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魔性の悪役令嬢ですが、5股したから婚約破棄だと言われました。殿下は『真実の愛』にご熱心ですが、それほど『真実』がお好きなら見せて差し上げます

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「メリアーヌ・フェネクス! 貴様との婚約を破棄する!」

 王太子オリヴァー殿下は高らかに宣言されました。
 
 なぜよりにもよって今日この場所で?

 ここは様々な貴族、国王までが一堂に会する婚約披露パーティ会場です。
 他国からの来賓来客も迎えた重要な外交の場でもあります。

 わたくしはフェネクス侯爵家のメリアーヌ。
 本日、殿下との婚約をお披露目する予定でしたが、突然の婚約破棄を突きつけられました。

 正直かなり面喰いましたが、この程度の突発的事象で動じていては未来の王妃は務まりません。
 
「殿下、どのような理由で婚約破棄などとおっしゃるのですか? そちらのご令嬢はどなたでしょう」

 学園で殿下と交際されていた方でしたわね。
 既に調査済みでしたが、白々しくも何も知らない風を装います。

「お前が数年にわたり虐め抜いたハキム男爵家のマリアベルだ! 公での誹謗中傷、彼女の衣服を切り裂き、所持品を盗み、あまつさえ階段から突き落とした! 貴様が子飼いの令息令嬢を使って度重なる危害を加えてきたこと! すでに実行犯は捕らえすべてを白状している!」

「それはありえません」

 わたくしはきっぱりと言いました。
 一体何をおっしゃるのでしょう、この殿下は。
 どのような調査をしたら指示してもいない犯人が出てくるのでしょう。

「ええい白々しい! この可憐で美しいマリアベルの容姿や人柄を妬んでの行為、万死に値する!」
 
 鋭い剣をこちらに向け、わたくしを睨み付けるオリヴァー殿下。
 強烈な敵意に嫌な汗が背中に流れます。

 けれどこの状況で屈するわけにはいきません。わたくしがどのように状況に対処するか、その一挙一動がこの場にいる全ての者に注目されています。周囲からの突き刺さる視線。さぁ早く見せてみろと、冷酷なまでの静寂が場を支配していました。

「殿下。たとえ貴方と言えど無実の婚約者を手にかけては極刑は免れませんわ。わたくしを断罪したいのならそれに見合った罪状をきちんと提示なさいませ」

「お前はマリアベルへの嫌がらせに加え、貴族令息4名と度々密会を重ねていた! 俺というものがありながら他の男にうつつを抜かすなど決して許されない!」
 
「一体それの何がいけないのでしょう?」

 おっしゃる通り4名の殿方とお茶会や交流といった場を設けていましたが、後ろ暗いところは一切ありません。家同志の関係に加えて、わたくしたちの社会で何より重んじられる『契約』に基づいた正当な意味を持った関係性を築いているだけです。

 そもそも婚約者がありながら誓約や契りを結んでいないお相手を侍らせている殿下に言われる筋合いは全くありません。

「殿下、貴方はそちらの方と一体何をどうされたいのです」

「彼女を私の妻とし、我が国の王妃として迎え入れる!」

 周囲からざわめきの声が広がる。
 さすがにこの発言にはわたくしも、ぴくりと眉が動くことは止められませんでした。
 
「国が定めた血の契約に背き、新たな契約を一方的に結ぶと?」

「その通りだ! 歪んだ契約なぞ、『真実の愛』の前では何の意味も持たない!」

 真実の愛、そんな言葉で全てを片付けようというのでしょうか、この方は。

「殿下、お言葉ですが、それは世の決まり事を乱してまで尊ぶべきものでしょうか」

「この国の決まりなど、世界の広さを思えばあまりに視野が狭い! 私が以前訪問した国では人々は契約などに縛られず自由な恋愛を謳歌していた。この国の歪みの体現がまさに貴様だ!」

