Locust

ごったに

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 ドクターの研究室のあるビル──表向きはさる芸能事務所の療養所とされているビルの屋上に、俺は降り立った。
 屋上と下の階を繋ぐ小屋の前に行くと、逆関節バッタ脚で扉を蹴破る。
 腕を拘束していたクモ糸は既になく、右腕も少しずつ力が入るようになっている。
 高い自己治癒能力が備わっているようだ。
「直斗……シケイダ君……無事でいてくれ!」
 階段をひとっ跳びし、廊下を走り、複眼レンズにしてシケイダ君を探す。
 一つ降りると、フロア表記に四階とあった。
 廊下の壁に大きな穴が空いており、研究室があったのはここだとわかった。
 複眼レンズの拡張された視界にも、コウモリ人間の姿は映らない。
 ひとまず資料室に入ると、研究室の方に人の気配があった。
「シケイダ君!」
 俺が開けた穴から、急いで研究室へ入る。
「日月さん! こいつ、ドクターです! レプティリアンだったんですよ」
「だから一緒にするなよ、俺はヒトキメラだ」
 アサルトライフルを構えるシケイダ君と、その銃口の先、デスクに腰かけるヒトキメラの姿があった。
 旧式の雑兵とドクターの言う、コウモリ人間でさえ銃弾を弾くからだろう。
 銃口を向けられているというのに、そのヒトキメラは実にリラックスしていた。
「おかえり。ローケストが勝ったんだね」
 シケイダ君の言う通り、そのヒトキメラはドクターの声でしゃべった。
 左右で違う方を向く、ギョロリした大きな目。
 トゲが散見される緑色の鱗に覆われた、やはり三メートルほどの体躯。
 手足の指、丸められた尾の先端は尖っており、矢尻のよう。
 指の腹や尾には穴が空いており、それぞれが呼吸で穴を開閉させる様が気色悪い。
 トカゲのヒトキメラ、にしてはヒルめいたそれらがどうも引っ掛かる。
「次は、お前が相手か」
「待ってくれよ、今の君じゃ俺の相手にならない。せっかくの作品をむざむざ壊させないでくれ」
「試してみるか?」
 右手に力を入れる。
 本調子には程遠いが、かろうじて動かせた。
 ファイティングポーズを取り、ドクターを睨む。
「言ってわからないやつと、やってみなければわからないが口癖のやつは大嫌いだ」
 刹那。
 何が起きたのかもわからないまま、俺は虚脱感と脱力感に襲われた。
 がくり、膝から崩れ落ちる。
 装甲が剥がれ、全身を覆う筋肉鎧が、見る見るうちに縮んだ。
 わけもわからぬうちに、俺は全裸の三七歳一般男性に戻されていた。
 慌てて股間を隠すと、ドクターがパンツを投げて寄越した。
「ね? 相手にならないでしょ?」
 トカゲ口を歪めて、先の尖った舌をチロチロと揺らすドクター。
 見れば、俺の方を向いた人差し指の先が異様に長い。
 徐々に縮んでいくそれは、やがて違和感のない長さになった。
「エナジードレインって、昔のゲームにはあったよね。体力吸収じゃなくて、レベルをダウンされる魔法」
「お前、一体何歳なんだよ」
「俺が何歳かって? 女だったらこんなとき、常套句ではぐらかせるんだがなぁ」
 人間のときの姿は、シケイダ君と同年代────俺より一〇歳は若い見た目だ。
 けれど、精気を搾り取るべく連れて来た子供について語ったときの感じが変だった。
 超天才で、高校生くらいの歳から携わっていたとしても、せいぜい一〇年。
 直感でしかない。
 だがこいつは、もっと長くこの研究をしている気がしてならない。
「俺が何歳でもいいだろ? ただ、精気は広告塔の連中、つまり芸能人たちに売りつけるものと、俺たち裏で動いてる人間が使うものでは質が違う」
 ドクターはまだ生きていたモニターに向け、リモコンを操作する。
「表向きは、九〇代らしいおばあちゃんがやってるよな?」
「マジかよ」
「やっぱり、レプティリアンだったのか」
 画面に現れたのは紳士の国の女王、その若き日の写真。
 一〇年経つごとに、写真が切り替わっていく。
 やがて写真は動画に変わった。
 今よりは若い、俺の知るおばあちゃん女王が国民に手を振る映像。
 そのまま女王は屋内に移動すると、食卓の上で不思議そうにする赤ん坊に手を伸ばした。
 ニンマリと笑った女王の顔が、見る見るうちに最初の写真と同じ姿に若返る。
 フライドチキンでもつまむように、女王は赤ん坊の右足を掴んで持ち上げた。
 掴まれて痛かったのか、女王が恐ろしかったのか。
 赤ん坊は瞬く間に顔を曇らせると、大口を開けて泣き出した。
 女王が舌なめずりをすると、にわかにその肌に鱗が浮き出したではないか。
 瞳が縦割れのものに変わり、口が耳まで裂けてトカゲの正体を現すや、ガブリ。
 赤ん坊の横っ腹へと、食らいついた。
 乱杭歯が赤ん坊の肌に突き刺さり、ごっそり肉をこそげ取った。
 泣き喚いていた赤ん坊が泣き止み、零れた内臓や力の抜けた脚をだらりと垂らす。
 目を背けたくなるのを堪え、その残忍な食事の光景を睨みつける。
 画面内ではボタボタとしたたる赤ん坊の血が、高級そうな絨毯に染みを作っていた。
 もう食い飽きたとばかりに、女王は死骸を放り捨てた。
 放物線を描いて落ちるそれを目で追う、他のロイヤルファミリー。
 恐ろしいものを見る目ではなく、それは正真正銘、飢えた獣の目だ。
 肌に鱗が浮かび、瞳孔が縦割れして本性を露わにする者もいる。
 死骸はスーツ姿の二人組の男によってキャッチされ、運ばれる。
 男たちは、画面奥にある巨大なミキサーにも似た装置の方へと、死骸を持って去って行った。
 この島で実際に子供を食らう大学教授の女を既に見ているとはいえ、慣れるものではない。嫌な光景だった。
「吸血鬼伝説で、新しく上位吸血鬼を作る能力は真祖にしかない、なんて言われるだろ? この映像も真の精気製造のヒントになると思うよ」
 ドクターはモニターを消して、気持ちよさそうにもったいぶる。
 得意そうなところ悪いがそれは、一生役に立たない知識だ。
「さて。俺は今、君たちを殺そうとは思わない」
「いいのか長生き野郎。どうして平家が滅んだか、学校で習わなかったのか?」
「学校で習う歴史なんか信じてるのは、馬鹿だけさ」
「歴史は嘘でも、教訓まで嘘とは限らないぞ」
「いいよ。そうなったらそうなったで、それも俺の研究の成果だ」
「研究……お前、まさか」
「そう。俺はこれから、ヒトキメラを世に解き放って行こうと思う」
 ヒルめいた指から注射器を何本か出して、ドクターはそれをこれ見よがしに振ってみせた。
「お前っ!!」
 腕や脚に力を込めても、今の俺はただのオッサン。
 ドクターに傷一つ付けることはできない。
 歯痒いが、自分もヒトキメラになったがゆえに、それは残酷なまでに分かってしまう。
「許せないか? なら、これで止めてみたまえよ」
 注射器を見せびらかしたのとは反対の手で、ドクターは引き出しを開けた。
 中から何かを取り出すと、それを俺に投げて寄越してきた。
 キャッチすると、それはしっかりした重量感のある、ベルト。
 ツヤの消された銀色で、バックルには一〇個の球とそれらをつなぎ合わせる線で構成された図形が彫られている。
「それでおじさんをヒトキメラに変身させたり、人間に戻したりできる。言わば、虫こぶの制御装置さ」
「こんなものはいい、直斗を返せ!」
「こんなもの、は心外だなぁ。でも、いいよ」
 ドクターがキーボードを叩くと、こちらと培養槽群を仕切るガラス扉が左右に開いた。
 そして、中で眠っていた子供たちが次々に目を覚ましていった。
「ここの子供たちは解放しよう。別に世界からキッドナップがなくなるわけじゃ、ないけどね」
 各培養槽が開き、中の液体が床に流れ出す。
「せいぜい俺の送り込む作品たちと、血で血を洗う戦いを繰り広げてくれ。おじさんの戦闘データが、俺の研究に革新をもたらしてくれることを、期待しているよ」
 言い終わるが早いかドクターの身体は、無数の風穴が空くように風景に溶け込んでいった。
「待てっ!」
 手を伸ばした時には、もはや透明人間と化しており、その所在が掴めない。
 トカゲというより、カメレオンだったようだ。
「戦いを放棄して逃げたときは、わかっているね? 俺は直斗君をマイクロチップ経由で、どうにでもできるんだからね」
 言い忘れたとばかりに、スピーカーからドクターの声が流れたのだった。
「お前の手の上で踊れってか。上等だ、踏み抜くまでやってやる」
 ベルトを強く握りしめ、俺は宿命さだめと向き合う覚悟を決めた。

