花衣ーかみなきしー

AQUA☆STAR

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忘却編

第4話 山中

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 その日、葦原村は喧騒に包まれていた。

 理由は、葦原村の北側にある山中へ山菜採りに向かった四人の村人が、二日経った今も戻ってこないからだ。葦原村では、山菜採りに行くことのできる時間を、朝の日の出から昼過ぎまでと決めている。これは、万が一山で不測の事態に遭遇したとき、すぐに捜索できるようにするための措置だった。

「今日で二日目だぞ。さすがに何かあったとしか……」
「探しに行ったほうがいいんじゃないか?」
「でも、あの四人は山に詳しい。あいつらが道に迷うとは思えんが……」
「とにかく、村長に相談しよう」

 村人たちが集まり、口々に意見を交わしていると、村長の屋敷から紫がやってきた。

「村長、実は……」
「事態は把握しています。方針を説明するので、皆鎮まりなさい」

 紫の一言に、その場にいた村人たちは一斉に口を閉じる。

「戻ってきていないのは、大和と泉、澄、光香の四人で間違いないですね?」
「え、えぇ、その通りです、村長……」
「分かりました。この件に関して、村から捜索隊を編成し、四人を探しに行きます。本来であれば村総出で捜索に向かいたいところですが、今回は何かがおかしい……」
「恐らく、何かに襲われた可能性が高いですね……」

 剣史郎の言葉に、村人たちは息を呑んだ。

「その“何か”とは、いったい何なんだ?」
「恐らく、蟲ではないかしら」
「蟲が!? この近くの山には、蟲なんていないはずじゃ……」
「確かに、ここ数年、山で蟲を見たことはない。しかし、絶対にいないとは言い切れない」
「剣史郎の言う通り、もし山に蟲がいるのなら、私たちのように武の才がない者が行ったところで、無事には帰ってこれないでしょう」

