飽くまで悪魔です

ごったに

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第一章

1-3. 運命に首輪をつけて

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ひやひやした割には特に誰ともすれ違うこともなく。
無事に少年を家に連れ込んだ俺は、取りあえずベッドに彼を寝かせた。
背負っている時に彼の呼吸は感じたので、きっと疲れて眠っているのだろう。気絶、かもしれないが、あんまり悪い想像をしてもあれなので考えないようにする。

あとは、まあ、道端に寝転んでいるくらいだ。当然綺麗とは言い難く。もちろんそんな少年が寝転ぶわけだから。申し訳ないがオフトゥンさんには汚れ役を担ってもらおう。
うん。そろそろ夏用の布団にしようと思ってたし、丁度いい。そう思うことにした。
それから少年の首元で存在感を放っている“黒いチョーカー”に目をやる。
これくらいの子もしているのか。こういうのを見ると本当に流行ってるんだなあ、と思う。苦しくないんだろうか。外してあげようか。
いや、変に触って誤解されても嫌だ。

「……やめとくか」

そう結論つけて少年から目を離し、軽く伸びをする。
さて。
時刻はとっくに1時を周った頃。
暗い外から明るい室内に来て、荷物も降ろして一息ついたら、急に腹が減って来た。いやその前に、風呂でも入ろうか。

湯を張っている間にざっとシャワーで体を流す。
ようやく人心地ついて、随分冷静になったとは思う。うん。うん。

「俺、結構とんでもないことしてるんじゃないか……?」

客観的に見て、意識の無い見ず知らずの少年(未成年)を本人の同意なく、自宅に連れ込む大学生(成人男性)。うん。
ニュースで報道されてもおかしくない状況だ。百歩譲っても事案だよ。
頭が痛い。というか、ここが風呂場じゃなかったら唸りながら転げ回ったことだろう。

「でもなあ」

いや、考えても仕方ない。もう事後だし。取りあえずあの子が目を覚まして、話を聞いてから、それから考えよう。
大きく一息ついてからシャワーを止める。
せっかく用意したが、湯船に浸かる気はならなかった。

適当に下着だけ身につけてタオルを羽織りながら居間に戻ると、

「……誰?」

聞き覚えの無い声。
部屋の隅のベッドで、ぼんやりとした表情で体を起こす褐色の少年。
件の少年が、丁度目を覚ましたらしかった。
一秒、二秒。
沈黙の中、俺と少年は目をあわせる。
先に耐えきれなくなったのは俺だった。

「えーと、取りあえず、風呂でも入る?」

情けなくも二十歳にもなった大の大人は、明らかに一回りは年下であろう少年に気圧され。
そんな日和った言葉をもって、問題を先送りにするのだった。しかし、

「……あー。そういう感じね。……うん。わかったよ」

少年は、小さな声でそう言うと、おもむろに服を脱ぎ出した。

チラリと覗く、褐色の腹部が。おへそが。
あ、なんか。すごい。綺麗な、肌が。肌が。絹みたいなってこういう時に使う。目が、離せない。ゆっくりと、下着とか、着てない。

あ、あかん!!

「わー! 待て待てそうじゃない! そうじゃないぞ少年!」

我に返った俺はなんとか声を張り上げた。
少年は一瞬キョトンとして、ようやく服をそれから俺の言葉を理解したのか遠慮がちに小さくうなずいた。
その仕草を見て、床に転がってる部屋着を押しつけ、少年を風呂に押し込める。
それから風呂の使い方を簡単に教えた。
教えた、つもりだが自分でも何を言ってるんだかよくわからなかった。なんとかシャワーの流れる音を聞き届けた時にはえも言われぬ疲労感が俺を襲った。一気に疲れた。
俺って、こんなに人見知りだったっけ、いや違う。これは確実に負い目を感じている。罪悪感とも言う。
うん。いや、しかし、うん。少年だった。
よかった。いや。本当。最初俺の前で躊躇なく服を脱ぎ出した時は“犯罪・逮捕”の言葉が頭をよぎり冗談抜きで寿命が縮むかと思った。よかった。男の子で。女の子だったら死んでた。色んな意味で。
ともかく余計な事を考えないようにする為に、次に俺は飯を作ることにした。
あー。子供って何が好きなんだろう。やっぱり肉だろうか。

