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1話 婚約破棄とレベル99聖女

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「アンドロメダ・ヴィオーラ、お前との婚約を破棄する!」

 わたくしの婚約者、ルセウス殿下は高らかにそう宣言しました。彼の傍らでは聖女のベガ様が勝ち誇ったような笑みを浮かべておられます。

「聖女ベガ・ビアンコへの度重なる暴言・誹謗中傷に嫌がらせの数々、加えて誘拐・暗殺未遂容疑! 国を救った彼女に対し到底許される振る舞いではない!」

 全く身に覚えのないことでした。
 ベガ・ビアンコ様。彼女は国にはびこる病をもたらす負の化身を滅ぼす力を持つ聖女です。平民出身の方ですが、ここ数年各地を回って様々な魔物の討伐や病の原因となる汚染地域の浄化活動などを行われた立派な方として知られています。

 そのような素晴らしい方を害する理由がどこにあるでしょうか。
 仮にもわたくしはヴィオーラ侯爵家の人間であり、ゆくゆくは王妃として国を守り民を慈しむ役目を与えられています。いまだ学生の身分と言えど、自身の立場についてはちゃんと認識しておりましてよ。

 王太子からあまり好かれていないことは薄々感じていましたが、学園での夜会という場でまさか本当にこのような責めを受けるとは思ってもいませんでした。

 混乱はしていましたが、幸いにも事前に『準備』はできていたので想像していたよりも気持ちは落ち着いています。

「ルセウス殿下。わたくしはベガ様に対する誹謗中傷や加害行為の一切を行っていないことを神に誓って申し上げます」

「白々しい、この期に及んでそのようなふてぶてしい態度を取るとは! 貴様がベガに対して行った数々の行動については何人も証言がある!」

「それは一体、どこの誰の証言ですか、ルセウス殿下」

 背後に控えていた背の高い男性、ヒューベルトがわたくしの前に出ます。

「なんだ貴様は!」

「彼はわたくしの友人ですわ」

 ヒューベルトはわたくしの幼馴染で、ヴェルデ公爵家の次男に当たります。騎士団の入隊を志す勇ましい性格で、やんちゃで悪戯好きだった幼い頃とは大きく変わった立派な体型と堂々とした立ち姿にはこんな状況においても安心感を覚えてしまいます。

「俺はここ数か月の間、アンドロメダ・ヴィオーラに対して囁かれていた不穏な噂や陰謀について調査をしていた。王立魔法騎士団にも協力の要請をし彼女が無実である証拠やアリバイは既に揃えている! ルセウス殿下、貴方の方こそ婚約者のある身で聖女殿に対する不必要な身体的接触やここ数か月に渡っての行動は目に余るものであると弁えられよ!」

「騎士団だと? このような下賤の輩を咥え込んでいようとは、なんと卑劣な女だアンドロメダ!」

 ルセウス殿下はわたくしに対する憎悪と非難の感情を隠すこともなく、憎々し気な視線を向けておられます。一体どうして、ここまでの憎しみを抱かれてしまったのでしょう。

 殿下との婚約が決まった6歳の頃より、将来お支えする立場として王妃教育や勉学に励み、魔法の修練についても真面目に勤しんで来ました。趣味としていた魔法の研究はおろか、友人とのお茶の時間すら満足に取れないような日々の中で、聖女様に対する悪意を育み、何らかの陰謀を巡らせる余裕などもとよりありません。
 
「ヒューベルトは友人です。わたくしの為にただ善意で行動してくれただけですわ」

「うるさい! 貴様のようにあさましく醜い女の戯言など耳が腐るわ!」

 あまりに聞く耳を持たないルセウス殿下の乱暴な言葉に身体が小さく震えてしまいます。幼くして国のために定められた婚約とは言え、誠心誠意自分なりに努力を重ねてきたつもりでした。優秀であれ勤勉であれ慈悲深くあれ、誇り高く気高い光の聖女の血筋たるルセウス殿下の隣に立つため、ただそれだけを考えて生きてきました。

