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忘却編
第5話 斎ノ巫女
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葦原村の東、山道を上った先にあるのが明風神社だ。ここには葦原村で祀られる大御神のお社があり、斎ノ巫女である私が仕える場所でもある。
境内を竹箒で掃き、綺麗に整える。
「ふぅ、だいぶ綺麗になったかな…」
前任の巫女さんが几帳面だったおかげで、神社は私が斎ノ巫女としてここに来る前から美しく保たれていた。斎ノ巫女とはいえ、やることは普通の巫女の仕事と大きくは変わらない。
しっかり掃除をして神社を清め、参拝者を気持ちよく迎える。それが、今の私にできることだった。
不思議と、この仕事を苦には感じなかった。むしろ、妙にしっくりきている。
「よぅ、舞花ちゃん!」
威勢のいい声が響き、男の人が神社へとやってきた。
「おはようございます、六太さん!」
六太さんは、ついこの前の蟲との戦いで傷を負った人であり、私が癒符を用いて助けた人でもある。彼の手には、溢れんばかりの野菜が入った布袋が下げられていた。
「これ、ウチで採れた野菜だ。よかったら食ってくれ。甘くて美味いぞ」
「いつもありがとうございます。本当に助かります」
六太さんは、こうして度々神社を訪ねては、家で採れた野菜を届けてくれる。
「良いって良いって。舞花ちゃんに助けられなかったら、俺は今頃常世で爺ちゃんたちと盆踊りしてたんだ。何より、あんな気持ち悪ぃ蟲に腹を刺されて死ぬなんざ、まっぴら御免だ」
「あはは…」
「感謝のつもりなんだ。快く受け取ってくれ」
私に野菜を手渡すと、六太さんは拝殿へ向かい、静かに手を合わせる。その音を聞きつけたのか、拝殿の奥からクロとシロが駆けてきた。
「あっ、六太兄ちゃんだ!」
「お野菜持ってきてくれたの?」
「おうよっ!」
六太さんは飛びついてきた二人を軽々と抱き上げる。クロとシロは誰にでも懐くので、村人たちにもよく可愛がられていた。
「クロもシロも、しっかり食ってでっかくなるんだぞ。っと、そうそう忘れるところだった。剣史郎から舞花ちゃんに言伝を頼まれてたんだ」
「剣史郎さんからですか?」
「おうよ。何でも話したいことがあるとかで、道中に頼まれたんだ。すまねぇが、ちょっくら行ってやってくんねぇか?」
「分かりました!」
私がそう返すと、六太さんは大きな手で優しく頭を撫でてくれた。
「それじゃあ、俺はこれくらいでお暇するぜ。またな、舞花ちゃん、クロ、シロ」
そう言って、六太さんは境内を後にした。
「クロ、シロ。ちょっと剣史郎さんの屋敷に行ってくるから、お留守番お願いね」
「「はーい!」」
私はクロとシロに留守を頼み、剣史郎さんの屋敷へ向かうことにした。
◇
剣史郎さんの屋敷へ向かう途中、ふと背後に気配を感じた。
立ち止まり、振り返る。
「あれ?」
しかし、そこには誰の姿もない。
確かに、呪力のようなものをうっすらと感じたのだが――気のせいだろうか。
「うーん…」
周囲を見渡すが、隠れる場所などない田んぼの畦道だ。誰かがついてきているなら、見えているはず。
「気のせいか…」
そう思い、再び歩き出す。すると、やはり背後に何かがついてくるような気がする。
気配を感じては立ち止まり、振り返っても何もない。そしてまた歩き出す。
そんなことを繰り返しているうちに、目的地である剣史郎さんの屋敷へとたどり着いてしまった。
屋敷に着く頃には、さっきの気配は感じなくなっていた。しかし、代わりに屋敷の中から、覚えのある二つの呪力が漂っていた。
「この大きいのがカミコさ…カミコ様で、もう一つは剣史郎さんか…」
