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再思編
第39話 逢魔が時
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阿礼は皇城の一角にある書庫から、一冊の巻物を手にする。時間が経過したことによる劣化の所為か、巻物は黄色く変色を始めており、取り扱いには細心の注意を払う。
『古事史縁起録』
その巻物に巻かれた『禁書』の帯を解き、阿礼は卓の上に巻物を広げる。
『生史元年 日元邑有祟妖 其為人也(この世に万物が生まれて初めの年、神州と呼ばれる土地に祟りと呼ばれる妖がいた。その正体は人であった)』
そんな言葉から始まる絵巻には、この世に万物が生まれた時から、祟りと呼ばれる妖がいたと記されている。
元々は、生物の怨念であった祟りがある人の心に浸食し、やがて形を成し、ひとつの妖タタリとして存在したとされる。
ゆえに、その存在は人であって人にあらず、妖であって妖にあらず。
物語はタタリが引き起こした数々の悲惨な出来事の中で、大神同士が争いを起こした『禍ツ大和大戦』へと移行する。
禍ツ大和大戦は、当時の大和朝廷の最高権力者であった卑弥呼を現人神とし、卑弥呼を操ることで人の支配を目論んだ大和大神。
そして、源から日の元に平和と安寧をもたらし、大神の信仰をさせようとする大御神を奉る大神。
二つの勢力に分かれた大神たちが激しく争いを繰り広げた結果、その矛先となって戦った人の滅亡の危機。
そして、人が滅亡の危機に瀕することにより、大神に対する信仰が失われ、大神が人の姿を持ち現世に限界することができなくなったと記されている。
その大戦を引き起こしたタタリは、根の国の大神である黒国主の力が封じられた刀によって、味方にした八つの頭を持つ蛇神の八岐大蛇もろとも、斬り伏せられたと云われている。
しかし、万物の怨念によって生み出されたタタリは完全に消失せず、未来永劫自らを斬り伏せた大御神を憎み生きながらえていると記されていた。
「調べてみる価値はありそうだな」
阿礼は暫くの間、書庫に閉じ籠もった。
◇
デイダラボッチ。
生命、その生と死を司る大神であると同時に、名ありの妖でもある。その体は黒く澱んだ無数の触手が纏わり付き、まるで山のごとき大きさ形成されている。言い伝えでは、神居古潭の北部にある不死山を創ったとも言われている。
顔と思われる場所には、赤き目が二つ輝きを放っていた。
デイダラボッチによって戦死した兵士の亡骸から生み出された妖の大群。その大群を迎え討つ瑞穂率いる皇国軍に、戦況は優位な形勢には傾かなかった。
今の瑞穂が打ち出しているのは、いわばその場しのぎの作戦。妖に対して効果的な攻撃は、千代たち呪術の使いこなせる巫女の浄術しかなく、人外といわれる妖を前に、普通の人間は一方的に狩られる展開となっていた。
「ひっ、ひぃっ!?」
「や、やめろっ、死にたくない!」
辺りから響くのは、皇国兵たちの叫び声。
一方的な殺戮。妖の前に、ただの人は無力。
「くそっ、このままでは…」
妖を斬り倒しながら大群の中を駆け抜ける御剣は、斬り倒しても生み出される妖の勢いに押し潰されそうになっていた。
「がっ!?」
「ぎゃあ!!」
御剣の周囲では、彼についてきた皇国兵たちが妖に無残に倒されていく。
「隊長、後を頼みました!」
名あり妖である河童に足を食い千切られた兵士の一人が、腰に括り付けていた火薬玉に点火し自爆する。自爆に巻き込まれた妖の肉片が飛び散り、血と共に降り注いだ。
「くっ、このぉお!!」
焦り、死闘の中で平常心を失いつつあった御剣は、妖鬼が横薙ぎに振るった斧の攻撃を受けてしまう。
"しまった!?"