 紫の冷静な言葉に、村人たちは言葉を失った。蟲は小さい個体ならば人の手でも駆除できるものもいる。しかし、蟲の恐ろしいところは“群れを成す”ところにある。

 もともと、群体として生息する虫は、蟲となった後もその性質を受け継いでいる。つまり、個体で駆除に苦労する蟲が、何十匹と群れを成して襲いかかってくるのだ。

「そこで、捜索隊には武に才のある者を募ることにします」
「村長、では俺が」
「俺も行きます!」
「私も!」

 剣史郎を皮切りに、十人の若者が捜索隊に志願する。

「では、捜索隊に加わる者はすぐに準備を行い、カミコ様の屋敷へと向かいなさい」

 紫の指示を受け、村の若者たちは散っていった。

 ◇

 山道の奥へと進むにつれ、空気が重く感じられるようになった。木々が密集し、陽の光が届かない場所では、まるで別世界に迷い込んだような不気味な静けさが広がっている。

「待って、血の臭いがするわ…」

 カミコさんが足を止めた。右手で制しながら、注意深く周囲を見渡す。その視線の先には、獣道が続いていた。

「皆、気をつけて」

 剣史郎さんをはじめ、捜索隊の村人たちが、武器を構えて慎重に進む。カミコさんも警戒を強め、私もできる限り音を立てないように歩幅を調整した。

「見つけた」

 剣史郎さんが草むらをかき分ける。途端、鼻を突く強烈な腐臭が漂った。思わず口元を押さえる。

「ひっ…」
「くそ、なんてことだ…」

 そこに横たわっていたのは、無残に食い荒らされた人の遺体だった。血の痕が土に染み込み、肉の一部は噛みちぎられ、内臓はほとんど失われている。

「……大和、こんな姿になっちまって…」
「畜生が、絶対許さねぇ!」

 村人たちが悔しげに拳を握り締める。

「舞花、大丈夫?」

 私は目の前の凄惨な光景に耐えられず、思わず目を背けてしまっていた。嗚咽をこらえながらも、カミコさんの声に応じる。

「だ、大丈夫です。すみませんでした…」
「仕方がないわ。私も久方ぶりに、これほど酷いのは見たわ…」

 そう言いながらも、カミコさんは落ち着いて大和さんの遺体へと歩み寄る。そして、そっとその両目を閉じた。

「苦しかったでしょうね。大和、今は安らかに眠りなさい…」

 その仕草に、村人たちも悔しさを押し殺しながら手を合わせる。

「カミコ、やはりこれは蟲の仕業か?」
「えぇ…内臓だけを食らい、分泌物によって急速に腐敗が進んでいる。これは、アンクグの幼体の特徴よ」

「アンクグの幼体…」

 蟲たちが、確かにここにいた証拠。だが、腑に落ちない点がある。

「まだ内臓が一部残っている。食い尽くす前になぜ蟲はここを去った?」

 剣史郎さんが疑問を口にする。通常ならば、アンクグの幼体は獲物を骨だけになるまで貪り尽くすはず。だが、今回の状況は異なっていた。

「わざと残した?何のために…まさか、私たちがここに来るのを待っていた…?」

 その時、カミコさんと剣史郎さんの表情が変わる。

「全員、私の周りに集まりなさい!周囲を警戒、来るわよ!」

 次の瞬間、不快な鳴き声が響き渡る。

「きりきりきり…!」

 どこからともなく現れたのは、無数のアンクグの幼体だった。それも、一匹や二匹ではない。私たちを取り囲むように、次々と湧き出してくる。

「結構多いぞ、一体何匹いやがる…」

 じわりじわりと、蟲たちが間合いを詰めてくる。数の差は圧倒的だった。

「皆、私の周りから離れないように。剣史郎」
「ああ」
「纏めて焼くから、取りこぼしは任せたわ」
「承知した」

 カミコさんは素早く術式を描き、祝詞を詠唱する。

「火符、炎柱!」

 次の瞬間、私たちを取り囲む蟲の足元から、炎の柱が噴き上がる。蟲の体が炎に包まれ、甲高い悲鳴を上げながら暴れ回る。だが、それで仕留められたのはわずか五匹程度。

 火の勢いを抑えたせいで、致命傷を与えられない個体も多い。残った蟲たちが、炎を避けながら私たちに向かって飛びかかってきた。

「させん!」

 剣史郎さんが瞬時に反応し、飛びかかってきた蟲を真っ二つに切り裂く。その腕前は圧倒的だった。続いて、他の村人たちも果敢に蟲へと立ち向かう。

「炎符、火炎輪!」

 カミコさんが回転する火の輪を放ち、蟲たちを焼き払っていく。しかし、蟲の数は減るどころか、次から次へと湧いてくる。

「うっ、うわっ!?」

 突然、一人の村人が蟲に押し倒され、鋭い牙が彼の腹に食い込む。

「ふぐぁあ!がはっ!」
「この!!」

 剣史郎さんがすかさず動き、蟲を叩き斬る。しかし、すでに男の腹からは赤黒い血が滲み出ていた。

「舞花、刺された者を後ろへ!」
「はっ、はい!」

 私は慌てて駆け寄り、男の人を必死に引きずる。

(出血が酷い…)

 男の腹から流れ出す血が止まらない。このままでは、助からないかもしれない。

「舞花!私が行くまで、癒符で彼をこちら側に繋ぎ止めて!」
「わっ、分かりました!」

 次々と襲いかかる蟲のせいで、カミコさんは彼のもとへ向かえない。ならば――私がやるしかない。

 震える手で、術式の描かれた御札を取り出し、呪力を込める。そして、その御札を男の人の傷口に押し当てた。

「……!」

 すると、あれだけ大量の血を流していた傷口が、ゆっくりと塞がっていく。

「ッ!?」
「ま、舞花…お前…」

 無意識にやっていたが、理屈は簡単だった。御札に込めた癒符の呪力が止血し、そのまま私の呪力が御札を介して回復を促進させたのだ。

「このままじゃマズいわね…」

 カミコさんは現れる蟲の数を見て、撤退を決意した。

「一時撤退よ!私の呪術に合わせて、全員走って山道まで撤退する!」

 カミコさんは空中に複雑な術式を描き、祝詞を詠唱する。

「目を閉じなさい!」

 私は言われた通り、きゅっと目を瞑る。次の瞬間、目を瞑っていても眩しいくらいの閃光が広がった――。

 ◇

 閃光が収まると同時に、私たちは一斉に駆け出した。
 カミコさんの呪術で蟲たちの視界を奪ったとはいえ、長くは持たない。後ろからは、あの耳障りな鳴き声が響き、追ってくる気配がひしひしと伝わってくる。

