俺の彼女は自称魔女

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俺の彼女は自称魔女

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 体育館の壇上に、制服のリボンの赤い女子が現れる。
 アナウンスによれば、一年で生徒会長に立候補するらしい。
 肝の据わった女だなぁ、と感心する。
 墨を流したように黒い髪を派手にかき上げるのが、妙に似合う。
 慎ましやかな胸元から取り出したのは、カンペか。
「すぅ……はーっはっはっはっは!」
 と思ったら大音声で笑い出し、取り出したばかりのカンペを破り捨てた、だと!?
「この私、白鳥清香しらとりきよかが生徒会長になった暁には────」
 挨拶もなしにいきなりマニュフェストから始めやがった。
「男子の制服をピンクにして、ズボンをキルトに変える! そして、女子の制服は魔女に相応しいローブにする! 諸君、想像してみたまえ。ピンクの制服にキルトの男子と、ローブ姿の女子が詰め込まれる満員電車を! 退屈な学生生活が、死ぬまで使えるすべらない話になること請け合いだぞっ! はーっはっはっはっは!」
 なんかやべぇこと言ってるーっ!?
 どよめきと笑いが体育館を包み、目くじらを立てた生活指導の体育教師が一足飛びに壇上への階段を上っていく。
 途端、さっきまでの威勢の失せた白鳥とやらは顔を青ざめさせた。
 あわあわと唇をわななかせる。
 心なしか、唇まで色を失ったように見える。俺の視力でそこまでわかるはずはないのだが。
「し、思想と言論の自由! 暴力で政治家をねじ伏せるつもりか、テロリストぉ!」
 マイクが床に落ちて、スピーカーから嫌な音がした直後。白鳥の弱弱しい悲鳴が上がった。
 悪の首領めいた所信表明演説は、テロリストもとい体育教師により中断された。
 どっ、と生徒一同の笑いが大きくなる。
 嘲笑に見送られて白鳥は、体育館の外へと引きずられて出ていった。
 トンチキ制服で笑い者にされるのは御免だが、根性ある女だなぁ。
 去年の今頃に生徒会役員に立候補し、当選し、そして継続しなかった俺は思うのだった。
 人間が行動するのには動機があり、動機は欲求と紐づけられる。
 欲求が満たされたか、あるいは満たされなかった場合に人間は動機を失う。
 満たされなかったがゆえに、俺は生徒会を続けるという戦略を破棄した。
 つまり、彼女ができなかったのだ。
 さて一年の彼女は、どういった動機から立候補したのか。
 さらには、どうして暴挙でしかないふざけたマニュフェストを述べたのか。
 次の立候補者が壇上に上がっても、俺は白鳥の消えた出入口を眺めていた。

  ◆

 放課後。
 バドミントン部の練習、いや、活動?
 ともかく部活が終わって、帰ろうとしたときのことだ。
木目もくめ。あいつ、あいつ! 生徒会演説のやべぇやつ!」
 小声でささやきながら、部活仲間が目配せをしてくるので見ると、
「あ。白鳥ナントカ」
 肩を落とし、背を丸め、トボトボと校門に向かうあの一年女子の姿があった。
「おい木目。名前覚えてるのは、ちょっとキモい」
「えぇ……」
 客観的に見るとそうかもしれないが、インパクト強かったじゃん。
「声かけろよ」
「は? なんでだよ」
「名前覚えてるんだ、興味あんだろ」
「いや別に。そんなんじゃねぇし」
「LINE交換してこい」
「嫌だよ。俺ら部活終わったばっかで、汗臭いだろ」
 あれでも女子だぞ、ともっともらしい言い訳をしたつもりだった。
 しかし仲間たちは顔を見合わせるや、部活バッグから一斉に制汗スプレーを取り出した。
 プシューッ!!
