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「よし、加勢するぞ」
タバコを咥えたまま宣言し、君島さんは俺の背中を叩いた。
ロケランを拳銃に持ち替えた君島さんともう一人とともに、三人で真木さんたちを援護した。
結果、今回追い込んだ軍人雷獣の大半を鹵獲できた。
残りも、道中でカワセとエイゴが鹵獲したとの無線があった。
死者を出さず、俺以外に重傷者を出さずに戦闘を終えられた。
つっても俺は、あんまり活躍してない。
弾幕をすり抜けて来た雷獣の鼻っ柱を、一度蹴り飛ばしただけだ。
なにせキッテ、ウエノ、クラブ、オオサカの十人を超える戦闘員が駆けつけたのだから。
ちなみに君島さんは、キッテチームだ。
「何言ってるんですか! 一人で二体の雷獣を殴り倒した江西さんは凄いですよ!」
多連装ロケランをバンに積み終わった後、真木さんはそう労ってくれた。
けれど暴走して軍人雷獣を殺しかけたのだから、あまり喜べなかった。
『報告書の書き方を教えるから、二十三時にお姉さんの私室に来ること』
拾ったインカムで四方津に連絡を取ると、そんなことを言われてしまうし。
「私、何もできなかった。あんな大口叩いておいて、凄く、かっこ悪い」
抱いた膝に顔を埋めて、明代がバン外で絶賛自己嫌悪モードに入っているからだ。
オマーン伍長戦の後の深田さんじゃないが、いっそ真木さんと一緒にどこかへ逃げたい。
「江西さん」
「わっ、何ですか」
当の真木さんから急に話しかけられ、慌てる。
声に出てないよな!?
「明代さんの好きなスイーツとか、わかります?」
「えっ? 急に言われても。別に、好き嫌いとかアレルギーはないと思いますよ」
馬鹿は風邪ひかないって言うし。
「わかりました。ちょっと、ケーキ屋さんに行ってきますね」
「いやいやいや、そんな! 悪いですよ!」
「いいの、いいの。お姉さんしたいのは、四方津所長だけじゃないんですよ」
「ちょっと! ホントに、そんな気を遣わなくても!」
念を押したが、真木さんは楽しそうに小走りで言ってしまった。
明代なんて飯食って寝りゃあ、また四方津と仲良くケンカするようになるだろうに。
それにしても真木さんの笑みに、不思議な既視感を覚える。
あれだ、朝食のときの母だ。
今日の朝食は明代が作ったのだと、俺に言ってきたときの母にそっくりだ。
どうしてこう、みんなして俺と明代をそういう目で見るかな。
「はぁ。なんだかなぁ」
市庁舎前を見回すと、俺と明代以外に誰もいなかった。
たしかオオサカの人が関係各所に状況終了の連絡、ウエノの人たちが応急措置的な後処理をしていたように思う。
キッテとクラブは、雷獣をバンに積んでさっさと帰ったし。
アサヒ──つまりウチは、真木さんが俺たちには仕事をさせてくれなかった。
管制室への簡単な報告、階段の修理連絡などあっという間に真木さんがこなしてくれたのだ。
余計に申し訳なさが募った。
これが君島さんなら、OJTとか雑なこと言って色々やらされただろうに。いっそ、その方がみんなの役に立てて良かった。
戦線が拡大したときのために控えていた、機動隊の姿もない。
いたところで、フレンドリーに話しかけはしないけど。
「そんな落ち込むなよ」
ゆっくりと、明代の隣に腰を下ろした。
狭い車道を挟んだ市庁舎の正面に、無事な自販機がある。
本当ならそこでジュースでも買って、明代に渡してやりたかった。
しかし、右肩と左前腕を雷獣に齧られた今の俺にそれは難しい。
右腕が上がらないし、左腕も動かそうとすると酷く痛んだ。
応急処置だけ、去り際の君島さんがしてくれたのだが治ったわけではない。
心配かけまいと真木さんの前では強がったせいで、彼女は明代のためにケーキを買いに出てしまった。いつ帰ってくるのか、全然わからん。
「俺らはただの学生。戦闘訓練なんか受けてない、ただのガキだ」
「……でも、辰雄は二体も倒したじゃん。これまでも合わせたら、四体だよ」
コンビニ前で戦ったやつもカウントしてるのか。あれは実質ノーカンだろ。
「俺だって、自分の戦果に納得なんかしてないんだぞ。本当はオマーン伍長なんか一撃で倒して、お前を助けに行きたかった」
「いや、あいつら腕を握ったら逃げてったし」
唐突に無茶苦茶なことを言う明代。
じゃあ今日も銃なんか捨てて、取っ組み合いすれば良かったのでは?