「ぐっ!?」
なんとか刀を使って斧の刃を受け止めるが、攻撃のせいで体勢が崩れてしまい、御剣の身体は吹き飛ばされてしまう。
地面に叩きつけられた御剣は、妖鬼の斧が自分に迫っていることに気づく。しかし、先ほどの攻撃で身体の自由を失いかけていた御剣に、その攻撃を防御する術はなかった。
「諦めるのはまだ早いぞ」
御剣の視線に突如として白い毛並みを持つ狼が現れた。狼は御剣を斬り殺そうとしていた妖鬼の腕を噛みちぎり、奪った斧を咥えて妖鬼の首を落とした。
狼は斧をその場に捨てると、御剣の方を振り返る。
「そうじゃったか。やはり、主から懐かしい匂いがしたのは間違いなかったのじゃな」
「狼が…話し…うくっ!」
「先ほどの攻撃で骨が折れたのじゃろう。ここは妾に任せて、お主は下がるのじゃ」
狼はそう言うと、妖を凌駕する速度で妖の首を噛みちぎっていく。
御剣は胴の痛みに耐えながら、その場に立ち上がる。狼の素早い行動によってデイダラボッチまでの道は切り開かれたが、先ほどの攻撃によって胴体に深い傷を負った上、肋が折れて血が流れ出していた。
"なんとか、なんとかこの内に…"
呪詛痕持ちとはいえ、不老不死の最強ではない。回復や力、呪力が常人のそれよりも優れているだけである。
周囲に味方は誰もいない。狼が妖を倒していることで、妖の目標は御剣から狼へと変わっているが、御剣は妖の大群の中に一人取り残されていた。
多量の出血のせいか、御剣の視界が揺らぐ。
呼吸を整えて、手に握っていた刀の柄をしっかりと握り直す。
痛みに耐えながら、白い狼が妖を倒すことで作り出した道を駆け抜ける。御剣の視線の先では、白い狼が素早い動きでデイダラボッチを翻弄していた。
「なぜ下がらぬのじゃ!」
引くことを命じた白い狼は、それでも戦いに身を投じる御剣に叱咤する。
しかし、御剣は刀を構えて、暴れ狂うデイダラボッチへと立ち向かう。
「退くか、絶対退くものか。こんなところで瑞穂の、あいつの夢を終わらせられるか!」
「もちろんよ。こんなところで夢は終わらせない」
その時、御剣と白い狼は突如として現れた強力な呪力の力に振り返る。
「瑞穂…」
そこには、緋ノ国を打ち倒した時に見せた、神々しい姿となった瑞穂が宙に浮いていた。あの時と違うのは、彼女の意識ははっきりとしており、御剣からは身体の内から溢れんばかりの呪力を制御しているようにも見えた。
◇
私は、大御神の生まれ変わり。実感はないけど、その事実は受け入れなければならない。
カミコは言っていた。私には力があると。
誰も死なせない。
私は、私は。
この力で皆を救って見せる。そして、自分の掲げた夢を叶える。
それが、どれほどの代償を払おうとも。
「もちろんよ。こんなところで夢は終わらせない」
自分の力を引き出した私は、不思議な感覚に包まれたまま宙へと浮かぶ。宙から見下ろした戦場は、多くの骸が積み重なり、血の川が流れている。
「瑞穂、お前、その姿…」
「下がっていて、御剣。私がこいつらを葬る」
私は刀の柄を握り直し、刀身で円を描く。すると、その描いた縁が軌跡となって残り、その周囲に見たことのない文字が浮かび上がった。
神代文字、大御神、そして大神のにしか理解できない文字であった。
しかし、私には読める。
それは大神の呪術、神術の祝詞。
「神術、桜花玉簾」
すると、刀身の周りに呪力で創り出された花弁が舞う。
そして、私はその花弁が刀身を纏った時を見計らい、妖の群れに向けて刀を横に振るう。
私の振るった刀の刀身から打ち出された衝撃波が、花弁と共に妖を薙ぎ払う。その花弁には、妖の弱点である浄化の性質を持っており、花弁に触れた妖は悶え苦しむか、衝撃波によって跡形もなく消し飛ぶ。