「わっ、何すんだよ! やめろ、やめろし!」
 円陣を組むみたいに俺を囲んで噴射してきた。
 濃い。
 濃いスプレーの匂いと冷たいガスに、俺はゲホゲホと咳き込んだ。
「これで汗臭くないだろ」
「ひゃはは、嫌ならあのやべぇ女んとこ逃げろよ」
「ちっく、しょう。ああ、もう! 覚えてろよ」
 包囲網を抜け出して走った結果、白鳥に声をかけるに不自然でない距離まで追いついてしまった。
 いや、声をかけるのは不自然なんだけどさ。
 なんだろう。
 小学生の頃の「クラスで人気のない異性」に告白してこいって罰ゲームを思い出してしまう。
 申し訳ないが、声はかけさせてもらおう。
 じゃないと後日、チキン扱いされてそれも面倒だからな。
「あのぅ、すみません」
「なんだ、貴様は」
 大方、生徒指導や担任から詰められたのだろう。
 前に回り込むと、泣き腫らした目で睨まれた。
 しかし、場違いにも俺はまだ潤んでいるその瞳を綺麗だ、と思った。
 後輩から貴様呼ばわりされたのに気が付くのに、時間を要するほどには。
 弧を描く鼻の稜線と、その尖った先端。
 近くで見ると、こんなに顔が整っていたなんて思わなかった。
「ナンパなら他を当たれ。私は今、虫の居所が悪くてな」
「いや、違くて。えと、白鳥、さん。だよね?」
「そうだ。魔女、白鳥清香とは私に相違ない」
 ん?
 この子、自分で魔女って名乗った?
 痛い発言を吟味していると、それを気取ったのか白鳥は俺を避けて歩き出した。
「あーっ、えとっ! LINE、交換しませんか?」
 慌てて回り込み、取り繕う余裕もない酷い提案をしてしまった。
 遠くから仲間たちの笑い声が聞こえる。
 仕方ないだろう。この子、マジで行っちゃいそうだったんだから!
「……やっぱり、ナンパではないか」
 申し訳ない。それに関しては、何の申し開きのしようもでき……?
「何をしている。こう見えて私も、暇ではない、のだが?」
 赤面した白鳥が、スマホを差し出して挙動不審に左右を確認している。
「えっ。交換するの? マジで?」
「~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
 てっきり罵倒されて断られると思っていたから、戸惑い気味に確認したのがよくなかった。
 耳まで赤く染まった白鳥の顔。その目元には、新しい涙が滲んでいて。
「うわぁっ!?」
 鳩尾に白鳥の両手が沈みこむ感触────突き飛ばされた。
「私を愚弄、するなぁっ!」
「あっ、ちょっと!」
 涙声で叫んだかと思えば、白鳥は脱兎のごとく逃げていった。
 爆笑とともに走り寄ってくる部活仲間。
 バシバシと背中を叩かれたが、そんなもの痛くはない。
 白鳥を傷つけてしまったようで、そのせいで心の方が痛い。
 そうだ、あの涙。
 きっと彼女の心は俺のそれ以上に痛い、痛いはず、痛いのだろう。
「てめぇらいい加減にしろっ!」
「うわぁっ、木目がキレたぁっ!」
 別に痛くはないが鬱陶しいので、長い手足を振り回して部活仲間どもを散らした。
 身長が高いって、わかりやすい才能ギフトだよね。

  ◆

 生徒会長には、チャラい三年の男子が当選した。
 内申点稼ぎだかなんだか知らんが、生徒会なんて何の権力もない雑用集団だからな。
 イベントの企画、運営、そして文化祭時に限り漫画に出てくる風紀委員の真似事。
 某一年が企んだように、直接的な改革なんかできんぞ。
 生徒集会の結果次第で、改革案を職員会に働きかけ交渉するのが関の山。
 三年になるまで、何を見てたんだ?
