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再思編
第28話 二人の皇姫
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万代都の建設が進む中、瑞穂は同時に組織の再編にも乗り出した。
まず、政権のあり方については、皇である自らを君主とする君主制とする。それと同時に、主たる法を整備した。
法を整備するのには理由がある。その最もな理由が、権力者による暴走を抑止する役割を持っている。これは、瑞穂が皇を退いた後、いずれ跡を継ぐ者に対する抑止力となるからだ。
そのほかにも、曖昧な法を確固たるものとすることで、皇民が萎縮することを防ぎ、国の基盤を活性化させる目的もある。明確な法があれば、皇民はそれを犯すことのない限り積極的な行動を取るだろう。
何よりも、皇国に不利益をもたらす各種犯罪を抑止することができる。
緋ノ国を打倒し皇国を建てた際に、緋ノ国で使われていた旧法の良いところを抜き取り、それを草案として刑罰法規を制定した刑法を急遽施行していた。
ここに至って法の整備を行う事で、法が国の基盤となり得る。しかし、法とは言っても素人には考えることができない。
そこで瑞穂は、旧体制(緋ノ国)時代の文官を再任用し、更には一般からの門戸を大きく開き、人材の強化を行なった。
約100名の文官たちによって、迦ノ国との戦からふた月、皇国の基礎たる法規範『豊葦原瑞穂皇国法(通称:皇国法)』が公布、施行された。
大まかな体制として、国家の首長である皇の下には、その補佐を務める宰相、軍務を司る侍大将、祭祀を取り計らう斎ノ巫女が置かれる。
そして、皇の下に各分野を統括する省を置き、省の下に部、部の下に実動的な所が置かれた。
例えば
・皇や皇宮に関する仕事を行う皇宮省
・国外の情報収集や、他国との外交を行う外務省
・国内の取り決めを担う民部省
・民部省の元に置かれ、更には6つの所を持つ内務部
・民部省の元に置かれ、刑罰を執行、又は犯罪を捜査する刑部
・皇宮省の元に置かれ、国内の歴史書や法律書の執筆、書物の管理を行う史書部
・皇宮省の元に置かれ、主に皇宮や関連施設の警護を行う近衛部
この様に、省には部が置かれ、部には所が置かれた。内務部には犯罪捜査及び治安維持にあたる検非違使や、国の財産を管理する勘定などがある。
これらの関係を明確化することで、重要事項が速やかに皇に伝わり、適切な措置を行うことができる。
刑罰法規を定めた刑法の改訂、民部法・商法・財産法等の施行などが行われた。
更には、基本教育の充実化を目指し、15に満たない男女は、寺子屋での教育を義務付けることとした。識字率の向上、基礎知識の習得が目的であった。
余談ではあるが、全てが施行された後の文官たちは、過労が原因で1週間ほど寝込んだという。しかし、そんな文官たちに、休む間も無く更なる試練が訪れる事となる。
そして、それから半月後…
「お待ちしておりました。我らが皇の元へご案内致します」
物々しい警備の中、案内人を先頭に、皇都南門である神羅門から朱雀大路を歩く行列を、皇民たちは皆沿道に集まり眺めている。
中でも行列の中央の御車に乗る二人の美女に、多くの者が目を奪われていた。
片方は、艶のある漆黒の髪を腰まで伸ばし、紫色を基調とした装束を身に纏った妖美な女性。
片方は、赤茶色の髪を肩で切り揃え、紅色を基調とした装束を身に纏った可憐な女性。
その二人こそ、胡ノ国の皇である輝夜姫と、侍女で咲夜の妹日和だ。周りを歩くのは彼女たちを守る護衛たちであった。
試練とはつまり、大国の一つである胡ノ国の輝夜姫が、皇国を親善訪問しに来たのだ。彼女を出迎えるため、皇国は文官から検非違使に至るまで大騒ぎになっていた。
「すごい活気ね。戦が終わったばかり、それも出来立ての国とは思えないわ」
「そうですね、お姉様。何よりも民の顔に光があります」
輝夜たちにとって、皇国がこれほどまで発展しているのは予想外であった。特に日和は、民の表情を見ることで民の暮らしぶりを導き出していた。輝夜が手を振ると、民衆たちが歓声を上げた。
通りの露店から、肉の串焼きを焼く匂いが御車に漂ってくる。
「ねぇ、日和。あの露店の料理が食べたいのだけど」
