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塚本葉紀子の大失禁 全学園生の前で 高校2年生のとき
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夏休み明けの9月1日、葉紀子は死刑執行日を迎えた女囚のような顔で始業式が行われる会場にいた。星丘大学のホールで幼小中高大学の生徒が一堂に集まる恒例の始業式で、いずれ学園全体が9月入学になる布石だと言われているけれど、そんなことはどうでもよく葉紀子にとっては人生最大の恥辱の場になる。
「……」
今日ここで、茉莉那に謝罪しながら、おしっことウンチを漏らして土下座、それで茉莉那が許してくれなければ、明日からの学校生活でもトイレ禁止でオムツも禁止、大小垂れ流しの上、月経が来てもノーパン登校での露血、さらに制服の上着を改造して両腋だけ露出するようにして腋毛を伸ばして、腋を洗わずに腕をあげて登校しろ、という封書が自宅に届いている。それを実行しなかった場合、日記の中身を使った本格的攻撃が始まる、とも脅しがついていた。
「……」
日記を使った攻撃の威力は絶大だった。葉紀子が図書館へ行かなくなって数日後、いきなり陽子が自宅へ訪ねてきた。そして玄関先で平手打ちされた。理由は問う前に、ぶちまけられた。葉紀子が日記に陽子の彼氏を欲していることと、層川と天秤にかけていること、さらに一年前の日記から陽子が通う学校の生徒が電車内で騒いでいた日に、やっぱりバカの集まり、と蔑む記述をしたことをコピーして切り抜き怪文書に仕上げ、おまけに葉紀子が星丘で居場所が無くなったのは生徒会長を利尿剤でハメようとしたばかりでなく、彼女がいる3人の男子と性交したからと陽子に思い込ませるような記述と合成写真があって、事実と違うと言い訳したかったけれど、自筆の日記と一部に事実が混ざった情報操作によって、問答無用で陽子とは絶縁状態にされた。
「……」
日記には葉紀子の心の汚い部分が赤裸々に書いてある。それをコピーして都合のいいように切り抜きされれば、どんな怪文書でも作れてしまう。そして、それが自筆だということが痛い。だから日記を晒されるのは絶対に避けたい。けれど、学校生活でトイレを使えずオムツも穿けないのも苦痛過ぎる。毎日のように、おしっこを教室で垂れ流すことになるし、ときどき大便もしてしまうかもしれない。月経が来たら悲惨過ぎる。それだけでなく両腋の肌を露出するよう制服を改造しておきながら、腋毛を伸ばして洗わずにいたら葉紀子の体臭が教室に充満するし、登校時に電車内で腕をあげれば気の狂った痴女にしか見えない。きっと、そんな生活をすれば短期間で葉紀子は本当に気が狂う。封書にあった脅迫文が葉紀子に求めたのは、心の汚い部分を晒すか、身体の汚い部分を晒すか、二つに一つ、女が女に考えた最悪最低の恥辱であり嫌がらせだった。それを避けたいなら、茉莉那に謝るしかない。
「……」
謝ることに異存はない。振り返って自分に悪い部分があったのは認めている。球技大会で切羽詰まった茉莉那と挨拶を替わってやらなかったのは不親切を超えて嫌がらせだったし、おもらししそうな様子だとわかっていた。わかっていて交替せず、漏らして泣き出しても鼻で嗤った。嫌な女だと自分でも想う。生徒会選挙で負けたのが悔しくて、子供っぽい可愛らしさを全面に出す茉莉那をバカにしていた面もあった。さらに数日経って登校してきたところを放送でもバカにして心を折ってやろうとした。ひどすぎることをしたと今ならわかる。心が弱っているところを、さらに追い込んで潰そうとするなんて、その被害者になった今なら、どれだけ非道で、された側の傷が深いか、よくよく思い知った。だから、茉莉那に謝りたい。
「……」
けれど、利尿剤は盛っていないし、ここまで受けた復讐もひどすぎる。茉莉那本人からならともかく木村たちは明らかに楽しんでいる。正義の名の下に、たった一人の葉紀子を集団で追いつめ、叩きのめしてきた。ここまでされるほどなの、と言いたい。でも、今回の謝罪で下手な言い訳をして茉莉那に許してもらえなければ、その後は地獄が待っている。だからもう何もかも認めて、泣いて許しを乞うしかないとわかっていた。
「楽しかった夏休みが終わりました。私は福岡のお爺さんお婆さんに会ってきて、たくさん可愛がってもらいました。そして楽しい夏休みは終わりましたが、今日からも幼稚園でお友達と楽しいことがいっぱいあると想います。みんな元気に頑張りましょう!」
幼稚園の年少代表の子がスピーチしている。三千人を超える先輩たちを前にして堂々と話していて、これで年少なのかと高校生大学生たちは驚き、拍手していた。今、壇上には幼稚園から小学校までは学年ごとに教師によって選ばれた子が立っている。中学と高校は生徒によって選ばれた生徒会メンバー、大学も学生会、ただ学生会には毎年立候補者が無く大学事務局が学生に声をかけて引き受けてもらっているらしかった。もう内申書など関係ない大学生にとって学生会の役員という肩書きなど、町内会やPTAの役員なみに避けたいものだった。始業式が続いていく。
「小学3年生代表の鈴川さんでした。続いて、小学4年生代表の鹿狩純子さん、お願いします」
「どうも、鹿狩です」
純子は片手でマイクを持ち、どことなく男性っぽい仕草と口調で話し始める。
「こういう場での話に合わないかもしれないけど、今日9月1日は危ない日だ。何が危ないって下校時の不審者、学校が始まって女子を狙う不審者が出てくる。みんな気をつけて帰ろう。出会ったら、習った通り、逃げる、助けを呼ぶ、それもいいけど、オレだったら蹴り潰してやる」
「……」
葉紀子の隣にいる松井がつぶやく。
「おー怖ぇ。小学4年で、もうスレてる。低学年までは賢くて可愛かったけど、4年にもなると、もう思春期後半って感じだな。成長が早すぎだろ」
反対の隣にいる茉莉那もつぶやく。
「……蹴り潰すって………本当に潰れちゃったんだよ……自分のお兄さんなのに…」
「?」
葉紀子には意味がわからない。ただ、さきほど出会ったときから茉莉那の様子はおかしかった。徹夜明けのように目にクマがあったし、ぼんやりしている。葉紀子が事前に、スピーチの中で永戸さんに謝ります、と伝えても一言、そう、と言っただけで上の空だった。そして2年1組の列に英雄がいない。急な怪我で入院しているらしかった。
「じゃあ、みんな、二学期もよろしく」
「小学4年生代表の鹿狩さんでした。続いて、小学5年…」
だんだん葉紀子の番が近づいてくる。木村たちは茉莉那の替わりに挨拶しろと言っていたけれど、二学期の始業式だけは学園総会の意味合いもあって、小学校までは学年ごとに一人、中学以降は生徒会メンバー全員がスピーチすることになっていた。中学の生徒会メンバーたちは純子のようにスレた話し方ではなく、もう大人として模範的な話をしている。
「かつて成人となるのは13歳という時代もありました。私たち中学生がその年齢にあたります。それゆえ、自覚と責任をもって社会の期待に答える成長を…」
中学生たちの模範的なスピーチの後に茉莉那がマイクを両手で握った。
「………。高等部生徒会……会長…永戸茉莉那です。……」
緊張している様子はないのに、茉莉那はたどたどしい。
「……。二学期も、よろしく……以上です」
「「「「「………」」」」」
そんなに短いのか、まあ長話よりいいけど、と生徒たちが思う中、葉紀子の番が来た。茉莉那からマイクを受け取り、壇上を進んで中央に立つ。もうすでに葉紀子は緊張で腋や背筋が汗でズブ濡れだった。ホールに集まっているのは幼稚園は一学年が30人、小学校は60人、中学100人、高校300人、大学500人なので三千人を超えるし、座高の関係もあって幼稚園児が最前列、次が小学生と幼い子ほど前にいる。そんな中で葉紀子はこれから、おしっこを漏らし、ウンチを垂れて謝罪しなければいけなかった。すでに封書に入っていた利尿剤と下剤を30分前に飲んだので油断すると漏れそうになっている。
「こ…高等部、生徒会っ…副会長、つ、塚本葉紀子です」
幼い子供たちの視線を浴びると、一気に葉紀子は恥ずかしくなった。封書からの命令で制服のスカートを2回も巻いている。星丘高校でスカート丈を短くする生徒は少ないので、とても目立つし壇上から話していると高低差で最前列の園児からはパンツが見えているのではないかと不安になるし、ウンチを漏らしたときに見えるように短くしろという命令だった。
「こ、この場をかりて謝罪させてください。私は一学期に、とても悪いことをしました」
「「「「「……………」」」」」
そういうスピーチもありかな、と幼い子供たちは傾聴するし、中学生は噂で知っていたり高校生は見聞きしたので、とても興味をもつ。大学生たちもういういしく見える女子高生の葉紀子が何を謝るのか、少し興味をもち、スマートフォンを眺めるのをやめた。
「生徒会選挙で永戸さんに負けて会長になれなかった私は仕事を全部、永戸さんに押しつけました。もともと立候補したのも、みんなの役に立ちたいという動機ではなく、会長の肩書きがあれば内申書で有利、みんなに自慢できるという汚い気持ちでしたから、一人で頑張る永戸さんを見ても、ザマ見ろとしか感じませんでした。最低です。もっと最低なことに、…り……り………り……利尿剤………」
どうしても、やってもいないことは認めたくない。けれど、ここで言わないと、あとが怖くて葉紀子は涙を零しながら言う。
「利尿剤という、おしっこがでる薬を永戸さんに飲ませて、球技大会でみんなの前に立つ永戸さんが、おしっこを漏らして恥をかくようにしました。永戸さんはおしっこがしたくて、とても困って私に助けを求めました。けれど、私は断って彼女をみんなの前に立たせ、そこでおしっこを漏らして大きな恥をかくように仕向けて嗤いました」
「「「「「……………」」」」」
幼稚園児たちが呆れた顔をしている。ちょうどトイレトレーニングが終わって、おもらしは恥ずかしいことという認識ができてきている年齢だけに葉紀子のやったことは、とても悪いと感じる。とくに知的に優秀な園児ばかりなので眉をひそめ、軽蔑した顔になっている。小学生も似たような反応で葉紀子を最低だと感じているし、純子は壇上の後方で整列しながら一瞬だけ中指を立てて葉紀子に向けている。それは伝染病のように女児たちに拡がって愛歌らも一瞬だけ中指を立てて葉紀子に向けてくる。それが話している葉紀子からも見えて、つらかった。中学生は、噂は本当だったんだ、会長可哀想、副会長最低、という追認だった。高校生たちは、すでに茉莉那は彼氏もできて幸せいっぱい、エロエロ夏休み、対して葉紀子は地獄だったので、そろそろ許してあげないと自殺するかも、と思っている。大学生は年少者たちの噂など耳に入っていない学生が多いので、ふーん、なかなか怖い副会長ですね、でも謝ることにしたんだ、えらいな、どういう経緯だろう、と強く興味をもつ。教師たちは木村らが事前に葉紀子が謝罪するので止めないでほしいと伝えていたので、あまり幼稚園児に聴かせるのはどうかと思う内容だったけれど、静観している。
「そればかりでなく、永戸さんが頑張って学校に来たのに、いっそ会長を辞めさせて自分が会長になろうと思った私は学校の放送で、おもらしした永戸さんのことをバカにして傷つける風に話しました。本当に、なんてひどいことをしたんだろうって自分が嫌になります。私は自分のことしか考えていませんでした。本当に、ごめんなさい」
葉紀子は振り返って茉莉那の方に頭をさげた。
「………」
茉莉那はぼんやりとしていて無反応、それを葉紀子は許してもらえていないと感じたので謝罪を続ける。
「他にも……他にも…り……利尿剤を……また飲ませようと持ち歩いたりして……それがバレたのに、とぼけて認めませんでした。…ヒッ…そればかりか、逆ギレして永戸さんを叩いたり蹴ったりして傷つけました。とても、とても悪いことをしました……だから、…こ、これから、ここで、おしっこを漏らして、謝ります。みんなの前で恥ずかしいおもらしをして謝ります。ぅ……ぅぅ…」
もう尿意は高まっているけれど、やっぱり学園生全員の前で漏らすのは尿道が恥ずかしさで閉まってしまい、すぐに出ない。葉紀子は膝を開いた。
ジョア…ジョアアアアア!
股間が生温かくなる。そこに三千人以上の視線が集まってきて葉紀子は恥ずかしさで悶えた。
「ハァっ…ぅう、ハァっ…」
「「「………」」」
幼稚園児たちは意外に騒がない。静かに話を聴きましょう、という指導を守っていて葉紀子のおもらしを見ても、まっすぐ視線を送ってくるだけで笑ったり罵ったりしない。小学生たちもヒソヒソとつぶやくくらい、中学生になると女子がクスクスと嗤うし、男子は驚いて固まっている。高校生たちは葉紀子のおもらしは何回目だったかな、と微笑するだけだった。そして大学生は大騒ぎする。偏差値が低いだけあって、品もない。
「あれ、マジでおしっこか?」
「かわいいのに汚いなぁ」
「よく、みんなの前でやれるよな」
「頭イカレてる?」
「やらされてんじゃね? 謝らないとリンチみたいな」
「おお、聖水だ」
「オレ、あの子のおしっこなら飲めるわ」
「飲んでこい。一気で飲んでこい」
「やっぱ、やめとく」
葉紀子は恥ずかしすぎて雑言が耳に入ってこない。まだ、もっと何倍も恥ずかしいウンチおもらしをしないといけない。わずかな期待をかけて茉莉那の方を見たけれど、ぼんやりしているだけで、もう許してあげる、とは言ってくれない。
「永戸さん、本当にごめんなさい。ごめんなさい。………ここで、ウンチも漏らしますから許してください」
そう言った葉紀子はマイクを腰に回した。そうやって脱糞の音をホール中に響かせろ、という封書からの命令だったので従っている。
ブリっ! ブリブブリブリリ!