「嘘松」
「はぁっ!? マジだし!」
「不能になったら、お前のすべてを裏打ちしてくれる実力がなくなったら。途端にイキリ陰キャになったなぁ」
「ふざけんな。少年誌の表紙飾れるレベルの、この顔と胸に変わりはない!」
「飾ってから言えよ」
元気を取り戻してくれたようで、助かる。
やっぱりこいつには優しい言葉とかより、軽口のが効くよな。
そもそも俺に、歯の浮くような少女漫画セリフを吐くセンスもねぇし。
「いいのかよ」
「なにが」
「……ほ、他の男に、私の顔とか、む、じゃなくて、身体とか見られても」
目が泳いでるし、顔は耳まで真っ赤だ。
「付き合ってるわけでもなし、それを止める権利はねぇだろ。そこまでキモくないですぅ」
「付き合ってるとか、そうじゃないとか。そういう問題かよ」
「え、めんど! じゃあどういう問題なんだよ。ちゃんと客観的な解あるの!?」
俺は答えのない問題が大嫌いだ。
アボカドやパクチーに並ぶくらいには、大嫌いだ。
「~~~~~~~っ、あああっ!」
「わっ、急に叫ぶなよ。傷に響くだろ」
「もういい! お前なんか、在日新ライス軍の総長に負けて、ケツ掘られて死ね!」
「だから曹長だって」
「Oh! ガールフレンドから直々に許可が下りるとは、ミーにとっては福音かな!」
それにあの変態筋肉女のシュミはバター犬とかだぞ、と言いかけて。
「………………は?」
全身の毛が逆立ち、嫌な汗がところかまわず滲み出る。
聞き違いであって欲しいと、声のした方を見る。
風切り音がしたかと思うと、それは市庁舎の屋上から降ってきた。
ドォォォォォォォォォォォン…………ッ!
直立で着地したその人物の足元を中心に、蜘蛛の巣状のヒビが走る。
「ミーのためにマッチョにヘンシン! してくれて嬉しいよ、タツオ!」
儚い願いを嬉々として踏みにじるように、歯を見せて笑むのは大兵肥満、筋骨隆々の怪物女。
アブディエル・マクレミッツ・アニサキス曹長、その人だった。
「ウッソだろ、おい」
「electricalなforthに目覚めたとはいえ、ミーにerectするモノはついてないのだがね!」
呵呵大笑するアニサキス曹長。
そのジョークってネイティブも言うのかよ!
俺も小学生のとき「ちんすこう」でゲラゲラ笑ってたから、似たようなもんか。
って、そんな懐かしいこと思い出してる場合じゃねぇ!
「明代、今すぐここから逃げろ!」
「は? 辰雄、脚は無事なんでしょ?」
なんだ、テメェ。コンビニ前のときみたいに背負えつってんのか?
