おもらしの想い出

吉野のりこ

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塚本葉紀子の大失禁2

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 葉紀子はショーツの中に失禁していく。 
「…ぁぁッ…」 
「「「………」」」 
 あ~あ、出ちゃった、知~らない、と木村たちは微笑し、葉紀子は失禁を続ける。 
 ブブ! ムリ…ブリ…プリプリ… 
 どんどんお尻が膨らみ、そしてショーツから大便が溢れる。 
 ボタ…ボタ… 
 ショーツの横から葉紀子の大便が溢れ、女子トイレの床に落ちる。一部は葉紀子の腿を転がるように落ち、腿に茶色い筋を残している。おしっこおもらしとは違う生温かさを葉紀子は肛門から股間にかけて感じている。ショーツの横からはみ出していく動きを肌で感じてしまう。 
 ブリ! …ブリ………ブブ…… 
 お尻の割れ目いっぱいに生温かい大便を挟んでいる感触がする。おしっこおもらしと違い、流れ落ちてくれない。ずっと、お尻の割れ目にあり続ける。 
「………」 
「「「……」」」 
 こいつもさすがに泣くかな、と木村たちは葉紀子の反応を楽しみにしつつ臭さに耐える。葉紀子がお尻を押さえていた両手をダラリと垂らした。 
「………」 
 葉紀子の表情は顔からも力が抜けたような無表情で、まるで電源の切れたアンドロイドが立ったまま停止したような動きのない絶望があった。 
「………」 
 何も考えたくないので何も考えていない、ただ腸だけは下剤のせいで蠕動運動を繰り返し、漏らし続ける。 
 プリ…ビビ…ブブ…プ…プー…ボタ… 
 ショーツの中にある大便の重みで、ショーツがさがっている。 
 足元には小さな山。 
 ピー…ブリブリ… 
 まだ出てくる。自然な排泄ではなく下剤で強制排泄させられているので、最初は固形だった大便がどんどん柔らかく水っぽい軟便になり、匂いもきつくなる。 
「………」 
 葉紀子は立ったまま、何も言わないし、泣かない。目は開いていても何も見ていない。木村たちも、からかう気にならず、とりあえず眺めている。 
「………」 
「「「………」」」 
 どうしようかな、と木村たちが思っていると男性教師の声が女子トイレの外から響いてきた。 
「おい! いつまでトイレへ入ってる?! 帰路とはいえ、他のバスから遅れすぎるのは問題だ! まだ腹が痛いのか?!」 
「えっと……はーい! もうすぐ!」 
 とりあえずの返事を木村がした。三井が問う。 
「どうしよ? このウンコ垂れ」 
「………」 
 葉紀子は何も反応しない。本当に電源の切れたアンドロイドにさえ見えるほど、動かない。脳が今の現実を現実として認識して処理したくない、と拒否しているようにも見えた。木村が葉紀子のスカートをめくってみる。 
「うわぁ…汚い…」 
 スカートの上からでは膨らみと染みがあるくらいだったけれど、ショーツを直接に見ると、とても汚かった。水色のショーツが茶色く汚れ、大きく膨らんで大便を貯めて垂れ下がっている。ショーツの横からはみ出した大便は股間と内腿の肌に貼りついている。お尻だけでなく股間の前方、女性器のあたりまで大便が侵入して膨らみ、その横からもはみ出していた。 
「………」 
「何とか言いなよ? ウンコ垂れた感想は?」 
 木村はスカートをめくったまま葉紀子に問いかけた。 
「………」 
「もしもーし、聞こえてる? ウンコ垂れ葉紀子ちゃん」 
「………私じゃない…」 
「あんただよ、ウンコ垂らしたの」 
「……………私は利尿剤なんか飲ませてない……そんなことしてない…」 
「ああ、そっち。それも、あんただよ」 
「………違う…………違う……全部…違……う……私じゃない……私じゃないから……こんなの私じゃない……私じゃないの…」 
「認めたくないものだな、若さゆえの過ちとは」 
「「プッ! それ層川じゃん!」」 
 奈々と三井が嗤っていると男性教師が外で怒り出した。 
「おい!! いい加減にしろ!! 集団行動だぞ!!」 
「「あ、はーい! すみませーん!」」 
「……私じゃない……」 
 葉紀子は立ちつくしたまま動かない。奈々が木村に問う。 
「どうする? 先生、キレ気味だよ」 
「あいつは沸点低いから。まあでも、こいつ自白を否認してるし、とりあえず晒そう」 
 木村が葉紀子の手首を掴み、引いた。葉紀子は抵抗せず引かれるまま女子トイレを出る。外には2組のクラス担任も待っていた。男性教師たちは怒鳴ろうとしたけれど、葉紀子の汚れた下半身を見て黙る。 
「……。塚本は間に合わなかったのか……」 
「はい、私たちはもう平気ですけど、塚本さんだけ漏らしました」 
 木村が平然と答える。 
「そうか………もう少し、休憩するか?」 
「いえ、これ以上遅れるより、バスの中でなんとかします。どのみち、もう漏らしたし。あと、先生、これを聴いてください」 
 そう言って木村は録音した葉紀子の自白を再生する。 
「私が悪かったのッ! 全部、私が悪い!」「そう、なにをしたの?」「永戸さんに利尿剤を飲ませましたっ…ぅうぅ…挨拶を交替せず、おもらしさせて、放送で意地悪なことを言って会長を辞めさせようと…うぐっ…ハァハァ…なのに立ち直ったから、また利尿剤を飲ませようとして持ち歩いて…ううっ…他にも叩いたりしました。ごめんなさい、ごめんなさい! うぅ…本当に私が悪かったです。永戸さんに謝ります。だ、だか」 
 そこまでで木村は再生を停止したけれど、クラス担任も声の雰囲気で葉紀子が自白を迫られてトイレに行かせてもらえなかったのは感じた。 
「先生、やっぱり塚本さんは利尿剤を永戸さんに飲ませていました。学校として処分はありますか?」 
「……う~ん………いや、まあ……」 
「……私じゃない……」 
「とりあえずだ。塚本も永戸に謝ると言ってるし、まずは生徒の中で解決しろ。おおごとにすると木村だって当事者としてややこしいぞ」 
「わかりました。生徒の中で解決します」 
