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統一編
第72話 禍霊仙命
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ウルイたち迦国軍の追撃を中断した瑞穂たちは、一同進路を北東に取り、胡ノ国へと向かうことにした。瑞穂がこの選択肢を選んだにも理由があった。
同行する大和の皇女たるカヤが、帝、そして七星将の1人であるムネモリと密かに進めていた計画を遂行するためである。
その計画を遂行するためには、ムネモリがいる胡ノ国へと向かう必要があったのだ。
「カヤ様、ご無事で何よりで御座います」
「心配かけたな、ムネモリ。無事に辿り着けたのも瑞穂殿たちのおかげじゃ」
一同を出迎えたのは、大和七星将の1人であるムネモリと、輝夜、そして烈丕という錚々たる面々であった。
「シオン、コチョウ、そしてゴウマ。よくぞカヤ様を守り通してくれた。礼を言う」
「お師匠様、もったいなきお言葉ですわ」
輝夜が瑞穂の元へと歩み寄る。その険しい表情は、事の深刻さを物語っている。
「瑞穂、長旅で疲れていると思うけど、ムネモリからここにいる全員に話があるの。来てくれるかしら」
「分かったわ」
輝夜に案内された一同は、水蓮園の大広間へと座する。重い空気に包まれた場で、最初に話を切り出したのは、ムネモリだった。
「さて、世は大混乱の最中である事は皆承知していると思う。北の神居古潭では大宮寺アムルが、そして大和は帝の安否が不明となっている。この神州は今、かつての歴史を繰り返そうとしている」
「お師匠様、それは一体どういうことですの?」
「単刀直入に、今、この世が直面している状況を説明する。かつて、人、大神、そして妖が入り乱れ、この地が荒廃した大戦、禍ツ大和大戦の再来じゃ」
「なっ⁉︎」
「そ、そんな、そんな事が本当に起こるとでも言うのですか?」
「うむ。そろそろ、帝京に始まりの狼煙が上がる事じゃろう」
ムネモリは、ことの次第をゆっくりと話し始めた。
大和の一部では、過去の大戦によって大御神側に対する憎悪の念を持つ者たちがいる。彼らは、大御神である瑞穂が帝たる、皇国との友好を望む帝を排除し、かつて初代帝が成せなかった新秩序の構築を目論んでいる。
その計画を進めていた筆頭が、七星将のレイセンだという。
「そして、瑞穂帝よ。お気付きかと思われるが、今、この戦に大きく関わっている勢力がいることは承知でありましょうか」
「えぇ、タタリとそれに付き従う連中のことね」
ムネモリは、瑞穂の言葉にゆっくりと頷く。
「左様で。これは、あくまでこのムネモリの考えなのですが、レイセンはタタリと繋がりがあると考えておりまする」
「何故そう思うの?」
「今起こっている全てが、あの時と同じ…と言うことじゃな」
そう呟いたのは、シラヌイだった。その言葉に続き、シラヌイが過去に経験した禍ツ大和大戦の成り行きを説明する。
大和の初代帝である卑弥呼は、自らが利用されていることに気づき、大御神との戦を回避しようとした。しかし、その目論見を打ち破る事ができず、卑弥呼は大和大神の手によって亡き者にされ、壱与と呼ばれる卑弥呼の実の妹が卑弥呼の代わりとなった。
そして、時を同じくして各国で皇や土地の有力者が姿を消し、人々の心が澱み、妖が他の人々を襲い始めた。
まさに今、大和と神居古潭、そして各地で起こっている状況と酷似している。
「そして今では再び大国へと復興を果たした大和は当時荒廃し、そこに住まう人々は妖となり、妖はタタリの軍勢となった。タタリの軍勢は神州を蹂躙せんと、大和大神を抱き込み、そして根の国の黒国主を利用した」
「シラヌイ殿、少しよろしいか」