「いいから逃げろ!」
両腕がお釈迦だから、スマホを使えない。
でも四方津は俺のことをストーキ……モニタリングしている。
すぐに応援を送ってくれるはずだ。
「おいおい、ミーはビデオゲームのボスキャラか?」
首と肩の境界がわかりにくい体つきだが、アニサキス曹長は肩を竦めたようだった。
ボスキャラか、だって? その通りじゃねぇのか。
「お前が逃げるくらいの時間は、稼いでみるから」
「違うだろ。ったく、辰雄のくせにかっこつけやがって。応援が来るまで、持ちこたえろよ」
「はいはい」
遠ざかっていく明代の背中に一瞥をやり、覚悟を決める。
腕が使えないから、なんだ。
脚の筋肉は腕よりも太い。つまり、キックはパンチより強い。
やってやるぜ。
足を踏ん張ってすっくと立つと、前に出る。
「来いよ、曹長! 俺も男だ、今ならハンデとしてノーハンドで相手してやるぜ!」
腰を落とし、踵を浮かせる。
思い出すのは、今まで戦ってきた雷獣どもの戦闘スタイル。
雷獣の調教もアニサキス曹長が担っているなら、こいつも初手突進の可能性がある。
回避か、カウンターの膝を叩き込むか。
「フューッ!! クレイジー、タツオ! ジャパンに来て、初めて濡れたかも」
大好物を目の前にした子供みたいに、怪物女は目を輝かせた。
「お嬢さん扱いなんて、エレメンタリー以来ねっ!」
獲物を前に舌なめずりは、三流の証だと言ったのは誰だったか。
「────────────────ッ、カハッ!?」
風が吹いた。
直後、俺はベタベタと纏わりつく砂糖水に塗れていた。
耳元でバチバチと火花が散り、故障を訴える音がうるさい。
薄目にも服の汚れが見えた。
ドリンクバーでふざけて作る混ぜ物ドリンクに、血を入れたような色が沈着してやがる。
口ん中で鉄錆臭いものと砂糖水が混ざって、気持ち悪い。
炭酸が目に染みるのを堪え、もっと目を開けて前を見る。
車道の向こう側から、アニサキス曹長が悠々と歩いてくるのが見える。
タックルか何かで俺は、市庁舎の向かいの自販機まで吹き飛ばされたようだ。
鯖折りになった自販機なんて、初めて見たな。
いやいや、いつまでもここに沈んでる場合じゃねぇ。
よろよろと立ちあがる。
元々役に立たなくなっていた腕の、付け根がやけに痛む。
衝突した際に、おかしな方向へひん曲がったみたいだ。
普通にぶら下げておくのでさえ、集中が乱れるくらいには痛い。
腰も強打したのがわかるが、これはそのうち治る。と思いたい。
膝もガクガクと笑っていて、立てたのが不思議だ。
おかしいな。
俺、今バルクアップ状態だよね?
「ガールフレンドの前でかっこつけたんだ。まさか、もう終わりじゃないよな、ボーイ」
「……たりめぇ、だろ」
完全な強がり。
ハエに止まられただけで、再起不能になりそうってのがホントのところだ。
「その答えが聞きたかったよ、ボーイ」
なのに、またあの風が吹いた。
稲妻の閃きで肉薄してきたアニサキス曹長の、振りかぶった拳が一瞬だけ見えた。
直後。
寸毫の間すら挟まずに、機関銃のごとき打撃が雨あられと降り注いだ。
背中が自販機を突き破っても、鉄拳の乱打は止まない。
うしろの壁に、縫い付けられてんじゃないかってくらい殴られた。
けれど、意識は失えなかった。
痛いはずだ。
脳からおかしな汁が出てるのか、それとも脳が限界を訴えているのか。
もはや痛みを感じられない。
五感すら、うっすらとしか知覚しない。
「Oops! やりすぎたか。でも、こんなもんかよ、ボーイ」
アニサキス曹長は背面の抜けた自販機の残骸を、裏拳で薙ぎ倒す。
「Oh! ジーザス!」
邪魔なそれがなくなったからと、壁にはめ込まれた俺の首へとその腕が伸びてきた。
「ミーに全力を出させてくれるジェントルマンは、もはやこの世にいないのか」
片手で気道を塞がれた。
万力のごとき握力で首を掴まれ、俺は壁から引っこ抜かれる。
「せめて豚の餌になって、いつか人類の役に立て」
どれだけ首が絞まっても、どれだけ高く振りかぶられても。
もはや俺に、抵抗する力は残されていない。
「グバーイ、フェムボーイ」
血腥い供犠の生贄ごとく天に掲げられて、太陽光の眩しさに目を焼かれる。
いや、これは死者を迎えに来る者の纏う光なのかもしれない。
錯覚も束の間。
風景は流れ、冷たい死を蔵する地面を直視させられる。
気に入らない人形に、子供がするように。
俺は地面へと、叩きつけられた。
否。
地面は、熱かった。
叩きつけられた、というのはどうやら俺の主観らしい。
視界の隅に、絶叫しながら地べたを転がっている筋肉ダルマが見える。
叫びはやけに掠れていた。
