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第一章
4.5 少女の後ろに道はなく
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午前二時半。
オーバーサイズのパーカーのフードを頭からかぶって、少女・柳さくらは今日も“夜”の街に出向いていた。
さくらは苛ついていた。
自身の契約する悪魔・ロアノスの言うことを聞いていても、一向に園城緋毬を消せる気配がないのだ。
今日もまた、不意打ちで人間を襲い、悪魔を一人脱落させようというところだった。
見ればロアノスが、悪魔の首輪を破壊しようとしていた。
そんなロアノスに、さくらが問いかける。
「ねえロアノス。まだなの」
ロアノスは、さくらを見ずに、答える。
「まだだよ。まだ足りない」
その言葉は、このところ毎日聞いている言葉だった。
さくらには目的がある。
園城緋毬という、自身の想い人に集る蝿を始末するという目的が。
しかしこの行動が、自身の目的に近づいているとは、さくらはもう思えなかった。
だからさくらの苛立ちは、頂点に達した。
ロアノスに、さくらは問いかける。
「じゃあ、いつになったら足りるのかな?」
さくらのその問いに、ロアノスの手が止まる。
「どうしたんだい、さくら?」
伺い立てるロアノスを見つめ、さくらは告げる。
「毎日毎日、足りない足りないって。結局やることは格下相手の不意打ちばっかり。元々ロアノスがこうしなきゃいけないっていうからやってるんだよね?園城緋毬の話をした時は、協力してくれる感じだったのに。大門龍次郎の写真を見せてからずっとこれ。力を蓄えるためっていうのはわかってるんだけどね?じゃあいつになったら足りるのかなって」
さくらは一歩、また一歩と近づく。
言葉を返せないロアノスは、さくらから目を逸らす。
さくらが口を開く。
「びびってるの?」
その言葉に、ロアノスは目を見開き、
「…なんだって?」
堪えるようなふり絞るような声で答える。
そして、気づけば真横にいたさくらを見て目を見開いた。
さくらは、ロアノスが抱えていた悪魔に手を伸ばし、そして、その首輪に手をかける。
「毎日、毎日。足りない足りない足りない足りない!まだまだまだまだ!」
さくらの手に力が籠められる。
ギチ、ギチと、首輪が軋む音が鳴る。
「わかってる!わかってるよ!わたしなんかじゃ力が足りないって!わたしが力不足なんだって!でも!でもでもでもでもじゃあ!どうすれば足りるの!どうすれば満たされるの!」
それは、ほとんど絶叫だった。
さくらは、心のままに口を開き、力を籠める。
そして、
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
ブチリ、と。
首輪が引きちぎられた。
首輪を失い、重量に従って悪魔は地面倒れ。
そして青い炎に包まれる。
その青い炎を背に、ロアノスに向き直ってさくらはにっこり笑って言う。
「…どう? これで足りた?」
ロアノスは、言葉を返せない。
そんな二人に不意に大きな影が差した。
二人は、頭上を見上げる。
「やあご両人。随分と景気が良さそうね」
二人に向けて、頭上、上空で、翼を広げた赤髪の悪魔に抱えられた女は言う。
その女を見て、さくらはぎちりと歯を鳴らして。
忌々し気に言う。
「園城緋毬……っ!!大門龍次郎っ!!」
・・・
赤髪の悪魔・大門龍次郎とその契約者・園城緋毬は、悠然とさくらの前に降り立つ。
「こんばんは柳さくらちゃん。いい夜ね」
暢気に微笑む緋毬を睨みつけながら、さくらは言う。
「ねえロアノス」
ロアノスは、冷や汗を垂らしながら遮るように、