「どうした御剣?」
「俺は今、恐ろしい事態に気がついた。その話が誠なのであれば、今、帝京の60万の大和臣民たちは…」
「まさか…」
◇
帝京の中心に位置する聖廟、その聖廟の地下へ続く階段を、着物姿の1人の幼女が降りていた。
そう、レイセンであった。レイセンは階段を降りると、2人の黒装束が立つ扉へと近づく。
"時は満ち足りた。ついに妾の宿願を果たす時が来た様じゃのう"
「容体は如何じゃ?」
「すでに虫の息です。あと半刻も保たぬかと」
「ふむ、明日香、おるか」
「ここに」
暗闇の中から、外套に身を包んだ明日香が姿を現す。
「準備は出来ておるな?」
「抜かりなく」
「では、始めるとしよう」
2人が部屋の中に入ると、そこには鎖に繋がれた大和の帝であるミノウと、不気味に脈打つ巨大な内の臓が吊るされていた。
アムルを失い、守るべき者がいなくなった神居古潭から運び込まれた、災厄の象徴、タタリの心の臓であった。
神居古潭の動乱は、タタリの心の臓を守護する神居古潭の神威子たちを欺き、ここ帝京に運び込むための策略であったのだ。
そして、それらを中心に、部屋には複雑で大きな術式が描かれ、黒装束たちが囲む様に立っていた。
「ミノウよ、まだ生きておるな⁇」
「………」
「答える気力も残っておらぬか。まぁよい」
「レイ…セン」
レイセンの存在に気がついたミノウは、目を見開き、レイセンの名を呼ぶ。
「主は…一体何が…したいのじゃ…」
「愚問であるの、ミノウよ。主はすでに知っておるであろう。これから起こる変革を、世にもたらされる新たな秩序を」
「変革…じゃと。これを…、タタリの心の臓をこの場まで持って…きて…何を…望む?」
ミノウの視線は自らの頭上に吊るされた内の臓に向けられる。
「復活の儀じゃよ。主も聞いたことがあるじゃろう。タタリは、人という殻を得て初めて現界することができる。その依代に、初代帝の血を引く主の体を利用させてもらうのじゃ」
「なん…じゃと…」
「安心すると良い、主は痛みも何も感じる事はない。儀式が終われば、主の体からは主の魂が抜け、タタリがその体を使うこととなる。それには、抜け殻となりうる者が死の淵を目の前にしなければならないのじゃ」
「………主は、主は何者…」
レイセンはその言葉を聞くと、ミノウの眼前へと歩み寄る。そして、ミノウの痩せこけた頬を舌で舐める。
「妾は、主が任じた、七星将のレイセンであるぞ?」
レイセンは呪術で生み出した黒く輝く光の刀を、ミノウの腹へと突き刺す。突き刺さったミノウの傷口から血が溢れ、その血は術式に沿う様に流れる。
「ぐぅ…がぁ‼︎」
「始めよ」
「御意に」
明日香が祝詞を唱え始める。その祝詞は呪術に使われるものではなく、聞き取ることのできない神威言葉によるものであった。
呼応するかの様に、周囲の黒装束たちも祝詞を唱え始めると、術式が赤黒く、鈍く輝き始めた。そして、苦しみに耐えるミノウは、臓から流れ出した血の中に取り込まれる。
やがて、ミノウを取り込んだ血は人の形へと変貌し、そして体を形成する。そこに現れたのは、ミノウではなく、若く、そして銀髪の青年であった。
「久方ぶりじゃの、タタリ」
「………」
タタリと呼ばれた青年は、身体が自由に動くことを確認すると、レイセンを見据える。
「禍霊仙命か」
「妾の名をまだ覚えておったか」
「無論だ」
青年は、血溜まりの中を歩き、そして不意に立ち止まる。そして、その血溜まりの中に手を入れると、血がタタリの腕から全身へと纏わり付き、鎧を付した黒い装束へと変貌させる。
「人の体に入るのは、久しいな」
その瞬間、周囲にいた者たちは平伏し、首を垂れる。
「贄はすでに用意しておる。好きに使うとよい。神滅刀も、もうじき主の手元へと戻ってくるじゃろう」
