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草津千晶のおもらし 万引きで捕まって 中学3年生のとき
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明後日が中学の卒業式という日、草津千晶(くさつちあき)は一人で近所の店にいた。店はコンビニとスーパーの中間という感じのハンパな店で北陸地方にしか展開していないチェーン店で少し古臭い。
「………はぁぁ……」
自然とタメ息が出た。立ち読みしたいコミックは厳重にパッケージングされていて読めない。かわりに、あまり面白く無さそうな漫画雑誌を読んでみたけれど、やっぱり面白くなかった。雑誌から視線をあげ、ガラス窓の外を見ると、ちょうど夏原志澄実が中学から帰宅する姿が見えた。
「自由登校なのに、毎日ちゃんと行ってるんだ……えらいなぁ……まあ、あのボロい家に居る気にはならないかな」
長く友達だったけれど、同じ星丘高校を受験して志澄実が10番以内に入って合格、千晶は不合格という結果になって以来、あまり会わなくなった。千晶は公立高校の受験に専念するため、自由登校となってからは学校に行かず塾へ行き、志澄実はスマートフォンを持っていないので見事に会わないし連絡もつかない。そして千晶は公立高校の受験にも失敗した。星丘の合格ラインすれすれまで勉強したのだから大丈夫という欲が出て、そこそこのレベルの公立を受験した。なのに受験2日前にインフルエンザにかかり最悪の体調で臨み、落ちた。
「……白女なんてガイ児が行くところ……」
第一志望の私立にも第二志望の公立にも落ちた千晶に残されていたのは私立底辺校の白尾女子学園だった。その四次試験を受けて合格した。
「………あんなの試験じゃないし……ホントに名前を書いただけでも受かりそう……」
びっくりするほど試験問題は簡単だった。小学生でも解けそうな問題だった。しかも四次試験が終わった後も六次試験まで用意されているらしく最も遅ければ4月5日に受けても4月8日に入学できるらしい。
「ようするに……はきだめ……なんで私が、あんなとこに……」
千晶も公立中学の中では成績は良い方だった。上から30番目くらいにいる。志澄実は1番を取ることが多かった。
「塾にも行かないで1番とか……神様は不平等だよね……まあ、あんなビンボーなあたり、神も平等かなぁ……」
もう志澄実の姿は見えない。きっと真っ直ぐ帰り、いまだに自学自習を続けるのだと思う。もう千晶は学習意欲を失っていて、制服のポケットから財布を出した。
「……足りない…」
欲しいコミックスの定価に、あと30円足りない。星丘の受験に失敗してから親は小遣いをくれなくなった。もちろん白尾に受かった合格祝いもなかったし、きっと入学祝いもない気がする。そっと千晶は店員の方を見た。
「…………」
小太りの男性店員はカウンターの中にある椅子に座って居眠りしている。
「………」
今なら……、そう思った千晶はコミックスをカバンに入れて、すぐに店を出る。手動ドアを押して開け、北陸特有の二重ドアも開けて店外へ出た瞬間だった。
「ちょっと君、カバンの中を見せてくれる?」
「っ?!」
小太りの男性店員が瞬間移動でもしてきたのかと思うほど千晶の真後ろにいて肩へ手をかけてきた。
バッ!
とっさに千晶は走り出した。
「待て、コラ!!!」
太い男の声がして怖い。怖くて脚がもつれそうになる。なんとか逃げ切ろうとしたのに、小太りの店員は驚くほど脚が速くて、すぐに追いつかれ駐車場で押し倒された。
「おとなしくしろ!!」
「っ…た、助けて!」
男性の重い身体にのしかかられて本能的な恐怖を覚えた千晶は通りがかりの通行人たちに助けを求めていた。
「「「………」」」
三人の通行人は老婆と男子中学生たちで千晶と同じ中学の生徒だったので、さっと千晶は顔を伏せた。店員が通行人へ説明する。
「こいつ万引きしたんです!!」
「「「………」」」
通行人は女の子が男性に押し倒されている状態と、店の制服を着ている男性の姿を見て、すぐに無関係という顔になって歩いていった。
「おら、立て!」
「ひっ、ごめんなさい、ごめんなさい! もうしませんから!」
すでに泣き出していた千晶は謝ったけれど、男性店員へ店に引っ張り込まれる。握力の強さも男性は圧倒的で、もう逃げることはできなかった。店のバックヤードに押し込まれる。
「カバンを開けろ!!」
「ひっ…は、はい…」
素直に千晶はカバンを開けた。そこには盗みそこねたコミックスがある。
「これ、うちの店のだな?!」
「ひっ、ひうぅ……ごめんなさい、ごめんなさい、もうしませんから」
怯えきった千晶は震えながら謝ったけれど、男性店員はポケットから手錠を出した。
「午後15時20分、現行犯逮捕」
ガチャ…
金属製の手錠が千晶の右手首にかけられた。
「ひっ?! お巡りさんなの?!」
「現行犯なら誰でも逮捕できるんだ! それにオレは警察にも7年いたからな!」
そう言って男性店員は手錠の反対側を火災報知器の金属パイプにかけた。おかげで千晶は頭の高さから右手を動かせなくなる。バックヤードに私服の女性が駆け込んできた。
「ハァハァ! セーフ! ですよね、店長!」
息を乱しながらタイムカードを押している。
「吉田さん、タイムカードは着替えてから押してよぉ」
男性が言い、女性は千晶の存在に気づいた。
「また万引き?」
「そうだよ」
「ち、ちがいます! 私は初めてで!」
「ふ~ん……」
「吉田さん、さっさと着替えて店を見てきて!」
「あいさー」
吉田という女性が出ていき、店長だった男性が千晶を睨む。
「お前の親の連絡先は?」
「うぅぅ……ゆ……許してください! もうしませんから!」
「さっさと言え! 親のケータイ番号は?! でないと警察に通報するぞ!」
「ぐすっ……ひぐっ……09…」
泣きながら千晶は母親の連絡先を教えた。すぐに店長が電話をかけている。
「もしもし、ナルックコマート金沢大樋店です。あなたの娘さんが、当店の漫画本を盗もうとしたので捕まえています。監視カメラの録画もあります。まだ警察には通報していません。こちらに来ていただけますか?」
「………。…ご迷惑をおかけしました……すぐ向かいます。ですが、私は富山にいるのです。すぐは難しいです」
「何分かかりますか?」
「すみません……2時間は…かかります。どうか、警察には通報しないでください、すぐ行きますから」
「お待ちしてます。店長の森山です。では」
森山は電話を切ると、もう怒鳴らなかった。
「初めてで、ちゃんと反省するなら許してやるからおとなしくしてろ」
「ぐすっ…はいぃ……カチ…カチ…」
千晶はガタガタと震えていて、奥歯が鳴るほどだった。まったく万引き慣れした様子は欠片もなかったし、バックヤードは一切の暖房が無いので寒さで余計に震える。森山はそばにあった温蔵庫を開けて、温かいペットボトルのお茶を開封してから千晶の左手に握らせてくれた。
「ここは寒いからな。監禁って言われるとなんだし、この中にあるペットボトルなら好きに飲んでいいぞ。賞味期限切れてるけど、みんな飲んでるし」
「ぐすっ……ありがとうございます…ぅぅ…」
「じゃあ、これから店は忙しくなるし、おとなしくしてろよ。逃げたらマジ警察だし、お前の顔、カメラに映ってるからな。えっと…」
森山はカバンにある千晶の生徒手帳を勝手に開いた。
「草津千晶か、逃げるなよ。無駄だしな。逃げたら学校へも通報するぞ」
「はい……ぐすっ…」
千晶は一人にされた。
「……ひっく……」