「だ、駄目ださくら。今は」
しかしその言葉を遮るように、さくらは言う。
「わかるよ。ロアノスの言いたいこと。まだ時機じゃないって言うんでしょ。だから今まで力を集めてたんだもんね。わかるよ。」
先ほどまで、親の仇のように睨んでいたその顔を、嬉しそうに緩ませて、
「でも、しょうがないよ。だって。あっちから口に飛び込んで来たんだから」
獲物を前にした獣のように、さくらは笑った。
そんなさくらを見て、ロアノスが制止しようと声を上げる。
「でも」
しかし、
「でも?……でも、なに?」
その、有無を言わせないかのようなさくらの勢いを受けて、ロアノスは口を噤んだ。
それから、目をつぶり、息を吐き。
さくらに言う。
「……危ないと思ったらすぐ逃げるからね」
その言葉にさくらは満足そうに笑い、さくらからロアノスへ光が送られる。
その様子を見た龍次郎が、笑って言った。
「おいおい。目の前で逃走の算段か?」
ロアノスとさくらは答えない。
ロアノスの頭に角が、背には翼が、そして尾が生えた。
「龍次郎」
緋毬のその言葉に、龍次郎は「ああ」と返事をして。
「任せろ」
そう言って、突風のような速度でロアノスに突撃した。
ロアノスはそれを躱し、そして二人の悪魔は縺れるように上空へと飛び上がっていった。
・・・
魔力によって生成される悪魔の翼は、その悪魔の移動速度、および飛行能力を司る。
基本的に魔力の潤沢な悪魔ほど巨大な翼を持ち、高速で移動する。
そこに、並みの悪魔の付け入る隙はない。
駅前商店街の上空で二人の悪魔が向き合う。
「なにやら雑魚狩りにご執心だったみたいだが、ちょっと派手にやりすぎだな。無力な人間を襲うってのはマナーがなってねえ」
当てつけのように言う龍次郎に、ロアノスは言葉を返さない。
ただその動きから目を逸らさないように、注意深く見つめていた。
龍次郎はその様子を見てため息を吐く。
「おいおい。随分と余裕がねえなあ」
その言葉に、ロアノスは苛立たし気に、口を開く。
「腹が立つ」
眉を上げる龍次郎にロアノスは続ける。
「お前のような奴には、“僕たち”の気持ちはわからない。これは子供の喧嘩でも由緒正しい決闘でもない。殺し合いだ。皆勝つために参加し、勝つために策を巡らす。勝つための努力だ」
龍次郎は、ロアノスの言葉を「ふうん」と聞いて、それから問いかける。
「だから人間を傷つけてもいいと?」
ロアノスは、答える。
「正当化はしないさ。だが謝罪もしないし、当然悪いとも思ってない。なぜなら僕がやっていることは当然のことだからだ」
龍次郎はそんなロアノスの言葉を聞いて、わざとらしくため息を吐いた。
「お前みたいな奴がいるから大戦の質が悪くなる。大体、666も候補要らないだろ」
ロアノスは、自身の武器である鞭を生成し、右手に掴む。
そして答えた。
「それには同感だ!」
水平に振るわれる鞭。
龍次郎は射程から外れるように後ずさり、のけぞることでそれを躱す。
その隙を突くようにロアノスが龍次郎に接近する。
大きく踏み込み、逆袈裟に振るわれるロアノスの鞭。
龍次郎はそこにさらに踏み込むことで懐に入り、その右腕を右腕で受け止める。
ロアノスはそこから龍次郎の頭目掛けて左足で上段蹴りを繰り出すが、龍次郎はそれも右腕で防いだ。
ロアノスはさらに右足を軸に後ろ回し蹴りを放つ。
それは、風切り音が鳴るほどの勢いと速度があった。
しかし、ガシリと。
その足首を龍次郎が掴み。
そのままロアノスを、地面目掛けて放り投げた。
ロアノスは翼を広げることでその勢いを殺し、地面に激突する前になんとか静止した。
そこに、龍次郎が勢いよく飛び込んでいく。
ズドン、と。
地面がめくりあがるような衝撃。
龍次郎の足はアスファルトに突き刺さっていた。
