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おまえは社説ではない(※エッセイの書き方)

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「社説っていうのは、新聞社の中で一番文章が上手い人が書いているんだよ」
 小学生くらいの頃に親から言われて見せられた、新聞の一コーナー。
 でも、よく見出しを見ると他に「社説」とされるものの案内がある。
 じゃあ、こいつは何なのだ。
 文化や芸能、季節の話を導入にして途中から左寄りの怪しい主張をする文章が始まる。
 最後に、フリに使った文化や芸能の話などに絡めて話を閉じる。
 最近、この怪文書の正体に気が付いた。
 エッセイだ。
 なんでも、一時これを小学生らに書き写させて文章の学習に利用していたという。
 政治的に偏ったものを、学校で教材として利用するのはいかがなものか。

 力や道具や技術が悪いのではない。使う人間の心が悪いのだ。
 オタクなら聞いたことがある言い回しだと思う。
 ほんならね。
 左翼的な主張は抜きにして、単に構成だけを学んだら我々エッセイの素人でもエッセイを書けるのではないか。
 文化や芸能を切り口にして、左翼的な主張ではなく単に社会のことを知った風に語ってみる。
 これだけで、世相だの世間だのを語ったような気になれる。

 以下、実際にやってみたものです。

 ブリーフ&トランクスに「コンビニ」という楽曲がある。
 親が寝たからと羽を伸ばす若い女性が深夜のコンビニに向かう様を歌った、コミックソングである。
 歌詞の中で女性が肉まんを買うくだりがある。そこでレジ対応したアルバイトが(おそらく女性の手のひらに)小銭を文鎮代わりにレシートを置くのだが、女性は財布に入れにくいからと「ちょっとムカッとしちゃう」。ささやかな復讐として女性は、おでんの卵を3つ(220円)買うのに一万円札を出す。レジ員の内心を描写するくだりでは「小銭はねぇのかよ~」とも歌っている。さらに女性はからしをつけろ、レシートはいらないと注文をつけてレジ員の神経を逆撫でする。このやり取りがなんとも滑稽で筆者のお気に入りだ。
 昨今、スーパーマーケットやコンビニだけでなく、飲食店でもセルフレジの導入が増えている。前者は自分の意志でセルフレジに進むからまだしも、飲食店のレジは普通ひとつだ。筆者もセルフレジしかないと気付かずに、代金を手渡そうとして投入口へ入れるよう言われて気恥ずかしい思いをした経験がある。先の流行り病や進むデジタル社会の影響で、この傾向は今後も加速していくだろう。
 小銭を文鎮代わりにレシート置くな、という「コンビニ」の歌詞は個人的に名文だと思っている。習字どころか手書きすら縁遠くなった社会で暮らす私たちにとって、「文鎮」の異化効果にはブリトラの才能を感じる。不朽の名曲と言いたいところだが、それはセルフレジの普及によって同意を得られない独りよがりになってしまうかもしれない。レジ員から小銭やレシートを手渡される体験が失われれば、この歌詞は「半径5メートル以内の日常生活」としてこれからの若い世代には認知されなくなってしまうのだろう。そうなったとき私たちは物寂しさを感じるとともに、歳を取ったことを痛感するのだろう。

 新聞のエッセイよりだいぶ文量も多いだろうが、こんな調子だ。削りが肝要なのはわかるが、いかんせん面倒くさい。エッセイ初心者なので、どうかご寛恕いただきたい。
 こんな文章を小学生が学んで文章構成の手本として、夏休みの作文や読書感想文にクセが出てしまうと「これを書いたやつ、嫌なガキだな~」と思ってしまうのは筆者だけではあるまい。


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