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決戦編
第67話 信じるか否か
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移動を開始してからしばらく、瑞穂達は山の中を進んでいた。
全員の足取りは重い。ここまで休みなく歩き続けてきたせいか、特に千代の顔に疲労が見える。
「千代、大丈夫か?」
「は…はい」
急な山道のため馬に乗せるのは危険と判断した御剣は、千代を背中に背負い、そのまま山を登り続ける。
背中に背負われた千代は、申し訳なさそうに口を開く。
「すみません…重くはありませんか?」
「謝るのはこっちの方だ」
「どうしてですか?」
「ここにくる前の千代の呪術、常人なら昏倒してもおかしくない技だったんだろう?もう少し早く気付いておくべきだった」
その言葉を聞いた千代は、羽織りを掴む力を無意識に強める。すると、そのはずみで御剣の羽織りの襟が下がり、頸が見える。
そこには、千代が随分と前に御剣に送った手作りの御守りが下げられていた。
「御守り、付けていてくれたのですね」
「あぁ、片時も手放したことはない」
すると、千代は小さく祝詞を呟くと、術式を御剣の御守りへと指で書き込む。
「ふふ、本当にずっと付けてくれてたのですね。あれほど込めていた呪力も、もう僅かになっておりました」
「そうなのか?」
「左様です。そこで、私がもう一度御清めしておきました。ですが…」
「どうした?」
「どうか、ご無理はなさらないように。御剣様は、すぐに無理をするから…」
そう言って、千代は御剣の頸に頬を寄せる。そんな千代の頭を、御剣は右手でゆっくりと撫でる。
「ふふ、くすぐったいです」
それからしばらくして、一同はほぼ同時にあることに気がつく。
「生き物の気配がしないな」
「静かすぎるぇ」
「気をつけて進みましょう」
「御剣様…」
「ん?」
「とても不気味な呪力を感じます。それも、一つだけでなく幾つか。くれぐれも御用心ください」
千代がそう呟いた瞬間、その場の空気が一変する。
◇
その頃、胡ノ国国都の水蓮園。
輝夜のいる水蓮亭へ、大和の重鎮として名のある者が尋ねてきていた。
「やはり、胡ノ国はいつ訪れても良い国じゃ。緑と水が、絶妙に絡み合い、そこに住まう人も妙に協調している」
「ふふ、相も変わらずね、ムネモリ」
池の上に建てられた御殿の中、美しい衣装に身を包んだ輝夜の視線の先には、大和の七星将が一人、鎮守のムネモリであった。
彼がなぜ胡ノ国にいるのかというと、過去に宇都見国と敵対していた胡ノ国は、密かに大和から援助を受けており、その一環としてムネモリを初めとする将たちが、胡ノ国軍に対して教育を図るなどしていた。
輝夜の侍女である日和も、ムネモリから剣術の修行を受けた一人である。故に、輝夜自身もムネモリとは交友があった。
「この世は、大きく変わりよる…」
「世が変わる?」
ムネモリは目の前に置かれた卓上から、湯呑みを手に取り温かい茶を啜る。
「緋ノ国、そして宇都見国が国として終わりを告げ、豊葦原瑞穂皇国が生まれた。ましてやその国の皇は、かつて大和大神や大和と大戦で争い、この地を平定した大御神の生まれ変わり。儂が生きている間に、これほどの事が起こるとは思っておらんかったよ」
「確かに、過去の禍ツ大和大戦から長い歴史の中で、これほどの事象はないでしょう。でも、それだけでは世が変わるとは言い切れないのではないかしら?」
「歴史は繰り返す、そう言っておこうか」
そうムネモリが呟くと、彼の傍に控えていた従者の一人が耳打ちをする。
その言葉を聞いたムネモリは、辛辣な表情を浮かべる。
「どうやら、儂の悪い予感が当たったようだ。ここまで早く行動を起こすとは思わんだったが…」
持っていた湯呑みを静かに置く。
「大和の帝ミノウが崩御し、皇女不在を理由に七星将を主とする新政権が樹立されたようだ」
その言葉を聞いた瞬間、輝夜の表情が一気に変わる。
「詳細は今は分からぬ。にわかに信じられんが、情報源は儂の息が掛かっとる者からじゃ。信じても良いだろう」
「そんな、まさかそんな事が…あり得ないわ」
