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詠嘆編
第87話 奇々怪々
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「祟神威大神は生きている」
蝦夷の部族を束ねる長、雪界の王アリファとの会談は、その驚愕の一言から始まった。
「正確には、大神様はその生を終えることはない。言うなれば、大神様の存在の根源は信仰、信仰を失った時に初めて大神様はその存在意義を失う」
「存在意義については理解しているつもりよ。でも、境界大封印はその存在自体を異界に封印する呪術。なぜ、貴女が祟神威大神について語れるの?」
「単刀直入に申し上げると、その異界こそが夢幻の狭間であり、境界大封印で封じられる先は、夢幻の狭間であるから。そして、我ら蝦夷の祈祷師はかつて大御神様より夢幻の狭間の観測を命ぜられ、祟神威大神が滅されていない事を確認した」
救国大戦の折、千代、舞香さん、そしてユーリの3人が共に発動させた境界大封印は、その存在を異界に転移させるもの。転移先の異界については、現世、常世、そして根の国のいずれにも当たらない未把握の世界。故に、その異界の存在はもちろん、出入りや認識など出来ないはずであった。
初耳だったのは、私ですら知らない夢幻の狭間の存在を、目の前にいる雪界の王アリファが認識しており、蝦夷の祈祷師がその観測を担っていること。
「我が祖先はかつて、大御神様の御旗の元で共に戦い、神居古潭の初代大宮司に庇護された。祖先は大神様にお仕えする祈祷師、いわゆる巫女の一人であり、大御神様、そして初代斎ノ巫女様から境界大封印について詳しく聞いている。そして、その存在について記された書物の保管を命ぜられた」
「その書物に、夢幻の狭間の全てが記されているということ⁇」
「その通り。しかし、昨今の祟神威大神に係る一連の騒動の最中、我が一族が保管するその書物が何者かに盗み出された」
「盗まれたの⁇」
「何者の仕業かはまだ分からない。書物は複雑な解読方法が要求されるが、書物の内容を読み解くことができれば、夢幻の狭間に出入りする事が可能となる」
現状、書物を盗み出した人物も、その人物が何を考えているのかも分からない。
「書物の管理を命ぜられた一族の末裔として、この事を大御神様自身にお伝えせねばならないと思い、ここに参った次第。管理を怠り、申し訳ない」
「こうなった以上、盗んだ人間がそれを悪用しないことを祈るのみね」
「封印されたのが大御神様と因縁のある祟神威大神。時を同じくして盗まれた書物、時期を考えると、これほど気味の悪い状況はない」
「貴女たち自身が、夢幻の狭間に出入りする術は知らないの?」
私がそう聞くと、アリファは首を横に振る。
「いや、我々はあくまで観測を命ぜられたのみ。夢幻の狭間は人の人智の及ばぬ世界であり、書物を保管することのみが大御神様との盟約であった」
「承知したわ」
夢幻の狭間に関する書物と、それを盗み出した人物の存在、タタリとの戦いを終えて束の間、また懸念事項が増えてしまった。
その後、蝦夷が大神信仰を守り続け、その集大成として現大御神の私の元に集うことを望んでいると聞いた。私や皇国にとって、これを拒む理由などなく、皇国と蝦夷は固い同盟を結ぶこととなった。
◇
アリファとの会談を終えた瑞穂は、政務室でいつもの様に政務に追われていた。
「やっぱり、おかしいかも…」
大御神として覚醒する前に、頻繁に起こっていた頭痛と全く違う、気分が優れない状態が何日も続く。自ら調合した薬を飲んでも、改善する兆しが見えない。
「医師に相談してみようかしら…」
瑞穂がそう呟くと、政務室の扉が軽く叩かれる。
「聖上、仁です。よろしいでしょうか」
「えぇ、入って」
仁は扉を開けると、軽く礼をして瑞穂の正面に座する。