 教師に介入させたくない木村はうまく言質を取った。そのまま葉紀子をバスの中に引き込む。限られた空間に葉紀子の大便が放つ匂いが拡がり、全員が葉紀子の大失禁を知る。からかいの声はあがらず、みんな臭くて黙った。バスの運転手が座席を汚さないでほしいと教師に頼み、教師が木村に伝えると、奈々と三井が2号車から乗り込んできた。 
「先生、私たち汚れ防止シートとか持ってるんで、こっちに乗ります」 
「わかった。向こうの先生に言ったか?」 
「はい」 
 バスは満席というわけではないので多少の余裕があり奈々と三井が乗り込んでも定員におさまる。奈々は持ってきたペット用の糞尿シートをバスの中央あたりの通路に敷いた。 
「とりあえず、塚本さん、ここに座って」 
「………」 
「早く座って。バスが出発できないから」 
「………」 
 のろのろと葉紀子は敷かれたシートに体育座りする。座るとショーツの中の大便が肌に押しつけられて、とても気持ち悪い。その気持ち悪ささえ感じていないような顔で葉紀子は黙っている。バスが動き出し、しばらくして加藤が吐いた。 
「うおえ! ハァ…うえ、うえええ!」 
 加藤はビニール袋へ昼食だった吐瀉物を吐いている。もともと酔いやすい体質だったのに葉紀子の大便の匂いがこもる車内にいて一気に気持ち悪くなっていた。続けて女子も二人が吐く。 
「「うええ!」」 
 うち一人は安田だった。木村が大きな声で言う。 
「ちょっと窓を3センチくらい開けよう! 私も吐きそう! 誰かさんのウンコ臭すぎ!」 
 車窓が開放されると空気が抜け、多少はマシになった。三井が言う。 
「匂いの元をなんとかしないと。とりあえず塚本さん、スカートとパンツを脱ぎなよ。男子ぃ♪ こっちを見ないであげてね。まあ、見たいなら見るのもアリだけど、幻滅するよ」 
 男子もいる車内で三井たちは葉紀子を脱がせた。生徒たちからポケットティッシュを集め、葉紀子の前に積む。 
「ほら、自分のケツくらい自分で拭きな」 
「………」 
 いつまでも汚れたお尻でいたくないという程度の気持ちはあり、葉紀子は黙ってお尻を拭く。便器に排泄できたときと違い、股間全体に大便が貼りついているので拭くのは大変だったし、手も汚れた。 
 ゴロゴロ… 
 また腹痛がする。三井がペット用のシートを新しく拡げた。 
「また出るなら、ここにすれば? いちいちバスを、あんた一人のために停められないし」 
「………」 
 葉紀子は新しいシートの上に、しゃがむ。靴と靴下も汚れたので脱いでいて、下半身は完全な裸だった。上半身を包む県内トップ高の制服が今は痛々しい。そんな姿で男子たちもいるのに、犬猫向けのシートに排泄するしかなかった。 
 ゴロゴロ…ギュルグウゥ…ブリ! ブブ! ビチャ! 
 汚い音と臭い匂いが車内に拡がる。利尿剤による排泄がしつこかったように下剤による排便も何度も腹痛が繰り返され、葉紀子は無表情、無言で与えられたシートに出していたけれど、そのうちにおしっこも出てしまう。 
 ビュゥゥゥ… 
 葉紀子のおしっこが前へ飛ぶ。バス通路の前後高低差と、先行しているバスに追いつくためスピードをあげて追い越し車線を走っていたところ、無理な割り込みをしてきたトラックのためにブレーキを踏んだタイミングに重なり、葉紀子のおしっこは慣性の法則により大きく前に飛ぶ。もともと前に飛ぶタイプだったこともあり、3メートルも飛んで層川と英雄が座っているあたりまで届いた。 
 ピチャピチャ… 
 英雄は茉莉那と眠っていて気づかなかったけれど、層川は床と衝突してから飛び散った葉紀子のおしっこに気づいた。 
「うわっ?! おい、ここまで飛ばすなよ。靴が汚れただろ」 
「………」 
 ぼんやりと葉紀子は前を見て、振り返っている層川と目が合った。 
「………」 
「…」 
 層川は振り返ったために、もろに葉紀子の排泄シーンを見てしまい、すぐに目をそらした。葉紀子はズキズキとした痛みを胸に感じる。 
「…ヒッ……ヒッ……ヒッ……」 
 変な笑い声みたいな嗚咽が喉を登ってきた。 
「……ヒッ……ヒーッ……ヒーッんゥー! ヒーーッんゥゥう!」 
 今までクラスメートの前で泣かなかった葉紀子が泣き出した。 
 悲しかった。 
 絶望した。 
「ヒーーーッんゥゥーう!」 
 昨日は助けてくれた層川に心のどこかで期待していたのに。 
 唯一の希望だったのに。 
 もう誰も味方してくれないと感じて葉紀子は大声で泣いた。 
 もう心が崩れた。 
「ヒーーーッんゥゥーう!」 
 木村が首を傾げる。 
「ヒーン、って? これ、泣いてるの? これが泣き声? プッ、クスっ! きゃははは! 馬みたい」 
 木村が嗤い、奈々と三井も嗤うし、つられて多くの女子が嗤った。 
「ヒーーーッんゥゥーう!」 
 嗤われても泣き止めない。そして排泄も続く。 
 ブブ! プリプリ! 
 さらに木村が大笑いする。 
「ぎゃはははは! ヒーンプリプリだって! 壊れた楽器みたい!」 
 どんなに嗤われても、もう葉紀子は心が砕けてしまって涙を止められないし、肛門は恥ずかしい音を垂らし続ける。女子としての気持ちも、人間としての尊厳も、とことんまで踏みにじられて泣くことしかできなかった。 
「………ヒッ………ひっく……」 
 バスが当初の予定だったサービスエリアに着いても降りる気力もない。他の生徒たちは休憩に降りていき、三井は勝手に葉紀子のカバンからハーフパンツを出してきた。 
「さすがに、いつまでも下半身スッポンポンはまずいし、男子が目のやり場に困ってるから着なよ。これにウンコ垂れたら、もう着る物ないからね」 
「……ヒッ……うくっ……」 
 投げ渡された自分のハーフパンツを穿いて葉紀子は床に体育座りする。すぐにクラスメートたちが戻ってきて再出発になる。バスが走り出して10分、また葉紀子は腹痛を覚えた。 
 ゴロゴロ…ギュルル… 
 お腹が痛い。また漏らしそうだった。 
「ううっ……」 
「はいはい、ウンチ漏らしそう? さっさと脱いで、これにして」 
「………」 
 まるで犬猫扱いでシートを拡げられ、葉紀子は脱ぎたくないけれど脱ぎ、しゃがんだ。 
 ブビ! ビビビ! 
