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3章
閑話 父娘
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~ ライアン邸宅の研究所内 ~
「ふひ、ふひひ、ふひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「……」
チェスターがヤタの体の研究に没頭して奇妙な笑い声を上げているのを他所に、その娘のメリーは呆けた様子で固まっていた。
「どうしたんです、メリー?」
つい先程まで奇声を上げていたチェスターがスッと神妙な表情でメリーの方へ振り向いた。
誰もが驚くような切り替えの早さだったが、今ここには彼らにツッコミを入れてくれる人物は誰もいない。
問われたメリーだが反応はなく、チェスターは「やれやれ」と肩をすくませながら一本の試験管を持ち、彼女の鼻に近付けた。
「~~~~っ!?ゲホッゲホッ!……う゛おぇっ!?」
メリーは咳き込んだ後、涙目になりながらうら若き少女が出してはならない嗚咽をする。
「な、何するのパパ……?」
「気つけ薬を試してみた。どうだ?」
「すっ……ごく臭かったよ……まるで運動してる人間が一ヶ月くらい洗わずに着続けた服の臭いみたいだった」
「その臭いを知ってるのか?」
「クヒヒ、知らない。適当だよ」
「そうか」
彼らの会話はそこで区切られ、チェスターは持っていた試験管を元の位置に戻す。
メリーも自分の机に向き直ろうとしたところでチェスターに声をかけられる。
「何かあったんですか?」
父親の一言にメリーは肩を跳ねさせ、わかりやすい反応を示した。
「な、何って……」
「自覚はあるはずですよ。、ヤタにお前を孕ませるという話をしてからというもの、ただでさえいつもボーッしてる我が娘がさらに目が見えていないかのような盲目っぷり、まるで石像かと思いましたよ。しかも研究中ですら上の空……同じ研究者として恥ずべき愚行ばかりじゃないですか?」
「うぅ……」
メリーは図星を突かれてしまい、肩を落として項垂れる。
「なんか、あの人にこの見た目のことを言われてから変なの……フワフワする?分からないけど……可愛いって言われてからソワソワして落ち着かない感じ……」
言葉通り落ち着かない様子で挙動不審なメリー。
しかし父親のチェスターから言わせれば挙動不審なのはいつものことで、さらに言えばヤタは「顔立ちが良い」「スタイルが良い」とは言ったが、「可愛い」とは一言も言ってないことを覚えていた。
「そ、それに……私のために怒ってくれた人、初めてだったから……」
「メリーはそもそも私以外の人と接していませんからね」
だから惚れやすいのかもしれない。我が娘ながらチョロい……とチェスターは心の中で思いながら溜め息を吐いて元の作業場に向き直る。
「……まぁ、惚れたなら惚れたでこちらとしても都合がいいんですけどね」
悪印象で嫌がるよりはスムーズに事が進むから良しとすると考えたチェスター。
「惚れ、た……?」
するとメリーはそう小さく言葉を零すと、段々と顔を赤らめていく。
「自覚が無かったんですか?」
「……わからない。惚れたのかどうかもわからない。こんな気持ち……初めてだから」
「そうですか……」
チェスターは視線をそのままに素っ気ない返事をする。
「メリー、今日はもう休みなさい」
「え……でもまだやりたいことが……」
チェスターの発言にメリーが戸惑う。
「その状態では何をやっても手につかないでしょう?まずは頭を冷やして落ち着いてからにしなさい」
「…………ううん、ここにいる。ここの方が心を落ち着けられそうだから……」
「そうですか」
少々長い沈黙の後、メリーは首を横に振ってそう言い、扉の方へチラチラと視線を送る。
チェスターはそんな彼女と時計を見て「ああ、なるほど」と納得する。
時刻は朝八時過ぎ。
この頃この時間になればいつも決まって顔を出す人物がいる。
つい数日前には遅刻して来たが、ほぼ時間通りに現れる。
