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傾国編
第3話 枷が壊れるとき
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従者というのは、言葉の通り付き従うことが仕事であり、役目である。だからと言って、四六時中、主の横にいるわけでもない。たまには主のもとを離れて、自分の仕事に専念することもあるのだが、そういう時に限って瑞穂は自分の捌ききれない仕事を押し付けてくる。
瑞穂が仕事を押し付けてくる時は、決まって彼女が休養を取る時だ。それを分かっているので、あえて直接文句を言わないようにしている。
「だからって、一日の仕事を全部押し付けるのはどうかと思う…」
「まぁ、まぁ、瑞穂様は最近頑張っていられましたし、少しぐらい大目に見てあげてはどうですか?」
現在、俺は主の投げ出した政務を代わりに処理していた。それも、瑞穂が行う一日の政務全てを。
平和な村であっても、毎日村長に上げられて来る報告の量は多い。例えば林業、稲作などの農耕、他村落との交易の成果報告、防人衆の勤務報告など、こうした報告は毎日あり、全てに目を通さなければならない。
優先度の高いものであれば、中央からの収支報告の作成。これを疎かにしてしまえば、目をつけられる上、難癖をつけられて村の財産を掠め取られてしまう。これで大切なのが、収入を少なく見積り、献上米の量を増やすこと。こうする事で、厳しいながらも中央のために献上しているという形を作っている。
嗚呼でもない、こうでもないとぼやき、頭を抱えながら政務をこなすその横で、巫女服姿の千代が何やら小物を作っていた。
「なら、俺の代わりに仕事をするか?」
「嫌です」
満面の笑みでそう返されてしまう。こうなると、千代を巻き込んで早めに終わらそうとする目論見は潰えたので、仕方なく自分の力だけで何とかする。
ふと、千代が手を止めて俺の前へと寄ってくる。
「でも、応援はしますよ?頑張れ頑張れ御剣様っ」
「何か元気が出てきた気がする…」
「ふふ、だって元気の出る呪術を使いましたから」
「そんなのがあるのか⁉︎」
「冗談でございます」
俺たちは思わず笑ってしまった。
こうして千代と二人きりで話すのは随分と久しぶりだ。小さい頃に出会って以来、従者と巫女見習いというお互いの事情もあり、中々会うことができなかった。
墨染様に連れられ、一度だけ訪れたことのある明風神社。その次期宮司であり、今では側付き見習い巫女として瑞穂の元にいる。
今の彼女は立場上、見習いとなっているが、七葉さんが勇退すれば、確実に次の宮司となる。呪術の実力は折り紙つきで、現宮司である七葉さんも認めるほどだ。
俺が瑞穂の従者となり、千代が側付きになる。二つの偶然が重なったことで、俺たちは再び出会い、こうしてゆっくりと話すことが出来た。
「そういえば、さっきから何を作っているんだ⁇」
「秘密にございます」
"御守り…⁇"
横目で見てみると、それは手作りの御守りのように見えた。しばらくして、千代が手にしていた道具と御守りを座卓の上に置く。
「出来ました!明風神社の巫女特製御守りです!」
「やっぱり、御守りだったんだな。明風神社で出すやつか?」
「いいえ、違いますよ。これは、御剣様のために作ったのです。どうぞ、御剣様」
千代から手渡されたのは、特徴的な五芒星の印が描かれた御守りだった。確か、五芒星は千代が呪術を使う際に描く固有術式だ。
それを手にした瞬間、自分の心に余裕が出来たように感じる。御守りをはじめとする護符には、製作者の呪力が込められている。呪力は大神とそれらを信仰する人との唯一の繋がりである。
人は、大神と同じ力が込められた護符を持つ事で、大神からの恩恵を得て、逆に大神は人からの信仰を得る。
そんな護符の一つである御守りだが、千代から受け取ったものにはもう一つ御利益があるように思えた。彼女が俺のために作った、それはつまり、彼女の思いが詰まっているという事だ。
「こんなに出来の良いものを俺に?」
「はい、勿論にございます」
「本当に良いのか⁇」
「良いも悪いも、これは御剣様のために作ったものですから」
そう言われてしまえば、断る義理などない。その厚意を有り難く受け取ることにした。
「すまない、有り難く貰っておく。ちなみに、これはどんなご利益があるんだ?」
「え、えっと、それはですね。幸運を呼ぶ御守りです」
「幸運、か」
どこに付けようか迷った挙句、輪っかに紐を通して首に下げることにした。首にかけた後に千代を見ると、どこか嬉しそうな顔をしていた。
「どうした?」
「いーえ、なにもありませんよー」
笑顔でとぼける千代を見て、思わず表情が緩んでしまった。
◇
村長だからといって、四六時中政務をしているわけではない。こうして、村に出て村の様子を見て回り、何か問題がないかを確認するのも仕事の一つである。
大方、仕事を押し付けた御剣は私が休養を取っているのだと思っているはずだ。私だって、休みたいのは山々だが、村長に成り立ての現状、少しでもお祖母様と同等の信頼を得るためには、休むことなど許されない。
今日の私の仕事、それは村中の見回りである。
「よぉ村長!」
「おはよう村長」
「瑞穂お姉ちゃんだ!」