 もう量は出ない。けれど、腹痛は強い。お腹が痛いのと恥ずかしいので、また泣けてきた。 
「……ヒッ……ヒッ……ヒーーーッんゥゥーーう!」 
「きゃはは♪ また吠えてるよ」 
「こいつの泣き方、独特だね」 
「面白い! 超笑える!」 
 嗤われても腹痛が治まってくれないのでハーフパンツを穿けない。葉紀子はバスに乗っている間の半分は下半身裸で過ごした。それなのに結局はハーフパンツにも茶色い染みをお尻につくってしまい、その姿で学園前に降り立った。 
「……ヒッ………ヒッ……」 
 ずっと泣き続けている。茉莉那が寝惚け眼で三井に問う。 
「なんかバスの中、すごく臭くなかった?」 
「茉莉那ちゃん、今さら? あんた、ずっと寝てたもんね。夕べ徹夜で鹿狩くんと何してたのやら」 
「えへへ♪ 英雄くんがいい場所を知ってたから。それ以上はナイショ」 
 英雄も兄たちから宿泊施設や周辺環境について聴いていたので夜中に茉莉那と出かけ、そのまま徹夜になったのでバス内では熟睡していた。おかげで葉紀子の状態は知らない。茉莉那は泣いている葉紀子を見て意外そうに三井に訊く。 
「塚本さん、どうして泣いてるの?」 
「あいつはお腹壊して、ウンチ漏らしたから」 
「……ふーん……ふぁぁ…」 
 アクビした茉莉那は徹夜の眠さで深く考えない。葉紀子は泣き続ける。 
「…ヒッ……ヒッ…」 
 ブブ… 
 ときどき小さく漏らしてもいる。他の生徒たちは解散となって帰宅し、木村たちは葉紀子を駅まで送るとクラス担任に申し出たけれど、明らかに途中でイジメそうなので葉紀子一人を残して、他の生徒は帰宅になった。 
「…ヒッ……ヒッ……」 
「塚本、親に迎えに来てもらえるか?」 
「……ヒッ……ヒッ……」 
 泣きながら葉紀子は首を横に振り、母親の原付しか家に交通手段が無いことを言った。 
「そうか。………仕方ない。送ってやるから、オレの車に乗れ」 
 クラス担任は助手席に大きなゴミ袋と新聞紙を敷いてから葉紀子を乗せた。電車で葉紀子を帰宅させると、十代女子が大便を同級生たちの前で失禁したショックで突発的に線路に飛び込むかもしれない、そうなると教師の責任が問われそうで嫌だったので、お尻の汚れた生徒を愛車に乗せる嫌さ加減を我慢する。クラス担任は葉紀子の住所をナビに入れてタメ息をつく。 
「遠いなぁ……」 
 ぼやきながらクラス担任は車を走らせ、臭いので黙って窓を5センチほど開けた。葉紀子が啜り泣く声と漏らす音を聴きながら一時間ほど運転したクラス担任は穏やかな声をつくって言ってみる。 
「あんまり、つらいなら転校するのも手だぞ」 
「………」 
「ちょうど学期の節目だし、塚本の成績なら、もっと家の近所でそれなりの高校に行けるだろう」 
「………」 
「大学を卒業してしまえば、どこの高校を卒業したかなんて、まったく問題じゃなくなる」 
「………」 
「けっこうあるぞ。人間関係に疲れて転校するパターン」 
「………」 
「別に恥ずかしいことじゃない。それに今なら星丘の2組からの転校だ。トップ高に入って、ついていけなくて転校というパターンじゃない。まあ……なんだ……修学旅行でお腹を壊してしまい、もう恥ずかしくて学校に行けない、というのは周りも理解する」 
「………。……お腹を壊したんじゃないです………なにか薬を飲まされたんです…」 
「う~ん………もともと、塚本が利尿剤を永戸へ飲ませたのが始まりだろ?」 
「違います………そんなことしてない……」 
「木村が録音していたじゃないか」 
「……言わされただけです…」 
「あまり、その部分にこだわらない方がいいぞ。どっちも犯罪だ」 
「………私は何もしてない……ヒッ……」 
 泣きそうになって葉紀子は嗚咽を飲み込んだ。なのにクラス担任は冷たい。 
「薬の件がなくても、塚本は昼休みの放送で永戸をバカにした風に言ったろ」 
「………」 
「あれは職員室でも評判が悪かったぞ」 
「…………反省してます…」 
「その反省が見えなかったから木村たちも怒ったんじゃないのか」 
「…………」 
「とにかく、おもらしの件は、あんまり騒ぐな。どっちも恥ずかしいだろ? 忘れてしまえ」 
「………」 
「にしても、お前の家、遠いなぁ。まだ30キロもあるのか」 
「……すみません…」 
「はぁぁ……本気で転校を考えるのも、お前のためかもなぁ」 
「………」 
 ………厄介払い………この人も面倒なことが嫌なだけ………私も副会長の業務が面倒で……、と葉紀子は疲れた頭で思い、もうクラス担任が言うことを聞き流した。外が暗くなり、家に着いた。 
「あ、しまった。塚本、両親に連絡したか?」 
「……してませんが、電車でも、このくらいの時間ですから心配はされてないかと……あと、両親はいません。母だけです」 
「ああ、そうだったな、すまん、すまん。まあ事情は見ればわかるか」 
「………」 
「家の前に車を横付けして問題ないか?」 
「…はい…」 
 クラス担任が車を駐車し、葉紀子と降りる。クラス担任はチャイムを鳴らし出てきた母親と話を始めた。 
「ちょっと娘さんが合宿中、お腹を壊したので、送ってきました」 
「まあ、それは、お手数をかけて、すみません! 遠いところを、すみません!」 
「いえいえ、これも仕事ですから。では、自分はこれで。塚本、元気を出せよ」 
「………」 
 葉紀子は俯いたまま家に入る。母親は上半身が制服、下半身が汚れたハーフパンツという娘の姿を見て、お腹を壊してどうなったか想像した。気の強い娘が泣き腫らした目をしているので、答えは聞くまでもない。きっと大勢の同級生に見られて恥ずかしかったのだと想った。 
「葉紀子、お風呂に入ってらっしゃい」 
「………」 
 返事する気力もなく、葉紀子はシャワーを浴びた。脱衣所では母親が汚した衣類を洗い始めてくれている。 
「………」 
 葉紀子は洗い場に座り込んだ。そのまま無気力にシャワーを浴び続けていると、母親が入ってきて背中とお尻を洗ってくれる。 
「そんな気にせんとき」 
「………」 
「お腹を壊したんじゃしょーがないよね」 
