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第二話 隣国の王子からの甘い誘い
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一瞬、何が起こっているかわかりませんでした。
理解した途端、全身に鳥肌が立ちます。
恐怖と嫌悪と怒りが同時に襲ってきました。
「やめてくださいっ!!」
彼を力任せに突き飛ばします。
残念ながら非力な私では、彼を一歩後ろに下がらせる程度の効果しかありません。
「すまない、だが自分の気持ちに嘘は付けない」
「それは、それは今言うことですの? 婚約も交わしていない女を突然抱きしめて、あまりに無礼です。申し訳ありませんが私ひどく疲れているんです。貴方のお兄様のおかげで」
「えっ」
なぜか鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしておられます。
私はつい先ほど、婚約破棄を突き付けられたのですよ?
他でもない貴方の兄から。
「どうしてそんな他人ごとのような顔をされていますの? あなたはアンドリュー様の弟でしょう。もちろん彼の振る舞いにステファン様は関係ないかもしれません。ですが、なぜあの騒ぎの直後に、他でもない貴方がこのような真似をなさるのですっ!?」
とても惨めな気持ちになり、気が付けば涙声になってしまいます。
「それは、その。傷ついた君を見ていられず」
「私が傷ついているかですって? それなら先ほどまで、一体何をされていたのです? のんびりとあの方に恥を掻かされる私の姿を見物されておられたのでしょうか。私のことを想ってくださっているのでしたら、なぜ割って入ってでも彼を止めてくださらなかったのですか?」
「うっ」
別に本当に助けてほしかったわけではありません。
ただ、口当たりの良い言葉とは裏腹に、彼には誠実さが感じられないのです。
「様子見、されていたのでしょう? この女がどのような展開を迎えるのか。あるいは裏で私のために何か動いてくれていたのかもしれません。急なことで口をはさめない空気だったこともわかります。しかし、それ以前の話です。私に恥を掻かせたあの男性の弟と縁続きになれと?」
胸の中にくすぶる怒りに火がついてしまいました。
私も動揺しており、アンドリュー様に対する憤りなども再燃してしまいます。
「それは……あ、兄は兄。俺は俺だよ。それに家の問題もある」
「そうですね。その通りですわ。けれど、私は先ほどとても気を張っていたので今少し休みたいんです。誰かに助けてほしいとか、求婚してほしいとか、少なくともこの夜には求めません。何よりも、まず私の気持ちも考えていただきたいと思います」
自分の身体を抱きしめて、身体を震わせます。
何とも思っていない男性に触れられることがこんなにおぞましいとは知りませんでした。
「その態度はなんだ。もう少し言葉を選ぶべきだろう」
「え?」
ステファン様はハッとした様子で口元に手をお当てになります。
さすがに自分の振る舞いの不味さに気付かれたようです。
私も相応に厳しい口調になっているのは自覚しています。
けれど、あの騒動の直後。
気も荒く、感情的にもなろうものです。
「君は、お、俺のことをどう思っているんだ。それだけを聞きたい!!」
「ご立派な方だと思います。けれど私はつい本日まで婚約者であるアンドリュー様のことだけを考えておりました。急に他の異性のことを心に置くのは難しく感じます。いえ、はっきりとお伝えすべきかもしれません。貴方のことは少しも好きではありません。侯爵家の娘としては問題かもしれませんが、今後王家の方と縁続きになることも出来ればご遠慮したいと考えます」
口にして初めて、自分が深く傷ついていることに思い至る。
アンドリュー様の代わりに彼と結婚しろと言われても無理です。
気持ちがとてもついていきません。
私の心は既に半ば折れています。
「こっ、この俺と結婚したくないと?」
「はい、微塵も」
ステファン様は口をぱくぱくとなさっていました。
まるで予想もしていなかった言葉をぶつけられた顔です。
異性関係が派手だとは聞き及んでいますが、煽り耐性のようなものは皆無のようでした。
何か言われる前に彼の前から離れることにします。
追いつかれないように、とにかく急ぎ足で進みました。
「お嬢様、申し訳ありません」
執事のダルタニアスが遅まきながらこちらに向かって駆けてきます。
一体どこへ行っていたのか。
あぁ、早くこの場から離れたい。
「ルイーズ嬢」
そうこうしているうちにまた別の誰かに声をかけられます。
「チャムカ様?」
彼は隣国のシャルハから留学に来た王太子です。
ゆるくウェーブのかかった赤銅色の髪に褐色の肌。
