花衣ー皇国の皇姫ー

AQUA☆STAR

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決戦編

第59話 運命はめぐりて

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「皇国が迦ノ国との同盟を破り、西から侵攻する様だ」
「愚かだな。宇都見国を倒した事で奴らは調子づいている」
「しかし、奴が皇都を離れることになるなら、こちらも手を出しやすくなる」

 とある山中の奥深く、洞穴の中で鈍く光を放つ蝋燭の袂で、黒装束を身に纏った者たちが話をしていた。

「さて、動くぞ。我らが主様のために、必ずや大御神とその一党を現世から消し去るのだ」
「主様のために」
「主様のために…」


 ◇


 皇国西方 笹野 笹野城


 迦ノ国との同盟締結後、郭の関が置かれていた崇城平野が迦ノ国領土となったため、ここ笹野の地に新たな防衛拠点として、城を造り上げていた。

 城と名がついているが、今はまだ未完成。先んじて防衛の要となる城壁を張り巡らせ、その周囲には敵の侵攻を遅滞させる堀が張られていた。

 そして、この笹野城の主こそ、皇国将軍の一人、小夜の兄である右京であった。

「久方ぶりにございます、御聖上。長らく御顔を見ることが出来ませんでしたが、お元気そうで何よりです」

 郎党を引き連れて入城した私たちを、右京が門前で出迎えてくれる。

「西の守り、あなたには酷な仕事だったと思うわ。今日まで西の脅威に立ち向かってくれたこと、礼を言うわ」
「有り難きお言葉。ですが、今日はわざわざここへ、どの様な御用で。それに、素性の分からぬ者もご一緒ですが…」
「ここじゃ話しづらいわ」
「では中へ、御部屋をご用意いたします」

 右京に案内される最中、御剣や小夜は友と、そして兄としての再会に話を弾ませていた。

「右京とは、私とこの方の2人で話をする。皆は城の中で待っていて」
「承知した」

 御剣たちを退室させた後、私と顔を布で覆ったカヤは右京の対面に腰を下ろす。

「窮屈でしょうが、お許しください」
「気にしないで」
「して、某にお話しとは…」
「まずは、此方の方の紹介をするわ」

 私がそう言うと、カヤは顔を覆っていた布を取る。その素顔を見た右京は驚きの表情を見せた。

「まさか、貴女様は…」
「右京、この方の正体は私たちと貴方だけの秘密よ。他の誰にも、他言無用」
「ですが、この御方がなぜここに」
「今日、皇国は迦ノ国との同盟関係を解消する。迦ノ国は私の不在の皇宮に、私のことを狙った刺客を送り込んできた。その件について正式な釈明がないことを理由に、皇国は同盟を破棄して迦ノ国に宣戦を布告するわ」
「迦ノ国と、戦端を開かれると言うことですか。大和と迦ノ国が戦を繰り広げているのは耳に入っております。と言うことは、皇国は大和側に立ち、迦ノ国と対峙すると」
「表向きは、皇国は大和側についていない。でも、ここにいる貴人は、大和でも有名な御方、その意図、右京なら分かるはずよ」

 皇国建国時、外交担当として周辺国を行脚していた右京にとって、すでにその名を存じていたカヤがこの場にいて、その素性を隠している意味は、すぐに理解してくれた。

「では、此方におられるのは、大和に所縁のある御方と言うことですね」
「そうね。私たちはこれから、この御方が大和へ帰郷されるのを護衛するわ。皇国の北の道が落石で使えない以上、迦ノ国を通ってね」
「なるほど、相分かりました。ですが、宣戦を布告するとはいえ、先の宇都見国との戦いから時はあまり経っておらず、迦ノ国に攻め込むのは時期早々かと」
「言ったでしょう、右京。護衛と」
「まさか。いえ、それは無謀にございます。かつて群雄割拠であった迦ノ国は、老若男女子どもに至るまで、皆一人の戦士にございます。その中を、少数の護衛規模で歩かれるなど、失礼ながら自殺行為かと某は思います」

 私の意図に気付いた右京は、その意図に異を呈する。しかし、戦力が整うのを待てば大和が危機に瀕する。ならば、少数で敵中深くに潜り込み、敵の喉元に剣を突き刺す方が良いと判断したのだ。