「………」 
「葉紀子は強い子やし、頑張れるよ」 
「………」 
「ちょうど夏休みで、みんな9月には忘れよるし」 
「………」 
「明日は休んだらええ。どうせ、自由登校で出席日数には関係ないんよね」 
「………」 
「お夕飯、葉紀子が好きなナポリタンよ」 
「………食欲ないから………もう寝るわ…」 
 洗ってもらった葉紀子はバスタオルに包まれると、自室にあがってベッドに潜り込んだ。 
「………ヒッ…………ヒッ………」 
 声をあげて泣くと母親に心配をかけるし、弟に気づかれるので声を殺して泣いた。 
  
  
  
 翌朝、泣き疲れて早めに眠ったことと、スマートフォンの目覚まし機能が毎朝の音楽を鳴らしてくれたことで葉紀子は、いつも通りに起きた。 
「………」 
 ほぼ習慣で制服を着る。うんちおもらしで汚したスカートは、まだ漂白中だったけれど2枚あるので無事な方を着た。 
「………」 
 一階に降りると朝食があった。母はコンビニへパートに出ていていない。朝食の横に弁当箱もあって、メモ書きで家で昼食にしてもいいし、行けるなら学校で食べて、とあった。母親からの優しさと期待を感じる。 
「………。覇王、私の分の朝ご飯、食べておいて」 
「姉ちゃん、喰わないの?」 
「ええ」 
 小学生の弟は姉が高校生なのに、うんちおもらしをしたことに気づいていない。母親のありがたさを感じつつ、葉紀子は弁当をもって家を出る。いつも通りの電車に乗った。かなり不安だったけれど、もう腹痛はない。夕食と朝食を口にしていないおかげかもしれない。長い乗車時間を経て、ターミナル駅に着いた。駅前でスクールバスの列に並ぶ。 
「…クスっ、来てるよ、あの人…」 
「…ウンチ漏らしの? プフ…」 
「…1号車は悲惨だったらしいね…」 
「…バイオテロだな…」 
「…よく学校、来れるね…」 
「…不感症かもな…」 
 囁き声が聞こえる。同級生が他のクラスの生徒に言い、先輩に広め、後輩に話し、高校だけで済まず中学生にも話が拡がっていく。葉紀子は耳を塞ぎたかったけれど、聞こえないフリをして立つ。我慢しているうちにスクールバスが来た。 
 プシュー… 
 バスの扉が開き、生徒たちが乗っていく。 
「………」 
 けれど、葉紀子は足が動かなかった。これから学校に行けば、もっと色々と言われる。また罠にハメられるかもしれない。まるでイジメられるために学校へ行くようなもので、どうにも足が動かない。そのうちに背後から押された。 
「乗らないなら、どけよ」 
 グッ… 
 背後に並んでいた加藤はごく軽く肘で葉紀子を押した。 
「ぅ…」 
 よろけて葉紀子は腰から崩れて倒れ込む。それを見て加藤は焦った。 
「な、なんだよ。ちょっと押しただけだろ。大袈裟に転ぶなよ! 同情してほしいのか。ウンコ女、お前のせいでオレまで層川にゲロ郎とか言われたんだぞ。言っておくけど、オレはお前をイジメるのになんか加わってないからな。たまたま今、ちょっと押したのは、お前がモタモタしてるからだろ。大袈裟なんだよ。被害者になりたいのか。お前、もともと加害者だろ。けど、オレは関係ないからな、遺書にオレの名前なんか書くなよ。お前をイジメてるのは木村とか女子がメインだからな。ウンコ女って言ったのも、ウンコ漏らしたからで、みんな言ってるし。オレだけじゃないからな。オレは関係ないからな。逆恨みすんなよ」 
 かなりの早口で言いながら加藤はバスに乗っていく。葉紀子は夕食と朝食を抜いた上、昨日の昼食以前の食物は身体から抜けきっていて、まったく足腰に力が入らない。精神的にも打ちのめされてきていて、座り込んだままバスを見上げた。 
「………」 
 自分をバカにしてる視線がバスの中から降りそそいでくる。すぐに葉紀子は顔を伏せた。バスの運転手は乗り込まない葉紀子を20秒ほど待ち、扉を閉めた。バスが行ってしまった。学期中なら遅刻になるけれど、今は欠席にさえならない。 
「………」 
 かといって家に帰ると弟の覇王がいる。 
「あなた、大丈夫?」 
 まったく見知らぬ通勤中の女性が心配してくれる。 
「…はい……ちょっと転んだだけです…」 
 よろよろと葉紀子は立ち上がって、あてもなく駅を歩いて離れた。 
「………遺書………私…そういう風に見えるんだ……」 
 加藤に言われたことが頭を回る。 
「……こんなことで死なないわ………でも、ついでに加藤の名前も書いてやったら、あいつ真っ青に……フフ……私は加藤にまで下に見られて……あ、そっか、今まで私、加藤を下に見てた………安田さんのことも……私って根性の腐った女なのかな……まわりをバカみたいって想ってた私が一番バカなんじゃ……」 
 つぶやきながら歩いている。夏なので日差しは刻一刻と厳しくなり気温もあがる。あてもなく歩いていれば、すぐに日射病になりそうだった。 
「……勉強………どこかで………市立図書館なら…」 
 葉紀子は行き先を決めた。市営バスに乗って市立図書館に行ってみる。大きな自習室があると聞いていた通り、図書館の二階は区切られた机が並ぶ自習室で空調も効いて、良い環境だった。まだ午前中の早い時間なので空いている。自習を始めると、とても落ち着いて勉強できた。木村たちに何かされるかも、という不安も無いし、トイレに行きたくなっても誰も邪魔しない。 
 クゥ… 
 午前11時過ぎになって空腹を覚えた。図書館内は飲食禁止なので庭で弁当を食べる。 
「…美味しかった…」 
 ずっと手元においていた弁当は安心して食べられた。そんな葉紀子に誰かが声をかけてくる。 
「塚本さん?」 
「っ…」 
 葉紀子はビクリと肩を震わせ、恐る恐る振り返った。 
「やっぱり塚本さんね! 私、桜井陽子(さくらいようこ)、覚えてくれてる?」 
「え……ええ、桜井さん、お久しぶり…」 
 陽子は葉紀子と同じ中学だったけれど3年生の途中で親が中心街にマンションを買ったので引っ越していった元同級生で仲は良くもなく悪くもない関係だった。 
「その制服、やっぱり塚本さんは星丘に合格してたんだ」 