扉を叩き、中へ入る。
「失礼します」
「舞花、すまなかった。突然呼び出してしまって」
扉を開けると、剣史郎さんが出迎えてくれた。
「本来であれば、俺が直接神社へ行くべきだったんだが、生憎先客がいてな」
屋敷の奥座敷には、カミコ様が座り、お茶を飲んでいた。
「いらっしゃい、舞花」
「お、おはようございます」
「さてと、舞花も来てくれたことだし、早速本題に入ろうか。正式な斎ノ巫女就任、おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
先日、村の人たちが就任祝いを開いてくれた。剣史郎さんもそこにいたが、こうして直接祝福の言葉をかけられるのは初めてだった。
「舞花が斎ノ巫女になった以上、俺のことも話しておこうと思ってな。まぁ、座って聞いてくれ」
カミコ様の隣に座り、剣史郎さんが淹れてくれたお茶を一口飲む。
「さて、どこから話そうか…」
「まず、そこに座っている人物が大御神だってことは知っているな?」
「まぁ…そうですね。まだ信じられませんが…」
「心配するな。俺も信じていない」
「おいっ」
カミコ様が肘で剣史郎さんを小突くが、剣史郎さんは気にせず話を続ける。
「大御神のことについて、先に話しておこうか」
「大御神…カミコ様のことですか?」
「あぁ、そうなるな。この世には、八百万といわれるほど多くの大神がいる。大御神は、そのすべての祖とされている」
「全ての祖…?」
剣史郎さんは、続けて神々の世界について語ってくれた。
大御神は太陽の大神とも呼ばれる。太陽は万物を生み出したものとされるため、大御神は大神たちを生み出したと考えられているのだという。
「しかし、大神たちが人の姿で現世に降りるためには、信仰が必要だ。つまり、人々に崇められなければならない」
「なるほど…。信仰は大神様と深く関係しているんですね」
「そういうことだ」
そして、剣史郎さんは驚くべき事実を告げた。
「俺はカミコが現世に降りるときに創り出された三つの神器の一つ――刀、すなわち『御剣』だ」
「えっ?」
その言葉に、私は呆然としてしまった。
(剣史郎さんが…人ではない?)
衝撃的な事実に、私はただただ、目の前の二人を見つめることしかできなかった。
◇
「じゃあ、剣史郎さんは人ではないのですか?」
「あぁ、そうだ」
私は言葉を失った。
カミコ様が大御神だったことも驚きだったのに、剣史郎さんが人ではなかったなんて。
「はうぅ…、カミコ様が大御神様だったり、剣史郎さんが人じゃなかったり…。何か考えるのが面倒になってきました…」
「ふふ、受け入れるのが早いのね、舞花」
「は、はぁ…」
カミコ様が微笑みながら、お茶を口に運ぶ。
「私と剣史郎は、主と従者の関係って思ってくれたらいいわ」
「まぁ、とりあえずそういうことだ」
剣史郎さんが少し気まずそうに頷く。
「割と簡単に説明したつもりだが、分かったか?」
「はいっ、なんとなく!」
「な、なんとなく、か…」
剣史郎さんが頭を掻いていると、カミコ様が私のことをしばらく見つめたあと、ふと問いかけてきた。
「舞花、ここに来るまで誰かと一緒じゃなかった?」
「え?」
一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。
確かに、道中で何かの気配を感じていた。でも、それは私の思い違いかもしれないと思っていたし、結局、姿を見たわけでもなかった。
「いえ、私一人ですが…?」
「あら、そうなの。二人分の呪力を感じたから、てっきり誰かと一緒なのかと思っていたわ」
「二人分の呪力…?」
私は考え込みながら、道中の出来事を思い出す。