冬場に風邪を引いてする咳よりも、乾きを感じさせる。
苦しむアニサキス曹長との距離が、思っていた以上に遠い。
投げ捨てられた、というのが客観的事実らしかった。
「おい、クソデブス」
世界一つを灼き尽くしてしまいそうな、激情。
地獄の業火を体現するような、憎悪。
まさに、終末を告げる神の怒り。
「私が相手だ」
タバコを咥えたまま宣言し、君島さんは俺の背中を叩いた。
ロケランを拳銃に持ち替えた君島さんともう一人とともに、三人で真木さんたちを援護した。
結果、今回追い込んだ軍人雷獣の大半を鹵獲できた。
残りも、道中でカワセとエイゴが鹵獲したとの無線があった。
死者を出さず、俺以外に重傷者を出さずに戦闘を終えられた。
つっても俺は、あんまり活躍してない。
弾幕をすり抜けて来た雷獣の鼻っ柱を、一度蹴り飛ばしただけだ。
なにせキッテ、ウエノ、クラブ、オオサカの十人を超える戦闘員が駆けつけたのだから。
ちなみに君島さんは、キッテチームだ。
「何言ってるんですか! 一人で二体の雷獣を殴り倒した江西さんは凄いですよ!」
多連装ロケランをバンに積み終わった後、真木さんはそう労ってくれた。
けれど暴走して軍人雷獣を殺しかけたのだから、あまり喜べなかった。
『報告書の書き方を教えるから、二十三時にお姉さんの私室に来ること』
拾ったインカムで四方津に連絡を取ると、そんなことを言われてしまうし。
「私、何もできなかった。あんな大口叩いておいて、凄く、かっこ悪い」
抱いた膝に顔を埋めて、明代がバン外で絶賛自己嫌悪モードに入っているからだ。
オマーン伍長戦の後の深田さんじゃないが、いっそ真木さんと一緒にどこかへ逃げたい。
「江西さん」
「わっ、何ですか」
当の真木さんから急に話しかけられ、慌てる。
声に出てないよな!?
「明代さんの好きなスイーツとか、わかります?」
「えっ? 急に言われても。別に、好き嫌いとかアレルギーはないと思いますよ」
馬鹿は風邪ひかないって言うし。
「わかりました。ちょっと、ケーキ屋さんに行ってきますね」
「いやいやいや、そんな! 悪いですよ!」
「いいの、いいの。お姉さんしたいのは、四方津所長だけじゃないんですよ」
「ちょっと! ホントに、そんな気を遣わなくても!」
念を押したが、真木さんは楽しそうに小走りで言ってしまった。
明代なんて飯食って寝りゃあ、また四方津と仲良くケンカするようになるだろうに。
それにしても真木さんの笑みに、不思議な既視感を覚える。
あれだ、朝食のときの母だ。
今日の朝食は明代が作ったのだと、俺に言ってきたときの母にそっくりだ。
どうしてこう、みんなして俺と明代をそういう目で見るかな。
「はぁ。なんだかなぁ」
市庁舎前を見回すと、俺と明代以外に誰もいなかった。
たしかオオサカの人が関係各所に状況終了の連絡、ウエノの人たちが応急措置的な後処理をしていたように思う。
キッテとクラブは、雷獣をバンに積んでさっさと帰ったし。
アサヒ──つまりウチは、真木さんが俺たちには仕事をさせてくれなかった。
管制室への簡単な報告、階段の修理連絡などあっという間に真木さんがこなしてくれたのだ。
余計に申し訳なさが募った。
これが君島さんなら、OJTとか雑なこと言って色々やらされただろうに。いっそ、その方がみんなの役に立てて良かった。
戦線が拡大したときのために控えていた、機動隊の姿もない。
いたところで、フレンドリーに話しかけはしないけど。
「そんな落ち込むなよ」
ゆっくりと、明代の隣に腰を下ろした。
狭い車道を挟んだ市庁舎の正面に、無事な自販機がある。
本当ならそこでジュースでも買って、明代に渡してやりたかった。
しかし、右肩と左前腕を雷獣に齧られた今の俺にそれは難しい。
右腕が上がらないし、左腕も動かそうとすると酷く痛んだ。
応急処置だけ、去り際の君島さんがしてくれたのだが治ったわけではない。
心配かけまいと真木さんの前では強がったせいで、彼女は明代のためにケーキを買いに出てしまった。いつ帰ってくるのか、全然わからん。
「俺らはただの学生。戦闘訓練なんか受けてない、ただのガキだ」
「……でも、辰雄は二体も倒したじゃん。これまでも合わせたら、四体だよ」
コンビニ前で戦ったやつもカウントしてるのか。あれは実質ノーカンだろ。
「俺だって、自分の戦果に納得なんかしてないんだぞ。本当はオマーン伍長なんか一撃で倒して、お前を助けに行きたかった」
「いや、あいつら腕を握ったら逃げてったし」
唐突に無茶苦茶なことを言う明代。
じゃあ今日も銃なんか捨てて、取っ組み合いすれば良かったのでは?