「…え…ええ…あなたは…、ごめんなさい、訊かなくてもわかることを…」 
「気にしないで。実力の結果だし。というか、塚本さんは雰囲気変わったね」 
 陽子は星丘よりワンランク偏差値が低い高校の制服を着ていた。そして、星丘高校の入試でも葉紀子は陽子に出会っていた。少しだけ会話して、お互い合格だといいね、と言ってそれきり陽子は落ちていたので入学式に居なかった。 
「前より優しい感じになってない? 前は簡単に、ごめんなさい、なんて言う人じゃなかったのに」 
「………」 
「でも、今の方がいいよ。前は人を寄せ付けない感じで、ちょっと怖かったもん」 
「……そう……眼鏡のせいかな……」 
「ねぇねぇ、星丘の生活は、どう? やっぱり勉強きつい? 塚本さんなら、また学年一位?」 
「……一位は難しいかな……真ん中より上くらい…」 
「あそこってクラス編成が成績順なんだよね? 今は何組なの?」 
「…2組かな…」 
「それって上の方? たしか10組くらいあったよね?」 
「一応……1組がトップで、その下よ」 
「やっぱりすごい!」 
「………」 
 葉紀子が困った笑顔を浮かべる。中学の頃から陽子の陽気さと人懐こさには戸惑いがあった。そして、その性格で今でも友人が多いようで陽子と葉紀子が会話しているのを見て、陽子の友人が集まってくる。すぐに10人くらいの他校生の男女に囲まれてしまった。陽子の通う学校は夏休み中に自習通学など無いようで、市立図書館の自習室を多くの生徒が利用していて、自分たちよりワンランク偏差値が高い学校の生活に興味をもってくれている。 
「オレは星丘がギリギリ合格圏内だったけど、あえて一個さげたんだ。あそこって勉強一色で殺伐としてねぇ?」 
「え…ええ…そういう部分もあるわ」 
「授業中の出入りが厳禁で、そのせいでトイレに行けなくて、この前も古典の時間に生徒会長だった女の子がおしっこ漏らして泣いたって聴いたよ。そうなの?」 
「それは……その…正確に言うと、出入りはできるけど、期末テストの点数が1点、引かれるの。もっと正確に言うと、遅刻や途中退席を学期中に一度もしなければ10点が加点されるのに、出入りすると1点加点を引かれるから、出入りしにくいことは事実よ。……生徒会長さんが漏らしたのかは知らないわ。そういう話は広めないであげてほしい」 
「ややこしい制度だなぁ。うぜぇ」 
「そうね」 
「けど、うちの学校でも勉強についていけなくなったヤツが授業中にウロウロして邪魔だからな。星丘の10組って、どんな雰囲気?」 
「あまり行かないから知らないけど、野球やバレーボールを頑張っている人が多いわ。勉強を投げ出した人も少しはいるみたいよ」 
「勉強できなくても付属の星丘大学に入れるってホント?」 
「ええ、まあ、そうみたい」 
「けど、内部生が優先なんだろ? 大学の推薦も」 
「えっと、星丘大学には望めば高校から入った人でも無試験に近い形で入れるわ。でも、他の私立大学への推薦入学は内部生が優先なの。まず幼稚園からあがってる子が志望校を選んで、余りを小学校からあがってる子、その余りを中学校からの生徒が取って、高校から入った人は、余ってればもらえるわ」 
「えげついスクールカーストだな」 
「………」 
「しかも人間関係までスクールカーストがガチガチで幼稚園からあがってくる内部生が上で、あとは下って話だろ?」 
「……そういう部分も…ないとはいえない…わ…」 
「あ、私この前、星丘でイジメられてる子を見たよ」 
「ああ、オレも。あの子だろ。電車の中でおしっこ漏らしてた」 
「そうそう、カバンとスカートをドアに固定されて」 
「………」 
 葉紀子は無表情を保つのに苦労する。 
「あの子、可哀想だったな」 
「星丘は小学校でもイジメ見るよ。夏休み前、家に帰るギリギリで漏らしちゃう子を見たもん。きっと学校でトイレに行かせてもらえないんだよ」 
「ひでぇな」 
「ひどいらしいよ。内部生に目をつけられたら、もう終わりだって。学校でトイレを使わせてもらえないから高校生なのに、オムツで通ってる子いるらしい」 
「………」 
「そんなに、ひどいんだ。私、合格しなくて良かったかも。つい目立つ方だし。あ、塚本さんは大丈夫?」 
「………ええ…平気…」 
 そう答えた葉紀子の頬を涙が流れた。急いで指先で拭いたのに、次から次へと流れ落ちてくる。 
「塚本さん……もしかして…」 
「な…なんでもない。ちょっと、目にゴミが入っただけ。…ヒッ…」 
「「「「「……………」」」」」 
 陽子たちは、どうして自習通学がある星丘高校の葉紀子が今日に限って図書館で自習しているのか、なんとなく悟れた。目にゴミが入っただけにしては涙を零しすぎだった。 
「塚本さん、私なら相談にのるよ?」 
「…なんでもない……気にしないで……ほっといて…」 
「………。じゃあ、私ね、数学でわからないところがあるの、教えてくれない?」 
「ええ、それなら…」 
 何があったのか言わない葉紀子から数学を教わった陽子は夕方になって言う。 
「ねぇ、また明日も教えてよ。すごくわかりやすかった。お願い」 
「私でよければ……」 
「じゃあ、また明日ね」 
「ええ」 
 葉紀子は陽子たちと別れ、ターミナル駅に戻った。その時間帯が星丘高校でも自習時間がおおむね終わる頃だったので加藤と再び擦れ違った。 
「……」 
「……」 
 お互い何も言わず、葉紀子は半歩ほど加藤を避けて擦れ違う。加藤は駅前の予備校に入っていった。かなり高額な授業料の予備校で星丘の生徒と、陽子たちの学校からも通っている生徒がいる。 
「………」 
 あまり雑談などはしないはずだったけれど、葉紀子は人の噂話が怖くなった。 
  
  
  
 一週間後、夏休み後半となり木村は奈々と三井を呼び、早朝からインターネットカフェの個室カラオケで秘密会議を開いていた。 
「では、第9回、塚本葉紀子をつぶす会を開催します」 
「あいつ学校に来なくなったね。茉莉那ちゃんに謝りもしないで」 
 三井が言い、奈々がスマートフォンの写真を見せる。 
「あのクソ女は市立図書館に逃げ込んでるよ。ほら、見て」 