「駄目です。一国の長が露店の物を食べるなど、傍から見ると威厳がありませんので」
「えぇ、日和のケチ。ちょっとぐらい良いじゃないの」
「お姉様、少しは姫君としての自覚をお持ちになってください。まぁ、露店の料理は、後で女官に用意する様に伝えますから、こっそりなら構いません」
「やった、さすが日和。前言撤回、さすが私の妹」
「はぁ、全く…」
そんな他愛のない話をしているうちに、2人を乗せた御車は朱雀大路を上り、皇宮のある皇城の城門にまでたどり着いた。
近衛兵たちの儀礼を受け、御車を降りた二人は、皇城へと案内される。
「この都の造り、日和はどう思う?」
「はい、区画化された都は管理がし易いという利点がある反面、外敵からの侵攻に極端に弱いという欠点があります。恐らく、ここは宋帝国の都を真似ているのでしょうが、こちらはあちらとは違い、城壁に高さが足りないですね」
日和は、皇都の造りに縦の高さが少ないことを指摘する。
「しかし、そこを都をぐるりと囲む外壁と、万一に外壁を突破された時、最後の砦となる皇城の内壁で補っています」
「じゃあ、ここを攻めるなら建築中の今くらいね」
「っ!?それは本気ですか、お姉様?」
「冗談よ、冗談。もし私が迦ノ国の爺なら、そうするって話」
「そうですか」
輝夜達は、鳥居を模した内壁の正門『於上不葺御門』を潜り抜け、石段を登り、皇宮へと足を踏み入れる。
「これは凄いわね」
柱という柱、壁という壁に至るまでかつて存在した大神の肖像が描かれ、天井には色鮮やかな大提灯が吊り下げられている。
「恐らく、この城や内装は、大まかには緋ノ国時代のものを受け継いでいるのでしょう」
「それを、しっかり自分たちの色に変えられているようね」
それらの最奥、謁見の間の玉座に座る桃髪の女性、皇国の皇である瑞穂は、皇の正装に身を包み咲夜たちを出迎えた。
「胡ノ国輝夜姫、遠路遥々ようこそ皇国へ。貴女の来国を心より歓迎いたします」
「お初にお目にかかるわ。皇国の皇、瑞穂之命様」
その時、後に皇国の歴史書『史記 皇国本紀』を執筆した阿礼は、同席した際に見た光景をこう記した。
『皇暦一年、皇国皇、胡ノ国姫、後称二大皇姫逢着(皇暦一年、二大皇姫と後に呼ばれる皇国の皇と胡ノ国の姫が、皇都にて巡り逢った)』
ふたりの皇姫は謁見の間での挨拶を終え、皇宮の一画にある物見の城壁の上で会食をとることになった。
本来であれば相応の場を設けるところであるが、眺めの良い物見の城跡の上での会食を輝夜姫が申し出したため、異例の対応を行った。
会食とは言うが、実際には国の元首同士による非公式の会談が行われる時間でもある。
故に、食事を運ぶ給仕や毒味役以外にこの場に同席するのは、皇国側にあっては瑞穂と御剣、そして宰相であるユーリ。対する胡ノ国側は輝夜と日和、そして。
「お初にお目にかかります。私め、胡ノ国の大臣を務めておりまする、永訣と申します。以後、お見知り置きを」
胡ノ国大臣の永訣が列席した。
永訣、まるで仙人の様なその容姿で胡ノ国の大臣にして、後の歴史書ではその名が必ず記されるほど、多大なる功績を残した胡ノ国輝夜姫の賢臣である。
元々は、胡ノ国の祖となる宇都見国の大臣であったが、胡ノ国が独立し、建国される際に輝夜姫の元へと鞍替えした過去を持つ。
そして、宇都見国が自国領土にて独立と建国を宣言した胡ノ国に対して、宇都見国が胡ノ国を国家として認め、鎮圧などを行わなかったのは、裏で永訣が動いていたからだと言われている。
「これは、美味しいわね。全て皇国の食材なのかしら?」
「お肉は主に北の平野で育てた牛や、豚、鳥。お魚は伊勢灘で獲れた物を楠船港から取り寄せております。また、お野菜は各地で収穫された物でございます」
給仕の言葉に、輝夜はあることに気付いた。それは、会食に出されている食材が、どれも皇国では誰もが一般的に食べる物であると言うことだ。
会食のために味付けや盛り付けには手が加えられているが、どれもこの国の民がごく普通に食べる物であり、決して特別な物ではなかった。
輝夜はこれまで以上に、皇国に対して興味を抱いていた。
しばらく食事を楽しんだ後、輝夜は手拭いで口を拭き、瑞穂に目配せをする。
「さてと、皇国皇、そろそろ」
「えぇ、皆席を外しなさい。盗み聞きは厳罰とします」