「はぁ、はぁ、はぁ…けほっ…」

 私は息を切らしながらも、必死に走る。久しぶりにこれほどの距離を全力で駆けたせいか、足が鉛のように重くなってきた。

「ひとまずは助かったか」
「そうね。皆、大丈夫?」

 カミコさんが息を整えながら、周囲を確認する。

「大丈夫です、カミコ様…」
「な、何とか生きてます…」

 全員が無事であることを確認し、安堵の息を漏らす。
 ふと、視線を落とすと、先ほど癒符を使って治療した六太さんが、傷口を押さえながら立ち上がっていた。

「六太、あなたは大丈夫なの?」
「すいやせんでした。迷惑かけちまって…」
「無事で何より」

 カミコさんが六太さんの腹部を確認する。傷跡こそ残っているが、血は止まり、肉がふさがっている。

「それに舞花ちゃん、助けてくれてありがとうな」
「いえ、ご無事で何よりです」

 私は少し照れくさくなりながらも、微笑んだ。

「………」

 カミコさんがじっと私を見つめる。何かを考え込んでいるようだった。

「カミコさん?」
「いえ、何でもないわ。少し考え事をしていたの」

 そう言いながら、再び周囲を見渡すカミコさん。

「皆、まだ戦えるかしら?」
「もちろんだ」
「まだやれます」

 全員が即答する。撤退はしたものの、このままでは事態の根本的な解決にはならない。

「分かったわ。でも、何でまたこの山に大量の蟲が湧いたのかしら?」

 すると、遠くから再びあの不快な羽音が響いてきた。

「まずいな。もう追いついた…」

 剣史郎さんが低く呟く。

「剣史郎、蟲が大量に湧く理由に何か心当たりは?」
「こんな時に何だ。いきなり言われても、分からんぞ」

 私はふと、ある光景を思い出した。

「もしかして、繁殖して何処かに卵があるとか」

 カミコさんが、驚いたようにこちらを向く。

「さすが、舞花。あの卵に気づいていたのね。その可能性は限りなく高いわ。なら、産卵したのは成体のアンクグ…。だとしたら――」

 私たちの視線の先に、再び蟲たちが現れる。

 だが、今回は違う。

 その背後に、人丈を超す大きな影が一つ。

「奴を倒さない限り、蟲は増え続けるって訳ね」

 それは、アンクグの成体。幼体から幾度の脱皮を繰り返し、鋭利な両鎌と堅い外殻を持つもの。

 カミコさんが険しい表情で呟く。

「あれが、成体…」

 私は恐怖に震えながらも、カミコさんの隣に立った。

「大丈夫よ舞花、私が絶対あなたを守ってあげるから」

 カミコさんがそっと私の頭を撫でる。その温かさに、少しだけ安心した。

「剣史郎は成体を、他の者は幼体を狙いなさい!」
「承知した」
「おうっ!!」

 号令と共に、戦闘が再開される。

 カミコさんが両手を前に突き出し、呪術を発動させる。

「風符、烈風!」

 強烈な風が巻き起こり、幼体の蟲たちが翻弄される。風にあおられた蟲は、脚をもがれ、地面に叩きつけられた。

「動きを奪えば、恐れることはない!」

 村人たちが、地に這う蟲たちを次々と仕留めていく。

「剣史郎、鎌に注意!」
「承知!」

 剣史郎さんは、蟲の成体と対峙していた。その巨体に比べれば、人間の姿など小さく見える。

 鋭利な鎌が振り下ろされる。

「チッ…!」

 剣史郎さんが素早く後方へ跳び、回避する。しかし、蟲の攻撃は止まらない。鎌が再び振るわれるが、それを躱しながら、隙を見つけて刀を振るう。

「剣史郎、援護するわ!」

 カミコさんが、蟲の脚を呪術で拘束する。動きを封じられた蟲の成体に対し、剣史郎さんが外殻の隙間を狙って斬りつける。

 しかし、そのとき――

「カミコさん、後ろ!」

 数匹の蟲が、カミコさんに向かって飛びかかってきた。

 私はとっさに両手を突き出す。

「危ない!」

 その瞬間、カミコさんの前に白い靄のような壁が現れた。飛びついてきた蟲は、壁に弾かれ、そのまま地面に落下する。

「……!?」

 しかし、次の瞬間――

(あれ、身体に力が入らない…)