「ご内密のお話がございます」
「件の話⁇」
「はい。阿礼様が瑛春より三冊の書物の解読を依頼された模様です。その書物には、夢幻の狭間への行き方が記されているということ」
「それは本当⁉︎」
「はい」
瑞穂は、先ほどのアリファと会談の内容を仁に説明する。その話が本当であれば、アリファたち蝦夷から書物を盗んだ犯人は瑛春となる。ただ、瑛春がなぜ書物を盗み出したのか、そしてそれを実行に移したのが瑛春自身なのか、現時点では確定する材料が少ない。
「やはり、何か企んでいるのは明白かと」
「そうね。ただ、心刀会もかなり苦戦しているみたい。向こうも警戒しているから、なかなか尻尾を出さないみたいね」
「如何いたしましょう聖上、いっその事、彼を捕縛して本人に問いただしましょうか」
「それは勧められないわ。今までそうした類いの奴らを見てきたけど、真に思っていることは口を割らないのが定石。なるべく、事を荒立てずに真相を探らないと」
「ですが、何か起こってからでは手遅れかと。彼が何を企んでいるか分かりませんが、それが我々の力を大幅に超えるものだと、手が出せなくなります」
「………分かったわ」
瑞穂は巻物を巻き取り、新たに何も書かれていない巻物を手に取ると、そこに何かを書いて印を押す。そして、仁の方を向き直るとその巻物を手渡す。
「汚れ役を任せても構わない⁇」
「この身は聖上に救われた身。お仕えした時から覚悟はできております」
「承知したわ。瑛春を捕縛して真意を問いただしなさい。責任は私が取るわ」
「御心のままに」
仁が政務室を出た後、瑞穂は大きくため息をついた。これがもし間違っているなら、自分は非道な行いを平然と命じた愚皇となり、大御神である資格もなくなる。
「誠であることを祈るのみね…」
卓上に置かれていたお茶をひと啜りし、再び政務に戻った。
◇
新年を祝う催しが開かれる皇都の中心街、御剣と藤香は市井の様子を眺めていた。
子どもは面や玩具を手に笑顔で走り回り、大人は露店で売られている料理を堪能している。皇都外からも多くの人々が訪れ、一段と盛り上がりを見せていた。
「賑やかだな」
「うん」
二人は串団子を頬張りながら、珠那の甘味処から外の様子を見る。そんな二人の様子を、調理台から微笑ましく眺める珠那。御剣と藤香の見回りの休憩は、こうして珠那の甘味処で甘味を堪能するのが日常になっていた。
"藤香ちゃんも、御剣くんたちと再会してから明るくなったわね。良かった良かった"
珠那がまだ葦原村にいた頃は、無感情だった藤香しか知らなかった。それが今では、こうして美味しそうに甘味を食べてくれるのだから、彼女にとって嬉しい他なかった。
「来年は、みんなで落ち着いて新年を迎えたいな。去年は色々とありすぎた」
「そうだね」
二人が最後にお茶を啜っていた時だった。珠那の甘味処に慌てた様子の検非違使の青年が駆け込んでくる。
「み、御剣様⁉︎」
「八尋か、どうしたそんなに慌てて」
青年の名は八尋、御剣が武術の指南をした武人の一人で、いずれ検非違使を率いる程の実力を持つ期待の新人だった。
「お休み中のところ申し訳ございません!僕と一緒に来てくれませんか⁉︎」
「来てくれって、何処に」
「詳しい話は道中に!急いでください!」
「………分かった。珠那さん、ご馳走様でした」
「はい、二人とも気をつけていってらっしゃい」
「ありがとうございます。藤香はどうする?」
「ついていく」
御剣と藤香は人混みをかき分けながら八尋の後を追う。
「八尋、その様子じゃ只事じゃないようだが」
「実は、検非違使本隊の詰所に、侍大将様とその配下の方々が来られていて」
「仁が?でも、何でまた詰所に」
「何でも、皇都守様に用があるとかで。ですが、皇都守様が不在でして、それで中を改めさせろと」
「従えばいいと思うのだが」