火にかけた小判状の肉塊が焼き上がるのをぼんやりと眺めていると、ガチャリとドアが開く音がした。
目を向けると、心なしかさっぱりした様子の少年。
案の定サイズが合わなかったのか、俺の首元ゆったりロンTのお陰で肩を剥き出しにした、上気した表情の少年は、とてつもなく犯罪臭を漂わせた。

「あの、お風呂。ごちそうさまでした」

おずおずと言う少年に気まずさを覚えながらも、

「ああ、うん。もう少しでご飯も出来るから、座って待ってて」

そう伝えると、少年はまたコクリと頷いて、居間の中央にあるちゃぶ台の近くにちょこんと座った。

静かなワンルームに肉が焼ける音だけが響く。

「いい匂い」

思わず漏れてしまったであろう少年の一言に、笑みが浮かぶ。
よかった。喜んでもらえそうだ。

「うん。今持っていく」

焼き具合も丁度いい感じになったのでさくっと皿によそい、適当にフォークを掴んで彼の待つちゃぶ台に向かう。
俺が手にしたそれをちゃぶ台に置き、適当にケチャップをかける一部始終を、少年は涎を垂らさん居住まいでじっと見ていた。
少年の喉が鳴る。
そわそわとしているが、少年の両手は膝の上で固く握られていた。手を伸ばす様子はない。
遠慮してるんだろうか。

「よかったら、どうぞ」

俺は出来るだけ優しそうに聞こえるように少年に告げた。
少年は一瞬歓喜に満ちた顔をして、しかしまた躊躇するように俯く。

「でも、名前も知らない、さっき会ったばかりの人の、施しを受ける訳には」

言いながら、少年は一層拳に力を込める。
育ちがいいのだろうか。そういう風に教わったのだろうか。実はどこかのお偉いさんの、御曹司だったりして。それともまだ遠慮しているのだろうか。
そんなことを考えていると、きゅう、とかわいい音が鳴った。
目の前の恥ずかしそうに俯く少年を見れば、犯人はすぐ分かった。俺以外にはこの子しかいないわけだし。
それでも頑なな態度の少年を見て、思わずかわいらしいな、なんて思う。
しょうがないから、助け船を出してあげよう。
俺は少年の向かいに座って、告げる。

「遠慮なんかしなくても良いよ。気をつかう必要もない。俺が勝手に作った物を、君が勝手に食べるだけだ」

俺がそう言うと、少年は勢いよくこちらに顔を向けた。窺うように少年は慎重に口を開く。

「施しじゃ、ない?」
「そう。施しなんかじゃないよ」

ただの心理的な抵抗感であるならば、逃げ道を与えてあげればいい。別に子供なんて、いくらでも言い訳していいと思うし。どうせ俺しか見てなんだから。こんな無駄な我慢、させるべきではない。
少年の喉が鳴る。腹が鳴る。その視線は、目の前の食べ物から離れない。

「勝手に、食べるだけ」
「そう、勝手に、食べるだけ」

確かめるように呟く少年に、言い聞かせるように、答える。
少年は、もう一度喉を鳴らし。
それからゆっくりと、手にしたフォークで目の前のハンバーグを一口、口へと運んだ。
確かめるように、一回、二回と噛んで。
それから、ポツリと漏らした。

「おいしい……!」

そうやって、頬を緩め、目を潤ませた少年に、
ドキッとした。

それから少年は俺のことも気にせず、何度も何度ハンバーグを口にする。
そして今まで見せてくれなかったような満面の笑みを俺に向けて、

「おいしい! おいしいよお兄さん!」

そうやって、本当に子供みたいに報告してくるのだった。

「あはは、それはよかった」

口元が汚れていることにも気づかない程夢中な彼に思わず笑ってしまうが、少年は食べる手を止めない。

「すごい。すごいよ!こんなおいしいもの初めて食べた!」
「お、おお、そうか。そこまで言われるとなんか照れるな」

確かに子供はきっとハンバーグ好きだろう、などと思いながら用意はしたが、まさかここまで好きとは思わなかった。
ぼんやりと眺める。
不思議な子だ。
まるで、そう、本当に生まれて初めて食べたかのような反応だ。そんな俺の考えを知ってか知らずか。
少年は無邪気な顔で、本当に純粋な疑問として俺にこう言った。