 せいぜいがんばってくれ。
「おいぼさっとすんなよ」
「ああ、悪い」
 目の前のことより、尾を引く昨日の出来事が頭を支配していたようだ。
「木目、ジャンケンよっわ」
「はいはい。何買ってくればいい?」
 昼はいつも、バド部の連中と学食で食っている。
 いつもと違ったのは、ジャンケンで負けたやつがジュースを買ってくるというクソゲーが開催されたことだ。
 メシ時にクソはよくないな。うん、理不尽な罰ゲームと言うべきか。
 で、俺が負けたわけだ。
 スマホのメモアプリで注文を取り、学食出入口前の自販機でそれらを買う簡単なパシリ。
 戻ろうとして、ふと見覚えのある女子の姿が目に入った。
 中庭に面した学食前渡り廊下の隅、柱の陰。
 背中を丸めて、もちょもちょと惣菜パンを貪っているのは白鳥だった。
「あっ」
 目が合ってしまい、一瞬で気まずい雰囲気になった。
 どうしたものかと思案していると、白鳥の口角が上がった。
 腕に抱えた複数のジュースの紙パックを見て、俺がパシらされている状況を理解したらしかった。
「罰ゲームだから。ジャンケン、負けただけだから」
 弁明したが、聞いちゃいないとばかりに惣菜パンを平らげる白鳥。
 悠々と、今度は菓子パンの包みを開けている。
 嘆息を一つ。
 白鳥なんか見なかったことにしようと、頭を振って席へ戻った。
 しかし。
「わりぃ、木目。別で食ってくんね?」
「は?」
 ジュースの紙パックを受け取った仲間から、交換のように俺のBランチの載ったプレートを手渡される。
 俺の席に、女連れのヤツが座っている。
 厳密には女が陣取っているのは、俺が自販機に向かう前は空席だった場所だ。
「は? いじめかよ」
「違うから。追加の罰ゲーム免除の代わりに、席を譲ってくれ。な?」
 後から来たやつのジュースを買わされる代わり、ということらしい。
「死ね」
 ジュースを買ったから、飲む気がしなくなっていた水をぶっかけてやった。
 床を拭くのが嫌だったから本人ではなく、そいつのチキンカツ定食に。
「うわぁ、陰湿だな。物に当たるとか」
「どっちが陰湿だよ」
 わずかな間睨みあったが、そいつが席に戻ったから俺も踵を返した。
 今日は部活行きたくないなぁ。
 サボることを二秒で決断した俺は、
「な、なんだ貴様。孤高の魔女の優雅なる昼餉を妨げようというのか? 残念だったな、ワルプルギスの夜はすでに幕を下ろし、甘美なる甘味まで平らげ……へ?」
「やる。少し付き合えよ」
 立ち去ろうとしていた魔女に、自分のために買ったリプトンを押し付ける。
「つ、つつつつつつ????」
 壊れたように挙動不審になる魔女。
 顔も心なしか赤い。熱でもあるのか?
 真面目は結構だが、俺にビョーキを感染うつすなよ?
「席、取られててよ。新しく探すのもダルいから」
 気持ちがくさくさしているからか、白鳥を女扱いするのもまだるっこしく感じた。
 どうせ後輩だし、と思ったらなんだか雑に扱えてしまった。
 打ちっぱなしの床に片膝立てて腰を下ろし、時代劇の浪人か何かのように昼飯を再開する。
 いや、浪人でも食膳くらいは使うか。じゃあなんだ、俺は犬畜生か。
 水、あいつ(のチキンカツ定食)にかけなきゃよかったな。
 新しく汲んでくるのも、ジュースを買いなおすのもダルい。
 衣擦れの音がして、白鳥が隣にしゃがんだのがわかった。
「捧げものをしたいのなら、それを受け取るのも魔女の度量であろう」
 飲み口を開いて口をつけ、魔女がリプトンの紙パックを傾ける。
「依頼は何だ、魔術の才なき哀れな男よ」
「うるせぇ。黙って飲んでろ」
「なっ、貴様! 私に呪い殺して欲しい相手がいるのではないのか!? だが、大金なんか用意できないからと、貴様はわずかなお小遣いでジュースを寄越したのでは」
「私立探偵に親の仇を探させるガキか、俺は」
「似たようなものかと思っていたが」
「ちげぇよ、アニメの見すぎかよ。手ぶらで付き合わせちゃ、悪いと思っただけだよ」
「きっ、貴様! 私を商売女か何かと一緒にしているの、かっ、ぺやあぁぁっ!?」
「あっ、馬鹿お前……あぁ」
 眉尻を決するとともに紙パックを強く握り潰した白鳥は、顔に盛大に中身をぶっかけた。
 どんだけチマチマ飲んでるんだよ。
「魔女の、じゅ、じゅ、純潔を汚すとは、ばばば、万死に値するぞっ!」
「声でかいなぁ。誤解招くからやめろよ!」
 しかし、シャツにも中身がかかってそれが白鳥のスリムな胸に張り付いているのも、事実。
「貴様っ、今万死に値する不埒なことを考えなかったか!?」
 無視をする。
 このまま保健室に連れていくのは、白鳥の慎ましやかな部分に人目を集めるか。
 しかし、白鳥がブレザーを着ていないということは俺も着てきていないということだ。
「くっ、何たる屈辱か。ベタベタと張り付く不快な感触。貴様、私の服だけを溶かすスライムを飲ませたのかっ!」
「そんなものがあるとして、どうして飲ませるんだよ。非合理すぎんだろ」
「だ、だって。男というやつは、好きな声優のシャンプー飲むっていうではないか。そんな変態なら、私に、その……って! 貴様、何をしている!?」
「うるせぇ。黙ってエプロンみたいに着ろ」
 非常に偏った男性観を聞きながら脱いだシャツを、白鳥に被せる。
 そのまま両袖を白鳥の首の後ろで結んでやった。
 食べかけのBランチを置き去りにし、白鳥を立たせて保健室に送っていった。
 その足で、教室まで体操服を取りに行く。
 今日は、部活に行きたくない気分だったからちょうどいい。
 体操服を養護教諭に頼んで白鳥に渡してもらい、学食前に戻ると。
「まあ、そうなるか」
 水浸しになったBランチが俺を待っていた。
 共用のソースで味をつけなおして完食したが、べちゃべちゃの衣はまずかった。

  ◆

 翌日の昼休憩。
 メシに水を掛け合ったやつとは口を利いていないが、惰性でバド部の連中と食堂へ向かった。
 大会目指してがんばろう! 熱血! 青春!