輝夜の言葉の意味に気付いた瑞穂が、その場から人払いをさせる。残ったのは、先の6人のみとなった。
「では、改めて」
輝夜は立ち上がり、両袖に腕を隠しゆっくりと腰を折る。その様子を表現するとすれば、月明かりの煌めき。
「胡ノ国皇姫、華宵輝夜」
瑞穂も立ち上がり、片手を腹部に当て、両膝をゆっくりと折る。決まった挨拶の仕方がなかった皇国が取り入れた、ローズの故郷である西洋の作法を真似たものであった。
その様子は、まるで花びら舞う桜の様。
「豊葦原瑞穂皇国初代皇、瑞穂之命」
双方は挨拶が終わると、再びゆっくりと席についた。
「さて、皇国皇。本題に入る前に、単刀直入に二つほど質問させてもらうわ」
「どうぞ」
「皇が大御神の血を受け継ぐというのは、確かな事実なのかしら?」
そう言いながら輝夜は、着物の袖で口元を隠している。これは、質問する側の表情を悟られないためでもある。こうした場では、その顔は口ほどにものを言う。
ましてや、この質問であれば尚更である。
皇の出自や血統を疑うことは、普通ならば決して許されない無礼である。しかし、それを口にしたのは大国の元首、それも皇国にわざわざ足を運んでいる御人になる。
故に、誰もその質問に異議を唱える事ができない。袖の後ろでは、輝夜は不敵な笑みを浮かべていた。
「一応、そう言うことになっているわ」
「なら、証拠はあるのかしら?」
「大御神様を祀っている明風神社、その宮司から神託を受けているわ。そして、私の元には斎ノ巫女がいる」
咲夜は、謁見の間で瑞穂の側に控えていた巫女服の少女のことを思い出す。その答えを隣で聞いていた永訣は、何か懐かしむ様に笑った。
「それではもう一つ」
手元にあった果実酒を口にして、一呼吸置く。
「皇国皇がこの世界に望むことは何かしら?」
「この世界に望むこと?」
「国の皇たる者、国の行く末は見えているはずよ。国をどう導くのか、貴女の思い描くその道を聞かせてもらえないかしら?」
「神州全土の統一よ」
瑞穂はその質問に即答した。その答えに、御剣ですら驚愕する。何故なら、一国の皇の前でこの全土統一を口にすることは、即ち服従を迫るのと同じことを意味しているのだ。
「それは真かしら?」
「私が望むのは、人同士が争わず、殺し合わない、そんな世界よ」
「戯言ね」
輝夜は瑞穂の言葉をその一言で一蹴した。
「この世に国という概念が生まれる遥か昔から、人は争いを続けてきた。争いとは人の本能そのもの。それを押さえつけるのは、大御神であっても不可能だわ」
「いいえ、可能よ」
酢漬けの魚の切り身を口に運び、何度か咀嚼し飲み込む。
「じゃあ、あなたはどうやってこの神州を統一する気なのかしら。それに、人の殺し合わない平和な世界を求める者が、迦ノ国との戦をしたのは、自らの意志に反するのではないの?」
「確かに、戦わずして降伏し、迦ノ国となることで得る平和もあるわ。しかし、それは平和とは言えない。平和を求めない者の平和は偽りよ。それでは誰も、幸せにならない。結局は、争いを求める者に虐げられる。平和を望む私たちが戦うのは、真に平和な世を求めているから」
「それが、例え武力で多くの犠牲を払った後に得た平和であっても?」
「少なくとも、武力なしで平和は訪れる事はないと考えているわ。誰しも、自らの地位を投げ出してまで、平和を求める気はないでしょうね」
「あなたが全ての国を平伏し、頂点に立ったとして暴君とならない保証は?」
「私を信じて、というくらいしかないわね」
「そう、なるほど。よく分かったわ」
輝夜は手拭いで口を拭き、瑞穂を見据える。
「それでは、本題に入らせてもらうわ。なぜ私がここに来たのか。その理由は分かるかしら?」
「初めは胡皇同盟、と思っていた。けれども、どうにもその感じには思えない」
瑞穂の予想では、此度の輝夜姫訪問は、迦ノ国との戦いを勝利した皇国と、同盟を結びに来たと予想していた。
事前に質問された件もそうだ。
普通であれば、一国の皇がこの神州全土を統一などと口にすれば、それは回り回って服従せよとも捉えることができる。
しかし、輝夜姫は全土統一の為の覚悟を聞いてきた。
「半分以上は当たっているわ。でも、残りは違う。私が皇国まで足を運んで来たのは、豊葦原瑞穂皇国の皇、瑞穂之命がどの様な人物であるのかを感じに来たの」
「私を?」