嗚咽を漏らしながら手錠を見る。しっかりとした金属製で逃げる気はないけれど、その気になっても外せそうにない。少し手首が痛い。左手は自由になるし、お茶のおかげで温かい。しばらく啜り泣いていた千晶はお茶をチビチビと飲み始めた。飲まないと寒くて震える。
「………ぐすっ…」
周りを見ると店内を撮影している監視カメラのモニターがいくつもあった。ちょうど千晶が盗もうとした本棚のあたりも撮っている。言い訳は無駄だと思い知り、あとは謝るしかないと震えた。そして監視カメラだけでなくバックヤードからは直接に店内が見える。マジックミラーになっていて店内の鮮魚コーナーあたりだった。夕食前なので近所の人が行き来している。
「…こんな姿……見られたら……」
魔が差して初めて万引きしたのに、いきなり捕まり手錠をされて右手は頭の高さから動かせない。疲れてきて座りたいのに、座ることもできない。そして、こちらからはマジックミラーで丸見えなために千晶は晒し者にされているような錯覚を抱く。しかも近所の店なので顔見知りが次々と来店している。とくに部活も引退した同じ中学3年生の子が多く親と来店して魚や肉を見ている。
「……ぐすっ……はぁ、寒い………」
心臓はドキドキしていて一時は冷や汗もかいたけれど、今は手足が冷たくなってきている。飲み終えたペットボトルを火災報知器の上に置いて、温蔵庫から甘そうな紅茶のペットボトルを出した。すぐに飲まず、頬や脚にあてて暖を取った。
「……ぐすっ……私……なんで万引きなんて……悪いこと…したの……」
ものすごく後悔してきた。千晶の肌は白く、今は泣いたので頬や鼻が赤い。髪はセミロングで染めていない黒、制服も改造していない。おさがりの制服スカートを使っている志澄実はパンツが見えそうなほど短い上、肌も小麦色で髪も薄い色なので、どちらかといえば志澄実の方が万引きや喫煙をしそうな風に見える。そんなことを考えていたら、志澄実が母親と来店してきた。
「お母さん、今夜は何にするの?」
「そうね、お魚か、お肉、どちらがいい?」
はっきりとは聞こえないけれど、口元の動きでそんな会話をしている感じだった。そして意外なことに母子家庭なのに、買い物かごには安い方の卵ではなく無農薬飼料で育てられた高い方の卵を入れていて、鮮魚コーナーでも高めの魚を選んでいった。
「……あんなボロい家に住んでるのに………そういえば、お弁当も豪華だったかも……。別に、もう、どうでもいいや……」
いつまでも友達でいようね、と言い合ったけれど、もう接点が無くなる気がする。わざわざ連絡を取る気もない。
「………さっき、うちの生徒に見られたかも……」
駐車場で取り押さえられたとき男子生徒に見られた。面識はないけれど、同期生かもしれない。向こうも千晶の氏名がわからないままでいてくれるよう祈った。もし学校で噂になったら志澄実も知るかもしれない。どう思われるか、考えたくない。
「……ぐすっ……あっちに戻りたいよぉ……」
マジックミラーの向こうが天国に見える。バックヤードは寒いし薄汚い。手首が痛いし手が痺れてきた。たとえ志澄実は母子家庭でも、これから母親と温かい夕飯を食べて四月には志望校に入る。なのに千晶は底辺校、なにより今夜これから母親が戻ってきて、どうなるか、不安で不安で、また泣けてきた。
「ひぐっ…ぅううっ…」
ひとしきり泣いて、もう冷たくなってしまった紅茶をチビチビと飲んだ。
「…………ぅぅ、おしっこしたい…」
千晶は尿意を覚えた。飲み終わってから、気づいた。緊張と泣いたことで喉が渇いていたし、寒かったし空腹だったので甘い紅茶は美味しかった。けれど、お茶と紅茶で合わせて2本も飲んでしまった。おしっこは意識すると急に尿意が強くなってくる。
「今……何時なの……」
見える範囲に時計はない。自分のスマートフォンも机の上で手を伸ばして見たけれど届かない。
「ぁぁ………おしっこ……漏っちゃうよ……」
千晶は冷たい腿を擦り合わせて震えた。そこに森山が戻ってきた。忙しい様子でダンボール箱を開けて商品を取り出している。
「あ、あの!」
「あん?」
露骨に迷惑そうな声で応じられた。いつもカウンターで、いらっしゃいませ、ありがとうございました、と言っている人物の同じ声とは思えないほど、低くて怖い。忙しいから黙ってろ、という目でも睨まれる。それでも千晶は尿意が切迫してきたので懇願する。
「おトイレに行かせてください」
「は? そう言って逃げる気か?」
「違います! 本当に行きたいの!」
「今、お前にかまってるヒマなんかあるか! 我慢しとけ!」
「もう漏れそうなの! お願い!」
「うるさい!」
一喝して森山は背中を向けつつ言ってくる。
「お前の足元にあるダンボール、食品が入ってるから小便なんかで濡らしたら弁償させるからな! だいたい盗人のくせに、あつかましく2本も飲むからだろ、バカが!」
「っ………」
もう何も言えなくて千晶が黙ると、森山はビデオカメラを千晶の前にセットした。
「監視しておくから、変なことするなよ」
「うぅ……トイレだけ……お願いします…」
「フン、さっさとお母さんが来るといいな。だいたい、オレがお前を女子トイレに連れて行くのか? で、見張るのか? わざわざ、この忙しいのに女性店員を呼べってか? ふざけんな」
そこまで言うと森山はバックヤードを出て行った。また千晶だけになる。
「ぐすっ……おしっこ……もう無理……ぅぅ……はっぅぅ……」
千晶はギュッと股間を閉じて身震いした。ずっと立ちっぱなしの脚は疲れてつらい。手足は冷たい。右手も痺れている。
「…ぅぅ………おしっこ……もっちゃう………んぅぅ……漏れる……もう漏れるよ……お母さん……おしっこ……早く来て……お願い……」
ポロポロと千晶は涙を零した。せめて大量に涙を流せば、これ以上は膀胱におしっこが貯まらないかもしれない。そんなことも考えて泣いた。泣いていると、吉田がバックヤードに入ってきた。
「あ~疲れた……」
吉田は女子大生くらいのアルバイトという雰囲気で温蔵庫を開けると、お茶を出して飲み始めた。休憩時間のようで椅子に座って、スマートフォンをいじり電話をかけている。
「あ、茉莉那、返事が遅くなってごめん。呑み会、参加するよ。どうせ、赤ちゃん生まれたら忙しくて呑みなくなるしね。あんたも呑めないのに幹事してくれて、ありがとね」
しばらく話して吉田は電話を切る。
「じゃ、バイトの休憩中だから」
切ったタイミングを見計らって千晶が頼む。
「す、すいません!」
「はい?」
「トイレに行きたいんです! お願いします!」
「あ~………ごめん、店長の許可がないと外せないし、そもそも鍵のありか、知らないし」
「っ……そんな……」
千晶が内股になって身震いするので吉田は察した。
「おしっこ漏れそうなの?」
「はい、もう……もう…限界…」
千晶は自由になる左手でギュッと股間を押さえた。制服のスカートが食い込んで股間のシルエットが露わになる。吉田は5年前の同級生のおもらしを思い出した。球技大会で生徒会長として司会をしていた同級生が全校生徒の前で、おしっこを漏らして大泣きした。今となっては懐かしい記憶だった。
「クスっ…」
そして笑った。基本的に万引き犯は大嫌いだった。真面目にアルバイトしている人間から見ると害虫としか思えない。捕まって泣いているなら、ザマァ見ろだった。
「さて、どうしようかな」
よーし、おもらしさせよう、と吉田は決めた。休憩を長く取りたいのでタイムカードを押して労働時間をオフにすると千晶の顔色を眺める。色白な顔が寒さでより白くなっているのに頬と鼻は赤い。目は涙に濡れていて、おもらし寸前なのがわかった。
「クスクスっ……まあ、おもらしも悪いことばっかじゃないよ。私の親友は、おしっこ漏らした縁で彼氏ができたし、医者になりそうだし、玉の輿ならぬ、漏らしの輿だから。クスっ、これ、次の呑み会で言ってやろ。クスクス♪ 医者セレブをおもらしネタでからかうの楽しすぎ。プフフ」