「あぁ」
タタリは部屋を出ると、レイセン、そして明日香と共に聖廟の天守へと登る。そして、タタリが右手を天に掲げると、天に昇る月が赤く染まり、その表面に術式を展開する。
「祟乃神威大転変」
◇
「ねぇ、お母さん。月が赤いよ?」
「えっ…う、うぅ…」
「お母さん?」
「うぎゃぁぁああ‼︎」
阿鼻叫喚、人々の苦しみと嘆き、救いを求める声が入り混じり、混沌を極める。
「アガッ、ガ、ガガッ‼︎」
「グガッァァ‼︎」
帝京に取り残された人々が、次々と妖へと変貌していく。人の形を破り、異形へと変貌する者。隣にいた者を取り込む者。先ほどまで共に過ごしていた家族、恋人、子ども、兵士、帝京に残っている者は誰であっても、その悲劇から逃れる事は出来なかった。
「ガガガッ‼︎」
「お父さんっ‼︎お父さん‼︎」
「逃げッ、ナ、ザイ」
両親が妖へと変貌し、それを目の当たりにした子どもが家を飛び出す。しかし、外はすでに行き交う人それぞれが妖へと変貌し、まだ人であった子どもは妖たちの餌食となる。
「イヤダァ‼︎」
「ギャァ‼︎」
妖に変貌した者が、まだ人である者たちを襲う。血肉を食い、骸が辺りへと散らばる。あれほど栄華を誇っていた帝京は、瞬く間に血の海に飲まれていた。
城内も同じく、兵士たちが次々と妖へと変貌していた。その様子は、ハクメイのいる天守からよく見えた。
「な、何事ですか…これは」
「は、ハクメイ様‼︎」
「一体何が、城下で何が起こっているのです」
「城下の者たちが、次々と妖へと変貌しております‼︎この城の兵たちも、妖と化した者に襲われております‼︎」
政務室で報告を聞いたハクメイは呆然と立ち尽くす。突然の、それも想定外すぎる事態に、長らく朝廷軍総大将として知略を振るってきた彼ですら、状況を飲み込むのに時が掛かった。
「ここは危険です‼︎早くお逃げ…」
「どうしましたか」
「逃げ…に…グガガ‼︎」
報告に来た兵士が突然両膝を突き、頭を抱えて前のめりに倒れる。そして、背が割れ、そこから青白い触手が現れ、やがて兵士の皮膚はその触手と同じ色へと変貌する。
成れの果てであった。
成れの果てはハクメイに向けて歩き出すと、その触手で彼を捕らえようとする。
「くっ‼︎」
間一髪、刀で触手を塞いだ彼であったが、唐突に心臓が大きく動いたことに違和感を覚えた。
"な、うぐっ、苦しい…"
何とか追撃を躱そうとするハクメイであったが、彼自身も心の臓にタタリの呪力を受けていた。
「う、うぐぁぁあ‼︎」
◇
「ウルイ様、何やら城壁の向こうが騒がしいようですが…」
帝京の城壁を監視するオルルカンがそう言う。
「始まってしもうたか。兵に告げよ、今は城壁に近づくなとな。巻き込まれるぞ」
「は、はぁ。一体何が…」
「転変じゃよ」
帝京を見渡すことのできる丘に仁を構えたウルイは、状況を飲み込めないオルルカンにそう言う。
「古の呪術といえば早いかの。かつて、この地を平伏せんとしたタタリは、人を妖に変えることで自らの軍団を作り上げた」
「妖に、でございますか?」
「タタリは、妖の始祖として知られているが、実のところは大神が闇に堕ちた存在じゃ。大神の力を持つタタリは、その有り余る呪力を用いて、呪力の膜を作り、そこに閉じ込めた人を妖に変えた」
「それは、つまり…」
オルルカンは、この時自分の人生で二度目の悪寒を感じた。それは、今城壁の向こう側で起こっている事態を想像したからだ。
「帝京に残る大和人ざっと60万。くかか、阿呆みたいな数の妖の軍勢が誕生じゃな。さて…」
ウルイは椅子から立ち上がると、そばに立て掛けられていた薙刀を手にし、馬へとまたがる。
「一国の終焉に立ち会おうではないか」
