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永戸茉莉那のおもらし 生徒会長として球技大会で 高校2年生のとき
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星丘学園高等部2年2組の教室に昼休みの放送が響いていた。
「生徒会選挙の結果を発表します」
「「「「「……………」」」」」
とても教室が静かになる。今年の生徒会長選には13人もの2年生が立候補している。とくに2組からは6人が出ていた。もともと学園が組割りと出席番号を成績順にするので1組の後半と2組、3組くらいから内申書での生徒会長という肩書きを狙っての立候補が多い。勉強ではトップに立てないので生徒会長を狙う傾向があったし、学園の中学校小学校からあがってきているメンバーより外部の公立校から高校に入ってきた生徒の方が肩書きを欲することが多い。ただ、公約は似たり寄ったりになるので美人投票になりやすく女性生徒会長が続いているし、それほど権限はなく教師たちの雑用係のまとめ役という側面があった。
「生徒会長、当選者は339票を得た2組15番、永戸茉莉那(ながとまりな)さんです」
茉莉那の名が呼ばれ、茉莉那は教室の中央あたりの席に座っていたので、とりあえず周囲に頭をさげた。
「副会長は次点、52票を得た2組2番、塚本葉紀子(つかもとはきこ)さんです」
「………」
呼ばれた葉紀子は無表情で無反応だった。葉紀子はセミロングの黒髪で眼鏡のフチも太めの黒なので冷めた優等生という雰囲気が強い。当選したのに反応が無い葉紀子へ、同じく立候補していた男子の層川(そうかわ)がふざけた声で言ってくる。
「塚本は何でも二番だな。ははは! けど、眼鏡とったら、けっこうイケてるのに」
「余計なお世話よ」
高校で恋愛するつもりのない葉紀子は意図して顔を隠していた。高校生活は志望大学に入るまでの準備期間に過ぎないと考えているし、去年一年も学習に励んだけれど2年生になっても1組には入れず、2組のままだった。一年生は入試で組割りされ、二年生は期末テストで組割りされる。トップ陣である1組も学習を怠る生徒は少ないので、わずかに3名ほど2組と入れ替わったり、学習意欲を失って一気に5組あたりまで落ちたり、学習以外のことにやる気を出して10組になったりするけれど、大きな変動は少なかった。茉莉那も一年生で2組16番から一つあがっただけだったので生徒会長選に挑戦してみている。
「続きまして、書記、書記には立候補者が無く、規定により生徒会長と副会長が女子であるため、男子の名簿からクジ引きによって選出されました」
副会長は会長選の次点者をあてる規定だったけれど、他の役職は立候補制で、候補者無きときはクジ引きとされていた。
「前年度の書記がクジを引き、結果、当選者は10組30番、松井球児(まついきゅうじ)くんです」
校舎の遠いところから騒いでいる声が響いてくる。さきほど葉紀子をひやかした層川が、また言う。
「こいつ、絶対、野球推薦で入った野球バカだ。しかもオヤジも野球バカ」
「「………」」
それには茉莉那も葉紀子も同感だった。一学年300人、一クラス30人で成績順なので10組の30番は学年最下位の成績ということになる。けれど、本人は気にしていないはずで10組の生徒は学園が強化部に指定している野球部の男子とバレー部の女子が多い。推薦という名のスカウトで入ってくる少数精鋭なので、学習面には力が入っていない。なかには1組なのにレギュラーという文武両道の生徒もいるけれど、ごくわずかで大半は10組にいる。
「続きまして、会計、会計にも立候補者が無く、前年度の会計が男子の名簿からクジ引きで選びました。当選者は2組29番、加藤一郎(かとういちろう)くんです」
「ぇ~………マジかよ……」
とても嫌そうに加藤が言い、層川は喜ぶ。
「オレら2組の政権になるな」
「冗談じゃないよぉ………勉強だけで手一杯だってのに………会計って……一番、面倒そうな……」
加藤はアトピー体質なのか、肌を掻いて嫌がっている。ストレスを感じたようで喘息持ちでもあり、さっと吸引の薬を吸って発作を抑えた。
「以上の4名は放課後、生徒会室に集合してください」
「頑張れよぉ」
落選だった層川は他人事として笑っている。昼休みと午後の授業が終わると、茉莉那は葉紀子と加藤に声をかけた。
「さ、生徒会室に行こう。一年間、よろしくね」
「ええ」
「はぁ……なんでボクが……」
三人が生徒会室に入る。ごく普通の文化部の一室という感じで中央に長机が2つ、椅子が8脚、ホワイトボード、先輩たちが残してくれた引き継ぎの資料、わからないことがあった場合に問い合わせる前生徒会メンバーの連絡先、それだけだった。
「先輩たちから引き継ぎとか、教えてもらえたりするわけじゃないんだ……」
茉莉那が言い、葉紀子も資料をパラパラと見て言う。
「わからなければ教えるけど、まずは自分で調べろ式ね………。まあ、この時期、三年生は受験で忙しいから私たちの相手をする時間なんて無いんでしょ。どうせ、たいした業務内容でも無いでしょうし、例年通りでいいことばかりのはず」
「…………」
加藤は黙って椅子に座ると英単語帳をめくり始める。やる気は無さそうだった。
「あと一人は、まだかな……どんな人かな」
「「……………」」
待っていると扉が開いて野球のユニホームを着た大柄な男子が入ってきた。かなりの筋肉をしていて、同じ高校生なのかと思うほど大きい。そして野球場で叫ぶのがよく似合う野太い声で一方的に言ってくる。
「見てわかるだろうけど、オレとお前らじゃ生きてる世界が違うから。書記は名前だけで何もする気はない。というか、せめてクジ引きであてるシステムにするにしても推薦入学の生徒は除外するように変えておいてくれ。でないと、苦労するのはお前らだぞ。じゃ、もう練習いくから」
「「「………」」」
三人が何か言う間もなく松井は野球場へ消えた。その3分後に加藤も言う。
「ボクも予備校にいくから。二人は立候補してなったんだからさ、それなりにやってよ、じゃ」
逃げるように加藤が逃げた。
「……二人だけに、なっちゃったね。ま、まあ、女の子同士だし、仲良くやろうね」
「…………」
葉紀子が自分の生徒手帳の白紙ページを破ると、サラサラと連絡先を書く。
「これ、私の連絡先、どうしても一人じゃできないことがあったら手伝うかもしれないわ。私に余裕があれば」
「そ……そんな……塚本さんは、立候補したんだよね?」
「生徒会長の肩書きが欲しかっただけよ。副会長じゃ、たいして内申書にもプラスにならない、一番プラスを得る人が、一番頑張るべきなんじゃないの」
そう言うと塚本まで出て行った。茉莉那は一人になる。
「…………………」
たった一人、生徒会室にいると、五月なのに北風が吹いた気がする。
「……………。よし! 頑張るぞ! えい、えい、おー! ……………」
気合いを入れてみたけれど、やっぱり一人は一人だった。
「………………。とりあえず……最初の仕事は球技大会のとりまとめかぁ……」
仕方がないので資料をめくり、前年度の例を習っていく。半時間ほどして来客があった。
「ちーっす」
層川がノックして返事を待たずに扉を開けて入ってくる。
「あ、層川くん、どうしたの?」
「オレが何票をえて落選だったのか見に来た。資料ある?」
「あ、うん、たぶん………」
少し探して見つかった資料を渡した。
「49票か……オレ、3位じゃん、あとちょっとだったのか」
「そうだね、惜しかったね」
「ああ、オレはこの49票を入れてくれた人たちのことを忘れないぜ。……君たちの名……ノベンタ、セプテム、ベンティ、ドーリアン、ワーカー、オットー、ブント…」
「…………」
あれ……そんな在日ブラジル人系みたいな氏名の人……そんなに何人もこの学校にいたかなぁ……というか、無記名投票のはず………、と茉莉那が思っていると層川は話題を変える。
「オレが公約にしたさ、この学校の制服を小麦色から赤に変える案と、文化祭の出し物をすべてガンダム縛りにすること、49票もあったんだし、検討してくれないか?」
「それは……ちょっと……」
「49票だぞ」
「………全校生徒は900人だよ5.4%の意見じゃ、ちょっと無理かなぁ」
「いつの時代も革新的な意見は旧体制によって沮まれるか」
「……………。あ、でもね。もし、よかったら生徒会の仕事を手伝ってくれない?」
「オレが? なんで?」
「だって、塚本さんも加藤くんも、松井くんも、みんな放り出して私一人に……だから、お願い。ね?」
「それで一人でいたのか」
「そうなの。淋しいの、お願い」
茉莉那は両手を合わせ、首を傾げ、軽くウインクまでして男を誘ってみた。こんなことをしたのは小学校6年生のとき、父親へ千葉県にある有名な遊園地へ行きたいとねだったとき以来だった。あのとき、愛らしい娘の仕草に父は応えてくれた。層川も男として反応してくる。
「お前、ドキっとするほど可愛いな」
「……てへへ…」
層川くんって正直な人……思ったことポンポン言う……面と向かって可愛いとか言われると照れるよ、と茉莉那は赤面しないように気持ちを抑えた。
「じゃあ手伝うから、塚本からオレに副会長を替えてくれよ。それならやる」
「う~ん……それは……制度的にも……それ以前に塚本さんの気持ちを……でも、やる気ない感じだし、ちょっと訊いてみるね」