村を歩いていると、農作業をしている大人たちや、元気に走り回る子供たちから挨拶される。芦原村の村人たちは、どんなに苦しい状況であっても笑顔を絶やさず明るく過ごす。それが、この村の良いところだろう。
「見回り中かい?」
「はい、何か困ったこととかありませんか⁇」
「困ったことなら一杯あるが、村長に頼むほどのもんじゃないさ。そういえば、信濃んところの睦美が村長を探していたよ?」
「睦美お姉様が⁇」
「あっちの畑にいるし、顔見せに行ってやりなよ」
そう言われてあぜ道を歩いていると、畑の中で作業をするお姉様を見つける。お姉様の名前を呼ぶと、農具を持ったままこちらに歩み寄ってくれた。
「あらあら、瑞穂じゃないの。今日お仕事は?」
「こんにちは、睦美お姉様。今は村の見回り中です」
私より少し背が高く、茶色の髪を腰まで伸ばしている。おっとりとした表情と優しい眼元が特徴的な、麗人。
そんな睦美お姉様は私が小さい頃、屋敷で面倒を見てくれたお姉様の一人だ。今は防人の信濃さんの元に嫁いで、幸せな家庭を築いている。
ちなみに、私には二人のお姉様がいる。睦美お姉様は私に礼儀作法や料理を教えてくれた。
もう一人。今は旅に出てこの村にはいない可憐お姉様は、私や御剣たちに剣術の指南をしてくれた。
「見回りも大事だけど、他にやらないといけない事は残っていないの⁇」
「え、えっと。御剣が代わりにやってくれてる、よ⁇」
「ふぅん、見回り中ねぇ…」
余計なことを言われそうだったので、慌てて話題を変えることにした。
「あ、そうそう睦美お姉様。この前の肥料、いまどんな感じになったの?」
「信濃が喜んでいたわ。何でも土が元気になったって」
「じゃあ、今年の収穫が楽しみね」
「ふふ、そうね。それよりも瑞穂、あまり御剣に迷惑ばかりかけてはダメよ。お仕事はしっかりやらないと、そのうち墨染様に怒られるわよ。どうせ、甘いものでも食べたくなったのでしょう⁇」
「あうっ…」
やはり、お姉様に嘘は通用しなかった。本気で怒られたわけではなかったが、少し諌められてしまった。
「おーい、帰ったぞぉ」
私たちが話していると、遠くから何人かの男衆が泥だらけになって戻ってきた。その中でも、ひときわ威勢がよく体格の良い人が、お姉様の旦那さんであり、防人の信濃さんだ。
信濃さんは私を見つけると、その大きな手でわしゃわしゃと頭を撫でてきた。
「おっ、これはこれは村長」
「おぉ、村長だ」
「ちぃーす、村長」
「こんにちは、みんな元気そうね」
「俺たちゃ元気だけが取り柄だからなぁ~、はっはっは!」
信濃さんは上機嫌に笑い、肩を叩いてくる。少し痛いが、信濃さんのこの絡み方は、私は別に嫌いじゃなかった。寧ろ、小さい頃から変わらず接してくれて嬉しかった。
「こら、村長に何してんの。あぁもう、汚い手で触ったから瑞穂の綺麗な髪が汚れたじゃないの!」
「あ、いやぁ、すまん村長。俺ってば、つい調子に乗っちまった」
すると、睦美お姉様が何かを思い出したかのように手を叩いた。
「あ、そうそう。あなた、村長にあの事を伝えておかなくちゃね」
「あの事?」
「そうだったな。村長、今日の夜にみんなで酒盛りをしようと思ってるんだ。今日狩りに出掛けたら思った以上に大物が取れてな。最近じゃあ化け物みたいな熊が出て獲物が皆怯えて出てこなかったが、どっかの誰かがやっつけてくれたおかげで久々の大量だ」
それには心当たりがあった。
「どっかの誰か、ねぇ…」
おそらく、先日に御剣と右京が仕留めた熊のことだろう。酒盛りの時に、こそっと食べきれなかった熊肉を出しておこう。
「てな訳で、村長達にも来てもらいたくて」
「本当? まぁ、お誘いを断る理由なんてないけど」
「決まりだな。よしお前ら! 今日は村長も来てくれるってこったぁ、うんと盛大にやるぞぉ!」
「「オゥ!」」
酒盛り、そう言えば村長になってから暫くはやっていなかった。酒好きの多い村だから、久々の酒盛りは大いに盛り上がるだろう。
私は楽しみにしていると伝え、お姉様たちと別れた。
「畑も回ったし、厩も回った、川辺も一通り確認したし、後は…」
残すは後一つ。
「甘味屋!」
私が向かったのは、馴染みで行きつけの小さな甘味屋。とは言っても、暖簾がかけられているわけでもなく、知る人ぞ知るお店として営業しているところだ。
「あら、村長さん。いらっしゃいませ」
「こんにちは! 来ちゃった」
店に入ると、いつもの様に珠那さんが笑顔で迎えてくれた。
珠那さんとは私が村長になってからの付き合いだが、互いに性格を認め合うことで信頼関係を築いている。
「今日は何にしよっかな」
「そうそう村長さん、この前食べてもらいましたお団子だけど、新しい味を考えました。少し試食してくれないかしら?」
「えっ、気になる。食べてみたいかも」
「ちょっと待ってて下さいね」
木の板に載せられていたのは、ほのかに甘い香りが漂う串団子だった。よく見ると、とろっとした餡が掛けられている。
「砂糖醤油の餡をかけてみました。どうぞ召し上がってくださいな」
「頂きます!」
餡が周りにつかないように気をつけながら口に運ぶ。口に入れた瞬間、団子の柔らかい弾力と餡の香ばしくも甘い餡が口一杯に広がる。
「くぅう」
この味を表すにはこの一言で十分だった。
「美味しい!」