しかし、私がいくら妖を葬ったところで、無尽蔵に新たな妖を創り出すあの巨人を倒さない限り、こちらの犠牲ばかりが増えてしまう。
もっと、もっと力を。
「ハァアアアア!」
身体が軽い。自由に動く。頭に浮かべると、その通りに身体が動いてくれる。
刀を上段に構えて肉薄する。刀身は黒く濁った頭部に食い込む。
“助けて“
「っ!?」
途端に、刀身を伝って思念が伝わってくる。それは恐らく、この巨人に取り込まれた兵士たちの魂が訴えかけてきているのだろう。
“ここから出してくれ“
“皇様、殺さないで“
“死にたくない、死にたくない“
「くっ!?」
その思念に怯んでしまった私は、巨人の振り下ろしてきた触手の腕に叩き落とされそうになる。
その振り下ろした腕を、なんとか両手で刀を支えて受け止める。
巨体の攻撃を受けることができる。これも、大御神の力だから成せること。
しかし、その腕から触手が蠢き、私の刀ごと取り込もうとしてきた。
「瑞穂!!」
すると、一本の刀が飛来し、私を取り込もうとしてきた触手の腕に突き刺さる。その刀には炎が纏われ、私を取り込もうとしていた触手を焼き払った。
御剣が、自らの刀を投げつけたのだ。御剣は先ほどの戦いでほとんど動けないようで、力を振り絞ったのだろう。血だらけの体を手で押さえながらこちらを見てきた。
「借りるわ」
右手に桜吹雪、左手に業火。両手に得物を持った私は、すかさず弾き飛ばした巨人の顔面を切り裂く。
桜吹雪が妖を浄化し、業火が妖を焼き払う。
やがて、私が切り刻んだ巨人の顔面は触手が溶け落ち始める。
“あれは…“
私が見つけたのは、赤い光を放つ球体。それが溶け出した顔面から露わになったのだ。
「くぅっ!?」
その球体を斬ろうとした瞬間、両方から触手の腕が私を挟み込もうと迫りくる。
しかし、その両腕は突如空中に現れた術式によって壁が作られ、私に到達するまでに阻まれる。
「今です、瑞穂様!!」
千代が作り出した術式が結界を作り出し、巨人の動きを止めることができた。
「いい加減、くたばりなさい!!」
二刀で赤い球体を突き刺す。すると、突き刺した場所からひびが入り出し、次第に球体が割れ破片が舞い散る。
“ジャマヲ、スルナ“
「それはこっちの台詞よ」
流れ込んできた巨人の思念を消すように、私はその球体を叩き割った。
途端、巨人の体が爆散し、私は飛び散った触手の破片を受けて体勢を崩してしまう。
“落ちる!?“
そう思って目を瞑って覚悟していたが、いつまで経っても衝撃はやってこない。
「大丈夫か、瑞穂」
衝撃の代わりに感じたのは、受け止められる感触。
目を開けると、そこには血だらけの顔で心配した表情を見せる御剣の姿があった。
「ありがとう。奴は?」
「無事に倒せたぞ。ほら」
振り向くと、先ほどまでいた巨人は頭から溶けるように崩れ落ち、次第に全身が黒い灰となって風に舞い消えていった。
巨人を倒したことで、巨人が生み出した妖たちはその場に倒れ込み、同じように灰になって消えていく。
「はぁ、はぁ、げぼっ」
巨人が灰になって消えた後、その場には黒い装束に身を包んだ男が、苦しみながら地面に血を吐いていた。
「なぜ、だ、これでは、計画が、うがっ!?」
「動かないで」
近くにいた藤香が、男の背に刀の柄を叩きつけてその場に押さえつける。
私は御剣の腕から降り、男の元へと歩み寄る。
「くっ、ははっ、はははっ」
男は苦しみながら、私に向かって嘲笑する。
「何がおかしい?」
私がそう言った途端、男の声が別の声に変わる。
「くくく、くはははは!」
男の目が赤く輝いた。