茉莉那はもらった連絡先に電話をかけてみた。
「もしもし、永戸です」
「なんなの? 用件は」
「えっとね…」
そんな冷たい言い方しなくていいのに……、と茉莉那は不満に思いつつも葉紀子へ層川に副会長を替わるつもりはないか、と質問してみた。
「どう? 交替しない?」
「………。しないわ」
少し考えた葉紀子が拒否してくる。
「私に投票してくれた50人くらいの人への建前もあるし、そんな簡単に替われるものでもないでしょ、選挙したんだから。罷免でもされない限り、私から譲位するつもりはないから」
「……でも、ぜんぜん手伝ってくれないって…」
「どうにも、あなた一人でできないときは少しくらい手伝うわよ。副会長って、そういうもの。会長に事故のあるとき、替わりに挨拶するくらいの。わかる?」
「………わかりましたっ」
ようするに副会長の肩書きだけは内申書に欲しいってことでしょ! と言いかけて茉莉那は今後の関係もあるので丁寧に電話を切った。
「ごめん、層川くん、ダメだって。でも、加藤くんと松井くんなら可能性あるかも」
「いや、書記とか会計は地味すぎていらない」
「そう………でも、私一人なの………手伝ってくれない?」
「う~ん……なら、オレと付き合ってくれよ、それなら手伝う」
「付き合うって………男女の?」
「オレと永戸、運命の出会いって気がしないか? ずっと一年から、いっしょだし」
層川は現在2組の14番で一年生のときも2組の15番だったので茉莉那の前にいた。単純に成績が両者とも一年経っても大きく変わらなかったというだけの話ではあったけれど、運命という言葉はなんとなく茉莉那の脳に響く。これから、いっしょに生徒会の仕事をしていくなら、放課後遅くなって帰宅もいっしょになる。生徒会室で男女一対一、だんだん仲良くなって自然に付き合うのもありえる。
「…えっと……どうしようかなぁ……」
これって……告白? ………今、私たち二人っきりだし……層川くん、口は悪いけど、面白いところもあるし……私と成績も釣り合うし……顔も嫌いじゃない……けっこう……いいかな……高校も二年生になったし、そろそろ彼氏いても……来年は大学受験で忙しいから、この一年が高校生活の想い出に………、と茉莉那が半ば本気で考え始める。頬が熱くなってきた。
「な、いいだろ?」
「……ちょっと……答えは、もう少し……」
どうしようかな……どうしようかな……あれ? でも、たしか、層川くんって先月から他校生の女子と付き合い始めたってウワサあった……あれは、どうなのかな、と茉莉那は気になることを質問してみる。
「でも、層川くん、他校生と付き合ってなかった?」
「あ、知ってるか。永戸がOKしてくれるなら、あいつとは別れる」
「………………」
なんか……軽すぎる………、と茉莉那は腹が立ってくる。立腹を表情には出さず問うてみる。
「その子とは、どうして付き合ってるの? どういうキッカケ?」
「オレ、電車通学でさ、同じ電車に一年間いっしょで、ときどき会話してて、バレンタインにチョコもらって、で、まあホワイトデーに返して、そんな感じ。やっぱり星丘の制服を着てると、女が寄ってくるよな」
「………」
「でも、お前の方が好みだし、きっと同じレベルの大学に行くだろうし、どう?」
「………」
バカにしないでよ! と茉莉那は怒鳴ってやりたかったけれど、そこまでの勇気はなくて力なく首を横に振った。
「そんな風に付き合えないし、人の彼氏を盗ったって言われるのも嫌」
「そうか。じゃあ、オレもう、そいつのとこ行くわ。時間だし」
「…………大事にしてあげてね」
「おう」
層川が出て行った。また一人になる。
「はぁぁぁ………」
深い深いタメ息が出た。
「………塚本さんと層川くん、たった3票の違いかぁ……男子も顔で投票されたのかな……」
別に自分が学年で一番可愛いとは思っていないし、美人投票になったとはいえ、それは立候補者の中だけの話だとわかっている。何より投票する生徒たちは、ごくごく軽い気持ちで選んでいた。だから、わずかの気まぐれで層川が2位だったら、塚本との交替という問題もなく二人きりとなり、そのうち付き合っていたかもしれない。
「人間の運命って、ささいなことで変わっちゃうんだなぁ……」
層川と交際していたら、他校生の女子と修羅場になったかもしれない、一人を巡って二人が争う、そんな道を避けられて良かったと思いながら茉莉那は一人、球技大会の準備を進めた。
翌月、おもらし寸前の膀胱を抱えて茉莉那は葉紀子に頼んでみた。
「ごめん、閉会の挨拶、やってほしい」
「は? どうして私に?」
「ど…どうしても……ちょ、ちょっとトイレ…」
茉莉那も葉紀子も体操服を着ている。制服と同じ小麦色のハーフパンツに白Tシャツ、体育館シューズは女子がピンク、靴下は白、今日は球技大会で全校生徒が体操服だった。そして、全校生徒900人分の対戦スケジュール管理、審判の手配、賞品の手配、その他色々な業務を茉莉那一人でやったので、とても忙しくて休憩時間は無かった。お昼ご飯も食べられずスポーツドリンクを飲んだだけ、そのスポーツドリンクが閉会が迫った頃になって膀胱いっぱいにおりてきて、おしっこが漏れそうだった。これから閉会式をするために生徒たちが整列しつつある中、終わりまで我慢できるかと思っていたのに急激に尿意が高まってきて茉莉那は最後の頼みの綱として葉紀子に頼んでいるのに態度は冷たい。
「トイレって、球技大会も授業ではあるから、抜けると点数を引かれるのに?」
「いいのッ、も、もう、そんな場合じゃないのッ、漏れそうなのッ」
「………。この球技大会が生徒会長最初の仕事なんだし、せいぜい頑張りなさい」
「うぅ……そんなァ……」
ここまで何一つしてくれなかったくせに……挨拶くらい……あ~あ、もう早く終わらせてトイレに行った方がマシかも、と茉莉那は自分で挨拶することを選んだ。マイクを握って生徒たちに頼む。
「は、早く整列してくださーい! でないと終わりませんよぉ!」
優良校の生徒なのに球技大会は学力と関係ないのでダラダラとしている。むしろ張り切っていたのは松井のような生徒で、加藤のような生徒は今日も参考書を眺めている。そういう自習に対しては教師たちも注意しないのに、途中退席は点数を引かれるのでトイレへ行けるのはチャイムが鳴って通常授業と同じ休憩時間帯か、お昼休み、あとは閉会後だった。
「早く、早くっ、整列してくださーい!」
やっと整列してくれて体育委員が試合結果の発表をして優勝チームに賞品を授与し、最後に茉莉那が生徒会長としてシメの挨拶をする段階が近づく。全校生徒が体育館で整列し、茉莉那と葉紀子は壇上に立っている。松井と加藤は書記と会計なのに壇の下で一般生徒と同じように並んでいた。
「…ハァ…」
茉莉那は冷や汗を拭い、ズキズキと膀胱が痛くなってきたので葉紀子へ、もう一度本気で頼んでみた。
「お願いッ、私の代わりに挨拶して、お願いだから。今トイレいかないと、もう…」
「甘えないで。何がおしっこよ、子供みたいに。会長はあなたでしょ、やることやりなさい」
「ハァ…ホントに途中で…ぅ、漏らしちゃうかも、そのくらいヤバくなってきたの、ぅぅ…お願い、一生のお願い」
「………。嫌」
一言で拒否して、あろうことか壇上からおりていく。一人にされた茉莉那は急いで終わらせることにした。おしっこが漏れそうで両手で股間を押さえたいのを我慢して、マイクを両手で握る。手が汗でベタベタだった。
「ハァ…これで球技大会を終わりにします。み、皆さん、きょ、今日はいい汗をかきましたね…」
そこまで言うのが限界だった。大きめの発声をしたことでお腹が揺れて堰が崩れた。
シャアァァァ…
おしっこが茉莉那の股間から漏れ出てきてショーツの中いっぱいに拡がってくる。
「っ…………ぁぁ…………」
シャアァァァ…
止めようとしても、止まってくれない。ショーツから溢れてハーフパンツを濡らしている感触もする。股間と内腿が生温かい。スカートなら、すぐ下へ落ちて目立たなかったかもしれないのに、小麦色のハーフパンツなので茶色く変色して大きくシミをつくっていく。
「………………ハァっ……………ハァっ………ぐすっ…」
茉莉那の息づかいがマイクを通して全校生徒たちに届いている。茉莉那のハーフパンツが濡れているのを全校生徒たちが見ている。
「……あれって、おもらし?」
女子の誰かが言っている。
「おしっこしたの、あの人……」
別の女子が言い、男子たちもつぶやく。
「あの濡れてるの……おしっこか?」
「高校生になって、おもらしはしないだろ……たぶん…」
「じゃあ、愛液だったりしてな。ははは」
「それはそれで濡れすぎ」
「汗だと思ってやれ」
層川が言い、さらに大声で叫ぶ。
「会長はいい汗をかきすぎましたね!」
静まりかえっていた体育館に数瞬後、大爆笑が響く。
「ぷははっははは!」
「だははははは!」
「きゃはっははは!」
「あはははは! 層川、お前、座布団全部出せ!」
「ぶはははは! お茶かえせ、層川!」
「フ♪」
層川はギャグとして笑いをとって悲惨な雰囲気にならないようにしたつもりだったけれど、大勢に笑われて茉莉那の乙女心はズタズタに傷ついていた。おしっこおもらしを高校2年生にもなってしてしまい、しかも生徒会長という立場で全校生徒の前に立っている状態で見られ、笑われ、もう腰から力が抜ける。
ビチャッ!