「私が知る皇国皇は、美しく、強く、民から慕われている。この国の民を見れば分かるわ。でも、それだけじゃ分からないこともある」
「一体どういう意味?」
「皇国皇、あなたが私と肩を並べるに足りる人物なのか、それを感じに来たの」
◇
「貴女はさっき、私に対してこの国をどう導くかという問いに、全土の統一と答えたわね」
「えぇ、確かに」
「人の殺し合わない理想の世界、それを実現するためには他国を平伏すること事が必要不可欠。国とは、そこに住む人々が根付いた大地。即ち、戦で大地を滅ぼせば人は朽ちていくでしょうね」
「民あっての国、それは私もよく分かっているわ」
「では、滅さずとも、その国の皇に一つの国となるように言えば…」
「不可能です」
御剣にそう言い切ったのは、輝夜姫の隣に控える日和と言う侍女だった。
「分かっているだけで、この神州には本島以外の島を含めて四十ほどの国があります。その中でも、この本島の覇権を握っているのが大和朝廷、それに次ぐのは迦ノ国、そして宇都見国。それに、北には神居古潭があります」
神居古潭、ユーリやホルスの出身国であり、そこに住む人全てが神居子と呼ばれる宗教国家。
「はっきり言いますが、全ての国の皇が、皇国皇のその言葉、稚児の戯言と嘲笑うでしょう」
私は、日和の顔を見据える。そして、一呼吸おいて口を開く。
「そうかもしれない。けれども、私は誰に何を言われようが、例え嘲笑われようが、どんな手段を使ってでも目的を果たすつもりよ」
「では、お聞かせ願えるかしら。皇国皇の抱く、理想の世界の作り方というものを」
扇を開く。
「服従と懐柔。その道を阻止せんとする者がいれば打ち破り、命惜しいと申し立てるならば懐柔し、共に高みを目指すというのなら共に戦う。その顛末の先にあるものは紛うことなき超大国。そして、その超大国は、長きにわたる戦の末に、大御神の庇護のもと、真の平和と平等を手にする」
◇
あの時と同じだ。
その時の瑞穂は、あの神々しい姿と同じであった。そして、その言葉を聞いた瞬間、俺は何故か椅子から立ち上がっていた。
そして、胸が熱くなる。言葉では言い表せられない様々な感情が、一気にこみ上げてきたのだ。
輝夜は瑞穂、俺、ユーリへと視線を移す。そして、納得した表情をした様に見えた。
「そう…、そういうことなのね」
「姫様?」
「何でもないわ。では、日和」
「はい」
「筆と印をここへ」
「!?」
輝夜にそう言われた日和は、彼女のもとに筆と印を持ってくる。
「皇国皇。この私、胡ノ国華宵輝夜が治める胡ノ国。貴女の治める皇国と正式に国交を結び、かつ未来永劫、争わず、助け合うことを約束するわ」
「「「!?」」」
驚いたのは、俺たち皇国側の3人であった。当の輝夜や、日和、永訣は全く動じていない。
まるで、最初からこうなる事を知っていたかの様だった。
「私は皇国皇と共に、誰もが争わず、人が殺し合わない理想の世界を目指したいわ」
「輝夜姫…」
「この地は、もう散々多くの血を流してきたの。泥沼から抜け出せなくなっているこの地に、貴女という希望の光を照らす出口が現れた。貴女になら、理想の世界の舵取りを任せていいと思っているわ」
「……」
俺は、言葉を失った。不可能と言われた国の皇に対する説得が、まさに目の前で成功してしまったのだ。
「しかし、条件があるわ」
「言ってみて」
「もし、共に戦う中で貴女の意思に歪みを感じれば、胡ノ国は全力で皇国を潰しに行くわ。それが仇敵である宇都見国と手を組もうが、朝廷を敵に回そうがね」
「…承知したわ」
瑞穂がそう言うと、輝夜姫は筆を滑らせ、二枚の紙に同じ文章を書いた。それを、日和が交互に瑞穂へと手渡す。
「一つは皇国、一つは胡ノ国に。互いの決定を証明するものとなります。そして、立ち合いは皇国宰相ユーリ様と、大臣の永訣様となります」
二枚の紙にそれぞれの皇が署名した後、ユーリと永訣が二枚にそれぞれ名を連ねる。
「それじゃあ、私はここで失礼するわ」
「えっ!?」
「楽しかったわ瑞穂皇、今度はもっとゆっくり語り合いましょう」
何と、咲夜姫は卓に並べられていた料理をいつの間にか完食しており、早々に胡ノ国へと帰ると言うのだ。
宴の席も見送りも不要と申し立てた輝夜姫は、来た時と同じように御車に乗って皇都を去っていった。