 みたいなノリではないから、昨日休んだことも特に何も言われなかった。
 昨日のことも、どちらも謝らずそのうち水に流して元の関係性に戻るだろう。
 水だけに。
 などと思っていると、何もないところで俺はつんのめる。
「お前か」
 振り向くと、不機嫌そうな白鳥が俺のシャツの裾を掴んで立っていた。
「おうおう、お熱いね」
「先行っとくぞ」
「ごゆっくり」
「今日もそいつと食えよ」
 部活仲間は、俺を置いてそそくさと言ってしまった。
「下賤な連中だ。友達は選ぶべきではないか?」
「あいつらとは、部活っていう縁で繋がってるんだよ」
「畜生の感性に口出ししても、詮なきことか。それより、これ」
「おっ、ああ、すまん」
 突き出されたビニール袋には、俺の貸した体操服が入っている。
 袋の口から覗くそれは、きっちり畳まれているだけで新品に見える。
 しかもいい匂いがする。決して、俺の体操服からしてはならない類のいい匂いが。
「早く受け取らんか!」
「あー、すまん」
 持ち手を握ったときに、指が少し白鳥の指に触れた。
 波打ち際に転がる小石のように冷たくてつるつるなのに、柔らかかった。
「助かった。今日、ちょうど体育があって……大丈夫か?」
 俯いた白鳥は、また耳まで真っ赤になっていた。
 肩で息をするほどに、動悸が激しいようだ。
「も、問題ないぞ、哀れな男よ」
「客観的に見て、哀れなのはお前の方だろ」
 俺が泣かせたみたいに誤解される前に、どっか行ってくれ。
「はははっ、魔女には客観性より主観性が重要。魔術とはそういうもの。ああ、昨日のことは礼を言うぞ。しかし、雪辱は必ず果たしてみせよう」
「おっ、情緒不安定か?」
「して、貴様。なぜ私に構う」
「いや、もう用はないんだけど」
「────っ! またしても私に恥をかかせるのかっ!」
 歯を剥いて睨みつけてくる白鳥。弱い犬か何かか?
 こちとら、さっさとメシを食いたいんだけどなぁ。
「いつも自分から恥をかきにいっている自覚がない?」
「口を開けば、二言目には私を愚弄する! 私が貴様に何をしたというのだっ!」
「声でかいなぁ。落ち着いて話せよ」
「貴様らがいつも、私の声を聞かないからっ! だから、大きな声なんか出したくないのに、私がっ、声を張っているというのにっ、それを貴様~~~~~~~~っ!」
 うーん、この。
 これは、あれか。
 他人の仕打ちまで、俺を糾弾するためにまとめてぶつけているな?