ロアノスは掠めるように飛び立ち、その蹴りを紙一重で躱し、距離をとった。
「おっと」
龍次郎は地面に突き刺さった自分の足を見て、めくれ上がったアスファルトを見て、それから緋毬に目を向ける。
緋毬は龍次郎に向けて眉を潜め、指で小さなバツ印を作った。
「わ、わざとじゃねえんだ」
緋毬はその言葉に返事をせず顎をしゃくる。
龍次郎はその様子を見て苦笑して、ロアノスを追うように再び空へ飛んだ。
逃げるように飛ぶロアノスを追いながら、龍次郎が言う。
「おいおい、せっかく立派な尾が生えてんのに、その鞭は飾りかよ」
龍次郎の言葉にロアノスは舌打ちをして振り向き様に鞭を振るう。
一度、二度、三度。
しかし龍次郎は空中でそれを搔い潜り、再びロアノスの懐へと入った。
歯を食いしばり、ロアノスが鞭を振るう。
それを、
「止まって見えるぜ」
龍次郎は左手でガシリと掴んで、そのまま力任せに引っ張った。
ロアノスは体勢を崩す。
その首に、龍次郎は回し蹴りを叩きこんだ。
メキリ、という音が鳴り。
ロアノスはその勢いでそのまま吹き飛んでいった。
龍次郎はそこで、
「……?」
首を傾げて、自身の左手を開いて、閉じた。
・・・
上空での悪魔の戦いを二人の契約者は地上から眺めていた。
涼しい顔で戦闘を見守る緋毬とは対照的に、自身の悪魔が劣勢であることを感じ取っていたさくらの表情は冴えない。
ただその表情は、焦燥や悲哀ではなく。
彼女は苛立ちを表すように、歯を軋ませて呟く。
「なにやってるの…」
そんなさくらを見た緋毬は、少し考えて口を開く。
「…なんで人間に手を出したの」
「……」
さくらは答えない。
ただ、ロアノスと龍次郎を見るだけだった。
緋毬は目を細めて、続ける。
「…こんなことしてるって知ったら。アサヒ、悲しむと思うけど?」
その言葉にさくらが緋毬をギロリと睨む。
「あなたに何がわかるの? アサヒさんの何を知ってるの?」
緋毬は、ようやく反応したさくらに対し、好戦的に笑って言う。
「さあ? 少なくとも上っ面しか見てないあなたよりはわかってるんじゃない?」
直後、さくらが緋毬の胸倉を掴む。
「なんですって…!?」
まるで血でも吹くのかというほど睨みつけるさくらに対して、緋毬は動じずに、歯を剥き出しにして答える。
「かわいいふりも上っ面だけで一皮むけばそれが本性なのかな? アサヒはぶりっ子は苦手なんじゃないかなー?」
両者とも互いから目を逸らさず。数秒のにらみ合いが続く。
そこに、
龍次郎が声をかける。
「緋毬ッ!!」
その切羽詰まった表情を見て、緋毬は苦笑しつつも余裕そうにひらりと手を振る。
しかし龍次郎は勢いよく緋毬に向かって飛ぶ。
そして叫んだ。
「後ろだ!」
その言葉に、緋毬が振り向く。
にやりと笑い、鞭を振りかぶるロアノスを見た。
ヒン、と風を切り裂く音が鳴る。
バチン、と。空気が炸裂するような音が鳴る。
・・・
緋毬が瞬きをしてその直後に見たのは、翼を広げて庇うようにこちらを向く龍次郎の姿だった。
緋毬はその広げられた翼を見て、自身が守られたことを悟った。
龍次郎と目が合う。
そして龍次郎が一度大きく羽ばたくと、近くにいたさくらが吹き飛ばされた。
そこに更にバチン、バチン、と音が鳴る。
音の度に、龍次郎がうめき声を上げる。
その度に、何かが引き抜かれるような感覚が走る。
「りゅ、りゅうじろ」
緋毬の声は、龍次郎に抱き止められることによって遮られた。
そしてまた、その空気が弾けるような音が鳴る。
ごうごうと音が鳴る。
バチンバチンと音が鳴る。
ごうごうごう。
バチンバチンバチン。
バチンバチンバチンバチンバチンバチンバチンバチンバチンバチン。
ひたすらに音が鳴る。
緋毬からは、何も見えない。
やがて、音が止んだ。