「筆頭はレイセンと言ったところか、あの女狐が…。カゲロウは予想していたが、まさかハクメイまで裏切るとはのぅ」
「ハクメイ…大和軍総司令が…」
「ムネモリ、あなたはこれからどうするつもりかしら?国に戻るつもり?」
「聞くところによれば、帝の体内は毒物らしきものが見つかっていると聞いておる。とすれば、何者かが意図を持って毒を流したとも考えられる。生憎、儂は帝に毒を盛って、あろう事か亡き者にした者たちと連むような気はない」
「ほほほ、だから主はここへ来たのじゃな。ムネモリよ」
そう言って御殿に入ってきたのは、胡ノ国の大臣である永訣であった。
「久しいのぅ、永訣」
「主も変わってないようで何よりじゃ。それにしても、主の不在を狙って事を起こすとは、連中、余程緻密に計画を練っておったのじゃろうな」
永訣はゆっくりと床へと座ると、ある事を口にする。実は、永訣は数カ月の間、神居古潭へと赴いていた。
「姫様、神居古潭から戻って来ましたが、あちらも手遅れでございました」
「手遅れってどういう事かしら?」
「大宮司であるアムルが姿を消し、国の、それも信徒同士が殺し合いを始め、その様はまさに地獄絵図の有様…」
「い、一体なぜそんな事が…」
傍に座っていた日和が信じられないと口にする。
「姫様、皇国皇が口にしていたある者たちのこと、覚えておいでですか?」
「タタリと、それを信仰する妖や人の存在かしら?」
かくは、かつて宇都見国との戦に勝利した戦勝の宴の席で、その話を聞いていた。にわかには信じられなかったが、これまでの戦で起こった不可思議な現象を鑑みると、彼らの存在を信じざるを得ない。
「タタリ、こやつはかつて禍ツ大和大戦で自らを封じた大御神を、この上なく怨んでおる。2つの大国が消滅し、そして残った大国が争い合っている今、奴らが動き出すには格好の刻なのだろう」
「大和には、その兆候があったと言うの?」
「元々、大和は大御神に敗れた国。先祖の仇として大御神を見ている者たちからすれば、大御神を自称する皇国皇と良好な関係を築こうとしたミノウを、間違っても良くは思わぬだろう」
「元の数が少ないなら、手薄な時に首領を消し、国ごと乗っ取ろうとしているって事かしら?」
「恐らくは…」
それは、彼ら彼女たちにとって人外の者たちが、この世を、そして大御神を滅ぼさんと明確に動き出したという事実であった。
これには、妖を前にしても怯むことのない咲夜であっても、思わず身震いしてしまう。
これが、ムネモリが最初に口にしたこの世が大きく変わるという意味だろうと、輝夜は思った。
「ムネモリ、話が逸れたけど、あなたがここに来た本命を教えてくれるかしら?」
「儂がここに来たのは、ミノウの頼みじゃ。皇女カヤ様を筆頭に、正統政権を樹立することが目的じゃ」
「正統政権?」
「大和は、初代帝様の血を引く一族あっての大和。それ以外の者には到底扱いきれぬ。であるから、儂らの手で大和を奪還する。もちろん、それまで胡ノ国、斎国、皇国に力を貸す所存じゃ」
◇
私たちが山を登っていると、突然、周囲の雰囲気が変わる。
「いっ⁉︎」
忘れかけていた痛みが私を襲う。腰袋から痛み止めの丸薬を一つ取り出し、筒の水と一緒に流し込む。
「瑞穂、大丈夫?」
「えぇ、大丈夫…」
隣を歩いていた藤香が心配してくれる。すると、何処からともなく、誰かの歌声が聞こえてくる。
その声は乙女のもので、一切の濁りのない透き通ったもの。
その歌に意味はないが、思わず聞き入ってしまうほど不思議な力を持っていた。
「この曲は…みんな?」
周りを見渡すと、先ほどまで近くにいたはずのみんなの姿がなくなっていた。それ以前に、自分がいる場所が、先ほどまでいた山道とは違い、見覚えのある村の中にいた。
そこで私は、自分の目を疑った。
「お母様…?」
私の見つめる先には、私が葦原村の村長になる前に姿を消したお母様だった。
「久しぶりね、元気にしてたかしら、瑞穂?」
◇
俺の耳にも、誰かの歌声が聞こえてきた。
「これは一体…」
すると、いつの間にか背におぶっていた千代の姿がなくなっていた。あたりを見渡すと、そこは先ほどまで自分の歩いていた山道ではなく、血と焼け焦げた臭いが漂う紛うことなき戦場であった。