立っていられなくて、お尻から自分のおしっこがつくった水たまりに座り込んだ。
「……うっ…ううっ…ひっく…」
嗚咽で喉が鳴り、ポロポロと涙が零れる。この1ヶ月、生徒会の業務を一人で頑張ってきたのに、おしっこを漏らしてしまい、全校生徒に見られてしまった。まだ笑い声が体育館に響いている。
「ひっく……ひぐっ…うぐう…ぐすっ…」
高校生にもなって泣いちゃダメ、と茉莉那は頭の片隅で考えたけれど、胸の中は恥ずかしさと悲しさでいっぱいすぎて、もう限界だった。おしっこが溢れてきたように泣き声が溢れてくる。
「うわあああん! うわあああん、あんあんああん!」
「………子供ね」
葉紀子は眼鏡を指先であげ、助けに行かない。泣き続ける茉莉那を助けに走ったのは友人二人だった。
「「茉莉那ちゃん!」」
吉田と三井は駆け寄って茉莉那を隠すように抱いた。自分たちの膝が水たまりで濡れるのもかまわず、抱いて背中を撫でる。
「うあああん! うわああああん!」
それでも茉莉那の絶望は深くて大声で泣いている。球技大会は生徒の自主的運営を意図していたけれど、さすがに教師たちも出てきて、茉莉那が落としたマイクを拾い生徒たちに告げる。
「人の失敗を笑ってはいけません。これで球技大会は終了、さあ、解散です」
終わらせて茉莉那を解放するために解散を告げたけれど、逆効果で整列していた生徒たちが崩れ、好奇心で泣いている茉莉那を見に来る。人垣に囲まれ、おもらしした茉莉那は晒し者になった。
「うわああん! うわああん!」
もう幼児のように大きな口を開けて、次々と溢れてくる涙を両手の甲で拭い、泣き続けている。このままでは茉莉那の傷が深まるばかりなので吉田と三井は左右から抱き上げた。茉莉那自身では立てず、膝がブルブルと震えているので全体重を吉田と三井が半分ずつ支えてやる。二人とも運動系の部活なので女子であっても茉莉那を運べた。
「そこ、どいて!」
「見ないであげてよ! バカ!」
人垣が割れ、ポタポタとおしっこの滴をしたたらせる茉莉那を抱いて、ともかく大勢がいる体育館から脱出させた。
「うううっ、うううっ」
抱かれながら茉莉那は泣き続けている。
「どうしよ?」
「やっぱり保健室?」
「だよね」
おもらししたら保健室というのは小学校の頃に学んだので高校でも通用するかと考え、二人は茉莉那を保健室へ連れ込んだ。
「ううっ…ひっくっ…ううっ…」
保健室は保健センターとも学園内で呼ばれ、幼小中高が共通で使っている。そのため高校の体育館から遠くて、茉莉那は学園の中学生たち数人にも、おもらしして泣いている姿を見られ、ようやく人目がない室内へ辿り着いたかと思ったけれど、一人の女子小学生が先客としていて、おもらしした茉莉那をジッと見てくる。その本人もおしっこを漏らして保健室に来たようでパンツを脱ぐところだった。ただ、茉莉那と違って鹿狩純子は一粒の涙も零さず淡々としている。茉莉那はまだ涙が止まらない。
「…ううっ…うあああっ…」
「茉莉那ちゃん、仕方ないよ」
「茉莉那ちゃんが忙しく頑張ってたこと、みんな知ってるから」
吉田と三井は一年生の頃に茉莉那と友達になった。同じ2組だった縁と、高校の1組と2組は6割7割が学園中学からの内部進学者で占められ、外部の公立中学から受験で入ってきて入試成績が優秀でクラス編入されたメンバーは疎外感を抱きやすい。自分たちには一人も友達がいないのに、周囲の内部生は幼馴染み同士で和気藹々としている状況に放り込まれる。茉莉那も吉田、三井も公立中学から入ってきて2組だったので自然と集まり友達になった。なのに吉田と三井は運動部を頑張るあまり二年生になると3組だったので今現在、茉莉那にはおもらしして泣き出したような追いつめられた状況で助けてくれる友人はクラスにいなくて唯一、吉田と三井が救いだった。
「うああううっ…もう学校これない…ううっ…」
「茉莉那ちゃん、大丈夫だよ、私たちは味方だから」
「そうそう、そんなに泣かないで」
「ううっ…もうヤダ……学校こない……みんなに見られた…」
茉莉那は帰宅部なので部活でのつながりもなく、それもあって生徒会長選挙に挑戦してみたのに、こんな結果になってしまい、もう登校できる気がしない。
「ううっ…ひっく、ううっ!」
生徒会長という顔の売れた立場で900人いる全校生徒に、おしっこを漏らす現場を目撃され、大笑いされて心が折れている。
「ああっ…うううっ…みんなに笑われたっ…」
「笑ったのは一部だよ、最低な人たち」
「あいつら自分が落選したから」
吉田と三井は部活で遅くなる。その遅い時間になっても帰宅部の茉莉那が生徒会室で頑張っていたのを知っている。そして、部活の合間に訪ねてみると、いつ行っても茉莉那は一人だったし、他の役員が誰も手伝ってくれないという軽い愚痴は聴いていた。他に層川は公然と、オレを落選させて当選したんだからお前らは頑張れ、と言ったりするのも聴いている。ただ、層川は本気で生徒会長選を戦っていたというより遊んでいたし、むしろ葉紀子の方が生徒会長になれなかったことを公然とは言わないものの根に持っていると同性として吉田たちは察していた。三人とも葉紀子とは合わない。去年一年間クラスメートだったけれど、友人にはならなかったし、知人とも言えない。葉紀子の連絡先を茉莉那が知ったのは生徒会役員なってから、という関係だった。
「ううっ、もう学校、辞めるから!」
「茉莉那ちゃん、落ち着いて」
「だって全校生徒にっ、ううっ、うう! みんなみんな笑ってっ…私を…ううっ…これから一年……会長なんて、もう無理っ……ううっ、ずっと、ずっと笑われる…恥ずかしくて、学校これないっ!」
泣きじゃくる茉莉那がいつまでも濡れたハーフパンツを着ているのは傷の癒えを遅くするだけなので、ともかく着替えさせる。パンツを脱ぎかけだった純子と並んで、おもらしの処理をすることになった。
「茉莉那ちゃん、脱がせるからね」
「拭くから、少し脚を開いて。恥ずかしいなら、ほんの少しでいいよ」
吉田と三井が気づかって茉莉那を着替えさせているのに比べ、純子は淡々と一人で済ませていく。そして泣き続ける茉莉那に対して苛立ったように言ってきた。
「おもらしくらいで、そんなに泣かなくてもいいのに。高校生にもなって」
「っ…」
茉莉那と純子の目が合う。おもらしした者同士だったけれど、小学生の純子は泣かず、高校生の茉莉那は泣いている。少し泣き止みかけていたのに、純子の言葉が胸に刺さった。
「…っ………ぅ………ぅく…………くぅ……うわああああん!!」
また泣いちゃダメ………小学生の前なのに……、と茉莉那は嗚咽を我慢しようとしたけれど、結局は大きな口を開けて大声で再び泣き出してしまった。小学生にまでバカにされた、しかも同じくおもらしした小学生にまで、と感じて泣かずにいられなかった。女子しかいないとはいえハーフパンツとショーツを脱いだ姿なのに前を隠す意識も回らなくて両手で目を押さえて泣いている。そんな茉莉那の陰部を純子が興味深い目で見てくる。純子は毛が生えていなかった。毛が生えている母親以外の陰部が珍しいという顔をしているし、どことなく男児が女子高生の陰部を見て軽い興奮をしているような変な視線だったので吉田はさりげなくタオルで隠してやった。そして怒って言う。
「小学生のあなたにはわからないだけよ。高校生になってから、おもらしする方がずっと恥ずかしいの!」
「……そうなんですか……」
言われた純子は礼儀正しく敬語を使った。そして考えている顔をしている。小学生のおもらしと高校生のおもらし、どっちが恥ずかしいか、比べて考え、理解した顔になる。理解して、ちゃんと謝ってくる。
「……すみません……ごめんなさい。どうか、泣かないでください」
「うううっ…、うううっ…」
「………えっと、私も漏らしたんです。見ればわかると思いますけど、教室のみんなにも見られたし。……だからその……あなた一人じゃないですし、元気を出してください」
「うううっ…うううっ…」
茉莉那は小学生に慰められている自分に気づいて、より恥ずかしくなる。吉田が言った高校生のおもらしの方がずっと恥ずかしいという言葉も刺さってくる。守るために言ってくれたこととわかっているのに、その恥ずかしいことを自分がしたのだ、と言われている気がして泣ける。吉田は純子に言い続ける。
「女性がおもらしするところを他人に見られるなんて耐えられないことなの! 子供にはわからないのよ!」
「………別に、男でも恥ずかしいと思います……いえ、男の方が……」
素直に聴いていた純子が反論を始めた。
「女の子だったら、そうやってワンワン泣けば友達が慰めてくれるし。男はプライドがあるから……グッと我慢するしかない………げんに自殺率は男性の方が高いじゃないですか」
「「…………」」