「見つけたぞ、大御神、よもや、我が眷属をこの様にいとも簡単に倒すとは」
「………」
「汝に敗れて早百余年、我はこの刻をどれだけ待ち望んだことか。待っておれ、すぐにでも汝の首、貰いに行こうぞ」
「藤香」
「楽しみにしておるがよいわ、くははは!」
藤香が刀をうなじに突き刺す。男の目からあの赤い光が消え、不気味な笑い声が止んだ。
「なるほどのぅ。にわかに信じ難きことじゃが、刻は来たりと言ったところかのぅ」
振り向くと、御剣と一緒に戦っていたあの白狼が、倒れた男を睨みつけながらそう呟いた。
「こいつは、さっきの狼…」
「あなた、喋れるの?」
「如何にも。しかし、この姿はちと怖いのかのぅ。妾を取り囲む兵共の顔が引きつっておる」
気が付けば、周囲には生き残った皇国兵たちが集まり始め、一見すれば私を睨み付ける白狼に武器を構えていた。
「いずれこのシラヌイ、御身の前に現れようぞ」
「ちょっと、待って」
呼び止めるも、シラヌイと名乗った白狼は、私たちの頭上を軽々と越えて戦場の端へと走り去っていく。
「見てください、空が!」
千代の声に従って空を見上げると雨が止み、闇に包まれていた空の黒雲が晴れ、青空と白い雲が現れた。
◇
一方同じころ、坂田の地ではローズとリュウ、そして宝華が、名ありの妖であるがしゃ髑髏と戦いを繰り広げていた。
「歩兵は周囲の敵を攻撃!弓兵はあのデカブツを狙え!」
宝華は部隊に的確な指示を出す。常人である宝華が、名ありの妖であるがしゃ髑髏を相手にすることはできない。
そこで、彼女はローズとリュウの部隊を自分の部隊にまとめ、敵である斎国兵を相手にすることにした。
これにより、ローズとリュウは落ち着いてがしゃ髑髏を相手にすることができた。
「頼みましたよ、お二人とも!」
「だとよ、ローズ」
「じゃあ、負けられないわね」
巨大な骸の腕が、地面を薙ぎ払う。
ローズたちにとっての嬉しい誤算だったのは、がしゃ髑髏は山程の巨体ではあるが、腰より下が無く、本陣の中心から動くことができないことだ。
地面に突き刺さる様に立つがしゃ髑髏は、腕の範囲に入ってきた二人を狙って攻撃を繰り返す。
その攻撃を、二人は動きを予測して動き、攻撃を受けずにいた。
「でかいから動きが鈍いわ」
「関節を狙って動きを止めるぞ」
ローズはウォングとマトゥンを交差させ、火花を散らせる。すると、ウォングに散っていた火花が纏わり付き、やがて青白い炎が刀身を纏った。
リュウが持つ刀は持ち主の呪力と共鳴して雷を宿すことができる。これが、この刀に雷竜という名が冠されている理由でもあった。
二人は大きな動作によって振り下ろされる腕の攻撃を避け、がしゃ髑髏の懐へと入り込む。
「てりぁああ!!」
骨と骨の繋ぎ目である関節を狙ったローズの一撃は、関節を両断し骨にひびを入れる。
しかし、その巨体ゆえ骨の大きさも比較にならないほど大きく、その硬さも鉱物ほどの強度がある。
「ローズっ!」
横薙ぎに振られたがしゃ髑髏の腕が、ローズへと迫る。ローズはその腕を後方転回で避け、ウォングを腕の骨へと突き刺す。
「くぅう!?」
その勢いに振り落とされそうになりながらも、ローズは腕になんとかしがみつく。そして、その腕ががしゃ髑髏の頭上へと舞った刻。
ローズは宙を飛んだ。
「C'est fini」
がしゃ髑髏の顔に飛び降りたローズは、唯一残っている片目にウォングを突き立てた。
炎を纏ったウォングは、がしゃ髑髏の目を焼き、そのまま全身を焼き尽くした。
坂田、利水、そして杭名。
三つの地で行われた皇国軍と斎国軍との戦いは、第6軍が多くの犠牲を払うも皇国軍の勝利に終わった。
