす。すると、貴賓室の控室から使用人たちが現れ、新たな椅子とテーブルを運び込み、配置を変える。
テーブルの上に置かれる湯気の立つ紅茶のカップ。ものの数十秒で会談ができる準備が整った。
「さぁ、お掛けになって。まずはウチの領地で育てた茶葉を味わってもらいましょう」
リドリーの合図と共に、使用人たちは部屋から出ていくと、部屋の空気がガラリと変わる。
「最初に言っておくけど、あなた達と話す機会を設けたのは、敬愛する皇女殿下様からの依頼あってのこと。本来であれば、ギャング如きにこの様な場を設けないことは、理解してもらえる?」
「承知しておりますミスライドリヒ。この度は、お招きいただきありがとうございます」
「礼儀正しいのは合格としましょう。流石は皇女殿下が遣わしただけあるわね」
マッドと御子を見るリドリーの瞳には、確かな侮蔑の色が見て取れた。だが、2人とも気にする様子もなく平然としている。
「して、ミスターマッド。雑談だけど今回の第1レース、あなたはどの馬に掛けたのかしら?」
「僭越ながら、2番のマーシャルクロー、こちらに金貨500枚を」
「へぇ、これはまた大金ね。なぜ、マーシャルクローに?良かったら理由を聞かせてもらえるかしら?」
「構いません」
マッドは、リドリーにマーシャルクローの長所と短所について説明を始めた。
「確かに、あなたの判断は堅い。今日のコースは芝の1,200ケートル、直線は短距離、曲がり始めが早い。今日の芝の状態は良好、1レース目。これなら、内枠が断然有利。さらに、2番のマーシャルクローはスタミナが豊富な上にパワーもある」
「その通りですミスライドリヒ。素晴らしい分析です」
「でも、肝心なことを捉えられていない。馬自身もそうだが、大切なのはそれを扱う騎手。私の息が掛かった騎手が、1番のバートレットを扱う。前三戦はどれも一着、芝、距離とも同じだ」
「ですが、今回勝つのは2番です」
一つもブレないマッドに、リドリーは興味を持つ。
「ほぅ、よほど自信があると見る。しかし、マーシャルクローを担当した騎手はここぞと言う時の決め手に弱い。まだ同じ条件のレースで勝てたことがないが」
「それでも、今日は2番です」
「なら、とくと拝見させてもらいましょう」
リドリーはそう言うと、煙草を口に咥えたまま立ち上がり、ガラス張りの窓へと歩み寄る。
「さぁ、レースが始まる」
リドリーが煙草の煙を吐き出すと、コース上には騎手たちが姿を見せた。全騎手がスタートゲートに入った瞬間、ゲートが開き馬達が一気に駆け出す。
「さぁ、勝負が始まった。あなたの予想が勝つか、私の読みが勝つか」
彼女はマッドに向き直り、不敵に微笑むのだった。レースは序盤、1番のバートレット、2番のマーシャルクローともに、他馬の後方につく。
「勝負は中盤、左カーブからの直線ね」
リドリーが呟いた瞬間、1番のバートレットが加速し始める。その勢いは徐々に増していき、後続を突き放す。だがその時、マーシャルクローも負けじと速度を上げ始める。
「そういえば、ミスライドリヒ。一つお伝えし忘れていたことが」
2人の騎手たちはさらに馬を追い込むため、鞭を振るい続ける。そしてついにゴール前の直線へと差し掛かった時、2番のマーシャルクローが大きく伸び始める。
「2番の騎手は、ウチのエースでして」
「ほぅ…」
リドリーの視線が2番のマーシャルクローに跨る男に視線を移す。確かに、競馬好きな彼女がほぼ毎日レースを見ているが、2番の騎手を見るのは初めてだった。
マッドの宣言通り、第1レースの一等は、2番のマーシャルクローだった。その瞬間、これまで侮蔑の表情だったリドリーが心から笑う。
「はっはっは、まさか自分たちの力で2番を勝たせるとは!これはまた、面白いものを見せてもらった」
「ミスライドリヒ、お楽しみいただけたようで良かったです」