  ◆

「直斗!!」
 ドクターに渡されたベルトを肩に担いだ、パンツ一丁裸の男。
 酷い格好のまま、俺は培養槽スペースで直斗を探した。
 解放され、歩き出した子供たちにぶつからないように気を付けながら。
 そして。
「ぱぱ……?」
 忘れもしない。
 直斗の声だ。
「直斗!!」
「ぱぱだーっ!!」
 顔を真っ赤にして泣きながら、とてとてと走ってくる息子を抱きあげる。
「ぱぱーっ!!」
「直斗! よかった! もう大丈夫だからな! パパが迎えに来たからな!」
「ああああああああああああああ、ぱぱーっ!! 怖かったよおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「よしよし、いい子だ。もう大丈夫だからな」
 泣き叫ぶ直斗の背を、優しく叩いてやる。
 こいつにはもう優愛も、おじいちゃんおばあちゃんもいない。
 そのことを早いうちに告げなければならない。
 間違いなくそれは、直斗の心に深い傷をつけるだろう。
 寂しい思いもさせるだろう。
 遠くに旅行に行った、みたいなおためごかしを俺は使うのだろうか。
 不安でいっぱいだが、今は。今だけは。
「そうら、高い高―い。高い高いだぞーっ」
 泣き止まない直斗を持ち上げ、好きだった高い高いをしてやる。
 今だけは、全力で再会を喜んだって、いいよな?
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