「信用できる者を10名ほど貸してくれないかしら。心配いらないわ、無駄な戦いはしないし、大軍を相手にすることもない」
「聖上のご意志とあらば、某は出来る限りの援助を行う次第。明日までに集めておきましょう」
「恩に着るわ右京。もう一人の私が明日、皇都に戻る。貴方にはそのもう一人の私が本物である風に装って欲しいの。ここからは、私たち全員がそれぞれ素性を隠して迦ノ国に向かうから」
「なるほど、聖上は明日には玉座に戻られるということですね。承知しました」
「では、手筈通りに…」


 ◇


 翌日、凛が扮したもう一人の瑞穂は、右京の集めた護衛を引き連れて皇都へと戻っていく。そして、本当の瑞穂は迦ノ国の一般的な流民の服装に身を包み、目立たぬ様に闇に紛れて笹野城を後にした。

「何よこれぇ、苦しいぇ…」
「我慢しなさいミィアン」

 窮屈な衣装に文句を言うミィアン、ここからは目立たない様に、シラヌイも人の姿となって郎党に加わっていた。

「まずは、国境を越えなければならないわ。ここから西にある谷へと向かう」

 瑞穂たち一同は、白拍子として素性を隠したカヤが率いる郎党として、迦ノ国へ戦を仕掛けることになった。

「それにしても、女子衆は上手く化けているな」
「何かあったとき、これだけ力のある護衛はそうそういないだろうな」
「御剣、日々斗、無駄口叩いてないで早くついてきなさい」
「怒られた」
「怒られたな」

 一同は徒歩と馬で山道を進み、国境付近にある谷の入り口へと差し掛かる。

 谷は所々に焚き火の明かりが見える。恐らくは、国境の警備を担う迦軍の哨戒のものだろう。

「余裕ね。哨戒が火を焚くなんて」
「あえてそこを避けさせる罠かもしれんな。こちらも火を焚かないほうがいい」
「流石は私の愚弟愚妹たちだ。よく分かっている」
「ッ⁉︎」
「可憐お姉様⁉︎」

 突然の声に臨戦態勢になる瑞穂たちであったが、瑞穂はその声の主を知っていた。右京率いる第一軍と同じく、西の守りを担う第二軍を率いる将軍、瑞穂の姉役である可憐であった。

「久しいな瑞穂、皆も元気にしていたか?」
「はい。お姉様こそ、元気そうで何よりです」
「谷を抜けるんだろう。私が抜け道を案内しよう。そこら中に迦国兵がうろうろしている。ついて来い」

 可憐と合流した瑞穂は、彼女に続いて深い森の中を進んでいく。

 その道中、可憐は瑞穂に歩きながら話しかけた。

「葦原のこと、聞いたよ」
「申し訳ありませんでした。私が不甲斐ないばかりに…」
「何故、謝る必要がある。仇を取ったんだろう。その手で」

 可憐のその声は、どこか悲しみを感じるものであった。

「睦美は、あいつの最期はどうだった…」
「睦美お姉様は、武人として最後の最後まで、村を守るために戦われました。そのお姿は、武人に恥じぬものでした」
「そうか…。信濃に嫁ぎ、刀を包丁に持ち替えてもなお、あいつは戦ったんだな」

 可憐は親友であった睦美の最期の言葉を聞くと、それ以上は葦原のことについて何も言わなくなった。

「それにしてもお姉様、どうしてここに?」
「私がお前なら、迦ノ国に忍び込むならここから忍び込む」
「全てお見通しでしたか…」
「あぁ、全てな。私でもこう考えるのだから、向こうでは気をつけるんだぞ。奴らは、お前たちの存在を知れば、狂ったかの様に追い立てる。ぼろを出さないようにな」
「肝に銘じます…」

 木々が生茂る獣道を抜けると、谷の先にある崖の上へと出る。

 そこから見えるのは、国境付近でありながらも栄える、中規模の都が広がっていた。

「迦ノ国の都の一つ、信貴だ。国境沿いにあるが、今は駐留している兵は少ない」
「何故ですか。国境であれば、対皇国のために兵を大勢配置しているはずじゃ…」
「対皇国の軍も、ほとんどが北へ出払っている。仮初でも、皇国は明日まで同盟関係なのだろう」
「奴らは、本気で大和を潰そうとしているのか…」
「私が案内できるのはここまでだ。瑞穂」