「ふふ、良かった、どうやら好評のようね」
「もう一本!」
「はいはい、まだいっぱいありますからね」
団子自体の味を変えず、餡ひとつでこんなにも美味しいものが出来上がるなんて、甘味も奥が深い。
「これ、どうやって作ったの?」
「実は、この前蔵を漁っていたら、何代か前の店主が残していた甘味いろは帖というものを見つけて、読んでみたら作り方が記されていました」
「お店に出したら絶対流行るわ…」
「ふふ、村長のお墨付きも貰えましたし、早速今日から品書きに出してみましょうかしら」
「うんうん」
「それにしても、甘味を食べる姿は、本当に普通の女の子ですね」
「うぅ、恥ずかしい…あ。そう言えば珠那さん、今日は酒盛りらしいし、これを出してみたらどう?」
「皆さんの意見を聞ける良い機会になりそうですね。早速、夜に向けて仕込みましょう」
「まぁ、お酒ばっかり飲んで舌が馬鹿になってると思うけど」
珠那さんと目を合わせて、思わず笑ってしまった。
こうして見回りを終えて屋敷に帰ると、ご機嫌斜めの御剣が出迎えてくれた。余談だが、御剣にお土産の餡掛け団子を渡すとすぐに機嫌が直った。
◇
「カンパーーーイ!」
「今夜はたんまり呑むぞ!」
「何だお前、盃が全然減ってねぇぞ。もっと呑め呑め」
みんなで持ち寄った料理を囲み、こうしてお酒を飲むのも良いものだ。小さな村だけど、その分村人同士の絆は強い。
「ほどほどにな」
隣でお酒を飲む御剣が心配してくれる。
私はそこまで弱くはないが、従者である御剣からすれば、不安要素は取り除いておきたいのだろう。
「大丈夫よ、私強いし」
「どの口が言うんだか。倒れても知らないぞ?」
「その時は御剣に運んでもらうし心配ないと思うけど?」
「はぁ、勘弁してくれ」
「よぉ御剣、呑んでっか?」
すでに顔を真っ赤にした信濃さんが、徳利と盃を手にしてやって来た。
「親父さん、絡み酒なら遠慮しておくよ」
「んな固えこと言うなって、ほれほれ」
そう言って御剣の盃になみなみお酒を注ぐ。御剣の盃は今にも溢れそうなくらいお酒が注がれていた。
「村長もどうぞ」
「頂くわ」
注がれたお酒をぐいっと一飲みする。地酒は癖が強いが、それがとても美味しい。
「いやぁ、村長。今日は来てもらってありがとよ」
「誘われたのはこっちだし、こちらこそ誘ってくれてありがとう」
実は、村長になってからこうした催しには初めて参加する。それも、普段は政務に忙しく、なかなかこうした時間を取れないからである。
「村長ぁ、つれぇことも沢山あると思うが、そんな時はいつでも俺たちを頼ってくれな。大変なことばかりだと思うが、俺は応援しているぞ」
「ありがとう」
「あなた、何やってるの。いい歳して若いもんに絡みなさんな」
「いぃ、いてて。耳は勘弁してくれよぉ…」
首根っこを掴まれ連れて行かれる信濃さんを横目に、料理の一つであるしし汁を啜る。
「あぁ…美味しい」
香味野菜と味噌で臭みを消していて、旨味が染み込んだお汁はとても美味しい。お肉も煮込んでいるので、口に入れた瞬間にほろりと溶けるくらいだ。
御剣と右京が仕留めた熊の肉も、酒好きの男衆たちからつまみとして大人気だ。珠那さんの団子は、女子衆の舌を虜にしていた。
「みじゅほ様~」
「千代、あ、あなた大丈夫?」
巫女服姿でお酒を片手にふらふらとしているのは、実は私よりもお酒に弱い千代だった。酔いが回っているせいか、視点は揺らぎ、呂律は回っていない。
「じぇんじぇん、らいじょうぶれふ」
「どこが大丈夫なのよ、飲み過ぎよ」
「まだ一杯しかのんれ、ま、しぇんし…」
「ちょっ、千代⁇」
「スゥ…スゥ…」
案の定、私のところに倒れこんできた。倒れてすぐになのに、私の膝の上でもう寝息を立てている。
「寝ちゃったわ」
「仕方ない。千代を運んでくる」
御剣は千代をおぶって寝床へと運んでいく。
「苦い…」
その後ろ姿を見ながらお酒を飲むと、少し苦く感じた。
◇
千代の部屋は、村長の屋敷にある瑞穂の部屋のすぐ隣である。千代は瑞穂の側付きであるため、ほとんど瑞穂と一緒に過ごしている。
宴の場を離れた俺は、千代を寝床へと運んでいた。背中で寝息を立てている千代は、おぶった感じがしないくらい身体が軽く感じられた。
「よっこらせ」
布団をめくって千代をそこに寝かせる。酒の影響か、顔が林檎の様に真っ赤に染まっていた。
「もう飲め、ま、しぇん」
葦原村と密接な関係である明風神社の次期宮司で、瑞穂の側付きである巫女という立場上、気を遣わなければならないのだろう。こういう時にしか羽目を外せないので、咎める者もいない。
立場は似ているが、その境遇から千代は俺と同じ歳で、俺以上に苦労している。俺が千代のように毎日神事、奉公、呪術の錬磨をこなせと言われたら、できる自信がない。
「墨染様に薬を貰ってこよう」
酔いを抑える薬をもらうため、墨染様の屋敷へと向かった。村長を退いた墨染様は、宴の最初に挨拶をした後、先に屋敷に戻っていた。瑞穂や他の村人たちが気を遣わないための配慮だろう。
「墨染様、おられますか?」
玄関から声を掛けるが、中から返答はない。履き物もあり、この時間はまだ起きておられるはずだ。その後も何度か呼びかけるが、一向に返答が返ってこない。
不審に思った俺は、屋敷に上がり墨染様の私室へと向かった。
“これは、血の匂い?”
