この令嬢、凶暴につき

AQUA☆STAR

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第一章

第二話 行儀をつけてやる

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 酒場は一瞬にして大乱闘となった。酒場の中に置かれたレコードが奏でる音楽は、映画のワンシーンのような演出を施す。

 ウェイターやマスターに暴行を働いたブラックマターズに対して、レイが拳で渾身の一撃を喰らわしたことで、戦いの火蓋が切って落とされた。

「ぼふぁっ⁉︎」

 最初に飛びついてきたブラックマターズに対して、レイは半身になって横に避けると同時に、振り下ろされた剣を握る拳をさらに上から踵で蹴り落とす。ブラックマターズはレイの踵落としを受けて、剣の柄から手を離してしまう。

「ぶっ飛べ」

 レイは側に置かれていた椅子を手にして、それを相手の顔面に横から叩きつける。椅子が砕け散るほどの威力で叩きつけられた男は、横に吹っ飛び大の字になって気を失ってしまう。

「お嬢様、頭をお下げください」

 ジェラードに言われた通り頭を下げると、彼の放った皿が円盤のように飛来してブラックマターズたちに命中する。頭を下げていたレイは、皿が命中して怯んだ隙を狙って顎にアッパーを食らわせる。

「流石です。お嬢様」
「あなたもね」

 合図をしているわけでもなく、この激しい乱闘の中でレイとジェラードは自然と連携を取っていた。

「がっ⁉︎」
「この野郎!調子に乗ってんじゃねぇぞ‼︎」
「あわ、あわあわ…ひっ!」

 カウンター越しに様子を見守っていたセラは、飛んでくるグラスやら椅子やらを躱すためにカウンターに身を隠す。

「ジェラード、間違ってもこいつらを殺すな」
「はい、お嬢様」

 レイは技術と単純なパワーで、ジェラードは技術とこれまでに培ってきた戦闘経験で相手を翻弄する。みるみるうちに酒場の床に気を失ったブラックマターズたちが積み重なっていく。

「ッ⁉︎」

 レイは突然、背後から殺気を感じ前方に回転して避ける。鈍い音が響くと、先程まで自分の立っていた場所に身の丈はある戦斧が振り下ろされていた。その勢いは凄まじく、刃が酒場の床を突き破って破辺を撒き散らした。

「ぐるぉぉお‼︎」

 戦斧を振り下ろしたのは最初にレイが殴り飛ばした体格のいい男。その顔は青筋が浮き上がり、明らかに常軌を逸した力で戦斧を振り回していた。

「うがぁぁあ‼︎」

 レイは何故、この男がこれほどまでの力を出せたのか、その理由を男の口元を見て理解していた。男の口元からは夥しい量の涎が流れ落ちている。そして、その目は充血し、焦点が合わずにいた。

 それらの症状をもたらす原因があった。

麻薬クスリか…"

 王都の貧困層を中心に浸透しつつある新生麻薬、通称ウィート。小麦を挽いた際に出る高純度の小麦粉に含まれる成分が、人を一時的な興奮状態にさせる。

 現在、王都では王国法としてウィートの精製、所持、使用を禁止しているが、あくまでも主成分が小麦粉であることから、規制が隅々まで行き届いていないのが現状であった。

 特に、貧民街においては純度の悪い小麦で精製したウィートが高値で取引され、質の悪いウィートの過剰摂取による薬物中毒が蔓延していた。

 効能はあくまで一時的、薬が切れればそれ以上の快楽を求めるために多量を摂取する。必然的に摂取量が増えて依存し、量に比例して中毒症状が悪化する。最悪の悪循環、まさしく悪魔の粉と異名がつくほどの代物だ。

 レイに戦斧を振るった男も、実際のところかなりのウィート中毒者であった。筋肉が内側から悲鳴を上げようが、お構いなしにレイを仕留めるべく剛力を発揮して戦斧を振るう。このまま放っておけば、体の筋肉が物理的にちぎれるまで止まることはない。

「レイ様!」

 避けた場所に、男が戦斧を振り下ろす。セラが声を上げた瞬間、レイは足元に転がっていた片手剣を足で手元に蹴り上げると、素早く柄を握って眼前に構えた。

 戦斧の刀身と片手剣の刀身が交わる瞬間、火花が散る。その瞬間、レイは意図的に刀身を斜めに傾け、戦斧の刀身が真下ではなく斜め横に滑るように差し向ける。
 すると、狙い通り真下に振り下ろされた戦斧の刀身は斜めに滑り、レイの体に命中することなく床を捉える。

「つるァッ‼︎」

 そして、男の顔面に渾身の力で放った拳を命中させる。あくまで、レイからすればこれは喧嘩なのだ。相手を殺すことなく、無力化するために確実に打撃を与える。それは、自分が最も信頼する己の拳を使うことが手っ取り早いのだった。