「今ならまだ席もある。話は聞くから、今日は食堂で机と椅子を使ってメシを食おう」
「きっ、貴様! その気もないのに、またナンパか!」
「めんどくせぇ! いいから来い!」
「ぴっ!? わ、私は今日も昼餉はパンなのだ!」
「ばっか、じゃあさっさと並んで来いよ!」
「貴様のせい────」
「口よりも足を動かせさあ行け! 席は取っておく!」
「うわああっ、押すなっ!」
 餌を撒かれた池の鯉よろしく購買に群がる集団の中へ、白鳥を押し込む。
 そのまま受け取り口に行ってBランチの食券を出す。物を受け取って、席を探す。
 向かいの席に体操服の入ったビニール袋、そして白鳥の分のコップを置いて待つ。
「お。来たか」
「来いと言ったのは、貴様であろう」
 仏頂面の白鳥が、机を挟んだ正面に現れる。
 立ち上がって、体操服の入ったビニール袋を回収すると、白鳥も席に腰を下ろした。
「なんそれ。塩焼きそばパン? 女子は塩もの好きだよな」
「私だって、ソースの焼きそばパンが良かった! でもっ、貴様が」
 また始まったよ。
「わかった、わかった。帰りにコンビニで買ってやるから」
「まただ! またその気もないのにデー、さらっと逢引きを提案するとは!」
「なんで言い直したの?」
「このっ、結婚詐欺師!」
「ぶべらっ!?」
 謂れのない誹りと同時、塩焼きそばパンが顔面にクリーンヒット。
 直後、自由落下したそれが味噌汁にダイヴ!
 椀が傾いて、中身がスラックスにぶっかけられた。
「あっ、ごめっ、だいじょ……オホン。雪辱は果たした。はっはっはっは!」
 しゃがんで机の下から塩焼きそばパンを拾うと、白鳥は高笑いとともに去っていった。
 あいつ、普通に嫌なやつなのかもしれんな。

  ◆

「俺、結婚詐欺とかはたらいてないよな」
 食後にスマホで結婚詐欺の辞書的な定義を読んだが、どう考えても冤罪だった。
 詐欺とは「騙して金品を巻き上げる」という罪だ。
 しかし巷では単なる「嘘つき」を強烈に非難したいときに、誤用なのに「詐欺師」と相手を罵ることが横行している。
 バカとかアホとかと同列にその語を用いるのは、いかがなものか。
 腹が立ったからと、罪状と無関係に相手を「痴漢」「セクハラ」と罵倒する知性が著しく劣っているごく一部の女と同じではないか。
「日本語の乱れですなぁ」
 言葉の乱れを嘆いて体操服に着替え、五限の体育に参加。
 柔軟剤か何かのいい匂いで変な気分になったが、すぐに汗臭がそれを上書きした。
 スラックスが汚れているので着替えずに六限を受け、部活にも参加して今に至る。
 部活仲間のバカ話を聞き、面白ければ笑う。
 話の中心ではなく、聞き役に徹して歩いていた。
 が、校門をくぐった瞬間。
「遅かったな」
 校門の陰にしゃがんでいた白鳥が、声をかけてきた。
「お前。どの面を下げて言ってんだよ」
「女は顔を使い分ける。魔女であっても、魔女でなくとも」
「そうかよ」
 相手をしたら、また誤用で妙な罪状をなすりつけられかねん。
 無視を決め込んで歩き出すと、バド部の連中を追い越した。
「へぇ。よく見たら可愛いじゃん」
「な、なんだ貴様ら。よ、寄るな!」
「ひゃははは、いい声で鳴くじゃねぇか」
「ね、この後さ。俺らとカラオケ行かね?」
「だっ、誰が行くか。貴様らのような下賤の輩と」
「ゲセン? あー、ゲーセン!」
「なんだ、ゲーセンがいいのか。俺、UFOキャッチャー上手いよ」
「違っ、やめろ! 触るな!」
「照れなくてもいいじゃん。ん? 木目とはよろしくやってんだろ? じゃあ、俺らとも親睦深めようよ。な?」
「そ、そんなんじゃ。あいつは、あいつとはそんなんじゃない、です」
「おーう。聞いたか木目! こいつ、お前のこと何とも思ってないってよ!」
 何とも思っていない?