?」
「……………………………は?」

一瞬、背筋に冷たいものが走った。
どう返そうか迷う俺の返事を、少年は待っている。
ダメだ。こういうのは変に間を空けたらダメだ。

「いや、普通に、ハンバーグ、だけど」
「ハンバーグ……」

動揺を隠せなかった俺をまるで気にせず。正に反芻するように口にする少年。
そしてご機嫌に俺に告げるのだ。

「おいしい! ハンバーグおいしい!」
「はは」

思わず乾いた笑いが出た。
ハンバーグを知らない、なんてことあるのか?
夢中でハンバーグを食べる少年に目を向ける。
そして考える。
日焼けとは少し違う、小麦色というよりは“褐色”という表現がしっくりくる肌の色。薬品で脱色したようには感じない銀に近い白い髪色。こんな、日本人離れした子はこの辺りじゃ見たこともない。
もしかしたら、本当に、この国じゃない。どっか別の国の王子様、とかだったりして。
……なんてね。
そんなことを考えていると、少年と目があった。
先程までの勢いも忘れ、ただ窺うように、何かを計るように俺の目をじっと見ている。

「どうしたの?」
「お兄さんは、」

何気ないように問いかける俺から、少年は、少し緊張した面持ちで、続ける。

「お兄さんは、誰にでもこういうことするの?」

その少年の言葉に、なんだか女の子みたいなこと言うなあ、なんて思いつつ笑う。

「あはは。誰にでもって、なんか人聞き悪いなあ。

君が、困ってるみたいだったから。つい、ね」
そう、冗談と思って軽い調子で答える。それでも、少年の表情は真面目なままだった。
そうか。きっとこれは彼にとっては大事な事なんだろう。
であれば、と俺は居住まいを正して、まっすぐ答えた。

「きっと目の前で同じように困っている人がいたら、きっと俺は同じように助けたと思う」
「それが人間じゃなくても?」
「犬か猫かだったとしてもってこと?」

俺が聞き返しても少年は、ただ俺の答えを待っているようだった。じっと。
なんだろう。なんだか本当に、この少年がまるで捨て猫みたいな表情に見えたものだから。

「ああ、うん。そうだね」

緩く笑って、答える。

「多分、人間じゃなくてもだ」

俺の言葉に、少年はそっか、と小さく呟いて、

「なら、でも?」

そんな、突拍子もないことを言うのだった。
そういえばつい先ほども悪魔なんて言葉を聞いたな。そうか今は本当にそういうのが流行っているんだろうな。なんて思って、

「……君は面白いね。君がその悪魔だとでも言うの?」

そう返すも、

「答えて」

やっぱり真面目な顔で言うものだから。
本当に、この少年が悪魔だったと想像して。
悪魔なんて、貧弱なイメージで想像しかできないけれど。

「……そうだね。助けたと思うよ」

それでも、目の前のこの少年を家に連れ帰る自分を想像できたので、まっすぐに答えた。

「……いいのかな。そんな簡単に答えちゃって。悪魔に供物を捧げるってことが、どういうことかわかってる?」

少年は、先程までの純朴な表情が演技だと思ってしまいそうな、嗜虐的な笑みを浮かべて言う。

「どうかなあ。わかってないと思う。でもね」

やっぱり、自分は。嘘偽りなく、そう思うから。

「うん。やっぱり、君が悪魔だったとしても。俺はこうやって君にご飯をあげてたと思う」

目の前の怯える少年を信じさせるように、はっきりと、そう答えた。
少年は、なんだか信じられないものを見るような顔をして、「そっか」と呟くと何かを確かめるように俯いた。それから止めていた手をまたハンバーグに向けて、一口。