こうして、異例尽くしの輝夜姫訪問は無事に閉幕した。その後、瑞穂の元へとあの『藤の女武人』の話が舞い込んできた。
まず、政権のあり方については、皇である自らを君主とする君主制とする。それと同時に、主たる法を整備した。
法を整備するのには理由がある。その最もな理由が、権力者による暴走を抑止する役割を持っている。これは、瑞穂が皇を退いた後、いずれ跡を継ぐ者に対する抑止力となるからだ。
そのほかにも、曖昧な法を確固たるものとすることで、皇民が萎縮することを防ぎ、国の基盤を活性化させる目的もある。明確な法があれば、皇民はそれを犯すことのない限り積極的な行動を取るだろう。
何よりも、皇国に不利益をもたらす各種犯罪を抑止することができる。
緋ノ国を打倒し皇国を建てた際に、緋ノ国で使われていた旧法の良いところを抜き取り、それを草案として刑罰法規を制定した刑法を急遽施行していた。
ここに至って法の整備を行う事で、法が国の基盤となり得る。しかし、法とは言っても素人には考えることができない。
そこで瑞穂は、旧体制(緋ノ国)時代の文官を再任用し、更には一般からの門戸を大きく開き、人材の強化を行なった。
約100名の文官たちによって、迦ノ国との戦からふた月、皇国の基礎たる法規範『豊葦原瑞穂皇国法(通称:皇国法)』が公布、施行された。
大まかな体制として、国家の首長である皇の下には、その補佐を務める宰相、軍務を司る侍大将、祭祀を取り計らう斎ノ巫女が置かれる。
そして、皇の下に各分野を統括する省を置き、省の下に部、部の下に実動的な所が置かれた。
例えば
・皇や皇宮に関する仕事を行う皇宮省
・国外の情報収集や、他国との外交を行う外務省
・国内の取り決めを担う民部省
・民部省の元に置かれ、更には6つの所を持つ内務部
・民部省の元に置かれ、刑罰を執行、又は犯罪を捜査する刑部
・皇宮省の元に置かれ、国内の歴史書や法律書の執筆、書物の管理を行う史書部
・皇宮省の元に置かれ、主に皇宮や関連施設の警護を行う近衛部
この様に、省には部が置かれ、部には所が置かれた。内務部には犯罪捜査及び治安維持にあたる検非違使や、国の財産を管理する勘定などがある。
これらの関係を明確化することで、重要事項が速やかに皇に伝わり、適切な措置を行うことができる。
刑罰法規を定めた刑法の改訂、民部法・商法・財産法等の施行などが行われた。
更には、基本教育の充実化を目指し、15に満たない男女は、寺子屋での教育を義務付けることとした。識字率の向上、基礎知識の習得が目的であった。
余談ではあるが、全てが施行された後の文官たちは、過労が原因で1週間ほど寝込んだという。しかし、そんな文官たちに、休む間も無く更なる試練が訪れる事となる。
そして、それから半月後…
「お待ちしておりました。我らが皇の元へご案内致します」
物々しい警備の中、案内人を先頭に、皇都南門である神羅門から朱雀大路を歩く行列を、皇民たちは皆沿道に集まり眺めている。
中でも行列の中央の御車に乗る二人の美女に、多くの者が目を奪われていた。
片方は、艶のある漆黒の髪を腰まで伸ばし、紫色を基調とした装束を身に纏った妖美な女性。
片方は、赤茶色の髪を肩で切り揃え、紅色を基調とした装束を身に纏った可憐な女性。
その二人こそ、胡ノ国の皇である輝夜姫と、侍女で咲夜の妹日和だ。周りを歩くのは彼女たちを守る護衛たちであった。
試練とはつまり、大国の一つである胡ノ国の輝夜姫が、皇国を親善訪問しに来たのだ。彼女を出迎えるため、皇国は文官から検非違使に至るまで大騒ぎになっていた。
「すごい活気ね。戦が終わったばかり、それも出来立ての国とは思えないわ」
「そうですね、お姉様。何よりも民の顔に光があります」
輝夜たちにとって、皇国がこれほどまで発展しているのは予想外であった。特に日和は、民の表情を見ることで民の暮らしぶりを導き出していた。輝夜が手を振ると、民衆たちが歓声を上げた。
通りの露店から、肉の串焼きを焼く匂いが御車に漂ってくる。
「ねぇ、日和。あの露店の料理が食べたいのだけど」
「駄目です。一国の長が露店の物を食べるなど、傍から見ると威厳がありませんので」
「えぇ、日和のケチ。ちょっとぐらい良いじゃないの」
「お姉様、少しは姫君としての自覚をお持ちになってください。まぁ、露店の料理は、後で女官に用意する様に伝えますから、こっそりなら構いません」