しかし、この戦いに身を投じた者には、ある一つの疑問が残った。
戦場に突如として現れた怪異、妖の群れ。それも、伝承でしか語り継がれてこなかった名ありの妖が二体も現れたこと。
そして、その妖を創り出した黒装束の集団。
疑問が残る中、瑞穂はこの戦いを終えてすぐ、部隊を再編させて古賀の地を北上した。
向かう先は、斎国。
『古事史縁起録』
その巻物に巻かれた『禁書』の帯を解き、阿礼は卓の上に巻物を広げる。
『生史元年 日元邑有祟妖 其為人也(この世に万物が生まれて初めの年、神州と呼ばれる土地に祟りと呼ばれる妖がいた。その正体は人であった)』
そんな言葉から始まる絵巻には、この世に万物が生まれた時から、祟りと呼ばれる妖がいたと記されている。
元々は、生物の怨念であった祟りがある人の心に浸食し、やがて形を成し、ひとつの妖タタリとして存在したとされる。
ゆえに、その存在は人であって人にあらず、妖であって妖にあらず。
物語はタタリが引き起こした数々の悲惨な出来事の中で、大神同士が争いを起こした『禍ツ大和大戦』へと移行する。
禍ツ大和大戦は、当時の大和朝廷の最高権力者であった卑弥呼を現人神とし、卑弥呼を操ることで人の支配を目論んだ大和大神。
そして、源から日の元に平和と安寧をもたらし、大神の信仰をさせようとする大御神を奉る大神。
二つの勢力に分かれた大神たちが激しく争いを繰り広げた結果、その矛先となって戦った人の滅亡の危機。
そして、人が滅亡の危機に瀕することにより、大神に対する信仰が失われ、大神が人の姿を持ち現世に限界することができなくなったと記されている。
その大戦を引き起こしたタタリは、根の国の大神である黒国主の力が封じられた刀によって、味方にした八つの頭を持つ蛇神の八岐大蛇もろとも、斬り伏せられたと云われている。
しかし、万物の怨念によって生み出されたタタリは完全に消失せず、未来永劫自らを斬り伏せた大御神を憎み生きながらえていると記されていた。
「調べてみる価値はありそうだな」
阿礼は暫くの間、書庫に閉じ籠もった。
◇
デイダラボッチ。
生命、その生と死を司る大神であると同時に、名ありの妖でもある。その体は黒く澱んだ無数の触手が纏わり付き、まるで山のごとき大きさ形成されている。言い伝えでは、神居古潭の北部にある不死山を創ったとも言われている。
顔と思われる場所には、赤き目が二つ輝きを放っていた。
デイダラボッチによって戦死した兵士の亡骸から生み出された妖の大群。その大群を迎え討つ瑞穂率いる皇国軍に、戦況は優位な形勢には傾かなかった。
今の瑞穂が打ち出しているのは、いわばその場しのぎの作戦。妖に対して効果的な攻撃は、千代たち呪術の使いこなせる巫女の浄術しかなく、人外といわれる妖を前に、普通の人間は一方的に狩られる展開となっていた。
「ひっ、ひぃっ!?」
「や、やめろっ、死にたくない!」
辺りから響くのは、皇国兵たちの叫び声。
一方的な殺戮。妖の前に、ただの人は無力。
「くそっ、このままでは…」
妖を斬り倒しながら大群の中を駆け抜ける御剣は、斬り倒しても生み出される妖の勢いに押し潰されそうになっていた。
「がっ!?」
「ぎゃあ!!」
御剣の周囲では、彼についてきた皇国兵たちが妖に無残に倒されていく。
「隊長、後を頼みました!」
名あり妖である河童に足を食い千切られた兵士の一人が、腰に括り付けていた火薬玉に点火し自爆する。自爆に巻き込まれた妖の肉片が飛び散り、血と共に降り注いだ。
「くっ、このぉお!!」
焦り、死闘の中で平常心を失いつつあった御剣は、妖鬼が横薙ぎに振るった斧の攻撃を受けてしまう。
"しまった!?"