いじりネタの新しい言葉を思いついた吉田はスマフォにメモしてから、千晶の顔を眺め、そして思い出した。
「……あ、草津さんちの、千夏ちゃん?」
「っ……」
千夏は母親の名前だった。千晶も吉田の顔に思い当たった。
「……吉田……先輩……」
下の名前が思い出せないけれど、たしか同じ町内会で星丘高校に地元中学から入った先輩で夏休み中の学校説明会で星丘大学の学生として少しだけ話した記憶がある。高校受験のコツなど話してくれていた。
「……あんた……万引きなんか、したんだ……」
「………ごめんなさい…」
「ごめんで済んだら警察いらない、小学校では済むけど、もう中学も卒業でしょ」
「…………」
「何を盗ろうとしたの?」
「……あの漫画の本です」
千晶が視線で指し、吉田は机にあるコミックスを見て呆れた。
「あんな本、一冊のために……はぁ……ここの店長、万引きには厳しいよぉ。まあ、どこの店長も万引きに優しいってのは聴かないけど」
「うぅ……」
「森山店長はさ、むしろ万引き犯を捕まえるのを生き甲斐にしてるもん。わざと居眠りしてるフリして油断させたり、しっかりジョギングして脚を鍛えたりしてね。もう趣味の領域だよ」
「……」
千晶が捕まったときの状況を反芻した。居眠りしていたはずなのに、店外に出た途端、真後ろにいた。そして小太りの中年なのに走っても速かった。
「元警察官らしいから、取調もきついしね」
「……ぅぅ……助けて……助けてください」
「あんた都合いいね?」
吉田が冷たい声で言ってくる。
「あのコミックス一冊、万引きされると、お店は10冊を売らなきゃいけない。その金額は私の一日のバイト代だったりする。ねぇ、私が万引き犯をどう思ってるか教えてあげようか?」
「っ……」
千晶は否定も肯定もしなかったけれど、吉田は語りたいので語る。
「おしっこ行きたい? 中学生にもなって、おもらししたら恥ずかしいもんね。しかも撮影されてるし。クス、これ一生消えないよ。なんかの弾みに全校生徒へ知られたりしてね。それかネットに流れるか。フフ、おもらしを全校生徒に見られたら、人間、どんだけ泣くか……あ、でも、あんた、すぐ卒業か。高校どこ行くの?」
「…………」
千晶が視線を落としてギュッと左手で股間を押さえて黙る。
「星丘は落ちた?」
「…………」
「まあ、落ちたから万引きなんかしたんだろうね。いわゆる自棄でしょ」
「…はい…ぐすっ…」
「同情して欲しい?」
「…………お願い……おしっこが……もう本当に……ぅぅ…」
「ダメだよ、もう高校生って言ってもいい歳なんだから、おもらしなんかしたら一生笑われるよ。ホント何年たっても言われる」
「っ…ハァ……ぅぅ……お願い……お願いですから……」
「うん、まあ、星丘に受からない程度の頭だね。私にお願いしたって鍵ないから」
「うぅぅ……ぁぁ…」
千晶が背筋を仰け反らせ、腰を引く。姿勢が低くなったので手錠で固定された右手がピンと挙げられ、腋から汗の匂いがした。とても臭い匂いがする。じっとりと嫌な汗を捕まったことで流していた千晶の腋は同性の吉田には強い悪臭に感じられて顔をそむけた。
「臭っ……森山店長が言ってたよ。犯人ってのは、リアルに臭いって、まあ嫌な汗かくよね」
「ハァ…くぅ……おしっこが……」
「もう人の話、聴ける段階じゃないか」
「うぅぅ…ぁぁぁあ!」
ブルブルと千晶が震え、スカートの前が濡れ始める。
「ぁぁぁぁぁッ…」
開けた口の端からヨダレまで零して、座り込もうとしたのに右手首で吊られて、おもらしが始まる。股間を押さえている左手にも生温かいおしっこがからみついてきた。
ショワっ! ビシャァァァァ!
もう一気におしっこが漏れてきた。
「んぅぅううっ…」
「クス、おもらししてる。いい歳して、あははは!」
床にビチャビチャと千晶のおしっこが拡がり、寒いバックヤードなので湯気が大きくあがってきた。もわもわと、おしっこが気化してくるので吉田は鼻を覆う。
「うわっ、臭い。おしっこ臭すぎ」
「ううっ…ううっ…うわあああんああんあんあんあんあん! お母さんぁあんあんあん!」
千晶が母親を呼んで大泣きするので、吉田は可笑しすぎてお腹を抱えて笑った。同級生の茉莉那がおもらししたときは生徒会長として頑張っていた結果だったので、とても同情したし笑った生徒たちを憎んだけれど、今は万引き犯とアルバイトという立場なので心から笑えた。
「あははっははは! 漏らした漏らした、万引きして、おしっこまで漏らして、あんたもう女の子として終わってるよ。きゃはっははは!」
「ううっ! うううっ! うわああん!」
泣き続ける千晶をからかっていると森山がバックヤードに入ってきた。
「ちょっと吉田さん! いつまで休憩してるんだよ! マジでバイト代、引くよ!」
怒りながら森山がタイムカードに気づいた。
「マジで勝手にオフにしたのか。まあ、それなら、いいっちゃいいけど、何か急用でも……うわ、こいつが漏らしたのか」
おもらしの匂いと水たまりにも気づく。
「この子が、おしっこ行きたいっていうから、一応、対応してました。これ、バイト代はやっぱり無理ですか?」
「対応って、見てただけじゃ」
森山はビデオカメラを確認して言う。
「吉田さん、美味しいとこ、もっていったね。楽しそうに、いい趣味してるよ」
「店長こそ、そのビデオどうする気なんですか?」
「知る必要のないことだよ。バイトくん」
「怖っ、元警察官が中学生に強制わいせつで逮捕とかニュースにならないでくださいよ」
「ボクは、こんな青臭いガキより、もう少し年齢のある人が好きだよ」
「………」
千晶より七歳上の吉田が警戒気味に身を引いたので森山は言っておく。
「いや、君も子供の範疇に入るよ、ボクといくつ違うと思ってるんだ。だいたい、自分と同じ歳ぐらいの人が好みだ」
「よかった。それ、一番、まともかもしれないですね」
「そろそろ仕事して」
「はーい」
吉田がタイムカードをオンにしてバックヤードを出て行った。森山はおしっこを漏らした後は泣き続けている千晶に少し優しくする。
「手が高いままで、つらいだろう。少しさげてあげる」
「ぐすっ…ひぐっ…」
火災報知器のパイプにつながれていた右手首が低い位置にある棚につなぎなおされ、少しだけ楽になった。けれど、濡らしたパンツやスカートの感触が気持ち悪いし、恥ずかしい。なにより情けない。明後日には中学卒業なのに、おしっこを漏らした。おまけに万引きで捕まっているし、志望校に落ちて底辺校へ行くしか進路がない。もう死にたくなってきた。
「お腹が空いてきたろう。これでも飲んで、少し落ち着いて」
「ぐすっ……………はい…」
食事のかわりになる高カロリーなドリンクをもらった。それを飲むと、またおしっこをしたくなる気がしたけれど、相手の好意を断るのが怖い状況なので受け入れる。森山はバックヤードで帳簿をつけたり発注をかけたりしている。もう遅い時間なのか、バックミラーの向こうに見える客も減ってきた。
「……………」
お母さん……まだなのかな……、と千晶が思ったことは、森山も思ったようで言ってくる。
「君のお母さん、遅いね」
「……すみません……パートが変わって、遠くに出ることが多いみたいです」
「ふーん……何の仕事してるの?」
「生命保険とか……」
「ふーん………」
「………ぐすっ……」
千晶は再び尿意を覚えてきた。恐る恐る言ってみる。
「あの……すいません…また、…おしっこ、したくて……」
「どうせ、一回漏らしたでしょ。女子トイレに連れて行くのは、ボクじゃ問題あるし、そのまま我慢して」
