雷獣

ごったに

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 目に映るのは女力発電所の所有する病院、その病室の天井。

 蘇る、アニサキス曹長との死闘の記憶。

 四方津が来て、アニサキス曹長も鹵獲されて……その後、俺は気絶したんだったか。

 身体を起こそうとして、両腕に痛みが走る。

 動かせないのはあの時と同じだが、見れば今はごついギプスに包まれている。

 腕だけではない。

 蹴りをアニサキス曹長に叩き込んだ右脚も吊られており、かなり重傷だ。

 バルクアップで肉体は修復できるはずなのに、と思いかけてふと得心がいった。

 この傷は、バルクアップ状態で負ったものだからか。

「治るのかな」

「医者の言うこと聞いて、ちゃあんとリハビリすりゃ、治るだろ」

 不安から呟いた独り言に、言葉を返す者があって驚いた。

 身を捩り、声のした方を向こうとして掛け布団がいやに重いことに気が付いた。

 正確には、下へ引っ張る力がはたらいているという感じ。

 息継ぎをするカメみたいに首を伸ばすと、ギプスに隠れて見えていなかったものが見えた。

 ベッドの左右に、明代と四方津が突っ伏して寝ていた。

「ヒューッ、色男。両手に華だな」

「あんたは、あの時の……!」

 四方津の側に丸椅子を持って来て、腰を下ろしたのは女刑事(仮)だった。

「起きて最初に話すのが、可愛い幼馴染でも君にゾッコンのお姉さんでもなくて、悪いな」

「……何の用ですか?」

「そう邪険にするなよ」

「放電能力を笠に着て初対面で男を馬鹿にした態度かましてきた人に、いい印象なんか持てませんが?」

「うわぁ、根に持ってた? いやあ、あれは方便というか」

「方便。へぇ~」

 つまんねぇ男呼ばわりしたの、忘れてやらねぇからな。

 文脈的にノーカン? 前言撤回だ、そんなの!

「あ、ほら! 君の無事に私も貢献……」

「無事? 貢献?」

 そりゃ生還はできたけど、戦いの傷はかなり深い。

 何にも知らないやつに、無事、なんて言われていい気はしなかった。

「あぁ、そうか。病院には非常電源があるか」

「…………?」

 まったく要領を得ない。

 何が言いたいんだ、この人は。

「私はそう、メッセンジャーさ。良い知らせと悪い知らせ、どっちから聞きたい?」

「そういうのって、ある程度の関係性ある人の言うセリフですよね」

「はあ? じゃあキスするか? キスした仲なら言っていいか?」

「なんでそうなるんですか! いい大人が、自棄にならないでくださいよ」

 なんだろう、寝ているはずの明代と四方津の背中から殺気が放出された気がした。

 気のせい、だよな?

「で、どっちから聞く?」

「じゃあ、良い知らせから」

「良い知らせね。在日新ライス軍の、日本からの撤退が決まったよ」

「おおー」

「リアクション薄いなぁ」

「そう言われましても。満身創痍で、あんまり騒げませんし」

「ったく。あー、雷獣を使役しての不法行為、なんちゃって軍人の不祥事。これらが明るみに出た。エルマー大統領の要求した日本における治外法権と、捜査および報道の規制が撤廃されてな」

「治外法権と規制の撤廃?」

 無茶苦茶だ。

 治外法権を認めさせられるなんて。実質、植民地支配も同然だ。

「私ら警察に代わって、君ら女力発電所が雷獣事件に当たってただろう?」

「な、なぜそれを!? って、あ」

 慌てて口を閉ざすも、もはや吐いた言葉は戻らない。

 嫌な汗が滲む。

「この程度の揺さぶりで機密を漏らすのは頼りないが、私らは警察。それくらいは知ってるよ」

「そ、そうなんですか」

「もちろん、警察なら誰でも知ってるわけじゃないから、気を付けろよ」

「は、はい」

 命拾いしたが、これからはもっと言葉に気を付けないといけないな。

「で。捜査にストップがかかってた、その可愛い幼馴染ちゃんの両親殺害事件」

 不穏な言葉とともに、女刑事は明代を指差す。

 エルマー大統領が要求していたことを思えば、理由は明らかだ。

「犯人は、在日新ライス軍のオマーン・コールマン伍長。並びにそれの率いた雷獣だ」

「えっ!?」

 雷獣が犯人なのはわかっていたが、よりによってか。

 率いた雷獣、という女刑事の言い方も引っ掛かる。

 群れといえば、明代を病院に残して帰った日に見た光景が思い当たる。

 ひょっとして、アニサキス曹長も一枚噛んでいた、とか。

 明確な動機があって、何かを求めて明代家を襲ったとすれば……?