「ッ!?」
そこにいたのは、血だらけで倒れる墨染様だった。信じられない状況の中、おびただしい量の血が今も流れ続けている。
「墨染様! 一体何が!」
「その声は、御剣か…」
身体を起こすと、墨染様が弱々しい声でそう言う。息は荒れて、とても苦しい表情をしている。
"背に刺し傷⁉︎誰かに刺されたのか⁉︎"
「すまん、私としたことが、油断してしもうた…」
「今は喋らないでくれ!とにかく、血を!」
棚から布を取り出し、刺し傷のある背中から強く巻きつける。
「しっかりしてください!」
「御剣よ」
「はい!」
すると、墨染様は俺の手を掴む。
「村の者たちを、ここに呼べ。もう長くは保たん」
「くっ⁉︎わ、分かりました」
俺は立ち上がり、屋敷を出た。
◇
楽しい宴の後の空気から一変し、場は重い空気に包まれていた。
御剣から事情を聞いた私たちは、その場にいた者、酔って帰った者全員を呼び出し、墨染様の屋敷へと向かった。
薬で酔いから覚めた千代が必死で呪術による治療行っているが、効果は薄かった。
「止血をしましたが、繋ぎ止めるのが精一杯です。申し訳ございません…」
「千代や、ありがとう。もう十分じゃよ。して皆、集まったか?」
私が頷くと、布団で横になっていたお祖母様は、御剣に支えられながら身体を起こす。
「すまんの、皆。最後の最後に皆と酒を飲めず、その上こんな事になってしもうた。謝らせてほしい」
「お祖母様、謝る必要なんかありません。謝る必要なんか…」
「先ほど、中央の兵たちが私を連れ去ろうとした。抵抗したが、やはり老いぼれは若さには勝てんな。ちょっとした弾みで背中を刺されてしまったわ…」
私はお祖母様の手を握る。お祖母様は私の方を向くが、その視線は焦点が合っていなかった。私が全てを察して涙を流すと、お祖母様は微笑んだ。
滅多に笑わないお祖母様の笑顔は、優しく、温かみにあふれた表情だった。お祖母様は私の顔に触れる。
「瑞穂、もっと近くで顔を見せておくれ。ふふ、相変わらず可愛い子だ。お前さんには、大事なことを教える事が出来なかった。不甲斐ない私を許しておくれ」
「許すも何もないです」
「今、大事なことを教えよう」
自分の手のひらに涙が溢れ落ちる。
「村長はとても大変な仕事だ。悩む時も沢山あるだろう。そんな時は村の衆を頼りなさい。彼らを導くのは瑞穂、お前さんの役目だ。お前さんが信ずる道を行けば、村の衆は自然とお前の背中についてくる。お前さんは芯の強い子じゃ、そこは私も十分認めているところじゃ…」
「ありがとう、ござい、ます」
「泣きたい時は泣きなさい」
「はい」
「村長の選択は村人皆の総意。その選択に逆らう者などいない。安心せぃ」
それからお祖母様は、心配した顔つきで自分を囲む村人たちを見渡し、笑顔になる。
「私は幸せ者だ。これだけ多くの仲間に見送られるなんて。思い残すことは何もない」
「墨染様…」
「皆、瑞穂のことを。孫のことを頼んだ。常世でも、皆のことを、見守っておる、ぞ…」
お祖母様は御剣の手の中で静かに目を閉じた。最後の力を振り絞って握っていた手に力がなくなる。
「お祖母様!お祖母様!」
私は思いっきり泣いた。
あまりにも突然すぎる別れだ。こんな別れ方が許されるはずはない。もうお祖母様はこの世にいないのだ。
「先代様…」
「墨染様、どうか安らかに…」
「村長、俺たちはこれからどうすれば…」
涙を拭って顔を上げる。
「そんなの決まってるだろ!先代様が殺されたんだ、ただでは済まされん!」
「あぁ、中央の奴ら、目にものを見せてやる!」
「でも、先代様は争うなって」
「何言ってんだ、やられたらやり返す!こんな理不尽なことがあってたまるか!」
「しかし、相手は国の皇だぞ!」
「戦って勝てる見込みなんてあるのか!」
「静まりなさい!」
私は立ち上がり、村人たちを見回した。高揚していた場が一気に静まり返り、全員の視線が私へと向く。
「あなた達、自分の言っている意味が分かっているの?」
「勿論だ。俺たちの気持ちは変わらない」
「戦えば無事では済まされなくなるわ。下手をすれば、皆死ぬことになる」
「それも承知だ、村長」
「瑞穂」
これまで何も言わなかった睦美お姉様が、私を呼ぶ。
「墨染様が言ったでしょう瑞穂。あなたの選択は村の総意、私たちは最後まであなたについていくわ」
「あぁ、睦美の言うとおりだ。それが正しかろうが、間違っていようが、村長である瑞穂の意思に従うのが、俺たち葦原の民だ。なぁ、お前ら」
信濃さんが村衆を代表して答える。その言葉に、村人全員が頷く。
私は、覚悟を決めなければいけないかもしれない。村長として、一人の人として、この村や村人たちが行く末を。
「…分かりました」
私は懐から扇を取り出す。
お祖母様から受け継がれた、この村を守るためのものだ。
「各人、武器を手に取りなさい。彼らにこの代償がどれほどのものか教える」
扇を広げる。
私の代わりに御剣が声を張り上げた。
「出撃るぞ!」
瑞穂が仕事を押し付けてくる時は、決まって彼女が休養を取る時だ。それを分かっているので、あえて直接文句を言わないようにしている。