「えぇ、こういう余興もたまには良いわね。さて、本題に移ろうかしら。ホワイトベルンの次はベルランド、私の影響力があるのを知った上で来たのなら、目的は宣戦布告かしら?」
「いえ、違います。我々にはそもそもあなたと戦う意思はありません」
「……へぇ」
マッドの言葉にリドリーが目を細める。その目は獲物を捉えた蛇のように鋭いものだった。だが、彼は一切怯む事なく話を続ける。
「ミスライドリヒ、我々はあなたがベルランドを纏めているヴァリナ=ファイゼンと騎士団時代に上司部下の関係であり、現在もその繋がりが潰えていないことを知っています」
「えぇ、そうよ。だから、ベルランドに手を出そうとするなら、私の持てる力全てであなた達を殲滅するつもりよ」
「殲滅と来ましたか……そこで、一つこちらからご提案があります。あなたが権威を持つこのウェンザー競馬場で、ランドルフ家の下っ端が客から金を巻き上げているみたいですね。我々に競馬場の警備、及び投票所の運営を任せていただけたなら。あがりとして現在の6割を7割に引き上げましょう」
「7割ねぇ、確かに魅力的な話だけど、警備と運営は黒布に任せているのよ」
「黒布の働き以上の成果を出す。それがこちらの出す提案です」
すると、貴賓室の扉がノックされる。リドリーが入室を許可すると、先ほど扉の前にいた男と女の後ろに、ロカティと慈愛のメンバーたちが立っていた。
「ミスライドリヒ、ランドルフ家が巻き上げていた金、全て回収致しました」
テーブルの上に置かれたずた袋は計三つ。マッドと御子がリドリーに相対している間に、ロカティ率いる面々が競馬場内での馬券押し売りをしていたランドルフ家のメンバーから、徴収した客の金を回収して回っていたのだ。
「この金は、あなたにお渡しします。その代わり、我々に競馬場の警備と投票所の運営を任せてください」
「……なるほどねぇ。つまりはこういうことかしら?ランドルフ家が行っていた馬券押し売りを摘発して金を回収する代わりに、公営ギャンブルに一枚噛ませろと?」
「その通りです」
「ふっ、ちょうどあいつらには頭を悩まされていたところだったのよ」
リドリーの口元が緩む。マッドは、この交渉で彼女が断ることは絶対にないと確信していた。だが同時に、彼女の性格上必ず何か仕掛けてくると踏んでいた。そして案の定、彼女は口を開く。
「ならこちらも、条件を出そう。王都郊外には併せて十の競馬場がある。全ての競馬場で金の徴収を行いなさい」
「十全てでですか?」
「えぇ、あなた達が順当にあがりを納めるなら、あなた達が狙っているベルランドの件について、手出ししないつもり。でも、私が望む結果じゃなければ…説明しなくても分かるわね?」
「えぇ、もちろんです。それでは、こちらの誓約書にサインを」
マッドはリドリーに三枚の紙を差し出す。そこには、ランドルフ家の取り分を7割にする代わりに、競馬場の警備と投票所の運営を全て任せる旨が記されていた。
リドリーは紙の内容を確認すると、流れるように同じ内容が書かれた三枚の紙にサインする。そして、三枚の紙に等しく割印を押すと、一枚は自らの手持ち、もう一枚はマッド、そしてもう一枚を呼び出した弁護士に手渡す。
「それでは、これで契約成立です。今後とも良い取引を、ミスライドリヒ」
「……えぇ。あなたのボスにもよろしく言っておいてちょうだい」
「えぇ、それでは失礼します。シーナ、行こう」
マッドと御子は一礼すると、貴賓室を後にする。2人は元来た道を通り、再びウェンザー競馬場の関係者専用通路を通っていく。しばらくして広いフロアに出たマッドは、ポケットから煙草を取り出して一服する。
「さて、第一段階はクリアってところか。しかし、あの女。油断ならんな」
「あぁ、しかもかなり頭がキレる」
御子がそう呟くと、マッドは苦笑いしながら煙草の火を揉み消す。すると、関係者専用通路から騎手の一人が歩み寄ってくる。