 突然、体が鉛のように重くなる。視界が歪み、意識が遠のいていく。

「舞花っ!!」

 カミコさんの叫び声が聞こえたのを最後に、私は意識を失った。

 ◇

「全く、とんでもない子が生まれたものだ」
「あぁ、神社の跡取りが呪われた子なんて、冗談もいいところだよ」
「ちょっと、本人に聞こえるわよ」
「宮司様も可哀想に。奇病に掛かって身体を壊して床に伏せられているそうだ」
「呪われているうえに、不幸まで呼ぶのか…」
「嘆かわしいわね…」

「ねぇ…」

「村の人がどれだけあなたを蔑んでも、私は一生あなたの友達だから」

「だから、忘れないで。約束よ…」

(う…ん…)

 目を開けると、そこは山の中ではなく、見慣れたカミコさんの屋敷の一室だった。

(あ、あれ………)

 額に伝う湿った感覚。なぜか涙が止まらない。拭っても、拭っても、涙は溢れ続ける。

(さっきの夢、何だったんだろう…)

 なぜか、あの夢のことを思い出すと心が痛かった。

 そんなことを考えていると、襖がゆっくりと開く。

「舞花…」

 心配そうな表情で部屋に入ってきたカミコさんが、私を優しく抱きしめてくれた。

(カミコさん…私はいったい……)

「カミコ…さん。私…夢を見ました。それがとても悲しくて…。誰かを…、名前も顔も分からない誰かと、約束をしていました…。なのに、私は何も覚えていなくて…」

 身を委ねていると、カミコさんが頭を撫でてくれた。おかげで、気持ちが落ち着いてきた。

「落ち着いたかしら?」
「は、はい。あの、カミコさん。私、あの後いったい…」
「どうやら、呪力の使いすぎで気を失っていたわ。よっぽど、強力な結界を発現させていたみたい」
「そうだったんですか…他の皆さんは?」
「皆、無事よ。でも、探していた人たちは、残念だけど皆蟲に殺されてしまっていたわ…」

 本音は、全員が生きているのを願っていた。

「舞花、あなたの結界符のおかげで、私も剣史郎も、みんなも無事に帰ってこれたわ。殺された4人の亡骸も埋葬することができたし、あなたは気にする必要ないわ」
「そうですか」
「さてと…舞花、全てひと段落ついたところで聞くけども、明風神社の巫女の件、引き受けてくれるかしら」

 カミコさんは私にそう問いかける。

 私の答えは、もうすでに決まっていた。

「こんな私なんかで良ければ、喜んでお引き受けします」
「巫女、それも斎ノ巫女となれば、これからもっと辛いこともあると思う。それでも、引き受けてくれるのかしら?」

 迷いなどなかった。

「白雪舞花、明風神社の斎ノ巫女をお受けします」
「では、あなたは今日から明風神社の斎ノ巫女、白雪舞花として大御神である私に仕えてもらいます。その身、その心、全て私に捧げなさい」


”あれ?“


「………」


”聞き間違いだろうか“


「えっ、今何と?」
「私は太陽の大神、オイナカムイ、大御神、そして人の身でまたの名をカミコ。あなたが斎ノ巫女として仕える存在よ?」
「あはは、まさか…」


”カミコさんが大御神?“


 到底信じられなかった。でも、村の人たちのカミコさんに対する接し方を見ると、認めざるを得ない。

 そもそも、大御神や大神が、この世に存在するかが疑問だが。

「来るべき時が来るまで、舞花には黙っておくことにしたの。正体が分かって気を使われるのも嫌だったから」
「も、もう、カミコさん。黙っているなんて酷いですよ!ほんとに、ほんとに酷いです…」
「ふふ、ちょっと意地悪しちゃった」
「もう、カミコさんったら…」

 こうして私は自分の記憶を探しながらではあるが、大御神であるカミコさんに仕える事となった。

 でも、これはこれから始まる長い物語の、ほんの始まりに過ぎなかった。
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