「やった、さすが日和。前言撤回、さすが私の妹」
「はぁ、全く…」
そんな他愛のない話をしているうちに、2人を乗せた御車は朱雀大路を上り、皇宮のある皇城の城門にまでたどり着いた。
近衛兵たちの儀礼を受け、御車を降りた二人は、皇城へと案内される。
「この都の造り、日和はどう思う?」
「はい、区画化された都は管理がし易いという利点がある反面、外敵からの侵攻に極端に弱いという欠点があります。恐らく、ここは宋帝国の都を真似ているのでしょうが、こちらはあちらとは違い、城壁に高さが足りないですね」
日和は、皇都の造りに縦の高さが少ないことを指摘する。
「しかし、そこを都をぐるりと囲む外壁と、万一に外壁を突破された時、最後の砦となる皇城の内壁で補っています」
「じゃあ、ここを攻めるなら建築中の今くらいね」
「っ!?それは本気ですか、お姉様?」
「冗談よ、冗談。もし私が迦ノ国の爺なら、そうするって話」
「そうですか」
輝夜達は、鳥居を模した内壁の正門『於上不葺御門』を潜り抜け、石段を登り、皇宮へと足を踏み入れる。
「これは凄いわね」
柱という柱、壁という壁に至るまでかつて存在した大神の肖像が描かれ、天井には色鮮やかな大提灯が吊り下げられている。
「恐らく、この城や内装は、大まかには緋ノ国時代のものを受け継いでいるのでしょう」
「それを、しっかり自分たちの色に変えられているようね」
それらの最奥、謁見の間の玉座に座る桃髪の女性、皇国の皇である瑞穂は、皇の正装に身を包み咲夜たちを出迎えた。
「胡ノ国輝夜姫、遠路遥々ようこそ皇国へ。貴女の来国を心より歓迎いたします」
「お初にお目にかかるわ。皇国の皇、瑞穂之命様」
その時、後に皇国の歴史書『史記 皇国本紀』を執筆した阿礼は、同席した際に見た光景をこう記した。
『皇暦一年、皇国皇、胡ノ国姫、後称二大皇姫逢着(皇暦一年、二大皇姫と後に呼ばれる皇国の皇と胡ノ国の姫が、皇都にて巡り逢った)』
ふたりの皇姫は謁見の間での挨拶を終え、皇宮の一画にある物見の城壁の上で会食をとることになった。
本来であれば相応の場を設けるところであるが、眺めの良い物見の城跡の上での会食を輝夜姫が申し出したため、異例の対応を行った。
会食とは言うが、実際には国の元首同士による非公式の会談が行われる時間でもある。
故に、食事を運ぶ給仕や毒味役以外にこの場に同席するのは、皇国側にあっては瑞穂と御剣、そして宰相であるユーリ。対する胡ノ国側は輝夜と日和、そして。
「お初にお目にかかります。私め、胡ノ国の大臣を務めておりまする、永訣と申します。以後、お見知り置きを」
胡ノ国大臣の永訣が列席した。
永訣、まるで仙人の様なその容姿で胡ノ国の大臣にして、後の歴史書ではその名が必ず記されるほど、多大なる功績を残した胡ノ国輝夜姫の賢臣である。
元々は、胡ノ国の祖となる宇都見国の大臣であったが、胡ノ国が独立し、建国される際に輝夜姫の元へと鞍替えした過去を持つ。
そして、宇都見国が自国領土にて独立と建国を宣言した胡ノ国に対して、宇都見国が胡ノ国を国家として認め、鎮圧などを行わなかったのは、裏で永訣が動いていたからだと言われている。
「これは、美味しいわね。全て皇国の食材なのかしら?」
「お肉は主に北の平野で育てた牛や、豚、鳥。お魚は伊勢灘で獲れた物を楠船港から取り寄せております。また、お野菜は各地で収穫された物でございます」
給仕の言葉に、輝夜はあることに気付いた。それは、会食に出されている食材が、どれも皇国では誰もが一般的に食べる物であると言うことだ。
会食のために味付けや盛り付けには手が加えられているが、どれもこの国の民がごく普通に食べる物であり、決して特別な物ではなかった。
輝夜はこれまで以上に、皇国に対して興味を抱いていた。
しばらく食事を楽しんだ後、輝夜は手拭いで口を拭き、瑞穂に目配せをする。
「さてと、皇国皇、そろそろ」
「えぇ、皆席を外しなさい。盗み聞きは厳罰とします」
輝夜の言葉の意味に気付いた瑞穂が、その場から人払いをさせる。残ったのは、先の6人のみとなった。
「では、改めて」
輝夜は立ち上がり、両袖に腕を隠しゆっくりと腰を折る。その様子を表現するとすれば、月明かりの煌めき。