この日、大和の国都たる帝京は災厄に見舞われた。帝京に残された兵、民合わせて60万の臣民たちは、タタリの引き起こした呪術によって1人残らず妖と化した。
同行する大和の皇女たるカヤが、帝、そして七星将の1人であるムネモリと密かに進めていた計画を遂行するためである。
その計画を遂行するためには、ムネモリがいる胡ノ国へと向かう必要があったのだ。
「カヤ様、ご無事で何よりで御座います」
「心配かけたな、ムネモリ。無事に辿り着けたのも瑞穂殿たちのおかげじゃ」
一同を出迎えたのは、大和七星将の1人であるムネモリと、輝夜、そして烈丕という錚々たる面々であった。
「シオン、コチョウ、そしてゴウマ。よくぞカヤ様を守り通してくれた。礼を言う」
「お師匠様、もったいなきお言葉ですわ」
輝夜が瑞穂の元へと歩み寄る。その険しい表情は、事の深刻さを物語っている。
「瑞穂、長旅で疲れていると思うけど、ムネモリからここにいる全員に話があるの。来てくれるかしら」
「分かったわ」
輝夜に案内された一同は、水蓮園の大広間へと座する。重い空気に包まれた場で、最初に話を切り出したのは、ムネモリだった。
「さて、世は大混乱の最中である事は皆承知していると思う。北の神居古潭では大宮寺アムルが、そして大和は帝の安否が不明となっている。この神州は今、かつての歴史を繰り返そうとしている」
「お師匠様、それは一体どういうことですの?」
「単刀直入に、今、この世が直面している状況を説明する。かつて、人、大神、そして妖が入り乱れ、この地が荒廃した大戦、禍ツ大和大戦の再来じゃ」
「なっ⁉︎」
「そ、そんな、そんな事が本当に起こるとでも言うのですか?」
「うむ。そろそろ、帝京に始まりの狼煙が上がる事じゃろう」
ムネモリは、ことの次第をゆっくりと話し始めた。
大和の一部では、過去の大戦によって大御神側に対する憎悪の念を持つ者たちがいる。彼らは、大御神である瑞穂が帝たる、皇国との友好を望む帝を排除し、かつて初代帝が成せなかった新秩序の構築を目論んでいる。
その計画を進めていた筆頭が、七星将のレイセンだという。
「そして、瑞穂帝よ。お気付きかと思われるが、今、この戦に大きく関わっている勢力がいることは承知でありましょうか」
「えぇ、タタリとそれに付き従う連中のことね」
ムネモリは、瑞穂の言葉にゆっくりと頷く。
「左様で。これは、あくまでこのムネモリの考えなのですが、レイセンはタタリと繋がりがあると考えておりまする」
「何故そう思うの?」
「今起こっている全てが、あの時と同じ…と言うことじゃな」
そう呟いたのは、シラヌイだった。その言葉に続き、シラヌイが過去に経験した禍ツ大和大戦の成り行きを説明する。
大和の初代帝である卑弥呼は、自らが利用されていることに気づき、大御神との戦を回避しようとした。しかし、その目論見を打ち破る事ができず、卑弥呼は大和大神の手によって亡き者にされ、壱与と呼ばれる卑弥呼の実の妹が卑弥呼の代わりとなった。
そして、時を同じくして各国で皇や土地の有力者が姿を消し、人々の心が澱み、妖が他の人々を襲い始めた。
まさに今、大和と神居古潭、そして各地で起こっている状況と酷似している。
「そして今では再び大国へと復興を果たした大和は当時荒廃し、そこに住まう人々は妖となり、妖はタタリの軍勢となった。タタリの軍勢は神州を蹂躙せんと、大和大神を抱き込み、そして根の国の黒国主を利用した」
「シラヌイ殿、少しよろしいか」
「どうした御剣?」
「俺は今、恐ろしい事態に気がついた。その話が誠なのであれば、今、帝京の60万の大和臣民たちは…」
「まさか…」
◇
帝京の中心に位置する聖廟、その聖廟の地下へ続く階段を、着物姿の1人の幼女が降りていた。