「マッド、結果はどうだった?」
「ちゃんと7割で手打ちにしてきた」
「良い出来ね。ミコちゃんも護衛ご苦労様」
「お安い御用」
マッドと御子の前に現れた騎手はヘルメットを脱ぐ。纏めていた長い桃髪がたなびき、その正体を露わにする。そう、2番のマーシャルクローを操っていた騎手は、レイ本人であった。レイは騎手の乗馬服とヘルメットを脱ぐと、2人を労う。
「しかし、ボスも大したもんだ。どこで乗馬を学んだんだ?」
「昔、ちょっとね」
「お待たせしました」
「ご苦労さま」
回収任務にあたっていたロカティたちも集結する。マッドから手渡された契約書を受け取ったレイは、その内容をよく確認する。
「上出来よ。これであがりをあげている間は奴らに手出しされることはない」
「だが、油断は禁物だボス。奴は、これは俺の勝手な想像だがかなりの曲者だ。契約書は取ってきたが、素直に応じるとは思えない」
「えぇ、それも十分に分かっているわ。じゃあ、みんな。早速だけどもうひと仕事付き合ってもらうわ。他のみんなを呼んで、ベルランドに集合よ」
◇
〈ベルランド 商店街〉
「ぐぁはっ⁉︎」
「何だ⁉︎」
ベルランドの商店街に店を構えるランドルフ家のバーでは、ランドルフ家の護衛が店内に向けて吹き飛ばされる。ヴァイオリンの音色の元、酒を酌み交わしていた一家の面々は、突然の出来事に動揺する。
「これはこれはランドルフ家の皆様方。良いお酒をしっかりと味わってくださいな」
「何者だ!?」
護衛を拳で吹き飛ばしたレイは、倒れていたバーの椅子を立てて悠々と座ると、ランドルフのメンバー達を見渡す。バーテンはカウンターの後ろに隠れ、客達はそそくさと店を離れる。
「てめぇか桃髪、ウチのシノギを邪魔したってぇ奴は」
「えぇ、その通り」
それを聞いた幹部らしき男は、アイコンタクトで"殺れ"と部下に命令する。部下は腰に下げたサーベルを引き抜くと、レイに襲いかかる。
「ミコ」
「承知」
御子は腰に携えていた皇国刀を引き抜くと、サーベルを振り下ろそうとした男の腕を斬り上げる。
「「「⁉︎」」」
「ぐぁぁぁぁっ⁉︎」
腕を失った男は、床にのたうち回る。御子は男の心臓に刀を突き立て止を刺す。御子の剣術から創り出された空気が、一気に酒場全体へと広がる。それを皮切りにランドルフ家のメンバーが拳銃を構えた。
「てめぇ!」
「拳銃、抜いたな?」
対するリベル・ファミリアのメンバー達たち全員が拳銃や小銃、機関銃を構え、精々拳銃が主力のランドルフに圧倒的な武力を見せつける。
「一人は残して、後は全員始末して構わない」
ファミリー達はレイの命令を聞くと、銃を構えて一家のメンバー達に向けて銃撃を始める。椅子に座ったレイが立つまでもなく、ランドルフ一家は一瞬でバーの床に伏せることになる。
「ひっ、ひぃっ」
最後に残されたのは、丸メガネをかけた如何にも小心者そうな男。彼は腰を抜かして、床に尻餅をついている。
「さて、と」
レイは椅子から立ち上がると、丸メガネの男の前に立つ。そして、男の胸ぐらを掴むと無理やり立ち上がらせて椅子に座らせる。男はガタガタと震え、今にも泡を吹いて倒れそうになっていた。
「ひっ、た、た、助けてください‼︎僕は何もしてないですし、何も知らないんです‼︎」
「どうどう、落ち着いて。ほら、深呼吸しなさい、ふぅふぅ」
「ふぅ…ふぅ」
「そうよ。いい子いい子」
レイは丸メガネの男の顔を撫で、頭を撫でる。ようやく落ち着きを取り戻した男は、怯えながらもレイを見る。
レイはバーの片付けをファミリーに命令している間、怯えた男にウイスキーを注ぐ。
「さて、ミスター。名前を聞こうじゃない?」
「と、トレバーです。み、ミス」
「レイ=フライアよ、トレバー。まぁ、とりあえず一杯飲んで落ち着きなさい」