 可憐は瑞穂を抱き寄せると、優しく頭を撫でてやる。

「武運を祈る。絶対に戻ってくるんだぞ」
「勿論です。可憐お姉様…」
「皆も死ぬでないぞ。また、その顔を見れるのを楽しみにしている。御剣」
「はい」
「瑞穂を守れ、その命に代えてもな」
「承知」

 可憐に別れを告げた一同は、崖を降りた場所で朝になるのを待つことにした。


 ◇


 大和朝廷 帝京 帝宮


「聖上、皇女様の呪術師より思念が届きました。皇国は迦ノ国との同盟を解消し、独自に迦ノ国へと宣戦を布告するようです」
「左様か、しかし何故独自に動く」
「皇国は、あくまで皇国皇に向けられた迦ノ国の刺客に対する報復だと」

 帝宮の政務室では、帝であるミノウに総司令のハクメイが報告を行なっていた。

「カヤはどうした。もうここへの帰途についておるのか?」
「いえ、まだ皇都におられます。斎国と皇国を繋ぐ道が落石により寸断され、旧宇都見国を抜ける道を使い戻ってこられるかと…」
「そうか。南方の戦況はどうだ?」
「登勢における戦闘は、我が方の敗北。迦軍は北上し、コチョウ殿率いる残存部隊は高野へと後退しました。ゴウマ殿は消息不明。此度の敗北は作戦を練った私の失態によるものです、七星将を一人失った手前、処罰であれば何なりとお受けいたします…」

 ハクメイは床に頭をつけるが、ミノウは意に返さなかった。

「ゴウマとコチョウを組ませたのは、儂の案じゃ。其方に非はない」
「ですが…」
「大和の危機に、共に戦うならば互いの垣根など簡単に取り払えると思ったが、甘い考えだった…」
「聖上、それは一体」
「建国から今に至るまで、七星将とは時の帝に絶対的な忠誠を誓い、帝も彼らを心から信頼していた。例え七星将同士が憎き仇であったとしても、その揺るがない関係の中では、確執など感じ得ないものだった」

 歴史を振り返れば、大和朝廷がこの世に生まれてから今に至るまで、数々の者が七星将となった。中には、同じ七星将に親を殺された者もいたが、大和の帝を前にして彼らはそれを心に仕舞い、団結してきた。

 しかし、ミノウの七星将はゴウマとコチョウといい、大和の危機にも関わらず互いに心を許さず、無惨な敗北を喫した。

 それは暗に、七星将が持つ繋がりの力が発揮されていない。つまりはミノウに従う彼らには、帝と七星将の揺るがない関係がない事を意味する。

「ハクメイよ」
「は、はっ」
「七星将同士がいがみ合うのは、つまりは儂に七星将を従える帝たる素質がないことを意味する。其方はどう思う」
「こ、言葉がございません。本来であれば、この様な事になる事自体が…」
「よい。無粋な事を聞いてしまったな。ハクメイよ、朝廷軍総司令である其方に新たな権限を与える。其方を大将軍に任命し、全ての力を持って迦ノ国を討て」
「私が、大将軍でございますか?」
「大将軍は帝の次に権限を持つ。七星将を取りまとめ、必ずや迦ノ国を討ち果たせ。信頼しておる其方に、任せても良いな?」
「このハクメイ、謹んでお役目をお受けいたします。必ずや、南の蛮人どもを大和の地から消し去ってみせましょう」
「期待しておるぞ、ハクメイよ」

 ミノウからそう言われたハクメイは、首を垂れる。その口元が薄ら笑いを浮かべていた事に、ミノウが気付く事はなかった。


 ◇


「ここは…我は一体」
「ようやくお目覚めか。豪傑のゴウマさんよ」

 ゴウマが目を覚ましたのは、北上する迦国軍の本陣。その中でも一際大きい天幕の中で、何重にも張られた結界と拘束具で拘束されていた。

 前に立ち、獣の様な形相のゴウマに煙管の煙を吹き付ける男。登勢の地でゴウマ率いる大和軍を討ち破り、ゴウマを捕らえた張本人。

 迦ノ国弓将、兇族当代、呪術師でありながら弓取の兇蓮であった。ゴウマは拘束から逃れようとするが、強力な結界のため身動き一つ取れなかった。

「生まれつき強力な呪力を持ちながら、その背に呪詛痕を持ち、人外の力で敵を文字通り消し去る豪傑。そんなあんたを拘束するのに、うちの腕利き呪術師が五重結界を施したんだ。流石のお前でも動けんだろう?」
「貴様、我を捕らえた程度で勝ち誇りよって。貴様ごとき虫けら、我の手で…がっ、がぁぁあ⁉︎」