緋毬は伺うように龍次郎の顔を見上げる。
龍次郎は目が合うとにっこり笑って、力を失ったかのようにその場でどさりと片膝をついた。
その翼には、えぐられたようにいくつも穴が空いていた。
龍次郎はにやりと笑って後ろを睨んで言う。
「…そりゃ、マナー違反だろ」
ロアノスは龍次郎の言葉ににっこりと笑って答える。
「だが、ルール違反ではないだろう?」
緋毬は自身から力が吸い取られるような感覚を覚える。
その感覚には覚えがあった。
それは魔力が奪われるときの感覚だ。
龍次郎の“足りない”魔力を補填する時の感覚だ。
緋毬はロアノスを見た。
ロアノスは先ほど見た時よりも、大きな角と翼を携えていた。
それは、先ほどよりもロアノスの魔力が潤沢であることの証。
緋毬はロアノスを睨んで言った。
「…盗ったな?」
ロアノスはその緋毬の言葉に肩を竦めた。
そしてさくらが笑う。
「ほら、やっぱり大丈夫だったじゃない」
その言葉に、ロアノスは苦笑した。
緋毬とさくらの目が合う。
龍次郎は、荒く息を吐いており倒れないのがやっとといった様子だった。
一歩、一歩とさくらが緋毬に歩み寄る。
そこで、さくらが何かに気づいたかのように目を見開いて足を止めた。
緋毬は、その視線を追うように振り向く。
「ナギちゃん?」
そこにいたのは大学の友人である、四ノ宮朝陽だった。
「あ」
さくらの口から、音が漏れる。
直後ロアノスは、呆然とするさくらを抱え、消えるように夜空へ飛んで行った。
その風に煽られ、思わず緋毬は腕で顔を覆う。
腕を下した時には、必死な形相でこちらに駆け寄る朝陽とヨルくん。
そして、力なく倒れる龍次郎が見えた。
・・・
「どうしよう……」
駅前商店街の上空。
ロアノスに抱きかかえられる状態で空を飛ぶさくらは、憔悴していた。
「どうしようどうしようどうしよう……!見られた!見られちゃった!見られちゃったよお……」
先ほどのことを思い出す。
憎き大門龍次郎をロアノスが打ち倒し、園城緋毬の悔し気な顔。
ここまではよかった。
溜飲も下がるというものだ。
だが、そのあと。
とどめを刺そうとした時に、見た。
想い人である、四ノ宮アサヒの顔を。
その呆然とした表情を思い出す。
ばっちりと目が合っていたことを思い出す。
あの顔は知っている。
あれは、なにかに裏切られた時にする顔だ。
あの顔をされた。
信頼を、失った。
絶望に近い状態に陥っていると、ロアノスを声をかけられた。
「さくら、落ち着いて」
その他人事のような調子に腹が立ったさくらは声を荒げる。
「落ち着けるわけないでしょ!アサヒさんに知られちゃったんだよ!?」
そして、さくらは口にする。
「大体、あなたがもっと早くあの女を始末できてればこんなことには」
そこまで言ってから、さくらは気づいた。
「あ。そっか」
そうだ。
この絶望的な状況を、覆す一手を。
「そうだよ。消しちゃえばいいんだ」
「何が」
怪訝そうに言うロアノスに、さくらは答える。
「勝てば良いんだよロアノス。勝ったら何でも望みが叶うんでしょ?なら、」
そうして、ロアノスの目を見て、きっぱりと言う。
「朝陽さんの記憶、全部消しちゃおう」
その言葉に、ロアノスは眉を潜める。
「さくら、それは」
しかし何かを言おうとしたロアノスを遮って、さくらは言う。
「問題ないでしょ?どうせ最後には勝つんだから」
その言葉に、ロアノスは何かを言い返そうとして、それから目を閉じて答えた。
「ああ、……そうだね。ならなおさらもっと魔力を集めないと」
そんなロアノスの言葉に満足して、さくらは笑う。
「うん。そうしようそうしよう。なんでもしよう。勝つためならなんでもしよう」
そうして、
「ね?ロアノス?」
自身の相棒の目を見て、笑いかける。