「ぐっ!?」
なんとか刀を使って斧の刃を受け止めるが、攻撃のせいで体勢が崩れてしまい、御剣の身体は吹き飛ばされてしまう。
地面に叩きつけられた御剣は、妖鬼の斧が自分に迫っていることに気づく。しかし、先ほどの攻撃で身体の自由を失いかけていた御剣に、その攻撃を防御する術はなかった。
「諦めるのはまだ早いぞ」
御剣の視線に突如として白い毛並みを持つ狼が現れた。狼は御剣を斬り殺そうとしていた妖鬼の腕を噛みちぎり、奪った斧を咥えて妖鬼の首を落とした。
狼は斧をその場に捨てると、御剣の方を振り返る。
「そうじゃったか。やはり、主から懐かしい匂いがしたのは間違いなかったのじゃな」
「狼が…話し…うくっ!」
「先ほどの攻撃で骨が折れたのじゃろう。ここは妾に任せて、お主は下がるのじゃ」
狼はそう言うと、妖を凌駕する速度で妖の首を噛みちぎっていく。
御剣は胴の痛みに耐えながら、その場に立ち上がる。狼の素早い行動によってデイダラボッチまでの道は切り開かれたが、先ほどの攻撃によって胴体に深い傷を負った上、肋が折れて血が流れ出していた。
"なんとか、なんとかこの内に…"
呪詛痕持ちとはいえ、不老不死の最強ではない。回復や力、呪力が常人のそれよりも優れているだけである。
周囲に味方は誰もいない。狼が妖を倒していることで、妖の目標は御剣から狼へと変わっているが、御剣は妖の大群の中に一人取り残されていた。
多量の出血のせいか、御剣の視界が揺らぐ。
呼吸を整えて、手に握っていた刀の柄をしっかりと握り直す。
痛みに耐えながら、白い狼が妖を倒すことで作り出した道を駆け抜ける。御剣の視線の先では、白い狼が素早い動きでデイダラボッチを翻弄していた。
「なぜ下がらぬのじゃ!」
引くことを命じた白い狼は、それでも戦いに身を投じる御剣に叱咤する。
しかし、御剣は刀を構えて、暴れ狂うデイダラボッチへと立ち向かう。
「退くか、絶対退くものか。こんなところで瑞穂の、あいつの夢を終わらせられるか!」
「もちろんよ。こんなところで夢は終わらせない」
その時、御剣と白い狼は突如として現れた強力な呪力の力に振り返る。
「瑞穂…」
そこには、緋ノ国を打ち倒した時に見せた、神々しい姿となった瑞穂が宙に浮いていた。あの時と違うのは、彼女の意識ははっきりとしており、御剣からは身体の内から溢れんばかりの呪力を制御しているようにも見えた。
◇
私は、大御神の生まれ変わり。実感はないけど、その事実は受け入れなければならない。
カミコは言っていた。私には力があると。
誰も死なせない。
私は、私は。
この力で皆を救って見せる。そして、自分の掲げた夢を叶える。
それが、どれほどの代償を払おうとも。
「もちろんよ。こんなところで夢は終わらせない」
自分の力を引き出した私は、不思議な感覚に包まれたまま宙へと浮かぶ。宙から見下ろした戦場は、多くの骸が積み重なり、血の川が流れている。
「瑞穂、お前、その姿…」
「下がっていて、御剣。私がこいつらを葬る」
私は刀の柄を握り直し、刀身で円を描く。すると、その描いた縁が軌跡となって残り、その周囲に見たことのない文字が浮かび上がった。
神代文字、大御神、そして大神のにしか理解できない文字であった。
しかし、私には読める。
それは大神の呪術、神術の祝詞。
「神術、桜花玉簾」
すると、刀身の周りに呪力で創り出された花弁が舞う。
そして、私はその花弁が刀身を纏った時を見計らい、妖の群れに向けて刀を横に振るう。
私の振るった刀の刀身から打ち出された衝撃波が、花弁と共に妖を薙ぎ払う。その花弁には、妖の弱点である浄化の性質を持っており、花弁に触れた妖は悶え苦しむか、衝撃波によって跡形もなく消し飛ぶ。
しかし、私がいくら妖を葬ったところで、無尽蔵に新たな妖を創り出すあの巨人を倒さない限り、こちらの犠牲ばかりが増えてしまう。