「だからって、一日の仕事を全部押し付けるのはどうかと思う…」
「まぁ、まぁ、瑞穂様は最近頑張っていられましたし、少しぐらい大目に見てあげてはどうですか?」
現在、俺は主の投げ出した政務を代わりに処理していた。それも、瑞穂が行う一日の政務全てを。
平和な村であっても、毎日村長に上げられて来る報告の量は多い。例えば林業、稲作などの農耕、他村落との交易の成果報告、防人衆の勤務報告など、こうした報告は毎日あり、全てに目を通さなければならない。
優先度の高いものであれば、中央からの収支報告の作成。これを疎かにしてしまえば、目をつけられる上、難癖をつけられて村の財産を掠め取られてしまう。これで大切なのが、収入を少なく見積り、献上米の量を増やすこと。こうする事で、厳しいながらも中央のために献上しているという形を作っている。
嗚呼でもない、こうでもないとぼやき、頭を抱えながら政務をこなすその横で、巫女服姿の千代が何やら小物を作っていた。
「なら、俺の代わりに仕事をするか?」
「嫌です」
満面の笑みでそう返されてしまう。こうなると、千代を巻き込んで早めに終わらそうとする目論見は潰えたので、仕方なく自分の力だけで何とかする。
ふと、千代が手を止めて俺の前へと寄ってくる。
「でも、応援はしますよ?頑張れ頑張れ御剣様っ」
「何か元気が出てきた気がする…」
「ふふ、だって元気の出る呪術を使いましたから」
「そんなのがあるのか⁉︎」
「冗談でございます」
俺たちは思わず笑ってしまった。
こうして千代と二人きりで話すのは随分と久しぶりだ。小さい頃に出会って以来、従者と巫女見習いというお互いの事情もあり、中々会うことができなかった。
墨染様に連れられ、一度だけ訪れたことのある明風神社。その次期宮司であり、今では側付き見習い巫女として瑞穂の元にいる。
今の彼女は立場上、見習いとなっているが、七葉さんが勇退すれば、確実に次の宮司となる。呪術の実力は折り紙つきで、現宮司である七葉さんも認めるほどだ。
俺が瑞穂の従者となり、千代が側付きになる。二つの偶然が重なったことで、俺たちは再び出会い、こうしてゆっくりと話すことが出来た。
「そういえば、さっきから何を作っているんだ⁇」
「秘密にございます」
"御守り…⁇"
横目で見てみると、それは手作りの御守りのように見えた。しばらくして、千代が手にしていた道具と御守りを座卓の上に置く。
「出来ました!明風神社の巫女特製御守りです!」
「やっぱり、御守りだったんだな。明風神社で出すやつか?」
「いいえ、違いますよ。これは、御剣様のために作ったのです。どうぞ、御剣様」
千代から手渡されたのは、特徴的な五芒星の印が描かれた御守りだった。確か、五芒星は千代が呪術を使う際に描く固有術式だ。
それを手にした瞬間、自分の心に余裕が出来たように感じる。御守りをはじめとする護符には、製作者の呪力が込められている。呪力は大神とそれらを信仰する人との唯一の繋がりである。
人は、大神と同じ力が込められた護符を持つ事で、大神からの恩恵を得て、逆に大神は人からの信仰を得る。
そんな護符の一つである御守りだが、千代から受け取ったものにはもう一つ御利益があるように思えた。彼女が俺のために作った、それはつまり、彼女の思いが詰まっているという事だ。
「こんなに出来の良いものを俺に?」
「はい、勿論にございます」
「本当に良いのか⁇」
「良いも悪いも、これは御剣様のために作ったものですから」
そう言われてしまえば、断る義理などない。その厚意を有り難く受け取ることにした。
「すまない、有り難く貰っておく。ちなみに、これはどんなご利益があるんだ?」
「え、えっと、それはですね。幸運を呼ぶ御守りです」
「幸運、か」
どこに付けようか迷った挙句、輪っかに紐を通して首に下げることにした。首にかけた後に千代を見ると、どこか嬉しそうな顔をしていた。
「どうした?」
「いーえ、なにもありませんよー」
笑顔でとぼける千代を見て、思わず表情が緩んでしまった。
◇
村長だからといって、四六時中政務をしているわけではない。こうして、村に出て村の様子を見て回り、何か問題がないかを確認するのも仕事の一つである。
大方、仕事を押し付けた御剣は私が休養を取っているのだと思っているはずだ。私だって、休みたいのは山々だが、村長に成り立ての現状、少しでもお祖母様と同等の信頼を得るためには、休むことなど許されない。
今日の私の仕事、それは村中の見回りである。
「よぉ村長!」
「おはよう村長」
「瑞穂お姉ちゃんだ!」
村を歩いていると、農作業をしている大人たちや、元気に走り回る子供たちから挨拶される。芦原村の村人たちは、どんなに苦しい状況であっても笑顔を絶やさず明るく過ごす。それが、この村の良いところだろう。
「見回り中かい?」
「はい、何か困ったこととかありませんか⁇」
「困ったことなら一杯あるが、村長に頼むほどのもんじゃないさ。そういえば、信濃んところの睦美が村長を探していたよ?」
「睦美お姉様が⁇」