「……ああ」
ロアノスは、少し黙って、それから静かに相槌を打った。
オーバーサイズのパーカーのフードを頭からかぶって、少女・柳さくらは今日も“夜”の街に出向いていた。
さくらは苛ついていた。
自身の契約する悪魔・ロアノスの言うことを聞いていても、一向に園城緋毬を消せる気配がないのだ。
今日もまた、不意打ちで人間を襲い、悪魔を一人脱落させようというところだった。
見ればロアノスが、悪魔の首輪を破壊しようとしていた。
そんなロアノスに、さくらが問いかける。
「ねえロアノス。まだなの」
ロアノスは、さくらを見ずに、答える。
「まだだよ。まだ足りない」
その言葉は、このところ毎日聞いている言葉だった。
さくらには目的がある。
園城緋毬という、自身の想い人に集る蝿を始末するという目的が。
しかしこの行動が、自身の目的に近づいているとは、さくらはもう思えなかった。
だからさくらの苛立ちは、頂点に達した。
ロアノスに、さくらは問いかける。
「じゃあ、いつになったら足りるのかな?」
さくらのその問いに、ロアノスの手が止まる。
「どうしたんだい、さくら?」
伺い立てるロアノスを見つめ、さくらは告げる。
「毎日毎日、足りない足りないって。結局やることは格下相手の不意打ちばっかり。元々ロアノスがこうしなきゃいけないっていうからやってるんだよね?園城緋毬の話をした時は、協力してくれる感じだったのに。大門龍次郎の写真を見せてからずっとこれ。力を蓄えるためっていうのはわかってるんだけどね?じゃあいつになったら足りるのかなって」
さくらは一歩、また一歩と近づく。
言葉を返せないロアノスは、さくらから目を逸らす。
さくらが口を開く。
「びびってるの?」
その言葉に、ロアノスは目を見開き、
「…なんだって?」
堪えるようなふり絞るような声で答える。
そして、気づけば真横にいたさくらを見て目を見開いた。
さくらは、ロアノスが抱えていた悪魔に手を伸ばし、そして、その首輪に手をかける。
「毎日、毎日。足りない足りない足りない足りない!まだまだまだまだ!」
さくらの手に力が籠められる。
ギチ、ギチと、首輪が軋む音が鳴る。
「わかってる!わかってるよ!わたしなんかじゃ力が足りないって!わたしが力不足なんだって!でも!でもでもでもでもじゃあ!どうすれば足りるの!どうすれば満たされるの!」
それは、ほとんど絶叫だった。
さくらは、心のままに口を開き、力を籠める。
そして、
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
ブチリ、と。
首輪が引きちぎられた。
首輪を失い、重量に従って悪魔は地面倒れ。
そして青い炎に包まれる。
その青い炎を背に、ロアノスに向き直ってさくらはにっこり笑って言う。
「…どう? これで足りた?」
ロアノスは、言葉を返せない。
そんな二人に不意に大きな影が差した。
二人は、頭上を見上げる。
「やあご両人。随分と景気が良さそうね」
二人に向けて、頭上、上空で、翼を広げた赤髪の悪魔に抱えられた女は言う。
その女を見て、さくらはぎちりと歯を鳴らして。
忌々し気に言う。
「園城緋毬……っ!!大門龍次郎っ!!」
・・・
赤髪の悪魔・大門龍次郎とその契約者・園城緋毬は、悠然とさくらの前に降り立つ。
「こんばんは柳さくらちゃん。いい夜ね」
暢気に微笑む緋毬を睨みつけながら、さくらは言う。
「ねえロアノス」
ロアノスは、冷や汗を垂らしながら遮るように、
「だ、駄目ださくら。今は」
しかしその言葉を遮るように、さくらは言う。
「わかるよ。ロアノスの言いたいこと。まだ時機じゃないって言うんでしょ。だから今まで力を集めてたんだもんね。わかるよ。」