柔らかい大便が、すぐにショーツいっぱいに拡がった。音もホールに響いている。また幼稚園児は騒がないけれど、片手で鼻を押さえている。距離的に、まだ匂って無くても反射のような仕草だった。小学生たちは小声で、うわぁ、とドン引きし、純子も驚いている。
「大はありえないだろ……茉莉那のでも、大は見たくない」
中学生たちも騒ぎ始め、気持ち悪そうに葉紀子を見てくる。高校生たちは気の毒そうな顔で、葉紀子を懲罰するというスターヒル仮面は何者だろう、と考える。大学生たちも小学生と同じようなドン引きだった。
「うあぁ」
「キモい」
「臭そう」
「音を聴かせるなよ」
「あの女、変態じゃないか」
「ハァハァ興奮してるし」
葉紀子は茉莉那を振り返った。そうすると、お尻が聴衆に見えて汚れているのが、よくわかる。いよいよ最前列の幼稚園児たちには匂いが感じられて黙っていられなくなった。
「くちゃい」
「あの人、バカなの」
「うんち漏らしてる」
そして教師たちは迷う。悪いことをして人に恥をかかせたので同じ恥をかいて謝るというのは教育効果として悪くはない。けれど、子供たちの前で女子高生がおしっこを漏らしてウンチを垂れるというのは、見せていてはいけない光景なような気もする。幼稚園の教諭たちは強く迷い、高校の教諭たちの反応を見る。高校の教諭たちは木村に謝罪を止めないで欲しいと頼まれていて、やはり迷う。迷っているうちに葉紀子は土下座を始めた。
「永戸さん、本当に私が悪かったです。…ヒッ…この通りです。…ヒッ…どうか、許してください」
泣きながら葉紀子は茉莉那の方向を向いて土下座するので、聴衆にはお尻を見せることになる。スカートを巻いているのでショーツが半見えになり、ウンチまみれの股間がとても汚い。そして葉紀子は自分の糞尿へ両手をつき、頭をさげるとセミロングの髪まで汚れる。
「「「「「…………」」」」」
幼稚園児から大学生まで、そして教師たちも静かになった。ここまでの謝罪は見たことがない。悪いことをしたら、ごめんなさいと言いましょう、という教育と、ごめんで済んだら警察は要らない、という常識、その間にある誠心誠意の土下座、ただの土下座ではなく大勢の前で、それも名誉も尊厳も捨てて、糞尿を垂れて、その場に伏せる。こんな謝罪は人々を沈黙させた。
「…ヒッ…すみませんでした…ヒッ…どうか、どうか…許してください……ヒッ…ごめんなさい、私が悪かったです…ヒッ…」
葉紀子は涙を糞尿の水たまりに落としている。そんな謝罪を前にして、茉莉那はぼんやりと立っていた。
「……………」
この人……何を泣いて謝って………あ、球技大会のことか………やっぱり利尿剤で私をハメようとしたんだ……最低………そのくせ私を叩いたり蹴ったり……それを許してほしくて謝ってるんだ………そんな死にそうな顔して大袈裟な……おしっこやウンチを垂れたくらいのことで……そんなの洗えばキレイになる………でも、英雄くんは大切なおチンチンの玉を一つ失って………もう一つ残っていても子供ができない身体になったかも……もうエッチだってできるか、できないか……あんなに気持ちいいことが二度とできないかも……なのに、私は英雄くんと結婚しないといけない……英雄くんのお母さんは、そういう言い方だった……私の人生……私だって、いつかは赤ちゃんがほしい……気持ちいいエッチだってしたい………なのに一生、もう男じゃなくなった人と……そんなの………でも、逆の立場で考えて、私が赤ちゃんを産めない身体になって、エッチもできない身体……そうなったとき彼氏に別れられたら………もうお前には価値がないって……そんな別れ方されたら、どれだけ傷つくか……死にたくなる……人と人って、どうして付き合ってるの………エッチするため……エッチできないなら要らない……愛って何? ………私は英雄くんを好きだったつもりだけどエッチできないなら要らないの………私ってそういう女? ……これから、どうしたら……それにしても、塚本さん泣いて土下座して、そんなに許してほしいんだ……もとはといえば、塚本さんのせいで私がおもらしして、それがキッカケで英雄くんと付き合って、そして英雄くんはおチンチンの玉を失った……全部、塚本さんのせい…それは言い過ぎかな……風が吹けば桶屋かも……、と茉莉那は取り留めのない考え事をしていて、葉紀子の謝罪に対して上の空が続く。
「……」
「……」
葉紀子は土下座を続け、額を自分の糞尿に着けてまで謝っているのに許してもらえる様子がないと受け取っていく。もしも自分が同じ立場だったら許すだろうか、それは数日前から考えていた。葉紀子が会長で茉莉那が副会長、そして茉莉那が非協力的で葉紀子が球技大会でみんなの前でおもらしして笑われていたら、そんなことで大泣きしないとしても激怒はする。さらに放送で厭味まで言われたら、つぶしてやろうと思う。そこにきて叩かれたり蹴られたりしたら、即警察沙汰にして退学にしてやった。そもそも人間はやられたことを同じだけやり返して満足はしない。やられたら三倍返しにしたい。葉紀子自身、木村らを殺したいとさえ想っている。目には目を歯には歯を、と最古の法典が言うけれど、あれは抑制されたルールで人間の自然な心理は倍返し三倍返し、むしろ殺したい、葉紀子が会長で恥をかかされ暴行までされたなら、今さら土下座してきたくらいで許しはしない。死ね、死んでしまえ、とかなり本気で考える。だから今日までに葉紀子は転校ということも考えた。けれど、それには費用がいる。父が亡くなったとき仕事中の事故だったのに労災保険に入っていなくて、生命保険が1000万円、県民共済が300万円、それだけだった。そして県民共済の300万円は葬儀会社と僧侶が盗っていった。せめて残ったのは一戸建てのマイホーム、土地はタダ同然のド田舎で売却は困難でも、その分だけ安かったのでローンは一括返済できた。だから、母はコンビニで働いてくれている。葉紀子と覇王の進学のために。覇王の学費分を考えると、葉紀子が転校することはできなかった。あと一年半、なんとか星丘で我慢して卒業しないといけない。そのためには茉莉那に許してもらうしかない、土下座とおもらしだけで許してもらえない場合のことは封書には無かったけれど葉紀子は考えてきていた。この場でバリカンで丸坊主になって謝るか、自分のウンチを食べて謝るか、どちらもしたくないけれど、許してもらえないままにはできない。葉紀子は床に零れている自分の排泄物を両手で集めた。
「お詫びにっ…ヒッ…自分のウンチを食べます……ヒッ…」
「………」
「「「「「………」」」」」
「…ヒッ…ぅ、うぐ……あぐ…んぐ…」
吐きそうになるのを我慢して葉紀子は飲み込んだ。さらに食べる。
「ハァ…ハァ…ぅぐ…あぐ…ぅぅ! ぅえ!」
今度は途中で吐いてしまった。それを拾って、また食べる。
「…ハァ……ハァ……どうか、許してください…ヒッ…私が悪かったです…この学校を卒業させてください…ヒッ…許してもらえないと…ヒッ…私……私……もう死にそう…」
「………」
また大袈裟に……でも、気持ち悪い……自分のウンチ食べた……、と茉莉那は呆れているだけで何も言わない。葉紀子は吐き気を我慢しながら、次の謝罪に入る。スカートのポケットに入れていたバリカンを出す。覇王の散髪代を節約する道具だったけれど、これでセミロングの髪を丸坊主にする覚悟を決める。
「…ハァ……ヒッ……で…では……髪を切って、謝ります……丸坊主に、どうか、それで私の謝罪を受け入れてください…ヒッ…」
葉紀子がスイッチを入れ、バリカンで髪を刈る前に純子が近づいてきて、葉紀子の肘を引いてくれた。純子は手首を握って止めるつもりだったけれど、かなり大便で汚れていて触りたくなかったので、ギリギリ汚れていない肘を選んでいた。そして茉莉那に言う。
「茉莉那、もう許してやれよ」
「………」
「これだけ謝ってるんだし」
純子の意見はホールにいる人々の大半も思っていた。
「…ヒッ…ヒッ…」
「女の子が髪を切るって、よくないぞ。そんな頭で帰ったら、この人のお母さんが泣くから」
「ヒッ……ヒーッんぅ……ヒーッんぅ…」
葉紀子は汚れていた顔を歪めて、ボロボロと泣いた。純子は手が汚れるのを我慢してバリカンのスイッチを切っておく。
「変わった泣き声……とにかく、茉莉那、もう許してやろう」
「………」
茉莉那の目が迷うので葉紀子は必死に問う。
「ど、どうしたら?! どうすれば、許していただけますか?! 丸坊主でも何でもします!」
「………。じゃあ、お腹をえぐって卵巣を出して、子供を産めない身体になったら許してあげる」
茉莉那は自分で言っていて、とんでもないことを言ってしまったと感じつつも言った。言ってみたかった。それで葉紀子がどんな顔をするか、見たかった。
「…ヒッ…。…………」
葉紀子が自分のお腹を撫でる。
ブブ!
まだ下剤の効果で、ときどき漏らしている。利尿剤も飲んでいるので、おしっこもチョロチョロと垂らしている。これ以上ない恥辱だと感じていたけれど、茉莉那の発言は取り返しのつかない傷を負え、というもので葉紀子はお腹が冷たくなり、全身が震えた。
「…ヒッ……ヒッ…ヒーーんゥゥゥう!! ヒーーーッんゥゥう!」
もう泣くことしかできなくて号泣すると、茉莉那がクスリと嗤った。
「冗談だよ。もう許してあげる」
「…ヒッ…ひぐ……ああ……ああ……ありがとうございます…ううっ…うっヒッ! ヒーーーッんぅぅ!」
ようやく許されたと感じた葉紀子はその場に泣き崩れた。さすがに教師たちが出てきて葉紀子を舞台袖に連れて行き、始業式を中止するわけにもいかないので松井にマイクが渡った。
「あーっ……どうも。高校の生徒会……書記? 会計、どっちだっけ? まあ、いいや。松井です。えっとだ、……あんな衝撃の後だと、ちょっと何を言うべきか、……まあ、いいや。二学期もオレは野球を頑張るぜ! 来年こそ優勝! そしてホームランいっぱい打ってプロ野球でも活躍する! みんなも何か頑張れよな!! 以上!」
松井は男子小学生の夢のようなことを言った。幼稚園児と小学生たち、そして野球部の仲間が少し拍手してくれる。そしてマイクが加藤に渡る。
「どうも、高校生徒会、会計の加藤一郎です。ボクからは………さっきの塚本さんを見ていたら……ホント、人間って何のために生きてるのかな、って。そんな歌があったかな。何のために産まれて、何のために生きるのか…わからないまま終わる。そんなのが嫌、みたいな。何の歌だったか」
「「「「「……………」」」」」
それはアンパンマンだよ、と幼稚園児から大学生まで言おうか迷いつつ黙って聴く。
「けど、じゃあ、今日や明日、死んでしまう高齢者は、わかったのかな? 何のため人生だったのか。わからないままだったら嫌な気持ちで死んで、わかったなら嬉しく死ぬのか。あー、ごめん、どうでもいい話をしてるよね。どうでもいいついでにボクには、この学校で友達はいない。別にハブられたわけじゃない、自分からつくらなかったし、勉強の邪魔だと思ったから。だから、そう、塚本さんの生き方には共感してた。このさい、言ってしまうとボクは塚本さんが好きだったし、永戸さんも好きだった。じゃあ、生徒会を頑張れよ、って話だけど、勉強の方が大事だと判断したから。だから友達もいない。あの歌の歌詞にあったよね。愛と勇気だけが友達。お前も友達いないのか、って思う。フフ」
「「「「「……………」」」」」
「塚本さんと永戸さんが争うのを見ていて正直うんざりした。人間って、こんなに醜いのかって。すっかり好きだった気持ちも消えたし。ああ、でも鹿狩くんは羨ましかったな。勉強もできてサッカーもやって、彼女も簡単につくれて、ああ、人生って不平等だ。より感じたのは、今日の始業式、幼稚園の子たち、君たち頭いいね。小学校の子も。ボクは何が言いたいのか……そう、不平等かな。まあ、でも、もういいよ。ボクにもラッキーはあったのかな。少なくとも、今日この場で言いたいことを言えたのは、よかった。それだけ、じゃあ、以上で」
加藤のスピーチには拍手は起こらなかった。その後は大学生が話して始業式は終わり、すぐに実力テストになる。小中高の生徒たちが対象で、各教室に入り葉紀子も受ける。そのテスト中にも葉紀子はおしっこを漏らしてしまう。
シューーーッ…
利尿剤の効果だった。そして、茉莉那は許してくれたけれど、まだ日記は返ってこない状態で、トイレを使っていいのか、わからない。へたにトイレを使って、あとで因縁をつけられると、せっかくの謝罪と赦免が無駄になるかもしれない。そう思うとトイレへ行けず、保健センターで着替えた借り物のハーフパンツにおしっこを垂れていた。
「……ヒッ……」
情けなくて泣けてくる。期末テストではないので成績順に関わらないゆえ、途中退席もできるのに、怖くてトイレに立てない自分が情けなかった。そして答案も書けない。得意な国語なのに、問題文がグルグル回って頭に入ってこない。おしっこを漏らしたので試験官をしている教師に言われ、保健センターで再び着替えた。今度は借り物のハーフパンツではなく2枚もっているスカートを穿いた。始業式で汚すのが予定だったので持参していたし、下着も予備を持ってきている。
「……ヒッ……」
泣きべそのまま教室に戻る途中で葉紀子は自動販売機でスポーツドリンクを買った。それを教室で飲んでいると、茉莉那が不思議そうに声をかけてきた。
「そんなの飲んだら、また、おもらしするよ? 余計なお世話かもしれないけど」
「…ヒッ………飲まないと……利尿剤の副作用で痙攣や不整脈が起こるから……ヒッ…」
「へぇ、そんな副作用があるんだ」
「………」
葉紀子は一口飲み、おもらしは嫌なので茉莉那に問う。
「トイレに行きたくなったら、行かせてもらっていいですか?」
「いいよ、どうぞ」
「ありがとうございます」
とても安心したけれど、まだ不安材料はある。葉紀子は尿意が高まる前に木村へ恐る恐る声をかける。
「あの……」
「なに?」
「トイレに行きたくなったら、行かせてもらっていいですか?」
「クスっ……さて、どうしようかな」
「………永戸さんは許してくださいました……」
「まあ、考えておいてあげるよ。テストは頑張って受けな。次の休み時間までトイレは禁止」
「……………どうか、……もう許してください……」
次のテストが始まり英語も得意なのに、ろくに解けなかった。頑張ろうと思っても手が動かない。実力テストは全国の高校生の中で自分のポジションを試すだけのものなので、たとえ結果が悪くても各教科の成績には関係ない。それでも親には結果を見せることになるので、せめて平均点は取りたい。なのに半分も解けず、後半はおしっこを我慢するので精一杯だった。やっと休み時間になり、木村に頼む。
「お願いします。トイレに行かせてください」
「うん、うん、そういう態度、いいよ」
木村も立ち上がって言う。
「よし、トイレに行こうか。おいで。クスクス」
「…ありがとうございます…」
「すっかり自分の立場がわかったみたいね」
「……。はい…」
我慢して女子トイレに入ったのに、木村が言ってくる。
「トイレには行かせると言ったけど、便器でおしっこさせるとは言ってないよ」
「……ぅぅ……お願いします、どうか……ヒッ…」
ひどい意地悪を言われても耐えて葉紀子は頭をさげた。情けなくて泣けてくる。木村は楽しそうに言う。
「じゃあ、やっぱり私にも土下座してもらおうか」
「………はい…」
葉紀子は女子トイレの床に土下座する。おしっこを便器でしたいことよりも、とにかく日記を返して欲しかった。
「きゃははは! いいね、いいね!」
「……」
「どうよ? 内部生に逆らったら、どうなるか思い知った?!」
「…はい…ヒッ……思い知りました。…ヒッ…どうか許してください。私が間違っていました」
「ふふん♪」
とても満足そうに木村が鼻を鳴らしている。葉紀子はおしっこが漏れそうなので頼む。
「もう、おもらししそうです。ぅぅ……おしっこ……出ます。このまま、おもらしした方がいいですか? もう出ちゃう…」
「う~ん♪ あ、いいこと思いついた。塚本は逆立ちできる?」
「……できます…少しなら……そのまま歩くことはできませんけど…壁があれば…」
ろくでもない予感しかしないけれど、正直に答えた。
「じゃあ、そこの壁に向かって逆立ちして。あ、三井さん、いいところに来たね。ちょっと私と塚本の写真を撮って」
「はいはい、まだイジメるんだ?」
「やっと生意気なとこが抜けたしね。外部生のくせに調子に乗ったら、どうなるか、わからせてるの」
「一応、私も外部生なんですけどね。で、写真は足元から全身?」
「そうそう。塚本、さっさと逆立ちしなさい」
「…はい…」
葉紀子は女子トイレの床に両手を着き、壁に向かって逆立ちする。当然、スカートは逆転してショーツが丸出しになる。
「ぅぅ……」
「そのまま、そのまま」
木村はふらつく葉紀子の足首を握り、逆立ちを維持させる。
「じゃあ、撮って。釣り人が大きな魚を釣り上げた感じに」
「ああ、なるほど」
「塚本はそのまま、おしっこしなさい」
「…ぅぅ…」
言われなくても、もう限界でおしっこが漏れてくる。
プシャァァァ…
そして前に飛ぶタイプな葉紀子が逆立ちしたままショーツの中に放尿すると、おしっこはショーツの前方に拡がり、お臍やおっぱいを濡らして流れ、首から顎、鼻先と顔中に、そして髪の毛をビチョ濡れにした。その間、何枚も写真を撮られた。逆立ちが終わると葉紀子はトイレの床に崩れて泣いた。
「…ヒッ………ヒッ……ヒーッんぅ……」
「これこれ、この独特の泣き声、超笑える。きゃはははは!」
笑われて次の時間も、おしっこを我慢するように言われて数学のテストを受ける。もう一問も解けなかった。名前だけ書いて、おしっこ臭い自分の身体を感じると、死にたくなってくる。日記を返してもらったら、何か復讐してやろうという気力も消えてしまった。
「……ヒッ……」
また女子トイレに連れ込まれて、葉紀子は自慰行為をしながらバケツに放尿しろと言われ、そんな状況で性的興奮ができるはずもなく、自慰行為の経験はあったので快感を得た真似をしてバケツに出した。木村は何を命令しても逆らわなくなった葉紀子を従わせるのが楽しくて、ついついエスカレートする。一年生の頃から内部生に遠慮せず、輪に入れてください、という態度もない生意気だった葉紀子が震えながら何でも言うことをきくのは実に心が躍る。
ゴロゴロ…
葉紀子はお腹も少し痛い。まだ下剤の効果が残っていた。お昼休みだったので木村は葉紀子の弁当を女子トイレに持ってきた。
「これにウンコかけて食べなよ」
「…………ヒッ……ヒッ……」
泣きながら、母親に申し訳ないと思いつつ、実行した。次のテストが社会だったのか、理科だったのか、もう認識できずテスト中におもらしをした。おかげで木村に因縁をつけられる。
「あんた何、教室で漏らしてんの? トイレまで我慢しろって言ったよね?」
「ヒッ…すみません…すみません…ごめんなさい、ごめんなさい…」
葉紀子は女子トイレの床に丸くなって怯える。大勢の女子生徒が見ているのに見て見ぬフリだった。
「せっかくトイレでさせてやるっていう私の優しさがわからないかな?」
「ごめんなさい…ごめんなさい…ヒッ…ごめんなさい…」
「罰として、あんたって層川が好きなんだよね。ずいぶん悪趣味」
「…ヒッ…ヒッ…」
やはり木村は日記の内容を知っているようだった。
「次のテストが終わったら、層川の前でおもらししてパンツおろしてスカートめくって、私とセックスしてください、あなたが大好きでーす、って言え」
「ヒッ……ヒッ……」
「やらないと、どうなるか、わかるよね?」
「…ヒッ…」
「案外、セックスしてくれるかもよ? 罰じゃなくて、ご褒美になるかもね」
「…ヒッ……ヒッ…」
もう何かを考えることが嫌で、葉紀子はテストが終わると帰宅の準備をしている層川の前に立った。
シャア…
おもらしをしてショーツをさげ、スカートをめくって層川に言う。
「私と…ヒッ…セック…ヒッ…スしてくだ…ヒッ…さい、…ヒッ…あなたが……大好き…ヒッ…です…」
「塚本………お前…」
テストの日にはテストに集中する層川は変わり果てた葉紀子の姿を見て、すぐそばにいて嗤っている木村を叩いた。
パシンッ!