確かに、剣史郎さんの屋敷へ向かう途中、背後に何者かの気配を感じていた。しかし、振り返っても誰もいなかったし、田んぼの畦道に隠れる場所もなかった。
「うーん…。誰かの気配を感じたのは事実です。でも、姿は見えませんでしたし、結局気のせいだと思っていたんです」
「そう…。妙ね…」
カミコ様は小さく唇を噛みしめるようにして、思案する。
「剣史郎、神社まで舞花を送ってあげなさい」
「そうだな。分かった」
剣史郎さんはすぐに了承し、私と共に屋敷を出ることになった。
「えっ、そんな大げさなことでは…」
「何かあってからでは遅いのよ」
カミコ様の表情は、先ほどまでとは違い、どこか険しげだった。
「…分かりました」
私は少し戸惑いながらも、素直に頷いた。
剣史郎さんと並び、明風神社へ向かう道を歩き始める。
◇
畦道を歩きながら、私は剣史郎さんに話しかける。
「あの、剣史郎さん」
「ん?」
「私が記憶を失っていること、ご存知ですか?」
「あぁ、カミコから全部聞いたよ。初めて会ったとき、何も知らないのに気の利かないことを言って悪かった。すまない」
「い、いえっ、仕方ありませんよ。気にしていませんし…」
私は笑って誤魔化すが、剣史郎さんは真剣な目をしていた。
「記憶がないってのは、どんな感じなんだ?」
「どんな感じ…ですか…?」
私は少し考え込んだ。
自分が記憶を失っていることは理解している。でも、それがどういうことなのか、正直、自分でもよく分かっていなかった。
「案外、そこまで辛いものじゃないですよ?」
剣史郎さんの問いに、私はそう答えた。
「ここに来てから、カミコ様や剣史郎さん、クロやシロ、そして村の人たちと出会えました。記憶のない私を快く受け入れてくれて、とても嬉しかったです」
それが私の本心だった。
記憶を失ったことが辛いと思ったことはなかった。むしろ、今の生活が心地よく、満たされていた。
「そうか」
剣史郎さんは短く頷き、少しだけ安堵したような表情を見せる。
「だから、記憶を失っていても、今はとても楽しいです」
そんな話をしているうちに、私たちは目的地である明風神社の石段前までたどり着いた。
「それじゃあ、剣史郎さん。ここまでご一緒していただき、ありがとうございました」
「あぁ。舞花、斎ノ巫女は大変だろうが、頑張ってくれ」
「はいっ!」
私は明るく返事をし、軽やかな足取りで石段を駆け上がる。
剣史郎さんは、それをしばらく見送っていた。
◇
しかし、舞花の姿が鳥居の奥へ消えた後、剣史郎は静かに振り返る。
「……やはり、お前か…」
そこには、いつの間にか立っていた一人の女。
艶やかな着物をまとい、妖美な笑みを浮かべるその女は、どこか懐かしさを感じさせる気配を纏っていた。
「あら、バレてた?」
「姿は隠していても、小さな呪力までは消し切れていない」
剣史郎に指摘されると、女はくすくすと笑う。
「んん、私もまだまだねぇ」
「ここになに用だ。理由なくこの地を騒がすというのなら、俺も大御神も黙っていないぞ」
剣史郎の瞳が鋭く光る。その視線は、紛れもなく敵を見据えるものだった。
「もう、そんな怖い顔しないでちょうだい。私はただ、斎ノ巫女を見に来ただけよ?」
「なら、用は済んだはずだ。生憎ここは強力な結界に覆われている。お前が立ち入ることなどできない」
剣史郎は腰の刀に手を添える。
「すぐに去れ。もし去らぬというのなら、大御神の名の下、お前をここで斬る」
その言葉に、女はふっと口元を歪める。
「あらあら、そんな物騒なこと言わないで。見ただけで満足したし、大人しく帰るわ」
そう言い残し、女は霧のように姿を消した。
剣史郎は刀を抜くことなく、しばらくその場に立ち尽くす。
「……去ったか」
しかし、彼の表情は険しいままだった。