鎧に身を包んだ武人、簡素な装備に身を包んだ農民と様々。そして、それらが相手にするのは、衣服の所々が融合した黒い皮膚で覆われ、人よりも一回り大きい人型の妖達であった。
ぶつかり合う両者、爆ぜる肉片、飛び散る血飛沫。
ここは、何処だ。
これほどまでに凄惨な戦いを、俺は経験していない。
そもそも、先ほどまで千代をおぶっていたはずだ。ならば、これは幻の仕業だろう。先程の奇妙な歌声が関係しているはずだ。
「ッ!?」
すると、人側の兵が武器を手に俺の方へ向かって走ってきた。刀を鞘から抜き、それを躱そうとするが、兵の身体は俺の身体をすり抜け、背後にいた妖に向けて斬りかかっていった。
「やはり、これは幻…しかし、この戦は一体…」
俺は、倒れていた兵の姿を見る。その兵たちには共通して、手首に太陽の印章が描かれた手ぬぐいを巻き付けていた。
太陽と言えば、皇国の象徴。つまり、彼らは皇国の元に集いし者達。しかし、彼らの武器や装いはどれもひと昔前の様相をしている。
であれば、過去。俺は、何者かに誰かの過去を見せられていると言ったところだろうか。
「瑞穂…いや、あんたは…」
目の前に現れたのは、かつて黄泉の国で出会った大御神、カミコだった。
「御剣、ここが何処だか分かるかしら?」
「否、分からん」
「ここは、かつて人と大神、そして妖が自らの存亡を賭けて戦った大戦、禍ツ大和大戦。その中でも、大戦の勝敗を決めた最後の戦い。そして、あなたが見ているのは、かつての御剣だった剣史郎の記憶よ」
◇
母親である明日香と対面した瑞穂は、目に涙を浮かべる。
「お母様…」
無理もなかった。生きているのを知っていたとは言え、突然自らの前から姿を消し、この戦の世では再び会うことが出来ないと考えていたのだ。
「ふふ、瑞穂。あなた、いつになっても、変わっていないわね…」
「お母様、今まで何処に…何も言わずに…」
「心配かけて御免なさい。どうしてもあなたに言っておきたい事があったの」
「言っておきたいこと?」
「信じるか信じないかは、あなたに委ねるわ…」
そう言って、明日香は瑞穂の側へと近づく。
「こうして話すことが出来るのは、これが最後かもしれないわ。だから、よく聞きなさい」
「…」
「私があなたの前から姿を消さなくてはならなかった訳、それはあなたが大御神として覚醒する前に、タタリに侵蝕された私は離れなければならなかったからなの…」
「お母様は、私が大御神の生まれ変わりだって知っていたの?」
「えぇ、だから、その身体を乗っ取ろうとしたタタリに気付かれる前に、あなたの元を立ち去ったの」
「何故、お母様にタタリが侵蝕していたの?」
「私があなたを授かった時、ある集団が私を襲ったの。一度は捕まったけれど逃げ出すことに成功したわ。でもその際に、その内の一人にタタリの血を微量だけど飲まされた。最初はお腹の中のあなたが守ってくれていたけど、あなたを産んだ後は、私の力だけじゃどうにもならなかった」
だから、瑞穂の前から姿を消したと言う。タタリは瑞穂の母親である明日香の心に侵蝕し、大御神の生まれ変わりである瑞穂の命を狙っていたのだと言う。
幸いにも、当時はまだ不完全であったタタリは、瑞穂の呪力によって押さえ込まれ、成長、この場合は復活を止められていたという。
「ではお母様、なぜ明風神社から神滅刀を持ち出したのですか?」
「死ぬためよ」
「えっ?」
「神滅刀は、大御神を斬り伏せたと言われる伝説の妖刀。しかし、それは大御神を斬り伏せることが出来るのと同時に、タタリを滅することが出来る代物だったの。それを使って、己の命ごと断ち切ろうとしたのよ」
衝撃の事実に、瑞穂は言葉を詰まらせる。しかし、現実に神滅刀は紆余曲折あれ迦ノ国皇のウルイの手に渡り、母親は死ぬことなく今目の前に立っている。
「持ち出したのはよかった。だけど、それを狙う者が多すぎたの」
「奪われた、と?」
「えぇ…」
明日香は瑞穂の元へと近づくと、その両手で瑞穂の身体を強く抱きしめた。
「御免なさい瑞穂、本当はこうしてあなたの事をいっぱい抱きしめたかった。母として、あなたの世話をして、成長するあなたの姿をずっと見守っていたかった。でも、もうそれは出来ないの…」