「うん。……おいしい。おいしい。……えへへ」

そうやって、噛みしめるように、安心したように笑う少年を見て、俺も安心した。
なんだか心なしか、少年が纏っている緊張とか、警戒みたいな気配が、ゆっくりと収まっていくように感じた。

「お兄さん、名前は?」

少年がポツリと尋ねる。

「俺? 俺は朝陽。四ノ宮朝陽」
「アサヒ」

俺が答えると少年は自身に染み込ませるように反芻して、

「アサヒ、アサヒくん。うん。良い名前だ」

口元に馴染ませるように何度も俺の名前を口にする。
そして、言った。

「ヨル」

聞き慣れた、けれど聞き慣れないその言葉を聞いて、その言葉が何を意味するか俺が気付くと、少年は続ける。

「僕のこと、キミ、じゃなくて。ヨルって呼んで。アサヒくん」

そうしてにっこりと、まるで、恋する少女のような顔でそんなことを言うものだから。
驚いて飛び出しそうになった心臓を必死で押さえ込みながら、

「わかった。よろしくね、ヨルくん」

まるでなんでもないかのように装って、俺は返事をするのだった。
俺のその返事に、ヨルと名乗った少年は心底うれしそうに答える。

「うん。よろしくね! アサヒくん!」

ああ、やめてくれヨルくん。俺にそんな顔を向けないでくれ。本当、危ないから。
これで俺が、過ちを犯してしまうようならば。
なるほど確かに、この少年は本物の悪魔なのだろうと思った。

それから、少年はずいとこちらに乗り出してくる。

「ところでねえねえアサヒくん」
「なんだいヨルくん」

なんだか随分と気に入られたようだ。よっぽど先程の問いの答えがお気に召したのだろうか。
ヨルくんは、まるで犬みたいに。尻尾でも付いてたらはちきれんばかりに振っていそうな勢いだ。

「アサヒくんには、叶えたい夢とかってある?」

そんな勢いで、そんな脈絡の無いことを尋ねてくる。

「あはは。なに急に」
「世間話だと思って答えてみてよ」

笑う俺に気を悪くするそぶりも見せず、ヨルくんは続ける。まあ確かに。世間話なんてのはこんなものだろうと思いながら考える。しかし、そう問われれば答えられるものがひとつある。

「夢かあ。特にないって言いたいところだけど。願いみたいなものならあるかな」
「なあに、それは?」

興味津々といった様子で食いついて来るヨルくんに思わず笑ってしまいそうになりながら、

「まあ、子供みたいなものなんだけどね」

ちょっと気恥ずかしくなりながら、答える。

「世界中のみんなが、幸せになりますように、なんて」

うん。夢なんて大層なものじゃない。でも、そうなったらいいなとは、願ってる。
それにきっと。
死んだばあちゃんも、きっとそう願っていたと思う。
そこまで考えてヨルくんに意識を向けると、ポカンとした表情。
うわ、ちょっと、というかかなり恥ずかしくなってきたので、