なぜ、彼女がここに現れたのか。
剣史郎は、再び明風神社の方へ目を向ける。
「やはり、何か良からぬことが起こる気がするな…」
そう呟くと、剣史郎は早足でその場を立ち去った。
境内を竹箒で掃き、綺麗に整える。
「ふぅ、だいぶ綺麗になったかな…」
前任の巫女さんが几帳面だったおかげで、神社は私が斎ノ巫女としてここに来る前から美しく保たれていた。斎ノ巫女とはいえ、やることは普通の巫女の仕事と大きくは変わらない。
しっかり掃除をして神社を清め、参拝者を気持ちよく迎える。それが、今の私にできることだった。
不思議と、この仕事を苦には感じなかった。むしろ、妙にしっくりきている。
「よぅ、舞花ちゃん!」
威勢のいい声が響き、男の人が神社へとやってきた。
「おはようございます、六太さん!」
六太さんは、ついこの前の蟲との戦いで傷を負った人であり、私が癒符を用いて助けた人でもある。彼の手には、溢れんばかりの野菜が入った布袋が下げられていた。
「これ、ウチで採れた野菜だ。よかったら食ってくれ。甘くて美味いぞ」
「いつもありがとうございます。本当に助かります」
六太さんは、こうして度々神社を訪ねては、家で採れた野菜を届けてくれる。
「良いって良いって。舞花ちゃんに助けられなかったら、俺は今頃常世で爺ちゃんたちと盆踊りしてたんだ。何より、あんな気持ち悪ぃ蟲に腹を刺されて死ぬなんざ、まっぴら御免だ」
「あはは…」
「感謝のつもりなんだ。快く受け取ってくれ」
私に野菜を手渡すと、六太さんは拝殿へ向かい、静かに手を合わせる。その音を聞きつけたのか、拝殿の奥からクロとシロが駆けてきた。
「あっ、六太兄ちゃんだ!」
「お野菜持ってきてくれたの?」
「おうよっ!」
六太さんは飛びついてきた二人を軽々と抱き上げる。クロとシロは誰にでも懐くので、村人たちにもよく可愛がられていた。
「クロもシロも、しっかり食ってでっかくなるんだぞ。っと、そうそう忘れるところだった。剣史郎から舞花ちゃんに言伝を頼まれてたんだ」
「剣史郎さんからですか?」
「おうよ。何でも話したいことがあるとかで、道中に頼まれたんだ。すまねぇが、ちょっくら行ってやってくんねぇか?」
「分かりました!」
私がそう返すと、六太さんは大きな手で優しく頭を撫でてくれた。
「それじゃあ、俺はこれくらいでお暇するぜ。またな、舞花ちゃん、クロ、シロ」
そう言って、六太さんは境内を後にした。
「クロ、シロ。ちょっと剣史郎さんの屋敷に行ってくるから、お留守番お願いね」
「「はーい!」」
私はクロとシロに留守を頼み、剣史郎さんの屋敷へ向かうことにした。
◇
剣史郎さんの屋敷へ向かう途中、ふと背後に気配を感じた。
立ち止まり、振り返る。
「あれ?」
しかし、そこには誰の姿もない。
確かに、呪力のようなものをうっすらと感じたのだが――気のせいだろうか。
「うーん…」
周囲を見渡すが、隠れる場所などない田んぼの畦道だ。誰かがついてきているなら、見えているはず。
「気のせいか…」
そう思い、再び歩き出す。すると、やはり背後に何かがついてくるような気がする。
気配を感じては立ち止まり、振り返っても何もない。そしてまた歩き出す。
そんなことを繰り返しているうちに、目的地である剣史郎さんの屋敷へとたどり着いてしまった。
屋敷に着く頃には、さっきの気配は感じなくなっていた。しかし、代わりに屋敷の中から、覚えのある二つの呪力が漂っていた。
「この大きいのがカミコさ…カミコ様で、もう一つは剣史郎さんか…」
扉を叩き、中へ入る。
「失礼します」
「舞花、すまなかった。突然呼び出してしまって」
扉を開けると、剣史郎さんが出迎えてくれた。
「本来であれば、俺が直接神社へ行くべきだったんだが、生憎先客がいてな」