もっと、もっと力を。
「ハァアアアア!」
身体が軽い。自由に動く。頭に浮かべると、その通りに身体が動いてくれる。
刀を上段に構えて肉薄する。刀身は黒く濁った頭部に食い込む。
“助けて“
「っ!?」
途端に、刀身を伝って思念が伝わってくる。それは恐らく、この巨人に取り込まれた兵士たちの魂が訴えかけてきているのだろう。
“ここから出してくれ“
“皇様、殺さないで“
“死にたくない、死にたくない“
「くっ!?」
その思念に怯んでしまった私は、巨人の振り下ろしてきた触手の腕に叩き落とされそうになる。
その振り下ろした腕を、なんとか両手で刀を支えて受け止める。
巨体の攻撃を受けることができる。これも、大御神の力だから成せること。
しかし、その腕から触手が蠢き、私の刀ごと取り込もうとしてきた。
「瑞穂!!」
すると、一本の刀が飛来し、私を取り込もうとしてきた触手の腕に突き刺さる。その刀には炎が纏われ、私を取り込もうとしていた触手を焼き払った。
御剣が、自らの刀を投げつけたのだ。御剣は先ほどの戦いでほとんど動けないようで、力を振り絞ったのだろう。血だらけの体を手で押さえながらこちらを見てきた。
「借りるわ」
右手に桜吹雪、左手に業火。両手に得物を持った私は、すかさず弾き飛ばした巨人の顔面を切り裂く。
桜吹雪が妖を浄化し、業火が妖を焼き払う。
やがて、私が切り刻んだ巨人の顔面は触手が溶け落ち始める。
“あれは…“
私が見つけたのは、赤い光を放つ球体。それが溶け出した顔面から露わになったのだ。
「くぅっ!?」
その球体を斬ろうとした瞬間、両方から触手の腕が私を挟み込もうと迫りくる。
しかし、その両腕は突如空中に現れた術式によって壁が作られ、私に到達するまでに阻まれる。
「今です、瑞穂様!!」
千代が作り出した術式が結界を作り出し、巨人の動きを止めることができた。
「いい加減、くたばりなさい!!」
二刀で赤い球体を突き刺す。すると、突き刺した場所からひびが入り出し、次第に球体が割れ破片が舞い散る。
“ジャマヲ、スルナ“
「それはこっちの台詞よ」
流れ込んできた巨人の思念を消すように、私はその球体を叩き割った。
途端、巨人の体が爆散し、私は飛び散った触手の破片を受けて体勢を崩してしまう。
“落ちる!?“
そう思って目を瞑って覚悟していたが、いつまで経っても衝撃はやってこない。
「大丈夫か、瑞穂」
衝撃の代わりに感じたのは、受け止められる感触。
目を開けると、そこには血だらけの顔で心配した表情を見せる御剣の姿があった。
「ありがとう。奴は?」
「無事に倒せたぞ。ほら」
振り向くと、先ほどまでいた巨人は頭から溶けるように崩れ落ち、次第に全身が黒い灰となって風に舞い消えていった。
巨人を倒したことで、巨人が生み出した妖たちはその場に倒れ込み、同じように灰になって消えていく。
「はぁ、はぁ、げぼっ」
巨人が灰になって消えた後、その場には黒い装束に身を包んだ男が、苦しみながら地面に血を吐いていた。
「なぜ、だ、これでは、計画が、うがっ!?」
「動かないで」
近くにいた藤香が、男の背に刀の柄を叩きつけてその場に押さえつける。
私は御剣の腕から降り、男の元へと歩み寄る。
「くっ、ははっ、はははっ」
男は苦しみながら、私に向かって嘲笑する。
「何がおかしい?」
私がそう言った途端、男の声が別の声に変わる。
「くくく、くはははは!」
男の目が赤く輝いた。
「見つけたぞ、大御神、よもや、我が眷属をこの様にいとも簡単に倒すとは」
「………」
「汝に敗れて早百余年、我はこの刻をどれだけ待ち望んだことか。待っておれ、すぐにでも汝の首、貰いに行こうぞ」
「藤香」
「楽しみにしておるがよいわ、くははは!」