本当にこの子は小学生なの、と吉田と三井が驚いた。学園に小学校があって、そこでは少人数制の英才教育を行っているとは知っていたけれど、しっかりと会話したのは初めてだった。一応は敬語を使うものの高校生を年上として恐れていない堂々とした態度といい、使ってくる理屈といい、自殺率などという小学生らしからぬ知識といい、やや圧倒される。圧倒され、つい吉田は低レベルな反論をしてしまう。
「……じ、自分だって、おもらししたくせに!」
「………」
純子が一気に冷めた目になった。こんな低レベルな反論をするヤツに何を言っても無駄、という目で余計に吉田と三井を怒らせる。
「こいつ生意気!」
「小学生のくせに!」
「………。ごめんなさい」
より決定的に純子は二人を見放し、深く頭をさげてきた。そして言う。
「これで、この件を終わりにしてください」
「「…………」」
純子が大人すぎて、吉田と三井は二の句が継げなくなった。そこへ養護教諭がハーフパンツを替えをもってきた。落ち着いている先客の純子より、泣き止まない茉莉那への対応を優先してくれたようで、しかも口喧嘩していた様子に気づいて、純子に言ってくれる。
「初等部のあなたは、あちらの棚から替えのパンツを自分で出してらっしゃい。貸し出しノートに名前を書いて。自分のサイズに合うのを探すのよ」
「はい、ありがとうございます」
純子は一礼して濡らしたパンツを入れたビニール袋を持ち、棚へ向かっていく。それで吉田と三井は生意気な小学生のことは置いて、茉莉那を慰めることに専念し始めた。おしっこで濡れた衣服から着替えると茉莉那も少し落ち着いたものの、それでも泣き続けた。
「ううっ…ぐすっ……ごめ……ごめん、…二人とも……ありがとっ…ぐすっ…」
「「いいよ」」
「ひっく…………ひっく……」
まだ泣きやめない様子なので吉田が促してみる。
「トイレに行く間もないくらい頑張ったんだよ。ちゃんと、わかってる人は、わかってくれてるから」
「ぐすっ……ぅうっ…ううっ…私……頑張ったけど……一人じゃ無理……なのに、ぜんぜん手伝ってくれない……副会長のくせに……、層川くんと替わるの拒否したくせに……」
やっぱり一番の恨みは葉紀子へ抱いている。
「私…もう……おしっこ行きたくて、行きたくて……ちゃんとお願いしたのに……」
とくに茉莉那のおもらしを決定的にしたのは葉紀子の非協力さだった。それを泣きながら愚痴るので吉田と三井は心の底から葉紀子が憎くなった。あのスマした優等生顔が許せなくなる。思い返すと3組になった自分たちをバカにしたような目で見ていた気もする。けれど今は茉莉那の立ち直りを優先する。このままでは本当に自主退学するか、不登校になりそうなほど傷ついている。
「茉莉那ちゃん……家に帰りたいよね、でも、今帰ると、他の人に会うし、生徒がみんな帰った頃に、こっそり帰ろうか」
「ぐすっ…うん…」
保健室で過ごしてからタイミングを見計らい、二人は茉莉那を自宅まで送った。玄関前で別れる。
「じゃあね、茉莉那ちゃん」
「明日の朝、迎えに来るから。頑張って学校いこう?」
「………ぐすっ…」
「私たち絶対に味方だから。学校で余計なこと言うヤツがいたら私が殴ってやる」
「でも学校いくの無理だったら、少しお休みするのもアリだと思うよ。とにかく迎えに来るから」
「…うん……ありがとう……本当に……ありがとう」
茉莉那はお礼を言って自宅に入った。玄関で靴を脱いでいると、急にまた止まっていた涙が溢れてきた。
「うっ、ううっ、ひぐっ…ううっ…」
「おかえり、茉莉那。球技大会だけなのに、遅かったね。生徒会長として大変だったのかい?」
台所から出てきた母親に問われ、茉莉那は説明したくないのと心配をかけたくないので顔をそむけ、階段を駆け上がった。
タタタっ…
その間だけは嗚咽を吐くのを我慢できたけれど、自室に入ってベッドに飛び込むと布団に頭を突っ込んで泣いた。
「うわあああああああああああああああああっ!!!!」
悲しさ、恥ずかしさ、悔しさ、明日からの学校生活、すべてが涙と慟哭になって溢れてきて、生まれてきて今までにないほど号泣する。
「茉莉那……いったい……何があったの……」
帰ってくるなり自室のベッドに入って号泣する娘、追ってきた母親は悪い予感がして強く心配になった。
「茉莉那………もしかして、男になにか、されたの?」
「ううううううっ! 違うううう! ほっといてええ!!」
「でも……茉莉那……母さん、心配だよ、心配でパート行けないから。何があったのか、話してちょうだいよ」
そろそろファミリーレストランで働く母親がパートに行く時間だった。心配でパートを休むべきか迷う母に茉莉那は泣きながら伝える。
「大丈夫うううぅ! なんでもないからぁあああああん!」
「茉莉那…………何でもないって……」
「うあああああん! 何でもないのぉおおお!」
どう見ても、何でもない状態には見えない。パートに遅れそうになる母へ、かろうじで茉莉那は説明する。
「ぐすっ…ちょっと失敗しただけ……ぐすっ…ひぐっ…私の失敗……ううっ! それが恥ずかしいだけ!! 男の人になにかされたとか、そういうんじゃないから!! だから、いいから、パート行って! ううっ…ひぐっ…」
「そう………じゃあ、行くよ。………何があったのか知らないけど、……失敗は誰にでもあるし……。はやまったことだけは絶対にしないでおくれよ。部屋におってよ。約束してくれるかい?」
「ぐすっ…うんっ…」
「じゃ、指切り」
かなり子供の頃にやっていた母親との指切りを久しぶりにした。
「夕飯は親子丼が冷蔵庫に入ってるから、温めてお食べよ」
「うんっ…」
母親がパートに行くと茉莉那は布団に潜り込んだ。
「ぐすっ……ひっく……ひっく…」
ときどき手を出してティッシュで鼻をかみ、泣き続けた。泣いて、泣いて、そのうちに眠った。
コン…コン…
深夜になってドアがノックされる。
「茉莉那、開けていい?」
「……うん…」
ぼんやりとした起きかけだった茉莉那は返事をした。母親が親子丼を持って入ってくる。さすがに、お腹が空いていて食べることができた。食べ終えると、母親が食器と濡らしたハーフパンツと下着、体育館シューズが入ったビニール袋を回収してくれる。そして優しく言ってくれる。
「北倉さんから聴いたよ。大変だったね」
「………」
ぼんやりとしたまま茉莉那は北倉という名前が母のパート仲間で、その子供が同じ星丘高校の一年生だということを思い出した。
「茉莉那、人のウワサも四十九日…じゃなくて…七十? とにかく、そんな気にせんと、済んだことは済んだこと、気にせんとね」
「……………」
「お風呂、今なら温かいよ、入っておいで」
「……うん…」
おしっこで濡らした下半身はタオルで拭いてもらっただけなので茉莉那は入浴する。のろのろと階段を降り、脱衣所で裸になった。
「………」
下半身から、おしっこの匂いがする。時間が経って、とても臭い。洗い場でよく身体を洗い、湯船に浸かった。
「…………はぁ……」
タメ息をつく。
「……ぐすっ……」
もう涙は枯れたかと思ったのに、親子丼といっしょに麦茶を飲んだからか、ほろりと頬を流れた。
「………お母さん……どうして、私のおもらしが…わかって…………北倉…………そっか……一年生の……」
球技大会から帰宅した子供が自分の母親に言い、その母親がパート中に茉莉那の母に伝えたのだと今さら気づいた。茉莉那の母親は他の多くの母親がやってしまうように県内トップの高校に茉莉那が入ったことを、あまり自慢げにならない程度にそれでも自慢してしまう。さらに茉莉那が生徒会長になったこともパート先で話していたのだと想像がつく。そして茉莉那は全校生徒におもらしを見られたので一年生も当然に見ている。その一年生が帰宅してすぐに自分の母親へ、生徒会長がおもらししたよ、話したのだとわかった。
「……うぅっ………うーーっ……」
全校生徒は900人、一人が三人へ話せば、2700人が茉莉那のおもらしを知り、その2700人が三人へ話せば8100人、その時点でも合計1万1700人、すぐに街中、日本中、世界の人口にも近づく。頭がいいだけに計算も速くて、恐ろしくなった。
「……………ヤダ………もう一生、家から出ない……」
世界中が自分を笑っているような気がしてきて、また啜り泣いた。
「生徒会選挙の結果を発表します」
「「「「「……………」」」」」
とても教室が静かになる。今年の生徒会長選には13人もの2年生が立候補している。とくに2組からは6人が出ていた。もともと学園が組割りと出席番号を成績順にするので1組の後半と2組、3組くらいから内申書での生徒会長という肩書きを狙っての立候補が多い。勉強ではトップに立てないので生徒会長を狙う傾向があったし、学園の中学校小学校からあがってきているメンバーより外部の公立校から高校に入ってきた生徒の方が肩書きを欲することが多い。ただ、公約は似たり寄ったりになるので美人投票になりやすく女性生徒会長が続いているし、それほど権限はなく教師たちの雑用係のまとめ役という側面があった。