見る者を魅了してやまない、異国情緒的な雰囲気をまとった男性です。
「今夜はいつにもまして美しいね。先ほどの騒ぎ、見せてもらったよ」
「はい、それが。どうかいたしましたか」
感情を込めず、淡々と言葉を返します。
「よければこの後、二人で会えないか。僕の下へ来てほしい。どういう意味かは分かるよね」
この方は今しがたのやり取りを見ておられなかったのでしょうか。
近くに寄らなくとも、何かトラブルが起こっていたことはわかると思います。
「申し訳ありませんが、ご遠慮いたします。どういうお気持ちかもわかりません」
「つれないことを言う。君のことが気になっているんだよ」
その口調に妙に苛立ちを覚えます。
「王太子に婚約破棄など申し渡された哀れな女の愚痴をお聞きしたいのですか? チャムカ様のご興味を満足させるようなお話はできないように思います。失礼します」
「まぁ待ってくれ。僕は君のことが好きなんだ」
その場を離れようとして、腕を掴まれました。
どうして殿方はこちらの許可なく他人の肌に触れるのでしょう。
まるで先ほどのやり取りの再現です。
「それは今言うことですの? 私、つい今しがた空気を読まない殿方に言い寄られて辟易したところなんですの」
「いや、それはあの男が」
「ステファン様だけに限った話ではありません。私は今誰ともお話したくないんですの。若干男性不審気味になっております。空虚な愛の囁きなど耳にも入れたくありません」
腕を振り払い、顔を隠します。
じんわりと、目頭が熱い。
涙がにじんでいないか、頬が赤くないか気になりました。
時間を追うごとに、気持ちが揺れていくのがわかる。
君のことが好きだと、アンドリュー様もいつだったか言ってくれました。
今よりもずっと幼い頃でしたが、私にとっては誇らしい勲章のようなものでした。
それが一夜にしてただの石ころのような記憶になってしまうなんて。
誰かに好きと言われても、もはや心は動かせません。
「これは随分と重傷だな。僕が君のことを癒してあげたい。一緒に国に来ないか? 出来れば妃として迎えたい。優秀で麗しい君のことをずっと以前から狂おしいほどに欲しいと思っていたんだよ」
幸い彼は無作法に抱き締めるような真似はしてきませんでした。
ステファン様に比べればまだしも多少はマシと考えます。
呼吸を整え、毅然とした態度を意識します。
「何ですの? 土産として地元の特産品でも持ち帰るようなお気持ちでしょうか。そもそもいきなり現れた隣国の侯爵令嬢を、国で温かく迎え入れていただけるとでも?」
「僕が望めばそうなるよ。何よりも君の美しさだもの。誰もが良い土産を持ち帰ったと喜んでくれるさ」
私が口にした例えとはいえ、物扱いされているような気がして気分は良くありません。
あぁ、この方は私の見た目だけがお気に召したのですね。
そんな意地の悪い考えがよぎります。
「チャムカ様は母国に婚約者の方がおられると聞き及んでおります。加えて、私を側妃に迎えるか正妃に迎えるかではありません。国内での政治・貴族の力関係、何より婚約者の方の精神面での影響、そうした諸々の事情を考えた上で、今のお言葉なんですの?」
「大げさだな。そこまでの話ではないさ」
それはどうでしょうか。
たとえ政略の婚約関係と言えど、傷つくものは傷つくんですよ。
相手の気持ちをもっと深く考えていただきたいものです。
「そこまでの話ですわ。婚約者に裏切られた女を前に、婚約者を裏切る話を持ち掛けないでくださいませ」
「あっ」
もうこれ以上会話を続ける気にもなれません。
足早に離れます。
場合によっては良いお話だったかもしれません。
これから先のことを考えればどこか異国で過ごすのも悪い話ではないと感じます。
けれど、よりにもよって今夜言うことなのでしょうか。
傷ついた女なら簡単に引っかかるとでも思われたのでしょうか。
彼なりの善意や厚意ではあるのでしょう。
ただ、彼の気持ちに応える元気はない。
今は殿方とあまり会話したくありません。
チャムカ様がどうこう以前に、今の私には余裕がないのです。
理解した途端、全身に鳥肌が立ちます。
恐怖と嫌悪と怒りが同時に襲ってきました。
「やめてくださいっ!!」
彼を力任せに突き飛ばします。
残念ながら非力な私では、彼を一歩後ろに下がらせる程度の効果しかありません。
「すまない、だが自分の気持ちに嘘は付けない」
「それは、それは今言うことですの? 婚約も交わしていない女を突然抱きしめて、あまりに無礼です。申し訳ありませんが私ひどく疲れているんです。貴方のお兄様のおかげで」
「えっ」
なぜか鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしておられます。
私はつい先ほど、婚約破棄を突き付けられたのですよ?