「…ぅう…」
それほど我慢しないうちに、すぐ限界が来た。千晶は生乾きになっている股間に再び左手を入れて押さえる。
「あの……あの……また、おもらし……しちゃいます……お願いです」
「今、難しいことやってるから黙ってろ」
「ひっ…」
しばらく優しかったのに急に怖くなった森山に怒られ、千晶は震えながら漏らした。
シュゥッゥ…シュワ、シュワ、…ちょー…
二度目のおもらしも悲しくて泣けてくる。
「ぐすっ…ひぐっ…」
おしっこを二度も漏らしてしまい、情けなさと恥ずかしさが積み重なってくる。着替えもできず、ずっと立っていないといけない。足元の水たまりが大きくなって食品が入っているというダンボールを汚してしまっている。千晶は気づいていたけれど、怖くて言えなかった。
「…ひっ、ひぐっ…ぐすっ…」
一度目のおもらしの後はワンワンと泣いたけれど、二度目の後はシクシクと長く泣き続けた。
「あ、また、おもらししたのか? しょうがないヤツだな」
「ご、ごめんなさい」
「いい加減、寒いだろう。これやるよ」
そう言って森山はカイロを二つくれた。
「ありがとうございます」
「ほら、これも飲んで。温まるよ」
「………」
コーヒー……そんなの飲んだら、また、おしっこが出ちゃう……、と千晶が戸惑うと森山は怒ってくる。
「あん? せっかく用意したのに拒否るのかよ? 身体が冷えて風邪ひくぞ」
「ぃ、いただきます!」
温かいコーヒーは確かに身体が温まったけれど、着実に膀胱におりてくる。もう無駄な気がして千晶は何も言わず、おしっこを我慢しながらブルブルと震えた。
シュゥゥゥ…
我慢できなくなって股が温かく濡れる。
「ぐすっ……ひぐっ…」
情けなくて、また泣いた。
「……お母さん……お母さん……」
おしっこを漏らして母親を呼ぶ自分が客観的にも、ものすごく恥ずかしい中学生なのはわかっているけれど、もう泣くことしかできなかった。ずっと立っている脚がつらくて、しゃがみ込む。棚に固定された右手首が頭の高さになる。腋から変な匂いがして悲しかった。もう、しゃがんでいる力もなくて崩れるように、べったりと床にお尻を落とした。
ピチャ…
氷のように冷たくなったおしっこがスカートに染み込んでくる。自分のおしっこで形成された池に浸かると、おもらしの事実が再認識されて泣けた。
「ぐすっ…ぐすっ…」
「おいおい、そんなとこに座るなよ。ケツ冷えるぞ」
「…ひぐっ…」
「よし、十分に反省してるなら椅子へ座らせてやる。どうだ、反省してるか?」
「は…、はい…反省してます。ぐすっ…盗ったりして、ごめんなさい。迷惑かけて、私が悪かったです」
「とりあえず椅子に座れ」
森山はパイプ椅子を用意してくれて、手錠を棚から外し、そのパイプ椅子につなぎなおした。おかげで、ずいぶん姿勢が楽になる。けれど、またお茶を飲まされた。
「お前の母さん、マジで遅いな」
「……すみません……」
「たまに居るんだよ。すぐ行くとか言って自分の仕事が終わるまで来ないヤツ。あと、ひどいと子供を捨てやがる」
「………」
捨てる……、と千晶は背筋が寒くなった。実は父親と長く会っていない。もともと夫婦仲も冷めてきている感じだったところに、千晶が星丘に落ちたことで険悪になり、さらに公立高校に落ちた後、父親は帰ってこなくなった。母に訊いても出張としか教えてくれず、どこに出張していて、いつ帰るのか、詳しく聴こうとすると母は苛立って怒った。
「もともと捨てたかった子供だと、万引きで捕まったのをチャンスだと思って捨てやがるからな」
「……ぐすっ……ひっ…ひぐっ!」
泣けてきた。きっと志澄実の父親と同じに母子ともに捨てられた気がする。さらに、ここまで母が遅いのも不安になる。とっくに二時間は過ぎている。母親の立場からみて、千晶はさんざんに教育費をかけたのに、ろくな高校に受からず万引きまでした娘だった。もう愛想が尽きて放置されているのかもしれない。そう思うと嗚咽が溢れて止まらない。そんな様子を眺めながら森山は付け加える。
「万引きして親に捨てられると、どうなると思う?」
「ひぐっ…うぐっ…うううっ…」
「店も、さすがに警察へ通報するしかない。いつまでも飼えないし、エサもいるし、小便も垂れるからな」
「うう…ひぐっ…」
「で、警察でも対応に困る。引き取りに来いと親に連絡してもシカト。一晩、二晩、泊めてもラチがあかないなら、悪質なガキなら少年院コース、まだ初犯くらいなら児童養護施設、ようするに孤児院コースだ」
「ひっ、うわああん! うわああああん!」
「お前は孤児院かな。ひどいとこだぞ、イジメが普通にある。職員の対応も最悪だし、飯もまずいし、服もおさがりだし、雑魚寝だし、たまに自殺もあるけど、親が捨てた子だからニュースにならない。火葬して共同墓地にさよならだ」
「うわあああんんあああん!!」
大声で千晶が泣き、かなり泣き続け、その嗚咽が尽きた頃、吉田が戻ってきた。
「あがりです」
私服に着替えていてタイムカードを押している。
「吉田さん、着替える前にタイムカード押してよ」
「てへっ♪ ごめんなさい」
可愛く謝って今後もあらためるつもりはない。労働者の権利だと大学で習っているし、それを反論に使うと店長らが怒るのはわかっているので女子の可愛さで乗り切る気だった。
「お先です。その子の親、まだなんですか?」
「ああ、まだ」
「もう10時過ぎてますよ」
「捨てられたのかもな、親に」
「ひっ…ひぐっ…ううっ…」
「警察コースですか?」
「とりあえず閉店まで待つよ」
「大変ですね、じゃ、失礼します」
吉田は他人事として帰ってしまった。すでに午後11時が近い。コンビニとスーパーの中間のような店であり、北陸らしく11時には閉店予定だった。
「腹減ったなぁ。ボクも飲むし、コーンスープ、飲め」
「……。ありがとうございます」
インスタントのコーンスープをもらって飲んだ。飲食物は売るほどあるので、何でも出てくる。美味しいスープだったけれど、また、おしっこが貯まる。吉田以外のアルバイトやパートも次々と帰り、もう閉店になった。販売スペースの照明が消されると、マジックミラーの効果が逆転し、大きな鏡になった。手錠でパイプ椅子につながれた自分の姿が映っている。
「うぅ……おしっこ……したいです」
「椅子の上に漏らしてみろ、ひどいからな」
「ぐすっ…た…立って…しますから…」
千晶が立ち上がると、森山が命令してくる。
「お前なんか人間以下だ。犬みたいに四つん這いでしろ」
「………はい…」
もう逆らう気力がなくて言われるまま千晶は四つん這いになった。
「パンツ脱ぐか、そのままするか、選べ」
「……このまま……します…」
やはり男性と二人きりの状況で下着を脱ぐのは怖かった。
「じゃあ、片足を上げて、大きく股を開け、犬みたいに」
「ぐすっ……はい…」
千晶は右手でパイプ椅子をもち、左手は床につき、左膝も床についた姿勢で右脚を大きくあげた。
「よし、おしっこしていいぞ」
「………ぐすっ…」
涙を零しながら、おしっこも出す。
シューゥゥ…
下着のままなので、おもらし状態になって熱い奔流が股布の中を暴れ、滲み出る分と、横から溢れて左腿に流れる分に別れた。片方の腿だけが温かい。
ピチャピチャ…
おしっこが床を打つ音が立って漏らすときより、ずっと近い。
「はは! いいカッコだぞ。鏡で見てみろ」
命令されてマジックミラーへ視線をやると、自分の姿が見えた。四つん這いになって片脚をあげ、パンツを丸出しにして、おしっこを漏らしている。これ以上ないほど、みじめな姿だった。
「お前、もし本当に捨てられたんなら、うちで飼ってやろうか、ちゃんと飯は出すぞ」
「……………。お母さん……お父さん……う、ううっ……ううっ…うーーーっ、うーーーっ…」
