花衣ー皇国の皇姫ー

AQUA☆STAR

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詠嘆編

第88話 心脈

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 皇宮 禊ノ間


 瑛春を捕縛した日の夜、皇宮の禊ノ間には瑞穂を初め、皇国の中枢を形成する者たちが集まっていた。新年を迎えた中とは思えないほど、その場にいる全員の表情が重苦しかった。

「仁、報告を」
「はい。私が尋問をしたところ、彼自身は書物について何らかの秘密を握っていると考えられます」
「瑛春が夢幻の狭間について調べる理由についてはどうなの⁇」
「それらについては、頑なに語ろうとはしません」
「そう…」
「瑞穂、夢幻の狭間って、何のことなんだ⁇」

 これまで、夢幻の狭間について瑞穂から一切聞かされていなかった御剣は、瑞穂に問う。

「先日、蝦夷の王、雪界の王アリファと会談した際、ある書物が盗まれた事を伝えられた。それが、夢幻の狭間に関する書物。夢幻の狭間とは、私たちのいる現世、死者の国である常世、そしてその両方を支える根の国、3つの隣り合う世の狭間の事を、夢幻の狭間と言う」

 瑞穂はそれに続き、以前から不可解な行動をとっていた瑛春に内偵を行っていた事を説明する。

「この話は、相手側にこちらの動きを悟られたくなかったから、あえて私と仁の間だけで行っていたの」
「そうだったのか」
「今回、瑛春を拘束した件についても、蝦夷の書物を盗み出した事の嫌疑が掛けられていたから」
「時が揃いすぎている。といったところですか」
「右京の言う通り。彼が何を考えているか、現時点では分からない。でも、これまでの行動と、境界大封印で夢幻の狭間に封じられたタタリの存在が確認されている中、書物をわざわざこの時期に盗み出す理由が気になるの」
「瑞穂、その書物は今どうなっているんだ⁇」
「可憐将軍、それについては私から。確証はありませんが、書物については現在、司書部長の阿礼さんが所持しています」
「なぜ、阿礼が⁇」
「書物の解読を瑛春から依頼されたようです」
「解読?」

 仁は全員に阿礼から聞いた書物の絡繰について説明する。あれから十日が経過しており、阿礼は司書部の仕事の傍ら、夜を徹して3冊の解読に勤しんでいた。

「明日、瑛春に対する尋問が再開する。そこで何らかの成果が得られ、書物についての情報が得られれば、蝦夷に盗まれた書物を返却するつもりよ」
「いいのか、向こうはすぐにでも返却を望んでいるはずだろ」
「書物の管理を蝦夷に任せたのは、先代の大御神、当代の私が書物の扱いを決める権利はあるわ」
「尋問については、私にお任せください」
「分かったわ仁。それと検非違使や他の組織に、彼に同調する勢力がいる事を理解しておいて。用意周到な彼のことだから、書物の奪取も配下に命じているはず。だとすれば、瑛春の協力者が確実に皇宮内にいる。牢の警備と彼への監視、それと阿礼の警護を強化して」
「承知いたしました」
「他のみんなは、自分たちに危険が及ばないよう気をつけて。当分の間、皇宮内でも行動は誰かと一緒にすること」

 その言葉を最後に会議は終了するが、瑞穂は禊ノ間に最後まで残っていた。同じく、彼女の従者である御剣も残る。

「タタリの脅威も排除して、新年も明けて、ようやく落ち着けるかと思ったけど…」
「休む間もないな」
「うん。今は瑛春が何を考えているのか予想がつかないけど、状況を鑑みてもよくない事を考えている」

 瑞穂は、会議中に一口も飲まず、冷めてしまったお茶をゆっくりと啜る。

「最近、体調が悪いと聞いているが、大丈夫か⁇」
「今の所は。でもこのところ、ずっと気分が悪いの。あまり周りに心配かけたくないから、ほとんど言っていないけど」
「無理はするな。ちゃんと医者に見てもらえよ」
「うん、ありがとう」