「胡ノ国皇姫、華宵輝夜」
瑞穂も立ち上がり、片手を腹部に当て、両膝をゆっくりと折る。決まった挨拶の仕方がなかった皇国が取り入れた、ローズの故郷である西洋の作法を真似たものであった。
その様子は、まるで花びら舞う桜の様。
「豊葦原瑞穂皇国初代皇、瑞穂之命」
双方は挨拶が終わると、再びゆっくりと席についた。
「さて、皇国皇。本題に入る前に、単刀直入に二つほど質問させてもらうわ」
「どうぞ」
「皇が大御神の血を受け継ぐというのは、確かな事実なのかしら?」
そう言いながら輝夜は、着物の袖で口元を隠している。これは、質問する側の表情を悟られないためでもある。こうした場では、その顔は口ほどにものを言う。
ましてや、この質問であれば尚更である。
皇の出自や血統を疑うことは、普通ならば決して許されない無礼である。しかし、それを口にしたのは大国の元首、それも皇国にわざわざ足を運んでいる御人になる。
故に、誰もその質問に異議を唱える事ができない。袖の後ろでは、輝夜は不敵な笑みを浮かべていた。
「一応、そう言うことになっているわ」
「なら、証拠はあるのかしら?」
「大御神様を祀っている明風神社、その宮司から神託を受けているわ。そして、私の元には斎ノ巫女がいる」
咲夜は、謁見の間で瑞穂の側に控えていた巫女服の少女のことを思い出す。その答えを隣で聞いていた永訣は、何か懐かしむ様に笑った。
「それではもう一つ」
手元にあった果実酒を口にして、一呼吸置く。
「皇国皇がこの世界に望むことは何かしら?」
「この世界に望むこと?」
「国の皇たる者、国の行く末は見えているはずよ。国をどう導くのか、貴女の思い描くその道を聞かせてもらえないかしら?」
「神州全土の統一よ」
瑞穂はその質問に即答した。その答えに、御剣ですら驚愕する。何故なら、一国の皇の前でこの全土統一を口にすることは、即ち服従を迫るのと同じことを意味しているのだ。
「それは真かしら?」
「私が望むのは、人同士が争わず、殺し合わない、そんな世界よ」
「戯言ね」
輝夜は瑞穂の言葉をその一言で一蹴した。
「この世に国という概念が生まれる遥か昔から、人は争いを続けてきた。争いとは人の本能そのもの。それを押さえつけるのは、大御神であっても不可能だわ」
「いいえ、可能よ」
酢漬けの魚の切り身を口に運び、何度か咀嚼し飲み込む。
「じゃあ、あなたはどうやってこの神州を統一する気なのかしら。それに、人の殺し合わない平和な世界を求める者が、迦ノ国との戦をしたのは、自らの意志に反するのではないの?」
「確かに、戦わずして降伏し、迦ノ国となることで得る平和もあるわ。しかし、それは平和とは言えない。平和を求めない者の平和は偽りよ。それでは誰も、幸せにならない。結局は、争いを求める者に虐げられる。平和を望む私たちが戦うのは、真に平和な世を求めているから」
「それが、例え武力で多くの犠牲を払った後に得た平和であっても?」
「少なくとも、武力なしで平和は訪れる事はないと考えているわ。誰しも、自らの地位を投げ出してまで、平和を求める気はないでしょうね」
「あなたが全ての国を平伏し、頂点に立ったとして暴君とならない保証は?」
「私を信じて、というくらいしかないわね」
「そう、なるほど。よく分かったわ」
輝夜は手拭いで口を拭き、瑞穂を見据える。
「それでは、本題に入らせてもらうわ。なぜ私がここに来たのか。その理由は分かるかしら?」
「初めは胡皇同盟、と思っていた。けれども、どうにもその感じには思えない」
瑞穂の予想では、此度の輝夜姫訪問は、迦ノ国との戦いを勝利した皇国と、同盟を結びに来たと予想していた。
事前に質問された件もそうだ。
普通であれば、一国の皇がこの神州全土を統一などと口にすれば、それは回り回って服従せよとも捉えることができる。
しかし、輝夜姫は全土統一の為の覚悟を聞いてきた。
「半分以上は当たっているわ。でも、残りは違う。私が皇国まで足を運んで来たのは、豊葦原瑞穂皇国の皇、瑞穂之命がどの様な人物であるのかを感じに来たの」
「私を?」
「私が知る皇国皇は、美しく、強く、民から慕われている。この国の民を見れば分かるわ。でも、それだけじゃ分からないこともある」
「一体どういう意味?」
「皇国皇、あなたが私と肩を並べるに足りる人物なのか、それを感じに来たの」