トレバーはレイからウイスキーの入ったグラスを受け取ると、恐る恐る口に運ぶ。レイもグラスに注ぐと、それを口にする。
「トレバー、一家でのあなたの役割は?」
「か、会計士です。雇われていまして、組織の予算を、帳簿にまとめていました…」
「そう。ジェラード、ウチも会計士を募ってたのよね。トレバー、あなたウチの会計士にならない?」
「えっ!?」
トレバーは驚きのあまり目を丸くする。レイがファミリーのボスであることは知っていたが、まさか勧誘されるとは思ってもいなかったからだ。だが、その提案を断ったらどうなるかわからないと悟った彼は、頷く他なかった。
「ここが、異国の競走場。何とも壮観なものだ」
「シーナ、こっちだ」
「承知」
王の城、ウェンザー城の城下町に所在するウェンザー競馬場。歴史ある由緒正しいレース場で、その規模は世界最大級と言われている。毎週レースが行われており、人種、階級問わず多くの客が訪れ、連日大盛況である。
「それにしても、もう少し目立たない服はなかったのか?」
「何を、皇国ではこれが正装だ」
御子が着込んでいるのは、皇国で正装として扱われているのは第一礼装、別名正礼装と呼ばれる着物で、この王国では良くも悪くも目立つ。
「……まぁいいか」
"はぁ、今度ボスにシーナ用の目立たない服を用意してもらおう…"
マッドとしても、今更この程度のことで文句を言うつもりはない。それよりも今は、与えられた任務を完遂する事を最優先としていた。
ため息をついたマッドは、煙草を一本口に咥えると、マッチで火を点けて煙を吐き出す。
「さて、それじゃあ行くぞ」
「うむ」
2人は場内に入ると、そのまま関係者専用の通路を通っていく。レース前の騎手たちが靴を磨いていたり、通路を行き交う関係者達が2人を見るが、あえて何も話そうとしない。
「シーナ、約束だ。何も言わず、誰とも話さず俺についてきてくれ」
「…………」
無言のまま、御子は無表情で首肯する。それを確認してから、マッドはさらに奥へ進んでいく。階段を上った先、扉の前で道を塞ぐように紳士服を着た男と、ドレスを着た女が立っていた。
「ボディチェックを」
男女はマッドと御子に近づくと、ボディチェックを行う。しばらくして、男の方が2人に頭を下げる。
「マッドさん、お待ちしておりました。こちらはどうぞ」
案内されたのは貴賓室、本来であれば貴族以外入ることが許されないこの部屋に、マッドと御子は招かれた。
部屋の中央には豪華な椅子が一つ、ガラス張りの壁からコースを見下ろすように置かれていた。その椅子に座る赤髪の女が一人。2人に背を向けているその女は、椅子に腰掛けながら口を開く。
「皇女殿下が遣わした2人、1人は歴戦の猛者、もう1人は異国の戦士、と言ったところか…」
女はゆっくりと立ち上がると、2人の方へと歩み始める。身長はマッドと同じくらい高身長、女優の如きスタイル、炎のように真っ赤な髪、そして全てを見通すかのようなパールの目。
彼女こそ、赤髪の死神と謳われるもの。
「ようこそウェンザー競馬場へ。ミスターマッド、ミスシーナ。私はリドリー=ファン=ライドリヒ。以後、よろしく」
リドリーはそう言うと、フィンガースナップを鳴らす。すると、貴賓室の控室から使用人たちが現れ、新たな椅子とテーブルを運び込み、配置を変える。
テーブルの上に置かれる湯気の立つ紅茶のカップ。ものの数十秒で会談ができる準備が整った。
「さぁ、お掛けになって。まずはウチの領地で育てた茶葉を味わってもらいましょう」
リドリーの合図と共に、使用人たちは部屋から出ていくと、部屋の空気がガラリと変わる。
「最初に言っておくけど、あなた達と話す機会を設けたのは、敬愛する皇女殿下様からの依頼あってのこと。本来であれば、ギャング如きにこの様な場を設けないことは、理解してもらえる?」
「承知しておりますミスライドリヒ。この度は、お招きいただきありがとうございます」