女子を叩くにしては、かなり強めに叩いたし身長が180センチもある層川に叩かれると木村は踏ん張りきれず倒れた。
「痛ァァっ…なにしやがる?!」
「殴ってなぜ悪い?!」
層川は仰々しく腰をひねって木村へ背中と後頭部を見せつつ腕を大きく拡げて言い放った。その雰囲気で長年の付き合いがある木村には何かの真似だと理解はできた。場の空気感がおかしくなるけれど、木村は立ち上がって睨む。
「女を叩くとか、どういうことよ!」
「女とか言うなら、ここまでのイジメをするなよ。エスカレートし過ぎだ。始業式でも、なにか、ひどいことしたって?」
「あんた見てなかったの! せっかくの舞台を!」
「オレ、ああいう無駄な時間は嫌いだしサボってた」
「ちっ……」
「とにかく、もうバトルの段階から完全に一方的になってるみたいじゃないか。見ていて残念すぎる。もうやめろ」
「………まあ、いいや、塚本、あとで話があるよ」
「…ヒッ…」
「ボコるとか、やめてやれよ。あとトイレの嫌がらせも、やめてやれ、かなり臭くて迷惑だ」
「ヒッ…」
「ふふん♪ あんたの空気読めない、思ったことそのまま言う性格、面白いね。ホント」
やっと葉紀子は木村から解放され、おしっこ臭い身体で学校から出る。スクールバスには乗りたくない。もう幼稚園児から大学生までが自分のことを見知っている。とてもスクールバスに乗れなくて、駅まで歩けない距離でもないので葉紀子はトボトボと歩いた。
「…ヒッ………ヒッ……」
脳が麻痺したように無感覚で層川が守ってくれて嬉しいという感覚も無いし、あの始業式の醜態を見ないでいてくれた喜びもない。もう日記を返してもらうという目的さえ、おぼろげになっている。歩く気力がなくて通りがかりの公園に入り、ベンチに腰かけた。
「……ヒッ………ヒッ……」
「星丘のお姉さん、どうして泣いてるの?」
女子小学生が葉紀子を心配して声をかけてきた。星丘小学校の制服である吊りスカート姿ではなく、私服なので近所の公立小学校の児童だと思われた。
「…ヒッ……」
「私は夏原志澄実(なつはらしすみ)です。お姉さんのお名前は?」
「……ヒッ……」
「何か困ったことがあるのですか? 私で手伝えることはありますか?」
志澄実は賢そうな児童で星丘小学校を受験しても合格できそうな雰囲気があったけれど、同時に貧しそうな服装をしていて色あせたシャツと破れて縫ったスカートを着ている。靴も磨り減って、お古のようだった。
「…ヒッ……」
葉紀子は何も答えられず、おしっこが貯まっていたので漏らした。
ジョォォ…
ベンチに座ったまま漏らしたので、ベンチの端から葉紀子のおしっこが流れ落ちる。
「お姉さん……おしっこしたかったの? トイレはあっちにありますよ」
「………ヒッ……見ないで……ヒッ………ほっといて……」
「………。どうか、お元気で」
志澄実は一礼して立ち去った。しばらく葉紀子が泣いていると、スマートフォンが鳴った。着信は木村からで、受話するのが怖かったけれど、無視するのも怖すぎて震える指で応答した。
「…ヒッ……」
「あんたさ、さっき層川にかばわれて超ラッキーとか想ったでしょ。もしかして、自分に気があるかも、って」
「……ヒッ…」
「おあいにくさま。あいつ、彼女いるよ。みんな知ってることだけど、あんたはクラスの情報、ぜんぜん入ってないから教えてあげる。層川は他校生と付き合ってる。証拠の写真もあるから送ってあげる。私って超親切。じゃあね、明日も学校で会おうね、あんまり臭いと近づけないから、お風呂には入ってね。バイバーイ♪」
木村は電話を切り、すぐに写真を送信してきた。
「…ヒッ…」
その写真は層川が他校生の女子とデート中にキスしているのを自撮りしたわかりやす過ぎる構図でキスしながら左手で胸も揉んでいた。
「……ヒッ…」
もともと泣いていた葉紀子は泣き続け、何度か志澄実が遠くから心配そうに視線を送ってくるので公園から出て、駅に向かった。駅に着くと、早く帰りたいという気持ちと、もう死にたいという気持ちがグルグルと頭と胸を回った。今なら鉄道自殺する人の気持ちがわかる。どうして、大勢に迷惑をかけ、怖くて痛そうな方法を選ぶのか、もっと楽で気持ちのいい苦しまない方法もあるのに、と以前はバカにしていたけれど、死にたい当事者になるとわかる。楽な方法には準備が要る。練炭や薬、場所の選定、いろいろと下準備が要る。夏休み後半、楽な死に方を本気ではないつもりで検索して調べた。一番楽そうなのは一酸化中毒死、親不孝でなく事故に見せかけるなら信号のない横断歩道でトラックの前に飛び出すこと、これなら親は交通事故を憎めるし、保険金ももらえる。でも、本気で死にたくなってくると、そんな気力がない。ほんの数メートル先にある線路へ飛び込むだけ、その誘惑が大きい。
「…ヒッ…」
葉紀子はホームのベンチに座り、ずっと線路を見つめて泣いた。何度も家へ向かう電車を乗らずに見送っている。もう頭の中がグチャグチャで死にたい気持ちと、死ぬのが怖い気持ちで満たされ、どうして死ぬのか、死なずに戦う方法、死なずに逃げる方法などが考えられない。楽になりたい、解放されたい、それだけだったけれど、怖くて腰が抜けて立てない。立てれば死ねるのに、立てない。そのうちに、おしっこを漏らしたけれど、もう恥ずかしいとも情けないとも思えない。次の電車で死のう、次こそ立ちたい、そう想いながら泣いて、電車が来るのに立てない。
「…ヒッ…」
また私は立てない、怖い、怖い、死にたくない、生きたい、と葉紀子が泣いているときだった。
ダッ…
黒い影が葉紀子の左側を走り抜け、線路に飛び込んだ。黒い影に見えたけれど、それは小麦色の星丘高校の男子制服だったかもしれない。
ギギギギ!!!!
電車が急ブレーキをかける音が耳に激痛なほど響く。それでも間に合わず、黒い影が飛び込んだあたりを電車は10メートルほど通過した。
「誰か飛び込んだぞ!!」
「非常ボタンを!!」
「高校生だ!!」
人々が騒いでいる。
「……私………じゃない人が………死んだの?」
現実感が乏しくて葉紀子は自分の両手を見た。自分が飛び込んで死に、魂だけ、ここに残っているのかもしれない、という疑問は、ゆっくりと漂ってくる血の匂いで消え、葉紀子は気が遠くなって気絶した。
「おい、君?! 大丈夫かっ?!」
「女の子が倒れた!!」
「救急車を!!」
駅は騒然となり、しばらくダイヤは運休となった。
二週間後、木村は生徒指導室で教師3人から取調を受け、腋の下に冷や汗を流していた。
「わ、私はスターヒル仮面に脅されて…仕方なく塚本さんに…罰をくだしてただけなんです。私もよわみを握られて……」
「どんなよわみだ?」
「それが言えないからよわみなんです」
「……はぁぁ……」
クラス担任が深いタメ息を吐く。睡眠不足で顔色も悪かった。夏休み明けの9月1日に受け持ちクラスで自殺者と自殺未遂の手前という生徒が出てしまった。加藤がホームから線路に飛び込み死んだ。葉紀子はその場にいてホームで倒れ、救急車で運ばれた先の病院でカバンから遺書が見つかった。遺書には自分をイジメるのに積極的に加わっていた15人の女子の氏名と主要メンバーが木村と奈々、三井であること、そして茉莉那に対して生徒会業務で非協力的だったことと厭味を言って辞めさせようとしたことは認めつつも、絶対に自分は利尿剤など飲ませていない、という最期の意志が震えた字で書いてあった。加藤にも遺書が自宅の机の引き出しにあった。それは一学期の期末テスト後に書かれたもので一日14時間も勉強しているのに成績が伸びないことを悩んでいて、遊んでいるのに成績が良い生徒への嫉妬、自分の身体が丈夫でないことの不満、頭の程度も努力しても上位に立てないことの絶望が書いてあり、イジメについての記述は無かったけれど両親からの問い合わせはあり、その対応を慎重にしているところだった。
「木村、正直に答えろよ」
「答えてますよ! 信じてください!」
木村たちは責任を認めない。女子たちは、みながみな自分はやらされていただけ、真犯人はスターヒル仮面であり、その背後には鹿狩純子がいるのかもしれないというバカげた言い訳をしてくる。小学生が高校生間のイジメを操れるはずはないと、教師たちは信じず木村が主犯格だと目星をつけていた。
「この写真を見ろ」
「っ……」
「これはお前だな?」
「………こ、これも、……やらされて…」
木村の目が泳ぐ。見せつけられた写真は葉紀子に逆立ちさせ、その足首を掴んでいる木村は反対の手でピースサインをして嗤い、葉紀子には逆立ちのまま放尿させている写真だった。葉紀子の顔は苦痛に歪み、木村の顔は笑顔、これ以上にないイジメの証拠を残してしまったのは油断だった。もう葉紀子は逆らわないと思い、ついつい撮った写真をSNSで同志たちに回した。そして同志たちは自分の罪を逃れるため、木村のことを教師に話したのだと感じる。
「お前のスマートフォンを調べさせろ!」
「………嫌です! 私のプライベートです!」
「指導に従わないなら退学もありえるし、警察にも通報するぞ」
「ぅぅ……」
もう教師たちが本気なのが伝わってくる。葉紀子は死んではいない。ホームで気絶しただけで生きている。けれど、もしも加藤に続いて葉紀子まで自殺を再び試みて死なれてしまうと教師として責任を強く問われるので、もう面倒だから放置するという対応ではなく木村を退学にしてでも問題を解決したいという段階になっていた。仕方なく木村はスマートフォンを差し出し、教師たちは写真や動画を見て葉紀子に同情した。とくに自殺を思慮していた9月1日のデータはひどかった。逆立ち放尿に続いて、自慰強要、弁当に大便をかけさせて喰わせたり、男子の前で身体を露出させたりしている。もう犯罪だった。
「……こんな……ひどいことをしてたのか……」
「……私は…やらされただけです……」
「はぁぁぁ……やらされただけのヤツが、こんな楽しそうな顔をするか……」
「……すみません…」
「ごめんで済んだら警察は要らないんだぞ。オレが塚本の親だったら、お前を殺したくなるかもしれない」
「ぅぅ……塚本さんのお父さん、お母さんはどう言ってますか?」
「……ん~………父親は何年か前に亡くなっている……」
いまだに葉紀子は母親へ心配をかけたくないと言ってイジメの件は伝えていない。病院に運ばれたのは目の前でクラスメートが自殺するのを見たショックという説明をしていたし、葉紀子自身も遠泳合宿から9月1日までの記憶を思い出そうとすると嘔吐したり失禁したりするようになっていた。そして気丈にも不登校にはならず毎日出席してきている。なので学校側としては寝た子を起こさず、このまま穏便に終わってほしいけれど、そうすると木村らが再び調子に乗ってイジメを再開したりなどすれば、葉紀子は今度こそ自殺してしまうかもしれない。
「…………」
「…………」
「……私の親に頼んで、……慰謝料を払うのは?」
「お前、反省してないなぁ。金で済まそうとか」
「そういうわけじゃ……やりすぎました、すみません」
「……はぁぁ……」
ときおり内部生と外部生が衝突することはあって、これまでも指導してきた。露骨ではないにしても内部生は特権意識をもっているし、外部生は疎外感を覚える。上下関係は無いのが建前で実質の差も小さいけれど、たいていの外部生は少し遠慮して学校生活を始める。そこにときどき葉紀子のような気の強い子が入ってくると、やや内部生たちは憮然として溝ができる。その溝は三年間で埋まって仲良く卒業してくれることもあれば、埋まらずに卒業という年もあった。ただ、今回ほどひどいイジメは無かった。木村は両手を合わせて教師たちに頼む。
「なんとか退学は勘弁してください。停学くらいで……どうか!」
「「「…………」」」
実は教師たちとしても木村を退学にするのは、できれば避けたい。木村の母親は学園卒者で、いわばリピーター、さらに木村の妹弟も学園に通っている。これが公立校の教師であれば自分たちの給料には関係ない上、売上という概念などない税金運営なので、厄介なイジメを起こしてくれた生徒など退学にしてサッパリできるけれど、直接に給与へ影響は少ないとしても他校への転勤がない私立学校では周囲の評価も気になるし、学園の事業継続性からも安易な退学処分は避けたい。そして木村には前科がない。中学での素行は良かったし、高校一年生の時期も問題を起こさず、成績も2組を維持しているので、いわば金の卵といえる。共犯者の奈々と三井は両親が他校卒、入学も高校からで切りやすい。そういう差があるし、それも内部生と外部生の差ともいえる。ただ、もっとも今現在、教師たちが避けたいのは自殺者が連続して出ることだった。加藤の両親は本人の悩みによる自殺ということで納得してくれそうなのに、ここで同じ生徒会の葉紀子まで自殺してしまうと問題が複雑化するしマスコミに嗅ぎつけられるかもしれない。それは絶対に避けたい。クラス担任は木村の目を見る。
「お前、一応は頭いいよな」
「…はい……そのつもりです」
「今、自分の立場が、かなりヤバいのもわかるな?」
「はい……」
「もし、もう一回、塚本に手出しして、あいつが思い詰めて死んだら、お前も破滅なのはわかるな?」
「はい……わかります。もうしません」
「よし、腹を割って話そう」
「……」
「もちろん、我々教師も塚本が自殺するなんて絶対に避けたい」
「…はい……そうですよね…」
「できるだけ塚本とお前が顔を合わさないためにも、お前は3組に編入されるのを受け入れるか?」
「………はい…」
「あと、お前の他、塚本の遺書に名前のあった女子は二年生の女子トイレを使わず三年生の女子トイレを使わせてもらえ」
「はい、そうします」
木村は退学を免れそうなので顔が明るくなった。クラス担任は睨んでおく。
「……」
「……。もう絶対、イジメません」
「信じよう。あと、塚本には友人は本当に一人もいないのか? 味方してくれるヤツは」
「しいていえば……層川くんは、たまに味方してました」
「層川かぁ……あいつの性格、読めないからなぁ」
「悪いヤツじゃないですよ。あ、私、今思いついたんですけど、層川くんを生徒会の新しい会計にして、ついでに成績が落ちてる塚本さんのバディにするのは?」
「バディか……」
急に成績の落ちた生徒に対して、相性の良さそうな同じ組の生徒を担当につけて、自習の支援をする制度が学園にはあり、それをバディと呼んでいた。支援される側にとって無料の家庭教師のようなものになるし、支援する側は内申書で高く評価されるという報酬があるので機能しやすい。一学期で大きく成績を落とした茉莉那、葉紀子、加藤には二学期からバディをつけることも検討されていた矢先だったので悪くはない。
「けどなぁ、バディは同性がベストで、異性でくっつけると余計な問題が生じるかもしれないからな」
「今回の場合、その方が精神的フォローにもなって自殺しないと思います」
「お前、それ自分が起こした問題の尻ぬぐいを層川にさせる気だろ」
「問題解決へのアプローチですよ」
「う~ん……層川って学校内の他の異性とは、どうだ? くっつけて嫉妬する女子はいないか?」
「…、はい、いません」
「そうか、ならやってみるか」
方針が決まり木村は生徒指導室から解放された。
「ヤッタ♪ ほぼ無罪放免! スターヒル仮面さまさま」
処分としては2組から3組、そして三年生の女子トイレを使うというだけで済み、自殺一歩手前まで他人を追い込んだことに比べると、かなり軽く済んだ。
「あとは層川がうまくヤってくれるはず。あいつは他校生とは、とりあえずで付き合いだしただけだし、あいつの基準で塚本は可愛いに入るし」
木村は軽い足取りで帰宅した。
三ヶ月後の12月、葉紀子は自室で起床すると穿きたくないけれどオムツを穿いて制服を着る。もう誰もトイレを邪魔しないのに、オムツを穿いていないと不安で落ち着かないようになってしまった。
「……」
日記は自殺を考えて気絶し入院した病院を出た翌日には封書で返ってきた。日記だけが封筒に入っていて、宛名書きは定規で筆跡を誤魔化していた。その日のうちに葉紀子は日記を燃やした。もう日記をつける習慣もやめた。朝食を摂って家を出ると、電車に乗った。
「あ、おはよう。塚本様」
「いつまでも様付け、やめてくれないのね」
元同級生と会話する。
「う~寒くなったねぇ」
「そうね」
「早朝の牛当番はこたえるよ」
地元の友人たちは葉紀子がイジメを受けたことは、結局は知られずに終わった。加藤が自殺したことで、いろいろな憶測と噂が他校に拡がったものの、地域が遠いと正確な情報がどれなのか不明なまま、冗談として葉紀子が影の女王で予算を通すのに邪魔な会計を暗殺したけれど、それは表立って言ってはいけないこと、というのが葉紀子の地元周りの友人たちが覚えている事件の流れだった。
「じゃあ、またね、塚本様」
「ええ」
葉紀子がオムツを穿いて登校していることもバレていない。とくに冬場はコートを着るので安心だった。長く電車に揺られ、ターミナル駅でスクールバスに乗り換える。人の噂も七十五日というのはある程度当たっていると実感するほど、もう何も言われない。一時期は腫れ物に触るように扱われ、そして今は静かに自習ができる。学校に着くと二学期末テストの結果が掲示されていた。
「………47位……」
取り戻せたけれど、取り戻しきれていない。隣に層川が立った。
「おー、オレより一つ上に来たか」
「あなたの学習時間で48位というのは、実に不満よ。私は毎日5時間は自習しているのに」
「よくやるよな、生徒会業務もあるのに」
「まあ、うち4時間は電車内だけどね。そして感謝しているわ。ありがとう」
層川にバディをしてもらった効果は大きかった。教室に向かう途中、廊下で木村や奈々、三井たちと擦れ違った。
「……」
「「「……」」」
お互い、完全に無視して空気として振る舞う。葉紀子は二時限が終わった休み時間に女子トイレへ入った。すぐに個室へ入れる。
ガサッ…
オムツをおろして便器に、おしっこをした。何度か、オムツではなくショーツで登校しようとしたけれど気持ちがザワついて勉強に集中できなかったので、もう諦めている。オムツをあげてスカートを整えた。