◇
「貴女はさっき、私に対してこの国をどう導くかという問いに、全土の統一と答えたわね」
「えぇ、確かに」
「人の殺し合わない理想の世界、それを実現するためには他国を平伏すること事が必要不可欠。国とは、そこに住む人々が根付いた大地。即ち、戦で大地を滅ぼせば人は朽ちていくでしょうね」
「民あっての国、それは私もよく分かっているわ」
「では、滅さずとも、その国の皇に一つの国となるように言えば…」
「不可能です」
御剣にそう言い切ったのは、輝夜姫の隣に控える日和と言う侍女だった。
「分かっているだけで、この神州には本島以外の島を含めて四十ほどの国があります。その中でも、この本島の覇権を握っているのが大和朝廷、それに次ぐのは迦ノ国、そして宇都見国。それに、北には神居古潭があります」
神居古潭、ユーリやホルスの出身国であり、そこに住む人全てが神居子と呼ばれる宗教国家。
「はっきり言いますが、全ての国の皇が、皇国皇のその言葉、稚児の戯言と嘲笑うでしょう」
私は、日和の顔を見据える。そして、一呼吸おいて口を開く。
「そうかもしれない。けれども、私は誰に何を言われようが、例え嘲笑われようが、どんな手段を使ってでも目的を果たすつもりよ」
「では、お聞かせ願えるかしら。皇国皇の抱く、理想の世界の作り方というものを」
扇を開く。
「服従と懐柔。その道を阻止せんとする者がいれば打ち破り、命惜しいと申し立てるならば懐柔し、共に高みを目指すというのなら共に戦う。その顛末の先にあるものは紛うことなき超大国。そして、その超大国は、長きにわたる戦の末に、大御神の庇護のもと、真の平和と平等を手にする」
◇
あの時と同じだ。
その時の瑞穂は、あの神々しい姿と同じであった。そして、その言葉を聞いた瞬間、俺は何故か椅子から立ち上がっていた。
そして、胸が熱くなる。言葉では言い表せられない様々な感情が、一気にこみ上げてきたのだ。
輝夜は瑞穂、俺、ユーリへと視線を移す。そして、納得した表情をした様に見えた。
「そう…、そういうことなのね」
「姫様?」
「何でもないわ。では、日和」
「はい」
「筆と印をここへ」
「!?」
輝夜にそう言われた日和は、彼女のもとに筆と印を持ってくる。
「皇国皇。この私、胡ノ国華宵輝夜が治める胡ノ国。貴女の治める皇国と正式に国交を結び、かつ未来永劫、争わず、助け合うことを約束するわ」
「「「!?」」」
驚いたのは、俺たち皇国側の3人であった。当の輝夜や、日和、永訣は全く動じていない。
まるで、最初からこうなる事を知っていたかの様だった。
「私は皇国皇と共に、誰もが争わず、人が殺し合わない理想の世界を目指したいわ」
「輝夜姫…」
「この地は、もう散々多くの血を流してきたの。泥沼から抜け出せなくなっているこの地に、貴女という希望の光を照らす出口が現れた。貴女になら、理想の世界の舵取りを任せていいと思っているわ」
「……」
俺は、言葉を失った。不可能と言われた国の皇に対する説得が、まさに目の前で成功してしまったのだ。
「しかし、条件があるわ」
「言ってみて」
「もし、共に戦う中で貴女の意思に歪みを感じれば、胡ノ国は全力で皇国を潰しに行くわ。それが仇敵である宇都見国と手を組もうが、朝廷を敵に回そうがね」
「…承知したわ」
瑞穂がそう言うと、輝夜姫は筆を滑らせ、二枚の紙に同じ文章を書いた。それを、日和が交互に瑞穂へと手渡す。
「一つは皇国、一つは胡ノ国に。互いの決定を証明するものとなります。そして、立ち合いは皇国宰相ユーリ様と、大臣の永訣様となります」
二枚の紙にそれぞれの皇が署名した後、ユーリと永訣が二枚にそれぞれ名を連ねる。
「それじゃあ、私はここで失礼するわ」
「えっ!?」
「楽しかったわ瑞穂皇、今度はもっとゆっくり語り合いましょう」
何と、咲夜姫は卓に並べられていた料理をいつの間にか完食しており、早々に胡ノ国へと帰ると言うのだ。
宴の席も見送りも不要と申し立てた輝夜姫は、来た時と同じように御車に乗って皇都を去っていった。
こうして、異例尽くしの輝夜姫訪問は無事に閉幕した。その後、瑞穂の元へとあの『藤の女武人』の話が舞い込んできた。
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