 殿下の御心について深く察せられなかったことについては何の申し開きも出来ませんが、これほどまでに一方的に悪意を向けられるほど、わたくしは不出来だったでしょうか。
 
『アン、落ち着け。君はこれまで頑張った。俺はそれをちゃんと知っている』

 ヒューベルトの言葉がわたくしにしか聞こえない音で耳に伝わります。風の魔法による伝達術でした。

『ありがとう、ヒュー』

 同じくこちらも魔法でごく短いやり取りを交わします。殿下は想像を越えてわたくしに対する敵意と悪意をみなぎらせています。もはや半端なやりとりではかえって反発を招くだけでしょう。教師陣は殿下に対し口出しのできるような空気ではなく、生徒たちからは緊張した空気が漂っています。ここまで来れば、いっそ公の場で釈明をすべきではないかと考えを巡らせます。

 何らかの深刻な行き違いがある、きっと周りは理解してくれる。ヒューベルトの助けもあり自身の潔白の証拠は押さえている。ここからは覚悟を決めて応じるよりほかはありません。

 殿下に対し、場を改めていただけるよう口を開こうとした瞬間でした。
 強力な魔力の波動。空間が開き、外からの来訪者を招き入れます。

「何の騒ぎだ、ルセウス」

 場の空気が大きく揺らぎます。姿を現したのはなんと、ルセウス殿下のお父上であるゼウルギス国王でした。転移魔法によって多数の護衛と騎士団まで従えた非常に物々しい様子です。

「いらしてくださったのですか、父上。先日お話したヴィオーラ侯爵令嬢の陰謀について、彼女本人に問いただしていたところです」

 突然の父の来訪に驚くような様子もなく、喜々として近づいていく殿下。そのあまりに浅薄な口調にはさすがのわたくしも眉をひそめてしまいます。他でもない国王陛下の面前で何故殿下はあのようなふるまいをなされるのでしょうか? 

 たとえ殿下と言えど何の根拠も証拠もない罪で、自身の婚約者を裁くなどあまりに度が過ぎています。陛下がそのような発言をお許しになるはずもなく―――。

「あぁ、わかっている。ヴィオーラ侯爵令嬢を捕らえよ」

 そう、甘い考えを持っていたのは、わたくしの方でした。自分には何の落ち度もない、証拠されあればきっとわかってもらえると。気が付けば陛下直属の騎士隊に囲まれており、強力な魔力によってわたくしとヒューベルトは動きを封じられていきます。

「アン!」

 拘束する魔力を炎の剣で振り払い、わたくしの手を取るヒューベルト。彼は自身の得意とする風と炎の魔法で抵抗を試みます。わたくしは、一瞬迷いましたが彼を逃がさなくてはいけないと我に返り、自らも魔力を解放し、拘束しようと迫りくる騎士たちを押しのけます。

 これでも魔法学校では首席。大勢を相手にすることは厳しくとも、一瞬の突破口を開く程度はできるはず。張り巡らされる魔力の流れを読み取り、転移魔法を展開します。完全に空間は封鎖されていない。これなら逃げ出せる、一気に転移を試みた途中で、強大な魔力がわたくしたちを抑えつけます。今まで感じたこともないほどに恐ろしく、そしておぞましいほどに清らかな聖の魔力。

 わたくしの眼前に現れたのはベガ様でした。

「ふふ。近くで見るとやっぱり綺麗ね、あなた」

 透き通った白い肌に流れるような銀色の髪。思わず見惚れてしまうほどの美貌と、それに似つかわしないどこかあどけない笑み。『聖女』という名の印象を崩さないどこか超然とした佇まいの彼女は、緊迫した場に対してあまりに無邪気な様子を見せています。

「残念だけど、あなたは舞台から去ってもらうわね。このまま行くとシナリオ通り『悪役令嬢』一直線だもの。大丈夫、私が守ってあげる」

「聖女殿、ご無礼をお詫びいたします!」
 
 ヒューベルトが風の魔法で輪を作りベガ様を拘束します。しかし彼女はみじろき一つすることなく、自身を抑えつける魔力を分解。逆に空気中に散らばる魔力を取り込みヒューベルトの動きを封じます。燃えたつ炎の剣を振る彼でしたが、気が付けば右半身が凍結し氷の彫像のような姿を晒しています。