チェスターから指定されたわけでもないにも関わらず。
するとそこへ、予想通りに彼が扉を開けて現れた。
「うす」
短い挨拶をして入って来たのは眠そうにした表情のヤタだった。
「おはよ……相変わらず今日も目が淀んでるね……」
「うるせーよ。今までで目が綺麗になったことなんて一度もねえから期待すんな。むしろこの状態を何十年も維持し続けてきたんだ、ヴィンテージものだろ」
「何の役にも立たないヴィンテージとかウケる……」
あくびをしながらいつもの調子で屁理屈を並べるヤタと、そんな彼と徐々に打ち解けてきたメリー。
そんな彼らを尻目に見たチェスターはほくそ笑む。
「……これでよかったんですかねぇ?私たちの一人娘……特別なことをなんてしてあげられなかった。だからこそ私の背中を見てあんな性格に育ってしまったんでしょうが……結局父親らしいことは何一つしてませんねぇ」
チェスターは視線を机の上に置かれている写真立てに向ける。
そこにはただ一人、はにかんだ女性が写し出されていた。
「こんな時に君が……母親がいれば、なんて最近柄にもないことを思い始めてますよ。まぁ、いたらいたで今の私たちを暴力的に痛めつけようとするでしょうが」
自らの娘に子供を産ませて実験対象としようなど、恐らくヤタよりも怒り狂うだろうという確信が彼にはあった。
それでも――
「それでも、『怒ってくれる存在』というのはありがたいものなんですね……」
チェスターは数日前のヤタと、彼の妻でありメリーの母親である彼女の面影を重ねる。
容姿で言えば似ても似つかないが、少なくともチェスターは彼に嫌悪どころか信頼に似た感情を寄せていたのは確かだった。
「んじゃ、今日は何をすればいいんだ?」
メリーとの雑談をそこそこに終えたヤタがチェスターの方へ向く。
声をかけられたことで物思いに耽けていたチェスターがハッと現実に引き戻される。
「……ん?どうしたんだ?」
眉をひそめて聞いてくるヤタに、チェスターはフッと笑う。
「何でもありません。そうですね、まずは……うちの娘のことはそろそろ考えてくれましたか?」
「ふひ、ふひひ、ふひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「……」
チェスターがヤタの体の研究に没頭して奇妙な笑い声を上げているのを他所に、その娘のメリーは呆けた様子で固まっていた。
「どうしたんです、メリー?」
つい先程まで奇声を上げていたチェスターがスッと神妙な表情でメリーの方へ振り向いた。
誰もが驚くような切り替えの早さだったが、今ここには彼らにツッコミを入れてくれる人物は誰もいない。
問われたメリーだが反応はなく、チェスターは「やれやれ」と肩をすくませながら一本の試験管を持ち、彼女の鼻に近付けた。
「~~~~っ!?ゲホッゲホッ!……う゛おぇっ!?」
メリーは咳き込んだ後、涙目になりながらうら若き少女が出してはならない嗚咽をする。
「な、何するのパパ……?」
「気つけ薬を試してみた。どうだ?」
「すっ……ごく臭かったよ……まるで運動してる人間が一ヶ月くらい洗わずに着続けた服の臭いみたいだった」
「その臭いを知ってるのか?」
「クヒヒ、知らない。適当だよ」
「そうか」
彼らの会話はそこで区切られ、チェスターは持っていた試験管を元の位置に戻す。
メリーも自分の机に向き直ろうとしたところでチェスターに声をかけられる。
「何かあったんですか?」
父親の一言にメリーは肩を跳ねさせ、わかりやすい反応を示した。
「な、何って……」
「自覚はあるはずですよ。、ヤタにお前を孕ませるという話をしてからというもの、ただでさえいつもボーッしてる我が娘がさらに目が見えていないかのような盲目っぷり、まるで石像かと思いましたよ。しかも研究中ですら上の空……同じ研究者として恥ずべき愚行ばかりじゃないですか?」
「うぅ……」
メリーは図星を突かれてしまい、肩を落として項垂れる。