藤香が刀をうなじに突き刺す。男の目からあの赤い光が消え、不気味な笑い声が止んだ。
「なるほどのぅ。にわかに信じ難きことじゃが、刻は来たりと言ったところかのぅ」
振り向くと、御剣と一緒に戦っていたあの白狼が、倒れた男を睨みつけながらそう呟いた。
「こいつは、さっきの狼…」
「あなた、喋れるの?」
「如何にも。しかし、この姿はちと怖いのかのぅ。妾を取り囲む兵共の顔が引きつっておる」
気が付けば、周囲には生き残った皇国兵たちが集まり始め、一見すれば私を睨み付ける白狼に武器を構えていた。
「いずれこのシラヌイ、御身の前に現れようぞ」
「ちょっと、待って」
呼び止めるも、シラヌイと名乗った白狼は、私たちの頭上を軽々と越えて戦場の端へと走り去っていく。
「見てください、空が!」
千代の声に従って空を見上げると雨が止み、闇に包まれていた空の黒雲が晴れ、青空と白い雲が現れた。
◇
一方同じころ、坂田の地ではローズとリュウ、そして宝華が、名ありの妖であるがしゃ髑髏と戦いを繰り広げていた。
「歩兵は周囲の敵を攻撃!弓兵はあのデカブツを狙え!」
宝華は部隊に的確な指示を出す。常人である宝華が、名ありの妖であるがしゃ髑髏を相手にすることはできない。
そこで、彼女はローズとリュウの部隊を自分の部隊にまとめ、敵である斎国兵を相手にすることにした。
これにより、ローズとリュウは落ち着いてがしゃ髑髏を相手にすることができた。
「頼みましたよ、お二人とも!」
「だとよ、ローズ」
「じゃあ、負けられないわね」
巨大な骸の腕が、地面を薙ぎ払う。
ローズたちにとっての嬉しい誤算だったのは、がしゃ髑髏は山程の巨体ではあるが、腰より下が無く、本陣の中心から動くことができないことだ。
地面に突き刺さる様に立つがしゃ髑髏は、腕の範囲に入ってきた二人を狙って攻撃を繰り返す。
その攻撃を、二人は動きを予測して動き、攻撃を受けずにいた。
「でかいから動きが鈍いわ」
「関節を狙って動きを止めるぞ」
ローズはウォングとマトゥンを交差させ、火花を散らせる。すると、ウォングに散っていた火花が纏わり付き、やがて青白い炎が刀身を纏った。
リュウが持つ刀は持ち主の呪力と共鳴して雷を宿すことができる。これが、この刀に雷竜という名が冠されている理由でもあった。
二人は大きな動作によって振り下ろされる腕の攻撃を避け、がしゃ髑髏の懐へと入り込む。
「てりぁああ!!」
骨と骨の繋ぎ目である関節を狙ったローズの一撃は、関節を両断し骨にひびを入れる。
しかし、その巨体ゆえ骨の大きさも比較にならないほど大きく、その硬さも鉱物ほどの強度がある。
「ローズっ!」
横薙ぎに振られたがしゃ髑髏の腕が、ローズへと迫る。ローズはその腕を後方転回で避け、ウォングを腕の骨へと突き刺す。
「くぅう!?」
その勢いに振り落とされそうになりながらも、ローズは腕になんとかしがみつく。そして、その腕ががしゃ髑髏の頭上へと舞った刻。
ローズは宙を飛んだ。
「C'est fini」
がしゃ髑髏の顔に飛び降りたローズは、唯一残っている片目にウォングを突き立てた。
炎を纏ったウォングは、がしゃ髑髏の目を焼き、そのまま全身を焼き尽くした。
坂田、利水、そして杭名。
三つの地で行われた皇国軍と斎国軍との戦いは、第6軍が多くの犠牲を払うも皇国軍の勝利に終わった。
しかし、この戦いに身を投じた者には、ある一つの疑問が残った。
戦場に突如として現れた怪異、妖の群れ。それも、伝承でしか語り継がれてこなかった名ありの妖が二体も現れたこと。
そして、その妖を創り出した黒装束の集団。
疑問が残る中、瑞穂はこの戦いを終えてすぐ、部隊を再編させて古賀の地を北上した。
向かう先は、斎国。
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