「ははは、犬みたいに呻って、いいぞ、いいぞ」
「ううーーーーっ…ううーーーっ…」
千晶は床にうずくまって、自分のおしっこに浸かりながら泣き続けた。
「………はぁぁ……」
自然とタメ息が出た。立ち読みしたいコミックは厳重にパッケージングされていて読めない。かわりに、あまり面白く無さそうな漫画雑誌を読んでみたけれど、やっぱり面白くなかった。雑誌から視線をあげ、ガラス窓の外を見ると、ちょうど夏原志澄実が中学から帰宅する姿が見えた。
「自由登校なのに、毎日ちゃんと行ってるんだ……えらいなぁ……まあ、あのボロい家に居る気にはならないかな」
長く友達だったけれど、同じ星丘高校を受験して志澄実が10番以内に入って合格、千晶は不合格という結果になって以来、あまり会わなくなった。千晶は公立高校の受験に専念するため、自由登校となってからは学校に行かず塾へ行き、志澄実はスマートフォンを持っていないので見事に会わないし連絡もつかない。そして千晶は公立高校の受験にも失敗した。星丘の合格ラインすれすれまで勉強したのだから大丈夫という欲が出て、そこそこのレベルの公立を受験した。なのに受験2日前にインフルエンザにかかり最悪の体調で臨み、落ちた。
「……白女なんてガイ児が行くところ……」
第一志望の私立にも第二志望の公立にも落ちた千晶に残されていたのは私立底辺校の白尾女子学園だった。その四次試験を受けて合格した。
「………あんなの試験じゃないし……ホントに名前を書いただけでも受かりそう……」
びっくりするほど試験問題は簡単だった。小学生でも解けそうな問題だった。しかも四次試験が終わった後も六次試験まで用意されているらしく最も遅ければ4月5日に受けても4月8日に入学できるらしい。
「ようするに……はきだめ……なんで私が、あんなとこに……」
千晶も公立中学の中では成績は良い方だった。上から30番目くらいにいる。志澄実は1番を取ることが多かった。
「塾にも行かないで1番とか……神様は不平等だよね……まあ、あんなビンボーなあたり、神も平等かなぁ……」
もう志澄実の姿は見えない。きっと真っ直ぐ帰り、いまだに自学自習を続けるのだと思う。もう千晶は学習意欲を失っていて、制服のポケットから財布を出した。
「……足りない…」
欲しいコミックスの定価に、あと30円足りない。星丘の受験に失敗してから親は小遣いをくれなくなった。もちろん白尾に受かった合格祝いもなかったし、きっと入学祝いもない気がする。そっと千晶は店員の方を見た。
「…………」
小太りの男性店員はカウンターの中にある椅子に座って居眠りしている。
「………」
今なら……、そう思った千晶はコミックスをカバンに入れて、すぐに店を出る。手動ドアを押して開け、北陸特有の二重ドアも開けて店外へ出た瞬間だった。
「ちょっと君、カバンの中を見せてくれる?」
「っ?!」
小太りの男性店員が瞬間移動でもしてきたのかと思うほど千晶の真後ろにいて肩へ手をかけてきた。
バッ!
とっさに千晶は走り出した。
「待て、コラ!!!」
太い男の声がして怖い。怖くて脚がもつれそうになる。なんとか逃げ切ろうとしたのに、小太りの店員は驚くほど脚が速くて、すぐに追いつかれ駐車場で押し倒された。
「おとなしくしろ!!」
「っ…た、助けて!」
男性の重い身体にのしかかられて本能的な恐怖を覚えた千晶は通りがかりの通行人たちに助けを求めていた。
「「「………」」」
三人の通行人は老婆と男子中学生たちで千晶と同じ中学の生徒だったので、さっと千晶は顔を伏せた。店員が通行人へ説明する。
「こいつ万引きしたんです!!」
「「「………」」」
通行人は女の子が男性に押し倒されている状態と、店の制服を着ている男性の姿を見て、すぐに無関係という顔になって歩いていった。
「おら、立て!」
「ひっ、ごめんなさい、ごめんなさい! もうしませんから!」
すでに泣き出していた千晶は謝ったけれど、男性店員へ店に引っ張り込まれる。握力の強さも男性は圧倒的で、もう逃げることはできなかった。店のバックヤードに押し込まれる。
「カバンを開けろ!!」
「ひっ…は、はい…」
素直に千晶はカバンを開けた。そこには盗みそこねたコミックスがある。
「これ、うちの店のだな?!」
「ひっ、ひうぅ……ごめんなさい、ごめんなさい、もうしませんから」
怯えきった千晶は震えながら謝ったけれど、男性店員はポケットから手錠を出した。
「午後15時20分、現行犯逮捕」
ガチャ…
金属製の手錠が千晶の右手首にかけられた。
「ひっ?! お巡りさんなの?!」
「現行犯なら誰でも逮捕できるんだ! それにオレは警察にも7年いたからな!」
そう言って男性店員は手錠の反対側を火災報知器の金属パイプにかけた。おかげで千晶は頭の高さから右手を動かせなくなる。バックヤードに私服の女性が駆け込んできた。
「ハァハァ! セーフ! ですよね、店長!」
息を乱しながらタイムカードを押している。
「吉田さん、タイムカードは着替えてから押してよぉ」
男性が言い、女性は千晶の存在に気づいた。
「また万引き?」
「そうだよ」
「ち、ちがいます! 私は初めてで!」
「ふ~ん……」
「吉田さん、さっさと着替えて店を見てきて!」
「あいさー」
吉田という女性が出ていき、店長だった男性が千晶を睨む。
「お前の親の連絡先は?」
「うぅぅ……ゆ……許してください! もうしませんから!」
「さっさと言え! 親のケータイ番号は?! でないと警察に通報するぞ!」
「ぐすっ……ひぐっ……09…」
泣きながら千晶は母親の連絡先を教えた。すぐに店長が電話をかけている。
「もしもし、ナルックコマート金沢大樋店です。あなたの娘さんが、当店の漫画本を盗もうとしたので捕まえています。監視カメラの録画もあります。まだ警察には通報していません。こちらに来ていただけますか?」
「………。…ご迷惑をおかけしました……すぐ向かいます。ですが、私は富山にいるのです。すぐは難しいです」
「何分かかりますか?」
「すみません……2時間は…かかります。どうか、警察には通報しないでください、すぐ行きますから」
「お待ちしてます。店長の森山です。では」
森山は電話を切ると、もう怒鳴らなかった。
「初めてで、ちゃんと反省するなら許してやるからおとなしくしてろ」
「ぐすっ…はいぃ……カチ…カチ…」
千晶はガタガタと震えていて、奥歯が鳴るほどだった。まったく万引き慣れした様子は欠片もなかったし、バックヤードは一切の暖房が無いので寒さで余計に震える。森山はそばにあった温蔵庫を開けて、温かいペットボトルのお茶を開封してから千晶の左手に握らせてくれた。
「ここは寒いからな。監禁って言われるとなんだし、この中にあるペットボトルなら好きに飲んでいいぞ。賞味期限切れてるけど、みんな飲んでるし」
「ぐすっ……ありがとうございます…ぅぅ…」
「じゃあ、これから店は忙しくなるし、おとなしくしてろよ。逃げたらマジ警察だし、お前の顔、カメラに映ってるからな。えっと…」
森山はカバンにある千晶の生徒手帳を勝手に開いた。
「草津千晶か、逃げるなよ。無駄だしな。逃げたら学校へも通報するぞ」
「はい……ぐすっ…」
千晶は一人にされた。
「……ひっく……」
嗚咽を漏らしながら手錠を見る。しっかりとした金属製で逃げる気はないけれど、その気になっても外せそうにない。少し手首が痛い。左手は自由になるし、お茶のおかげで温かい。しばらく啜り泣いていた千晶はお茶をチビチビと飲み始めた。飲まないと寒くて震える。
「………ぐすっ…」