「……次……体育ね…」
女子更衣室での着替えは少し憂鬱だった。オムツを見られないように先にジャージを穿いてからスカートを脱ぐし、スカートに戻るときも同じ方法を取る。周りの女子も絶対に葉紀子をからかったりしない。それでも、やっぱり高校生にもなってオムツで生活しているというのは恥ずかしかった。放課後になって生徒会室に葉紀子と層川、茉莉那、そして英雄が集まる。英雄は純子に蹴られた負傷から、全力疾走がしにくくなったのでサッカー部を辞めて帰宅部になり、それから松井と書記を替わって今は生徒会メンバーになっている。茉莉那が会長として言う。
「じゃあ今日は三年生を送る会の準備をしようか」
「そうね」
そう言った二人の女子は男の手がスカートの中に入ってきたので怒る。
「もお、いきなり?」
「少しくらい業務をしないの?」
「やっと期末テストも終わったしさ」
「寒いし暖まろうぜ」
英雄は睾丸が片方になっても男根は元気だった。層川もやる気でいる。そして茉莉那と葉紀子も口では嫌がりつつも待っていた。
「葉紀子、もう濡れてる。ある意味、オムツが役立ってるな」
「バカ」
葉紀子は真っ赤になった。自分でも淫らなほど濡れている自覚がある。層川がバディになってくれて性的関係をもつまで1ヶ月とかからなかったし、日曜日に層川の家で学習して、かなりの金持ちだと知ると自分の現金さが恥ずかしくなるほど濡れた。層川の家は代々続く地域ゼネコンで、四人兄弟の末っ子まで幼稚園から私立学園に入れられる経済力があり、なおかつ鹿狩家のように医師免許を取れなければものの数に入らないということはなく、すでに将来がかたい。今まで葉紀子は男子の家柄を意識しないようにしてきたけれど、やはり幼稚園からずっと私立という内部生たちは家柄がいい。とび職だった父は使い捨てられたけれど、層川家は使い捨てる側、世の中の構造を憎いと思うのと同時に、股間が熱くなるし身体が高鳴り、オムツが必要と言われるほど濡れてしまう。もう、いい大学に入って、いい就職をするという目標がバカらしくさえ感じる。女子が高学歴になったところで、たかが知れているのが社会の構造で頑張ったところで子育てとの両立は難しい。そして、家柄のいい内部生同士は幼馴染みという感覚で、ほとんど恋愛しない。そこに外部生が入ってくると惹かれ合う。家柄がいいと家名や家業の存続という問題がでてきて、いい家柄の子同士だと結婚時に一人っ子だと揉める。外部生は家柄ではなく学力で入ってくるので、そこそこに頭のいい子から選べるし、家名や家業は問題にならない。うまくできた構造で学園に子供を入れたがる親たちは学力面より、こちらが本命なのではないかと勘ぐってしまう。
「あんっ…んっ…」
「あはんっ、はあん!」
すでに生徒会室がラブホ代わりになって久しい。それぞれに満足してから制服を整え、性交後のコーヒーを飲む。しばらくは、まじめに生徒会の業務を進めた。
タンタンタタンタン♪
層川のスマートフォンが鳴った。メッセージの着信を知らせる音で、そのメロディが誰からなのか、葉紀子だけでなく茉莉那と英雄も知っている。層川はメッセージを読まずに言う。
「まあ、今すぐ返事しなくてもいいだろう。生徒会業務中だし」
「………あの子からでしょ。……返事してあげたら?」
「「…………」」
茉莉那と英雄はフタマタをかけられている女と、フタマタをかけている男がどうなっていくのか、とても気になる。そして沈黙が重いので茉莉那が黙っていられなくなる。
「層川くん、そろそろハッキリしてあげたら?」
英雄も続いて言う。
「オレも、そう思うぞ。層川」
「「………」」
層川と葉紀子はそれぞれに書類をめくった。
「層川、そのうち蹴り潰されるぞ。わりとマジで」
「お前が言うと、実にマジだな」
「冗談で済むうちに、決めてしまえ」
「鹿狩くん、いいの、やめて」
「塚本さん……けど…」
「もともと、私が悪いの。私はただのバディだったのに……つい層川くんを頼って……だから、わかってる……フフ、層川くんが以前に言ったとおり、私はいつも2番の女………」
「「「…………」」」
「だから、いいの……わかってる……そもそも、こんなオムツを着けてる女なんて、お嫁にいけるはずないもの……今だけ幸せだから、いいの……」
そう言う葉紀子の頬を涙が一筋流れ、すぐに指で拭いている。女の涙は男に効いた。
「もう、あいつとは別れるよ」
層川は迷っていたメールを送った。すでに別れるための文章は書いていたけれど、その送信を迷っていた。それが今、決断され、送信された。
「層川くん、えらい!」
「塚本さん、おめでとう!」
茉莉那と英雄は単純に祝うけれど、すぐに層川のスマートフォンが電話の着信で鳴った。無視しても何度もかかってきそうなので層川は受話する。あえて廊下に出たりせず、三人の前で会話を始めた。
「もしもし」
「あんなメール一つで別れるなんてひどいよ!」
「ごめん」
「なんで?! どうして?!」
「メールにあった通り。他に好きな人ができたから」
「私とは遊びだったの?!」
「そう言われると結果的にも、当初の始まり方からしても、そうなる。ごめん」
「「「………」」」
もう少し言い繕おうよ、と茉莉那たちは思った。
「私のヴァージンあげたのに!」
「オレも童貞だったから」
「「「………」」」
その返答もどうかと………、と英雄たちは微妙な顔になる。
「バカにしてる!」
「いや、そういうことはないよ」
「なんで私じゃダメなの?! 私と別れるの?!」
「もう一人の方が、より可愛いと感じるし、同じ学校だと会いやすいし、フタマタは続けられないから」
「「「………」」」
そうだとしても、もう少し言い方が………、と葉紀子たちは電話の相手が少し可哀想になる。
「私は本気だったのに!」
「オレも夏くらいまでは本気だったよ」
「そういうの本気って言わない!! すっごいバカにしてる! バカ!」
「えっと………バカにしてるのは、そっちなんじゃ?」
「うーっ!! もう嫌い!! 大嫌い!! どうせ、あのオムツ着けてる女なんでしょ?! ウンチ食べた変態の!! 死んじゃえ!! 二人とも死んじゃえ!! バカ!!」
一方的に電話は切られた。層川は考え込む。
「……………」
「「「…………」」」
「まあ、考えても仕方ないか。オレが悪いし。……でも、フタマタかけ始めた、どの時点で、別れるのがベストで、悪くなくなるのだろう……」
茉莉那が答える。
「どの時点でも、相手にとっては悪いことだよ」
「……そうだな」
「せめて塚本さんとは、ちゃんと付き合ってあげてね。もうフタマタは無しだよ」
「わかった、そうする」
層川は神妙に頷いた。そこに葉紀子がキスをする。
「はふっ……ハァ…やっと、私、1番になれたのね」
「ああ、よかったな」
「うん…はふっ」
食いつくような情熱的なキスで見ていた茉莉那と英雄も盛り上がってしまい、再び四人でそれぞれに愛し合う。葉紀子がオムツをさげながら言う。
「ハァ…また、私のここ、おもらしみたいになってるの。ハァ…おチンチンで栓をして」
「了解」
そう言った層川がコンドームのパッケージを開けるのを葉紀子は残念そうに見る。かなり恥ずかしいセリフを頑張って言い男を誘ってみたのに、層川は最後の一線は越えない。
「………」
中出しでもいいのに……今まで一回も生で挿入されてないのは2号だからと思ったのに……ちゃんと恋人にしてくれても装着するんだ……この人……バカっぽく見えて、しっかりしてる……ますます好きになりそう……でも、その分、女を捨てるときは、さっきみたいにアッサリしてそう……気をつけないと、と葉紀子は抱かれながら想った。性行為が終わって、またしばらく生徒会の業務をしていると葉紀子が茉莉那に問う。
「どうしても、はっきりしておきたいことがあるの。永戸さん、思い出したくないかもしれないけど、少しだけいいかしら?」
「え、うん、いいよ。なんのこと?」
「球技大会の日のこと」
「あ~……あの……」
「葉紀子、今さら蒸し返さなくても」
「もう茉莉那と決着がついたことだろ?」
「お願い。質問させて」
「「………」」
「いいよ、どうぞ」
「あの日、永戸さんがおもらししたのは一回だけ? 壇上で漏らした後、あなたは保健センターに行ってしまったけれど、その後も何度もトイレに行った?」
「え…………っと……………」
もう半年前のことなので茉莉那は記憶を引き出してみる。
「たしか……泣いて……保健室に連れて行ってもらって………純子ちゃんに会って………着替えて………みんなが帰った後に帰って………家で泣いて……夜中に親子丼を食べて……お風呂だったかな……」
「その間、やたら何度もトイレに行った? おしっこが何度も何度も出た?」
「ううん、おもらしの一回だけ」
「そう………」
「それがなんなの?」
「………。私は誓って、あなたに利尿剤なんて飲ませてないわ。でも、もしも私以外の誰かが、あなたに利尿剤を飲ませたなら、その犯人はそのまま、ということになるから。気になっていたの。でも、たぶん、あなたは利尿剤を飲まされていない」
「………それって………じゃあ、私は、なにもないのに、おもらししたってこと? 高校生なのに」
「…………言いにくいけど……でも、あなたのおもらしは私の責任です。あのとき挨拶を替わってあげれば、そのあとのことは起こらなかったから」
「え~………私、そんなマヌケな子なの……」
「永戸は、そういう感じあるよな」
「むぅ!」
「永戸さん、気を悪くしないで。私は真相を確かめたいの。もし、利尿剤を飲まされたなら、身体にとって必要な水分まで出ていくから、やたら喉が渇くし、おもらしが嫌だからと飲まずにいると、痙攣や不整脈が起こるの。でも、あなたは副作用のことを知らなかったわ。あれは…たしか…実力テストのとき…ぅぅ…」
葉紀子は9月1日のことを思い出そうとすると吐き気を覚え、顔が青ざめる。
「葉紀子、あんまりあのことは思い出さない方が…」
「…ハァ………大丈夫。やっと真相はわかった。永戸さんのおもらしは頑張りすぎたことと、私の非協力さが原因で利尿剤ではなかった。そうなると事件の構造は簡単。意地の悪い私をみんなで懲らしめよう、そういう風に動き出して利尿剤を私が持ち歩いていたように見せかけた」
「「「………」」」
「全部、私が悪かったことに変わりはないけど、最初に利尿剤を盛ったエックスはいなかった。いるのはスターヒル仮面だけ。それがわかって、よかったわ」
葉紀子は力なく微笑んで得心した。
一年二ヶ月後、どうしても木村には復讐したいという葉紀子の願いに層川は応えていた。よく考えた計画を実行するため、層川は昨晩カラオケを歌いまくってダミ声になった状態で葉紀子の自宅から星丘学園高等部事務局へ朝から電話をかける。
「はい、星丘高校、事務局です」
「おう! ワシはなぁ! 塚本葉紀子の父親じゃ!! 再婚した義理の父親じゃがな!! 義理でも娘は愛しておったんじゃ!!」
「は……はあ…、……ツカモトハキコさんは、何年生の? 何組で?」
「お前ら生徒のことも覚えとらんのか!! 3年2組じゃ、ボケ!!」
「3年2組の……あ、はい、たしかに」
事務員は圧倒されつつも名簿などを見て確認しているようだった。
「それで、義理のお父さんが、どういったご用件で?」
「用件もクソもあるか! 夕べ葉紀子は首を吊って死んだんじゃ! お前らのせいやからな!!」
「っ…そ、…それは……な、なんと……言いますか、その……く、クラス担任と替わります」
事務員は逃げるように電話をクラス担任につなぐ。層川は3年生でのクラス担任とは一年しか関わりがないけれど、自分だということがバレないように演技へ気合いを入れ、ダミ声で怒鳴り続けて、葉紀子が首吊り自殺したこと、遺書に木村の名前があったこと、明日の昼に校長とクラス担任、木村本人と保護者が集められるだけの現金をもって謝罪にくるよう求めた。
「ふーっ……喉が痛い…」
「お疲れ様」
葉紀子はお茶を淹れる。母はコンビニで働いていて今は居ないし、覇王は小学校、二人は志望校だった名古屋の大学に合格している。層川は家業が求める建築科に行くし、葉紀子はもともと、いい大学に入って、いい就職をして、いい結婚をするという方向性のない志望だったので層川と同じ大学、同じ学科を受けて合格した。一年交際して気づいたことに、この男はガンダム以外に執着するものが少ない。きっと、大学生になって近くに可愛い女子がいて言い寄ってくれば、そっちに流れる気がする。それを防ぐために同じ大学に行き、新生活のスタートから同棲予定だった。そして自分の幸せを確保しつつ、木村にだけは復讐したかった。明日は木村が第一志望にしている大学の受験日で、幼小中高からの学習の集大成を出す日に復讐するつもりだった。
「あとは木村へ電話するだけだな」
「電話2本で最大限の効果が出せそう」
一応は昨夜自殺して死んだことになっているので葉紀子は髪をまとめてポニーテールにする。斜めに切られた後ろ髪の一部は、いまだに生えそろっていない。この髪先に触れるたびに復讐の爪を研いできた。コンタクトレンズを入れて私服になると、もう同級生でもわからない別人になった。層川も軽い変装をして二人で街へ出て、事前に調べておいた公衆電話ではなく、いまだに一般の固定電話を客に現金払いで貸してくれる個人経営の古い喫茶店に入り、ゆっくり食事をして他の客が少ない時間帯に電話を貸してもらい、木村のスマートフォンへかける。
「もしもし……どなたですか?」
木村は東京へ向かう新幹線から電話に出ている。明日が受験日なので上京中だった。そして声が暗い。すでに星丘高校の教師から葉紀子が自殺したことは聴いているはずで、よりによって受験日である明日に保護者と謝罪に来いという知らせを受け取り、とても迷っているはずだった。そこへ市外局番が表示される電話着信があり、無視せず受話しているのは重要な連絡だったら困るという心理で、新幹線のデッキらしい雑音も聞こえる。再び層川はダミ声で演技する。今回は人生でもっとも付き合いが長い幼稚園からの幼馴染みが相手なので、より慎重に声をつくった。
「石川県警、青少年課刑事係の後藤です。木村さんにお話があります」
「…県警……け…け、け、県警がわ、わたし、私に、なんの話が?」
木村の声は動揺のあまり裏返っている。
「塚本葉紀子さんが自死されたのは、ご存じですね」
「っ、そ、そ…そ…そうか…かも、し、しれない、で、ですね」
死んでもいいや、という気持ちでイジメたけれど、いざ本当に死なれて警察から連絡を受けたと思い込む木村は電話の向こうで失禁しそうなほど怯えている。
「彼女の遺書に、木村さんの名前がありましてね。ひどいイジメを繰り返し受けた、と。その点につきまして、お話を伺いたいので警察署の方まで来ていただけますか?」
「そ…そそ、…そ、そんなこと…言われても私、明日、じゅ、受験で! だ、だいたい、あのイジメは、もう一年も前の話で! あれ以来、私は何もしてないです!」
「一年では時効にならないんですよ。彼女はずっと悩んでいたようで昨夜、首を吊りました。木村さんが自主的に警察署へ来ていただけない場合、手配して逮捕になります。あと、来ていただくときは、歯ブラシと寝間着、下着の着替えも3組ほど持参してください。警察署に何泊かしていただくと思いますから」
「っ…、そ、そ、それって結局、逮捕なんじゃ…」
「そうなるかもしれません。なるべく正直に話してください」
「…………。わ、私、あ、明日は受験なの! ムリ! ムリです!」
「人一人死なせておいて受験もなにもないでしょう。どのみち合格しても長い裁判と処分で通学できませんよ。明日の17時までに出頭いただけないときは逃亡とみなして手配します。その場合、処分も重くなる傾向にありますから、あなた、いい学校の高校生なのですから、そのへんの不良よりはわかりますよね。では」
層川は電話を終えると、親指を立てた。
「これで、あいつは東京で受験するか、今すぐUターンするか、迷いに迷うだろう。たとえ受験を選んでも実力は発揮できない。受験してから17時までに戻るのも不可能だから、もう詰んだと思い込む」
「フフ…フフフ! あはははっは!」
葉紀子は爽快に嗤った。この嘘は長くて二日もすればバレる。けれど、木村に絶大な被害を与えられる。そして葉紀子の自宅から固定電話で学校へ連絡したのも信憑性をもたせるためと、たとえバレてもスターヒル仮面と名乗る何者かが葉紀子の家に侵入して電話をかけたことにするつもりだった。存在しない再婚での義父にしたのも、葉紀子の死を金に換えようとする汚い男の方が学校と木村家を混乱させられるからで、層川が思いついている。
「うまくいったな」
「ええ」
「でも、木村だけで本当にいいのか? 復讐するの」
「いいのよ、それで。吉田さんと三井さんは一応は義憤、永戸さんへの私の態度を怒ったのが出発点だもの、でも木村は内部生が上って威張りたいのが動機、だから許せなかったの」
「なるほどな。まあ、吉田と三井も彼氏はできなかったなぁ」
「あなたがイジメ三連星なんてアダ名をつけてくれたおかげよ」
「葉紀子の呪いもあったな」
「そうね、私が遺書にかいて生徒指導室に呼ばれた女子は、結局、在学中ずっと彼氏はできなかった。それを葉紀子の呪いとか呼ばれるのは、私は死んでないのに、って思ったけど、今回の作戦のヒントにもなったし。どうして、女子のイジメが影で陰湿にやるか知ってる?」
「……、男みたいに腕力でやるわけじゃないから?」
「違うわ。あんまり表立って女子をイジメてる女子を、彼女にしたい?」
「ああ……なるほど」
「表沙汰になったら、あんまり嫁にしたいと思わないでしょ」
「たしかにな」
そういう話をしながら葉紀子と層川は新幹線に乗って東京へ向かう。千葉県にある大きな遊園地で遊ぶという葉紀子の念願のためでもあり、自殺偽装中なので地元にいない方がいいという事情もあった。新幹線の車窓を眺めていると、反対車線の車両と擦れ違った。
ビュッ!!