「我が国の契約主義はこの世界を見渡してもごくごく一般的な社会通念でしてよ?」

 一体『どの国』を訪問してそのような知見を得たのでしょう。

「またそれだ。契約主義、一に契約に二に契約! その理屈は飽きるほど聞かされて育った! ありとあらゆる場面で我らを縛り、生活を、心を、愛までをも支配する。この国のありようがいかに愚かであるか、この場を借りて貴族一同や父上にも問いたい! こんな生き方をしてそれで良いのか、我らは!」

 そう周囲に呼びかける殿下。国王陛下の様子を窺うと、青白い顔で無言のまま息子の様子を黙って見つめています。ひやり、と首筋に嫌な汗が流れました。

「殿下、それは現在の世界情勢をご理解された上でのお言葉ですか?」

「当然だ。来たるべき戦争を前にして我が国や貴族、国民が一丸となって生存競争に打ち勝たなくてはならない、今だからこそ私は主張したい! すべてを救うのは愛であると!」

 殿下は一片の曇りもない澄んだ目でわたくしを見据えてきます。
 思わず頭を抱えたくなりました。

 あぁ、これはダメだ。
 王太子がこの有様ですか。

 この国のありよう、過度な契約主義については確かにわたくしも思うところはあります。
 ですが、それを論議するにはあまりに時勢を読んでいない。

 建国以来、たびたび滅亡の危機に瀕してきた我ら民族が多くの窮地を乗り越えここまで発展してきたのは何よりもその『契約』あってこそです。

 長い年月を以て徐々に緩和していくことはともかく、今ここで一国の王太子が個人的な感情で切り捨て、泥を塗ってよいものではない。それでは示しがつかない。

 とにかく、殿下といくら話しても無駄なのはわかりました。すっかりのぼせ上がった彼に対してどれだけ社会通念を突きつけても無意味でしょう。
 
 それでは、彼のお好きな『真実』とやらについて教えて差し上げるしかありません。
 問題の男爵令嬢、マリアベル・ハキムに目を向けます。

 その堂々とした立ち居振る舞いに勝ち誇ったような笑みは確かに魅力的です。
 衆人環視のプレッシャーの前でも全くひるんだ様子がありません。
 見れば見るほどに、これはなかなかの傑物だと内心で舌を巻きます。

「おっしゃることはわかりました。ですが、わたくしは殿下に対する裏切りは一切行っておりません」
 
「黙れ! 貴様が多数の貴族令息と交わしあった歪んだ愛! それこそが裏切りだと何故理解できない!」

 理解できないのは貴方の頭の方です。

 これまでもことあるごとに奇妙な思想や主義主張をぶつけられてきましたが、殿下の言葉に対して毎回毎回どれだけ口を酸っぱくして世の常識や理解を説いてきたか。理解力のない相手と会話することがここまで疲れるとは思いませんでした。

「ですから、『それ』の何が問題なのでしょうか? わたくしと彼らは極めて健全なやりとりしか交わしておりません。『契約』の力は殿下もご存じのはずでしょう?」

 魔力の存在する世界における『契約』の持つ意味。
 それは有無を言わさぬ魔術的な強制力です。
 婚前の不埒な行動は禁じられ、ときに指先一つ動かすことすらできなくなる。
 わたくしや、相手の令息も当然そうした制限によってがんじがらめにされています。
 
「貴様のその悪びれぬ態度が問題だと言っている! 偽りの愛を無分別に多くの者と結ぶ、それこそが罪だと自覚せよ!」

 罪? こともあろうに『それ』を罪とおっしゃるのでしょうか?
 えぇ、何を訴えたいかはわかります。お気持ちは痛いほど理解できます。

 ですが、まず貴方はこの国の『法律』を学ぶべきです。
 子どもに教え諭すように、なるべく優しい口調で言葉を紡ぎます。

「殿下、『多夫多妻』はこの国においていかなる罪にも当たりませんわよ?」

「っ! その淫らな考えこそが我らを低俗なものへと貶めるのだ!! 多くの者と契り子を成し貴き血を多くの家と共有するなど、あまりに破廉恥で惨めだ!」

「殿下。そのような『人間かぶれ』は本当に大概になさってくださいませ」

 わたくしはため息が出そうになるのを懸命に抑えました。

 本当に、一体どこでそのような歪んだ思想を身に付けて来られたのでしょう。マリアベル・ハキムに吹きこまれたか、下界でのお遊びがよほど酷いのか。隷属させるはずの人間の価値観に染まるなどさすがに愚かを通り越して心配になるレベルです。