「ヒューベルト!」

 彼に駆け寄り氷を溶かそうとしたほんの一瞬、わたくしの身体の動きが停止します。

「ダメよ、あなたを傷つけたくないの。うふふ、ほんと可愛い。ちょっと怯えた表情がすごく新鮮。まるで美しいお人形みたい。その髪は一体どんな手入れをしているのかしら? 肌もいいわねぇ、その瞳も、指も、腰つきも、頬も、何もかもが理想的なバランスね。羨ましいわぁ」

 何の憎しみも恨みもなく、ただそこにあるのは純粋な好奇と興味。そのどこか浮世離れした雰囲気と強大な魔力に背筋に冷たいものが走ります。彼女は、これは決して相対してはいけない存在であると身体の芯まで理解してしまうような、恐ろしさ。

 まるで、神話の獣のよう。わたくしの頬に彼女の指先が触れます。髪を軽く引っ張られ、首筋を撫でられ、まるで愛玩動物のように頭に手を当てられます。

「あは。やっぱり本物は違うわ。ねぇ、何の苦労もなく怠惰に過ごすって素敵だと思わない? 私が可愛がってあげるから、一緒に遊びましょ? この作られた世界で、『主人公』の私にできないことなんてないんだから」

 その人間を人間とも思わないような口調、そしてわたくしを小ばかにしたような態度。これまで感じたことのないほどの燃え立つものを身体の内側に感じます。

「わたくしはあなたの愛玩動物ではありませんわ!」

 炎と水の魔法を重ね合わせ、一気に解き放ちます。金縛りのようになった状態から逃れると、ヒューベルトを抱きかかえるようにしてベガ様から距離を取り、目視できる範囲で転移を行います。だけど、当然のごとくその軌道は読まれ、行く先を封じられてしまいます。

「ダメダメ。私レベル99だから。今のあなたの力じゃ絶対に逃げられないよ。面白い、面白いねぇ。可愛い可愛いアンドロメダ様? あなたはこのまま行くと大勢の人間を害する魔王の手先になっちゃうんです。だから、これは親切だと思って、素直に受け入れてくださいな」

 全身を非常に小さな光の粒で覆われ、小規模な魔力が大量にはじけていきます。今まで学んだどんな魔法よりも強力で繊細で、問答無用。これが聖女様だけが持つ神聖魔法? 
 
 かって世界を救った伝説の人物の再来。わたくしは、弄ばれ、可愛がられ、翻弄されていきます。身に付けた高等魔法をどれだけ放ってもたちまち分解され跳ね返される。まるで大人が赤ん坊をあやすような、あまりにも圧倒的で、一切の疲れもなくただ楽し気な表情を浮かべるベガ様に、わたくしは内心で強く、とても強く苛立ちました。

 空中で魔力が弾け、大広間へと落下します。風の魔法で衝撃を緩和しますが、周囲には騎士隊の姿。そして、逃げ惑うわたくしたちを面白げに見つめる国王陛下と、素晴らしく研ぎ澄ました剣を手にしたルセウス殿下の姿が目に入ります。

「さよなら、アンドロメダ。昔からきみのことは嫌いだったよ」

 魔力を使い、凄まじい勢いでこちらに向かってくる殿下。輝く銀の刃。目も眩むほどの光が瞬き、聖女様の驚くような顔、とっさにヒューベルトを剣の軌道から逃がそうとします。彼だけは、彼だけはわたくしのたった一人の―――あぁ、自分の気持ちを押し殺してきた罪でしょうか。

 本当に、どうしようもなく自分が愚かで恥ずかしく、大切な人を巻き込んだことに後悔の念が膨らみます。刹那に浮かぶのは幼い頃の彼のやんちゃな笑顔。はにかんだような微笑み。成長してからも、あのきらきらした星のような目だけは変わらない。

 わたくしは、一体どうすればよかったのかしら?
 
 そんな一瞬の哀しみ。直後に訪れる衝撃と激しい痛みによって、わたくしは凍り付きます。目の前には銀の刃が、彼を、わたくしの大切な幼馴染の体を貫いて。赤い、赤い血がほとばしって。ヒューベルトが殿下の剣によって、胸を貫かれていました。
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