「なんか、あの人にこの見た目のことを言われてから変なの……フワフワする?分からないけど……可愛いって言われてからソワソワして落ち着かない感じ……」
言葉通り落ち着かない様子で挙動不審なメリー。
しかし父親のチェスターから言わせれば挙動不審なのはいつものことで、さらに言えばヤタは「顔立ちが良い」「スタイルが良い」とは言ったが、「可愛い」とは一言も言ってないことを覚えていた。
「そ、それに……私のために怒ってくれた人、初めてだったから……」
「メリーはそもそも私以外の人と接していませんからね」
だから惚れやすいのかもしれない。我が娘ながらチョロい……とチェスターは心の中で思いながら溜め息を吐いて元の作業場に向き直る。
「……まぁ、惚れたなら惚れたでこちらとしても都合がいいんですけどね」
悪印象で嫌がるよりはスムーズに事が進むから良しとすると考えたチェスター。
「惚れ、た……?」
するとメリーはそう小さく言葉を零すと、段々と顔を赤らめていく。
「自覚が無かったんですか?」
「……わからない。惚れたのかどうかもわからない。こんな気持ち……初めてだから」
「そうですか……」
チェスターは視線をそのままに素っ気ない返事をする。
「メリー、今日はもう休みなさい」
「え……でもまだやりたいことが……」
チェスターの発言にメリーが戸惑う。
「その状態では何をやっても手につかないでしょう?まずは頭を冷やして落ち着いてからにしなさい」
「…………ううん、ここにいる。ここの方が心を落ち着けられそうだから……」
「そうですか」
少々長い沈黙の後、メリーは首を横に振ってそう言い、扉の方へチラチラと視線を送る。
チェスターはそんな彼女と時計を見て「ああ、なるほど」と納得する。
時刻は朝八時過ぎ。
この頃この時間になればいつも決まって顔を出す人物がいる。
つい数日前には遅刻して来たが、ほぼ時間通りに現れる。
チェスターから指定されたわけでもないにも関わらず。
するとそこへ、予想通りに彼が扉を開けて現れた。
「うす」
短い挨拶をして入って来たのは眠そうにした表情のヤタだった。
「おはよ……相変わらず今日も目が淀んでるね……」
「うるせーよ。今までで目が綺麗になったことなんて一度もねえから期待すんな。むしろこの状態を何十年も維持し続けてきたんだ、ヴィンテージものだろ」
「何の役にも立たないヴィンテージとかウケる……」
あくびをしながらいつもの調子で屁理屈を並べるヤタと、そんな彼と徐々に打ち解けてきたメリー。
そんな彼らを尻目に見たチェスターはほくそ笑む。
「……これでよかったんですかねぇ?私たちの一人娘……特別なことをなんてしてあげられなかった。だからこそ私の背中を見てあんな性格に育ってしまったんでしょうが……結局父親らしいことは何一つしてませんねぇ」
チェスターは視線を机の上に置かれている写真立てに向ける。
そこにはただ一人、はにかんだ女性が写し出されていた。
「こんな時に君が……母親がいれば、なんて最近柄にもないことを思い始めてますよ。まぁ、いたらいたで今の私たちを暴力的に痛めつけようとするでしょうが」
自らの娘に子供を産ませて実験対象としようなど、恐らくヤタよりも怒り狂うだろうという確信が彼にはあった。
それでも――
「それでも、『怒ってくれる存在』というのはありがたいものなんですね……」
チェスターは数日前のヤタと、彼の妻でありメリーの母親である彼女の面影を重ねる。
容姿で言えば似ても似つかないが、少なくともチェスターは彼に嫌悪どころか信頼に似た感情を寄せていたのは確かだった。
「んじゃ、今日は何をすればいいんだ?」
メリーとの雑談をそこそこに終えたヤタがチェスターの方へ向く。
声をかけられたことで物思いに耽けていたチェスターがハッと現実に引き戻される。
「……ん?どうしたんだ?」
眉をひそめて聞いてくるヤタに、チェスターはフッと笑う。
「何でもありません。そうですね、まずは……うちの娘のことはそろそろ考えてくれましたか?」
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