 ここは魔界。

 わたくしたちは悪魔の貴族であり、格の高い家が多数の配偶者を持つことは極めて当たり前なことです。なんなら国王陛下とて42名の妻を持っています。殿下を含め5名としか婚約していないわたくしなど家の格からすればまだ少ない数だと言えます。

 多夫多妻ゆえの諸問題は数ありますが、それは長い歴史の中で様々な折り合いをつける形で『契約』が結ばれ、例えば実子か否かの判定についても血と魔力による鑑定方法などは確立済み。社会に根付いた慣習ゆえに様々なフォローがされています。

 もちろん、魔族の全てが必ずしも多夫多妻ではありません。

 血統の確保や後継者が十全であれば一夫一妻も問題はないのですが、現在高位魔族の頭数が減りつつある事情を鑑みても、わたくしが多数の夫を持つことは必然と言えます。今後長期化が予想される戦争を前に、可能な限り強い種を、血を多く残さなくてはいけません。

 殿下にしてもわたくし以外にも複数の婚約者が存在するはずなのですが。

 最も格の高い家柄であるわたくしを相手取ることで、まとめて婚約者たちを断罪しているつもりなのでしょう。わたくしは婚約者代表、と言ったところです。

 高位魔族の結婚は『契約』であり、個人の感情や都合など一切関係ない。愛人を持つことや遊びに関してはそこまで咎められることはないものの、この契約関係に背くことだけは決して許されません。

 ただし、感情や思考も含め多少の自由も許されています。
 キスや抱擁、手をつなぐと言った児戯に近い接触ならば制限にも触れません。
 そうでなくては享楽的な性質の多い魔族は気が狂ってしまいますからね。

 それゆえ今回の殿下の突発的な行動につながったのでしょうが、彼がこの『契約』を破れるほどの魔力や才覚を有していないことは一目瞭然でした。力なき主張は、所詮はただの戯言です。その無力さゆえにわたくしは、殿下に失望を禁じえません。

 殿下がマリアベル・ハキムを恋人とすることに罪はない。婚前の不埒な行為が制限されているのは殿下も同じです。ただし多くの約束事を一方的に破棄した上で身分の差を弁えず妻とすることなどは公で認められることではありません。物事には順序というものがあります。

 貴族の婚姻関係の多くは家同志のつながりを高め、ひいては魔族全体の士気向上や団結力を生み出すために必須であるとすら言えます。

 現在の世界情勢を思えば、今回の婚約がいかに重要であるかは改めて口にするまでもありません。天界との最終戦争ハルマゲドンは目前に迫っています。敵対するは恐るべき爪と翼を持つ天使たち。彼らは魔族をおぞましい悪と断じて皆殺しにすることを目的としていました。

 既に多くの犠牲者が出ており、緊迫した情勢の中で魔族全体が密に連携しなくてはいけません。種族の命運と地上の覇者を決める戦いに勝利するため――すべては魔族の未来のために。

 よりにもよってこの時期に、人間かぶれの『真実の愛』にうつつを抜かすなど、彼のお花畑の思考には呆れて言葉も出ません。

 事実を不正確にしか把握していないことにも心底がっかりしました。

 わたくしが子飼いの令嬢令息を使い嫌がらせを行ったとのことでしたが、呆れるを通り越して失笑ものです。わたくしに従う令嬢・令息たちはたとえどれほど拷問を受けようが口が裂けても自供したりはしない。その程度のか弱い者たちなど取り巻きにする価値はありません。
 
 男爵令嬢マリアベル・ハキムに対して数々の『警告』を行っていたのは誰であろうわたくし自身です。様々な手段を使って行動を慎むように伝えてきたつもりでした。最終的には多少乱暴な手段になってしまったことはわたくしも遺憾ではあります。