「お母様…」
瑞穂から離れた明日香の体が、少しずつ黒く変色していく。
「最後に残った意思で、あなたに全てを伝えることが出来たわ。瑞穂、タタリを倒すには、大御神の神器、神滅刀が必要よ。よく覚えておきなさい。次に会った時、私はあなたの母親であって、母親ではなくなる。その時は、あなた自身の意思に従って動きなさい」
「待ってください、お母様!!」
「では、さようなら。私の愛する娘…」
◇
目を覚ますと、私たちは山道に倒れていた。
「良かった。気がつきましたか瑞穂様?」
「千代、ここは?」
「どうも、私たちは敵の術式の中に嵌ってしまったようです」
私は体を起こし、周囲を見渡す。そこには、母の姿はない。
「母に会ったわ」
「明日香様、にですか?」
「えぇ、私に、自分が私の前から姿を消した理由を話してくれた」
「そうでしたか…どうやら、御剣様も何か見られたそうで…」
「御剣も…」
近くの木陰で座り込んでいた御剣を見る。
「御剣様は、ある古戦場にいたと仰っています」
「古戦場?」
「はい。禍ツ大和大戦、その勝敗を決めた最後の戦いを、その目で見られたそうです」
その戦を見た御剣は、黙って自分の持つ刀を眺めていた。
「俺が…惨劇を止めなければ…」
私は御剣が小声でそう言ったのを、聞き逃さなかった。
結局、千代が探し当てた場所には敵の姿はなく、すでに立ち去った後だった。もし、お母様の言うことが正しければ、ここにいたのはお母様で間違い無いだろう。
それは、お母様が私たちにとって明確な敵であることを示すと同時に、敵でありながら私に真相を伝えた不可思議な出来事であった。
全員の足取りは重い。ここまで休みなく歩き続けてきたせいか、特に千代の顔に疲労が見える。
「千代、大丈夫か?」
「は…はい」
急な山道のため馬に乗せるのは危険と判断した御剣は、千代を背中に背負い、そのまま山を登り続ける。
背中に背負われた千代は、申し訳なさそうに口を開く。
「すみません…重くはありませんか?」
「謝るのはこっちの方だ」
「どうしてですか?」
「ここにくる前の千代の呪術、常人なら昏倒してもおかしくない技だったんだろう?もう少し早く気付いておくべきだった」
その言葉を聞いた千代は、羽織りを掴む力を無意識に強める。すると、そのはずみで御剣の羽織りの襟が下がり、頸が見える。
そこには、千代が随分と前に御剣に送った手作りの御守りが下げられていた。
「御守り、付けていてくれたのですね」
「あぁ、片時も手放したことはない」
すると、千代は小さく祝詞を呟くと、術式を御剣の御守りへと指で書き込む。
「ふふ、本当にずっと付けてくれてたのですね。あれほど込めていた呪力も、もう僅かになっておりました」
「そうなのか?」
「左様です。そこで、私がもう一度御清めしておきました。ですが…」
「どうした?」
「どうか、ご無理はなさらないように。御剣様は、すぐに無理をするから…」
そう言って、千代は御剣の頸に頬を寄せる。そんな千代の頭を、御剣は右手でゆっくりと撫でる。
「ふふ、くすぐったいです」
それからしばらくして、一同はほぼ同時にあることに気がつく。
「生き物の気配がしないな」
「静かすぎるぇ」
「気をつけて進みましょう」
「御剣様…」
「ん?」
「とても不気味な呪力を感じます。それも、一つだけでなく幾つか。くれぐれも御用心ください」
千代がそう呟いた瞬間、その場の空気が一変する。
◇
その頃、胡ノ国国都の水蓮園。
輝夜のいる水蓮亭へ、大和の重鎮として名のある者が尋ねてきていた。
「やはり、胡ノ国はいつ訪れても良い国じゃ。緑と水が、絶妙に絡み合い、そこに住まう人も妙に協調している」
「ふふ、相も変わらずね、ムネモリ」
池の上に建てられた御殿の中、美しい衣装に身を包んだ輝夜の視線の先には、大和の七星将が一人、鎮守のムネモリであった。
彼がなぜ胡ノ国にいるのかというと、過去に宇都見国と敵対していた胡ノ国は、密かに大和から援助を受けており、その一環としてムネモリを初めとする将たちが、胡ノ国軍に対して教育を図るなどしていた。
輝夜の侍女である日和も、ムネモリから剣術の修行を受けた一人である。故に、輝夜自身もムネモリとは交友があった。