「僕もそう思っています。ですが、副隊長たちがそれを頑なに拒み、押し問答になっているんです」
しばらく進むと、塀に囲まれた検非違使隊舎が見えてくる。すでに周囲を仁率いる近衛兵団が取り囲んでおり、門の前で検非違使たちに詰め寄っていた。
「さっさと道を開けぬか!これは皇様直々の御勅命であるぞ‼︎」
「いくら近衛兵団であっても、他部署の捜索を勝手にされては困る!」
「ならば隊長をここへ呼べ!」
「不在です!」
御剣はその様子を馬の上から見ていた仁を見つける。
「御剣殿」
「仁、一体何事なんだ」
「聖上より、皇都守瑛春の捕縛を命じられ、これより捜索を行うところです」
「瑛春の⁇」
「理由は後ほど話します。私とて事を荒立たせたくないのですが、彼らが一向に捜索に応じず困っているところです」
「分かった」
御剣は近衛兵と検非違使の間に立つと、今にも殴り合いに発展しそうな双方を引き離す。そして、瑛春の後任の巡邏隊長に詰め寄る。
「み、御剣様」
「これはこれは右近衛大将様、検非違使隊舎に何か御用ですかな」
「何があったかは概ね理解している。巡邏隊長、なぜ捜索を拒む」
「長の命令です」
「瑛春はどこにいる?」
「お答えできかねます」
「ここに呼び戻すか、誰かが瑛春に事の次第を説明しろ」
「何故です。右近衛大将様にそのような権限はないはずです」
「お前たちはそれ以前に、皇の勅命を拒んでいる状態だ。事の成り行き次第では、強硬手段に出ることになるぞ」
「脅しはおやめください。我々は一介の役人、右近衛大将様も省権分立、そして階級制度をご存知でしょう。我々の一存では決めることが出来かねます。そもそも、皇様の御勅命であるなら、皇印を捺印した書面があるはずですが⁇」
「だからそれを示しておろうに!」
そばにいた近衛兵の手元には、確かに瑞穂だけが持つ『豊葦原瑞穂皇国皇之印』が押され、瑛春の連行を命じる書面があった。
「その書面がここにあるぞ」
「何のことですか⁇」
"何をとぼけた事を言っているんだ。こいつは…"
巡邏隊長は目の前に提示された書面が、まるで全く見えていないかの様に振る舞う。御剣は仁の方を向くと、彼は静かに頷いた。仁も、同じく国を守る組織同士で対立するのを避けるため、あくまで穏便に事を進めるつもりだった。
その光景を少し後ろから眺めていた仁は、小さくため息を吐く。
「では、仕方がありません。これより」
「騒がしいなぁ、部下を虐めないでくれないか。用があるのは僕なんだろう⁇」
「「「⁉︎」」」
聞き覚えのある声に、その場にいた全員が振り返る。そこには、今回の騒動の中心人物となる皇都守の瑛春と配下の部下。そして、縄で縛り付けられた如何にも荒くれ者の様な風貌の男たち。
仁は馬から降り、瑛春の前へと歩み寄る。
「皇都守殿、今まで何処に?」
「何処って、僕は自分の職務を全うしていただけだよ⁇」
瑛春は捕縛した者たちの罪状について『観光客に対する恐喝罪』だと告げる。ここ最近、皇都内では国外からの観光客に対する喝上げ事案が発生しており、検非違使による取り締まりが強化されていた。
「貴殿に皇様から身柄拘束の御勅命が下りました。抵抗せずに我々と共に来てもらいます」
「罪状は⁇」
「外患誘致及び内乱の予備及び陰謀の疑いです」
「くくく…あははは‼︎」
罪状を聞いた瑛春は、突然腹を抱えて笑いだした。
「何が可笑しいのですか⁇」
「ははは、傑作だ、傑作だよ!いいよ、従ってやる。ほら、何ぼさっとしているんだよ。早く縛りなよ」
「兵、彼を拘束してください」
「は、はっ‼︎」
近衛兵たちが瑛春の両側へと回り込むと、その両手を後ろ手に縛り付ける。その間も、瑛春は何が可笑しいのか、しばらく笑い続ける。その様子を見て、不気味な空気を感じ取ったのは、後ろで成り行きを見ていた御剣だった。
"何を笑っている…、この状況の何が可笑しい?いや、あの顔は違う。あれは、この状況を楽しんでいる…"