「礼儀正しいのは合格としましょう。流石は皇女殿下が遣わしただけあるわね」
マッドと御子を見るリドリーの瞳には、確かな侮蔑の色が見て取れた。だが、2人とも気にする様子もなく平然としている。
「して、ミスターマッド。雑談だけど今回の第1レース、あなたはどの馬に掛けたのかしら?」
「僭越ながら、2番のマーシャルクロー、こちらに金貨500枚を」
「へぇ、これはまた大金ね。なぜ、マーシャルクローに?良かったら理由を聞かせてもらえるかしら?」
「構いません」
マッドは、リドリーにマーシャルクローの長所と短所について説明を始めた。
「確かに、あなたの判断は堅い。今日のコースは芝の1,200ケートル、直線は短距離、曲がり始めが早い。今日の芝の状態は良好、1レース目。これなら、内枠が断然有利。さらに、2番のマーシャルクローはスタミナが豊富な上にパワーもある」
「その通りですミスライドリヒ。素晴らしい分析です」
「でも、肝心なことを捉えられていない。馬自身もそうだが、大切なのはそれを扱う騎手。私の息が掛かった騎手が、1番のバートレットを扱う。前三戦はどれも一着、芝、距離とも同じだ」
「ですが、今回勝つのは2番です」
一つもブレないマッドに、リドリーは興味を持つ。
「ほぅ、よほど自信があると見る。しかし、マーシャルクローを担当した騎手はここぞと言う時の決め手に弱い。まだ同じ条件のレースで勝てたことがないが」
「それでも、今日は2番です」
「なら、とくと拝見させてもらいましょう」
リドリーはそう言うと、煙草を口に咥えたまま立ち上がり、ガラス張りの窓へと歩み寄る。
「さぁ、レースが始まる」
リドリーが煙草の煙を吐き出すと、コース上には騎手たちが姿を見せた。全騎手がスタートゲートに入った瞬間、ゲートが開き馬達が一気に駆け出す。
「さぁ、勝負が始まった。あなたの予想が勝つか、私の読みが勝つか」
彼女はマッドに向き直り、不敵に微笑むのだった。レースは序盤、1番のバートレット、2番のマーシャルクローともに、他馬の後方につく。
「勝負は中盤、左カーブからの直線ね」
リドリーが呟いた瞬間、1番のバートレットが加速し始める。その勢いは徐々に増していき、後続を突き放す。だがその時、マーシャルクローも負けじと速度を上げ始める。
「そういえば、ミスライドリヒ。一つお伝えし忘れていたことが」
2人の騎手たちはさらに馬を追い込むため、鞭を振るい続ける。そしてついにゴール前の直線へと差し掛かった時、2番のマーシャルクローが大きく伸び始める。
「2番の騎手は、ウチのエースでして」
「ほぅ…」
リドリーの視線が2番のマーシャルクローに跨る男に視線を移す。確かに、競馬好きな彼女がほぼ毎日レースを見ているが、2番の騎手を見るのは初めてだった。
マッドの宣言通り、第1レースの一等は、2番のマーシャルクローだった。その瞬間、これまで侮蔑の表情だったリドリーが心から笑う。
「はっはっは、まさか自分たちの力で2番を勝たせるとは!これはまた、面白いものを見せてもらった」
「ミスライドリヒ、お楽しみいただけたようで良かったです」
「えぇ、こういう余興もたまには良いわね。さて、本題に移ろうかしら。ホワイトベルンの次はベルランド、私の影響力があるのを知った上で来たのなら、目的は宣戦布告かしら?」
「いえ、違います。我々にはそもそもあなたと戦う意思はありません」
「……へぇ」
マッドの言葉にリドリーが目を細める。その目は獲物を捉えた蛇のように鋭いものだった。だが、彼は一切怯む事なく話を続ける。
「ミスライドリヒ、我々はあなたがベルランドを纏めているヴァリナ=ファイゼンと騎士団時代に上司部下の関係であり、現在もその繋がりが潰えていないことを知っています」
「えぇ、そうよ。だから、ベルランドに手を出そうとするなら、私の持てる力全てであなた達を殲滅するつもりよ」