 とは言え、殿下に対して身分も弁えずにすり寄る羽虫を追い払うといった行為は『当たり前の事』であって、そのことを咎める者はほとんどいないでしょう。ある程度寛容な魔族社会においても、結婚前に婚約者をないがしろにして遊びほうけることは決して推奨されておりません。

 恋に遊ぶせよ、まずは役目を果たしてから。結婚後は比較的自由に振舞うことだってできます。もちろん殿下に対しても、くり返し態度を改めるようお願いはしてきました。

 しかし、どうしても聞き入れてはくれず、本当にやむを得ずといった事情があります。もちろん殿下と心を通わせることが出来なかったことは、わたくしの不徳の致すところです。

 ちなみに殿下の他の婚約者の方たちも何がしかの対応を取っていたことも把握しています。大方その子飼いの令嬢令息が、首謀者としてわたくしの名前を挙げたのでしょうね。この貸しは高くつきますわよ。

 この数年間、数々の嫌がらせに耐え続け、この断罪劇という舞台に立ったマリアベル・ハキムは賞賛に値します。

 この場においても見苦しい殿下と違い、一歩も引かぬ意志の強さ。
 自身のすべてをかけてこの場に挑む、覚悟ある者の眼だ。
 その意志力と度胸、これまでのすべてに敬意を表します。
 ですが、それもここまで。

 わたくしは殿下を無視し、マリアベル・ハキムの前へと歩み寄ります。
 さぁ、ここからが一世一代の大見せ場。
 覚悟を決めて、全てに挑みます。

「何をする! 彼女に近づくな!」
 
 邪魔な殿下にまずは手を振り上げ、頬を平手打ちにします。なかなか心地の良い音が響き、少しだけ愉悦を覚えました。床に落とされた剣も蹴り飛ばしておきます。

 殿下はあからさまに動揺されたようで、信じられないと言った目でわたくしを見つめてきます。頬を押さえながらそんな被害者のような表情をされましても。先に喧嘩を売ったのは貴方の方でしてよ。

 果敢にもわたくしの手首を掴んで強引に魔力でねじ伏せようとされますが、甘い。既にこちらは全力で魔術を展開しており、殿下を振り払いもう一度頬を叩きます。今度はより強力な一撃なのでかなり痛かったはずですわね。呻きながら床に跪く姿を見下ろします。

 あまりにか弱くていらっしゃるので、ため息をつきたくなりました。王太子とは『血の器』。本人が武闘派である必要はないのですが、もう少し鍛えておいてほしかったところです。

 もはや振り返ることもなく足を進めます。
 
 マリアベル・ハキムの前に立ち、鋭い眼差しを正面から受け止めます。
 ゾッとするほどの美しさを引き立てる恐ろしい形相はとても好ましく思えました。
 だからこそ、相手に敬意を表し、全力で挑みます。
 
「貴方の主人は誰?」

「なっ、何を」

 素早く手を伸ばし顎を掴みます。甘く蕩けるような魔力が香り、それを振り払うべく喉に意識を集中し魔力を解き放ちます。

「答えなさい、貴方を支配する者の名を!」
 
 魔力を使い、マリアベル・ハキムの心の内側へと侵入していきます。相手の心を支配し、過去の記憶や思想・深層心理に至るまで読み解きながら瞬時に情報を得て、こちらの疑念が真であると確信を持つことが出来ました。

「わたくしはメリアーヌ・フェネクス! 貴方を従わせる者!」

 相手の心をねじ伏せる、それが魔族同士の戦い。

「う、うぅぅ、わ、私が、従うのは、私自身だ……!」

 マリアベル・ハキムの眼が妖しく輝きます。
 顎を掴んだ手に力を入れ、破壊し尽くさんばかりに凶悪な魔力を注ぎ込みます。
 一瞬でも気を抜けば、跪くのはこちらになる。
 瞳に全身全霊を集中させ、心の奥底にまで響く言葉を重ねます。

 従え、わたくしに服従を誓いなさい。
 個人の感情など関係ない。 
 この世界、魔族の行く末を、未来を守るために今、何をすべきか。

 己の立場を弁えなさい。

 わたくしの感情の一部から、自身の記憶まで流し込みます。
 このメリアーヌ・フェネクスのすべてを、骨の髄まで、理解しなさい。
 わたくしの哀しみも、怒りも、そして愛も。