「御剣、私は彼を皇宮へと連れて行きます。詳しい話は、後ほど」
「分かった」
御剣は瑛春を連れて皇宮へと戻る仁たちの後ろ姿を見送る。先程まで頑なに門の前から離れなかった検非違使たちが、何事もなかったかのように隊舎へと戻っていく。
「御剣様…」
「八尋、とりあえず事は終いだ。戻って構わないか⁇」
「はい…何だか釈然としませんが…、とにかく、来ていただきありがとうございました」
八尋は頭を下げ、隊舎へと戻っていく。その様子を見て、それまで渦中から離れていた藤香が御剣の側へと歩み寄って来た。
「何だか、気味が悪かった」
「同感だ。瑛春といい、さっきの検非違使共といい、何か薄気味悪さを感じた」
「前から、掴みどころのない奇妙な奴だと思っていたけど。何だか、さっきは狂っていたみたいだった」
「………」
「………」
「一旦、皇宮へ戻ろう」
「うん…」
◇
皇宮 地下牢
緋ノ国時代、この場所はかつてヤズラが自らの意思に従わない者を幽閉し、数々の悲惨な犠牲者を出した曰く付きの施設だった。今は刑部が管理し、皇国法に基づき適切に管理運営されている。
緋ノ国の頃は冤罪を生む拷問、恫喝、そして表に出ない非道が数多くあった。分かっていても、それをどうしようもできなかったあの頃の自分の行いを思い出せば、今、胸を張って正しいことをしている資格があるのかと自問自答してしまう。
皮肉にも、緋ノ国崩壊の折に旧体制派の人間として自分自身がこの牢に入ったことが、考え方を変えるきっかけになった。
「侍大将さんよ、そろそろ本当の事を話してはくれよ⁇」
両手を鎖に縛られ、椅子に座らせている瑛春と、私は鉄格子を挟んで相対する。そんな状況でも、瑛春は眉一つ動かさず私に問いかけてきた。
「全て掴んでいるんだろう⁇」
「何のことでしょうか」
「白々しいなぁ。書物のことだよ」
その言葉を当の本人から聞くとは思っていなかった私は、一瞬動揺しそうになる。しかし、彼に悟られない様にあえて冷静に言葉を返す。
「………まさか、あなた自身の口から、そのような言葉が聞けるとは思っていませんでした」
「今更隠す必要なんてないと思ってね。そっちがどれだけ情報を掴んでいるかは知らないが、確信があったからこうしたんだろう?」
「嘘ですね。貴方は阿礼さんにツタエムシを付けていた。それに、貴方の息が掛かった者も皇宮内には複数いる。こちらが何を知って、何を言いたいのか、本当はご存知なのでしょう⁇」
心理戦、心の読み合い。元々話すことが得意ではない私は、彼の会話の流れに呑まれないように、かつ、こちら側の配分に持って行こうとしていた。
「さぁ、何のことだか」
「とぼけないでいただけますか⁇」
「とぼけてなんていないさ。そもそも、侍大将さんよ。あんたは僕が持っている書物について何を知っているのさ」
私は、蝦夷の長が聖上に告げた事情を聞いていた。彼に全てを教える必要はもちろんないが、情報を聞き出す上でこちらから幾つか情報を開示する必要があった。
「夢幻の狭間、なぜあなたがこの世界について知りたがっているのです⁇」
「単に、興味が湧いたから」
「興味が湧いた、ですか。ですが、それは動機としてあまり成り立ちません」
「そうだろうね。だけど、これ以上何も言うことはないよ」
「そうですか…」
私は檻の側へと歩み寄り、彼の顔を見下ろす。近づいて初めて、彼が一見してこの状況を楽しんでいるように感じた。ここに連行する前の、あの人を小馬鹿にした表情とは違い。
狂気に狂った顔だった。
これまで生きてきて、初めて見る人間の恐ろしい表情だった。
「明日、またここに来ます。それまでに、我々に話すべき事をまとめておいてください」
「くく、ははは」
これ以上何も情報を得られないと判断し、彼の精神が弱るのを待つことにした。檻から離れ、看守に命令する。