屋敷の奥座敷には、カミコ様が座り、お茶を飲んでいた。
「いらっしゃい、舞花」
「お、おはようございます」
「さてと、舞花も来てくれたことだし、早速本題に入ろうか。正式な斎ノ巫女就任、おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
先日、村の人たちが就任祝いを開いてくれた。剣史郎さんもそこにいたが、こうして直接祝福の言葉をかけられるのは初めてだった。
「舞花が斎ノ巫女になった以上、俺のことも話しておこうと思ってな。まぁ、座って聞いてくれ」
カミコ様の隣に座り、剣史郎さんが淹れてくれたお茶を一口飲む。
「さて、どこから話そうか…」
「まず、そこに座っている人物が大御神だってことは知っているな?」
「まぁ…そうですね。まだ信じられませんが…」
「心配するな。俺も信じていない」
「おいっ」
カミコ様が肘で剣史郎さんを小突くが、剣史郎さんは気にせず話を続ける。
「大御神のことについて、先に話しておこうか」
「大御神…カミコ様のことですか?」
「あぁ、そうなるな。この世には、八百万といわれるほど多くの大神がいる。大御神は、そのすべての祖とされている」
「全ての祖…?」
剣史郎さんは、続けて神々の世界について語ってくれた。
大御神は太陽の大神とも呼ばれる。太陽は万物を生み出したものとされるため、大御神は大神たちを生み出したと考えられているのだという。
「しかし、大神たちが人の姿で現世に降りるためには、信仰が必要だ。つまり、人々に崇められなければならない」
「なるほど…。信仰は大神様と深く関係しているんですね」
「そういうことだ」
そして、剣史郎さんは驚くべき事実を告げた。
「俺はカミコが現世に降りるときに創り出された三つの神器の一つ――刀、すなわち『御剣』だ」
「えっ?」
その言葉に、私は呆然としてしまった。
(剣史郎さんが…人ではない?)
衝撃的な事実に、私はただただ、目の前の二人を見つめることしかできなかった。
◇
「じゃあ、剣史郎さんは人ではないのですか?」
「あぁ、そうだ」
私は言葉を失った。
カミコ様が大御神だったことも驚きだったのに、剣史郎さんが人ではなかったなんて。
「はうぅ…、カミコ様が大御神様だったり、剣史郎さんが人じゃなかったり…。何か考えるのが面倒になってきました…」
「ふふ、受け入れるのが早いのね、舞花」
「は、はぁ…」
カミコ様が微笑みながら、お茶を口に運ぶ。
「私と剣史郎は、主と従者の関係って思ってくれたらいいわ」
「まぁ、とりあえずそういうことだ」
剣史郎さんが少し気まずそうに頷く。
「割と簡単に説明したつもりだが、分かったか?」
「はいっ、なんとなく!」
「な、なんとなく、か…」
剣史郎さんが頭を掻いていると、カミコ様が私のことをしばらく見つめたあと、ふと問いかけてきた。
「舞花、ここに来るまで誰かと一緒じゃなかった?」
「え?」
一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。
確かに、道中で何かの気配を感じていた。でも、それは私の思い違いかもしれないと思っていたし、結局、姿を見たわけでもなかった。
「いえ、私一人ですが…?」
「あら、そうなの。二人分の呪力を感じたから、てっきり誰かと一緒なのかと思っていたわ」
「二人分の呪力…?」
私は考え込みながら、道中の出来事を思い出す。
確かに、剣史郎さんの屋敷へ向かう途中、背後に何者かの気配を感じていた。しかし、振り返っても誰もいなかったし、田んぼの畦道に隠れる場所もなかった。
「うーん…。誰かの気配を感じたのは事実です。でも、姿は見えませんでしたし、結局気のせいだと思っていたんです」