そう、レイセンであった。レイセンは階段を降りると、2人の黒装束が立つ扉へと近づく。
"時は満ち足りた。ついに妾の宿願を果たす時が来た様じゃのう"
「容体は如何じゃ?」
「すでに虫の息です。あと半刻も保たぬかと」
「ふむ、明日香、おるか」
「ここに」
暗闇の中から、外套に身を包んだ明日香が姿を現す。
「準備は出来ておるな?」
「抜かりなく」
「では、始めるとしよう」
2人が部屋の中に入ると、そこには鎖に繋がれた大和の帝であるミノウと、不気味に脈打つ巨大な内の臓が吊るされていた。
アムルを失い、守るべき者がいなくなった神居古潭から運び込まれた、災厄の象徴、タタリの心の臓であった。
神居古潭の動乱は、タタリの心の臓を守護する神居古潭の神威子たちを欺き、ここ帝京に運び込むための策略であったのだ。
そして、それらを中心に、部屋には複雑で大きな術式が描かれ、黒装束たちが囲む様に立っていた。
「ミノウよ、まだ生きておるな⁇」
「………」
「答える気力も残っておらぬか。まぁよい」
「レイ…セン」
レイセンの存在に気がついたミノウは、目を見開き、レイセンの名を呼ぶ。
「主は…一体何が…したいのじゃ…」
「愚問であるの、ミノウよ。主はすでに知っておるであろう。これから起こる変革を、世にもたらされる新たな秩序を」
「変革…じゃと。これを…、タタリの心の臓をこの場まで持って…きて…何を…望む?」
ミノウの視線は自らの頭上に吊るされた内の臓に向けられる。
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「なん…じゃと…」
「安心すると良い、主は痛みも何も感じる事はない。儀式が終われば、主の体からは主の魂が抜け、タタリがその体を使うこととなる。それには、抜け殻となりうる者が死の淵を目の前にしなければならないのじゃ」
「………主は、主は何者…」
レイセンはその言葉を聞くと、ミノウの眼前へと歩み寄る。そして、ミノウの痩せこけた頬を舌で舐める。
「妾は、主が任じた、七星将のレイセンであるぞ?」
レイセンは呪術で生み出した黒く輝く光の刀を、ミノウの腹へと突き刺す。突き刺さったミノウの傷口から血が溢れ、その血は術式に沿う様に流れる。
「ぐぅ…がぁ‼︎」
「始めよ」
「御意に」
明日香が祝詞を唱え始める。その祝詞は呪術に使われるものではなく、聞き取ることのできない神威言葉によるものであった。
呼応するかの様に、周囲の黒装束たちも祝詞を唱え始めると、術式が赤黒く、鈍く輝き始めた。そして、苦しみに耐えるミノウは、臓から流れ出した血の中に取り込まれる。
やがて、ミノウを取り込んだ血は人の形へと変貌し、そして体を形成する。そこに現れたのは、ミノウではなく、若く、そして銀髪の青年であった。
「久方ぶりじゃの、タタリ」
「………」
タタリと呼ばれた青年は、身体が自由に動くことを確認すると、レイセンを見据える。
「禍霊仙命か」
「妾の名をまだ覚えておったか」
「無論だ」
青年は、血溜まりの中を歩き、そして不意に立ち止まる。そして、その血溜まりの中に手を入れると、血がタタリの腕から全身へと纏わり付き、鎧を付した黒い装束へと変貌させる。
「人の体に入るのは、久しいな」
その瞬間、周囲にいた者たちは平伏し、首を垂れる。
「贄はすでに用意しておる。好きに使うとよい。神滅刀も、もうじき主の手元へと戻ってくるじゃろう」
「あぁ」
タタリは部屋を出ると、レイセン、そして明日香と共に聖廟の天守へと登る。そして、タタリが右手を天に掲げると、天に昇る月が赤く染まり、その表面に術式を展開する。
「祟乃神威大転変」
◇
「ねぇ、お母さん。月が赤いよ?」
「えっ…う、うぅ…」
「お母さん?」
「うぎゃぁぁああ‼︎」