「生徒会長、当選者は339票を得た2組15番、永戸茉莉那(ながとまりな)さんです」
茉莉那の名が呼ばれ、茉莉那は教室の中央あたりの席に座っていたので、とりあえず周囲に頭をさげた。
「副会長は次点、52票を得た2組2番、塚本葉紀子(つかもとはきこ)さんです」
「………」
呼ばれた葉紀子は無表情で無反応だった。葉紀子はセミロングの黒髪で眼鏡のフチも太めの黒なので冷めた優等生という雰囲気が強い。当選したのに反応が無い葉紀子へ、同じく立候補していた男子の層川(そうかわ)がふざけた声で言ってくる。
「塚本は何でも二番だな。ははは! けど、眼鏡とったら、けっこうイケてるのに」
「余計なお世話よ」
高校で恋愛するつもりのない葉紀子は意図して顔を隠していた。高校生活は志望大学に入るまでの準備期間に過ぎないと考えているし、去年一年も学習に励んだけれど2年生になっても1組には入れず、2組のままだった。一年生は入試で組割りされ、二年生は期末テストで組割りされる。トップ陣である1組も学習を怠る生徒は少ないので、わずかに3名ほど2組と入れ替わったり、学習意欲を失って一気に5組あたりまで落ちたり、学習以外のことにやる気を出して10組になったりするけれど、大きな変動は少なかった。茉莉那も一年生で2組16番から一つあがっただけだったので生徒会長選に挑戦してみている。
「続きまして、書記、書記には立候補者が無く、規定により生徒会長と副会長が女子であるため、男子の名簿からクジ引きによって選出されました」
副会長は会長選の次点者をあてる規定だったけれど、他の役職は立候補制で、候補者無きときはクジ引きとされていた。
「前年度の書記がクジを引き、結果、当選者は10組30番、松井球児(まついきゅうじ)くんです」
校舎の遠いところから騒いでいる声が響いてくる。さきほど葉紀子をひやかした層川が、また言う。
「こいつ、絶対、野球推薦で入った野球バカだ。しかもオヤジも野球バカ」
「「………」」
それには茉莉那も葉紀子も同感だった。一学年300人、一クラス30人で成績順なので10組の30番は学年最下位の成績ということになる。けれど、本人は気にしていないはずで10組の生徒は学園が強化部に指定している野球部の男子とバレー部の女子が多い。推薦という名のスカウトで入ってくる少数精鋭なので、学習面には力が入っていない。なかには1組なのにレギュラーという文武両道の生徒もいるけれど、ごくわずかで大半は10組にいる。
「続きまして、会計、会計にも立候補者が無く、前年度の会計が男子の名簿からクジ引きで選びました。当選者は2組29番、加藤一郎(かとういちろう)くんです」
「ぇ~………マジかよ……」
とても嫌そうに加藤が言い、層川は喜ぶ。
「オレら2組の政権になるな」
「冗談じゃないよぉ………勉強だけで手一杯だってのに………会計って……一番、面倒そうな……」
加藤はアトピー体質なのか、肌を掻いて嫌がっている。ストレスを感じたようで喘息持ちでもあり、さっと吸引の薬を吸って発作を抑えた。
「以上の4名は放課後、生徒会室に集合してください」
「頑張れよぉ」
落選だった層川は他人事として笑っている。昼休みと午後の授業が終わると、茉莉那は葉紀子と加藤に声をかけた。
「さ、生徒会室に行こう。一年間、よろしくね」
「ええ」
「はぁ……なんでボクが……」
三人が生徒会室に入る。ごく普通の文化部の一室という感じで中央に長机が2つ、椅子が8脚、ホワイトボード、先輩たちが残してくれた引き継ぎの資料、わからないことがあった場合に問い合わせる前生徒会メンバーの連絡先、それだけだった。
「先輩たちから引き継ぎとか、教えてもらえたりするわけじゃないんだ……」
茉莉那が言い、葉紀子も資料をパラパラと見て言う。
「わからなければ教えるけど、まずは自分で調べろ式ね………。まあ、この時期、三年生は受験で忙しいから私たちの相手をする時間なんて無いんでしょ。どうせ、たいした業務内容でも無いでしょうし、例年通りでいいことばかりのはず」
「…………」
加藤は黙って椅子に座ると英単語帳をめくり始める。やる気は無さそうだった。
「あと一人は、まだかな……どんな人かな」
「「……………」」
待っていると扉が開いて野球のユニホームを着た大柄な男子が入ってきた。かなりの筋肉をしていて、同じ高校生なのかと思うほど大きい。そして野球場で叫ぶのがよく似合う野太い声で一方的に言ってくる。
「見てわかるだろうけど、オレとお前らじゃ生きてる世界が違うから。書記は名前だけで何もする気はない。というか、せめてクジ引きであてるシステムにするにしても推薦入学の生徒は除外するように変えておいてくれ。でないと、苦労するのはお前らだぞ。じゃ、もう練習いくから」
「「「………」」」
三人が何か言う間もなく松井は野球場へ消えた。その3分後に加藤も言う。
「ボクも予備校にいくから。二人は立候補してなったんだからさ、それなりにやってよ、じゃ」
逃げるように加藤が逃げた。
「……二人だけに、なっちゃったね。ま、まあ、女の子同士だし、仲良くやろうね」
「…………」
葉紀子が自分の生徒手帳の白紙ページを破ると、サラサラと連絡先を書く。
「これ、私の連絡先、どうしても一人じゃできないことがあったら手伝うかもしれないわ。私に余裕があれば」
「そ……そんな……塚本さんは、立候補したんだよね?」
「生徒会長の肩書きが欲しかっただけよ。副会長じゃ、たいして内申書にもプラスにならない、一番プラスを得る人が、一番頑張るべきなんじゃないの」
そう言うと塚本まで出て行った。茉莉那は一人になる。
「…………………」
たった一人、生徒会室にいると、五月なのに北風が吹いた気がする。
「……………。よし! 頑張るぞ! えい、えい、おー! ……………」
気合いを入れてみたけれど、やっぱり一人は一人だった。
「………………。とりあえず……最初の仕事は球技大会のとりまとめかぁ……」
仕方がないので資料をめくり、前年度の例を習っていく。半時間ほどして来客があった。
「ちーっす」
層川がノックして返事を待たずに扉を開けて入ってくる。
「あ、層川くん、どうしたの?」
「オレが何票をえて落選だったのか見に来た。資料ある?」
「あ、うん、たぶん………」
少し探して見つかった資料を渡した。
「49票か……オレ、3位じゃん、あとちょっとだったのか」
「そうだね、惜しかったね」
「ああ、オレはこの49票を入れてくれた人たちのことを忘れないぜ。……君たちの名……ノベンタ、セプテム、ベンティ、ドーリアン、ワーカー、オットー、ブント…」
「…………」
あれ……そんな在日ブラジル人系みたいな氏名の人……そんなに何人もこの学校にいたかなぁ……というか、無記名投票のはず………、と茉莉那が思っていると層川は話題を変える。
「オレが公約にしたさ、この学校の制服を小麦色から赤に変える案と、文化祭の出し物をすべてガンダム縛りにすること、49票もあったんだし、検討してくれないか?」
「それは……ちょっと……」
「49票だぞ」
「………全校生徒は900人だよ5.4%の意見じゃ、ちょっと無理かなぁ」
「いつの時代も革新的な意見は旧体制によって沮まれるか」
「……………。あ、でもね。もし、よかったら生徒会の仕事を手伝ってくれない?」
「オレが? なんで?」
「だって、塚本さんも加藤くんも、松井くんも、みんな放り出して私一人に……だから、お願い。ね?」
「それで一人でいたのか」
「そうなの。淋しいの、お願い」
茉莉那は両手を合わせ、首を傾げ、軽くウインクまでして男を誘ってみた。こんなことをしたのは小学校6年生のとき、父親へ千葉県にある有名な遊園地へ行きたいとねだったとき以来だった。あのとき、愛らしい娘の仕草に父は応えてくれた。層川も男として反応してくる。
「お前、ドキっとするほど可愛いな」
「……てへへ…」
層川くんって正直な人……思ったことポンポン言う……面と向かって可愛いとか言われると照れるよ、と茉莉那は赤面しないように気持ちを抑えた。
「じゃあ手伝うから、塚本からオレに副会長を替えてくれよ。それならやる」
「う~ん……それは……制度的にも……それ以前に塚本さんの気持ちを……でも、やる気ない感じだし、ちょっと訊いてみるね」
茉莉那はもらった連絡先に電話をかけてみた。
「もしもし、永戸です」
「なんなの? 用件は」
「えっとね…」
そんな冷たい言い方しなくていいのに……、と茉莉那は不満に思いつつも葉紀子へ層川に副会長を替わるつもりはないか、と質問してみた。
「どう? 交替しない?」
「………。しないわ」
少し考えた葉紀子が拒否してくる。
「私に投票してくれた50人くらいの人への建前もあるし、そんな簡単に替われるものでもないでしょ、選挙したんだから。罷免でもされない限り、私から譲位するつもりはないから」