「貴方が隷属する相手は?」

 改めて問います。

「あっ、あ、あっ、あぁぁ! メリアーヌ様ですぅぅぅ」

 情けないほどに身体を震わせて、わたくしの名を呼びます。

 正直、こういう振る舞いは柄ではありません。

 けれど、それがこの舞台で求められた正しい演じ方。
 相手の心を屈服させ、プライドを挫き、哀れなほどに許しを請わせる。

 悪魔の世界と言うのは、こういった『見世物』が大好物なのです。
 ならばこそ、わたくしはどこまでも、らしく振舞います。
 そう、『真実の愛』を挫く、魔性の悪役令嬢としてどこまでも居丈高に。

「殿下、ごらんなさい、貴方が気づかなかった真実を!!」

 振り返り、こちらを呆然と見つめる彼に見せつけてやります。
 マリアベル・ハキムの正体。
 偽装されていた本当の姿。
 
 そこには 壮絶なほどに美しい容貌を持った少年魔族がいました。
 
「なっ、マリアベル……!?」

 殿下は驚愕しているようですが、本当に全く気付かれていなかったのでしょうか? 

 そう、彼女の正体は男性。男爵家としては異例の魔力の強さや技術力を駆使して女性であるように周囲に対して偽装していたのです。この場に居合わせた多くの貴族は彼の偽装をほとんど見破ることが出来ていなかったようで、驚きの声が波紋のように広がります。
 
 ちなみにわたくしの婚約者たちも来客の中にいます。
 彼らの中で真実を看破していたのは果たしてどれだけいたでしょう?
 後で確認してみましょう。
 わかっていなかったら、嘲笑してやります。

 性格の悪い彼らはこの状況でも当然のごとく高みの見物を決め込んでおり、わたくしがどう振舞うかを楽し気に眺めていたに決まっているんですから。

 身体を震わせ、こちらを見上げる彼に対して語りかけます。

「実に見事だったわ」

 身分を弁えない愚かな振る舞いは決して許されることではありませんが、意志力の強さや狡猾さを尊ぶ魔族において、マリアベル・ハキムは実に好ましい存在と言えます。

 高位魔族を出し抜くだけの才覚と嫌がらせに屈さぬ芯の強さ。性別を偽り王妃として立つことで、己を顧みない全ての者への叛逆を行うこと。それこそが彼の目的だったのです。国王陛下の眼前においてもそれを貫き通そうとした度胸には感銘すら受けます。

 実に自分勝手で傲慢な振る舞い。
 けれど、その才能を潰すには惜しい。

「わたくしのものにおなりなさい」

 手を差し出し、唇で触れることを許します。

「はい、メリアーヌ・フェネクス様に服従を、誓います」

 彼の陶酔したような瞳から一筋の涙が流れ落ちます。相手の心を魅了し射貫くこと、これこそが魔族の風格というものです。彼の矜持や心を折ったことに罪悪感を抱かないわけではありませんが、こうでなくては務まりません。覚悟を持ってこの場に挑んだ彼ならば理解していることでしょう。

 ここに一つの『契約』が結ばれ、わたくしは新しいしもべを手に入れました。この下らぬ断罪劇に巻き込まれたことは不運でしたが、使えそうな人材が手に入ったと考えれば少しは救われるというものです。

 相手の同意を引き出すことによって、一方的な『服従』を約束させる。魔界ではこのようなあまたの『契約』が存在し、絶対的な強制力を持つものから理不尽極まりないものまでが使われています。婚約や婚姻すらも互いの一族を結びつける『契約』であり、あらゆる場面で避けて通ることはできません。

 ときに我が身を脅かし、我が身を守る。
 力なくば己の主張すらも許されない。
 だからこそ、疎かにしてはいけないのです。

「なかなか面白い見世物だった」

 それまで沈黙を守っていた国王陛下が初めて声を発します。

 青白い顔に真っ白な髪はどこか生者らしからぬ印象ですが、恐ろしいまでに紅い瞳に魅入られそうになります。見つめていると心に侵食してくるような凄まじい魔力。陛下は当然のごとく、最初から全てを察していたでしょう。その上で、この場を誰がどう収めるかを見物していたのです。