「……」
相対速度で500キロを超えるので木村が戻ってくるのに乗っていたとしても見えないはずなのに、見えたような気がして嬉しかった。
「フフ……東中の女帝を舐めるからよ」
結局はそのアダ名が気に入っていた。
「……」
今日ここで、茉莉那に謝罪しながら、おしっことウンチを漏らして土下座、それで茉莉那が許してくれなければ、明日からの学校生活でもトイレ禁止でオムツも禁止、大小垂れ流しの上、月経が来てもノーパン登校での露血、さらに制服の上着を改造して両腋だけ露出するようにして腋毛を伸ばして、腋を洗わずに腕をあげて登校しろ、という封書が自宅に届いている。それを実行しなかった場合、日記の中身を使った本格的攻撃が始まる、とも脅しがついていた。
「……」
日記を使った攻撃の威力は絶大だった。葉紀子が図書館へ行かなくなって数日後、いきなり陽子が自宅へ訪ねてきた。そして玄関先で平手打ちされた。理由は問う前に、ぶちまけられた。葉紀子が日記に陽子の彼氏を欲していることと、層川と天秤にかけていること、さらに一年前の日記から陽子が通う学校の生徒が電車内で騒いでいた日に、やっぱりバカの集まり、と蔑む記述をしたことをコピーして切り抜き怪文書に仕上げ、おまけに葉紀子が星丘で居場所が無くなったのは生徒会長を利尿剤でハメようとしたばかりでなく、彼女がいる3人の男子と性交したからと陽子に思い込ませるような記述と合成写真があって、事実と違うと言い訳したかったけれど、自筆の日記と一部に事実が混ざった情報操作によって、問答無用で陽子とは絶縁状態にされた。
「……」
日記には葉紀子の心の汚い部分が赤裸々に書いてある。それをコピーして都合のいいように切り抜きされれば、どんな怪文書でも作れてしまう。そして、それが自筆だということが痛い。だから日記を晒されるのは絶対に避けたい。けれど、学校生活でトイレを使えずオムツも穿けないのも苦痛過ぎる。毎日のように、おしっこを教室で垂れ流すことになるし、ときどき大便もしてしまうかもしれない。月経が来たら悲惨過ぎる。それだけでなく両腋の肌を露出するよう制服を改造しておきながら、腋毛を伸ばして洗わずにいたら葉紀子の体臭が教室に充満するし、登校時に電車内で腕をあげれば気の狂った痴女にしか見えない。きっと、そんな生活をすれば短期間で葉紀子は本当に気が狂う。封書にあった脅迫文が葉紀子に求めたのは、心の汚い部分を晒すか、身体の汚い部分を晒すか、二つに一つ、女が女に考えた最悪最低の恥辱であり嫌がらせだった。それを避けたいなら、茉莉那に謝るしかない。
「……」
謝ることに異存はない。振り返って自分に悪い部分があったのは認めている。球技大会で切羽詰まった茉莉那と挨拶を替わってやらなかったのは不親切を超えて嫌がらせだったし、おもらししそうな様子だとわかっていた。わかっていて交替せず、漏らして泣き出しても鼻で嗤った。嫌な女だと自分でも想う。生徒会選挙で負けたのが悔しくて、子供っぽい可愛らしさを全面に出す茉莉那をバカにしていた面もあった。さらに数日経って登校してきたところを放送でもバカにして心を折ってやろうとした。ひどすぎることをしたと今ならわかる。心が弱っているところを、さらに追い込んで潰そうとするなんて、その被害者になった今なら、どれだけ非道で、された側の傷が深いか、よくよく思い知った。だから、茉莉那に謝りたい。
「……」
けれど、利尿剤は盛っていないし、ここまで受けた復讐もひどすぎる。茉莉那本人からならともかく木村たちは明らかに楽しんでいる。正義の名の下に、たった一人の葉紀子を集団で追いつめ、叩きのめしてきた。ここまでされるほどなの、と言いたい。でも、今回の謝罪で下手な言い訳をして茉莉那に許してもらえなければ、その後は地獄が待っている。だからもう何もかも認めて、泣いて許しを乞うしかないとわかっていた。
「楽しかった夏休みが終わりました。私は福岡のお爺さんお婆さんに会ってきて、たくさん可愛がってもらいました。そして楽しい夏休みは終わりましたが、今日からも幼稚園でお友達と楽しいことがいっぱいあると想います。みんな元気に頑張りましょう!」
幼稚園の年少代表の子がスピーチしている。三千人を超える先輩たちを前にして堂々と話していて、これで年少なのかと高校生大学生たちは驚き、拍手していた。今、壇上には幼稚園から小学校までは学年ごとに教師によって選ばれた子が立っている。中学と高校は生徒によって選ばれた生徒会メンバー、大学も学生会、ただ学生会には毎年立候補者が無く大学事務局が学生に声をかけて引き受けてもらっているらしかった。もう内申書など関係ない大学生にとって学生会の役員という肩書きなど、町内会やPTAの役員なみに避けたいものだった。始業式が続いていく。
「小学3年生代表の鈴川さんでした。続いて、小学4年生代表の鹿狩純子さん、お願いします」
「どうも、鹿狩です」
純子は片手でマイクを持ち、どことなく男性っぽい仕草と口調で話し始める。
「こういう場での話に合わないかもしれないけど、今日9月1日は危ない日だ。何が危ないって下校時の不審者、学校が始まって女子を狙う不審者が出てくる。みんな気をつけて帰ろう。出会ったら、習った通り、逃げる、助けを呼ぶ、それもいいけど、オレだったら蹴り潰してやる」
「……」
葉紀子の隣にいる松井がつぶやく。
「おー怖ぇ。小学4年で、もうスレてる。低学年までは賢くて可愛かったけど、4年にもなると、もう思春期後半って感じだな。成長が早すぎだろ」
反対の隣にいる茉莉那もつぶやく。
「……蹴り潰すって………本当に潰れちゃったんだよ……自分のお兄さんなのに…」
「?」
葉紀子には意味がわからない。ただ、さきほど出会ったときから茉莉那の様子はおかしかった。徹夜明けのように目にクマがあったし、ぼんやりしている。葉紀子が事前に、スピーチの中で永戸さんに謝ります、と伝えても一言、そう、と言っただけで上の空だった。そして2年1組の列に英雄がいない。急な怪我で入院しているらしかった。
「じゃあ、みんな、二学期もよろしく」
「小学4年生代表の鹿狩さんでした。続いて、小学5年…」
だんだん葉紀子の番が近づいてくる。木村たちは茉莉那の替わりに挨拶しろと言っていたけれど、二学期の始業式だけは学園総会の意味合いもあって、小学校までは学年ごとに一人、中学以降は生徒会メンバー全員がスピーチすることになっていた。中学の生徒会メンバーたちは純子のようにスレた話し方ではなく、もう大人として模範的な話をしている。
「かつて成人となるのは13歳という時代もありました。私たち中学生がその年齢にあたります。それゆえ、自覚と責任をもって社会の期待に答える成長を…」
中学生たちの模範的なスピーチの後に茉莉那がマイクを両手で握った。
「………。高等部生徒会……会長…永戸茉莉那です。……」
緊張している様子はないのに、茉莉那はたどたどしい。
「……。二学期も、よろしく……以上です」
「「「「「………」」」」」
そんなに短いのか、まあ長話よりいいけど、と生徒たちが思う中、葉紀子の番が来た。茉莉那からマイクを受け取り、壇上を進んで中央に立つ。もうすでに葉紀子は緊張で腋や背筋が汗でズブ濡れだった。ホールに集まっているのは幼稚園は一学年が30人、小学校は60人、中学100人、高校300人、大学500人なので三千人を超えるし、座高の関係もあって幼稚園児が最前列、次が小学生と幼い子ほど前にいる。そんな中で葉紀子はこれから、おしっこを漏らし、ウンチを垂れて謝罪しなければいけなかった。すでに封書に入っていた利尿剤と下剤を30分前に飲んだので油断すると漏れそうになっている。
「こ…高等部、生徒会っ…副会長、つ、塚本葉紀子です」
幼い子供たちの視線を浴びると、一気に葉紀子は恥ずかしくなった。封書からの命令で制服のスカートを2回も巻いている。星丘高校でスカート丈を短くする生徒は少ないので、とても目立つし壇上から話していると高低差で最前列の園児からはパンツが見えているのではないかと不安になるし、ウンチを漏らしたときに見えるように短くしろという命令だった。
「こ、この場をかりて謝罪させてください。私は一学期に、とても悪いことをしました」
「「「「「……………」」」」」
そういうスピーチもありかな、と幼い子供たちは傾聴するし、中学生は噂で知っていたり高校生は見聞きしたので、とても興味をもつ。大学生たちもういういしく見える女子高生の葉紀子が何を謝るのか、少し興味をもち、スマートフォンを眺めるのをやめた。
「生徒会選挙で永戸さんに負けて会長になれなかった私は仕事を全部、永戸さんに押しつけました。もともと立候補したのも、みんなの役に立ちたいという動機ではなく、会長の肩書きがあれば内申書で有利、みんなに自慢できるという汚い気持ちでしたから、一人で頑張る永戸さんを見ても、ザマ見ろとしか感じませんでした。最低です。もっと最低なことに、…り……り………り……利尿剤………」
どうしても、やってもいないことは認めたくない。けれど、ここで言わないと、あとが怖くて葉紀子は涙を零しながら言う。
「利尿剤という、おしっこがでる薬を永戸さんに飲ませて、球技大会でみんなの前に立つ永戸さんが、おしっこを漏らして恥をかくようにしました。永戸さんはおしっこがしたくて、とても困って私に助けを求めました。けれど、私は断って彼女をみんなの前に立たせ、そこでおしっこを漏らして大きな恥をかくように仕向けて嗤いました」
「「「「「……………」」」」」
幼稚園児たちが呆れた顔をしている。ちょうどトイレトレーニングが終わって、おもらしは恥ずかしいことという認識ができてきている年齢だけに葉紀子のやったことは、とても悪いと感じる。とくに知的に優秀な園児ばかりなので眉をひそめ、軽蔑した顔になっている。小学生も似たような反応で葉紀子を最低だと感じているし、純子は壇上の後方で整列しながら一瞬だけ中指を立てて葉紀子に向けている。それは伝染病のように女児たちに拡がって愛歌らも一瞬だけ中指を立てて葉紀子に向けてくる。それが話している葉紀子からも見えて、つらかった。中学生は、噂は本当だったんだ、会長可哀想、副会長最低、という追認だった。高校生たちは、すでに茉莉那は彼氏もできて幸せいっぱい、エロエロ夏休み、対して葉紀子は地獄だったので、そろそろ許してあげないと自殺するかも、と思っている。大学生は年少者たちの噂など耳に入っていない学生が多いので、ふーん、なかなか怖い副会長ですね、でも謝ることにしたんだ、えらいな、どういう経緯だろう、と強く興味をもつ。教師たちは木村らが事前に葉紀子が謝罪するので止めないでほしいと伝えていたので、あまり幼稚園児に聴かせるのはどうかと思う内容だったけれど、静観している。
「そればかりでなく、永戸さんが頑張って学校に来たのに、いっそ会長を辞めさせて自分が会長になろうと思った私は学校の放送で、おもらしした永戸さんのことをバカにして傷つける風に話しました。本当に、なんてひどいことをしたんだろうって自分が嫌になります。私は自分のことしか考えていませんでした。本当に、ごめんなさい」
葉紀子は振り返って茉莉那の方に頭をさげた。
「………」
茉莉那はぼんやりとしていて無反応、それを葉紀子は許してもらえていないと感じたので謝罪を続ける。
「他にも……他にも…り……利尿剤を……また飲ませようと持ち歩いたりして……それがバレたのに、とぼけて認めませんでした。…ヒッ…そればかりか、逆ギレして永戸さんを叩いたり蹴ったりして傷つけました。とても、とても悪いことをしました……だから、…こ、これから、ここで、おしっこを漏らして、謝ります。みんなの前で恥ずかしいおもらしをして謝ります。ぅ……ぅぅ…」
もう尿意は高まっているけれど、やっぱり学園生全員の前で漏らすのは尿道が恥ずかしさで閉まってしまい、すぐに出ない。葉紀子は膝を開いた。
ジョア…ジョアアアアア!
股間が生温かくなる。そこに三千人以上の視線が集まってきて葉紀子は恥ずかしさで悶えた。
「ハァっ…ぅう、ハァっ…」
「「「………」」」
幼稚園児たちは意外に騒がない。静かに話を聴きましょう、という指導を守っていて葉紀子のおもらしを見ても、まっすぐ視線を送ってくるだけで笑ったり罵ったりしない。小学生たちもヒソヒソとつぶやくくらい、中学生になると女子がクスクスと嗤うし、男子は驚いて固まっている。高校生たちは葉紀子のおもらしは何回目だったかな、と微笑するだけだった。そして大学生は大騒ぎする。偏差値が低いだけあって、品もない。
「あれ、マジでおしっこか?」
「かわいいのに汚いなぁ」
「よく、みんなの前でやれるよな」
「頭イカレてる?」
「やらされてんじゃね? 謝らないとリンチみたいな」
「おお、聖水だ」
「オレ、あの子のおしっこなら飲めるわ」
「飲んでこい。一気で飲んでこい」
「やっぱ、やめとく」
葉紀子は恥ずかしすぎて雑言が耳に入ってこない。まだ、もっと何倍も恥ずかしいウンチおもらしをしないといけない。わずかな期待をかけて茉莉那の方を見たけれど、ぼんやりしているだけで、もう許してあげる、とは言ってくれない。
「永戸さん、本当にごめんなさい。ごめんなさい。………ここで、ウンチも漏らしますから許してください」
そう言った葉紀子はマイクを腰に回した。そうやって脱糞の音をホール中に響かせろ、という封書からの命令だったので従っている。
ブリっ! ブリブブリブリリ!