「彼の監視を怠らないように。何か異常があれば、すぐに私に伝えてください」
蝦夷の部族を束ねる長、雪界の王アリファとの会談は、その驚愕の一言から始まった。
「正確には、大神様はその生を終えることはない。言うなれば、大神様の存在の根源は信仰、信仰を失った時に初めて大神様はその存在意義を失う」
「存在意義については理解しているつもりよ。でも、境界大封印はその存在自体を異界に封印する呪術。なぜ、貴女が祟神威大神について語れるの?」
「単刀直入に申し上げると、その異界こそが夢幻の狭間であり、境界大封印で封じられる先は、夢幻の狭間であるから。そして、我ら蝦夷の祈祷師はかつて大御神様より夢幻の狭間の観測を命ぜられ、祟神威大神が滅されていない事を確認した」
救国大戦の折、千代、舞香さん、そしてユーリの3人が共に発動させた境界大封印は、その存在を異界に転移させるもの。転移先の異界については、現世、常世、そして根の国のいずれにも当たらない未把握の世界。故に、その異界の存在はもちろん、出入りや認識など出来ないはずであった。
初耳だったのは、私ですら知らない夢幻の狭間の存在を、目の前にいる雪界の王アリファが認識しており、蝦夷の祈祷師がその観測を担っていること。
「我が祖先はかつて、大御神様の御旗の元で共に戦い、神居古潭の初代大宮司に庇護された。祖先は大神様にお仕えする祈祷師、いわゆる巫女の一人であり、大御神様、そして初代斎ノ巫女様から境界大封印について詳しく聞いている。そして、その存在について記された書物の保管を命ぜられた」
「その書物に、夢幻の狭間の全てが記されているということ⁇」
「その通り。しかし、昨今の祟神威大神に係る一連の騒動の最中、我が一族が保管するその書物が何者かに盗み出された」
「盗まれたの⁇」
「何者の仕業かはまだ分からない。書物は複雑な解読方法が要求されるが、書物の内容を読み解くことができれば、夢幻の狭間に出入りする事が可能となる」
現状、書物を盗み出した人物も、その人物が何を考えているのかも分からない。
「書物の管理を命ぜられた一族の末裔として、この事を大御神様自身にお伝えせねばならないと思い、ここに参った次第。管理を怠り、申し訳ない」
「こうなった以上、盗んだ人間がそれを悪用しないことを祈るのみね」
「封印されたのが大御神様と因縁のある祟神威大神。時を同じくして盗まれた書物、時期を考えると、これほど気味の悪い状況はない」
「貴女たち自身が、夢幻の狭間に出入りする術は知らないの?」
私がそう聞くと、アリファは首を横に振る。
「いや、我々はあくまで観測を命ぜられたのみ。夢幻の狭間は人の人智の及ばぬ世界であり、書物を保管することのみが大御神様との盟約であった」
「承知したわ」
夢幻の狭間に関する書物と、それを盗み出した人物の存在、タタリとの戦いを終えて束の間、また懸念事項が増えてしまった。
その後、蝦夷が大神信仰を守り続け、その集大成として現大御神の私の元に集うことを望んでいると聞いた。私や皇国にとって、これを拒む理由などなく、皇国と蝦夷は固い同盟を結ぶこととなった。
◇
アリファとの会談を終えた瑞穂は、政務室でいつもの様に政務に追われていた。
「やっぱり、おかしいかも…」
大御神として覚醒する前に、頻繁に起こっていた頭痛と全く違う、気分が優れない状態が何日も続く。自ら調合した薬を飲んでも、改善する兆しが見えない。
「医師に相談してみようかしら…」
瑞穂がそう呟くと、政務室の扉が軽く叩かれる。
「聖上、仁です。よろしいでしょうか」
「えぇ、入って」
仁は扉を開けると、軽く礼をして瑞穂の正面に座する。
「ご内密のお話がございます」
「件の話⁇」
「はい。阿礼様が瑛春より三冊の書物の解読を依頼された模様です。その書物には、夢幻の狭間への行き方が記されているということ」