「この世は、大きく変わりよる…」
「世が変わる?」
ムネモリは目の前に置かれた卓上から、湯呑みを手に取り温かい茶を啜る。
「緋ノ国、そして宇都見国が国として終わりを告げ、豊葦原瑞穂皇国が生まれた。ましてやその国の皇は、かつて大和大神や大和と大戦で争い、この地を平定した大御神の生まれ変わり。儂が生きている間に、これほどの事が起こるとは思っておらんかったよ」
「確かに、過去の禍ツ大和大戦から長い歴史の中で、これほどの事象はないでしょう。でも、それだけでは世が変わるとは言い切れないのではないかしら?」
「歴史は繰り返す、そう言っておこうか」
そうムネモリが呟くと、彼の傍に控えていた従者の一人が耳打ちをする。
その言葉を聞いたムネモリは、辛辣な表情を浮かべる。
「どうやら、儂の悪い予感が当たったようだ。ここまで早く行動を起こすとは思わんだったが…」
持っていた湯呑みを静かに置く。
「大和の帝ミノウが崩御し、皇女不在を理由に七星将を主とする新政権が樹立されたようだ」
その言葉を聞いた瞬間、輝夜の表情が一気に変わる。
「詳細は今は分からぬ。にわかに信じられんが、情報源は儂の息が掛かっとる者からじゃ。信じても良いだろう」
「そんな、まさかそんな事が…あり得ないわ」
「筆頭はレイセンと言ったところか、あの女狐が…。カゲロウは予想していたが、まさかハクメイまで裏切るとはのぅ」
「ハクメイ…大和軍総司令が…」
「ムネモリ、あなたはこれからどうするつもりかしら?国に戻るつもり?」
「聞くところによれば、帝の体内は毒物らしきものが見つかっていると聞いておる。とすれば、何者かが意図を持って毒を流したとも考えられる。生憎、儂は帝に毒を盛って、あろう事か亡き者にした者たちと連むような気はない」
「ほほほ、だから主はここへ来たのじゃな。ムネモリよ」
そう言って御殿に入ってきたのは、胡ノ国の大臣である永訣であった。
「久しいのぅ、永訣」
「主も変わってないようで何よりじゃ。それにしても、主の不在を狙って事を起こすとは、連中、余程緻密に計画を練っておったのじゃろうな」
永訣はゆっくりと床へと座ると、ある事を口にする。実は、永訣は数カ月の間、神居古潭へと赴いていた。
「姫様、神居古潭から戻って来ましたが、あちらも手遅れでございました」
「手遅れってどういう事かしら?」
「大宮司であるアムルが姿を消し、国の、それも信徒同士が殺し合いを始め、その様はまさに地獄絵図の有様…」
「い、一体なぜそんな事が…」
傍に座っていた日和が信じられないと口にする。
「姫様、皇国皇が口にしていたある者たちのこと、覚えておいでですか?」
「タタリと、それを信仰する妖や人の存在かしら?」
かくは、かつて宇都見国との戦に勝利した戦勝の宴の席で、その話を聞いていた。にわかには信じられなかったが、これまでの戦で起こった不可思議な現象を鑑みると、彼らの存在を信じざるを得ない。
「タタリ、こやつはかつて禍ツ大和大戦で自らを封じた大御神を、この上なく怨んでおる。2つの大国が消滅し、そして残った大国が争い合っている今、奴らが動き出すには格好の刻なのだろう」
「大和には、その兆候があったと言うの?」
「元々、大和は大御神に敗れた国。先祖の仇として大御神を見ている者たちからすれば、大御神を自称する皇国皇と良好な関係を築こうとしたミノウを、間違っても良くは思わぬだろう」
「元の数が少ないなら、手薄な時に首領を消し、国ごと乗っ取ろうとしているって事かしら?」
「恐らくは…」
それは、彼ら彼女たちにとって人外の者たちが、この世を、そして大御神を滅ぼさんと明確に動き出したという事実であった。
これには、妖を前にしても怯むことのない咲夜であっても、思わず身震いしてしまう。
これが、ムネモリが最初に口にしたこの世が大きく変わるという意味だろうと、輝夜は思った。
「ムネモリ、話が逸れたけど、あなたがここに来た本命を教えてくれるかしら?」
「儂がここに来たのは、ミノウの頼みじゃ。皇女カヤ様を筆頭に、正統政権を樹立することが目的じゃ」
「正統政権?」