 知ったことか。
 勝手に俺のやることなすこと、悪いように受け取って、大声で謂れのない罪を背負わせようとするバカ女のことなんか。
「ひゃはははっ、あいつ泣いてるんじゃね?」
「知ってるか、一年? あいつ一年のときにどうして生徒会入ったのか」
「そして、どうしてやめたのか」
 挑発だ。
 別に知られたところで、どうでもいい。
 どうでもいいから、バカ話の流れであいつらに教えたんだ。
「彼女が欲しかったからだぜ!」
「そして、生徒会で彼女ができなかったから、形だけでも運動部という肩書が欲しくて~?」
「今は、大会とか目指さない意識の低い我らがバド部にいるってわけ」
「中学でも別に運動部じゃなかったんだもんな。ガチの運動部なんか高二から始めても、一年以下の扱いで惨めだもんな! ひゃはははははっ!」
 事実だ。
 すべて事実だ。
 俺のやってきたことは、すべて無意味だ。
 意識が低い、なんてもんじゃない。白鳥の言葉を借りるなら下賤、か。
 下賤なあいつらとツルんでる、俺も下賤の輩なのだ。
 集まりのノリに馴染めていなくても、その中心にいられなくても、下賤は下賤。
 だから俺には────。
「一緒にするなっ!」
 怒気をはらんだ叫び。
 それに胸を衝かれた俺は、足を止めた。
 バド部の連中のどよめきと、足音を立てて走ってくる誰かの気配。
「こいつは、貴様らとは違うっ!」
 振り向けば、俺を庇うように腕を広げる白鳥の姿があった。
「貴様らのように、徒党を組まねば女子に声もかけられない臆病者ではないっ!」
「ひゃははは、なぁに熱くなっちゃってんの? ひゃはははっ」
「ヘラヘラするなっ! こいつは、こいつには貴様らと違って、誠意がある!」
 なんだそれは。
 天下の往来、しかも校門の手前で褒められるのは、面映ゆい。
「誠意だぁ? そいつ、俺らがけしかけたからてめぇにLINE聞きに行ったんだぞ?」
「しかも、お前が逃げたせいでしくじったっつぅ、オマケ付きだ」
 事実だ。すべて。
 褒められた手前、不都合な真実を問いただされたら、バツが悪い。
 けれど、白鳥は首を俺の方へ向けた。
 仕方がない。誠意があると持ち上げてもらったのだ、正直に言うしかあるまい。
「スマホを出せ」
「は?」
 想定外の言葉が白鳥の口から出たために、つい、間抜けな返事が口を突いて出た。
「いいから出せ」
「やだよ。お前、何するかわかんないし」
 出した瞬間、アスファルトに全力で叩きつけるとか、こいつならやりかねん。
 一年の初っ端から生徒会長に立候補して、制服を生き恥デザインにすると豪語する女だ。
 いちいち尊大で、隙あらばひとを悪人に仕立て上げる迷惑女だ。
 あまつさえ、高校生にもなって自分を魔女と言って憚らない変人だ。
「信じて」
 打って変わってか細い声で絞り出された一言、そしてあの綺麗な瞳。
 小さい子をいじめているような、背徳感。
「しゃあねぇなぁ。ほら。壊すなよ」
 あらゆる意味で個人情報の詰まった端末を、俺は白鳥に預けた。
 すると、白鳥は自分のスマホも取り出して素早く操作した。
 何をしたのか聞くより先に、スマホが突っ返された。
 特徴的な通知音とともに、〈白鳥清香〉とのルームにスタンプが送られてきた。
「LINEなら、今交換したが?」
 バド部の連中に向き直り、得意げに啖呵を切る白鳥。
 その耳が赤くなければ、さぞサマになったのだろう。
「へぇ。どうでもいい男とLINE交換するんだぁ」
「ひゃはははっ、色情狂だ、ビッチだ!」
「いや、それくらいするだろ。童貞か?」
「おまっ、空気読めよ!」
「ああ、すまん。童貞があまりに勢いに任せすぎだと思ってさ」
「んだ、てめぇ。彼女いんのかよ」
「いるが?」
 何やらバド部の連中が、勝手に仲間割れを始めてしまった。
「ふむ。好機というやつか。逃げるぞ」
「あ、ああ?」
 手を掴んで走り出す白鳥に従い、俺もこの場からのトンズラを決め込んだ。
 後でバド部の連中から、何を言われるかわかったもんじゃない。
 けれど、明日のことは明日の俺が何とかする。
 そういうものだ。

  ◆

「い、いつまで、手を握ってるんだ!」
「いや、お前が、握って、るんだろ」