先ほどまで、親の仇のように睨んでいたその顔を、嬉しそうに緩ませて、
「でも、しょうがないよ。だって。あっちから口に飛び込んで来たんだから」
獲物を前にした獣のように、さくらは笑った。
そんなさくらを見て、ロアノスが制止しようと声を上げる。
「でも」
しかし、
「でも?……でも、なに?」
その、有無を言わせないかのようなさくらの勢いを受けて、ロアノスは口を噤んだ。
それから、目をつぶり、息を吐き。
さくらに言う。
「……危ないと思ったらすぐ逃げるからね」
その言葉にさくらは満足そうに笑い、さくらからロアノスへ光が送られる。
その様子を見た龍次郎が、笑って言った。
「おいおい。目の前で逃走の算段か?」
ロアノスとさくらは答えない。
ロアノスの頭に角が、背には翼が、そして尾が生えた。
「龍次郎」
緋毬のその言葉に、龍次郎は「ああ」と返事をして。
「任せろ」
そう言って、突風のような速度でロアノスに突撃した。
ロアノスはそれを躱し、そして二人の悪魔は縺れるように上空へと飛び上がっていった。
・・・
魔力によって生成される悪魔の翼は、その悪魔の移動速度、および飛行能力を司る。
基本的に魔力の潤沢な悪魔ほど巨大な翼を持ち、高速で移動する。
そこに、並みの悪魔の付け入る隙はない。
駅前商店街の上空で二人の悪魔が向き合う。
「なにやら雑魚狩りにご執心だったみたいだが、ちょっと派手にやりすぎだな。無力な人間を襲うってのはマナーがなってねえ」
当てつけのように言う龍次郎に、ロアノスは言葉を返さない。
ただその動きから目を逸らさないように、注意深く見つめていた。
龍次郎はその様子を見てため息を吐く。
「おいおい。随分と余裕がねえなあ」
その言葉に、ロアノスは苛立たし気に、口を開く。
「腹が立つ」
眉を上げる龍次郎にロアノスは続ける。
「お前のような奴には、“僕たち”の気持ちはわからない。これは子供の喧嘩でも由緒正しい決闘でもない。殺し合いだ。皆勝つために参加し、勝つために策を巡らす。勝つための努力だ」
龍次郎は、ロアノスの言葉を「ふうん」と聞いて、それから問いかける。
「だから人間を傷つけてもいいと?」
ロアノスは、答える。
「正当化はしないさ。だが謝罪もしないし、当然悪いとも思ってない。なぜなら僕がやっていることは当然のことだからだ」
龍次郎はそんなロアノスの言葉を聞いて、わざとらしくため息を吐いた。
「お前みたいな奴がいるから大戦の質が悪くなる。大体、666も候補要らないだろ」
ロアノスは、自身の武器である鞭を生成し、右手に掴む。
そして答えた。
「それには同感だ!」
水平に振るわれる鞭。
龍次郎は射程から外れるように後ずさり、のけぞることでそれを躱す。
その隙を突くようにロアノスが龍次郎に接近する。
大きく踏み込み、逆袈裟に振るわれるロアノスの鞭。
龍次郎はそこにさらに踏み込むことで懐に入り、その右腕を右腕で受け止める。
ロアノスはそこから龍次郎の頭目掛けて左足で上段蹴りを繰り出すが、龍次郎はそれも右腕で防いだ。
ロアノスはさらに右足を軸に後ろ回し蹴りを放つ。
それは、風切り音が鳴るほどの勢いと速度があった。
しかし、ガシリと。
その足首を龍次郎が掴み。
そのままロアノスを、地面目掛けて放り投げた。
ロアノスは翼を広げることでその勢いを殺し、地面に激突する前になんとか静止した。
そこに、龍次郎が勢いよく飛び込んでいく。
ズドン、と。
地面がめくりあがるような衝撃。
龍次郎の足はアスファルトに突き刺さっていた。
ロアノスは掠めるように飛び立ち、その蹴りを紙一重で躱し、距離をとった。
「おっと」
龍次郎は地面に突き刺さった自分の足を見て、めくれ上がったアスファルトを見て、それから緋毬に目を向ける。