「……でも、ぜんぜん手伝ってくれないって…」
「どうにも、あなた一人でできないときは少しくらい手伝うわよ。副会長って、そういうもの。会長に事故のあるとき、替わりに挨拶するくらいの。わかる?」
「………わかりましたっ」
ようするに副会長の肩書きだけは内申書に欲しいってことでしょ! と言いかけて茉莉那は今後の関係もあるので丁寧に電話を切った。
「ごめん、層川くん、ダメだって。でも、加藤くんと松井くんなら可能性あるかも」
「いや、書記とか会計は地味すぎていらない」
「そう………でも、私一人なの………手伝ってくれない?」
「う~ん……なら、オレと付き合ってくれよ、それなら手伝う」
「付き合うって………男女の?」
「オレと永戸、運命の出会いって気がしないか? ずっと一年から、いっしょだし」
層川は現在2組の14番で一年生のときも2組の15番だったので茉莉那の前にいた。単純に成績が両者とも一年経っても大きく変わらなかったというだけの話ではあったけれど、運命という言葉はなんとなく茉莉那の脳に響く。これから、いっしょに生徒会の仕事をしていくなら、放課後遅くなって帰宅もいっしょになる。生徒会室で男女一対一、だんだん仲良くなって自然に付き合うのもありえる。
「…えっと……どうしようかなぁ……」
これって……告白? ………今、私たち二人っきりだし……層川くん、口は悪いけど、面白いところもあるし……私と成績も釣り合うし……顔も嫌いじゃない……けっこう……いいかな……高校も二年生になったし、そろそろ彼氏いても……来年は大学受験で忙しいから、この一年が高校生活の想い出に………、と茉莉那が半ば本気で考え始める。頬が熱くなってきた。
「な、いいだろ?」
「……ちょっと……答えは、もう少し……」
どうしようかな……どうしようかな……あれ? でも、たしか、層川くんって先月から他校生の女子と付き合い始めたってウワサあった……あれは、どうなのかな、と茉莉那は気になることを質問してみる。
「でも、層川くん、他校生と付き合ってなかった?」
「あ、知ってるか。永戸がOKしてくれるなら、あいつとは別れる」
「………………」
なんか……軽すぎる………、と茉莉那は腹が立ってくる。立腹を表情には出さず問うてみる。
「その子とは、どうして付き合ってるの? どういうキッカケ?」
「オレ、電車通学でさ、同じ電車に一年間いっしょで、ときどき会話してて、バレンタインにチョコもらって、で、まあホワイトデーに返して、そんな感じ。やっぱり星丘の制服を着てると、女が寄ってくるよな」
「………」
「でも、お前の方が好みだし、きっと同じレベルの大学に行くだろうし、どう?」
「………」
バカにしないでよ! と茉莉那は怒鳴ってやりたかったけれど、そこまでの勇気はなくて力なく首を横に振った。
「そんな風に付き合えないし、人の彼氏を盗ったって言われるのも嫌」
「そうか。じゃあ、オレもう、そいつのとこ行くわ。時間だし」
「…………大事にしてあげてね」
「おう」
層川が出て行った。また一人になる。
「はぁぁぁ………」
深い深いタメ息が出た。
「………塚本さんと層川くん、たった3票の違いかぁ……男子も顔で投票されたのかな……」
別に自分が学年で一番可愛いとは思っていないし、美人投票になったとはいえ、それは立候補者の中だけの話だとわかっている。何より投票する生徒たちは、ごくごく軽い気持ちで選んでいた。だから、わずかの気まぐれで層川が2位だったら、塚本との交替という問題もなく二人きりとなり、そのうち付き合っていたかもしれない。
「人間の運命って、ささいなことで変わっちゃうんだなぁ……」
層川と交際していたら、他校生の女子と修羅場になったかもしれない、一人を巡って二人が争う、そんな道を避けられて良かったと思いながら茉莉那は一人、球技大会の準備を進めた。
翌月、おもらし寸前の膀胱を抱えて茉莉那は葉紀子に頼んでみた。
「ごめん、閉会の挨拶、やってほしい」
「は? どうして私に?」
「ど…どうしても……ちょ、ちょっとトイレ…」
茉莉那も葉紀子も体操服を着ている。制服と同じ小麦色のハーフパンツに白Tシャツ、体育館シューズは女子がピンク、靴下は白、今日は球技大会で全校生徒が体操服だった。そして、全校生徒900人分の対戦スケジュール管理、審判の手配、賞品の手配、その他色々な業務を茉莉那一人でやったので、とても忙しくて休憩時間は無かった。お昼ご飯も食べられずスポーツドリンクを飲んだだけ、そのスポーツドリンクが閉会が迫った頃になって膀胱いっぱいにおりてきて、おしっこが漏れそうだった。これから閉会式をするために生徒たちが整列しつつある中、終わりまで我慢できるかと思っていたのに急激に尿意が高まってきて茉莉那は最後の頼みの綱として葉紀子に頼んでいるのに態度は冷たい。
「トイレって、球技大会も授業ではあるから、抜けると点数を引かれるのに?」
「いいのッ、も、もう、そんな場合じゃないのッ、漏れそうなのッ」
「………。この球技大会が生徒会長最初の仕事なんだし、せいぜい頑張りなさい」
「うぅ……そんなァ……」
ここまで何一つしてくれなかったくせに……挨拶くらい……あ~あ、もう早く終わらせてトイレに行った方がマシかも、と茉莉那は自分で挨拶することを選んだ。マイクを握って生徒たちに頼む。
「は、早く整列してくださーい! でないと終わりませんよぉ!」
優良校の生徒なのに球技大会は学力と関係ないのでダラダラとしている。むしろ張り切っていたのは松井のような生徒で、加藤のような生徒は今日も参考書を眺めている。そういう自習に対しては教師たちも注意しないのに、途中退席は点数を引かれるのでトイレへ行けるのはチャイムが鳴って通常授業と同じ休憩時間帯か、お昼休み、あとは閉会後だった。
「早く、早くっ、整列してくださーい!」
やっと整列してくれて体育委員が試合結果の発表をして優勝チームに賞品を授与し、最後に茉莉那が生徒会長としてシメの挨拶をする段階が近づく。全校生徒が体育館で整列し、茉莉那と葉紀子は壇上に立っている。松井と加藤は書記と会計なのに壇の下で一般生徒と同じように並んでいた。
「…ハァ…」
茉莉那は冷や汗を拭い、ズキズキと膀胱が痛くなってきたので葉紀子へ、もう一度本気で頼んでみた。
「お願いッ、私の代わりに挨拶して、お願いだから。今トイレいかないと、もう…」
「甘えないで。何がおしっこよ、子供みたいに。会長はあなたでしょ、やることやりなさい」
「ハァ…ホントに途中で…ぅ、漏らしちゃうかも、そのくらいヤバくなってきたの、ぅぅ…お願い、一生のお願い」
「………。嫌」
一言で拒否して、あろうことか壇上からおりていく。一人にされた茉莉那は急いで終わらせることにした。おしっこが漏れそうで両手で股間を押さえたいのを我慢して、マイクを両手で握る。手が汗でベタベタだった。
「ハァ…これで球技大会を終わりにします。み、皆さん、きょ、今日はいい汗をかきましたね…」
そこまで言うのが限界だった。大きめの発声をしたことでお腹が揺れて堰が崩れた。
シャアァァァ…
おしっこが茉莉那の股間から漏れ出てきてショーツの中いっぱいに拡がってくる。
「っ…………ぁぁ…………」
シャアァァァ…
止めようとしても、止まってくれない。ショーツから溢れてハーフパンツを濡らしている感触もする。股間と内腿が生温かい。スカートなら、すぐ下へ落ちて目立たなかったかもしれないのに、小麦色のハーフパンツなので茶色く変色して大きくシミをつくっていく。
「………………ハァっ……………ハァっ………ぐすっ…」
茉莉那の息づかいがマイクを通して全校生徒たちに届いている。茉莉那のハーフパンツが濡れているのを全校生徒たちが見ている。
「……あれって、おもらし?」
女子の誰かが言っている。
「おしっこしたの、あの人……」
別の女子が言い、男子たちもつぶやく。
「あの濡れてるの……おしっこか?」
「高校生になって、おもらしはしないだろ……たぶん…」
「じゃあ、愛液だったりしてな。ははは」
「それはそれで濡れすぎ」
「汗だと思ってやれ」
層川が言い、さらに大声で叫ぶ。
「会長はいい汗をかきすぎましたね!」
静まりかえっていた体育館に数瞬後、大爆笑が響く。
「ぷははっははは!」
「だははははは!」
「きゃはっははは!」
「あはははは! 層川、お前、座布団全部出せ!」
「ぶはははは! お茶かえせ、層川!」
「フ♪」
層川はギャグとして笑いをとって悲惨な雰囲気にならないようにしたつもりだったけれど、大勢に笑われて茉莉那の乙女心はズタズタに傷ついていた。おしっこおもらしを高校2年生にもなってしてしまい、しかも生徒会長という立場で全校生徒の前に立っている状態で見られ、笑われ、もう腰から力が抜ける。
ビチャッ!