「そう…。妙ね…」
カミコ様は小さく唇を噛みしめるようにして、思案する。
「剣史郎、神社まで舞花を送ってあげなさい」
「そうだな。分かった」
剣史郎さんはすぐに了承し、私と共に屋敷を出ることになった。
「えっ、そんな大げさなことでは…」
「何かあってからでは遅いのよ」
カミコ様の表情は、先ほどまでとは違い、どこか険しげだった。
「…分かりました」
私は少し戸惑いながらも、素直に頷いた。
剣史郎さんと並び、明風神社へ向かう道を歩き始める。
◇
畦道を歩きながら、私は剣史郎さんに話しかける。
「あの、剣史郎さん」
「ん?」
「私が記憶を失っていること、ご存知ですか?」
「あぁ、カミコから全部聞いたよ。初めて会ったとき、何も知らないのに気の利かないことを言って悪かった。すまない」
「い、いえっ、仕方ありませんよ。気にしていませんし…」
私は笑って誤魔化すが、剣史郎さんは真剣な目をしていた。
「記憶がないってのは、どんな感じなんだ?」
「どんな感じ…ですか…?」
私は少し考え込んだ。
自分が記憶を失っていることは理解している。でも、それがどういうことなのか、正直、自分でもよく分かっていなかった。
「案外、そこまで辛いものじゃないですよ?」
剣史郎さんの問いに、私はそう答えた。
「ここに来てから、カミコ様や剣史郎さん、クロやシロ、そして村の人たちと出会えました。記憶のない私を快く受け入れてくれて、とても嬉しかったです」
それが私の本心だった。
記憶を失ったことが辛いと思ったことはなかった。むしろ、今の生活が心地よく、満たされていた。
「そうか」
剣史郎さんは短く頷き、少しだけ安堵したような表情を見せる。
「だから、記憶を失っていても、今はとても楽しいです」
そんな話をしているうちに、私たちは目的地である明風神社の石段前までたどり着いた。
「それじゃあ、剣史郎さん。ここまでご一緒していただき、ありがとうございました」
「あぁ。舞花、斎ノ巫女は大変だろうが、頑張ってくれ」
「はいっ!」
私は明るく返事をし、軽やかな足取りで石段を駆け上がる。
剣史郎さんは、それをしばらく見送っていた。
◇
しかし、舞花の姿が鳥居の奥へ消えた後、剣史郎は静かに振り返る。
「……やはり、お前か…」
そこには、いつの間にか立っていた一人の女。
艶やかな着物をまとい、妖美な笑みを浮かべるその女は、どこか懐かしさを感じさせる気配を纏っていた。
「あら、バレてた?」
「姿は隠していても、小さな呪力までは消し切れていない」
剣史郎に指摘されると、女はくすくすと笑う。
「んん、私もまだまだねぇ」
「ここになに用だ。理由なくこの地を騒がすというのなら、俺も大御神も黙っていないぞ」
剣史郎の瞳が鋭く光る。その視線は、紛れもなく敵を見据えるものだった。
「もう、そんな怖い顔しないでちょうだい。私はただ、斎ノ巫女を見に来ただけよ?」
「なら、用は済んだはずだ。生憎ここは強力な結界に覆われている。お前が立ち入ることなどできない」
剣史郎は腰の刀に手を添える。
「すぐに去れ。もし去らぬというのなら、大御神の名の下、お前をここで斬る」
その言葉に、女はふっと口元を歪める。
「あらあら、そんな物騒なこと言わないで。見ただけで満足したし、大人しく帰るわ」
そう言い残し、女は霧のように姿を消した。
剣史郎は刀を抜くことなく、しばらくその場に立ち尽くす。
「……去ったか」
しかし、彼の表情は険しいままだった。
なぜ、彼女がここに現れたのか。
剣史郎は、再び明風神社の方へ目を向ける。
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