緋毬は龍次郎に向けて眉を潜め、指で小さなバツ印を作った。
「わ、わざとじゃねえんだ」
緋毬はその言葉に返事をせず顎をしゃくる。
龍次郎はその様子を見て苦笑して、ロアノスを追うように再び空へ飛んだ。
逃げるように飛ぶロアノスを追いながら、龍次郎が言う。
「おいおい、せっかく立派な尾が生えてんのに、その鞭は飾りかよ」
龍次郎の言葉にロアノスは舌打ちをして振り向き様に鞭を振るう。
一度、二度、三度。
しかし龍次郎は空中でそれを搔い潜り、再びロアノスの懐へと入った。
歯を食いしばり、ロアノスが鞭を振るう。
それを、
「止まって見えるぜ」
龍次郎は左手でガシリと掴んで、そのまま力任せに引っ張った。
ロアノスは体勢を崩す。
その首に、龍次郎は回し蹴りを叩きこんだ。
メキリ、という音が鳴り。
ロアノスはその勢いでそのまま吹き飛んでいった。
龍次郎はそこで、
「……?」
首を傾げて、自身の左手を開いて、閉じた。
・・・
上空での悪魔の戦いを二人の契約者は地上から眺めていた。
涼しい顔で戦闘を見守る緋毬とは対照的に、自身の悪魔が劣勢であることを感じ取っていたさくらの表情は冴えない。
ただその表情は、焦燥や悲哀ではなく。
彼女は苛立ちを表すように、歯を軋ませて呟く。
「なにやってるの…」
そんなさくらを見た緋毬は、少し考えて口を開く。
「…なんで人間に手を出したの」
「……」
さくらは答えない。
ただ、ロアノスと龍次郎を見るだけだった。
緋毬は目を細めて、続ける。
「…こんなことしてるって知ったら。アサヒ、悲しむと思うけど?」
その言葉にさくらが緋毬をギロリと睨む。
「あなたに何がわかるの? アサヒさんの何を知ってるの?」
緋毬は、ようやく反応したさくらに対し、好戦的に笑って言う。
「さあ? 少なくとも上っ面しか見てないあなたよりはわかってるんじゃない?」
直後、さくらが緋毬の胸倉を掴む。
「なんですって…!?」
まるで血でも吹くのかというほど睨みつけるさくらに対して、緋毬は動じずに、歯を剥き出しにして答える。
「かわいいふりも上っ面だけで一皮むけばそれが本性なのかな? アサヒはぶりっ子は苦手なんじゃないかなー?」
両者とも互いから目を逸らさず。数秒のにらみ合いが続く。
そこに、
龍次郎が声をかける。
「緋毬ッ!!」
その切羽詰まった表情を見て、緋毬は苦笑しつつも余裕そうにひらりと手を振る。
しかし龍次郎は勢いよく緋毬に向かって飛ぶ。
そして叫んだ。
「後ろだ!」
その言葉に、緋毬が振り向く。
にやりと笑い、鞭を振りかぶるロアノスを見た。
ヒン、と風を切り裂く音が鳴る。
バチン、と。空気が炸裂するような音が鳴る。
・・・
緋毬が瞬きをしてその直後に見たのは、翼を広げて庇うようにこちらを向く龍次郎の姿だった。
緋毬はその広げられた翼を見て、自身が守られたことを悟った。
龍次郎と目が合う。
そして龍次郎が一度大きく羽ばたくと、近くにいたさくらが吹き飛ばされた。
そこに更にバチン、バチン、と音が鳴る。
音の度に、龍次郎がうめき声を上げる。
その度に、何かが引き抜かれるような感覚が走る。
「りゅ、りゅうじろ」
緋毬の声は、龍次郎に抱き止められることによって遮られた。
そしてまた、その空気が弾けるような音が鳴る。
ごうごうと音が鳴る。
バチンバチンと音が鳴る。
ごうごうごう。
バチンバチンバチン。
バチンバチンバチンバチンバチンバチンバチンバチンバチンバチン。
ひたすらに音が鳴る。
緋毬からは、何も見えない。
やがて、音が止んだ。
緋毬は伺うように龍次郎の顔を見上げる。
龍次郎は目が合うとにっこり笑って、力を失ったかのようにその場でどさりと片膝をついた。
その翼には、えぐられたようにいくつも穴が空いていた。