「「ふーん……」」 
 奈々が見せた写真の中で葉紀子は陽子たちに囲まれて談笑している。星丘高校では見せないような明るい笑顔だった。 
「ウンコ垂れのくせに」 
「ワンランク下の学校の子を相手にしてるとか、あいつらしい」 
「さて、どうする?」 
 奈々の問いに木村が答える。 
「ここに乗り込んでやろうよ」 
「で、どうするの?」 
「こいつらの前で、この女はウンコ垂らしオムツ女でーす、生徒会長に薬もって辞めさせようとした卑怯なクズ女でーす、って紹介に行くの」 
「う~ん………それ、この写真の雰囲気だと、私らが悪役になって、この学校の子たちがガチで塚本を守ろうとしない?」 
 反問されて木村が想像してみる。まず木村たちが不意打ちで図書館へ現れれば、きっと葉紀子は激しく動揺する。目を泳がせ、冷や汗を流して、天敵に出会った獲物のように狼狽して取り乱してくれる。その様はかなり笑える。けれど、その構図は他校生たちを奮起させるかもしれない。そうなると面倒だったし、面白くない。 
「たしかに……その展開になるかも」 
「どうせ、こいつらは9月1日になったら、しょせんは別々の高校。塚本がここに転校でもしない限り、あいつに味方はゼロ」 
「でも、このままほっとくの?」 
「そこで私に作戦があるの。木村さんはさ、塚本を今日一日見張って。図書館に、ずっといるか」 
「OK。でも、どうするの?」 
「それはあとのお楽しみ。成功を祈っておいて」 
「ラジャー!」 
 奈々は作戦会議を終えると、木村に自分と三井のスマートフォンを預け、三井と電車に乗る。その前に二人とも私服に着替え、交通系のカードは使わず、現金で切符を買った。三井が不思議に思って問う。 
「なんで現金を使うの?」 
「交通カードだと、履歴が残るじゃん」 
「なるほど。なんとなくスターヒル仮面が誰なのかわかるよ。スマートフォンのGPS機能で移動履歴が残るのもさけるなんて完全犯罪やる気まんまん」 
「詮索はやめてくれたまえ。フフフ」 
 奈々と三井は電車に二時間も揺られ、途中で葉紀子が乗る車両と擦れ違い、葉紀子の自宅の最寄り駅より一つ手前で降りて数キロ歩いた。 
「ハァ…ハァ…なんで、あいつの家の最寄り駅で降りないの? この暑いのに」 
「あっちの駅には改札に監視カメラがあるから」 
「ハァ…下調べ頑張ってるねぇ…ハァ…水泳部の私に陸歩きはきついよ」 
「あんたはカッパか」 
 二人は国道沿いのコンビニに到着する。 
「あの裏に駐まってる原付が塚本のお母さんのだから今は勤務中。もし出てきて帰宅するようなら、いろいろ話しかけて足止めして」 
「ハァ…ラジャー!」 
「でも、コンビニの駐車場には入らないで、あそこの歩道あたりから監視カメラの被写界に入ってると思うから。私服だけど念のため」 
「え~……喉乾いたよ」 
「あっちに自販機と公衆電話があるから行こう」 
 三井は自動販売機でジュースを買い、奈々は公衆電話から木村に電話をかける。 
「こちらセブン、目標は?」 
「こちらキム、目標は予定通り図書館。今日も楽しそうに他校生とたわむれてるよ」 
「了解」 
 葉紀子が戻ってくるには今すぐ出発しても二時間かかる。母親もパート中で、あとは小学生の弟がいるはずだった。奈々は大胆にも自動販売機の裏で私服を脱いで制服に着替えた。 
「ハァ…なんで、また制服?」 
「いろいろあるの♪」 
 さらに奈々は髪の毛が落ちないようヘアジェルで髪型を固め、普段はしないような濃いメイクをして顔の印象を変える。そして半透明のゴム手袋をして指紋の残留を予防し、葉紀子の自宅に向かった。 
「こんにちはー!」 
 正面から堂々とチャイムを鳴らしてみる。しばらくして弟の覇王がインターフォン越しに応答した。 
「なんすかー? いま留守でーす」 
 宅配便以外は玄関を開けるなと言われている覇王は半ズボン姿でゲーム機を片手に応対している。奈々は可愛らしくインターフォンのカメラに向かって言う。 
「私は葉紀子ちゃんの友達の山田です。葉紀子ちゃんの忘れ物を替わりに取りに来たの」 
「そうですか、じゃあ、どうぞ」 
 あっさりと男子小学生は姉と同じ制服を着ている奈々を信じた。 
「制服効果すご♪」 
 少し考えると片道2時間もある高校の友達が忘れ物を替わりに取りに来ることは考えにくいのに、小学生は深く考えず制服が姉と同じなので友達だと信じている。奈々は他人の家に上がり込み、葉紀子の部屋を物色する。すぐに最高に面白そうな物を見つけた。 
「日記……これ最高♪」 
 ベッドの枕元にあった日記を奪い、今度は持参した画鋲の箱を布団をめくって足元になる位置へバラまいた。さらに押し入れを開け、次に葉紀子が開けたとき生首のような人形が釣り糸で戸と連動して動く仕掛けを設置し、最後に机の上へ、正義の味方スターヒル仮面参上、と筆跡を定規で書いて追跡困難にしたメモを残した。 
「あ~、喉が渇いたなぁ」 
 奈々は一階に降りて覇王に聞こえるように言った。男子小学生は気遣いしないので黙々とゲームを進めている。 
「ねぇ、ボク、冷蔵庫にお茶とかある? 飲んでもいい?」 
「え? まあ、お茶なら、いいっすよ」 
 気遣いしない分、厚かましいとも感じず覇王はゲーム機を見ながら言った。奈々は勝手に冷蔵庫を開け、中を眺めただけで何もせずに閉じた。さすがに覇王がゲームしながら近づいてくる。 
「お茶を飲まないんですか?」 
「うん、やっぱ遠慮する」 
「そうっすか。……山田さんは、こんなに暑いのに、どうして手袋をしてるんすか?」 
「これはね、私にアレルギーがあるからだよ」 
「ふーん……」 
 アレルギーという言葉を聴いたことはあるし、友達にエビや卵が食べられない子もいて、花粉が苦手な人も知っているので、そういうものかと覇王は納得した。奈々は冷蔵庫からインターフォンの屋内機に移動して問う。 
「へぇ、このインターフォン、カッコいいね」 
「そうっすかね?」 
「これって録画とかもできるの?」 
 そう言って勝手に触り、録画機能が無いかチェックする。覇王は素直に質問へ答える。 