柔らかい大便が、すぐにショーツいっぱいに拡がった。音もホールに響いている。また幼稚園児は騒がないけれど、片手で鼻を押さえている。距離的に、まだ匂って無くても反射のような仕草だった。小学生たちは小声で、うわぁ、とドン引きし、純子も驚いている。
「大はありえないだろ……茉莉那のでも、大は見たくない」
中学生たちも騒ぎ始め、気持ち悪そうに葉紀子を見てくる。高校生たちは気の毒そうな顔で、葉紀子を懲罰するというスターヒル仮面は何者だろう、と考える。大学生たちも小学生と同じようなドン引きだった。
「うあぁ」
「キモい」
「臭そう」
「音を聴かせるなよ」
「あの女、変態じゃないか」
「ハァハァ興奮してるし」
葉紀子は茉莉那を振り返った。そうすると、お尻が聴衆に見えて汚れているのが、よくわかる。いよいよ最前列の幼稚園児たちには匂いが感じられて黙っていられなくなった。
「くちゃい」
「あの人、バカなの」
「うんち漏らしてる」
そして教師たちは迷う。悪いことをして人に恥をかかせたので同じ恥をかいて謝るというのは教育効果として悪くはない。けれど、子供たちの前で女子高生がおしっこを漏らしてウンチを垂れるというのは、見せていてはいけない光景なような気もする。幼稚園の教諭たちは強く迷い、高校の教諭たちの反応を見る。高校の教諭たちは木村に謝罪を止めないで欲しいと頼まれていて、やはり迷う。迷っているうちに葉紀子は土下座を始めた。
「永戸さん、本当に私が悪かったです。…ヒッ…この通りです。…ヒッ…どうか、許してください」
泣きながら葉紀子は茉莉那の方向を向いて土下座するので、聴衆にはお尻を見せることになる。スカートを巻いているのでショーツが半見えになり、ウンチまみれの股間がとても汚い。そして葉紀子は自分の糞尿へ両手をつき、頭をさげるとセミロングの髪まで汚れる。
「「「「「…………」」」」」
幼稚園児から大学生まで、そして教師たちも静かになった。ここまでの謝罪は見たことがない。悪いことをしたら、ごめんなさいと言いましょう、という教育と、ごめんで済んだら警察は要らない、という常識、その間にある誠心誠意の土下座、ただの土下座ではなく大勢の前で、それも名誉も尊厳も捨てて、糞尿を垂れて、その場に伏せる。こんな謝罪は人々を沈黙させた。
「…ヒッ…すみませんでした…ヒッ…どうか、どうか…許してください……ヒッ…ごめんなさい、私が悪かったです…ヒッ…」
葉紀子は涙を糞尿の水たまりに落としている。そんな謝罪を前にして、茉莉那はぼんやりと立っていた。
「……………」
この人……何を泣いて謝って………あ、球技大会のことか………やっぱり利尿剤で私をハメようとしたんだ……最低………そのくせ私を叩いたり蹴ったり……それを許してほしくて謝ってるんだ………そんな死にそうな顔して大袈裟な……おしっこやウンチを垂れたくらいのことで……そんなの洗えばキレイになる………でも、英雄くんは大切なおチンチンの玉を一つ失って………もう一つ残っていても子供ができない身体になったかも……もうエッチだってできるか、できないか……あんなに気持ちいいことが二度とできないかも……なのに、私は英雄くんと結婚しないといけない……英雄くんのお母さんは、そういう言い方だった……私の人生……私だって、いつかは赤ちゃんがほしい……気持ちいいエッチだってしたい………なのに一生、もう男じゃなくなった人と……そんなの………でも、逆の立場で考えて、私が赤ちゃんを産めない身体になって、エッチもできない身体……そうなったとき彼氏に別れられたら………もうお前には価値がないって……そんな別れ方されたら、どれだけ傷つくか……死にたくなる……人と人って、どうして付き合ってるの………エッチするため……エッチできないなら要らない……愛って何? ………私は英雄くんを好きだったつもりだけどエッチできないなら要らないの………私ってそういう女? ……これから、どうしたら……それにしても、塚本さん泣いて土下座して、そんなに許してほしいんだ……もとはといえば、塚本さんのせいで私がおもらしして、それがキッカケで英雄くんと付き合って、そして英雄くんはおチンチンの玉を失った……全部、塚本さんのせい…それは言い過ぎかな……風が吹けば桶屋かも……、と茉莉那は取り留めのない考え事をしていて、葉紀子の謝罪に対して上の空が続く。
「……」
「……」
葉紀子は土下座を続け、額を自分の糞尿に着けてまで謝っているのに許してもらえる様子がないと受け取っていく。もしも自分が同じ立場だったら許すだろうか、それは数日前から考えていた。葉紀子が会長で茉莉那が副会長、そして茉莉那が非協力的で葉紀子が球技大会でみんなの前でおもらしして笑われていたら、そんなことで大泣きしないとしても激怒はする。さらに放送で厭味まで言われたら、つぶしてやろうと思う。そこにきて叩かれたり蹴られたりしたら、即警察沙汰にして退学にしてやった。そもそも人間はやられたことを同じだけやり返して満足はしない。やられたら三倍返しにしたい。葉紀子自身、木村らを殺したいとさえ想っている。目には目を歯には歯を、と最古の法典が言うけれど、あれは抑制されたルールで人間の自然な心理は倍返し三倍返し、むしろ殺したい、葉紀子が会長で恥をかかされ暴行までされたなら、今さら土下座してきたくらいで許しはしない。死ね、死んでしまえ、とかなり本気で考える。だから今日までに葉紀子は転校ということも考えた。けれど、それには費用がいる。父が亡くなったとき仕事中の事故だったのに労災保険に入っていなくて、生命保険が1000万円、県民共済が300万円、それだけだった。そして県民共済の300万円は葬儀会社と僧侶が盗っていった。せめて残ったのは一戸建てのマイホーム、土地はタダ同然のド田舎で売却は困難でも、その分だけ安かったのでローンは一括返済できた。だから、母はコンビニで働いてくれている。葉紀子と覇王の進学のために。覇王の学費分を考えると、葉紀子が転校することはできなかった。あと一年半、なんとか星丘で我慢して卒業しないといけない。そのためには茉莉那に許してもらうしかない、土下座とおもらしだけで許してもらえない場合のことは封書には無かったけれど葉紀子は考えてきていた。この場でバリカンで丸坊主になって謝るか、自分のウンチを食べて謝るか、どちらもしたくないけれど、許してもらえないままにはできない。葉紀子は床に零れている自分の排泄物を両手で集めた。
「お詫びにっ…ヒッ…自分のウンチを食べます……ヒッ…」
「………」
「「「「「………」」」」」
「…ヒッ…ぅ、うぐ……あぐ…んぐ…」
吐きそうになるのを我慢して葉紀子は飲み込んだ。さらに食べる。
「ハァ…ハァ…ぅぐ…あぐ…ぅぅ! ぅえ!」
今度は途中で吐いてしまった。それを拾って、また食べる。
「…ハァ……ハァ……どうか、許してください…ヒッ…私が悪かったです…この学校を卒業させてください…ヒッ…許してもらえないと…ヒッ…私……私……もう死にそう…」
「………」
また大袈裟に……でも、気持ち悪い……自分のウンチ食べた……、と茉莉那は呆れているだけで何も言わない。葉紀子は吐き気を我慢しながら、次の謝罪に入る。スカートのポケットに入れていたバリカンを出す。覇王の散髪代を節約する道具だったけれど、これでセミロングの髪を丸坊主にする覚悟を決める。
「…ハァ……ヒッ……で…では……髪を切って、謝ります……丸坊主に、どうか、それで私の謝罪を受け入れてください…ヒッ…」
葉紀子がスイッチを入れ、バリカンで髪を刈る前に純子が近づいてきて、葉紀子の肘を引いてくれた。純子は手首を握って止めるつもりだったけれど、かなり大便で汚れていて触りたくなかったので、ギリギリ汚れていない肘を選んでいた。そして茉莉那に言う。
「茉莉那、もう許してやれよ」
「………」
「これだけ謝ってるんだし」
純子の意見はホールにいる人々の大半も思っていた。
「…ヒッ…ヒッ…」
「女の子が髪を切るって、よくないぞ。そんな頭で帰ったら、この人のお母さんが泣くから」
「ヒッ……ヒーッんぅ……ヒーッんぅ…」
葉紀子は汚れていた顔を歪めて、ボロボロと泣いた。純子は手が汚れるのを我慢してバリカンのスイッチを切っておく。
「変わった泣き声……とにかく、茉莉那、もう許してやろう」
「………」
茉莉那の目が迷うので葉紀子は必死に問う。
「ど、どうしたら?! どうすれば、許していただけますか?! 丸坊主でも何でもします!」
「………。じゃあ、お腹をえぐって卵巣を出して、子供を産めない身体になったら許してあげる」
茉莉那は自分で言っていて、とんでもないことを言ってしまったと感じつつも言った。言ってみたかった。それで葉紀子がどんな顔をするか、見たかった。
「…ヒッ…。…………」
葉紀子が自分のお腹を撫でる。
ブブ!
まだ下剤の効果で、ときどき漏らしている。利尿剤も飲んでいるので、おしっこもチョロチョロと垂らしている。これ以上ない恥辱だと感じていたけれど、茉莉那の発言は取り返しのつかない傷を負え、というもので葉紀子はお腹が冷たくなり、全身が震えた。
「…ヒッ……ヒッ…ヒーーんゥゥゥう!! ヒーーーッんゥゥう!」
もう泣くことしかできなくて号泣すると、茉莉那がクスリと嗤った。
「冗談だよ。もう許してあげる」
「…ヒッ…ひぐ……ああ……ああ……ありがとうございます…ううっ…うっヒッ! ヒーーーッんぅぅ!」
ようやく許されたと感じた葉紀子はその場に泣き崩れた。さすがに教師たちが出てきて葉紀子を舞台袖に連れて行き、始業式を中止するわけにもいかないので松井にマイクが渡った。
「あーっ……どうも。高校の生徒会……書記? 会計、どっちだっけ? まあ、いいや。松井です。えっとだ、……あんな衝撃の後だと、ちょっと何を言うべきか、……まあ、いいや。二学期もオレは野球を頑張るぜ! 来年こそ優勝! そしてホームランいっぱい打ってプロ野球でも活躍する! みんなも何か頑張れよな!! 以上!」
松井は男子小学生の夢のようなことを言った。幼稚園児と小学生たち、そして野球部の仲間が少し拍手してくれる。そしてマイクが加藤に渡る。
「どうも、高校生徒会、会計の加藤一郎です。ボクからは………さっきの塚本さんを見ていたら……ホント、人間って何のために生きてるのかな、って。そんな歌があったかな。何のために産まれて、何のために生きるのか…わからないまま終わる。そんなのが嫌、みたいな。何の歌だったか」
「「「「「……………」」」」」
それはアンパンマンだよ、と幼稚園児から大学生まで言おうか迷いつつ黙って聴く。
「けど、じゃあ、今日や明日、死んでしまう高齢者は、わかったのかな? 何のため人生だったのか。わからないままだったら嫌な気持ちで死んで、わかったなら嬉しく死ぬのか。あー、ごめん、どうでもいい話をしてるよね。どうでもいいついでにボクには、この学校で友達はいない。別にハブられたわけじゃない、自分からつくらなかったし、勉強の邪魔だと思ったから。だから、そう、塚本さんの生き方には共感してた。このさい、言ってしまうとボクは塚本さんが好きだったし、永戸さんも好きだった。じゃあ、生徒会を頑張れよ、って話だけど、勉強の方が大事だと判断したから。だから友達もいない。あの歌の歌詞にあったよね。愛と勇気だけが友達。お前も友達いないのか、って思う。フフ」
「「「「「……………」」」」」
「塚本さんと永戸さんが争うのを見ていて正直うんざりした。人間って、こんなに醜いのかって。すっかり好きだった気持ちも消えたし。ああ、でも鹿狩くんは羨ましかったな。勉強もできてサッカーもやって、彼女も簡単につくれて、ああ、人生って不平等だ。より感じたのは、今日の始業式、幼稚園の子たち、君たち頭いいね。小学校の子も。ボクは何が言いたいのか……そう、不平等かな。まあ、でも、もういいよ。ボクにもラッキーはあったのかな。少なくとも、今日この場で言いたいことを言えたのは、よかった。それだけ、じゃあ、以上で」
加藤のスピーチには拍手は起こらなかった。その後は大学生が話して始業式は終わり、すぐに実力テストになる。小中高の生徒たちが対象で、各教室に入り葉紀子も受ける。そのテスト中にも葉紀子はおしっこを漏らしてしまう。
シューーーッ…
利尿剤の効果だった。そして、茉莉那は許してくれたけれど、まだ日記は返ってこない状態で、トイレを使っていいのか、わからない。へたにトイレを使って、あとで因縁をつけられると、せっかくの謝罪と赦免が無駄になるかもしれない。そう思うとトイレへ行けず、保健センターで着替えた借り物のハーフパンツにおしっこを垂れていた。
「……ヒッ……」
情けなくて泣けてくる。期末テストではないので成績順に関わらないゆえ、途中退席もできるのに、怖くてトイレに立てない自分が情けなかった。そして答案も書けない。得意な国語なのに、問題文がグルグル回って頭に入ってこない。おしっこを漏らしたので試験官をしている教師に言われ、保健センターで再び着替えた。今度は借り物のハーフパンツではなく2枚もっているスカートを穿いた。始業式で汚すのが予定だったので持参していたし、下着も予備を持ってきている。
「……ヒッ……」
泣きべそのまま教室に戻る途中で葉紀子は自動販売機でスポーツドリンクを買った。それを教室で飲んでいると、茉莉那が不思議そうに声をかけてきた。
「そんなの飲んだら、また、おもらしするよ? 余計なお世話かもしれないけど」
「…ヒッ………飲まないと……利尿剤の副作用で痙攣や不整脈が起こるから……ヒッ…」
「へぇ、そんな副作用があるんだ」
「………」
葉紀子は一口飲み、おもらしは嫌なので茉莉那に問う。
「トイレに行きたくなったら、行かせてもらっていいですか?」
「いいよ、どうぞ」
「ありがとうございます」
とても安心したけれど、まだ不安材料はある。葉紀子は尿意が高まる前に木村へ恐る恐る声をかける。
「あの……」
「なに?」
「トイレに行きたくなったら、行かせてもらっていいですか?」
「クスっ……さて、どうしようかな」
「………永戸さんは許してくださいました……」
「まあ、考えておいてあげるよ。テストは頑張って受けな。次の休み時間までトイレは禁止」
「……………どうか、……もう許してください……」
次のテストが始まり英語も得意なのに、ろくに解けなかった。頑張ろうと思っても手が動かない。実力テストは全国の高校生の中で自分のポジションを試すだけのものなので、たとえ結果が悪くても各教科の成績には関係ない。それでも親には結果を見せることになるので、せめて平均点は取りたい。なのに半分も解けず、後半はおしっこを我慢するので精一杯だった。やっと休み時間になり、木村に頼む。
「お願いします。トイレに行かせてください」
「うん、うん、そういう態度、いいよ」
木村も立ち上がって言う。
「よし、トイレに行こうか。おいで。クスクス」
「…ありがとうございます…」
「すっかり自分の立場がわかったみたいね」
「……。はい…」
我慢して女子トイレに入ったのに、木村が言ってくる。
「トイレには行かせると言ったけど、便器でおしっこさせるとは言ってないよ」
「……ぅぅ……お願いします、どうか……ヒッ…」
ひどい意地悪を言われても耐えて葉紀子は頭をさげた。情けなくて泣けてくる。木村は楽しそうに言う。
「じゃあ、やっぱり私にも土下座してもらおうか」
「………はい…」
葉紀子は女子トイレの床に土下座する。おしっこを便器でしたいことよりも、とにかく日記を返して欲しかった。
「きゃははは! いいね、いいね!」
「……」
「どうよ? 内部生に逆らったら、どうなるか思い知った?!」
「…はい…ヒッ……思い知りました。…ヒッ…どうか許してください。私が間違っていました」
「ふふん♪」
とても満足そうに木村が鼻を鳴らしている。葉紀子はおしっこが漏れそうなので頼む。
「もう、おもらししそうです。ぅぅ……おしっこ……出ます。このまま、おもらしした方がいいですか? もう出ちゃう…」
「う~ん♪ あ、いいこと思いついた。塚本は逆立ちできる?」
「……できます…少しなら……そのまま歩くことはできませんけど…壁があれば…」
ろくでもない予感しかしないけれど、正直に答えた。
「じゃあ、そこの壁に向かって逆立ちして。あ、三井さん、いいところに来たね。ちょっと私と塚本の写真を撮って」
「はいはい、まだイジメるんだ?」
「やっと生意気なとこが抜けたしね。外部生のくせに調子に乗ったら、どうなるか、わからせてるの」
「一応、私も外部生なんですけどね。で、写真は足元から全身?」
「そうそう。塚本、さっさと逆立ちしなさい」
「…はい…」
葉紀子は女子トイレの床に両手を着き、壁に向かって逆立ちする。当然、スカートは逆転してショーツが丸出しになる。
「ぅぅ……」
「そのまま、そのまま」
木村はふらつく葉紀子の足首を握り、逆立ちを維持させる。
「じゃあ、撮って。釣り人が大きな魚を釣り上げた感じに」
「ああ、なるほど」
「塚本はそのまま、おしっこしなさい」
「…ぅぅ…」
言われなくても、もう限界でおしっこが漏れてくる。
プシャァァァ…
そして前に飛ぶタイプな葉紀子が逆立ちしたままショーツの中に放尿すると、おしっこはショーツの前方に拡がり、お臍やおっぱいを濡らして流れ、首から顎、鼻先と顔中に、そして髪の毛をビチョ濡れにした。その間、何枚も写真を撮られた。逆立ちが終わると葉紀子はトイレの床に崩れて泣いた。
「…ヒッ………ヒッ……ヒーッんぅ……」
「これこれ、この独特の泣き声、超笑える。きゃはははは!」
笑われて次の時間も、おしっこを我慢するように言われて数学のテストを受ける。もう一問も解けなかった。名前だけ書いて、おしっこ臭い自分の身体を感じると、死にたくなってくる。日記を返してもらったら、何か復讐してやろうという気力も消えてしまった。
「……ヒッ……」
また女子トイレに連れ込まれて、葉紀子は自慰行為をしながらバケツに放尿しろと言われ、そんな状況で性的興奮ができるはずもなく、自慰行為の経験はあったので快感を得た真似をしてバケツに出した。木村は何を命令しても逆らわなくなった葉紀子を従わせるのが楽しくて、ついついエスカレートする。一年生の頃から内部生に遠慮せず、輪に入れてください、という態度もない生意気だった葉紀子が震えながら何でも言うことをきくのは実に心が躍る。
ゴロゴロ…
葉紀子はお腹も少し痛い。まだ下剤の効果が残っていた。お昼休みだったので木村は葉紀子の弁当を女子トイレに持ってきた。
「これにウンコかけて食べなよ」
「…………ヒッ……ヒッ……」
泣きながら、母親に申し訳ないと思いつつ、実行した。次のテストが社会だったのか、理科だったのか、もう認識できずテスト中におもらしをした。おかげで木村に因縁をつけられる。
「あんた何、教室で漏らしてんの? トイレまで我慢しろって言ったよね?」
「ヒッ…すみません…すみません…ごめんなさい、ごめんなさい…」
葉紀子は女子トイレの床に丸くなって怯える。大勢の女子生徒が見ているのに見て見ぬフリだった。
「せっかくトイレでさせてやるっていう私の優しさがわからないかな?」
「ごめんなさい…ごめんなさい…ヒッ…ごめんなさい…」
「罰として、あんたって層川が好きなんだよね。ずいぶん悪趣味」
「…ヒッ…ヒッ…」
やはり木村は日記の内容を知っているようだった。
「次のテストが終わったら、層川の前でおもらししてパンツおろしてスカートめくって、私とセックスしてください、あなたが大好きでーす、って言え」
「ヒッ……ヒッ……」
「やらないと、どうなるか、わかるよね?」
「…ヒッ…」
「案外、セックスしてくれるかもよ? 罰じゃなくて、ご褒美になるかもね」
「…ヒッ……ヒッ…」
もう何かを考えることが嫌で、葉紀子はテストが終わると帰宅の準備をしている層川の前に立った。
シャア…
おもらしをしてショーツをさげ、スカートをめくって層川に言う。
「私と…ヒッ…セック…ヒッ…スしてくだ…ヒッ…さい、…ヒッ…あなたが……大好き…ヒッ…です…」
「塚本………お前…」
テストの日にはテストに集中する層川は変わり果てた葉紀子の姿を見て、すぐそばにいて嗤っている木村を叩いた。
パシンッ!