「殲滅と来ましたか……そこで、一つこちらからご提案があります。あなたが権威を持つこのウェンザー競馬場で、ランドルフ家の下っ端が客から金を巻き上げているみたいですね。我々に競馬場の警備、及び投票所の運営を任せていただけたなら。あがりとして現在の6割を7割に引き上げましょう」
「7割ねぇ、確かに魅力的な話だけど、警備と運営は黒布に任せているのよ」
「黒布の働き以上の成果を出す。それがこちらの出す提案です」
すると、貴賓室の扉がノックされる。リドリーが入室を許可すると、先ほど扉の前にいた男と女の後ろに、ロカティと慈愛のメンバーたちが立っていた。
「ミスライドリヒ、ランドルフ家が巻き上げていた金、全て回収致しました」
テーブルの上に置かれたずた袋は計三つ。マッドと御子がリドリーに相対している間に、ロカティ率いる面々が競馬場内での馬券押し売りをしていたランドルフ家のメンバーから、徴収した客の金を回収して回っていたのだ。
「この金は、あなたにお渡しします。その代わり、我々に競馬場の警備と投票所の運営を任せてください」
「……なるほどねぇ。つまりはこういうことかしら?ランドルフ家が行っていた馬券押し売りを摘発して金を回収する代わりに、公営ギャンブルに一枚噛ませろと?」
「その通りです」
「ふっ、ちょうどあいつらには頭を悩まされていたところだったのよ」
リドリーの口元が緩む。マッドは、この交渉で彼女が断ることは絶対にないと確信していた。だが同時に、彼女の性格上必ず何か仕掛けてくると踏んでいた。そして案の定、彼女は口を開く。
「ならこちらも、条件を出そう。王都郊外には併せて十の競馬場がある。全ての競馬場で金の徴収を行いなさい」
「十全てでですか?」
「えぇ、あなた達が順当にあがりを納めるなら、あなた達が狙っているベルランドの件について、手出ししないつもり。でも、私が望む結果じゃなければ…説明しなくても分かるわね?」
「えぇ、もちろんです。それでは、こちらの誓約書にサインを」
マッドはリドリーに三枚の紙を差し出す。そこには、ランドルフ家の取り分を7割にする代わりに、競馬場の警備と投票所の運営を全て任せる旨が記されていた。
リドリーは紙の内容を確認すると、流れるように同じ内容が書かれた三枚の紙にサインする。そして、三枚の紙に等しく割印を押すと、一枚は自らの手持ち、もう一枚はマッド、そしてもう一枚を呼び出した弁護士に手渡す。
「それでは、これで契約成立です。今後とも良い取引を、ミスライドリヒ」
「……えぇ。あなたのボスにもよろしく言っておいてちょうだい」
「えぇ、それでは失礼します。シーナ、行こう」
マッドと御子は一礼すると、貴賓室を後にする。2人は元来た道を通り、再びウェンザー競馬場の関係者専用通路を通っていく。しばらくして広いフロアに出たマッドは、ポケットから煙草を取り出して一服する。
「さて、第一段階はクリアってところか。しかし、あの女。油断ならんな」
「あぁ、しかもかなり頭がキレる」
御子がそう呟くと、マッドは苦笑いしながら煙草の火を揉み消す。すると、関係者専用通路から騎手の一人が歩み寄ってくる。
「マッド、結果はどうだった?」
「ちゃんと7割で手打ちにしてきた」
「良い出来ね。ミコちゃんも護衛ご苦労様」
「お安い御用」
マッドと御子の前に現れた騎手はヘルメットを脱ぐ。纏めていた長い桃髪がたなびき、その正体を露わにする。そう、2番のマーシャルクローを操っていた騎手は、レイ本人であった。レイは騎手の乗馬服とヘルメットを脱ぐと、2人を労う。
「しかし、ボスも大したもんだ。どこで乗馬を学んだんだ?」
「昔、ちょっとね」
「お待たせしました」
「ご苦労さま」
回収任務にあたっていたロカティたちも集結する。マッドから手渡された契約書を受け取ったレイは、その内容をよく確認する。