「嘘松」
「はぁっ!? マジだし!」
「不能になったら、お前のすべてを裏打ちしてくれる実力がなくなったら。途端にイキリ陰キャになったなぁ」
「ふざけんな。少年誌の表紙飾れるレベルの、この顔と胸に変わりはない!」
「飾ってから言えよ」
元気を取り戻してくれたようで、助かる。
やっぱりこいつには優しい言葉とかより、軽口のが効くよな。
そもそも俺に、歯の浮くような少女漫画セリフを吐くセンスもねぇし。
「いいのかよ」
「なにが」
「……ほ、他の男に、私の顔とか、む、じゃなくて、身体とか見られても」
目が泳いでるし、顔は耳まで真っ赤だ。
「付き合ってるわけでもなし、それを止める権利はねぇだろ。そこまでキモくないですぅ」
「付き合ってるとか、そうじゃないとか。そういう問題かよ」
「え、めんど! じゃあどういう問題なんだよ。ちゃんと客観的な解あるの!?」
俺は答えのない問題が大嫌いだ。
アボカドやパクチーに並ぶくらいには、大嫌いだ。
「~~~~~~~っ、あああっ!」
「わっ、急に叫ぶなよ。傷に響くだろ」
「もういい! お前なんか、在日新ライス軍の総長に負けて、ケツ掘られて死ね!」
「だから曹長だって」
「Oh! ガールフレンドから直々に許可が下りるとは、ミーにとっては福音かな!」
それにあの変態筋肉女のシュミはバター犬とかだぞ、と言いかけて。
「………………は?」
全身の毛が逆立ち、嫌な汗がところかまわず滲み出る。
聞き違いであって欲しいと、声のした方を見る。
風切り音がしたかと思うと、それは市庁舎の屋上から降ってきた。
ドォォォォォォォォォォォン…………ッ!
直立で着地したその人物の足元を中心に、蜘蛛の巣状のヒビが走る。
「ミーのためにマッチョにヘンシン! してくれて嬉しいよ、タツオ!」
儚い願いを嬉々として踏みにじるように、歯を見せて笑むのは大兵肥満、筋骨隆々の怪物女。
アブディエル・マクレミッツ・アニサキス曹長、その人だった。
「ウッソだろ、おい」
「electricalなforthに目覚めたとはいえ、ミーにerectするモノはついてないのだがね!」
呵呵大笑するアニサキス曹長。
そのジョークってネイティブも言うのかよ!
俺も小学生のとき「ちんすこう」でゲラゲラ笑ってたから、似たようなもんか。
って、そんな懐かしいこと思い出してる場合じゃねぇ!
「明代、今すぐここから逃げろ!」
「は? 辰雄、脚は無事なんでしょ?」
なんだ、テメェ。コンビニ前のときみたいに背負えつってんのか?