「大和は、初代帝様の血を引く一族あっての大和。それ以外の者には到底扱いきれぬ。であるから、儂らの手で大和を奪還する。もちろん、それまで胡ノ国、斎国、皇国に力を貸す所存じゃ」
◇
私たちが山を登っていると、突然、周囲の雰囲気が変わる。
「いっ⁉︎」
忘れかけていた痛みが私を襲う。腰袋から痛み止めの丸薬を一つ取り出し、筒の水と一緒に流し込む。
「瑞穂、大丈夫?」
「えぇ、大丈夫…」
隣を歩いていた藤香が心配してくれる。すると、何処からともなく、誰かの歌声が聞こえてくる。
その声は乙女のもので、一切の濁りのない透き通ったもの。
その歌に意味はないが、思わず聞き入ってしまうほど不思議な力を持っていた。
「この曲は…みんな?」
周りを見渡すと、先ほどまで近くにいたはずのみんなの姿がなくなっていた。それ以前に、自分がいる場所が、先ほどまでいた山道とは違い、見覚えのある村の中にいた。
そこで私は、自分の目を疑った。
「お母様…?」
私の見つめる先には、私が葦原村の村長になる前に姿を消したお母様だった。
「久しぶりね、元気にしてたかしら、瑞穂?」
◇
俺の耳にも、誰かの歌声が聞こえてきた。
「これは一体…」
すると、いつの間にか背におぶっていた千代の姿がなくなっていた。あたりを見渡すと、そこは先ほどまで自分の歩いていた山道ではなく、血と焼け焦げた臭いが漂う紛うことなき戦場であった。
鎧に身を包んだ武人、簡素な装備に身を包んだ農民と様々。そして、それらが相手にするのは、衣服の所々が融合した黒い皮膚で覆われ、人よりも一回り大きい人型の妖達であった。
ぶつかり合う両者、爆ぜる肉片、飛び散る血飛沫。
ここは、何処だ。
これほどまでに凄惨な戦いを、俺は経験していない。
そもそも、先ほどまで千代をおぶっていたはずだ。ならば、これは幻の仕業だろう。先程の奇妙な歌声が関係しているはずだ。
「ッ!?」
すると、人側の兵が武器を手に俺の方へ向かって走ってきた。刀を鞘から抜き、それを躱そうとするが、兵の身体は俺の身体をすり抜け、背後にいた妖に向けて斬りかかっていった。
「やはり、これは幻…しかし、この戦は一体…」
俺は、倒れていた兵の姿を見る。その兵たちには共通して、手首に太陽の印章が描かれた手ぬぐいを巻き付けていた。
太陽と言えば、皇国の象徴。つまり、彼らは皇国の元に集いし者達。しかし、彼らの武器や装いはどれもひと昔前の様相をしている。
であれば、過去。俺は、何者かに誰かの過去を見せられていると言ったところだろうか。
「瑞穂…いや、あんたは…」
目の前に現れたのは、かつて黄泉の国で出会った大御神、カミコだった。
「御剣、ここが何処だか分かるかしら?」
「否、分からん」
「ここは、かつて人と大神、そして妖が自らの存亡を賭けて戦った大戦、禍ツ大和大戦。その中でも、大戦の勝敗を決めた最後の戦い。そして、あなたが見ているのは、かつての御剣だった剣史郎の記憶よ」
◇
母親である明日香と対面した瑞穂は、目に涙を浮かべる。
「お母様…」
無理もなかった。生きているのを知っていたとは言え、突然自らの前から姿を消し、この戦の世では再び会うことが出来ないと考えていたのだ。
「ふふ、瑞穂。あなた、いつになっても、変わっていないわね…」
「お母様、今まで何処に…何も言わずに…」
「心配かけて御免なさい。どうしてもあなたに言っておきたい事があったの」
「言っておきたいこと?」
「信じるか信じないかは、あなたに委ねるわ…」
そう言って、明日香は瑞穂の側へと近づく。
「こうして話すことが出来るのは、これが最後かもしれないわ。だから、よく聞きなさい」
「…」
「私があなたの前から姿を消さなくてはならなかった訳、それはあなたが大御神として覚醒する前に、タタリに侵蝕された私は離れなければならなかったからなの…」
「お母様は、私が大御神の生まれ変わりだって知っていたの?」
「えぇ、だから、その身体を乗っ取ろうとしたタタリに気付かれる前に、あなたの元を立ち去ったの」
「何故、お母様にタタリが侵蝕していたの?」
「私があなたを授かった時、ある集団が私を襲ったの。一度は捕まったけれど逃げ出すことに成功したわ。でもその際に、その内の一人にタタリの血を微量だけど飲まされた。最初はお腹の中のあなたが守ってくれていたけど、あなたを産んだ後は、私の力だけじゃどうにもならなかった」
