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再思編
第27.5話 人と妖
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木々が生い茂る中、夜空に浮かぶ月が光を放っている。
…いつからだろうか。俺がこんな景色を眺める様になったのは。どれほどの時が過ぎたのか、俺自身がそれを知る術はない。
目の前を横切る虫や鳥の姿。
季節が変わるごとに移ろい行く山々の彩り。
季節の巡りを知ることができたが、最早それを数え、感じることは億劫になってしまった。
それほど、長い時を過ごしているのだ。
そんな時に彼女が現れた。
「貴方だったのね」
黒い着物に白の外套を身につけ、花の髪飾りで黒い髪を纏めている。初めて見た時は、久方ぶりに人に会えた喜びに感極まってしまった。
彼女は木々の枝を軽々と飛び移り、俺の目の前で着地した。
「お前さん…」
「気にしないで、ここで少し休ませてもらうから」
そう言うと、器用に枝の上に腰を下ろした。
俺は彼女が腰に刺している刀に目が移る。刀にしては細い印象を受けた。
「どうしてここに来たんだ?」
「人の声がするから、誰かがいると思って。でも、そうじゃなかったみたい」
「そうじゃないって、俺が人間じゃないってことか?」
「そうよ」
覚悟はしていた。それもそうだ。
自らの意思で動くこともままならず、それに腹も空かない。
何せ、自分のことが分からなくなるほど、気の遠くなる時間を生きているのだ。そんな自分が人であるはずがない。
「言わない方が良かった?」
「いや…薄々そう感じていた。お前さんに言われて、決心がついたよ」
「そう…」
「なあ、お前さん」
「何?」
「見たところ武人の様に見えるが、名前はなんて言うんだ?」
「藤香、藤の香りと書いて、藤香」
藤香、良い響きの名前だった。藤香はそう言うと、俺の隣の木の幹にもたれかかり、小さな寝息を立てた。
…そうか、やはり人ではなかったか。
しかしながら、俺が人と出会ったのは、随分と久しぶりだ。前にも人に会った様な記憶があるが、長い時間が経ったせいでどんな人物であったかは思い出せない。
暫くすると夜が明ける。
「おはよう藤香」
そう言うと、藤香は身体をゆっくりと起こし、両手を挙げて背筋を伸ばす。
「寝心地はどうだった?」
「最低」
「そうか。それはすまなかった」
「じゃあ、私は行くわ」
「藤香。ちょっと待ってくれ」
気がつけば、俺は藤香のことを呼び止めていた。
「何?」
「久しく人と喋ることが出来た。礼を言う、また来てくれ」
「私は寝床を借りただけ。でも、また来る」
それからというと、藤香はちょくちょくここに来る様になった。
ある時は返り血を浴び、ある時は満身創痍で傷だらけになっている時もあった。
俺が、どうしたと理由を聞いても、藤香はそれについては絶対に答えなかった。
逆に、それ以外のことについてはよく話す。
自分の生まれた境遇、剣術の師の話、自分を受け入れてくれた仲間の話。
いつしか、俺自身も藤香の話を聞くことが、一つの楽しみとなっていた。
同時に、ある感情が現れる様になった。
異質な自身の存在に対する憎悪である。
自分は人ではない。だからこそ、人とは違う自分に対して、言い表せない憎悪の感情が起こる。
「なあ、藤香」
俺はある日、いつものように木の幹で休みに来た藤香に声をかけた。
「俺を殺してくれ」
その言葉を聞いた藤香は、少し表情を曇らせた。
「なぜ?」
「異質な自分が嫌だから。とでも言っておこう」
「異質を嫌う必要なんてない」
「俺は人ではない。自分のことが分からなくなるくらい、随分と同じ景色を見続けてきた。そんな時、お前さんと出会った。藤香、お前さんのおかげなんだ。これからも、同じような時間を過ごすことになる俺に、忘れていたはずの感情とひと時の楽しみを与えてくれた」
だから、この楽しい気持ちのまま、死なせて欲しい。
「本気なのね?」
「頼む」
「私は毒しか使えない。でも、なるべく苦しまずに死ねる毒を使うわ」
藤香は俺の顔に手を添える。すると、何か不思議な感覚が身体の中に流れ込んできた。
死という概念に恐怖はない。
それほど忘れるほど長い時間を過ごしてきた。
そして…
まるで、宙に浮かぶような感覚だった。そして、徐々に視界がぼやけてくる。
薄れゆく意識の中、藤香が俺の顔を見て微笑んだ。
「おやすみ。ありがとう、藤香」
そうして、俺は意識を失った。
◇
また一人、常世へと旅立った。