立っていられなくて、お尻から自分のおしっこがつくった水たまりに座り込んだ。
「……うっ…ううっ…ひっく…」
嗚咽で喉が鳴り、ポロポロと涙が零れる。この1ヶ月、生徒会の業務を一人で頑張ってきたのに、おしっこを漏らしてしまい、全校生徒に見られてしまった。まだ笑い声が体育館に響いている。
「ひっく……ひぐっ…うぐう…ぐすっ…」
高校生にもなって泣いちゃダメ、と茉莉那は頭の片隅で考えたけれど、胸の中は恥ずかしさと悲しさでいっぱいすぎて、もう限界だった。おしっこが溢れてきたように泣き声が溢れてくる。
「うわあああん! うわあああん、あんあんああん!」
「………子供ね」
葉紀子は眼鏡を指先であげ、助けに行かない。泣き続ける茉莉那を助けに走ったのは友人二人だった。
「「茉莉那ちゃん!」」
吉田と三井は駆け寄って茉莉那を隠すように抱いた。自分たちの膝が水たまりで濡れるのもかまわず、抱いて背中を撫でる。
「うあああん! うわああああん!」
それでも茉莉那の絶望は深くて大声で泣いている。球技大会は生徒の自主的運営を意図していたけれど、さすがに教師たちも出てきて、茉莉那が落としたマイクを拾い生徒たちに告げる。
「人の失敗を笑ってはいけません。これで球技大会は終了、さあ、解散です」
終わらせて茉莉那を解放するために解散を告げたけれど、逆効果で整列していた生徒たちが崩れ、好奇心で泣いている茉莉那を見に来る。人垣に囲まれ、おもらしした茉莉那は晒し者になった。
「うわああん! うわああん!」
もう幼児のように大きな口を開けて、次々と溢れてくる涙を両手の甲で拭い、泣き続けている。このままでは茉莉那の傷が深まるばかりなので吉田と三井は左右から抱き上げた。茉莉那自身では立てず、膝がブルブルと震えているので全体重を吉田と三井が半分ずつ支えてやる。二人とも運動系の部活なので女子であっても茉莉那を運べた。
「そこ、どいて!」
「見ないであげてよ! バカ!」
人垣が割れ、ポタポタとおしっこの滴をしたたらせる茉莉那を抱いて、ともかく大勢がいる体育館から脱出させた。
「うううっ、うううっ」
抱かれながら茉莉那は泣き続けている。
「どうしよ?」
「やっぱり保健室?」
「だよね」
おもらししたら保健室というのは小学校の頃に学んだので高校でも通用するかと考え、二人は茉莉那を保健室へ連れ込んだ。
「ううっ…ひっくっ…ううっ…」
保健室は保健センターとも学園内で呼ばれ、幼小中高が共通で使っている。そのため高校の体育館から遠くて、茉莉那は学園の中学生たち数人にも、おもらしして泣いている姿を見られ、ようやく人目がない室内へ辿り着いたかと思ったけれど、一人の女子小学生が先客としていて、おもらしした茉莉那をジッと見てくる。その本人もおしっこを漏らして保健室に来たようでパンツを脱ぐところだった。ただ、茉莉那と違って鹿狩純子は一粒の涙も零さず淡々としている。茉莉那はまだ涙が止まらない。
「…ううっ…うあああっ…」
「茉莉那ちゃん、仕方ないよ」
「茉莉那ちゃんが忙しく頑張ってたこと、みんな知ってるから」
吉田と三井は一年生の頃に茉莉那と友達になった。同じ2組だった縁と、高校の1組と2組は6割7割が学園中学からの内部進学者で占められ、外部の公立中学から受験で入ってきて入試成績が優秀でクラス編入されたメンバーは疎外感を抱きやすい。自分たちには一人も友達がいないのに、周囲の内部生は幼馴染み同士で和気藹々としている状況に放り込まれる。茉莉那も吉田、三井も公立中学から入ってきて2組だったので自然と集まり友達になった。なのに吉田と三井は運動部を頑張るあまり二年生になると3組だったので今現在、茉莉那にはおもらしして泣き出したような追いつめられた状況で助けてくれる友人はクラスにいなくて唯一、吉田と三井が救いだった。
「うああううっ…もう学校これない…ううっ…」
「茉莉那ちゃん、大丈夫だよ、私たちは味方だから」
「そうそう、そんなに泣かないで」
「ううっ…もうヤダ……学校こない……みんなに見られた…」
茉莉那は帰宅部なので部活でのつながりもなく、それもあって生徒会長選挙に挑戦してみたのに、こんな結果になってしまい、もう登校できる気がしない。
「ううっ…ひっく、ううっ!」
生徒会長という顔の売れた立場で900人いる全校生徒に、おしっこを漏らす現場を目撃され、大笑いされて心が折れている。
「ああっ…うううっ…みんなに笑われたっ…」
「笑ったのは一部だよ、最低な人たち」
「あいつら自分が落選したから」
吉田と三井は部活で遅くなる。その遅い時間になっても帰宅部の茉莉那が生徒会室で頑張っていたのを知っている。そして、部活の合間に訪ねてみると、いつ行っても茉莉那は一人だったし、他の役員が誰も手伝ってくれないという軽い愚痴は聴いていた。他に層川は公然と、オレを落選させて当選したんだからお前らは頑張れ、と言ったりするのも聴いている。ただ、層川は本気で生徒会長選を戦っていたというより遊んでいたし、むしろ葉紀子の方が生徒会長になれなかったことを公然とは言わないものの根に持っていると同性として吉田たちは察していた。三人とも葉紀子とは合わない。去年一年間クラスメートだったけれど、友人にはならなかったし、知人とも言えない。葉紀子の連絡先を茉莉那が知ったのは生徒会役員なってから、という関係だった。
「ううっ、もう学校、辞めるから!」
「茉莉那ちゃん、落ち着いて」
「だって全校生徒にっ、ううっ、うう! みんなみんな笑ってっ…私を…ううっ…これから一年……会長なんて、もう無理っ……ううっ、ずっと、ずっと笑われる…恥ずかしくて、学校これないっ!」
泣きじゃくる茉莉那がいつまでも濡れたハーフパンツを着ているのは傷の癒えを遅くするだけなので、ともかく着替えさせる。パンツを脱ぎかけだった純子と並んで、おもらしの処理をすることになった。
「茉莉那ちゃん、脱がせるからね」
「拭くから、少し脚を開いて。恥ずかしいなら、ほんの少しでいいよ」
吉田と三井が気づかって茉莉那を着替えさせているのに比べ、純子は淡々と一人で済ませていく。そして泣き続ける茉莉那に対して苛立ったように言ってきた。
「おもらしくらいで、そんなに泣かなくてもいいのに。高校生にもなって」
「っ…」
茉莉那と純子の目が合う。おもらしした者同士だったけれど、小学生の純子は泣かず、高校生の茉莉那は泣いている。少し泣き止みかけていたのに、純子の言葉が胸に刺さった。
「…っ………ぅ………ぅく…………くぅ……うわああああん!!」
また泣いちゃダメ………小学生の前なのに……、と茉莉那は嗚咽を我慢しようとしたけれど、結局は大きな口を開けて大声で再び泣き出してしまった。小学生にまでバカにされた、しかも同じくおもらしした小学生にまで、と感じて泣かずにいられなかった。女子しかいないとはいえハーフパンツとショーツを脱いだ姿なのに前を隠す意識も回らなくて両手で目を押さえて泣いている。そんな茉莉那の陰部を純子が興味深い目で見てくる。純子は毛が生えていなかった。毛が生えている母親以外の陰部が珍しいという顔をしているし、どことなく男児が女子高生の陰部を見て軽い興奮をしているような変な視線だったので吉田はさりげなくタオルで隠してやった。そして怒って言う。
「小学生のあなたにはわからないだけよ。高校生になってから、おもらしする方がずっと恥ずかしいの!」
「……そうなんですか……」
言われた純子は礼儀正しく敬語を使った。そして考えている顔をしている。小学生のおもらしと高校生のおもらし、どっちが恥ずかしいか、比べて考え、理解した顔になる。理解して、ちゃんと謝ってくる。
「……すみません……ごめんなさい。どうか、泣かないでください」
「うううっ…、うううっ…」
「………えっと、私も漏らしたんです。見ればわかると思いますけど、教室のみんなにも見られたし。……だからその……あなた一人じゃないですし、元気を出してください」
「うううっ…うううっ…」
茉莉那は小学生に慰められている自分に気づいて、より恥ずかしくなる。吉田が言った高校生のおもらしの方がずっと恥ずかしいという言葉も刺さってくる。守るために言ってくれたこととわかっているのに、その恥ずかしいことを自分がしたのだ、と言われている気がして泣ける。吉田は純子に言い続ける。
「女性がおもらしするところを他人に見られるなんて耐えられないことなの! 子供にはわからないのよ!」
「………別に、男でも恥ずかしいと思います……いえ、男の方が……」
素直に聴いていた純子が反論を始めた。