 兇蓮はゴウマの胸に、術式を組み込んだ矢尻を突き刺す。

「口の利き方には気をつけるんだ。あんたを生かすも殺すも、俺次第なんだぜ。まぁ、上からは殺せと言われてるんだがな」
「はぁ、はぁ」
「あんたが選べる選択肢は2つ。1つはあんたが消し去った兵全員分の痛みを与えられた後、内臓を抉り出されて殺される。もう一つは」

 矢尻を抜いた兇蓮はゴウマの顔に自分の顔を近づける。

「俺の部下になって生き残るかだ」
「我は帝に忠誠を誓いし誇り高き七星将だ。誰が貴様なんぞに…」
「やれ」
「ぐぁぁああ‼︎」

 部下にゴウマを痛めつける様命令した兇蓮は、天幕を出る。

「兇蓮、あいつをどうするつもりだ?」

 兇蓮に声を掛けたのは、一人の男。軽装の兇蓮とは対照的に、極限まで無駄を省いた鎧兜を身につけ、その素顔は夜叉の面をしているため覗く事はできない。

「あいつは使える。頭を空っぽにして忠誠心をすり替えれば、死ぬまで戦う不死身の戦士になる」
「手綱はしっかりと持っておけ。飼い犬が主人に噛み付いたんじゃ、話にならないからな」

 鎧の男は手にしていた二振りの剣を背中に収めると、踵を返してその場から立ち去った。


 ◇


 信貴の都に入った私たちは、怪しまれない為に組を3つに分け、別々の宿に滞在する事になった。

 カヤと小部屋が一緒になった私は、部屋についてすぐ床に腰を下ろし、疲れを癒した。

「ふぅ、ようやく一息じゃな…」
「そうね。ただ、油断はしないで。何処に奴らの手の者がいるか分からない以上。迂闊な行動は取らない様に」
「承知じゃ。しかし、何なのじゃ迦ノ国とは。国都から離れたこの都でさえ、故郷の田舎より発展しておるぞ」
「この国の成り立ちが関係しているわ。話した様に、この国は元は群雄割拠。各地の豪族を取りまとめたのが武皇ウルイ。都は今も、豪族たちが取り仕切っているの」
「なるほど、それで傭兵の様な者たちがおったのじゃな。ここの領主の私兵といったところか」
「そうでしょうね。明日にはこの信貴を出て、もう一つの都千林を経由、国都へは4日の予定よ」
「国都か。あの長居城があるところじゃな」

 迦ノ国の象徴、長居城。

 ここにいるウルイを討ち取ることが、今回の最重要目標であった。

「お姉さん」
「ひゃっ、だ、誰じゃ⁉︎」
「琥珀?」

 小部屋の窓の上、つまり屋根から逆さまになって中を覗いて来たのは、密偵の琥珀であった。

「私の密偵よ。大丈夫」
「お、驚いたのじゃ。しかし、この様な小さい子が密偵とは…」
「才能に歳も性別も関係ないわ」

 琥珀は窓から中に入ると、私に抱きついてくる。いつもの様に、ご褒美に抱き抱え、銀の髪を撫でてやる。

「えへへ、くすぐったい」
「琥珀、どうだった?」
「うん。ここを仕切っているのは志賀族って部族で、その族長はまだ16くらいの若い人、確か志苑っていう男の人だったよ」
「何と、すでにここの事を調べておったのか…」
「えぇ、ここで休む以上、不安要素は把握しておきたいから。琥珀、その志苑はどんな人?」
「志賀族はウルイに最後まで抵抗していたから嫌われているみたい。強力な兵士は持っているけど、ウルイの手下に監視されてすごく嫌そうだった。あと、士肆と義慈っていう2人の部下が、好き勝手していることが気に食わないらしいよ」
「士肆と義慈ね。琥珀、一つ頼みごとを引き受けてくれる?」
「うん!」