 まさか、退院日に襲撃を受けたこととも関係が?

「しーっ、大きな声出すなよ。病院だぞ?」

「すみません」

 四方津なら気にするなと言うのだろうが、やっぱりそうだよな?

 突っ伏して寝てる二人も、ここにいるしな。

「ま、警察の方で、報道規制はもうちょっと敷かしてもらうから。その子が報道陣に囲まれることはないと考えていい、とは思うけどね」

「そう、ですか」

「どしたよ」

「いや、オマーン・コールマンは、俺が倒してしまったから」

「彼女から敵討ちの機会を奪ってしまった、てか?」

「彼女じゃないです」

「おいおい、顔真っ赤だぞ? ヒヒッ、ただの三人称の人称代名詞だよ」

 クソッ、おちょくりやがって。

「気にするなよ、そんなの。そこの所長さんに口利きすりゃあ、従業員特典で腹パンくらいさせてもらえるだろ」

「四方津さんに口利きするのが、明代にとって一番ハードル高いような」

「あぁ……そのへんのラブコメパワーバランスは、君次第だな」

「だから、俺らそんなんじゃないですよ」

「じゃあ、お待ちかねの悪い知らせだ」

「待ってないんですけどよ」

「エルマー・サツマ・ワルプルギスが、大統領を辞任することになった」

「え? いいことでは?」

 放電性能を頼みに、暴虐の限りを尽くしてきた神にも等しい暗君。

 それが権力の座を追われるというなら、世界的に歓迎すべきことではないのか。

 あまつさえ、あの女は外国の国家元首として我が国の首相を去勢した。

 電波ジャックまでして、一部始終を全国に放送した。

 政権与党や高橋首相を支持するしないや、好悪の問題ではない。

 国民の代表を務める者への行い、という意味を重く捉えるならば。

 絶対に看過できない行為だ。

「私が話しているのは、君だ。君にとっては、悪い知らせなんだ」

「わからないですよ。俺も、あの女は大嫌いです」

「今日まで神として振る舞ってきたのに、畜生ゴイムと見下してきた外国人ジャップによって追い落とされた────じゃあ、考えることは一つだろ」

「日本人がエルマーを大統領辞任に追い込んだんですか」

 ニュースで確認してないから、与太話かもしれない。

 でもひとまず、女刑事の言が真実としなければ話が進まない。

「とぼけるねぇ。君は、エルマーから目を付けられたんだよ」

「は!?」

「は、じゃねぇよ。アニサキス曹長を失った在日新ライス軍は、雷獣部隊の統率が取れなくなって自壊。

 それを受けてエルマーは、日本全土を完全に停電させる内政干渉テロを実行。日本政府に落とし前を付けさせようとした。ところが。この時のために政府の用意していた女力発電所が、八面六臂の大活躍。失われた日本の全電力を肩代わりした。

 他国に大統領が私兵を常駐させ、しかもそれが不法行為を山ほどはたらいている。両国の力関係が不平等だから、そんな無理が通っていた。

 だが当の日本は他国の息のかかった既存のエネルギー、発電所なしでも電力を賄えると天下に示した。皮肉にも癇癪女が切り札だと思っていた、卑劣な脅迫の手段への対抗策でな。

 こんなの、宣戦布告なしで戦争ふっかけたくせに負けたようなもんだろ。

 だがエルマーは戦争犯罪人の汚名を被るのをよしとしなかった。

 東側の大国にしたように、自分の雷で日本を攻撃しようとしたわけ。

 ところが。徹底して弱腰だった外務省が一転攻勢に出て、先手を打った。

 女力発電所の擁するエネルギー、そして情報。これを頼んで、大きく出ることができたんだ。

 在日新ライス軍の悪行を世界に公開する、と神に外交カードを突きつけたわけよ。

 エルマー個人の神的な雷撃能力が、あいつの独裁政権の後ろ盾なように見えて、実際そう単純でもない。ライス共和国が東側の国々に睨みを利かせていられるのは、日本を雁字搦めに支配しているからだ。

 東側諸国が一致団結して、ライス共和国に戦争を仕掛けたとしよう。

 防波堤となるのは、日本だ。

 しかし、もうライス共和国との力関係は昨日までのものとは、決定的に違う。ヘーコラする理由はない。だったら、もうライスとの安全保障条約なんか一方的に蹴ってしまえばいい。向こうが勝手に起こした戦争で火の海になるのは、大勢が命を落とすのは、本土決戦になるのは。

 ライスだ。

 日本が手駒だったから、じゃじゃ馬大統領が傍若無人な神でいられたんだよ。

 なのに、それを無視して大統領が独断で日本を焦土にする?