阿鼻叫喚、人々の苦しみと嘆き、救いを求める声が入り混じり、混沌を極める。
「アガッ、ガ、ガガッ‼︎」
「グガッァァ‼︎」
帝京に取り残された人々が、次々と妖へと変貌していく。人の形を破り、異形へと変貌する者。隣にいた者を取り込む者。先ほどまで共に過ごしていた家族、恋人、子ども、兵士、帝京に残っている者は誰であっても、その悲劇から逃れる事は出来なかった。
「ガガガッ‼︎」
「お父さんっ‼︎お父さん‼︎」
「逃げッ、ナ、ザイ」
両親が妖へと変貌し、それを目の当たりにした子どもが家を飛び出す。しかし、外はすでに行き交う人それぞれが妖へと変貌し、まだ人であった子どもは妖たちの餌食となる。
「イヤダァ‼︎」
「ギャァ‼︎」
妖に変貌した者が、まだ人である者たちを襲う。血肉を食い、骸が辺りへと散らばる。あれほど栄華を誇っていた帝京は、瞬く間に血の海に飲まれていた。
城内も同じく、兵士たちが次々と妖へと変貌していた。その様子は、ハクメイのいる天守からよく見えた。
「な、何事ですか…これは」
「は、ハクメイ様‼︎」
「一体何が、城下で何が起こっているのです」
「城下の者たちが、次々と妖へと変貌しております‼︎この城の兵たちも、妖と化した者に襲われております‼︎」
政務室で報告を聞いたハクメイは呆然と立ち尽くす。突然の、それも想定外すぎる事態に、長らく朝廷軍総大将として知略を振るってきた彼ですら、状況を飲み込むのに時が掛かった。
「ここは危険です‼︎早くお逃げ…」
「どうしましたか」
「逃げ…に…グガガ‼︎」
報告に来た兵士が突然両膝を突き、頭を抱えて前のめりに倒れる。そして、背が割れ、そこから青白い触手が現れ、やがて兵士の皮膚はその触手と同じ色へと変貌する。
成れの果てであった。
成れの果てはハクメイに向けて歩き出すと、その触手で彼を捕らえようとする。
「くっ‼︎」
間一髪、刀で触手を塞いだ彼であったが、唐突に心臓が大きく動いたことに違和感を覚えた。
"な、うぐっ、苦しい…"
何とか追撃を躱そうとするハクメイであったが、彼自身も心の臓にタタリの呪力を受けていた。
「う、うぐぁぁあ‼︎」
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「ウルイ様、何やら城壁の向こうが騒がしいようですが…」
帝京の城壁を監視するオルルカンがそう言う。
「始まってしもうたか。兵に告げよ、今は城壁に近づくなとな。巻き込まれるぞ」
「は、はぁ。一体何が…」
「転変じゃよ」
帝京を見渡すことのできる丘に仁を構えたウルイは、状況を飲み込めないオルルカンにそう言う。
「古の呪術といえば早いかの。かつて、この地を平伏せんとしたタタリは、人を妖に変えることで自らの軍団を作り上げた」
「妖に、でございますか?」
「タタリは、妖の始祖として知られているが、実のところは大神が闇に堕ちた存在じゃ。大神の力を持つタタリは、その有り余る呪力を用いて、呪力の膜を作り、そこに閉じ込めた人を妖に変えた」
「それは、つまり…」
オルルカンは、この時自分の人生で二度目の悪寒を感じた。それは、今城壁の向こう側で起こっている事態を想像したからだ。
「帝京に残る大和人ざっと60万。くかか、阿呆みたいな数の妖の軍勢が誕生じゃな。さて…」
ウルイは椅子から立ち上がると、そばに立て掛けられていた薙刀を手にし、馬へとまたがる。
「一国の終焉に立ち会おうではないか」
この日、大和の国都たる帝京は災厄に見舞われた。帝京に残された兵、民合わせて60万の臣民たちは、タタリの引き起こした呪術によって1人残らず妖と化した。
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