「ぐぼぁっ!?」

 男は鼻血を噴き出しながら、椅子やテーブルを巻き込んで後方に吹っ飛ぶ。そして、そのまま気を失ってしまった。

「ふぅ……ジェラード、セラ、2人とも無事?」
「は、はい!」
「私も無事にございます」

 レイが周囲を見渡すと、既にブラックマターズは全員床に伏しており、立っているのはレイ達だけだった。特にジェラードは息一つ乱しておらず、平然とした表情で立っている。

「お嬢様のお手を煩わせるほどの相手ではありませんでしたね」
「流石は、アイガイオンズ元隊長。実力は衰えていないね」
「お褒めに預かり光栄です」
「て、てめぇら、こんなことをしてタダで済むと思うなよ…」

 ジェラードは一礼すると、レイの足元に転がる片手剣を拾い上げる。そして、仰向けに倒れて捨て台詞を吐く男の首元に片手剣を添えた。冷や汗をかく男の顔を、眉間に皺を寄せたレイが覗き込む。

「おい、ガキども。お前らのボスに伝言だ。"これ以上、王都で好き勝手できると思うなよ。このレイ=フライアが黒布ブラックマターズを血で赤く染めてやる"って伝えとけ」
「ひ、ひぃ!?」

 血や赤は抗争を意味する。堂々と宣戦布告したレイ、彼女の鬼の形相を間近で見た男は恐怖に慄き、慌てて酒場から飛び出していくのだった。

 レイはジェラードが倒したブラックマターズたちを見下ろす。全員白目を剥いており、意識を失っているようだった。しかし、その口元からはウィート特有の甘い香りが漂ってくることから、まだ薬が切れていないことが分かる。

「ったく、どいつもこいつも、すぐにヤク中になりやがって」
「お嬢様、いかがいたしますか?」
「さっさとズラかりたいところだけど、そうは問屋が卸さないってか」
「え?」 

 セラが何のことか疑問に思っていると、外から酒場の中に鎧を着た騎士たちが続々と雪崩れ込んでくる。レイは慌てることなく、近くに置かれていた椅子に腰掛けた。

「全員動くな!」
「騎士団様御一行の登場ってか」
「酒場で乱闘騒ぎが発生したと通報があった。どういう状況か説明してもらおうか」
「ジェラード、煙草はある?」
「はい、こちらに」

 そう言って、隊長格と思われる騎士の一人が、レイの元へと歩み寄る。レイはジェラードから煙草を受け取ると、目の前の騎士を気にすることなく火をつける。



「聞こえているのか、貴様!」
「聞こえてる。喧しいから静かにしてくれ」
「なッ!?貴様、騎士に向かってその口の聞き方はなんだ!私は王都防衛騎士団の副団長ペイル=セバスチャンだぞ!」
「だから?」

 レイは煙草を吸いながら副団長を名乗る男を睨むと、男はたじろぐ。

「いくら騎士であろうと、口の聞き方には気をつけな。あんたが普通に接してれば、アタシは何でも話すつもりだったが、今のあんたはこの状況を見て、先入観でアタシをただのチンピラと勘違いしている。そんな奴に口を利くほど、アタシはお人好しじゃない」
「な……!?」

 ジェラードの言葉に反論しようと口を開く副団長だったが、レイの鋭い眼光に怯んでしまう。そして、酒場の惨状を見て状況を理解したのか、剣を鞘に収めると部下にブラックマターズの捕縛を命じる。

「そこでのびている奴らを拘束しろ」

 すると、外で事情聴取を受けていたマスターが恐る恐るレイに近づく。

「あ……あの……」
「ん?あぁ、マスターか」

 レイは砕けたビンの底を灰皿代わりにしながら、煙を吐く。

「ありがとうございます。奴らを懲らしめていただいて…」
「いや、アタシらの喧嘩にあんたを巻き込んじまった。壊したところは必ず弁償する。すまない」
「そんな!私どもを救っていただいた上、店の弁償まで…」
「セラ」
「は、はいっ!」

 レイはセラにあるものを渡すように指示する。そして、セラが持ってきたものをマスターに見せた。

「こ、これは……?」
「迷惑料さ、取っといてくれ」

 レイが渡したのは金貨がたっぷり入った銭袋だった。それも一枚や二枚どころの話ではなく、数十枚に及ぶ数の金貨をマスターに手渡したのだ。

 十枚あれば店を建て直すことができるので、明らかにマスターにとってお釣りがくる枚数だった。

「こ、こんなに!?」
「迷惑料って言ったろ。気にするな、受け取ってくれ」
「で、ですが……」
「これで彼女さんに良い思いさせてやんな」

 マスターが渋っていると、レイはマスターの耳元で囁く。それを聞いたマスターは顔を真っ赤にすると、何度も感謝して金貨の入った袋を大事に抱えたのだった。

 そんなやり取りをしていると、騎士団の一人が慌てた様子で酒場に入ってくる。そして、店内にいる騎士たちに向かって叫ぶように報告する。

「副団長!大変です!」
「どうした?」
「メンバーを尋問したところ……ウィートの精製工場の場所が判明しました!」

 それは、騎士団にとってはこの上ない情報であった。本来であれば取り締まる側として興奮を隠し切れないほどの事実であるが、それを聞いた当の副団長は。

「分かった」

 と一言だけ呟く。レイはその様子を見て内心で感じていたある事に確信が持てた。

 そう、このウィートの蔓延、裏で騎士団が一枚噛んでいるという予想だった。副団長の会話を考察すれば、ウィートの製造工場が分かったのは喜ばしいことである。しかし、その反応はあまりにも淡白すぎるのだ。