 魔界の最高権力者にして最終兵器。天界との戦争における我らが要。彼の一挙一動に誰もが固唾をのんで見守ります。

「愚かな息子よ。貴様は廃嫡し、最下層の辺土送りだ」

「そんな、父上!」

「誰が口を開いて良いと許した?」

 壮絶なまでの魔力の波動で、緩んでいた場の空気が凍り付きます。

 陛下の言葉は『絶対』です。
 何者も逆らうことはできません。
 
 殿下は血の気の引いた顔で震えだし、そのうち白目になって口から泡を吹いてその場に崩れ落ちます。あらゆる箇所から体液を漏らしているようです。哀れなものです。

 数多く妻を抱える陛下にとって、たとえ王太子と言えども替えはいくらでも利く存在。
 この場で命を刈り取ることもたやすいでしょう。
 けれど、敢えて追放という形を取った。

 なぜなら、その方が面白いから。

 万が一、最下層から這い上がり自身の首に手をかけるだけの胆力があるのなら、きっと陛下はお喜びになるのでしょうね。この殿下ではとても無理そうですけれど。

「メリアーヌ・フェネクスよ」

 名を呼ばれ、一瞬身体が硬直します。
 直々に陛下が、このわたくしに問いかける。
 ここが、正念場です。

「貴様の誇りはどこにある? その全ては誰の為に在る?」

 ごく短い問いかけ。
 震える心をねじ伏せて、あくまで優雅に微笑みます。

「わたくしの心も魂も誇りも、全ては魔族の為にございます」

「そう、我らの血も肉も誇りも、全ては魔族の為に在るのだ。さぁ我が愛しき子らよ、その全ては誰の為に在る?」

 国王陛下の言葉を受け、この場にいる全ての魔族たちが応じます。

「全ては魔族の為に!」

 最初に言葉を発したのは誰であろうわたくしの婚約者の一人でした。

「全ては魔族の為に!」

 負けじと他の婚約者も声を張り上げます。
 多くの魔族たちの声が賛同し、拳を振り上げて声帯を震わせます。

 異様な熱気と興奮。高揚と同時に感じるのはわずかな恐れ。これから先に待ち受ける戦いはあまりに過酷。天界との最終戦争に、人界をどれだけこちらの勢力へ取り込めるかのせめぎ合い。魔族が総力を挙げて立ち向かわねばこの難局を乗り越えることはできない。
 
 わたくしの次期王妃としての立場は今回の件で白紙になりました。

 貴族社会における立ち位置や、政治的な力を得るにはまた次の王太子と契約を結ばねばなりません。この場を収めたことでどうにか機会を得られるでしょうが、今度の相手がわたくしにとって都合よく御しやすい相手とは限りません。

 王太子とは極めて特殊な存在です。必要とされるのは『器』であり、オリヴァー殿下のような程度の低い存在でも選ばれる可能性があります。

 王たる力を持つに至るには、魔界最強の魔力と代々の国王の記憶を継承する必要があります。即位式で行われる『継承』によって人格や意識は大きく塗り替えられ、肉体も含めて現国王陛下そのものに変貌するため、継承前の人柄や強さをあまり問われません。儚い思想や感情なども、全ては膨大な記憶に埋もれ、押し流されていく。

 それゆえ王太子は即位前に必ずある種の勝負に出る、と言われています。

 自身を鍛え上げ、強固な精神力を持って自己を保とうとする者。
 オリヴァー殿下のように自身の思想を説き、現国王陛下の意識改革を行うことで、未来の自分にも影響を与えようとする者。

 力に主軸を置く魔族としては前者が正道。
 人間かぶれでひ弱な殿下は、ある種邪道とも言える後者を選択しました。
 彼なりに己の未来を憂慮した結果が、今回の断罪劇だったのでしょう。