「それは本当⁉︎」
「はい」
瑞穂は、先ほどのアリファと会談の内容を仁に説明する。その話が本当であれば、アリファたち蝦夷から書物を盗んだ犯人は瑛春となる。ただ、瑛春がなぜ書物を盗み出したのか、そしてそれを実行に移したのが瑛春自身なのか、現時点では確定する材料が少ない。
「やはり、何か企んでいるのは明白かと」
「そうね。ただ、心刀会もかなり苦戦しているみたい。向こうも警戒しているから、なかなか尻尾を出さないみたいね」
「如何いたしましょう聖上、いっその事、彼を捕縛して本人に問いただしましょうか」
「それは勧められないわ。今までそうした類いの奴らを見てきたけど、真に思っていることは口を割らないのが定石。なるべく、事を荒立てずに真相を探らないと」
「ですが、何か起こってからでは手遅れかと。彼が何を企んでいるか分かりませんが、それが我々の力を大幅に超えるものだと、手が出せなくなります」
「………分かったわ」
瑞穂は巻物を巻き取り、新たに何も書かれていない巻物を手に取ると、そこに何かを書いて印を押す。そして、仁の方を向き直るとその巻物を手渡す。
「汚れ役を任せても構わない⁇」
「この身は聖上に救われた身。お仕えした時から覚悟はできております」
「承知したわ。瑛春を捕縛して真意を問いただしなさい。責任は私が取るわ」
「御心のままに」
仁が政務室を出た後、瑞穂は大きくため息をついた。これがもし間違っているなら、自分は非道な行いを平然と命じた愚皇となり、大御神である資格もなくなる。
「誠であることを祈るのみね…」
卓上に置かれていたお茶をひと啜りし、再び政務に戻った。
◇
新年を祝う催しが開かれる皇都の中心街、御剣と藤香は市井の様子を眺めていた。
子どもは面や玩具を手に笑顔で走り回り、大人は露店で売られている料理を堪能している。皇都外からも多くの人々が訪れ、一段と盛り上がりを見せていた。
「賑やかだな」
「うん」
二人は串団子を頬張りながら、珠那の甘味処から外の様子を見る。そんな二人の様子を、調理台から微笑ましく眺める珠那。御剣と藤香の見回りの休憩は、こうして珠那の甘味処で甘味を堪能するのが日常になっていた。
"藤香ちゃんも、御剣くんたちと再会してから明るくなったわね。良かった良かった"
珠那がまだ葦原村にいた頃は、無感情だった藤香しか知らなかった。それが今では、こうして美味しそうに甘味を食べてくれるのだから、彼女にとって嬉しい他なかった。
「来年は、みんなで落ち着いて新年を迎えたいな。去年は色々とありすぎた」
「そうだね」
二人が最後にお茶を啜っていた時だった。珠那の甘味処に慌てた様子の検非違使の青年が駆け込んでくる。
「み、御剣様⁉︎」
「八尋か、どうしたそんなに慌てて」
青年の名は八尋、御剣が武術の指南をした武人の一人で、いずれ検非違使を率いる程の実力を持つ期待の新人だった。
「お休み中のところ申し訳ございません!僕と一緒に来てくれませんか⁉︎」
「来てくれって、何処に」
「詳しい話は道中に!急いでください!」
「………分かった。珠那さん、ご馳走様でした」
「はい、二人とも気をつけていってらっしゃい」
「ありがとうございます。藤香はどうする?」
「ついていく」
御剣と藤香は人混みをかき分けながら八尋の後を追う。
「八尋、その様子じゃ只事じゃないようだが」
「実は、検非違使本隊の詰所に、侍大将様とその配下の方々が来られていて」
「仁が?でも、何でまた詰所に」
「何でも、皇都守様に用があるとかで。ですが、皇都守様が不在でして、それで中を改めさせろと」
「従えばいいと思うのだが」
「僕もそう思っています。ですが、副隊長たちがそれを頑なに拒み、押し問答になっているんです」
しばらく進むと、塀に囲まれた検非違使隊舎が見えてくる。すでに周囲を仁率いる近衛兵団が取り囲んでおり、門の前で検非違使たちに詰め寄っていた。