「あっ」
 走るのをやめたと同時、パッ、と手が放される。
 ひんやりとして柔らかかった、小さな手の感触が一秒ごとに薄れていった。
 結構走ったこともあり、追いかけてくる気配はない。
 行く当てもなく、高校周辺の街をただ歩いた。
「貴様、運動部のくせにまだ息切れしているのか」
「だからガチじゃないんだって、ウチは」
 呼吸は落ち着きだしたところだが、代わりに発汗のピークの訪れを感じる。
 部活バッグからタオルを取り出し、汗を拭う。
「逆にお前は、部活とかやってんの?」
 息が整うのが俺より早く、あまり汗もかいていない。
「やってないが?」
「そうか。それにしちゃあ」
「やっていないが、ちょっとした小山の登山道に、習慣的に通っている」
「登山してんの? 高地トレーニング?」
「まあ、そんなところだ」
「なんでまた。魔女って、暗い部屋で水晶とか髑髏とか撫でてるんじゃねぇの?」
「酷い偏見だ」
「一般的なイメージだろ。あとは、鍋で怪しい薬をかき混ぜるとか?」
「その怪しい薬の材料となる草はどこで見繕うのだね」
「ネット通販?」
「まあ、調薬はしておらんのだが」
「してないのかよ」
「せっかく日本に生まれ落ちたのだ」
「言葉選びが厨二だなぁ」
「修験道の要素を取り込んで、登山をしている」
「修験道て、山伏か」
「そうだ」
「だいぶジャンル違うんじゃね?」
「放っておけ」
「ってか、山伏ってすごく険しい霊山に籠ったり、滝行したり、絶食したりすんじゃねぇの?」
「いずれそういうこともするかもしれん。が、まずはできることからコツコツと、だな」
「地道~。まじめかよ」
「なんとでも言え」
「その地味な女山伏が、なんで生徒会長に立候補したんだよ」
「魔女だ。二度と間違えるな」
「ヘイヘイ」
「……受験のとき、足が寒かったのだ」
「は?」
「だから! 冬に! スカートは! 寒かったのだ!」
「受験にジャージ穿いてくるわけにも、いかんだろうしなぁ。タイツは、どうなの?」
「タイツはダサい」
「そうすか」
 そのへんの感覚は、男の俺にはわからん。
 学校指定のものがダサいのか、全般嫌なのかもはっきりしない。
「じゃあ男子の制服を生き恥デザインにしたがったのは」
「ズボン穿いててずるいから、その腹いせだ」
「その目的ならキルトだけでいいだろ」
 キルトでも日本の高校生男子の制服としては、十分笑い者だがな。
 ジャケットまでピンクにするのは、オーバーキルがすぎる。
「女子の制服がローブってのは、単なるお前の趣味か」
「私は魔女だぞ? 他に理由が必要だとでも?」
「愚問だったようだな」
「あぁ。全部、私は壇上で言い放ったからな。貴様、物忘れが激しすぎないか?」
「うるせぇ、いちいち落選者の演説なんか覚えとらんわ!」
 トンデモマニュフェストの理由が解明できたが、それはとてつもなくしょうもなかった。
 真実というのは、得てしてそういうものか。
「受け入れられない主張だったし、お前は当然のように落選したけど」
「当然とはなんだ、当然とは」
 合理的に考えて男子制服をキルト+生き恥デザインにするよりも、女子にもスラックスを認めさせる方がいいに決まっている。
 日本人の国民性として、自分の年収が上がることよりも高収入の他人の年収が下がる方を望む性質があるというが、非常にしょうもない。
 こういうのをシャーデンフロイデの一言でまとめるドイツ語って、すごいよな。
「でも、行動力は立派だよ」
「その理屈はおかしい」
「へ?」
 まさかの反論!?
 青春ラブコメ決まったぁ、と思ったのに。
「貴様は私の主張を受け入れられない、と言った」
「言ったねぇ」
「つまり、意に沿わない改革をもたらそうとした政治家を、貴様は称賛したことになる」
「生徒会くらいで政治家とか、大げさな」
「同じことだ。高校はよほどのことがなければ三年で卒業、さらに貴様は二年だ」
「おい、先輩ってわかってタメ口と貴様呼ばわりを続けてるのか」
「愚者に払う敬意など、ない」
「~~~~~~~っ!」
 小さく鼻を鳴らして、得意げな白鳥。
 厨二病全開で自分に酔っているのが丸わかりだ。
 そう思うとあまり腹も立たな……いや、普通に腹立つな?