 私はある文を書くと、それを無名に手渡す。

「これをその2人にバレない様に、志苑って人に渡してきて」
「分かった!」
「琥珀、気をつけてね」

 私は琥珀の頬に口づけする。琥珀は笑顔になると、いつの間にか窓から姿を消した。


 ◇


 信貴の都は、夜が明けると人々が動き出し始める。特に、信貴は都の南側で豊富に採れる鉱物を用いて、それらを武具に造り変える鍛冶が盛んであった。

 御剣たちが外を歩くと、鉄を打つ音がそこかしらから聴こえてくる。

「信貴の都は、古くから鍛冶で栄えてきた都です。ここで造られた武具が、各地の兵に行き渡っている様ですね」

 御剣と都の調査に出ていたシオンは、周りを見渡しながらそう語る。

「しかし、これほど国境に近ければ、ここを占拠されると武具の供給が止まるんじゃないのか?」
「ここはあくまで、迦ノ国の兵器事情を支える三大兵器廠の一つに過ぎません。ここを落とされたからといって、残る二つの都でも十分賄えるそうです」

 武具店の前に展示されているのは、どれも出来が良く、これらが迦ノ国の一般兵に行き届いていると考えると、御剣は迦ノ国の兵器産業を認めざるを得なかった。

「明後日までに10本など、無茶苦茶です!」
「お前の旦那くらいだ、今まで期日までに奉納していないだろう。そのツケが回ってきただけだ」
「夫は身体を壊しています。今仕事を行えば…」
「それがどうした。伝説の刀匠の子孫なんだろう。本気を出せば、今ある分を含めて10本位すぐに出来るだろう?」
「そんな…」
「期日は明後日だぞ。くれぐれも、士肆様の機嫌を損ねぬ様にな。ははは」

 御剣たちが歩いていた道の一角、鍛冶屋の工房と思われる店の前で、迦国兵が一人の女性に詰め寄っていた。

 迦国兵が去ったあと、御剣とシオンは女性の元へと歩み寄る。

「失礼、盗み聞きをするつもりはありませんでした。私たちは旅の者ですが、何かありましたか…」
「いえ、先程の事はうちの事ですので、旅の方には関係ありません」
「連れに名のある薬師がおります。余計なお世話でなければ、亭主殿の様子を見させていただけませんか?」
「薬師様が⁉︎わ、分かりました。では、中へ」
「彼女を連れてきてほしい」
「分かりました」

 話を聞いて道具を持った瑞穂と3人は、女性に続いて工房の中へと入る。工房に設置された鍛冶のための炉は火が消え、鍛冶屋の工房とは思えない冷たい空気に満たされていた。

「あなた、旅の方をお連れしました。薬師様も一緒です」
「あぁ…」

 弱々しい返事の後、御剣たちは奥の座敷に上がる。そこには座敷に敷かれた布団に横になり、苦しい表情を浮かべる一人の男がいた。

「腹痛と、嘔吐、一昨日から下痢が止まっておりません」
「では、触診を…」

 瑞穂は口元に布を巻き、男の腹部に手を当て、その音を聞く。

「食事は最後にいつ?」
「4日前です。確か、夫は酒の肴に貝を食べていました」
「貝を?」
「はい。知り合いから貰ったらしく、私が火を通して出しました」
「その時の貝殻は残っている?」
「ここに」

 女性が手にしているのは、掌くらいの大きさをした二枚貝だった。

「あなたは食べた?」
「私も少し。ですが、夫と同じような症状にはなっておりません」
「なら、おそらくこれは貝毒。貝に蓄積された毒は、加熱してもウロにその毒は残ったままになる。亭主は、苦味のある肝の部分も食べたのではないかしら?」
「確か、食べておりました…」
「この症状なら、あと数日で治るはずです。臓が荒れているので、ミコシグサとドクダミを合わせた物を使いましょう」

 瑞穂は小箱から2つの薬草を取り出すと、それらを混ぜ合わせ、煎じる。それを男に飲ませた。

「下痢が続く場合は、煮沸した水を与えてください。下痢が止まれば、粥の様に柔かい食事を摂ることができるでしょう」
「く、薬師様。なんとお礼を言えば良いか…薬のお代を」

 男の言葉に、瑞穂は遠慮する。

「お代は結構です。これは、商いではありませんので」
「では、何かお礼を…」
 
 男は身体を起こそうとした時、瑞穂と御剣の腰にある刀に目を奪われる。

「御二方、その腰に携えられている刀はもしや、業火と桜吹雪では?」
「えぇ、確かにそうですが」
「その2本は、私の祖先、獅子神刻庵の打った刀です。私はその子孫、獅子神綱雪と申します」
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