周りを見ると店内を撮影している監視カメラのモニターがいくつもあった。ちょうど千晶が盗もうとした本棚のあたりも撮っている。言い訳は無駄だと思い知り、あとは謝るしかないと震えた。そして監視カメラだけでなくバックヤードからは直接に店内が見える。マジックミラーになっていて店内の鮮魚コーナーあたりだった。夕食前なので近所の人が行き来している。
「…こんな姿……見られたら……」
魔が差して初めて万引きしたのに、いきなり捕まり手錠をされて右手は頭の高さから動かせない。疲れてきて座りたいのに、座ることもできない。そして、こちらからはマジックミラーで丸見えなために千晶は晒し者にされているような錯覚を抱く。しかも近所の店なので顔見知りが次々と来店している。とくに部活も引退した同じ中学3年生の子が多く親と来店して魚や肉を見ている。
「……ぐすっ……はぁ、寒い………」
心臓はドキドキしていて一時は冷や汗もかいたけれど、今は手足が冷たくなってきている。飲み終えたペットボトルを火災報知器の上に置いて、温蔵庫から甘そうな紅茶のペットボトルを出した。すぐに飲まず、頬や脚にあてて暖を取った。
「……ぐすっ……私……なんで万引きなんて……悪いこと…したの……」
ものすごく後悔してきた。千晶の肌は白く、今は泣いたので頬や鼻が赤い。髪はセミロングで染めていない黒、制服も改造していない。おさがりの制服スカートを使っている志澄実はパンツが見えそうなほど短い上、肌も小麦色で髪も薄い色なので、どちらかといえば志澄実の方が万引きや喫煙をしそうな風に見える。そんなことを考えていたら、志澄実が母親と来店してきた。
「お母さん、今夜は何にするの?」
「そうね、お魚か、お肉、どちらがいい?」
はっきりとは聞こえないけれど、口元の動きでそんな会話をしている感じだった。そして意外なことに母子家庭なのに、買い物かごには安い方の卵ではなく無農薬飼料で育てられた高い方の卵を入れていて、鮮魚コーナーでも高めの魚を選んでいった。
「……あんなボロい家に住んでるのに………そういえば、お弁当も豪華だったかも……。別に、もう、どうでもいいや……」
いつまでも友達でいようね、と言い合ったけれど、もう接点が無くなる気がする。わざわざ連絡を取る気もない。
「………さっき、うちの生徒に見られたかも……」
駐車場で取り押さえられたとき男子生徒に見られた。面識はないけれど、同期生かもしれない。向こうも千晶の氏名がわからないままでいてくれるよう祈った。もし学校で噂になったら志澄実も知るかもしれない。どう思われるか、考えたくない。
「……ぐすっ……あっちに戻りたいよぉ……」
マジックミラーの向こうが天国に見える。バックヤードは寒いし薄汚い。手首が痛いし手が痺れてきた。たとえ志澄実は母子家庭でも、これから母親と温かい夕飯を食べて四月には志望校に入る。なのに千晶は底辺校、なにより今夜これから母親が戻ってきて、どうなるか、不安で不安で、また泣けてきた。
「ひぐっ…ぅううっ…」
ひとしきり泣いて、もう冷たくなってしまった紅茶をチビチビと飲んだ。
「…………ぅぅ、おしっこしたい…」
千晶は尿意を覚えた。飲み終わってから、気づいた。緊張と泣いたことで喉が渇いていたし、寒かったし空腹だったので甘い紅茶は美味しかった。けれど、お茶と紅茶で合わせて2本も飲んでしまった。おしっこは意識すると急に尿意が強くなってくる。
「今……何時なの……」
見える範囲に時計はない。自分のスマートフォンも机の上で手を伸ばして見たけれど届かない。
「ぁぁ………おしっこ……漏っちゃうよ……」
千晶は冷たい腿を擦り合わせて震えた。そこに森山が戻ってきた。忙しい様子でダンボール箱を開けて商品を取り出している。
「あ、あの!」
「あん?」
露骨に迷惑そうな声で応じられた。いつもカウンターで、いらっしゃいませ、ありがとうございました、と言っている人物の同じ声とは思えないほど、低くて怖い。忙しいから黙ってろ、という目でも睨まれる。それでも千晶は尿意が切迫してきたので懇願する。
「おトイレに行かせてください」
「は? そう言って逃げる気か?」
「違います! 本当に行きたいの!」
「今、お前にかまってるヒマなんかあるか! 我慢しとけ!」
「もう漏れそうなの! お願い!」
「うるさい!」
一喝して森山は背中を向けつつ言ってくる。
「お前の足元にあるダンボール、食品が入ってるから小便なんかで濡らしたら弁償させるからな! だいたい盗人のくせに、あつかましく2本も飲むからだろ、バカが!」
「っ………」
もう何も言えなくて千晶が黙ると、森山はビデオカメラを千晶の前にセットした。
「監視しておくから、変なことするなよ」
「うぅ……トイレだけ……お願いします…」
「フン、さっさとお母さんが来るといいな。だいたい、オレがお前を女子トイレに連れて行くのか? で、見張るのか? わざわざ、この忙しいのに女性店員を呼べってか? ふざけんな」
そこまで言うと森山はバックヤードを出て行った。また千晶だけになる。
「ぐすっ……おしっこ……もう無理……ぅぅ……はっぅぅ……」
千晶はギュッと股間を閉じて身震いした。ずっと立ちっぱなしの脚は疲れてつらい。手足は冷たい。右手も痺れている。
「…ぅぅ………おしっこ……もっちゃう………んぅぅ……漏れる……もう漏れるよ……お母さん……おしっこ……早く来て……お願い……」
ポロポロと千晶は涙を零した。せめて大量に涙を流せば、これ以上は膀胱におしっこが貯まらないかもしれない。そんなことも考えて泣いた。泣いていると、吉田がバックヤードに入ってきた。
「あ~疲れた……」
吉田は女子大生くらいのアルバイトという雰囲気で温蔵庫を開けると、お茶を出して飲み始めた。休憩時間のようで椅子に座って、スマートフォンをいじり電話をかけている。
「あ、茉莉那、返事が遅くなってごめん。呑み会、参加するよ。どうせ、赤ちゃん生まれたら忙しくて呑みなくなるしね。あんたも呑めないのに幹事してくれて、ありがとね」
しばらく話して吉田は電話を切る。
「じゃ、バイトの休憩中だから」
切ったタイミングを見計らって千晶が頼む。
「す、すいません!」
「はい?」
「トイレに行きたいんです! お願いします!」
「あ~………ごめん、店長の許可がないと外せないし、そもそも鍵のありか、知らないし」
「っ……そんな……」
千晶が内股になって身震いするので吉田は察した。
「おしっこ漏れそうなの?」
「はい、もう……もう…限界…」
千晶は自由になる左手でギュッと股間を押さえた。制服のスカートが食い込んで股間のシルエットが露わになる。吉田は5年前の同級生のおもらしを思い出した。球技大会で生徒会長として司会をしていた同級生が全校生徒の前で、おしっこを漏らして大泣きした。今となっては懐かしい記憶だった。
「クスっ…」
そして笑った。基本的に万引き犯は大嫌いだった。真面目にアルバイトしている人間から見ると害虫としか思えない。捕まって泣いているなら、ザマァ見ろだった。
「さて、どうしようかな」
よーし、おもらしさせよう、と吉田は決めた。休憩を長く取りたいのでタイムカードを押して労働時間をオフにすると千晶の顔色を眺める。色白な顔が寒さでより白くなっているのに頬と鼻は赤い。目は涙に濡れていて、おもらし寸前なのがわかった。
「クスクスっ……まあ、おもらしも悪いことばっかじゃないよ。私の親友は、おしっこ漏らした縁で彼氏ができたし、医者になりそうだし、玉の輿ならぬ、漏らしの輿だから。クスっ、これ、次の呑み会で言ってやろ。クスクス♪ 医者セレブをおもらしネタでからかうの楽しすぎ。プフフ」
いじりネタの新しい言葉を思いついた吉田はスマフォにメモしてから、千晶の顔を眺め、そして思い出した。
「……あ、草津さんちの、千夏ちゃん?」
「っ……」