龍次郎はにやりと笑って後ろを睨んで言う。
「…そりゃ、マナー違反だろ」
ロアノスは龍次郎の言葉ににっこりと笑って答える。
「だが、ルール違反ではないだろう?」
緋毬は自身から力が吸い取られるような感覚を覚える。
その感覚には覚えがあった。
それは魔力が奪われるときの感覚だ。
龍次郎の“足りない”魔力を補填する時の感覚だ。
緋毬はロアノスを見た。
ロアノスは先ほど見た時よりも、大きな角と翼を携えていた。
それは、先ほどよりもロアノスの魔力が潤沢であることの証。
緋毬はロアノスを睨んで言った。
「…盗ったな?」
ロアノスはその緋毬の言葉に肩を竦めた。
そしてさくらが笑う。
「ほら、やっぱり大丈夫だったじゃない」
その言葉に、ロアノスは苦笑した。
緋毬とさくらの目が合う。
龍次郎は、荒く息を吐いており倒れないのがやっとといった様子だった。
一歩、一歩とさくらが緋毬に歩み寄る。
そこで、さくらが何かに気づいたかのように目を見開いて足を止めた。
緋毬は、その視線を追うように振り向く。
「ナギちゃん?」
そこにいたのは大学の友人である、四ノ宮朝陽だった。
「あ」
さくらの口から、音が漏れる。
直後ロアノスは、呆然とするさくらを抱え、消えるように夜空へ飛んで行った。
その風に煽られ、思わず緋毬は腕で顔を覆う。
腕を下した時には、必死な形相でこちらに駆け寄る朝陽とヨルくん。
そして、力なく倒れる龍次郎が見えた。
・・・
「どうしよう……」
駅前商店街の上空。
ロアノスに抱きかかえられる状態で空を飛ぶさくらは、憔悴していた。
「どうしようどうしようどうしよう……!見られた!見られちゃった!見られちゃったよお……」
先ほどのことを思い出す。
憎き大門龍次郎をロアノスが打ち倒し、園城緋毬の悔し気な顔。
ここまではよかった。
溜飲も下がるというものだ。
だが、そのあと。
とどめを刺そうとした時に、見た。
想い人である、四ノ宮アサヒの顔を。
その呆然とした表情を思い出す。
ばっちりと目が合っていたことを思い出す。
あの顔は知っている。
あれは、なにかに裏切られた時にする顔だ。
あの顔をされた。
信頼を、失った。
絶望に近い状態に陥っていると、ロアノスを声をかけられた。
「さくら、落ち着いて」
その他人事のような調子に腹が立ったさくらは声を荒げる。
「落ち着けるわけないでしょ!アサヒさんに知られちゃったんだよ!?」
そして、さくらは口にする。
「大体、あなたがもっと早くあの女を始末できてればこんなことには」
そこまで言ってから、さくらは気づいた。
「あ。そっか」
そうだ。
この絶望的な状況を、覆す一手を。
「そうだよ。消しちゃえばいいんだ」
「何が」
怪訝そうに言うロアノスに、さくらは答える。
「勝てば良いんだよロアノス。勝ったら何でも望みが叶うんでしょ?なら、」
そうして、ロアノスの目を見て、きっぱりと言う。
「朝陽さんの記憶、全部消しちゃおう」
その言葉に、ロアノスは眉を潜める。
「さくら、それは」
しかし何かを言おうとしたロアノスを遮って、さくらは言う。
「問題ないでしょ?どうせ最後には勝つんだから」
その言葉に、ロアノスは何かを言い返そうとして、それから目を閉じて答えた。
「ああ、……そうだね。ならなおさらもっと魔力を集めないと」
そんなロアノスの言葉に満足して、さくらは笑う。
「うん。そうしようそうしよう。なんでもしよう。勝つためならなんでもしよう」
そうして、
「ね?ロアノス?」
自身の相棒の目を見て、笑いかける。
「……ああ」
ロアノスは、少し黙って、それから静かに相槌を打った。
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