 殿下ともっと歩み寄ることが出来ていれば。己を高める方向での助言や協力は惜しみませんでした。しかし、わたくしや数多くの婚約者たちを顧みることなく、彼が武器として選んだのはたった一つの『真実の愛』だった、というわけです。

 何とも度し難く、残念な方でした。

 殿下の考えも、すべてを否定する気はありません。でも、今の社会と照らし合わせると、どうしても抜けているんですよね。

 やはり世の趨勢を読む力は必要です。
 それに、女性を見る目も。

 わたくしの婚約者たちはどうしてこう、一筋縄ではいかない者たちばかりなのでしょう。
 
 愚かな断罪劇を静観していた四人の婚約者たちにしても、曲者ぞろい。彼らは常に我こそが優位であると主張したがります。契約はあれど、心までは易々と支配されない。それゆえに、ことあるごとにわたくしの心の隙を突き、屈服させようとしてきます。
 
 中には従順な犬のような者も居ますが、それはそれで扱いが面倒でした。
 わたくしの一挙一動を注視して、期待に応えなければ首筋に噛みつきそうなんですもの。
 
 抜け目のない彼らの前で惨めな振る舞いを見せぬよう、どれだけこの場で多くの意志と気力が必要だったでしょう。わずかでも弱みを見せていれば、後でねちねち詰ってくるに決まっているのですから。

 この数年間、彼らと過ごした日々の過酷さと、おぞましい恋の駆け引き。

 振り返るとめまいすら起きそうなほどでしたが、そんな中で特定の相手に熱を上げていた殿下のお花畑っぷりには憧れすら抱きます。一対の男と女が愛し愛され添い遂げる。下位の魔族であればまだ個人の趣味の範疇ですが、わたくしたちにそんな考えは許されません。

 真に想う存在、そう言える者はわたくしにだって居ます。
 彼と共に閉じた世界で自由な恋を愉しむ。そんな欲求がないとは言えない。
 けれど、その気持ちはあくまでも胸の内に秘めておきます。

 それゆえに殿下の事を心底愚かだとは思いつつも、見下すつもりはありません。
 すべてを捨てて自由を追い求めるのもまた悪魔的な魅力を持つものなのです。
 自分の心を知るからこそ、より強く自らの心と身体を律しなくてはいけない。

 居丈高に堂々と振舞ってはいますが、それは周囲にそう見せている自分に過ぎません。
 このように衆人環視の場で、どれほどの気力を要したか。
 手のひらに滲んだ汗の不快感。身体の震えを決して周囲に感じ取らせてはいけない。

 舞台上の悪役令嬢。そんな流行の劇をほんの少し真似てみました。
 衆人環視の前での婚約破棄、この局面を乗り越えたことに心から安堵と疲労感を覚えました。

 そう、わたくしは決して強くない。
 だからこそ、気持ちを奮い立たせなくてはいけません。
 マリアベル・ハキムはまるでわたくし自身の映し鏡のようです。
 いつか誰かに心を折られ、魂を支配されて従属し惨めな奴隷と化す。

 一瞬でも油断し、心に隙があればたちまち籠絡されてしまう。
 それが魔族の社会。

 王は貴族を、貴族は民を、親は子を『契約』の名の下に従わせ、支配する。
 あまりにいびつな社会構造。
 そんなこときっと誰もがわかっている。

 けれど、今はそれを呑み込まなくては生き残れない。
 ただの言葉だけでは何も変えられません。

 だからこそわたくしは、より強くあらねばならないのです。

 そのためには、自分さえも偽ってみせます。
 愚か者を見下ろし『真実の愛』を蔑み、足蹴にだってしてみせます。
 
 来たる天界との最終戦争に魔族の政争、問題は山積みです。でもきっと、いつか必ず勝利してみせます。冷酷かつ凄惨な微笑みを浮かべた、魔性の『悪役令嬢』。他でもないわたくしこそが、世界を救う『主人公』になるのです。

 全ては魔族の未来の為。
 そしてこの世界の中で暮らす、愛する彼を守るため。
 それがメリアーヌ・フェネクスの何よりも大切な『誓い』なのですから。
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