 ◇


 深夜、夜勤の衛兵達以外が寝静まった頃、地下牢では瑛春の監視を命じられていた看守たちが別室で休憩についていた。

「まさか、皇都守が収容されるとはな」
「あぁ、前から黒い噂は聞いていたが、とうとう侍大将直々にしょっぴいたらしい」
「罪状って何なんだ⁇」
「確か、外患誘致とかそんな系統だったはずだ。でも、一体何が理由なんだろうな」
「俺たち看守には関係ないことさ」

 夜間、看守達は交代で2人ずつ勤務に就いている。この時間は収容者たちも寝静まっており、適度な巡回だけの楽な業務内容だった。

「さて、巡回行くかぁ」
「よろしく」

 一人の看守が行燈を手に部屋を出ていく。残った看守は卓に足をあげて、持ち込んでいた煙管に火をつける。

 それから少し時間が経つ。

 しかし、本来ならすぐに戻ってくるはずの巡回から、相方が中々帰ってこないことから、様子を見に行くことにする。

「おーい、何やってるんだ⁇」

 行燈で地下牢へと続く階段を降りる。提灯が階段を照らしているが、少ない光量のため看守は行燈で足元をしっかり照らして降りていく。

 すると、階段の下に影があることに気づく。

「んだよ、戻って来ねぇから心配しッ⁉︎」

 看守は、自分の照らした先にあったものに驚愕する。相方はうつ伏せで床に倒れ込んでおり、呼びかけに一切反応を示さない。

 そして、床は相方を中心に血が広がっていた。

「お、おい!しっかりしろ!おい!」

 慌てて相方に駆け寄る看守の背後に、黒い影が天井から降り立つ。

 肉を切り裂く不快な音と共に、地面に落ちた行燈に血飛沫が広がる。


 ◇


 皇宮 浄徳殿 阿礼の私室


 史書部での仕事にひと段落ついた阿礼は、毎晩私室にこもって書物の解読に精を注いでいた。

「なるほど、ここがこう言う意味だから、こっちがこうで」

 瑛春から手渡された三つの書物には、明確な役割があった。一つは、書物の中に記されている文字を解読するために必要な、いわば換字の法則が記されたもの。

 その書物の法則を使い、読み解くのが二つ目の書物。これには、一つ目の書物で記された換字が散りばめられており、それらを掻い摘むことで適合する文字を摘出する。

 そして、摘出した文字を三冊目の書籍に当てはめる事で、ようやく内容が読み解ける書物に変換されるというものだ。

「ったく、ややこしいなぁ。誰だよ、こんなに難しい羅列を考えたの」

 阿礼は悪態をつきながらも、同時にこの書物を書いた著者に対して尊敬の念を持つ。おそらく、これほどまで複雑な書物を作るには、並大抵の知識がなければ到底不可能である。

「だけど、僕の手に掛かれば…」

 だからこそ、阿礼は途中で投げ出さなかった。文官としての意地もあるが、純粋に書物を解読し、著者よりも優れていることを証明したいと思っていた。

 そして、寝る間も惜しんで阿礼が一から記した紙の量は、たったの10枚。しかし、そのたった10枚には、これまで世に知られていなかったある事柄が記されていた。

「………やった」

 阿礼は手を止め、毛筆をゆっくりと硯に置く。

「遂に、解読した…」

 阿礼は呼吸を落ち着かせると、大きく息を吐く。それまで強張っていた顔と肩の力が一気に緩み、表情も柔らかくなる。

「この世の歴史が動く…仁さんに知らせないと。ん?」

 その時、阿礼は何かがおかしいことに気づいた。瑛春からの工作を警戒して、仁が近衛兵を二人、阿礼の部屋の前に張り付かせていたのだが、いつもは定期的に声を掛けてくるはずであるが、一向にそれがない。