「あっちの畑にいるし、顔見せに行ってやりなよ」
そう言われてあぜ道を歩いていると、畑の中で作業をするお姉様を見つける。お姉様の名前を呼ぶと、農具を持ったままこちらに歩み寄ってくれた。
「あらあら、瑞穂じゃないの。今日お仕事は?」
「こんにちは、睦美お姉様。今は村の見回り中です」
私より少し背が高く、茶色の髪を腰まで伸ばしている。おっとりとした表情と優しい眼元が特徴的な、麗人。
そんな睦美お姉様は私が小さい頃、屋敷で面倒を見てくれたお姉様の一人だ。今は防人の信濃さんの元に嫁いで、幸せな家庭を築いている。
ちなみに、私には二人のお姉様がいる。睦美お姉様は私に礼儀作法や料理を教えてくれた。
もう一人。今は旅に出てこの村にはいない可憐お姉様は、私や御剣たちに剣術の指南をしてくれた。
「見回りも大事だけど、他にやらないといけない事は残っていないの⁇」
「え、えっと。御剣が代わりにやってくれてる、よ⁇」
「ふぅん、見回り中ねぇ…」
余計なことを言われそうだったので、慌てて話題を変えることにした。
「あ、そうそう睦美お姉様。この前の肥料、いまどんな感じになったの?」
「信濃が喜んでいたわ。何でも土が元気になったって」
「じゃあ、今年の収穫が楽しみね」
「ふふ、そうね。それよりも瑞穂、あまり御剣に迷惑ばかりかけてはダメよ。お仕事はしっかりやらないと、そのうち墨染様に怒られるわよ。どうせ、甘いものでも食べたくなったのでしょう⁇」
「あうっ…」
やはり、お姉様に嘘は通用しなかった。本気で怒られたわけではなかったが、少し諌められてしまった。
「おーい、帰ったぞぉ」
私たちが話していると、遠くから何人かの男衆が泥だらけになって戻ってきた。その中でも、ひときわ威勢がよく体格の良い人が、お姉様の旦那さんであり、防人の信濃さんだ。
信濃さんは私を見つけると、その大きな手でわしゃわしゃと頭を撫でてきた。
「おっ、これはこれは村長」
「おぉ、村長だ」
「ちぃーす、村長」
「こんにちは、みんな元気そうね」
「俺たちゃ元気だけが取り柄だからなぁ~、はっはっは!」
信濃さんは上機嫌に笑い、肩を叩いてくる。少し痛いが、信濃さんのこの絡み方は、私は別に嫌いじゃなかった。寧ろ、小さい頃から変わらず接してくれて嬉しかった。
「こら、村長に何してんの。あぁもう、汚い手で触ったから瑞穂の綺麗な髪が汚れたじゃないの!」
「あ、いやぁ、すまん村長。俺ってば、つい調子に乗っちまった」
すると、睦美お姉様が何かを思い出したかのように手を叩いた。
「あ、そうそう。あなた、村長にあの事を伝えておかなくちゃね」
「あの事?」
「そうだったな。村長、今日の夜にみんなで酒盛りをしようと思ってるんだ。今日狩りに出掛けたら思った以上に大物が取れてな。最近じゃあ化け物みたいな熊が出て獲物が皆怯えて出てこなかったが、どっかの誰かがやっつけてくれたおかげで久々の大量だ」
それには心当たりがあった。
「どっかの誰か、ねぇ…」
おそらく、先日に御剣と右京が仕留めた熊のことだろう。酒盛りの時に、こそっと食べきれなかった熊肉を出しておこう。
「てな訳で、村長達にも来てもらいたくて」
「本当? まぁ、お誘いを断る理由なんてないけど」
「決まりだな。よしお前ら! 今日は村長も来てくれるってこったぁ、うんと盛大にやるぞぉ!」
「「オゥ!」」
酒盛り、そう言えば村長になってから暫くはやっていなかった。酒好きの多い村だから、久々の酒盛りは大いに盛り上がるだろう。
私は楽しみにしていると伝え、お姉様たちと別れた。
「畑も回ったし、厩も回った、川辺も一通り確認したし、後は…」
残すは後一つ。
「甘味屋!」
私が向かったのは、馴染みで行きつけの小さな甘味屋。とは言っても、暖簾がかけられているわけでもなく、知る人ぞ知るお店として営業しているところだ。
「あら、村長さん。いらっしゃいませ」
「こんにちは! 来ちゃった」
店に入ると、いつもの様に珠那さんが笑顔で迎えてくれた。
珠那さんとは私が村長になってからの付き合いだが、互いに性格を認め合うことで信頼関係を築いている。
「今日は何にしよっかな」
「そうそう村長さん、この前食べてもらいましたお団子だけど、新しい味を考えました。少し試食してくれないかしら?」
「えっ、気になる。食べてみたいかも」
「ちょっと待ってて下さいね」
木の板に載せられていたのは、ほのかに甘い香りが漂う串団子だった。よく見ると、とろっとした餡が掛けられている。
「砂糖醤油の餡をかけてみました。どうぞ召し上がってくださいな」
「頂きます!」
餡が周りにつかないように気をつけながら口に運ぶ。口に入れた瞬間、団子の柔らかい弾力と餡の香ばしくも甘い餡が口一杯に広がる。
「くぅう」
この味を表すにはこの一言で十分だった。
「美味しい!」
「ふふ、良かった、どうやら好評のようね」
「もう一本!」
「はいはい、まだいっぱいありますからね」
団子自体の味を変えず、餡ひとつでこんなにも美味しいものが出来上がるなんて、甘味も奥が深い。
「これ、どうやって作ったの?」