「女の子だったら、そうやってワンワン泣けば友達が慰めてくれるし。男はプライドがあるから……グッと我慢するしかない………げんに自殺率は男性の方が高いじゃないですか」
「「…………」」
本当にこの子は小学生なの、と吉田と三井が驚いた。学園に小学校があって、そこでは少人数制の英才教育を行っているとは知っていたけれど、しっかりと会話したのは初めてだった。一応は敬語を使うものの高校生を年上として恐れていない堂々とした態度といい、使ってくる理屈といい、自殺率などという小学生らしからぬ知識といい、やや圧倒される。圧倒され、つい吉田は低レベルな反論をしてしまう。
「……じ、自分だって、おもらししたくせに!」
「………」
純子が一気に冷めた目になった。こんな低レベルな反論をするヤツに何を言っても無駄、という目で余計に吉田と三井を怒らせる。
「こいつ生意気!」
「小学生のくせに!」
「………。ごめんなさい」
より決定的に純子は二人を見放し、深く頭をさげてきた。そして言う。
「これで、この件を終わりにしてください」
「「…………」」
純子が大人すぎて、吉田と三井は二の句が継げなくなった。そこへ養護教諭がハーフパンツを替えをもってきた。落ち着いている先客の純子より、泣き止まない茉莉那への対応を優先してくれたようで、しかも口喧嘩していた様子に気づいて、純子に言ってくれる。
「初等部のあなたは、あちらの棚から替えのパンツを自分で出してらっしゃい。貸し出しノートに名前を書いて。自分のサイズに合うのを探すのよ」
「はい、ありがとうございます」
純子は一礼して濡らしたパンツを入れたビニール袋を持ち、棚へ向かっていく。それで吉田と三井は生意気な小学生のことは置いて、茉莉那を慰めることに専念し始めた。おしっこで濡れた衣服から着替えると茉莉那も少し落ち着いたものの、それでも泣き続けた。
「ううっ…ぐすっ……ごめ……ごめん、…二人とも……ありがとっ…ぐすっ…」
「「いいよ」」
「ひっく…………ひっく……」
まだ泣きやめない様子なので吉田が促してみる。
「トイレに行く間もないくらい頑張ったんだよ。ちゃんと、わかってる人は、わかってくれてるから」
「ぐすっ……ぅうっ…ううっ…私……頑張ったけど……一人じゃ無理……なのに、ぜんぜん手伝ってくれない……副会長のくせに……、層川くんと替わるの拒否したくせに……」
やっぱり一番の恨みは葉紀子へ抱いている。
「私…もう……おしっこ行きたくて、行きたくて……ちゃんとお願いしたのに……」
とくに茉莉那のおもらしを決定的にしたのは葉紀子の非協力さだった。それを泣きながら愚痴るので吉田と三井は心の底から葉紀子が憎くなった。あのスマした優等生顔が許せなくなる。思い返すと3組になった自分たちをバカにしたような目で見ていた気もする。けれど今は茉莉那の立ち直りを優先する。このままでは本当に自主退学するか、不登校になりそうなほど傷ついている。
「茉莉那ちゃん……家に帰りたいよね、でも、今帰ると、他の人に会うし、生徒がみんな帰った頃に、こっそり帰ろうか」
「ぐすっ…うん…」
保健室で過ごしてからタイミングを見計らい、二人は茉莉那を自宅まで送った。玄関前で別れる。
「じゃあね、茉莉那ちゃん」
「明日の朝、迎えに来るから。頑張って学校いこう?」
「………ぐすっ…」
「私たち絶対に味方だから。学校で余計なこと言うヤツがいたら私が殴ってやる」
「でも学校いくの無理だったら、少しお休みするのもアリだと思うよ。とにかく迎えに来るから」
「…うん……ありがとう……本当に……ありがとう」
茉莉那はお礼を言って自宅に入った。玄関で靴を脱いでいると、急にまた止まっていた涙が溢れてきた。
「うっ、ううっ、ひぐっ…ううっ…」
「おかえり、茉莉那。球技大会だけなのに、遅かったね。生徒会長として大変だったのかい?」
台所から出てきた母親に問われ、茉莉那は説明したくないのと心配をかけたくないので顔をそむけ、階段を駆け上がった。
タタタっ…
その間だけは嗚咽を吐くのを我慢できたけれど、自室に入ってベッドに飛び込むと布団に頭を突っ込んで泣いた。
「うわあああああああああああああああああっ!!!!」
悲しさ、恥ずかしさ、悔しさ、明日からの学校生活、すべてが涙と慟哭になって溢れてきて、生まれてきて今までにないほど号泣する。
「茉莉那……いったい……何があったの……」
帰ってくるなり自室のベッドに入って号泣する娘、追ってきた母親は悪い予感がして強く心配になった。
「茉莉那………もしかして、男になにか、されたの?」
「ううううううっ! 違うううう! ほっといてええ!!」
「でも……茉莉那……母さん、心配だよ、心配でパート行けないから。何があったのか、話してちょうだいよ」
そろそろファミリーレストランで働く母親がパートに行く時間だった。心配でパートを休むべきか迷う母に茉莉那は泣きながら伝える。
「大丈夫うううぅ! なんでもないからぁあああああん!」
「茉莉那…………何でもないって……」
「うあああああん! 何でもないのぉおおお!」
どう見ても、何でもない状態には見えない。パートに遅れそうになる母へ、かろうじで茉莉那は説明する。
「ぐすっ…ちょっと失敗しただけ……ぐすっ…ひぐっ…私の失敗……ううっ! それが恥ずかしいだけ!! 男の人になにかされたとか、そういうんじゃないから!! だから、いいから、パート行って! ううっ…ひぐっ…」
「そう………じゃあ、行くよ。………何があったのか知らないけど、……失敗は誰にでもあるし……。はやまったことだけは絶対にしないでおくれよ。部屋におってよ。約束してくれるかい?」
「ぐすっ…うんっ…」
「じゃ、指切り」
かなり子供の頃にやっていた母親との指切りを久しぶりにした。
「夕飯は親子丼が冷蔵庫に入ってるから、温めてお食べよ」
「うんっ…」
母親がパートに行くと茉莉那は布団に潜り込んだ。
「ぐすっ……ひっく……ひっく…」
ときどき手を出してティッシュで鼻をかみ、泣き続けた。泣いて、泣いて、そのうちに眠った。
コン…コン…
深夜になってドアがノックされる。
「茉莉那、開けていい?」
「……うん…」
ぼんやりとした起きかけだった茉莉那は返事をした。母親が親子丼を持って入ってくる。さすがに、お腹が空いていて食べることができた。食べ終えると、母親が食器と濡らしたハーフパンツと下着、体育館シューズが入ったビニール袋を回収してくれる。そして優しく言ってくれる。
「北倉さんから聴いたよ。大変だったね」
「………」
ぼんやりとしたまま茉莉那は北倉という名前が母のパート仲間で、その子供が同じ星丘高校の一年生だということを思い出した。
「茉莉那、人のウワサも四十九日…じゃなくて…七十? とにかく、そんな気にせんと、済んだことは済んだこと、気にせんとね」
「……………」
「お風呂、今なら温かいよ、入っておいで」
「……うん…」
おしっこで濡らした下半身はタオルで拭いてもらっただけなので茉莉那は入浴する。のろのろと階段を降り、脱衣所で裸になった。
「………」
下半身から、おしっこの匂いがする。時間が経って、とても臭い。洗い場でよく身体を洗い、湯船に浸かった。
「…………はぁ……」
タメ息をつく。
「……ぐすっ……」
もう涙は枯れたかと思ったのに、親子丼といっしょに麦茶を飲んだからか、ほろりと頬を流れた。
「………お母さん……どうして、私のおもらしが…わかって…………北倉…………そっか……一年生の……」
球技大会から帰宅した子供が自分の母親に言い、その母親がパート中に茉莉那の母に伝えたのだと今さら気づいた。茉莉那の母親は他の多くの母親がやってしまうように県内トップの高校に茉莉那が入ったことを、あまり自慢げにならない程度にそれでも自慢してしまう。さらに茉莉那が生徒会長になったこともパート先で話していたのだと想像がつく。そして茉莉那は全校生徒におもらしを見られたので一年生も当然に見ている。その一年生が帰宅してすぐに自分の母親へ、生徒会長がおもらししたよ、話したのだとわかった。
「……うぅっ………うーーっ……」
全校生徒は900人、一人が三人へ話せば、2700人が茉莉那のおもらしを知り、その2700人が三人へ話せば8100人、その時点でも合計1万1700人、すぐに街中、日本中、世界の人口にも近づく。頭がいいだけに計算も速くて、恐ろしくなった。
「……………ヤダ………もう一生、家から出ない……」
世界中が自分を笑っているような気がしてきて、また啜り泣いた。
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