 解読に夢中になりすぎて気が付かなかったのかもしれない。阿礼はそう思い、部屋の扉に向かって歩き出す。

「何の臭いだろう…」

 阿礼は鼻に付くような変な臭いを感じる。阿礼が扉を開けると、いつものように扉の両脇に二人の近衛兵が立っていた。

「何だ、いるじゃんか。なぁ、誰か仁さんを…」

 阿礼が近衛兵の肩を触った途端、近衛兵は力無くその場に倒れる。

「えっ…」

 その喉元は掻き切られ、目は見開き呼吸をしていない。先ほどから阿礼が嗅いでいた臭いは、掻き切られた喉元から流れ落ちる血の臭いだった。

「ひっ⁉︎」

 驚いて後ろへと下がると、もう一人の近衛兵も同じようにその場に倒れ込む。二人はすでに息絶えており、壁にもたれさせられ、少しでも触れれば倒れてしまう。

「なっ、何がっ、じ、じっ⁉︎」

 仁の名を叫ぼうとした途端、廊下の天井から黒い影が床に降り、阿礼の体を吹き飛ばす。勢いよく吹き飛ばされた阿礼は、私室の座卓を巻き込み床へと倒れ込む。

 衝撃で硯が飛び、部屋に墨が飛び散る。黒い影は倒れ込んだ阿礼を押さえつけ、口を手で塞ぐと、側に置かれていた解読済みの文が書かれた紙を手に取る。

"な、何とか、誰かに知らせないと…"

 阿礼は、そばに置いていた分銅を握ると、自由に動かせた右手で掴み、その先端を力一杯黒い影に叩きつけた。

 不意に顔を殴りつけられた影は体勢を崩し、横に倒れる。その隙をついて阿礼は立ち上がり、仁から連絡用にと手渡されていた念話の術式の書かれた術符に手を触れる。

「仁ッ‼︎かっ、はっ⁉︎」

 焼けるような熱い感触を背中に感じる。黒い影は術符に手を触れた阿礼の背中に、短刀を突き立てた。阿礼の装束から血の染みが広がり、そのまま前向きに倒れる。

「く、っそが…」

 最後の力を振り絞って、阿礼は影の纏っていた黒い装束を引き剥がす。

 装束が引き剥がされると、影の正体が顕になる。

「なっ⁉︎」

 影は阿礼にとどめを刺そうとするが、寸でのところで阿礼が術符を発動させたことにより、仁が異変に気付き、非常事態を知らせる笛が皇宮中に鳴り響いた。

「ちっ」

 影は舌打ちをすると、窓を突き破って地上へと飛び降りる。やがて、阿礼の私室に仁と近衛兵たちを引き連れた日々斗が駆け込んでくる。

「阿礼ッ‼︎」
「やられた…畜生…いてぇ」
「傷が深い、日々斗、斎ノ巫女様を呼んでください‼︎」
「分かった‼︎」
「全近衛兵に通達、皇宮の全門を封鎖、誰一人出してはなりません!」

 仁は短剣を抜かず、装束の上から止血を試みる。短剣を抜けば、大量の血がさらに流れ、失血死する可能性があったからである。

「阿礼さんっ、しっかりしてください。誰にやられたのですか⁉︎」
「あいつ、確かに、瑛春だった…」
「瑛春⁉︎なぜ、彼は地下牢にいるはず…」
「解読した、紙を、盗られた…畜生、畜生…」
「彼を医務室に運びます。手の空いているものは手伝いなさい!残りは地下牢へ‼︎」
「はっ‼︎」

 近衛兵たちは阿礼を畳の上に乗せ、皇宮の医務室に向けて搬送する。その道中に駆けつけた千代が癒符の呪術で応急処置を施す。

「誰か包帯を持ってきて!」
「血が足りない!輸血用の血を持ってくるのよ!」

 医務室では、深夜に叩き起こされた皇宮の医務官たちが全員集められ、必死の救命措置が取られていた。

「意識が薄れている、頑張って阿礼さん!」
「急所は外れてるけど、出血が酷い。このままでは…」
「仁、状況は」

 医務室に報告を受けた瑞穂たちが駆け付ける。瑞穂は医務官たちの邪魔にならない場所で、仁に報告を求める。

「瑛春が、阿礼さんを刺して逃走しました。阿礼さんの解読した書物を奪っています」
「逃げたのね…奴の追跡は?」
「すぐに非常事態報を鳴らしたので、皇宮の各門は封鎖しました。現在、皇宮内を捜索中です」
「ミィアン、琥珀、リュウ、ローズ、四人は捜索に加わって。絶対に探し出して」
「分かったぇ」
「行ってくるね、お姉ちゃん」
「了解した。いくぞ、ローズ」
「えぇ」
「仁、あなたも行って」
「御心のままに」