「いいから逃げろ!」
両腕がお釈迦だから、スマホを使えない。
でも四方津は俺のことをストーキ……モニタリングしている。
すぐに応援を送ってくれるはずだ。
「おいおい、ミーはビデオゲームのボスキャラか?」
首と肩の境界がわかりにくい体つきだが、アニサキス曹長は肩を竦めたようだった。
ボスキャラか、だって? その通りじゃねぇのか。
「お前が逃げるくらいの時間は、稼いでみるから」
「違うだろ。ったく、辰雄のくせにかっこつけやがって。応援が来るまで、持ちこたえろよ」
「はいはい」
遠ざかっていく明代の背中に一瞥をやり、覚悟を決める。
腕が使えないから、なんだ。
脚の筋肉は腕よりも太い。つまり、キックはパンチより強い。
やってやるぜ。
足を踏ん張ってすっくと立つと、前に出る。
「来いよ、曹長! 俺も男だ、今ならハンデとしてノーハンドで相手してやるぜ!」
腰を落とし、踵を浮かせる。
思い出すのは、今まで戦ってきた雷獣どもの戦闘スタイル。
雷獣の調教もアニサキス曹長が担っているなら、こいつも初手突進の可能性がある。
回避か、カウンターの膝を叩き込むか。
「フューッ!! クレイジー、タツオ! ジャパンに来て、初めて濡れたかも」
大好物を目の前にした子供みたいに、怪物女は目を輝かせた。
「お嬢さん扱いなんて、エレメンタリー以来ねっ!」
獲物を前に舌なめずりは、三流の証だと言ったのは誰だったか。
「────────────────ッ、カハッ!?」
風が吹いた。
直後、俺はベタベタと纏わりつく砂糖水に塗れていた。
耳元でバチバチと火花が散り、故障を訴える音がうるさい。
薄目にも服の汚れが見えた。
ドリンクバーでふざけて作る混ぜ物ドリンクに、血を入れたような色が沈着してやがる。
口ん中で鉄錆臭いものと砂糖水が混ざって、気持ち悪い。
炭酸が目に染みるのを堪え、もっと目を開けて前を見る。
車道の向こう側から、アニサキス曹長が悠々と歩いてくるのが見える。
タックルか何かで俺は、市庁舎の向かいの自販機まで吹き飛ばされたようだ。
鯖折りになった自販機なんて、初めて見たな。
いやいや、いつまでもここに沈んでる場合じゃねぇ。
よろよろと立ちあがる。
元々役に立たなくなっていた腕の、付け根がやけに痛む。
衝突した際に、おかしな方向へひん曲がったみたいだ。
普通にぶら下げておくのでさえ、集中が乱れるくらいには痛い。
腰も強打したのがわかるが、これはそのうち治る。と思いたい。
膝もガクガクと笑っていて、立てたのが不思議だ。
おかしいな。
俺、今バルクアップ状態だよね?
「ガールフレンドの前でかっこつけたんだ。まさか、もう終わりじゃないよな、ボーイ」
「……たりめぇ、だろ」
完全な強がり。
ハエに止まられただけで、再起不能になりそうってのがホントのところだ。
「その答えが聞きたかったよ、ボーイ」
なのに、またあの風が吹いた。
稲妻の閃きで肉薄してきたアニサキス曹長の、振りかぶった拳が一瞬だけ見えた。
直後。
寸毫の間すら挟まずに、機関銃のごとき打撃が雨あられと降り注いだ。
背中が自販機を突き破っても、鉄拳の乱打は止まない。
うしろの壁に、縫い付けられてんじゃないかってくらい殴られた。
けれど、意識は失えなかった。
痛いはずだ。
脳からおかしな汁が出てるのか、それとも脳が限界を訴えているのか。
もはや痛みを感じられない。
五感すら、うっすらとしか知覚しない。
「Oops! やりすぎたか。でも、こんなもんかよ、ボーイ」
アニサキス曹長は背面の抜けた自販機の残骸を、裏拳で薙ぎ倒す。
「Oh! ジーザス!」
邪魔なそれがなくなったからと、壁にはめ込まれた俺の首へとその腕が伸びてきた。
「ミーに全力を出させてくれるジェントルマンは、もはやこの世にいないのか」
片手で気道を塞がれた。
万力のごとき握力で首を掴まれ、俺は壁から引っこ抜かれる。
「せめて豚の餌になって、いつか人類の役に立て」
どれだけ首が絞まっても、どれだけ高く振りかぶられても。
もはや俺に、抵抗する力は残されていない。
「グバーイ、フェムボーイ」
血腥い供犠の生贄ごとく天に掲げられて、太陽光の眩しさに目を焼かれる。
いや、これは死者を迎えに来る者の纏う光なのかもしれない。
錯覚も束の間。
風景は流れ、冷たい死を蔵する地面を直視させられる。
気に入らない人形に、子供がするように。
俺は地面へと、叩きつけられた。
否。
地面は、熱かった。
叩きつけられた、というのはどうやら俺の主観らしい。
視界の隅に、絶叫しながら地べたを転がっている筋肉ダルマが見える。
叫びはやけに掠れていた。
冬場に風邪を引いてする咳よりも、乾きを感じさせる。
苦しむアニサキス曹長との距離が、思っていた以上に遠い。
投げ捨てられた、というのが客観的事実らしかった。
「おい、クソデブス」
世界一つを灼き尽くしてしまいそうな、激情。
地獄の業火を体現するような、憎悪。
まさに、終末を告げる神の怒り。
「私が相手だ」
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