千夏は母親の名前だった。千晶も吉田の顔に思い当たった。
「……吉田……先輩……」
下の名前が思い出せないけれど、たしか同じ町内会で星丘高校に地元中学から入った先輩で夏休み中の学校説明会で星丘大学の学生として少しだけ話した記憶がある。高校受験のコツなど話してくれていた。
「……あんた……万引きなんか、したんだ……」
「………ごめんなさい…」
「ごめんで済んだら警察いらない、小学校では済むけど、もう中学も卒業でしょ」
「…………」
「何を盗ろうとしたの?」
「……あの漫画の本です」
千晶が視線で指し、吉田は机にあるコミックスを見て呆れた。
「あんな本、一冊のために……はぁ……ここの店長、万引きには厳しいよぉ。まあ、どこの店長も万引きに優しいってのは聴かないけど」
「うぅ……」
「森山店長はさ、むしろ万引き犯を捕まえるのを生き甲斐にしてるもん。わざと居眠りしてるフリして油断させたり、しっかりジョギングして脚を鍛えたりしてね。もう趣味の領域だよ」
「……」
千晶が捕まったときの状況を反芻した。居眠りしていたはずなのに、店外に出た途端、真後ろにいた。そして小太りの中年なのに走っても速かった。
「元警察官らしいから、取調もきついしね」
「……ぅぅ……助けて……助けてください」
「あんた都合いいね?」
吉田が冷たい声で言ってくる。
「あのコミックス一冊、万引きされると、お店は10冊を売らなきゃいけない。その金額は私の一日のバイト代だったりする。ねぇ、私が万引き犯をどう思ってるか教えてあげようか?」
「っ……」
千晶は否定も肯定もしなかったけれど、吉田は語りたいので語る。
「おしっこ行きたい? 中学生にもなって、おもらししたら恥ずかしいもんね。しかも撮影されてるし。クス、これ一生消えないよ。なんかの弾みに全校生徒へ知られたりしてね。それかネットに流れるか。フフ、おもらしを全校生徒に見られたら、人間、どんだけ泣くか……あ、でも、あんた、すぐ卒業か。高校どこ行くの?」
「…………」
千晶が視線を落としてギュッと左手で股間を押さえて黙る。
「星丘は落ちた?」
「…………」
「まあ、落ちたから万引きなんかしたんだろうね。いわゆる自棄でしょ」
「…はい…ぐすっ…」
「同情して欲しい?」
「…………お願い……おしっこが……もう本当に……ぅぅ…」
「ダメだよ、もう高校生って言ってもいい歳なんだから、おもらしなんかしたら一生笑われるよ。ホント何年たっても言われる」
「っ…ハァ……ぅぅ……お願い……お願いですから……」
「うん、まあ、星丘に受からない程度の頭だね。私にお願いしたって鍵ないから」
「うぅぅ……ぁぁ…」
千晶が背筋を仰け反らせ、腰を引く。姿勢が低くなったので手錠で固定された右手がピンと挙げられ、腋から汗の匂いがした。とても臭い匂いがする。じっとりと嫌な汗を捕まったことで流していた千晶の腋は同性の吉田には強い悪臭に感じられて顔をそむけた。
「臭っ……森山店長が言ってたよ。犯人ってのは、リアルに臭いって、まあ嫌な汗かくよね」
「ハァ…くぅ……おしっこが……」
「もう人の話、聴ける段階じゃないか」
「うぅぅ…ぁぁぁあ!」
ブルブルと千晶が震え、スカートの前が濡れ始める。
「ぁぁぁぁぁッ…」
開けた口の端からヨダレまで零して、座り込もうとしたのに右手首で吊られて、おもらしが始まる。股間を押さえている左手にも生温かいおしっこがからみついてきた。
ショワっ! ビシャァァァァ!
もう一気におしっこが漏れてきた。
「んぅぅううっ…」
「クス、おもらししてる。いい歳して、あははは!」
床にビチャビチャと千晶のおしっこが拡がり、寒いバックヤードなので湯気が大きくあがってきた。もわもわと、おしっこが気化してくるので吉田は鼻を覆う。
「うわっ、臭い。おしっこ臭すぎ」
「ううっ…ううっ…うわあああんああんあんあんあんあん! お母さんぁあんあんあん!」
千晶が母親を呼んで大泣きするので、吉田は可笑しすぎてお腹を抱えて笑った。同級生の茉莉那がおもらししたときは生徒会長として頑張っていた結果だったので、とても同情したし笑った生徒たちを憎んだけれど、今は万引き犯とアルバイトという立場なので心から笑えた。
「あははっははは! 漏らした漏らした、万引きして、おしっこまで漏らして、あんたもう女の子として終わってるよ。きゃはっははは!」
「ううっ! うううっ! うわああん!」
泣き続ける千晶をからかっていると森山がバックヤードに入ってきた。
「ちょっと吉田さん! いつまで休憩してるんだよ! マジでバイト代、引くよ!」
怒りながら森山がタイムカードに気づいた。
「マジで勝手にオフにしたのか。まあ、それなら、いいっちゃいいけど、何か急用でも……うわ、こいつが漏らしたのか」
おもらしの匂いと水たまりにも気づく。
「この子が、おしっこ行きたいっていうから、一応、対応してました。これ、バイト代はやっぱり無理ですか?」
「対応って、見てただけじゃ」
森山はビデオカメラを確認して言う。
「吉田さん、美味しいとこ、もっていったね。楽しそうに、いい趣味してるよ」
「店長こそ、そのビデオどうする気なんですか?」
「知る必要のないことだよ。バイトくん」
「怖っ、元警察官が中学生に強制わいせつで逮捕とかニュースにならないでくださいよ」
「ボクは、こんな青臭いガキより、もう少し年齢のある人が好きだよ」
「………」
千晶より七歳上の吉田が警戒気味に身を引いたので森山は言っておく。
「いや、君も子供の範疇に入るよ、ボクといくつ違うと思ってるんだ。だいたい、自分と同じ歳ぐらいの人が好みだ」
「よかった。それ、一番、まともかもしれないですね」
「そろそろ仕事して」
「はーい」
吉田がタイムカードをオンにしてバックヤードを出て行った。森山はおしっこを漏らした後は泣き続けている千晶に少し優しくする。
「手が高いままで、つらいだろう。少しさげてあげる」
「ぐすっ…ひぐっ…」
火災報知器のパイプにつながれていた右手首が低い位置にある棚につなぎなおされ、少しだけ楽になった。けれど、濡らしたパンツやスカートの感触が気持ち悪いし、恥ずかしい。なにより情けない。明後日には中学卒業なのに、おしっこを漏らした。おまけに万引きで捕まっているし、志望校に落ちて底辺校へ行くしか進路がない。もう死にたくなってきた。
「お腹が空いてきたろう。これでも飲んで、少し落ち着いて」
「ぐすっ……………はい…」
食事のかわりになる高カロリーなドリンクをもらった。それを飲むと、またおしっこをしたくなる気がしたけれど、相手の好意を断るのが怖い状況なので受け入れる。森山はバックヤードで帳簿をつけたり発注をかけたりしている。もう遅い時間なのか、バックミラーの向こうに見える客も減ってきた。
「……………」
お母さん……まだなのかな……、と千晶が思ったことは、森山も思ったようで言ってくる。
「君のお母さん、遅いね」
「……すみません……パートが変わって、遠くに出ることが多いみたいです」
「ふーん……何の仕事してるの?」
「生命保険とか……」
「ふーん………」
「………ぐすっ……」
千晶は再び尿意を覚えてきた。恐る恐る言ってみる。
「あの……すいません…また、…おしっこ、したくて……」
「どうせ、一回漏らしたでしょ。女子トイレに連れて行くのは、ボクじゃ問題あるし、そのまま我慢して」
「…ぅう…」
それほど我慢しないうちに、すぐ限界が来た。千晶は生乾きになっている股間に再び左手を入れて押さえる。
「あの……あの……また、おもらし……しちゃいます……お願いです」
「今、難しいことやってるから黙ってろ」
「ひっ…」
しばらく優しかったのに急に怖くなった森山に怒られ、千晶は震えながら漏らした。