だから、瑞穂の前から姿を消したと言う。タタリは瑞穂の母親である明日香の心に侵蝕し、大御神の生まれ変わりである瑞穂の命を狙っていたのだと言う。
幸いにも、当時はまだ不完全であったタタリは、瑞穂の呪力によって押さえ込まれ、成長、この場合は復活を止められていたという。
「ではお母様、なぜ明風神社から神滅刀を持ち出したのですか?」
「死ぬためよ」
「えっ?」
「神滅刀は、大御神を斬り伏せたと言われる伝説の妖刀。しかし、それは大御神を斬り伏せることが出来るのと同時に、タタリを滅することが出来る代物だったの。それを使って、己の命ごと断ち切ろうとしたのよ」
衝撃の事実に、瑞穂は言葉を詰まらせる。しかし、現実に神滅刀は紆余曲折あれ迦ノ国皇のウルイの手に渡り、母親は死ぬことなく今目の前に立っている。
「持ち出したのはよかった。だけど、それを狙う者が多すぎたの」
「奪われた、と?」
「えぇ…」
明日香は瑞穂の元へと近づくと、その両手で瑞穂の身体を強く抱きしめた。
「御免なさい瑞穂、本当はこうしてあなたの事をいっぱい抱きしめたかった。母として、あなたの世話をして、成長するあなたの姿をずっと見守っていたかった。でも、もうそれは出来ないの…」
「お母様…」
瑞穂から離れた明日香の体が、少しずつ黒く変色していく。
「最後に残った意思で、あなたに全てを伝えることが出来たわ。瑞穂、タタリを倒すには、大御神の神器、神滅刀が必要よ。よく覚えておきなさい。次に会った時、私はあなたの母親であって、母親ではなくなる。その時は、あなた自身の意思に従って動きなさい」
「待ってください、お母様!!」
「では、さようなら。私の愛する娘…」
◇
目を覚ますと、私たちは山道に倒れていた。
「良かった。気がつきましたか瑞穂様?」
「千代、ここは?」
「どうも、私たちは敵の術式の中に嵌ってしまったようです」
私は体を起こし、周囲を見渡す。そこには、母の姿はない。
「母に会ったわ」
「明日香様、にですか?」
「えぇ、私に、自分が私の前から姿を消した理由を話してくれた」
「そうでしたか…どうやら、御剣様も何か見られたそうで…」
「御剣も…」
近くの木陰で座り込んでいた御剣を見る。
「御剣様は、ある古戦場にいたと仰っています」
「古戦場?」
「はい。禍ツ大和大戦、その勝敗を決めた最後の戦いを、その目で見られたそうです」
その戦を見た御剣は、黙って自分の持つ刀を眺めていた。
「俺が…惨劇を止めなければ…」
私は御剣が小声でそう言ったのを、聞き逃さなかった。
結局、千代が探し当てた場所には敵の姿はなく、すでに立ち去った後だった。もし、お母様の言うことが正しければ、ここにいたのはお母様で間違い無いだろう。
それは、お母様が私たちにとって明確な敵であることを示すと同時に、敵でありながら私に真相を伝えた不可思議な出来事であった。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜
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侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。
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※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。
旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』
※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。
※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。
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