「実は、この前蔵を漁っていたら、何代か前の店主が残していた甘味いろは帖というものを見つけて、読んでみたら作り方が記されていました」
「お店に出したら絶対流行るわ…」
「ふふ、村長のお墨付きも貰えましたし、早速今日から品書きに出してみましょうかしら」
「うんうん」
「それにしても、甘味を食べる姿は、本当に普通の女の子ですね」
「うぅ、恥ずかしい…あ。そう言えば珠那さん、今日は酒盛りらしいし、これを出してみたらどう?」
「皆さんの意見を聞ける良い機会になりそうですね。早速、夜に向けて仕込みましょう」
「まぁ、お酒ばっかり飲んで舌が馬鹿になってると思うけど」
珠那さんと目を合わせて、思わず笑ってしまった。
こうして見回りを終えて屋敷に帰ると、ご機嫌斜めの御剣が出迎えてくれた。余談だが、御剣にお土産の餡掛け団子を渡すとすぐに機嫌が直った。
◇
「カンパーーーイ!」
「今夜はたんまり呑むぞ!」
「何だお前、盃が全然減ってねぇぞ。もっと呑め呑め」
みんなで持ち寄った料理を囲み、こうしてお酒を飲むのも良いものだ。小さな村だけど、その分村人同士の絆は強い。
「ほどほどにな」
隣でお酒を飲む御剣が心配してくれる。
私はそこまで弱くはないが、従者である御剣からすれば、不安要素は取り除いておきたいのだろう。
「大丈夫よ、私強いし」
「どの口が言うんだか。倒れても知らないぞ?」
「その時は御剣に運んでもらうし心配ないと思うけど?」
「はぁ、勘弁してくれ」
「よぉ御剣、呑んでっか?」
すでに顔を真っ赤にした信濃さんが、徳利と盃を手にしてやって来た。
「親父さん、絡み酒なら遠慮しておくよ」
「んな固えこと言うなって、ほれほれ」
そう言って御剣の盃になみなみお酒を注ぐ。御剣の盃は今にも溢れそうなくらいお酒が注がれていた。
「村長もどうぞ」
「頂くわ」
注がれたお酒をぐいっと一飲みする。地酒は癖が強いが、それがとても美味しい。
「いやぁ、村長。今日は来てもらってありがとよ」
「誘われたのはこっちだし、こちらこそ誘ってくれてありがとう」
実は、村長になってからこうした催しには初めて参加する。それも、普段は政務に忙しく、なかなかこうした時間を取れないからである。
「村長ぁ、つれぇことも沢山あると思うが、そんな時はいつでも俺たちを頼ってくれな。大変なことばかりだと思うが、俺は応援しているぞ」
「ありがとう」
「あなた、何やってるの。いい歳して若いもんに絡みなさんな」
「いぃ、いてて。耳は勘弁してくれよぉ…」
首根っこを掴まれ連れて行かれる信濃さんを横目に、料理の一つであるしし汁を啜る。
「あぁ…美味しい」
香味野菜と味噌で臭みを消していて、旨味が染み込んだお汁はとても美味しい。お肉も煮込んでいるので、口に入れた瞬間にほろりと溶けるくらいだ。
御剣と右京が仕留めた熊の肉も、酒好きの男衆たちからつまみとして大人気だ。珠那さんの団子は、女子衆の舌を虜にしていた。
「みじゅほ様~」
「千代、あ、あなた大丈夫?」
巫女服姿でお酒を片手にふらふらとしているのは、実は私よりもお酒に弱い千代だった。酔いが回っているせいか、視点は揺らぎ、呂律は回っていない。
「じぇんじぇん、らいじょうぶれふ」
「どこが大丈夫なのよ、飲み過ぎよ」
「まだ一杯しかのんれ、ま、しぇんし…」
「ちょっ、千代⁇」
「スゥ…スゥ…」
案の定、私のところに倒れこんできた。倒れてすぐになのに、私の膝の上でもう寝息を立てている。
「寝ちゃったわ」
「仕方ない。千代を運んでくる」
御剣は千代をおぶって寝床へと運んでいく。
「苦い…」
その後ろ姿を見ながらお酒を飲むと、少し苦く感じた。
◇
千代の部屋は、村長の屋敷にある瑞穂の部屋のすぐ隣である。千代は瑞穂の側付きであるため、ほとんど瑞穂と一緒に過ごしている。
宴の場を離れた俺は、千代を寝床へと運んでいた。背中で寝息を立てている千代は、おぶった感じがしないくらい身体が軽く感じられた。
「よっこらせ」
布団をめくって千代をそこに寝かせる。酒の影響か、顔が林檎の様に真っ赤に染まっていた。
「もう飲め、ま、しぇん」
葦原村と密接な関係である明風神社の次期宮司で、瑞穂の側付きである巫女という立場上、気を遣わなければならないのだろう。こういう時にしか羽目を外せないので、咎める者もいない。
立場は似ているが、その境遇から千代は俺と同じ歳で、俺以上に苦労している。俺が千代のように毎日神事、奉公、呪術の錬磨をこなせと言われたら、できる自信がない。
「墨染様に薬を貰ってこよう」
酔いを抑える薬をもらうため、墨染様の屋敷へと向かった。村長を退いた墨染様は、宴の最初に挨拶をした後、先に屋敷に戻っていた。瑞穂や他の村人たちが気を遣わないための配慮だろう。
「墨染様、おられますか?」
玄関から声を掛けるが、中から返答はない。履き物もあり、この時間はまだ起きておられるはずだ。その後も何度か呼びかけるが、一向に返答が返ってこない。
不審に思った俺は、屋敷に上がり墨染様の私室へと向かった。
“これは、血の匂い?”