「さっさと道を開けぬか!これは皇様直々の御勅命であるぞ‼︎」
「いくら近衛兵団であっても、他部署の捜索を勝手にされては困る!」
「ならば隊長をここへ呼べ!」
「不在です!」
御剣はその様子を馬の上から見ていた仁を見つける。
「御剣殿」
「仁、一体何事なんだ」
「聖上より、皇都守瑛春の捕縛を命じられ、これより捜索を行うところです」
「瑛春の⁇」
「理由は後ほど話します。私とて事を荒立たせたくないのですが、彼らが一向に捜索に応じず困っているところです」
「分かった」
御剣は近衛兵と検非違使の間に立つと、今にも殴り合いに発展しそうな双方を引き離す。そして、瑛春の後任の巡邏隊長に詰め寄る。
「み、御剣様」
「これはこれは右近衛大将様、検非違使隊舎に何か御用ですかな」
「何があったかは概ね理解している。巡邏隊長、なぜ捜索を拒む」
「長の命令です」
「瑛春はどこにいる?」
「お答えできかねます」
「ここに呼び戻すか、誰かが瑛春に事の次第を説明しろ」
「何故です。右近衛大将様にそのような権限はないはずです」
「お前たちはそれ以前に、皇の勅命を拒んでいる状態だ。事の成り行き次第では、強硬手段に出ることになるぞ」
「脅しはおやめください。我々は一介の役人、右近衛大将様も省権分立、そして階級制度をご存知でしょう。我々の一存では決めることが出来かねます。そもそも、皇様の御勅命であるなら、皇印を捺印した書面があるはずですが⁇」
「だからそれを示しておろうに!」
そばにいた近衛兵の手元には、確かに瑞穂だけが持つ『豊葦原瑞穂皇国皇之印』が押され、瑛春の連行を命じる書面があった。
「その書面がここにあるぞ」
「何のことですか⁇」
"何をとぼけた事を言っているんだ。こいつは…"
巡邏隊長は目の前に提示された書面が、まるで全く見えていないかの様に振る舞う。御剣は仁の方を向くと、彼は静かに頷いた。仁も、同じく国を守る組織同士で対立するのを避けるため、あくまで穏便に事を進めるつもりだった。
その光景を少し後ろから眺めていた仁は、小さくため息を吐く。
「では、仕方がありません。これより」
「騒がしいなぁ、部下を虐めないでくれないか。用があるのは僕なんだろう⁇」
「「「⁉︎」」」
聞き覚えのある声に、その場にいた全員が振り返る。そこには、今回の騒動の中心人物となる皇都守の瑛春と配下の部下。そして、縄で縛り付けられた如何にも荒くれ者の様な風貌の男たち。
仁は馬から降り、瑛春の前へと歩み寄る。
「皇都守殿、今まで何処に?」
「何処って、僕は自分の職務を全うしていただけだよ⁇」
瑛春は捕縛した者たちの罪状について『観光客に対する恐喝罪』だと告げる。ここ最近、皇都内では国外からの観光客に対する喝上げ事案が発生しており、検非違使による取り締まりが強化されていた。
「貴殿に皇様から身柄拘束の御勅命が下りました。抵抗せずに我々と共に来てもらいます」
「罪状は⁇」
「外患誘致及び内乱の予備及び陰謀の疑いです」
「くくく…あははは‼︎」
罪状を聞いた瑛春は、突然腹を抱えて笑いだした。
「何が可笑しいのですか⁇」
「ははは、傑作だ、傑作だよ!いいよ、従ってやる。ほら、何ぼさっとしているんだよ。早く縛りなよ」
「兵、彼を拘束してください」
「は、はっ‼︎」
近衛兵たちが瑛春の両側へと回り込むと、その両手を後ろ手に縛り付ける。その間も、瑛春は何が可笑しいのか、しばらく笑い続ける。その様子を見て、不気味な空気を感じ取ったのは、後ろで成り行きを見ていた御剣だった。
"何を笑っている…、この状況の何が可笑しい?いや、あの顔は違う。あれは、この状況を楽しんでいる…"
「御剣、私は彼を皇宮へと連れて行きます。詳しい話は、後ほど」
「分かった」