他でもない貴方の兄から。
「どうしてそんな他人ごとのような顔をされていますの? あなたはアンドリュー様の弟でしょう。もちろん彼の振る舞いにステファン様は関係ないかもしれません。ですが、なぜあの騒ぎの直後に、他でもない貴方がこのような真似をなさるのですっ!?」
とても惨めな気持ちになり、気が付けば涙声になってしまいます。
「それは、その。傷ついた君を見ていられず」
「私が傷ついているかですって? それなら先ほどまで、一体何をされていたのです? のんびりとあの方に恥を掻かされる私の姿を見物されておられたのでしょうか。私のことを想ってくださっているのでしたら、なぜ割って入ってでも彼を止めてくださらなかったのですか?」
「うっ」
別に本当に助けてほしかったわけではありません。
ただ、口当たりの良い言葉とは裏腹に、彼には誠実さが感じられないのです。
「様子見、されていたのでしょう? この女がどのような展開を迎えるのか。あるいは裏で私のために何か動いてくれていたのかもしれません。急なことで口をはさめない空気だったこともわかります。しかし、それ以前の話です。私に恥を掻かせたあの男性の弟と縁続きになれと?」
胸の中にくすぶる怒りに火がついてしまいました。
私も動揺しており、アンドリュー様に対する憤りなども再燃してしまいます。
「それは……あ、兄は兄。俺は俺だよ。それに家の問題もある」
「そうですね。その通りですわ。けれど、私は先ほどとても気を張っていたので今少し休みたいんです。誰かに助けてほしいとか、求婚してほしいとか、少なくともこの夜には求めません。何よりも、まず私の気持ちも考えていただきたいと思います」
自分の身体を抱きしめて、身体を震わせます。
何とも思っていない男性に触れられることがこんなにおぞましいとは知りませんでした。
「その態度はなんだ。もう少し言葉を選ぶべきだろう」
「え?」
ステファン様はハッとした様子で口元に手をお当てになります。
さすがに自分の振る舞いの不味さに気付かれたようです。
私も相応に厳しい口調になっているのは自覚しています。
けれど、あの騒動の直後。
気も荒く、感情的にもなろうものです。
「君は、お、俺のことをどう思っているんだ。それだけを聞きたい!!」
「ご立派な方だと思います。けれど私はつい本日まで婚約者であるアンドリュー様のことだけを考えておりました。急に他の異性のことを心に置くのは難しく感じます。いえ、はっきりとお伝えすべきかもしれません。貴方のことは少しも好きではありません。侯爵家の娘としては問題かもしれませんが、今後王家の方と縁続きになることも出来ればご遠慮したいと考えます」
口にして初めて、自分が深く傷ついていることに思い至る。
アンドリュー様の代わりに彼と結婚しろと言われても無理です。
気持ちがとてもついていきません。
私の心は既に半ば折れています。
「こっ、この俺と結婚したくないと?」
「はい、微塵も」
ステファン様は口をぱくぱくとなさっていました。
まるで予想もしていなかった言葉をぶつけられた顔です。
異性関係が派手だとは聞き及んでいますが、煽り耐性のようなものは皆無のようでした。
何か言われる前に彼の前から離れることにします。
追いつかれないように、とにかく急ぎ足で進みました。
「お嬢様、申し訳ありません」
執事のダルタニアスが遅まきながらこちらに向かって駆けてきます。
一体どこへ行っていたのか。
あぁ、早くこの場から離れたい。
「ルイーズ嬢」
そうこうしているうちにまた別の誰かに声をかけられます。
「チャムカ様?」
彼は隣国のシャルハから留学に来た王太子です。
ゆるくウェーブのかかった赤銅色の髪に褐色の肌。
見る者を魅了してやまない、異国情緒的な雰囲気をまとった男性です。
「今夜はいつにもまして美しいね。先ほどの騒ぎ、見せてもらったよ」