シュゥッゥ…シュワ、シュワ、…ちょー…
二度目のおもらしも悲しくて泣けてくる。
「ぐすっ…ひぐっ…」
おしっこを二度も漏らしてしまい、情けなさと恥ずかしさが積み重なってくる。着替えもできず、ずっと立っていないといけない。足元の水たまりが大きくなって食品が入っているというダンボールを汚してしまっている。千晶は気づいていたけれど、怖くて言えなかった。
「…ひっ、ひぐっ…ぐすっ…」
一度目のおもらしの後はワンワンと泣いたけれど、二度目の後はシクシクと長く泣き続けた。
「あ、また、おもらししたのか? しょうがないヤツだな」
「ご、ごめんなさい」
「いい加減、寒いだろう。これやるよ」
そう言って森山はカイロを二つくれた。
「ありがとうございます」
「ほら、これも飲んで。温まるよ」
「………」
コーヒー……そんなの飲んだら、また、おしっこが出ちゃう……、と千晶が戸惑うと森山は怒ってくる。
「あん? せっかく用意したのに拒否るのかよ? 身体が冷えて風邪ひくぞ」
「ぃ、いただきます!」
温かいコーヒーは確かに身体が温まったけれど、着実に膀胱におりてくる。もう無駄な気がして千晶は何も言わず、おしっこを我慢しながらブルブルと震えた。
シュゥゥゥ…
我慢できなくなって股が温かく濡れる。
「ぐすっ……ひぐっ…」
情けなくて、また泣いた。
「……お母さん……お母さん……」
おしっこを漏らして母親を呼ぶ自分が客観的にも、ものすごく恥ずかしい中学生なのはわかっているけれど、もう泣くことしかできなかった。ずっと立っている脚がつらくて、しゃがみ込む。棚に固定された右手首が頭の高さになる。腋から変な匂いがして悲しかった。もう、しゃがんでいる力もなくて崩れるように、べったりと床にお尻を落とした。
ピチャ…
氷のように冷たくなったおしっこがスカートに染み込んでくる。自分のおしっこで形成された池に浸かると、おもらしの事実が再認識されて泣けた。
「ぐすっ…ぐすっ…」
「おいおい、そんなとこに座るなよ。ケツ冷えるぞ」
「…ひぐっ…」
「よし、十分に反省してるなら椅子へ座らせてやる。どうだ、反省してるか?」
「は…、はい…反省してます。ぐすっ…盗ったりして、ごめんなさい。迷惑かけて、私が悪かったです」
「とりあえず椅子に座れ」
森山はパイプ椅子を用意してくれて、手錠を棚から外し、そのパイプ椅子につなぎなおした。おかげで、ずいぶん姿勢が楽になる。けれど、またお茶を飲まされた。
「お前の母さん、マジで遅いな」
「……すみません……」
「たまに居るんだよ。すぐ行くとか言って自分の仕事が終わるまで来ないヤツ。あと、ひどいと子供を捨てやがる」
「………」
捨てる……、と千晶は背筋が寒くなった。実は父親と長く会っていない。もともと夫婦仲も冷めてきている感じだったところに、千晶が星丘に落ちたことで険悪になり、さらに公立高校に落ちた後、父親は帰ってこなくなった。母に訊いても出張としか教えてくれず、どこに出張していて、いつ帰るのか、詳しく聴こうとすると母は苛立って怒った。
「もともと捨てたかった子供だと、万引きで捕まったのをチャンスだと思って捨てやがるからな」
「……ぐすっ……ひっ…ひぐっ!」
泣けてきた。きっと志澄実の父親と同じに母子ともに捨てられた気がする。さらに、ここまで母が遅いのも不安になる。とっくに二時間は過ぎている。母親の立場からみて、千晶はさんざんに教育費をかけたのに、ろくな高校に受からず万引きまでした娘だった。もう愛想が尽きて放置されているのかもしれない。そう思うと嗚咽が溢れて止まらない。そんな様子を眺めながら森山は付け加える。
「万引きして親に捨てられると、どうなると思う?」
「ひぐっ…うぐっ…うううっ…」
「店も、さすがに警察へ通報するしかない。いつまでも飼えないし、エサもいるし、小便も垂れるからな」
「うう…ひぐっ…」
「で、警察でも対応に困る。引き取りに来いと親に連絡してもシカト。一晩、二晩、泊めてもラチがあかないなら、悪質なガキなら少年院コース、まだ初犯くらいなら児童養護施設、ようするに孤児院コースだ」
「ひっ、うわああん! うわああああん!」
「お前は孤児院かな。ひどいとこだぞ、イジメが普通にある。職員の対応も最悪だし、飯もまずいし、服もおさがりだし、雑魚寝だし、たまに自殺もあるけど、親が捨てた子だからニュースにならない。火葬して共同墓地にさよならだ」
「うわあああんんあああん!!」
大声で千晶が泣き、かなり泣き続け、その嗚咽が尽きた頃、吉田が戻ってきた。
「あがりです」
私服に着替えていてタイムカードを押している。
「吉田さん、着替える前にタイムカード押してよ」
「てへっ♪ ごめんなさい」
可愛く謝って今後もあらためるつもりはない。労働者の権利だと大学で習っているし、それを反論に使うと店長らが怒るのはわかっているので女子の可愛さで乗り切る気だった。
「お先です。その子の親、まだなんですか?」
「ああ、まだ」
「もう10時過ぎてますよ」
「捨てられたのかもな、親に」
「ひっ…ひぐっ…ううっ…」
「警察コースですか?」
「とりあえず閉店まで待つよ」
「大変ですね、じゃ、失礼します」
吉田は他人事として帰ってしまった。すでに午後11時が近い。コンビニとスーパーの中間のような店であり、北陸らしく11時には閉店予定だった。
「腹減ったなぁ。ボクも飲むし、コーンスープ、飲め」
「……。ありがとうございます」
インスタントのコーンスープをもらって飲んだ。飲食物は売るほどあるので、何でも出てくる。美味しいスープだったけれど、また、おしっこが貯まる。吉田以外のアルバイトやパートも次々と帰り、もう閉店になった。販売スペースの照明が消されると、マジックミラーの効果が逆転し、大きな鏡になった。手錠でパイプ椅子につながれた自分の姿が映っている。
「うぅ……おしっこ……したいです」
「椅子の上に漏らしてみろ、ひどいからな」
「ぐすっ…た…立って…しますから…」
千晶が立ち上がると、森山が命令してくる。
「お前なんか人間以下だ。犬みたいに四つん這いでしろ」
「………はい…」
もう逆らう気力がなくて言われるまま千晶は四つん這いになった。
「パンツ脱ぐか、そのままするか、選べ」
「……このまま……します…」
やはり男性と二人きりの状況で下着を脱ぐのは怖かった。
「じゃあ、片足を上げて、大きく股を開け、犬みたいに」
「ぐすっ……はい…」
千晶は右手でパイプ椅子をもち、左手は床につき、左膝も床についた姿勢で右脚を大きくあげた。
「よし、おしっこしていいぞ」
「………ぐすっ…」
涙を零しながら、おしっこも出す。
シューゥゥ…
下着のままなので、おもらし状態になって熱い奔流が股布の中を暴れ、滲み出る分と、横から溢れて左腿に流れる分に別れた。片方の腿だけが温かい。
ピチャピチャ…
おしっこが床を打つ音が立って漏らすときより、ずっと近い。
「はは! いいカッコだぞ。鏡で見てみろ」
命令されてマジックミラーへ視線をやると、自分の姿が見えた。四つん這いになって片脚をあげ、パンツを丸出しにして、おしっこを漏らしている。これ以上ないほど、みじめな姿だった。
「お前、もし本当に捨てられたんなら、うちで飼ってやろうか、ちゃんと飯は出すぞ」
「……………。お母さん……お父さん……う、ううっ……ううっ…うーーーっ、うーーーっ…」
「ははは、犬みたいに呻って、いいぞ、いいぞ」
「ううーーーーっ…ううーーーっ…」
千晶は床にうずくまって、自分のおしっこに浸かりながら泣き続けた。
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