「上出来よ。これであがりをあげている間は奴らに手出しされることはない」
「だが、油断は禁物だボス。奴は、これは俺の勝手な想像だがかなりの曲者だ。契約書は取ってきたが、素直に応じるとは思えない」
「えぇ、それも十分に分かっているわ。じゃあ、みんな。早速だけどもうひと仕事付き合ってもらうわ。他のみんなを呼んで、ベルランドに集合よ」
◇
〈ベルランド 商店街〉
「ぐぁはっ⁉︎」
「何だ⁉︎」
ベルランドの商店街に店を構えるランドルフ家のバーでは、ランドルフ家の護衛が店内に向けて吹き飛ばされる。ヴァイオリンの音色の元、酒を酌み交わしていた一家の面々は、突然の出来事に動揺する。
「これはこれはランドルフ家の皆様方。良いお酒をしっかりと味わってくださいな」
「何者だ!?」
護衛を拳で吹き飛ばしたレイは、倒れていたバーの椅子を立てて悠々と座ると、ランドルフのメンバー達を見渡す。バーテンはカウンターの後ろに隠れ、客達はそそくさと店を離れる。
「てめぇか桃髪、ウチのシノギを邪魔したってぇ奴は」
「えぇ、その通り」
それを聞いた幹部らしき男は、アイコンタクトで"殺れ"と部下に命令する。部下は腰に下げたサーベルを引き抜くと、レイに襲いかかる。
「ミコ」
「承知」
御子は腰に携えていた皇国刀を引き抜くと、サーベルを振り下ろそうとした男の腕を斬り上げる。
「「「⁉︎」」」
「ぐぁぁぁぁっ⁉︎」
腕を失った男は、床にのたうち回る。御子は男の心臓に刀を突き立て止を刺す。御子の剣術から創り出された空気が、一気に酒場全体へと広がる。それを皮切りにランドルフ家のメンバーが拳銃を構えた。
「てめぇ!」
「拳銃、抜いたな?」
対するリベル・ファミリアのメンバー達たち全員が拳銃や小銃、機関銃を構え、精々拳銃が主力のランドルフに圧倒的な武力を見せつける。
「一人は残して、後は全員始末して構わない」
ファミリー達はレイの命令を聞くと、銃を構えて一家のメンバー達に向けて銃撃を始める。椅子に座ったレイが立つまでもなく、ランドルフ一家は一瞬でバーの床に伏せることになる。
「ひっ、ひぃっ」
最後に残されたのは、丸メガネをかけた如何にも小心者そうな男。彼は腰を抜かして、床に尻餅をついている。
「さて、と」
レイは椅子から立ち上がると、丸メガネの男の前に立つ。そして、男の胸ぐらを掴むと無理やり立ち上がらせて椅子に座らせる。男はガタガタと震え、今にも泡を吹いて倒れそうになっていた。
「ひっ、た、た、助けてください‼︎僕は何もしてないですし、何も知らないんです‼︎」
「どうどう、落ち着いて。ほら、深呼吸しなさい、ふぅふぅ」
「ふぅ…ふぅ」
「そうよ。いい子いい子」
レイは丸メガネの男の顔を撫で、頭を撫でる。ようやく落ち着きを取り戻した男は、怯えながらもレイを見る。
レイはバーの片付けをファミリーに命令している間、怯えた男にウイスキーを注ぐ。
「さて、ミスター。名前を聞こうじゃない?」
「と、トレバーです。み、ミス」
「レイ=フライアよ、トレバー。まぁ、とりあえず一杯飲んで落ち着きなさい」
トレバーはレイからウイスキーの入ったグラスを受け取ると、恐る恐る口に運ぶ。レイもグラスに注ぐと、それを口にする。
「トレバー、一家でのあなたの役割は?」
「か、会計士です。雇われていまして、組織の予算を、帳簿にまとめていました…」
「そう。ジェラード、ウチも会計士を募ってたのよね。トレバー、あなたウチの会計士にならない?」
「えっ!?」
トレバーは驚きのあまり目を丸くする。レイがファミリーのボスであることは知っていたが、まさか勧誘されるとは思ってもいなかったからだ。だが、その提案を断ったらどうなるかわからないと悟った彼は、頷く他なかった。
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