「ま、その為に何かしてるってわけじゃないんだけど」

なんて笑って誤魔化す。
カチリ、カチリと時計の音が鳴る。
さすがに本当に恥ずかしく思ってくると、ヨルくんが口を開いた。

「す」
「す?」
「すばらしい! すばらしいよアサヒくん! うん。絶対叶うよ! 叶えさせる!」

そう言いながら、ちゃぶ台越しに俺の両手を勢いよく握りしめた。
本当に、本心から感激したかのようなヨルくんの形相に思わず、気圧される。
あ、手ちっちゃ。かわいい。

「なにその言い方。ああ、そうか。君は悪魔なんだったね」

先ほどとは別の意味で気恥ずかしくなった俺は、優しくヨルくんの手を振りほどく。しかし、ヨルくんは嫌な顔せずニコニコしながら言う。

「うん。そう。僕は悪魔なんだ。だからねアサヒくん」

そこまで言って、ニヤリと蕩けるように笑って、続けた。

「君が僕に、願いを込めて供物を捧げれば。きっと僕が、その願いを叶えてあげる」

その表情に。

「うわ………」

自分より一周りは年下であろう少年が浮かべる、“大人”を感じさせる表情に。ドキリとすると。

「…………ん?」

またがっちりと手を掴まれ、

「だからね、アサヒくん」

それこそ、触れてしまうほど顔を近づけてくるヨルくんに、背中がぞくりとする。

「な、なにかな、ヨルくん」

何を言われるかと嫌な意味でドキドキしている俺に、蠱惑的な表情で、ヨルくんは、ポツリと言うのだった。

「……あーんて、して?」

その、表情にあまりにもそぐわない、あまりにも子供らしい望みに。
一気に緊張が解けた。

「あ、あははははは! なんだ、甘えん坊だなヨルくんは。食べさせてほしいなら素直にそう言ってくれればいいのに」

俺のその言葉に、ヨルくんは今度こそ不機嫌そうに口をとがらせた。

「……本気なんだけどね。でもいいよ。ほら、早く、頂戴。アサヒくん……」

そう言って目を閉じて口元を近づけてくるヨルくん。
やめろその言い回し。誤解を生む。
そう思いながら、ああでも、やっぱりまだまだ甘えたい年頃なんだろうなあと思いながら、ハンバーグを一口分、フォークに刺す。

「はい、ヨルくん。あーんして」

そうやって俺が差し出すと、

「……あーん」

ヨルくんはとても素直に口を開いた。
それから味わうようにゆっくりとハンバーグを噛みしめる。

「うん。おいしい。うん」

まるで頬が落ちそうだ、と言いた気に緩んだ頬を両手で支えながら、ヨルくんは満足そうに咀嚼を終え、わかりやすく嚥下した。
いちいちえっちな仕草だなあ。
そうぼんやり眺めているとヨルくんは確かめるように頷いて、それから満足そうに笑った。

「うん。うん。確かに。これでだよ、アサヒくん」

やはり堂に入った表情に、この悪魔ごっこはいつまで続ける気だろうと思いながら。

「あはは。なんの契約なんだろう」

なんて笑いかけると、

「ふふふ」

なんて、とても楽しそうに笑うのだった。

そうして、なんだかんだハンバーグは綺麗に平らげられたのでざっと食器を洗っていると、ヨルくんが背中に飛びついて来た。少しよろけそうになる俺に、ヨルくんは言う。

「ねえ、アサヒくん。僕、ここにいてもいい?」

その言葉に、そういえばすっかり忘れていた諸問題を思い出した。

「……あー、さすがに今日は泊まって良いけど。朝になったら、お家に帰りなよ?」
「帰る家はないんだ」

なんでもないようにニコニコ答えるヨルくんに、嫌な気配を覚えた俺は慎重に、続ける。

「えっと、親御さんは?」
「いないよ。だからここに置いてほしいんだ」

返って来た返答は、思った通り、厄介な感じだった。

「あー、そうだなあ」

適当に考える素振りを見せると、耳元でヨルくんが言う。

「お願いアサヒくん。僕、ここを追い出されたら行く場所がないんだ」

なんて、真に迫った調子だった。
嘘か本当かは正直判断がつかない。
そして、ヨルくんに悪意があるとも思えない。
嘘にせよ本当にせよ、帰そうにも家はわからないわけで。どんな事情かもわからないが、ここ以外にはいきたくない、というのはわかったし。
正直何より、今から考えるのも億劫だった。

「……わかったよ。気の済むまで居ていい。でも俺も学校とか、バイトとかあるから、ずっと相手はしてられないよ?」

俺がそう答えると、

「うん。いいよ。アサヒくんが最後に帰って来てくれるなら、それでいい」

ヨルくんは一際強く俺を抱きしめてから、離れて行った。離れ際に聞こえた「まあ、ダメだって言われてもいるつもりだったけどね」などという言葉はもう、聞こえなかったふりをした。