 日本が外交カードを切ったのもあって、さすがにライスの有力者も動いたわけだ。

 家族でも人質に取られたのかね。エルマーは、あっさり辞任を発表した」

 長広舌を披露したかと思えば、女刑事はリモコンで病室のテレビを点けた。

 緊急特番が組まれ、エルマーの電撃辞任を特集している。

「暴虐の神から一転。自由の敵、悪魔そのものとして正当な評価を受けて野に下ったエルマー元大統領。

 人間、一度得た厚遇や贅沢を忘れられるものじゃない。身から出た錆だとしても、こうなったのを誰かのせいにせずにはいられない。逆恨みは理屈じゃ解消できない、人間の業だよ。

 おまけに、オマーン伍長が暴走して出した損害。あれも日本政府が全額、エルマーに請求するって発表された。日本政府つってるが、実際は女力発電所の働きかけだな。

 エルマーもそれなりに金持ってただろうに、もう一族郎党破滅だろうな。

 とまあ、ここまで自分にこの辛酸を嘗めさせたのは誰なのか、ってエルマーが考えるのは当然じゃないか?

 しかもあの女、つい昨日まで世界一有名な諜報機関に命令できる立場だったんだ」

 一度言葉を切り、女刑事は初対面のときに見せたような嫌らしい笑みを浮かべる。

「────────君の名前を知らないと、思うかい?」

 ゾワッ、と全身の毛が逆立った。

 テレビの音がひどく遠くに聞こえる。

 けれどカクテルパーティー効果よろしく、妙にクリアに聞こえたこともあった。

『しかし、エルマー大統領を未だに支持するライス国民もいます』

 放電能力を得た女性の劇的な地位向上を謳っていた、エルマー。

 他者にまったくおもねらない、独裁者としてのカリスマに魅了された者は少なくなかった。

 勝ち馬の背に乗りたいだけのイナゴでない心からの支持者も、確かにいたのだ。

 エルマー本人が、ライス共和国でどう裁かれたとしても。

 本当に俺のことを認知しているなら。

 果たしてあいつは、それを自分の狂信者たちに伝えず、墓まで持って行くだろうか。

「ついでに。女力発電所に潜り込んでいたライスからのスパイは、真木だ」

「え?」

 話しの流れにそぐわない名前が飛び出して、間抜けな声が出てしまう。

「何かの間違いですよね? ロケットランチャーをおっきい鉄砲なんて言っちゃう、ユルい人ですよ?」

「そんな芝居、ライスの諜報部員なら朝飯前に決まってるだろ」

「雷獣との戦いで活躍できなかった、って落ち込む明代のために。ケーキを買いに行ってくれる、優しい人なんですよ? そんな、真木さんに限って」

「じゃあそのケーキ、真木はいつ持ってくるんだよ」

「そ、それは……あの後すぐに、アニサキス曹長との戦闘が始まって」

「優しいお姉さんが、仲良くなった学生のピンチに駆けつけてくれないのか。優しさにも色々あるんだろうが、同じ戦闘部隊に所属してる先輩の優しさでは、ないよなぁ」

「本当、なんですか」

「嘘を言う意味がない。優しい人だからいい人、なんて小学生の恋愛観みたいな考えは捨てろ。

 仮にも国家の秘密組織に所属してるんだぞ、お前。人に会ったら、スパイ、ハニートラップを疑わなくてどうする。優しい人、いい人、おいしい話、不安を煽る話ほど疑え」

「ほんの短い付き合いでしたけど、ショックです」

「だろうな」

「これから俺、何を信じていけばいいんだろう」

「オーバーだな。自分で言ってたろ、短い付き合いだったって。可愛い幼馴染ちゃんが、他国の差し金だったとかならともかく」

「ちょっと。冗談でもそういうこと言うの、やめてもらえます?」
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