 まるで、ブラックマターズが捕まり、ウィートの製造場所が判明することなど最初から分かっていたかのような態度だった。

「こほん、では最後にあなた方の処遇について……」

 副団長は咳払いすると、レイたちの処遇について話し始める。

「あなた方には酒場での騒動に加え、酒場の物を壊した器物損壊、複数人に対する暴行と殺人未遂の疑いがかかっています。騎士団本部までご同行を」
「店をぶっ壊した方は、店側と示談が済んでいるが、後者はあんたらの勘違いだ。元はといえば、そいつらが酒場の店主とウェイターに暴行を加えたから助けた。アタシは焼きを入れただけだ」
「そんな言い訳が通ると思っているのか!?」
「…いつから王都の騎士団は人の話を聞かない連中ばかりになったんだ?」
「何……?」

 レイの一言で、酒場の空気は一気に重くなる。騎士団たちは剣の柄に手を添えるが、レイは構わず話を続ける。

「あんたらが今ここで私を捕らえたとしても、それは王国法に則った正当な行為か?」
「な……何が言いたい」
「アタシは王国の法律を詳しく知らないから分からないんだが、アタシがした行為は犯罪なのか?それとも正当行為、どっちなんだい?」
「……ッ!」

 副団長は言葉に詰まる。確かに、レイの言う通りだ。彼女が行ったことは明らかな暴行であるが、その目的は暴行を受けていた酒場のマスターとウェイターを助けるためであり、こうした場合では王国法で違法性が阻却されることが正当に認められている。

「それは……貴様らを捕らえてから判断を……」
「なら、あんたらが今ここでアタシを捕えるといい。法廷での証人はこの酒場にいる客全員だ」
「……っ」

 レイの言葉に反論できないでいる副団長は、歯を食いしばって悔しさを滲ませる。

「副団長、ここは一度引き下がるべきです」
「……分かった。今回は見逃す、証拠不十分なのでな。だが、貴様らが次に問題を起こせば容赦はしないからな!」
「そいつは良かった。アタシもあんたらに構ってる暇はないんでね」

 騎士団はレイの態度に怒りを露わにしながら酒場から出ていくのだった。


 ◇


〈アーニスト王国王都 中央 セントラルスクエア 王宮〉


「はぁ……」

 王宮の廊下を歩く一人の少女、彼女の名はテレジア=アーニスト。アーニスト王国王位継承権第二位の皇女である彼女は、執務室で書類整理をしていたが、途中で集中が切れてしまい窓の外を眺めていた。

「兄様、無事にレイちゃんを口説くことはできたかな…」

 テレジアが思うは、幼馴染を結婚相手として迎えに行った兄のこと。

「レイちゃんは兄様のこと、どう思ってるんだろう……」

 テレジアの脳裏に浮かぶのは、兄の表情。いつも無表情で感情表現が乏しい兄が幼馴染の事を語る時に見せた笑顔に、彼女は驚きを隠せなかった。
 
 テレジアが兄と幼馴染の関係に思いを巡らせていると、執務室の扉がノックされる。彼女は慌てて返事をすると、扉を開けて入ってきたのは王宮付き武官の一人、ジーク=ギャレーだった。

「失礼いたします」
「ジーク、どうかしましたか?」
「実は、ルシウス様からテレジア様宛にこれをお預かりしておりまして」
「兄様から?」

 テレジアはジークから手紙を受け取ると、彼を下げてから封を開けて中身を確認する。

「レイ=ティアニスト、失踪…」

 そこには、ルシウスが結婚相手として迎えに行くはずだった幼馴染、レイ=ティアニストが行方不明になったとの報せであった。 

 さらに、王都の地下に広がる迷宮で、魔界族との戦闘が激化し、急遽、出先のティアニスト家屋敷から地下迷宮入りしたことが記されている。

 テレジアは手紙を読み終えると、力なく椅子に腰をかける。そして、彼女の脳裏に浮かぶのは行方不明になった幼馴染のレイの顔。

 ふと、机の上に置かれていた魔法鈴を鳴らす。すると、何処からともなく現れたメイドが、テレジアの目の前にティーカップを置く。

「お呼びでしょうか」
「ミザリー、お願いがあります」
「何なりと……」
「レイ=ティアニストの行方を捜して。何か分かれば私のところに報告を」
「……かしこまりました」

 メイドは深々と頭を下げると、一瞬でその場から姿を消した。
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