「おやすみなさい」
そこには、木の枝が巻きついた頭蓋骨が一つ、静かに置かれていた。
…いつからだろうか。俺がこんな景色を眺める様になったのは。どれほどの時が過ぎたのか、俺自身がそれを知る術はない。
目の前を横切る虫や鳥の姿。
季節が変わるごとに移ろい行く山々の彩り。
季節の巡りを知ることができたが、最早それを数え、感じることは億劫になってしまった。
それほど、長い時を過ごしているのだ。
そんな時に彼女が現れた。
「貴方だったのね」
黒い着物に白の外套を身につけ、花の髪飾りで黒い髪を纏めている。初めて見た時は、久方ぶりに人に会えた喜びに感極まってしまった。
彼女は木々の枝を軽々と飛び移り、俺の目の前で着地した。
「お前さん…」
「気にしないで、ここで少し休ませてもらうから」
そう言うと、器用に枝の上に腰を下ろした。
俺は彼女が腰に刺している刀に目が移る。刀にしては細い印象を受けた。
「どうしてここに来たんだ?」
「人の声がするから、誰かがいると思って。でも、そうじゃなかったみたい」
「そうじゃないって、俺が人間じゃないってことか?」
「そうよ」
覚悟はしていた。それもそうだ。
自らの意思で動くこともままならず、それに腹も空かない。
何せ、自分のことが分からなくなるほど、気の遠くなる時間を生きているのだ。そんな自分が人であるはずがない。
「言わない方が良かった?」
「いや…薄々そう感じていた。お前さんに言われて、決心がついたよ」
「そう…」
「なあ、お前さん」
「何?」
「見たところ武人の様に見えるが、名前はなんて言うんだ?」
「藤香、藤の香りと書いて、藤香」
藤香、良い響きの名前だった。藤香はそう言うと、俺の隣の木の幹にもたれかかり、小さな寝息を立てた。
…そうか、やはり人ではなかったか。
しかしながら、俺が人と出会ったのは、随分と久しぶりだ。前にも人に会った様な記憶があるが、長い時間が経ったせいでどんな人物であったかは思い出せない。
暫くすると夜が明ける。
「おはよう藤香」
そう言うと、藤香は身体をゆっくりと起こし、両手を挙げて背筋を伸ばす。
「寝心地はどうだった?」
「最低」
「そうか。それはすまなかった」
「じゃあ、私は行くわ」
「藤香。ちょっと待ってくれ」
気がつけば、俺は藤香のことを呼び止めていた。
「何?」
「久しく人と喋ることが出来た。礼を言う、また来てくれ」
「私は寝床を借りただけ。でも、また来る」
それからというと、藤香はちょくちょくここに来る様になった。
ある時は返り血を浴び、ある時は満身創痍で傷だらけになっている時もあった。
俺が、どうしたと理由を聞いても、藤香はそれについては絶対に答えなかった。
逆に、それ以外のことについてはよく話す。
自分の生まれた境遇、剣術の師の話、自分を受け入れてくれた仲間の話。
いつしか、俺自身も藤香の話を聞くことが、一つの楽しみとなっていた。
同時に、ある感情が現れる様になった。
異質な自身の存在に対する憎悪である。
自分は人ではない。だからこそ、人とは違う自分に対して、言い表せない憎悪の感情が起こる。
「なあ、藤香」
俺はある日、いつものように木の幹で休みに来た藤香に声をかけた。
「俺を殺してくれ」
その言葉を聞いた藤香は、少し表情を曇らせた。
「なぜ?」
「異質な自分が嫌だから。とでも言っておこう」
「異質を嫌う必要なんてない」
「俺は人ではない。自分のことが分からなくなるくらい、随分と同じ景色を見続けてきた。そんな時、お前さんと出会った。藤香、お前さんのおかげなんだ。これからも、同じような時間を過ごすことになる俺に、忘れていたはずの感情とひと時の楽しみを与えてくれた」
だから、この楽しい気持ちのまま、死なせて欲しい。
「本気なのね?」
「頼む」
「私は毒しか使えない。でも、なるべく苦しまずに死ねる毒を使うわ」
藤香は俺の顔に手を添える。すると、何か不思議な感覚が身体の中に流れ込んできた。
死という概念に恐怖はない。
それほど忘れるほど長い時間を過ごしてきた。
そして…
まるで、宙に浮かぶような感覚だった。そして、徐々に視界がぼやけてくる。
薄れゆく意識の中、藤香が俺の顔を見て微笑んだ。
「おやすみ。ありがとう、藤香」
そうして、俺は意識を失った。
◇
また一人、常世へと旅立った。
「おやすみなさい」
そこには、木の枝が巻きついた頭蓋骨が一つ、静かに置かれていた。
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