「ッ!?」
そこにいたのは、血だらけで倒れる墨染様だった。信じられない状況の中、おびただしい量の血が今も流れ続けている。
「墨染様! 一体何が!」
「その声は、御剣か…」
身体を起こすと、墨染様が弱々しい声でそう言う。息は荒れて、とても苦しい表情をしている。
"背に刺し傷⁉︎誰かに刺されたのか⁉︎"
「すまん、私としたことが、油断してしもうた…」
「今は喋らないでくれ!とにかく、血を!」
棚から布を取り出し、刺し傷のある背中から強く巻きつける。
「しっかりしてください!」
「御剣よ」
「はい!」
すると、墨染様は俺の手を掴む。
「村の者たちを、ここに呼べ。もう長くは保たん」
「くっ⁉︎わ、分かりました」
俺は立ち上がり、屋敷を出た。
◇
楽しい宴の後の空気から一変し、場は重い空気に包まれていた。
御剣から事情を聞いた私たちは、その場にいた者、酔って帰った者全員を呼び出し、墨染様の屋敷へと向かった。
薬で酔いから覚めた千代が必死で呪術による治療行っているが、効果は薄かった。
「止血をしましたが、繋ぎ止めるのが精一杯です。申し訳ございません…」
「千代や、ありがとう。もう十分じゃよ。して皆、集まったか?」
私が頷くと、布団で横になっていたお祖母様は、御剣に支えられながら身体を起こす。
「すまんの、皆。最後の最後に皆と酒を飲めず、その上こんな事になってしもうた。謝らせてほしい」
「お祖母様、謝る必要なんかありません。謝る必要なんか…」
「先ほど、中央の兵たちが私を連れ去ろうとした。抵抗したが、やはり老いぼれは若さには勝てんな。ちょっとした弾みで背中を刺されてしまったわ…」
私はお祖母様の手を握る。お祖母様は私の方を向くが、その視線は焦点が合っていなかった。私が全てを察して涙を流すと、お祖母様は微笑んだ。
滅多に笑わないお祖母様の笑顔は、優しく、温かみにあふれた表情だった。お祖母様は私の顔に触れる。
「瑞穂、もっと近くで顔を見せておくれ。ふふ、相変わらず可愛い子だ。お前さんには、大事なことを教える事が出来なかった。不甲斐ない私を許しておくれ」
「許すも何もないです」
「今、大事なことを教えよう」
自分の手のひらに涙が溢れ落ちる。
「村長はとても大変な仕事だ。悩む時も沢山あるだろう。そんな時は村の衆を頼りなさい。彼らを導くのは瑞穂、お前さんの役目だ。お前さんが信ずる道を行けば、村の衆は自然とお前の背中についてくる。お前さんは芯の強い子じゃ、そこは私も十分認めているところじゃ…」
「ありがとう、ござい、ます」
「泣きたい時は泣きなさい」
「はい」
「村長の選択は村人皆の総意。その選択に逆らう者などいない。安心せぃ」
それからお祖母様は、心配した顔つきで自分を囲む村人たちを見渡し、笑顔になる。
「私は幸せ者だ。これだけ多くの仲間に見送られるなんて。思い残すことは何もない」
「墨染様…」
「皆、瑞穂のことを。孫のことを頼んだ。常世でも、皆のことを、見守っておる、ぞ…」
お祖母様は御剣の手の中で静かに目を閉じた。最後の力を振り絞って握っていた手に力がなくなる。
「お祖母様!お祖母様!」
私は思いっきり泣いた。
あまりにも突然すぎる別れだ。こんな別れ方が許されるはずはない。もうお祖母様はこの世にいないのだ。
「先代様…」
「墨染様、どうか安らかに…」
「村長、俺たちはこれからどうすれば…」
涙を拭って顔を上げる。
「そんなの決まってるだろ!先代様が殺されたんだ、ただでは済まされん!」
「あぁ、中央の奴ら、目にものを見せてやる!」
「でも、先代様は争うなって」
「何言ってんだ、やられたらやり返す!こんな理不尽なことがあってたまるか!」
「しかし、相手は国の皇だぞ!」
「戦って勝てる見込みなんてあるのか!」
「静まりなさい!」
私は立ち上がり、村人たちを見回した。高揚していた場が一気に静まり返り、全員の視線が私へと向く。
「あなた達、自分の言っている意味が分かっているの?」
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「それも承知だ、村長」
「瑞穂」
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「あぁ、睦美の言うとおりだ。それが正しかろうが、間違っていようが、村長である瑞穂の意思に従うのが、俺たち葦原の民だ。なぁ、お前ら」
信濃さんが村衆を代表して答える。その言葉に、村人全員が頷く。
私は、覚悟を決めなければいけないかもしれない。村長として、一人の人として、この村や村人たちが行く末を。
「…分かりました」
私は懐から扇を取り出す。
お祖母様から受け継がれた、この村を守るためのものだ。
「各人、武器を手に取りなさい。彼らにこの代償がどれほどのものか教える」
扇を広げる。
私の代わりに御剣が声を張り上げた。
「出撃るぞ!」
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