女子を叩くにしては、かなり強めに叩いたし身長が180センチもある層川に叩かれると木村は踏ん張りきれず倒れた。
「痛ァァっ…なにしやがる?!」
「殴ってなぜ悪い?!」
層川は仰々しく腰をひねって木村へ背中と後頭部を見せつつ腕を大きく拡げて言い放った。その雰囲気で長年の付き合いがある木村には何かの真似だと理解はできた。場の空気感がおかしくなるけれど、木村は立ち上がって睨む。
「女を叩くとか、どういうことよ!」
「女とか言うなら、ここまでのイジメをするなよ。エスカレートし過ぎだ。始業式でも、なにか、ひどいことしたって?」
「あんた見てなかったの! せっかくの舞台を!」
「オレ、ああいう無駄な時間は嫌いだしサボってた」
「ちっ……」
「とにかく、もうバトルの段階から完全に一方的になってるみたいじゃないか。見ていて残念すぎる。もうやめろ」
「………まあ、いいや、塚本、あとで話があるよ」
「…ヒッ…」
「ボコるとか、やめてやれよ。あとトイレの嫌がらせも、やめてやれ、かなり臭くて迷惑だ」
「ヒッ…」
「ふふん♪ あんたの空気読めない、思ったことそのまま言う性格、面白いね。ホント」
やっと葉紀子は木村から解放され、おしっこ臭い身体で学校から出る。スクールバスには乗りたくない。もう幼稚園児から大学生までが自分のことを見知っている。とてもスクールバスに乗れなくて、駅まで歩けない距離でもないので葉紀子はトボトボと歩いた。
「…ヒッ………ヒッ……」
脳が麻痺したように無感覚で層川が守ってくれて嬉しいという感覚も無いし、あの始業式の醜態を見ないでいてくれた喜びもない。もう日記を返してもらうという目的さえ、おぼろげになっている。歩く気力がなくて通りがかりの公園に入り、ベンチに腰かけた。
「……ヒッ………ヒッ……」
「星丘のお姉さん、どうして泣いてるの?」
女子小学生が葉紀子を心配して声をかけてきた。星丘小学校の制服である吊りスカート姿ではなく、私服なので近所の公立小学校の児童だと思われた。
「…ヒッ……」
「私は夏原志澄実(なつはらしすみ)です。お姉さんのお名前は?」
「……ヒッ……」
「何か困ったことがあるのですか? 私で手伝えることはありますか?」
志澄実は賢そうな児童で星丘小学校を受験しても合格できそうな雰囲気があったけれど、同時に貧しそうな服装をしていて色あせたシャツと破れて縫ったスカートを着ている。靴も磨り減って、お古のようだった。
「…ヒッ……」
葉紀子は何も答えられず、おしっこが貯まっていたので漏らした。
ジョォォ…
ベンチに座ったまま漏らしたので、ベンチの端から葉紀子のおしっこが流れ落ちる。
「お姉さん……おしっこしたかったの? トイレはあっちにありますよ」
「………ヒッ……見ないで……ヒッ………ほっといて……」
「………。どうか、お元気で」
志澄実は一礼して立ち去った。しばらく葉紀子が泣いていると、スマートフォンが鳴った。着信は木村からで、受話するのが怖かったけれど、無視するのも怖すぎて震える指で応答した。
「…ヒッ……」
「あんたさ、さっき層川にかばわれて超ラッキーとか想ったでしょ。もしかして、自分に気があるかも、って」
「……ヒッ…」
「おあいにくさま。あいつ、彼女いるよ。みんな知ってることだけど、あんたはクラスの情報、ぜんぜん入ってないから教えてあげる。層川は他校生と付き合ってる。証拠の写真もあるから送ってあげる。私って超親切。じゃあね、明日も学校で会おうね、あんまり臭いと近づけないから、お風呂には入ってね。バイバーイ♪」
木村は電話を切り、すぐに写真を送信してきた。
「…ヒッ…」
その写真は層川が他校生の女子とデート中にキスしているのを自撮りしたわかりやす過ぎる構図でキスしながら左手で胸も揉んでいた。
「……ヒッ…」
もともと泣いていた葉紀子は泣き続け、何度か志澄実が遠くから心配そうに視線を送ってくるので公園から出て、駅に向かった。駅に着くと、早く帰りたいという気持ちと、もう死にたいという気持ちがグルグルと頭と胸を回った。今なら鉄道自殺する人の気持ちがわかる。どうして、大勢に迷惑をかけ、怖くて痛そうな方法を選ぶのか、もっと楽で気持ちのいい苦しまない方法もあるのに、と以前はバカにしていたけれど、死にたい当事者になるとわかる。楽な方法には準備が要る。練炭や薬、場所の選定、いろいろと下準備が要る。夏休み後半、楽な死に方を本気ではないつもりで検索して調べた。一番楽そうなのは一酸化中毒死、親不孝でなく事故に見せかけるなら信号のない横断歩道でトラックの前に飛び出すこと、これなら親は交通事故を憎めるし、保険金ももらえる。でも、本気で死にたくなってくると、そんな気力がない。ほんの数メートル先にある線路へ飛び込むだけ、その誘惑が大きい。
「…ヒッ…」
葉紀子はホームのベンチに座り、ずっと線路を見つめて泣いた。何度も家へ向かう電車を乗らずに見送っている。もう頭の中がグチャグチャで死にたい気持ちと、死ぬのが怖い気持ちで満たされ、どうして死ぬのか、死なずに戦う方法、死なずに逃げる方法などが考えられない。楽になりたい、解放されたい、それだけだったけれど、怖くて腰が抜けて立てない。立てれば死ねるのに、立てない。そのうちに、おしっこを漏らしたけれど、もう恥ずかしいとも情けないとも思えない。次の電車で死のう、次こそ立ちたい、そう想いながら泣いて、電車が来るのに立てない。
「…ヒッ…」
また私は立てない、怖い、怖い、死にたくない、生きたい、と葉紀子が泣いているときだった。
ダッ…
黒い影が葉紀子の左側を走り抜け、線路に飛び込んだ。黒い影に見えたけれど、それは小麦色の星丘高校の男子制服だったかもしれない。
ギギギギ!!!!
電車が急ブレーキをかける音が耳に激痛なほど響く。それでも間に合わず、黒い影が飛び込んだあたりを電車は10メートルほど通過した。
「誰か飛び込んだぞ!!」
「非常ボタンを!!」
「高校生だ!!」
人々が騒いでいる。
「……私………じゃない人が………死んだの?」
現実感が乏しくて葉紀子は自分の両手を見た。自分が飛び込んで死に、魂だけ、ここに残っているのかもしれない、という疑問は、ゆっくりと漂ってくる血の匂いで消え、葉紀子は気が遠くなって気絶した。
「おい、君?! 大丈夫かっ?!」
「女の子が倒れた!!」
「救急車を!!」
駅は騒然となり、しばらくダイヤは運休となった。
二週間後、木村は生徒指導室で教師3人から取調を受け、腋の下に冷や汗を流していた。
「わ、私はスターヒル仮面に脅されて…仕方なく塚本さんに…罰をくだしてただけなんです。私もよわみを握られて……」
「どんなよわみだ?」
「それが言えないからよわみなんです」
「……はぁぁ……」
クラス担任が深いタメ息を吐く。睡眠不足で顔色も悪かった。夏休み明けの9月1日に受け持ちクラスで自殺者と自殺未遂の手前という生徒が出てしまった。加藤がホームから線路に飛び込み死んだ。葉紀子はその場にいてホームで倒れ、救急車で運ばれた先の病院でカバンから遺書が見つかった。遺書には自分をイジメるのに積極的に加わっていた15人の女子の氏名と主要メンバーが木村と奈々、三井であること、そして茉莉那に対して生徒会業務で非協力的だったことと厭味を言って辞めさせようとしたことは認めつつも、絶対に自分は利尿剤など飲ませていない、という最期の意志が震えた字で書いてあった。加藤にも遺書が自宅の机の引き出しにあった。それは一学期の期末テスト後に書かれたもので一日14時間も勉強しているのに成績が伸びないことを悩んでいて、遊んでいるのに成績が良い生徒への嫉妬、自分の身体が丈夫でないことの不満、頭の程度も努力しても上位に立てないことの絶望が書いてあり、イジメについての記述は無かったけれど両親からの問い合わせはあり、その対応を慎重にしているところだった。
「木村、正直に答えろよ」
「答えてますよ! 信じてください!」
木村たちは責任を認めない。女子たちは、みながみな自分はやらされていただけ、真犯人はスターヒル仮面であり、その背後には鹿狩純子がいるのかもしれないというバカげた言い訳をしてくる。小学生が高校生間のイジメを操れるはずはないと、教師たちは信じず木村が主犯格だと目星をつけていた。
「この写真を見ろ」
「っ……」
「これはお前だな?」
「………こ、これも、……やらされて…」
木村の目が泳ぐ。見せつけられた写真は葉紀子に逆立ちさせ、その足首を掴んでいる木村は反対の手でピースサインをして嗤い、葉紀子には逆立ちのまま放尿させている写真だった。葉紀子の顔は苦痛に歪み、木村の顔は笑顔、これ以上にないイジメの証拠を残してしまったのは油断だった。もう葉紀子は逆らわないと思い、ついつい撮った写真をSNSで同志たちに回した。そして同志たちは自分の罪を逃れるため、木村のことを教師に話したのだと感じる。
「お前のスマートフォンを調べさせろ!」
「………嫌です! 私のプライベートです!」
「指導に従わないなら退学もありえるし、警察にも通報するぞ」
「ぅぅ……」
もう教師たちが本気なのが伝わってくる。葉紀子は死んではいない。ホームで気絶しただけで生きている。けれど、もしも加藤に続いて葉紀子まで自殺を再び試みて死なれてしまうと教師として責任を強く問われるので、もう面倒だから放置するという対応ではなく木村を退学にしてでも問題を解決したいという段階になっていた。仕方なく木村はスマートフォンを差し出し、教師たちは写真や動画を見て葉紀子に同情した。とくに自殺を思慮していた9月1日のデータはひどかった。逆立ち放尿に続いて、自慰強要、弁当に大便をかけさせて喰わせたり、男子の前で身体を露出させたりしている。もう犯罪だった。
「……こんな……ひどいことをしてたのか……」
「……私は…やらされただけです……」
「はぁぁぁ……やらされただけのヤツが、こんな楽しそうな顔をするか……」
「……すみません…」
「ごめんで済んだら警察は要らないんだぞ。オレが塚本の親だったら、お前を殺したくなるかもしれない」
「ぅぅ……塚本さんのお父さん、お母さんはどう言ってますか?」
「……ん~………父親は何年か前に亡くなっている……」
いまだに葉紀子は母親へ心配をかけたくないと言ってイジメの件は伝えていない。病院に運ばれたのは目の前でクラスメートが自殺するのを見たショックという説明をしていたし、葉紀子自身も遠泳合宿から9月1日までの記憶を思い出そうとすると嘔吐したり失禁したりするようになっていた。そして気丈にも不登校にはならず毎日出席してきている。なので学校側としては寝た子を起こさず、このまま穏便に終わってほしいけれど、そうすると木村らが再び調子に乗ってイジメを再開したりなどすれば、葉紀子は今度こそ自殺してしまうかもしれない。
「…………」
「…………」
「……私の親に頼んで、……慰謝料を払うのは?」
「お前、反省してないなぁ。金で済まそうとか」
「そういうわけじゃ……やりすぎました、すみません」
「……はぁぁ……」
ときおり内部生と外部生が衝突することはあって、これまでも指導してきた。露骨ではないにしても内部生は特権意識をもっているし、外部生は疎外感を覚える。上下関係は無いのが建前で実質の差も小さいけれど、たいていの外部生は少し遠慮して学校生活を始める。そこにときどき葉紀子のような気の強い子が入ってくると、やや内部生たちは憮然として溝ができる。その溝は三年間で埋まって仲良く卒業してくれることもあれば、埋まらずに卒業という年もあった。ただ、今回ほどひどいイジメは無かった。木村は両手を合わせて教師たちに頼む。
「なんとか退学は勘弁してください。停学くらいで……どうか!」
「「「…………」」」
実は教師たちとしても木村を退学にするのは、できれば避けたい。木村の母親は学園卒者で、いわばリピーター、さらに木村の妹弟も学園に通っている。これが公立校の教師であれば自分たちの給料には関係ない上、売上という概念などない税金運営なので、厄介なイジメを起こしてくれた生徒など退学にしてサッパリできるけれど、直接に給与へ影響は少ないとしても他校への転勤がない私立学校では周囲の評価も気になるし、学園の事業継続性からも安易な退学処分は避けたい。そして木村には前科がない。中学での素行は良かったし、高校一年生の時期も問題を起こさず、成績も2組を維持しているので、いわば金の卵といえる。共犯者の奈々と三井は両親が他校卒、入学も高校からで切りやすい。そういう差があるし、それも内部生と外部生の差ともいえる。ただ、もっとも今現在、教師たちが避けたいのは自殺者が連続して出ることだった。加藤の両親は本人の悩みによる自殺ということで納得してくれそうなのに、ここで同じ生徒会の葉紀子まで自殺してしまうと問題が複雑化するしマスコミに嗅ぎつけられるかもしれない。それは絶対に避けたい。クラス担任は木村の目を見る。
「お前、一応は頭いいよな」
「…はい……そのつもりです」
「今、自分の立場が、かなりヤバいのもわかるな?」
「はい……」
「もし、もう一回、塚本に手出しして、あいつが思い詰めて死んだら、お前も破滅なのはわかるな?」
「はい……わかります。もうしません」
「よし、腹を割って話そう」
「……」
「もちろん、我々教師も塚本が自殺するなんて絶対に避けたい」
「…はい……そうですよね…」
「できるだけ塚本とお前が顔を合わさないためにも、お前は3組に編入されるのを受け入れるか?」
「………はい…」
「あと、お前の他、塚本の遺書に名前のあった女子は二年生の女子トイレを使わず三年生の女子トイレを使わせてもらえ」
「はい、そうします」
木村は退学を免れそうなので顔が明るくなった。クラス担任は睨んでおく。
「……」
「……。もう絶対、イジメません」
「信じよう。あと、塚本には友人は本当に一人もいないのか? 味方してくれるヤツは」
「しいていえば……層川くんは、たまに味方してました」
「層川かぁ……あいつの性格、読めないからなぁ」
「悪いヤツじゃないですよ。あ、私、今思いついたんですけど、層川くんを生徒会の新しい会計にして、ついでに成績が落ちてる塚本さんのバディにするのは?」
「バディか……」
急に成績の落ちた生徒に対して、相性の良さそうな同じ組の生徒を担当につけて、自習の支援をする制度が学園にはあり、それをバディと呼んでいた。支援される側にとって無料の家庭教師のようなものになるし、支援する側は内申書で高く評価されるという報酬があるので機能しやすい。一学期で大きく成績を落とした茉莉那、葉紀子、加藤には二学期からバディをつけることも検討されていた矢先だったので悪くはない。
「けどなぁ、バディは同性がベストで、異性でくっつけると余計な問題が生じるかもしれないからな」
「今回の場合、その方が精神的フォローにもなって自殺しないと思います」
「お前、それ自分が起こした問題の尻ぬぐいを層川にさせる気だろ」
「問題解決へのアプローチですよ」
「う~ん……層川って学校内の他の異性とは、どうだ? くっつけて嫉妬する女子はいないか?」
「…、はい、いません」
「そうか、ならやってみるか」
方針が決まり木村は生徒指導室から解放された。
「ヤッタ♪ ほぼ無罪放免! スターヒル仮面さまさま」
処分としては2組から3組、そして三年生の女子トイレを使うというだけで済み、自殺一歩手前まで他人を追い込んだことに比べると、かなり軽く済んだ。
「あとは層川がうまくヤってくれるはず。あいつは他校生とは、とりあえずで付き合いだしただけだし、あいつの基準で塚本は可愛いに入るし」
木村は軽い足取りで帰宅した。
三ヶ月後の12月、葉紀子は自室で起床すると穿きたくないけれどオムツを穿いて制服を着る。もう誰もトイレを邪魔しないのに、オムツを穿いていないと不安で落ち着かないようになってしまった。
「……」
日記は自殺を考えて気絶し入院した病院を出た翌日には封書で返ってきた。日記だけが封筒に入っていて、宛名書きは定規で筆跡を誤魔化していた。その日のうちに葉紀子は日記を燃やした。もう日記をつける習慣もやめた。朝食を摂って家を出ると、電車に乗った。
「あ、おはよう。塚本様」
「いつまでも様付け、やめてくれないのね」
元同級生と会話する。
「う~寒くなったねぇ」
「そうね」
「早朝の牛当番はこたえるよ」
地元の友人たちは葉紀子がイジメを受けたことは、結局は知られずに終わった。加藤が自殺したことで、いろいろな憶測と噂が他校に拡がったものの、地域が遠いと正確な情報がどれなのか不明なまま、冗談として葉紀子が影の女王で予算を通すのに邪魔な会計を暗殺したけれど、それは表立って言ってはいけないこと、というのが葉紀子の地元周りの友人たちが覚えている事件の流れだった。
「じゃあ、またね、塚本様」
「ええ」
葉紀子がオムツを穿いて登校していることもバレていない。とくに冬場はコートを着るので安心だった。長く電車に揺られ、ターミナル駅でスクールバスに乗り換える。人の噂も七十五日というのはある程度当たっていると実感するほど、もう何も言われない。一時期は腫れ物に触るように扱われ、そして今は静かに自習ができる。学校に着くと二学期末テストの結果が掲示されていた。
「………47位……」
取り戻せたけれど、取り戻しきれていない。隣に層川が立った。
「おー、オレより一つ上に来たか」
「あなたの学習時間で48位というのは、実に不満よ。私は毎日5時間は自習しているのに」
「よくやるよな、生徒会業務もあるのに」
「まあ、うち4時間は電車内だけどね。そして感謝しているわ。ありがとう」
層川にバディをしてもらった効果は大きかった。教室に向かう途中、廊下で木村や奈々、三井たちと擦れ違った。
「……」
「「「……」」」
お互い、完全に無視して空気として振る舞う。葉紀子は二時限が終わった休み時間に女子トイレへ入った。すぐに個室へ入れる。
ガサッ…
オムツをおろして便器に、おしっこをした。何度か、オムツではなくショーツで登校しようとしたけれど気持ちがザワついて勉強に集中できなかったので、もう諦めている。オムツをあげてスカートを整えた。
「……次……体育ね…」