「はい、それが。どうかいたしましたか」
感情を込めず、淡々と言葉を返します。
「よければこの後、二人で会えないか。僕の下へ来てほしい。どういう意味かは分かるよね」
この方は今しがたのやり取りを見ておられなかったのでしょうか。
近くに寄らなくとも、何かトラブルが起こっていたことはわかると思います。
「申し訳ありませんが、ご遠慮いたします。どういうお気持ちかもわかりません」
「つれないことを言う。君のことが気になっているんだよ」
その口調に妙に苛立ちを覚えます。
「王太子に婚約破棄など申し渡された哀れな女の愚痴をお聞きしたいのですか? チャムカ様のご興味を満足させるようなお話はできないように思います。失礼します」
「まぁ待ってくれ。僕は君のことが好きなんだ」
その場を離れようとして、腕を掴まれました。
どうして殿方はこちらの許可なく他人の肌に触れるのでしょう。
まるで先ほどのやり取りの再現です。
「それは今言うことですの? 私、つい今しがた空気を読まない殿方に言い寄られて辟易したところなんですの」
「いや、それはあの男が」
「ステファン様だけに限った話ではありません。私は今誰ともお話したくないんですの。若干男性不審気味になっております。空虚な愛の囁きなど耳にも入れたくありません」
腕を振り払い、顔を隠します。
じんわりと、目頭が熱い。
涙がにじんでいないか、頬が赤くないか気になりました。
時間を追うごとに、気持ちが揺れていくのがわかる。
君のことが好きだと、アンドリュー様もいつだったか言ってくれました。
今よりもずっと幼い頃でしたが、私にとっては誇らしい勲章のようなものでした。
それが一夜にしてただの石ころのような記憶になってしまうなんて。
誰かに好きと言われても、もはや心は動かせません。
「これは随分と重傷だな。僕が君のことを癒してあげたい。一緒に国に来ないか? 出来れば妃として迎えたい。優秀で麗しい君のことをずっと以前から狂おしいほどに欲しいと思っていたんだよ」
幸い彼は無作法に抱き締めるような真似はしてきませんでした。
ステファン様に比べればまだしも多少はマシと考えます。
呼吸を整え、毅然とした態度を意識します。
「何ですの? 土産として地元の特産品でも持ち帰るようなお気持ちでしょうか。そもそもいきなり現れた隣国の侯爵令嬢を、国で温かく迎え入れていただけるとでも?」
「僕が望めばそうなるよ。何よりも君の美しさだもの。誰もが良い土産を持ち帰ったと喜んでくれるさ」
私が口にした例えとはいえ、物扱いされているような気がして気分は良くありません。
あぁ、この方は私の見た目だけがお気に召したのですね。
そんな意地の悪い考えがよぎります。
「チャムカ様は母国に婚約者の方がおられると聞き及んでおります。加えて、私を側妃に迎えるか正妃に迎えるかではありません。国内での政治・貴族の力関係、何より婚約者の方の精神面での影響、そうした諸々の事情を考えた上で、今のお言葉なんですの?」
「大げさだな。そこまでの話ではないさ」
それはどうでしょうか。
たとえ政略の婚約関係と言えど、傷つくものは傷つくんですよ。
相手の気持ちをもっと深く考えていただきたいものです。
「そこまでの話ですわ。婚約者に裏切られた女を前に、婚約者を裏切る話を持ち掛けないでくださいませ」
「あっ」
もうこれ以上会話を続ける気にもなれません。
足早に離れます。
場合によっては良いお話だったかもしれません。
これから先のことを考えればどこか異国で過ごすのも悪い話ではないと感じます。
けれど、よりにもよって今夜言うことなのでしょうか。
傷ついた女なら簡単に引っかかるとでも思われたのでしょうか。
彼なりの善意や厚意ではあるのでしょう。
ただ、彼の気持ちに応える元気はない。
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