雷獣

ごったに

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「本当に、何ともないのか」

 口では心配しているが、父の顔は晴れやかだ。

「大丈夫だって」

 額の汗を拭い、砕けた塀の最後のひとかけらをトラックの荷台に積む。

「じゃあ、お義父さん。辰雄くん、借りて行きますね」

「はい、よろしくお願いします」

 四方津に父がぺこぺこと頭を下げる。

 ふたりとも、発音しない余計な一文字を当たり前にして、やり取りしないでほしい。

 戦闘で破壊されたご近所さん宅の片付け、修復、その間の住居。

 女力発電所がすべての責任を引き受ける。四方津はそう宣った。

 父の車の買い替え資金もそれに含まれるとのことで、まあ機嫌もよくなるか。

 でも原資は国民の血税だぞ?

 襲われる前に見た、子供を誘拐する軍人雷獣には逃げられているんだ。

 丸く収まった、みたいな顔をするのは如何なものか。

 それはそうとして。

「しんどかったぁ。これ、戦闘よりしんどいかも」

 金の心配がないのはいいけど、俺は重機でやるような片付けをやっていたんですがそれは。

 頭が興奮しないから、この身体でも疲労が重くのしかかるんだよな。

 瓦礫の運搬も大変だったが、雷獣の投げた父の愛車を外壁から引き抜くのも俺がやったからな。命綱もなしに壁に垂直に立って作業とか、おかしいって。

 二階から落ちる程度、確かに今の俺にはどうってことないけどさぁ。

「お疲れ様」

「すみません。オマーン伍長の連れてた雷獣は、取り逃してしまいました」

「ううん。君のお蔭で、人間の死傷者は出なかったんだから。お手柄よ」

「でも、子供が」

「うん。その件も女力発電所で調査を開始したわ」

 この一帯がやたら静かだったのは、雷獣の襲来を知った近所の人たちが逃げ出したせいだったらしい。

 避難した母からの電話で、それがわかった。

 てっきり、明代の家族の訃報を知らせにきた刑事のコンビが顔を出すと思っていたが、その姿はない。

 女力発電所管轄の事件として、警察を締め出したようだ。

 子供を攫われた母親の応対をしているのも、女力発電所のスタッフだ。

 目が合ったその女の人は、スタッフ越しに俺を恨むような目を向けてきた。

 力があるのにどうして……という意思が滲んでいる。

 好きに引き出せるわけじゃない力だが、彼女はそんなこと知る由もない。

 腹が立つのも、仕方ないだろう。

「しっかりやってこいよ」

 父に肩を叩かれ、我に返る。

「これから行くのは、ただの検査だよ」

 逃げだと理解しつつ、子供を誘拐された女から視線を切る。

「そっ」

「うわっ」

 勝手に腕を絡めてきた四方津が、上目遣いに俺を見上げて笑む。

「ただの検査、よね」

「胸筋に指を這わせながら言うな、いかがわしく見えるだろ!」

 隙あらば乳首弄ってくるからな、この女。

「そうだ、そうだ。セクハラ反対!」

 道路の反対側にいた明代が、四方津に詰め寄ろうとしたとき。

「ゲホッ、ゲホッ! ああっ! もう、タイミング!」

 瓦礫を積んだトラックと、父の車をけん引するレッカー車が煙を吐いて発進。

 タイミングの悪さを明代は呪っていたが、俺は四方津が寸前で出発の合図を出したのを見逃さなかった。

 二人、仲悪い感じ?

「明代さんは、病み上がりでしょうから検査は今度にしましょう」

 余所行きめいた一オクターブ高い声で言うと、四方津は俺をバンへ押し込んだ。

 乗ると、後部座席にバスローブが置いてあった。

 着てみると、なんだか試合の前か後の格闘選手みたいで面映ゆい。

「いやあ、それがですねぇ。ちょっと電気が出なかったんで、診てもらいたいんですよ!」

「最近じゃあ、一般の病院でも放電関係を診てくれるとこもあるそうですよぉ?」

「具体的にどこか、教えてもらえますぅ?」

「スマホで調べれば一発ですよぉ? 検索もせず人に尋ねるのは老害仕草ではぁ?」

 閉じられた扉の向こうで、明代と四方津が掴み合いをしている。

 心配にはなるが、鬼気迫るふたりを仲裁できる自信はない。

「深田です。所長をよろしくお願いします」

「あ、はい。江西です、こちらこそよろしくお願いします」

 運転席の方から急に話しかけられて、驚いて前へ向き直る。

 顔は出しているが、これまで黒子のように振る舞ってきた四方津の部下の人だった。

 反射的によろしくお願いし返したが、深い意味はないよな?

 社交辞令だよな。

 でも普通ならお互い四方津の部下として、って意味の挨拶をするもんだよな。

 ……所長を、ってどうしてつけたの?

「もしかして、明代さんとは既にセックスする仲ですか? 週に何回ほど?」

「えっ、名乗った直後にその質問するんですか?」

 真顔で淡々と何聞いてんだよ、この人。不躾がすぎるだろ。

「大事なことなので。それで? セックスしたんですか?」

「付き合ってすらいません、ただの幼馴染です!」

「ふむふむ……江西さんは童貞、っと」

「変なことメモしないでくれます?」

 不意に、バックミラーに映った深田さんの目に緊張が走る。

 視線を追うとバンに乗り込もうとする明代と、それを羽交い絞めにして押さえる四方津の姿があった。

 格闘の最中にあるのに、四方津の目は深田さんをじっとりとした目で睨んでいる。

「江西さん」

「はい」

 返事をするより早く、深田さんはバンのエンジンをかけていた。

「二人でこのまま、遠くまで行きませんか。行き先も決めず、食事も宿も行き当たりばったりで。時には、田舎の何もないところにまで行って車中泊をして」

「ダメでしょ」

 物凄い早口でまくし立て始めたので、遮っておいた。

 たぶん止めなかったらこの人、いつまでも妄想を垂れ流しただろうから。

「ダメですかぁ」

 直後、明代と四方津がもみくちゃになりながら乗り込んできた。

「深田」

「はい」

「あとで屋上」

「はい」

「ヤンキーかよ」

 女力発電所の建物は結構大きいから、屋上は風が気持ちよさそうだな。

 バンが走り出し、俺は車窓の外を流れていく景色を眺めた。

 未だに睨み合っている明代と四方津を、意識から追い出すために。
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