「ううん、録画とかはできないっすよ」 
「みたいだね。うん、よしよし」 
「……」 
「じゃあね、ボク。バイバイ」 
 葉紀子の日記を手に入れた奈々は手を振って塚本家を去った。 
「なんか変な人だったなぁ……」 
 子供心に不審さを感じていたけれど、ゲームしているうちに忘れた。夕方になり母が帰ってきて冷蔵庫から食材を出して夕食を作り始め、葉紀子も帰宅して二階へあがる。自分の部屋に入って、机の上にあるメモを見て、葉紀子の顔が凍りつく。 
「っ……」 
 スターヒル仮面という名前に覚えはないけれど、直訳すると星、丘、なので心当たりがないわけではない。何より自分の不在中に誰かが部屋に入ったという気持ち悪さは絶大だった。 
「誰が………いつ……」 
 嫌な汗が腋の下に流れる。椅子に座って考える。 
「………あの人たちが……ここに……そこまでするの………」 
 自宅まで木村たちが来たかもしれない、勝手に部屋に入ったかもしれない、世界中で一番安らげるはずの場所に土足で敵が入ってきていた、その恐怖はどんどん大きくなる。 
「…なにをしたの………このメモだけなんてこと……、覇王なら、ずっと家に居たはず!」 
 葉紀子は覇王を呼びつけようとして思い止まる。 
「いきなり詰問したら、びっくりさせて言わないかも……」 
 部屋には入るなと弟には言ってある。それを破りはしないはずだけれど、怒鳴ると言わないかもしれない。葉紀子は深呼吸してから覇王を呼んだ。 
「覇王ぉ! ちょっと来て」 
「んーっ?」 
 すぐに覇王が来た。穏やかに問うてみる。 
「今日、私がいない間に、誰か私の部屋に入った? 怒らないから正直に答えて」 
「ああ、忘れ物を替わりに取りに来たって人が来たよ」 
「っ…いつ?!」 
「お昼くらいかな」 
「誰? どんな人?!」 
「えーっと……山田さん? だったかな」 
「……山田…」 
 学年に山田はいたかもしれないけれど、葉紀子をイジメてくる主要メンバーに山田姓はいない。安田のように手先にされたか、もしくは偽名だと感じる。 
「姉ちゃん、もういい? オレ、ボス戦の途中なんだけど」 
「ごめん、大切なことなの、もうちょっと居て」 
 葉紀子は木村たちの顔写真がないか机を探した。けれど、卒業アルバムのような人物特定に都合のいい顔写真が写ったものは無く、木村たちをスマートフォンで撮影する機会も、おしっこを漏らしそうでトイレに行きたいと頼む動画くらいで、そんな動画を弟には決して見せたくない。学校写真を買う機会も少なく、そもそも木村たちの写真など買わない、 
ようやく見つかったのは入学式での全体写真に写る木村たちだった。 
「今日来たのは、この人?」 
「う~ん……」 
「じゃあ、こっち?」 
 葉紀子は木村と奈々、三井を指してみたけれど、覇王は首をひねる。同じ制服を着ている年上女性は見分けがつきにくい上、奈々は濃いメイクをしていたので印象が違う。 
「もっと唇が赤くて、目の周りが黒かったよ」 
「……。それはお化粧よ、お化粧をしてないとしたら、どんな顔だった?」 
「え~………」 
「お願い、思い出して」 
「………」 
「じゃあ、この人は?」 
 葉紀子は茉莉那を指してみた。 
「ううん、違うと思う。っていうか、みんな似ててわからない。写真が小さいし」 
「……そう……」 
 せいぜいB6くらいの写真に300人が写っているので一人一人の顔は小さい。これで人物を特定しろというのは無理な話だとわかる。 
「もういい?」 
「ごめん、もう少し。その人は部屋に入って何をしたの?」 
「えっと……忘れ物とかを探したんじゃないかな? 見てないから知らないけど」 
「どうして見てないのよ?!」 
 思わず葉紀子が怒鳴ると覇王は驚いて小さくなった。 
「っ……」 
「ごめん、でも答えて。そいつは何分間ほど、私の部屋にいたの?」 
「………5分か……10分かな……」 
「他に、そいつは何かした?」 
「一階に降りてきて、お茶を飲みたいって勝手に冷蔵庫を開けて。でも、お茶は飲まなかった」 
「冷蔵庫を……冷蔵庫に何をしたの?」 
「何もしてない。ちゃんと見てたよ。その人は冷蔵庫を眺めただけで何も触らなかった」 
「そう………他には何かした?」 
「えっと、インターフォンを見て、録画できるか訊いてた。…………あいつは、悪いヤツなの?」 
「…………、そんな感じよ。もう二度と、誰が来ても家に入れないで。あと、お母さんにこのことを言うのは私が判断するから覇王は黙っていて」 
「……わかったよ……ごめんな、姉ちゃん」 
「…覇王が悪いわけじゃないから……怒鳴って、ごめんなさい…」 
「………」 
 覇王は申し訳なさそうに一階へ降りていった。ほぼ同時に母親が夕食に呼んでくれる。葉紀子も降りたけれど、まったく食欲がない。覇王によれば、侵入者は冷蔵庫を眺めただけ、と言われても気持ちが悪くて食べる気がしない。母と弟が食べているのも心配でやめさせたいけれど、きっと侵入者は警察沙汰になるようなことは避けているはず、つまりは葉紀子にダメージを与えることだけが目的で、あえて冷蔵庫を開けて不安を煽り、何もしなくても葉紀子にプレッシャーをかけているのだと推測できる。そして推測できても、やっぱり食欲が出ない。利尿剤や下剤を盛られた記憶、飲食物に知らない間に何かを入れられる恐怖は、食欲を掻き消してしまった。 
「……ごめんなさい、ちょっと食欲がないの」 
「あら夏バテ?」 
「そうかも」 
「でも、少しでも食べないと」 
「………」 
「葉紀子の好きな桃缶はどう?」 
「……うん…それなら…」 
 何か混入させるにしても缶詰は難しいはずという考えで少しは食べられた。部屋に戻り侵入者のことを考える。 
「………盗聴器……小型カメラ……」 
 次に不安になったのは電子機器を仕掛けることだった。すぐに葉紀子は室内を調べる。 
「……このままじゃ着替えもできない……」 
 とくにカメラは心配だった。そうして室内を探すうちに葉紀子は押し入れを開けた。 
 バッ! 