 四人を捜索へと向けた瑞穂は、阿礼の側へと近づく。痛々しい傷跡からは塞がったが、血を大量に失った阿礼の顔は青白くなっており、明らかに弱り果てていた。

「輸血用の血はまだか!」
「血が必要なのね」

 その言葉を聞いた瑞穂は、自らの腕に小刀を添えて切り傷を作る。血管を斬った所為か、おびただしい量の血が桶に溜まる。

「うくっ」
「せ、聖上、なにを!」
「ぼやぼやしないで、この血を使いなさい!」
「で、ですが⁉︎」
「良いから!時がないって言ってるの!私の血を使って阿礼に輸血しなさい」
「承知しました‼︎」

 医務官たちは戸惑うが、彼女の命令に従って桶に注がれた血を専用の容器に移し替え、管を針に繋いで阿礼の血管に繋げる。

「大御神の血は、呪力を多く含んでいる。呪力を含む血は他の血に適応する。頑張って、阿礼」
「み、ずほ…」

 阿礼は意識を取り戻し始め、目を薄らと開いた。

「無理しないで、話すことがあれば手短で構わないわ」
「全て、記憶してる、夢幻の、狭間には、千年桜の香りを纏わないければ、ならない」
「千年桜…」

 瑞穂には思い当たる節があった。葦原村の村長の屋敷に植えられている一本の桜。その桜は、かつて祖母の墨染から、千年の樹齢を誇る桜だと聞かされたことがあった。

「これを…」

 そう言って、阿礼は血だらけになった装束の袖から一枚の紙切れを瑞穂に手渡す。

「ここに、儀式の祝詞が書いている…、祝詞を詠み、香を纏えば…はぁ、はぁ…夢幻の、狭間にいざ、誘われる…」

 阿礼はそれだけを口にすると、ゆっくりと目を閉じる。

「阿礼ッ‼︎」
「き、気を失っているだけです、脈は正常に動いています」
「そう、良かった…」
「瑞穂、俺たちも奴の捜索に加わるぞ」
「えぇ。千代、阿礼のこと、頼んだわ。絶対に死なせないで」
「は、はい!」
「凛、千代と一緒にここにいて。私たちは奴を追うわ」
「気をつけてね、みっちゃん」
「うん」

 瑞穂は刀を携えると、御剣たちと共に医務室を出る。

「瑛春、後悔するわよ」


 ◇


 瑞穂に命じられ、先に襲撃者の捜索を行っていた仁は、ある場所へと向かう。彼の勘が正しければ、瑛春は必ずここにいる。

「この香りは…」

 そこは、皇宮の祈ノ間。普段は斎ノ巫女や巫女たちが大神に祝詞を捧げる場所であり、祭壇には大神たちの力が宿っている遺物が並べられている。

「瑛春!」

 その祭壇に置かれた香炉に桜の枝を焚べる人物がいた。仁には、その背中を見ただけで彼が皇都守瑛春であることに気付いた。

「何をしている!」
「………」
「喋らぬと言うのなら、覚悟してください」
「覚悟?その必要はないさ」

 仁は太刀を引き抜き、瑛春に向かって背後から斬りかかる。

"捉えた‼︎"

 その刀身は一寸の狂いもなく瑛春の肩から胴に向けて命中する。しかし、太刀は瑛春の体に命中せず、空気を斬ったかのようにすり抜け、地面に突き刺さる。

「何ッ⁉︎」
「君たちは、少し遅すぎたんだよ」

 そう言って、瑛春は近接攻撃用に改造された小型の弩弓を構える。仁に狙いをつけた弩弓は、矢を複数本同時に射出させる。仁はその素早い攻撃を何とか避けるが、そこには瑛春の姿はもうなかった。
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