女子更衣室での着替えは少し憂鬱だった。オムツを見られないように先にジャージを穿いてからスカートを脱ぐし、スカートに戻るときも同じ方法を取る。周りの女子も絶対に葉紀子をからかったりしない。それでも、やっぱり高校生にもなってオムツで生活しているというのは恥ずかしかった。放課後になって生徒会室に葉紀子と層川、茉莉那、そして英雄が集まる。英雄は純子に蹴られた負傷から、全力疾走がしにくくなったのでサッカー部を辞めて帰宅部になり、それから松井と書記を替わって今は生徒会メンバーになっている。茉莉那が会長として言う。
「じゃあ今日は三年生を送る会の準備をしようか」
「そうね」
そう言った二人の女子は男の手がスカートの中に入ってきたので怒る。
「もお、いきなり?」
「少しくらい業務をしないの?」
「やっと期末テストも終わったしさ」
「寒いし暖まろうぜ」
英雄は睾丸が片方になっても男根は元気だった。層川もやる気でいる。そして茉莉那と葉紀子も口では嫌がりつつも待っていた。
「葉紀子、もう濡れてる。ある意味、オムツが役立ってるな」
「バカ」
葉紀子は真っ赤になった。自分でも淫らなほど濡れている自覚がある。層川がバディになってくれて性的関係をもつまで1ヶ月とかからなかったし、日曜日に層川の家で学習して、かなりの金持ちだと知ると自分の現金さが恥ずかしくなるほど濡れた。層川の家は代々続く地域ゼネコンで、四人兄弟の末っ子まで幼稚園から私立学園に入れられる経済力があり、なおかつ鹿狩家のように医師免許を取れなければものの数に入らないということはなく、すでに将来がかたい。今まで葉紀子は男子の家柄を意識しないようにしてきたけれど、やはり幼稚園からずっと私立という内部生たちは家柄がいい。とび職だった父は使い捨てられたけれど、層川家は使い捨てる側、世の中の構造を憎いと思うのと同時に、股間が熱くなるし身体が高鳴り、オムツが必要と言われるほど濡れてしまう。もう、いい大学に入って、いい就職をするという目標がバカらしくさえ感じる。女子が高学歴になったところで、たかが知れているのが社会の構造で頑張ったところで子育てとの両立は難しい。そして、家柄のいい内部生同士は幼馴染みという感覚で、ほとんど恋愛しない。そこに外部生が入ってくると惹かれ合う。家柄がいいと家名や家業の存続という問題がでてきて、いい家柄の子同士だと結婚時に一人っ子だと揉める。外部生は家柄ではなく学力で入ってくるので、そこそこに頭のいい子から選べるし、家名や家業は問題にならない。うまくできた構造で学園に子供を入れたがる親たちは学力面より、こちらが本命なのではないかと勘ぐってしまう。
「あんっ…んっ…」
「あはんっ、はあん!」
すでに生徒会室がラブホ代わりになって久しい。それぞれに満足してから制服を整え、性交後のコーヒーを飲む。しばらくは、まじめに生徒会の業務を進めた。
タンタンタタンタン♪
層川のスマートフォンが鳴った。メッセージの着信を知らせる音で、そのメロディが誰からなのか、葉紀子だけでなく茉莉那と英雄も知っている。層川はメッセージを読まずに言う。
「まあ、今すぐ返事しなくてもいいだろう。生徒会業務中だし」
「………あの子からでしょ。……返事してあげたら?」
「「…………」」
茉莉那と英雄はフタマタをかけられている女と、フタマタをかけている男がどうなっていくのか、とても気になる。そして沈黙が重いので茉莉那が黙っていられなくなる。
「層川くん、そろそろハッキリしてあげたら?」
英雄も続いて言う。
「オレも、そう思うぞ。層川」
「「………」」
層川と葉紀子はそれぞれに書類をめくった。
「層川、そのうち蹴り潰されるぞ。わりとマジで」
「お前が言うと、実にマジだな」
「冗談で済むうちに、決めてしまえ」
「鹿狩くん、いいの、やめて」
「塚本さん……けど…」
「もともと、私が悪いの。私はただのバディだったのに……つい層川くんを頼って……だから、わかってる……フフ、層川くんが以前に言ったとおり、私はいつも2番の女………」
「「「…………」」」
「だから、いいの……わかってる……そもそも、こんなオムツを着けてる女なんて、お嫁にいけるはずないもの……今だけ幸せだから、いいの……」
そう言う葉紀子の頬を涙が一筋流れ、すぐに指で拭いている。女の涙は男に効いた。
「もう、あいつとは別れるよ」
層川は迷っていたメールを送った。すでに別れるための文章は書いていたけれど、その送信を迷っていた。それが今、決断され、送信された。
「層川くん、えらい!」
「塚本さん、おめでとう!」
茉莉那と英雄は単純に祝うけれど、すぐに層川のスマートフォンが電話の着信で鳴った。無視しても何度もかかってきそうなので層川は受話する。あえて廊下に出たりせず、三人の前で会話を始めた。
「もしもし」
「あんなメール一つで別れるなんてひどいよ!」
「ごめん」
「なんで?! どうして?!」
「メールにあった通り。他に好きな人ができたから」
「私とは遊びだったの?!」
「そう言われると結果的にも、当初の始まり方からしても、そうなる。ごめん」
「「「………」」」
もう少し言い繕おうよ、と茉莉那たちは思った。
「私のヴァージンあげたのに!」
「オレも童貞だったから」
「「「………」」」
その返答もどうかと………、と英雄たちは微妙な顔になる。
「バカにしてる!」
「いや、そういうことはないよ」
「なんで私じゃダメなの?! 私と別れるの?!」
「もう一人の方が、より可愛いと感じるし、同じ学校だと会いやすいし、フタマタは続けられないから」
「「「………」」」
そうだとしても、もう少し言い方が………、と葉紀子たちは電話の相手が少し可哀想になる。
「私は本気だったのに!」
「オレも夏くらいまでは本気だったよ」
「そういうの本気って言わない!! すっごいバカにしてる! バカ!」
「えっと………バカにしてるのは、そっちなんじゃ?」
「うーっ!! もう嫌い!! 大嫌い!! どうせ、あのオムツ着けてる女なんでしょ?! ウンチ食べた変態の!! 死んじゃえ!! 二人とも死んじゃえ!! バカ!!」
一方的に電話は切られた。層川は考え込む。
「……………」
「「「…………」」」
「まあ、考えても仕方ないか。オレが悪いし。……でも、フタマタかけ始めた、どの時点で、別れるのがベストで、悪くなくなるのだろう……」
茉莉那が答える。
「どの時点でも、相手にとっては悪いことだよ」
「……そうだな」
「せめて塚本さんとは、ちゃんと付き合ってあげてね。もうフタマタは無しだよ」
「わかった、そうする」
層川は神妙に頷いた。そこに葉紀子がキスをする。
「はふっ……ハァ…やっと、私、1番になれたのね」
「ああ、よかったな」
「うん…はふっ」
食いつくような情熱的なキスで見ていた茉莉那と英雄も盛り上がってしまい、再び四人でそれぞれに愛し合う。葉紀子がオムツをさげながら言う。
「ハァ…また、私のここ、おもらしみたいになってるの。ハァ…おチンチンで栓をして」
「了解」
そう言った層川がコンドームのパッケージを開けるのを葉紀子は残念そうに見る。かなり恥ずかしいセリフを頑張って言い男を誘ってみたのに、層川は最後の一線は越えない。
「………」
中出しでもいいのに……今まで一回も生で挿入されてないのは2号だからと思ったのに……ちゃんと恋人にしてくれても装着するんだ……この人……バカっぽく見えて、しっかりしてる……ますます好きになりそう……でも、その分、女を捨てるときは、さっきみたいにアッサリしてそう……気をつけないと、と葉紀子は抱かれながら想った。性行為が終わって、またしばらく生徒会の業務をしていると葉紀子が茉莉那に問う。
「どうしても、はっきりしておきたいことがあるの。永戸さん、思い出したくないかもしれないけど、少しだけいいかしら?」
「え、うん、いいよ。なんのこと?」
「球技大会の日のこと」
「あ~……あの……」
「葉紀子、今さら蒸し返さなくても」
「もう茉莉那と決着がついたことだろ?」
「お願い。質問させて」
「「………」」
「いいよ、どうぞ」
「あの日、永戸さんがおもらししたのは一回だけ? 壇上で漏らした後、あなたは保健センターに行ってしまったけれど、その後も何度もトイレに行った?」
「え…………っと……………」
もう半年前のことなので茉莉那は記憶を引き出してみる。
「たしか……泣いて……保健室に連れて行ってもらって………純子ちゃんに会って………着替えて………みんなが帰った後に帰って………家で泣いて……夜中に親子丼を食べて……お風呂だったかな……」
「その間、やたら何度もトイレに行った? おしっこが何度も何度も出た?」
「ううん、おもらしの一回だけ」
「そう………」
「それがなんなの?」
「………。私は誓って、あなたに利尿剤なんて飲ませてないわ。でも、もしも私以外の誰かが、あなたに利尿剤を飲ませたなら、その犯人はそのまま、ということになるから。気になっていたの。でも、たぶん、あなたは利尿剤を飲まされていない」
「………それって………じゃあ、私は、なにもないのに、おもらししたってこと? 高校生なのに」
「…………言いにくいけど……でも、あなたのおもらしは私の責任です。あのとき挨拶を替わってあげれば、そのあとのことは起こらなかったから」
「え~………私、そんなマヌケな子なの……」
「永戸は、そういう感じあるよな」
「むぅ!」
「永戸さん、気を悪くしないで。私は真相を確かめたいの。もし、利尿剤を飲まされたなら、身体にとって必要な水分まで出ていくから、やたら喉が渇くし、おもらしが嫌だからと飲まずにいると、痙攣や不整脈が起こるの。でも、あなたは副作用のことを知らなかったわ。あれは…たしか…実力テストのとき…ぅぅ…」
葉紀子は9月1日のことを思い出そうとすると吐き気を覚え、顔が青ざめる。
「葉紀子、あんまりあのことは思い出さない方が…」
「…ハァ………大丈夫。やっと真相はわかった。永戸さんのおもらしは頑張りすぎたことと、私の非協力さが原因で利尿剤ではなかった。そうなると事件の構造は簡単。意地の悪い私をみんなで懲らしめよう、そういう風に動き出して利尿剤を私が持ち歩いていたように見せかけた」
「「「………」」」
「全部、私が悪かったことに変わりはないけど、最初に利尿剤を盛ったエックスはいなかった。いるのはスターヒル仮面だけ。それがわかって、よかったわ」
葉紀子は力なく微笑んで得心した。
一年二ヶ月後、どうしても木村には復讐したいという葉紀子の願いに層川は応えていた。よく考えた計画を実行するため、層川は昨晩カラオケを歌いまくってダミ声になった状態で葉紀子の自宅から星丘学園高等部事務局へ朝から電話をかける。
「はい、星丘高校、事務局です」
「おう! ワシはなぁ! 塚本葉紀子の父親じゃ!! 再婚した義理の父親じゃがな!! 義理でも娘は愛しておったんじゃ!!」
「は……はあ…、……ツカモトハキコさんは、何年生の? 何組で?」
「お前ら生徒のことも覚えとらんのか!! 3年2組じゃ、ボケ!!」
「3年2組の……あ、はい、たしかに」
事務員は圧倒されつつも名簿などを見て確認しているようだった。
「それで、義理のお父さんが、どういったご用件で?」
「用件もクソもあるか! 夕べ葉紀子は首を吊って死んだんじゃ! お前らのせいやからな!!」
「っ…そ、…それは……な、なんと……言いますか、その……く、クラス担任と替わります」
事務員は逃げるように電話をクラス担任につなぐ。層川は3年生でのクラス担任とは一年しか関わりがないけれど、自分だということがバレないように演技へ気合いを入れ、ダミ声で怒鳴り続けて、葉紀子が首吊り自殺したこと、遺書に木村の名前があったこと、明日の昼に校長とクラス担任、木村本人と保護者が集められるだけの現金をもって謝罪にくるよう求めた。
「ふーっ……喉が痛い…」
「お疲れ様」
葉紀子はお茶を淹れる。母はコンビニで働いていて今は居ないし、覇王は小学校、二人は志望校だった名古屋の大学に合格している。層川は家業が求める建築科に行くし、葉紀子はもともと、いい大学に入って、いい就職をして、いい結婚をするという方向性のない志望だったので層川と同じ大学、同じ学科を受けて合格した。一年交際して気づいたことに、この男はガンダム以外に執着するものが少ない。きっと、大学生になって近くに可愛い女子がいて言い寄ってくれば、そっちに流れる気がする。それを防ぐために同じ大学に行き、新生活のスタートから同棲予定だった。そして自分の幸せを確保しつつ、木村にだけは復讐したかった。明日は木村が第一志望にしている大学の受験日で、幼小中高からの学習の集大成を出す日に復讐するつもりだった。
「あとは木村へ電話するだけだな」
「電話2本で最大限の効果が出せそう」
一応は昨夜自殺して死んだことになっているので葉紀子は髪をまとめてポニーテールにする。斜めに切られた後ろ髪の一部は、いまだに生えそろっていない。この髪先に触れるたびに復讐の爪を研いできた。コンタクトレンズを入れて私服になると、もう同級生でもわからない別人になった。層川も軽い変装をして二人で街へ出て、事前に調べておいた公衆電話ではなく、いまだに一般の固定電話を客に現金払いで貸してくれる個人経営の古い喫茶店に入り、ゆっくり食事をして他の客が少ない時間帯に電話を貸してもらい、木村のスマートフォンへかける。
「もしもし……どなたですか?」
木村は東京へ向かう新幹線から電話に出ている。明日が受験日なので上京中だった。そして声が暗い。すでに星丘高校の教師から葉紀子が自殺したことは聴いているはずで、よりによって受験日である明日に保護者と謝罪に来いという知らせを受け取り、とても迷っているはずだった。そこへ市外局番が表示される電話着信があり、無視せず受話しているのは重要な連絡だったら困るという心理で、新幹線のデッキらしい雑音も聞こえる。再び層川はダミ声で演技する。今回は人生でもっとも付き合いが長い幼稚園からの幼馴染みが相手なので、より慎重に声をつくった。
「石川県警、青少年課刑事係の後藤です。木村さんにお話があります」
「…県警……け…け、け、県警がわ、わたし、私に、なんの話が?」
木村の声は動揺のあまり裏返っている。
「塚本葉紀子さんが自死されたのは、ご存じですね」
「っ、そ、そ…そ…そうか…かも、し、しれない、で、ですね」
死んでもいいや、という気持ちでイジメたけれど、いざ本当に死なれて警察から連絡を受けたと思い込む木村は電話の向こうで失禁しそうなほど怯えている。
「彼女の遺書に、木村さんの名前がありましてね。ひどいイジメを繰り返し受けた、と。その点につきまして、お話を伺いたいので警察署の方まで来ていただけますか?」
「そ…そそ、…そ、そんなこと…言われても私、明日、じゅ、受験で! だ、だいたい、あのイジメは、もう一年も前の話で! あれ以来、私は何もしてないです!」
「一年では時効にならないんですよ。彼女はずっと悩んでいたようで昨夜、首を吊りました。木村さんが自主的に警察署へ来ていただけない場合、手配して逮捕になります。あと、来ていただくときは、歯ブラシと寝間着、下着の着替えも3組ほど持参してください。警察署に何泊かしていただくと思いますから」
「っ…、そ、そ、それって結局、逮捕なんじゃ…」
「そうなるかもしれません。なるべく正直に話してください」
「…………。わ、私、あ、明日は受験なの! ムリ! ムリです!」
「人一人死なせておいて受験もなにもないでしょう。どのみち合格しても長い裁判と処分で通学できませんよ。明日の17時までに出頭いただけないときは逃亡とみなして手配します。その場合、処分も重くなる傾向にありますから、あなた、いい学校の高校生なのですから、そのへんの不良よりはわかりますよね。では」
層川は電話を終えると、親指を立てた。
「これで、あいつは東京で受験するか、今すぐUターンするか、迷いに迷うだろう。たとえ受験を選んでも実力は発揮できない。受験してから17時までに戻るのも不可能だから、もう詰んだと思い込む」
「フフ…フフフ! あはははっは!」
葉紀子は爽快に嗤った。この嘘は長くて二日もすればバレる。けれど、木村に絶大な被害を与えられる。そして葉紀子の自宅から固定電話で学校へ連絡したのも信憑性をもたせるためと、たとえバレてもスターヒル仮面と名乗る何者かが葉紀子の家に侵入して電話をかけたことにするつもりだった。存在しない再婚での義父にしたのも、葉紀子の死を金に換えようとする汚い男の方が学校と木村家を混乱させられるからで、層川が思いついている。
「うまくいったな」
「ええ」
「でも、木村だけで本当にいいのか? 復讐するの」
「いいのよ、それで。吉田さんと三井さんは一応は義憤、永戸さんへの私の態度を怒ったのが出発点だもの、でも木村は内部生が上って威張りたいのが動機、だから許せなかったの」
「なるほどな。まあ、吉田と三井も彼氏はできなかったなぁ」
「あなたがイジメ三連星なんてアダ名をつけてくれたおかげよ」
「葉紀子の呪いもあったな」
「そうね、私が遺書にかいて生徒指導室に呼ばれた女子は、結局、在学中ずっと彼氏はできなかった。それを葉紀子の呪いとか呼ばれるのは、私は死んでないのに、って思ったけど、今回の作戦のヒントにもなったし。どうして、女子のイジメが影で陰湿にやるか知ってる?」
「……、男みたいに腕力でやるわけじゃないから?」
「違うわ。あんまり表立って女子をイジメてる女子を、彼女にしたい?」
「ああ……なるほど」
「表沙汰になったら、あんまり嫁にしたいと思わないでしょ」
「たしかにな」
そういう話をしながら葉紀子と層川は新幹線に乗って東京へ向かう。千葉県にある大きな遊園地で遊ぶという葉紀子の念願のためでもあり、自殺偽装中なので地元にいない方がいいという事情もあった。新幹線の車窓を眺めていると、反対車線の車両と擦れ違った。
ビュッ!!
「……」
相対速度で500キロを超えるので木村が戻ってくるのに乗っていたとしても見えないはずなのに、見えたような気がして嬉しかった。
「フフ……東中の女帝を舐めるからよ」
結局はそのアダ名が気に入っていた。
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