Locust

ごったに

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 月もない真っ暗な夜。
 聞こえるのは、波を切るクルーザーのモーター音だけ。
 刑事を辞め、三七歳にして私立探偵に身をやつしてまで通した俺の我儘に、今夜こそ決着をつける。
 闇夜に目的地のシルエットが、おぼろげに見えてきた。
 角髪島みずらしま
 現代の吸血鬼どもが巣食う、邪悪の島だ。
日月たちもりさん」
 呼ばれ、振り返る。
「腹が減っては、戦はできぬ。こんなもんしかないですけど、どうぞ」
 ビニール袋をこちらに突き出している青年が、立っていた。
 GoProを構えた大学生風。実際には、退学して動画投稿者として生計を立てている。
「ありがとう、シケイダ君」
「いえ」
 その顔にはにかんだような笑みが浮かぶ。
 受け取ると、中身はコンビニで買った焼き鳥のようだった。
 それと、五〇〇ミリリットルのお茶。
 夜目を凝らして見た感じ、モモとねぎまと、あと鴨串か。
「タンパク質で、力をつけてくれれば、と」
「ありがとう。鴨串、たまにしか売ってないが、うまいよな」
「うまいっすよね」
「あぁ。いただきます」
 軽く会釈をして、早速いただく。
 焼き鳥は冷めており、お茶もぬるい。
 だが、文句はない。
 これは、ピクニックじゃない。メシの美味い不味いは、些事に過ぎない。
 クルーザーのチャーターをしてくれたのだって、シケイダ君だ。
 若者に金を出してもらうのは、我ながら格好がつかないな。
「う、うわぁっ!なんだあれはあぁっ!」
 突如、後方から野太い悲鳴が上がる。
 シケイダ君の動画を編集するスタッフ、中野の声だ。
「どうした!」
 振り向いたとき、編集スタッフは懐中電灯の光を空に向けていた。
 馬鹿野郎。
 島のやつに気付かれるだろうが。
 胸中で毒突いたが、それはすぐに驚愕で上書きされた。
「なんだ、あれは」
 夜闇を切り取る光を、一瞬、人間大のものが横切ったのだ。
 目を凝らすと、夜空を飛ぶ影があった。
 五メートルに達しようかという翼長の羽根を広げて旋回し、クルーザー上空からこちらの様子をうかがっている。
「シケイダ君! 銛はないのか」
 苦虫を噛み潰す。
 こんな時、拳銃さえあれば。
 無論、刑事時代でも自由に携行できるものではなかったのだが。
「日月さん、これを!」
 運転手に場所を聞いたのだろう、シケイダ君が手銛を持って来てくれた。
 こんなものでも、ないよりはマシだろう。
「中に隠れるんだ」
 シケイダ君とスタッフに、運転手のいる操舵室へ入るよう促す。
 しかし、遅かった。
「ぎゃあああああああああっ、助けてくれえっ!!」
「中野くんっ!!」
 我先に操舵室へ向かおうとした中野を、滑空してきた空飛ぶ人間が宙へと連れ去ってしまった。
「クソッ!!」
 手銛を構え、宙を睨む。
 しかし、月も出ていない夜の海。
 狙いをつけようにも、相手の位置を捉えるのも難しい。狙いを定められたところで、揺れる船上からの投擲では、誤って中野を刺すかもしれない。
 どうするべきか。
「俺が目になります!」
 シケイダ君が、中野の落とした懐中電灯で夜空を照らし、自在に空を飛ぶ影を追う。
 やるしかない。
 頷き、俺は手銛を振りかぶる。
「今だっ!!」
 懐中電灯が、コウモリのように空を飛ぶ人影を捉えた瞬間。
 全身のバネを使い、投げ槍の要領で銛を投擲する。
 それは、コウモリ人間に確かに命中した。
 しかし。
「なにっ!?」
 翼膜に突き刺さったかに見えた銛は、コウモリ人間の翼の一振りで弾かれ、暗い海へと打ち落とされてしまった。
 そのまま、コウモリ人間は空高く飛び上がり、角髪島の方へと去って行った。
「そんな、中野君が……」
 崩れ落ちるシケイダ君。
 だが、その手のGoProはしっかりと夜空へと向けられている。
 シケイダ君の倫理観について、俺にとやかく言う筋合いはない。
 俺は、中野を救うことができなかったのだから。
 拳を硬く握りしめる。
「現代の吸血鬼……あれが、そうなのか」
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