「残りの高校生活が二年を切っている貴様は、私が立候補しマニュフェストを掲げても、どうせ当選しないと思ったのだろう。当選したところで、すぐ卒業だ、と」
「やるじゃんか魔女。読心術かよ……いでっ!?」
 こいつ、人のふくらはぎを蹴りやがった。
 ああそうだ。
 どうせ要望が通っても変わるのも俺の三年次前後だし、適用は新入生からだろう、とも思ったよ。
「その傲りが危険だ、と警告してやっているのだ」
「そりゃご親切にどうも。自分の手の内をひけらかして得意になるなんて、まるで物語の悪役だな」
「然り。私は魔女、すなわちこの世の敵。ソシアルエネミイなのだよ」
「おい、設定が増えたぞ」
 んだよ、ソシアルエネミイて。
 ソーシャルエネミーだろ。ソシアルなんて発音、鹿鳴館で社交ダンスしてた明治期の上流階級くらいしかせんだろ。
「生徒会長に立候補し、恐怖のマニュフェストを披露したのはその先触れにすぎぬ」
「いや、ただのシャーデンフロイデとお前の趣味だって、さっき自分で言ったろ」
「フフフ、恐怖せよ。貴様は何の力も持たぬのに、巨悪誕生の産声を聞いてしまったのだ!」
 人の話を聞けや。
「はいはい、そういうことは国家権力を動かせるようになってから言えよ」
「ふん、時間の問題だ」
「そうだな。永劫に来ないという意味で、時間の問題だな」
「私を縛る法はなく、しかし私の存在を放置することは人類への裏切りとなる」
「うわあ、どうにもできないなあ」
「恐れよ。その恐れこそが、破滅の魔女たる私の糧となるのだ」
 小山に登って魔女修行、みたいなスケールのやつに言われても実感ゼロなんだが。
「究極ヴィランである私の計画を知った貴様は、そうさな。差し詰め、破滅の魔女の好敵手といったところか」
「俺に変な設定を生やすな」
「死海文書に記されし、聖書を知らぬ国から現れるもう一人のメシアよ」
「クソ設定を掘り下げるなよ」
 もう一人はどこにいんだよ。
 この痛い女に飴でも食わせて落ち着かせてくれ、俺じゃない方のメシア。
「はーっはっはっは! これから貴様は、私の邪悪の萌芽を止めるべく私の影となるがいい」
 唐突に走り出したかと思うと、俺の前に躍り出る白鳥。
「悪事をしたいのに止めて欲しいみたいな口ぶりだな。自我がないのか?」
「そして私の一挙手一投足を監視するがいい! アロンのメシアよ!」
 勢いよく俺に指をさす白鳥。
 夕陽のせいなのか、その頬は妙に赤い。
 耳まで真っ赤で、指先も震えている。
 啖呵を切ったはずなのに、その綺麗な双眸は不安と期待に揺れている。
 まるでそれは、告はk──────────────────────
「人を指さすな」
「ぴゃっ」
 未来の希代の大悪党の人差し指を手で包んで下ろさせると、それに似合わぬ悲鳴が聞こえた。
「わかったよ。破滅の魔女のごっこ遊びに、ときどき付き合ってやるよ」
「ごっこではない! それに、ときどきとはなんだ。目を離したら、き、危険なんだぞ!」
「いやぁ、だって俺はそのアロンのメシアとかじゃないからな」
「違う! 破滅の魔女たる私の好敵手なのだぞ。さすれば貴様は、それくらいの大物だろう!」
「大丈夫だって」
「何が大丈夫かっ! 貴様、この破滅の魔女を愚弄するかっ!」
「俺はメシアでもヒーローでもない。他の誰でもない、木目尺三しゃくぞうとしてお前の好敵手でいてやるよ。破滅の魔女、白鳥清香」
 握った手を解き、白鳥の人差し指に小指を絡めて俺は歩き出した。
 ぴくっ、と小さな魔女が肩を跳ねさせる振動が指を伝う。
 一瞬遅れて白鳥が歩き出し、やがて俺の傍らに並んだ。
「……キザかよ」
「うん、めっちゃ恥ずかしかった」
「貴様っ、そういうことは思っていても言わぬが華であろう」
「だから俺はヒーローじゃないんだって」
 生徒会はやめちまったし、運動部の肩書欲しさに遊びの部活に所属している俺だけど。
 なんだろう、思っていたのとは全然違う形だけど。
「ふん。せいぜい無辜の市民として、私を付かず離れず監視するといい」
「任せろ。ただの高校生、木目尺三としてその勤めは、立派に果たそう」
 彼女、できたみたいです。
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