ベッドのシーツを適当に張り替えて、一息吐く。

「じゃあもう遅いし。寝ようか」

そう言ってベッドから離れようとすると、ヨルくんに裾を掴まれた。

「一緒に寝よ?」

上目づかいでそう言うヨルくんの仕草にちょっとばかし心を動かされながら。

「あはは。いいよ」

なんて気にしてないそぶりで、まるでいいお兄ちゃんを装うかのように、同じベッドに入った。
電気を消し、布団をかぶろうとすると、ヨルくんがそれを遮った。

「ねえアサヒくん」
「なんだいヨルくん」

俺が尋ねると、ヨルくんは返事をする前に寝転ぶ俺に跨った。
なんだなんだこんな時間からプロレスごっこでもしたいんだろうか元気だななんて寝かけた頭で考えていると、ヨルくんが口を開いた。

「君はさっき否定したけど」

言いながら、シャツをずるりと脱いで、先程のような蕩けた笑みで、

「僕はアサヒくんとなら、そういう事しても、いいよ……?」

全身の血の気が引くと共に。
心臓の前に胃袋ガッチリ握り潰された感覚がした。
あかん。

「はっはっはヨルくん。やめてくれヨルくん。アサヒくん捕まっちゃうから。冗談にならないから」
「冗談じゃないんだけど」

ヨルくんは、今度は自身のズボンに手をかける。

「下着はどうした」
「サイズが合わなかったからはいてないよ」
「はっはっはそうかそうか」

俺は何も考えないようにしながら、脱いだシャツを無理やりかぶせる。抵抗されるが構わず被せる。ズボンもはかせる。子供とは思えない力で抵抗されたが負けるわけにはいかなかった。
遠くでサイレンが鳴り響いていた。
俺は全力でヨルくんに服を着せた。
ヨルくんは抵抗を続けたが、しばらくしたらようやく、「まあ、今日じゃなくてもいいか」などと言って力を抜いた。
そんな恐ろしい言葉を俺は聞かなかったことにして、話題を逸らす為にも、ふと気になった疑問を口にした。

「しかしヨルくん、そのチョーカーは寝る時まで着けてるの? 苦しくない?」

ヨルくんは見つけた時からずっと、黒いチョーカーをつけていた。思い返すと風呂に入る時も出た後も、今も外そうとはしていなかった。
ヨルくんは俺の胸に顔をうずめながら答える。

「全然苦しくないよ。それに苦しくても外せないんだ」

そして俺に、向き直って、

「悪魔は、これを外したら死んじゃうからね」

静かにそう言った。その表情は見えなかった。
ただ、深追いするのはよくないと直感したので。

「あはは、そうなんだ。じゃあしょうがないね」

笑って誤魔化して、目を閉じた。

「うん。しょうがないんだ。……おやすみ、

ヨルくんのその言葉に、覚醒していたはずの脳が一気にまどろみに飲み込まれる。
そういえば、今日は色々あって疲れてたっけな。なんて思いながら、

「……ああ、うん。おやすみ」

それだけなんとか口にして、俺は意識を手放した。

・・・

しばらくして、少年ヨルはパチリと目を覚ました。
横にはアサヒと言う名の男。
その寝顔を見て嬉しそうに笑うと静かにベッドを抜け出す。

「待っててね。ご主人」

時計に目を向ける。
時刻は、午前2時30分ほど。
夜は、まだまだこれからだ。
そして、外への扉を開くと、

「あなたの為に、僕、がんばっちゃうから」

幸せそうに眠る主人を気遣うように、音を立てないようにドアを閉めた。
時計の針は、まるで眠っているかのように、少しも動いていなかった。


そして、ヨルがアパートから抜け出したその様子を二人の男が遠くから眺めていた。
アロハシャツの男は、首から下げた錠前型のネックレスを弄りながら、言う。

「見たかドルド。怪しいと思って張ってみたら、ビンゴだったなおい」

ドルド、と呼ばれた大男も、同じようにご機嫌に笑っていた。

「ああ、そうだなクラッチ。そして、そろそろ時間だ」

そう言って、首元のチョーカーをぞろりとなぞる。

「ああ、本当」

そんな相棒の様子を見て、アロハシャツの男“クラッチ”は、愉快そうに笑って、

「俺って、やっぱラッキーだわ」

そして舌なめずりをしてから、少年ヨルの後を追うのだった。
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