御剣は瑛春を連れて皇宮へと戻る仁たちの後ろ姿を見送る。先程まで頑なに門の前から離れなかった検非違使たちが、何事もなかったかのように隊舎へと戻っていく。
「御剣様…」
「八尋、とりあえず事は終いだ。戻って構わないか⁇」
「はい…何だか釈然としませんが…、とにかく、来ていただきありがとうございました」
八尋は頭を下げ、隊舎へと戻っていく。その様子を見て、それまで渦中から離れていた藤香が御剣の側へと歩み寄って来た。
「何だか、気味が悪かった」
「同感だ。瑛春といい、さっきの検非違使共といい、何か薄気味悪さを感じた」
「前から、掴みどころのない奇妙な奴だと思っていたけど。何だか、さっきは狂っていたみたいだった」
「………」
「………」
「一旦、皇宮へ戻ろう」
「うん…」
◇
皇宮 地下牢
緋ノ国時代、この場所はかつてヤズラが自らの意思に従わない者を幽閉し、数々の悲惨な犠牲者を出した曰く付きの施設だった。今は刑部が管理し、皇国法に基づき適切に管理運営されている。
緋ノ国の頃は冤罪を生む拷問、恫喝、そして表に出ない非道が数多くあった。分かっていても、それをどうしようもできなかったあの頃の自分の行いを思い出せば、今、胸を張って正しいことをしている資格があるのかと自問自答してしまう。
皮肉にも、緋ノ国崩壊の折に旧体制派の人間として自分自身がこの牢に入ったことが、考え方を変えるきっかけになった。
「侍大将さんよ、そろそろ本当の事を話してはくれよ⁇」
両手を鎖に縛られ、椅子に座らせている瑛春と、私は鉄格子を挟んで相対する。そんな状況でも、瑛春は眉一つ動かさず私に問いかけてきた。
「全て掴んでいるんだろう⁇」
「何のことでしょうか」
「白々しいなぁ。書物のことだよ」
その言葉を当の本人から聞くとは思っていなかった私は、一瞬動揺しそうになる。しかし、彼に悟られない様にあえて冷静に言葉を返す。
「………まさか、あなた自身の口から、そのような言葉が聞けるとは思っていませんでした」
「今更隠す必要なんてないと思ってね。そっちがどれだけ情報を掴んでいるかは知らないが、確信があったからこうしたんだろう?」
「嘘ですね。貴方は阿礼さんにツタエムシを付けていた。それに、貴方の息が掛かった者も皇宮内には複数いる。こちらが何を知って、何を言いたいのか、本当はご存知なのでしょう⁇」
心理戦、心の読み合い。元々話すことが得意ではない私は、彼の会話の流れに呑まれないように、かつ、こちら側の配分に持って行こうとしていた。
「さぁ、何のことだか」
「とぼけないでいただけますか⁇」
「とぼけてなんていないさ。そもそも、侍大将さんよ。あんたは僕が持っている書物について何を知っているのさ」
私は、蝦夷の長が聖上に告げた事情を聞いていた。彼に全てを教える必要はもちろんないが、情報を聞き出す上でこちらから幾つか情報を開示する必要があった。
「夢幻の狭間、なぜあなたがこの世界について知りたがっているのです⁇」
「単に、興味が湧いたから」
「興味が湧いた、ですか。ですが、それは動機としてあまり成り立ちません」
「そうだろうね。だけど、これ以上何も言うことはないよ」
「そうですか…」
私は檻の側へと歩み寄り、彼の顔を見下ろす。近づいて初めて、彼が一見してこの状況を楽しんでいるように感じた。ここに連行する前の、あの人を小馬鹿にした表情とは違い。
狂気に狂った顔だった。
これまで生きてきて、初めて見る人間の恐ろしい表情だった。
「明日、またここに来ます。それまでに、我々に話すべき事をまとめておいてください」
「くく、ははは」
これ以上何も情報を得られないと判断し、彼の精神が弱るのを待つことにした。檻から離れ、看守に命令する。
「彼の監視を怠らないように。何か異常があれば、すぐに私に伝えてください」
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