 釣り糸で仕掛けられた生首の人形が葉紀子に向かって飛び出してくる。美容師が使うような首から上だけの人形の安物で発泡スチロール製、それに落書きして化け物のように装飾した子供騙しのものだったけれど、葉紀子は心底驚いた。 
「ヒッ?!」 
 驚きのあまり身体が強張り、誰かが潜んでいたのかと恐怖し、ただのオモチャだとわかると身体から力が抜け、その場に座り込んだ。 
「ハァ……ハァ……」 
 座り込んだ膝が震えている。 
 ジワ… 
 おしっこをチビっている。 
「……ヒッ……ヒッ…」 
 泣きそうになって、なんとか嗚咽を飲み込んだ。こんなオモチャにビックリして、おしっこを漏らした自分が情けない。パンツを着替える気力もなく、葉紀子は本能的にベッドへ逃げ込んだ。 
「痛っ?!」 
 逃げ込んだベッドの布団に足を入れると、何かが刺さった。驚いて足を引っ込め、布団をめくると何十個という画鋲が撒かれていた。 
「…………」 
 行動を読まれている気がする。逃げ場のない恐怖を感じる。その恐怖で力が抜け、おしっこが漏れてくる。 
 ジョロジョロ… 
 怖くて、怖くて。 
 もう精神的に限界で。 
 葉紀子はおしっこを漏らして啜り泣いた。 
「……ヒッ…………ヒッ………」 
 スカートと下着、ベッドを濡らして、啜り泣くしかできない。画鋲を片付ける気力もなくて、ベッドに丸くなって泣く。警察を呼んでも、きっと相手にされない。不法侵入ではないし、きっと人物が特定できる証拠も残していない。画鋲とオモチャの生首では、イタズラだとは思ってくれても事件にしたがらない。それに母と弟に心配をかけてしまう。学校でイジメられているのだと知られるのも嫌だった。そのイジメが始まった原因は葉紀子にもある。茉莉那が漏らす状況をつくったし、漏らした数日後に登校してきたので精神的につぶして自分が会長になろうと考えてしまった、そんな卑怯で汚い言動への復讐を受けているのだと、母や弟に説明できないし、陽子たちにも相談していない。 
「………ヒッ………」 
 しばらく啜り泣いた葉紀子は母親から風呂に呼ばれ、おしっこを漏らしたままの姿は嫌なので入浴した。パジャマに着替え、画鋲を片付け、新しいシーツを敷いて横になる。 
「……………」 
 ぼんやりと天井を見上げ、そして眠る前に日記を書くこともある習慣で枕元へ視線をやり、驚愕した。 
「っ! 日記っ! 日記がない?!」 
 周りを探してみても日記がない。さきほどは盗撮カメラと盗聴器が無いか探したけれど、無くなっている物がないか探すという視線では見ていなかった。日記が奪われていることを確信してきた葉紀子は青ざめる。 
「……そんな………あの日記には…………あの日記には……」 
 毎日ではなく、ときどき嬉しかったことや嫌なことがあった日だけ書いている日記には小学校5年生からの葉紀子の記録がある。出来事と感じたことを赤裸々に書いている。怒ったこと、仕返ししたいと思ったこと、楽しかったこと、もらった物、美味しかったメニュー、家族との想い出、家族とのケンカ、同級生との想い出とケンカも、初恋の想いも、二人目に好きになった中学の先輩のこと、高校に入って恋愛しないと決めていたけれど一年生で図書委員をあてられて活動していくうちに好きになってしまった二年生男子への気持ち、その男子には彼女がいて悲しかったこと、もともと諦めるつもりの恋だったので、その気持ちを勉強がてら和歌や漢詩にして書いてある。だから、もしも覇王が読んでもわからない。けれど、木村あたりなら和歌や漢詩でも読み下し、恋歌であることや、先輩の氏名も音韻にかけて書いたので特定されかねない。 
「……嫌………どうして……あの日記を………もう……終わり……私は……生きていけない………学校に行けない……」 
 とくに、ここ一週間の日記は読まれたくない。合宿で水着を剥がれたとき助けてくれた層川を好きになってしまっていた。その想いは和歌や漢詩をひねる気力がなくて、そのまま書きつけた。 
「………ヤダ…………嫌…………私の汚い部分……ぜんぶ……見られる……」 
 この一週間で男子に惹かれたのは層川だけではなく、あろうことか陽子の彼氏とも親しく話すうちに好意を抱いてきていた。どうして、にわかに男へ目がいくのか、男を頼りたくなるのか、そんな自分は客観視できている。誰かに助けて欲しかった。できれば恋人になってくれるような男子に。おしっこやウンチを漏らした汚い女と蔑まれる自分を、そんなことない葉紀子はキレイで可愛いよ、と言って欲しかった。そういうことも赤裸々に書いた。層川が彼氏になってくれて木村たちを殴ってくれる妄想や、陽子から彼氏を盗ってしまう妄想も書いた。他にも木村を殺す妄想も書いた。奈々や三井への殺意も書いた。本気ではないけれど、半ば本気で暗殺計画をねってみた。バレずに事故や病気に見せかけて殺す方法と、隠蔽などを考えない虐殺方法、木村の頭を丸刈りにしてから焼き殺したり、奈々の肛門に陸上部の石灰を入れ込んで苦しめる拷問、三井を裸にして手足を縛ってプールに沈める復讐など色々と憎悪を書き連ねて気持ちの整理をした。逆に葉紀子が自殺するなら、どんな遺書を書いてやるか、木村たちのついでに加藤も入れてやろうか、そんな非生産的な憂さ晴らしも書いた。そういった葉紀子の心をすべて日記に書いている。日記を奪われたのは、心の中をすべて奪い知られたのと同義だった。 
「……ぅぅぅぅ……………ぅぅぅ………ヒッ…………ぅぅ……」 
 もう眠ることもできず葉紀子は呻き泣いて夜を過ごした。 
  
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