雷獣

ごったに

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「改めまして初めまして。四方津シコ女よもつしこめです」

「ちょっと、ここ病院ですよ!」

 近い。近すぎる。

 わかりやすい偽名を口にして、四方津は勝手に腕を組んで指を絡ませてきた。

 密着したせいで、ニット地に包まれた四方津の長い乳が俺の腕の上で形を変えている。

 しかも、硬くなった乳首の感触がニット越しに感じられるときた。

 ブラを付けろよ、ドスケベ女!

 しかも滅茶苦茶いい匂いがするせいで、俺の心がぐちゃぐちゃにかき乱される。

 化粧なのか香水なのか知らないが、花の香りが鼻腔をくすぐりまくって心拍数がヤバい。

 ただでさえ俺は上裸で、悪目立ちしてるのに。

 この女の距離感がバグってるせいで、前を通る医者や看護師に不潔なものを見る目を向けられている。

 ロビーのベンチじゃないから、人は少ないけどさぁ。

 こういうところって、すげぇシリアスな雰囲気じゃん?

 実際、明代の搬送された部屋の上にも「手術中」のランプが点灯してるしよ。

 アニメとかドラマでも、頭抱えた家族や友人がリノリウムの床とにらめっこしてるような所じゃん?

 だってのによぅ。

「はい、名刺」

「のわあああっ!?」

 病院で大声を出してはいけない。んなこたぁ、わかってる。

 だが体型の出るニット地の胸部に、真一文字にスリットが走って谷間が露出してるんだ。

 ここで叫んでしまうのは、健全な男子として自然な反応だろう!?

 その上、四方津は自分の谷間に手を突っ込んで、本当に名刺を取り出しやがるんだ。

 もうその、谷間から手を引き抜くときのどたぷんっ……という乳の揺れ方のダイナミックさよ。パンパンに膨らんだ水風船を、宙に投げたのかってくらいでさあ。こっちもパンパンになっちまうよどこがとは言わんけど!

「んっ……♡」

「変な声出さないでくださいよ」

「ごめんね、乳首が擦れて。ちょっと、気持ちよくなっちゃった♡」

「ブラをしてくれぇ!」

「んふふ、可愛い。えいっ」

「だから、押し付けんな!」

 通り過ぎる医療従事者の投げかけてくるものが不潔なものを見る目から、空気がピリつくほどの殺気に変わってきてるよぉ。

「ってか。性格変わってないですか?」

「それはぁ、君が悪いんだよ」

「いい大人が、人のせいにしないでくださいよ」

「だあってぇ」

「ひやああっ!?」

 甘えた声を出して四方津が俺の乳輪を縁取るように、指で撫でてきた。

 お蔭であられもない声が出てしまうし、それを見た四方津が笑みを深める。ラメの入った口紅が艶々とした光を放っているのが目に入り、頭がクラクラしてきた。

「こんなムッキムキなの、近くで見せつけられたら、ねぇ?」

「あんたが来たとき、既に俺は上裸だったろ。だいたい見せつけてねぇし、近いのはあんたが腕組んでるからだ!」

 俺の左腕には四方津の右腕が絡んでおり、さらに左手も脇の下に差し込まれている。

「でもでもぉ、嫌だったら簡単に引き剥がせるはずだよねぇ?」

 こいつの言う通り、簡単だ。
 でも俺の腕をホールドしているのは腕だけじゃない。
 水風船みたいな肉の重りも二つ、どっかり乗っかっている。

「なんで引き剥がさないの? ん?」

 ちょん、と四方津は名刺の角で俺の上腕二頭筋を突いた。

 まったく痛くはないが、くすぐったいのでやめてほしい。おい、下におろすな。マジやめろ。

「こぉんなに立派な筋肉あるんだから、一瞬よねぇ?」

「こんな学生捕まえて、いじめないでくださいよ」

「あはぁ。雷獣じゃないから殺せないか」

 ふざけた口調のままだが、四方津の纏う空気が微妙に変わったのを感じた。

「正当防衛にはなると思うけど、雷獣とはいえ殺すのはねぇ。お姉さん、オススメできないかなぁ」

「乳首に指を這わせながら、言うことじゃねぇよ」

 爪、指の腹、そして名刺。

 それらを織り交ぜて、絶妙な快楽の波を送ってくる。マジ、やめて。射精ちゃうから。

「私は発電所の所長を任されている身でね」

「はあ、そうすか」

 散々ひとの腕やら乳首やらを弄んだせいで、角がヨレてしまった名刺を握らされた。

 曲がってる上に、なんか湿ってるな。谷間から取り出したせいか。

 名前は例の偽名しか載ってないのでスルー。隅っこに何らかのアカウントIDが手書きで加筆されている。絶対に触れてはならない、禍々しいオーラを感じる。

「あ、そのSNSアカウント。お姉さんの裏垢ね」

「名刺に裏垢を載せるな!」

「君にだけ。他の名刺には、書いてないから」

「えーと。……おんなぢから、発電所……所長?」

女力めりき発電所」

 書いてある通りの文言を読み上げると、訂正された。ふりがなを振れ。

「女力? 地名?」

「違うよ」

「あぁ、エルマー大統領にかぶれた感じ。女しか採用しないヘイト企業ですか」

「違いますぅ。女特有の力、つまり女の放電能力を電力に利用してるの」

「学生からかって楽しいっすか?」

「若い男をからかうことより楽しいことがあるとでも? もとい、本当のことよ」

 おい!

「……それって、大丈夫なんですか。人権とか」

「グレーゾーンだね」

「いや、真っ黒だろ!?」

「お姉さんたちは、人に害をなす雷獣を捕え、その放電能力を電力利用することを目的として組織された、国家直属の機関でね」

「胡散臭ぇ。本物なら、そんなこと堂々と言えないでしょ」

「この病院も、お姉さんのために国が買収したものなの。だから言えるし、あ~んなに騒いだのに、誰からも注意されない」

 だとしても他の患者や、その家族の迷惑も考えろよ。

 責任の一端は、俺にもあるけどさ。

「じゃあ俺にベタベタしてきたの、職員に対するパワハラじゃん」

「一発の雷のエネルギーってね、二二〇〇世帯分の一日の電力を賄えるの」

「話を逸らしたな!」

「雷獣は人を捨てた分、ただの女より強力な放電性能を備えている。理性も知性もかなぐり捨てた獣を、人権の名の下に社会で自由を保障しては他の人間が安心して暮らせないでしょ」

「だから、捕えて電池にしようって」

「もう、人聞きが悪いなぁ。理性も知性も喪失しても、人類に貢献できる場と仕事を用意しているんだよ。しかも国の機関だから公務員だよ、公務員。安定してるよ?」

「電池扱いと強制労働に、どれほどの差があるんだよ」

「労働? まさか。エロい夢を見せて電気を搾り取っているだけだよ」

 なるほど、自家発電ってか。

 やかましいわっ!

「扱い、じゃなくて電池そのものじゃん!」

「生存は保証していますぅ。あいつらに給料出しても、もはや猫に小判だし」

「へぇ。それで、なんでそんな秘密をただの学生にペラペラしゃべるんだ?」

「君。まだ自分が、ただの学生だなんて思ってるの?」

 身を乗り出した四方津が、俺の顔を覗き込んできた。

 胸がより強く押し付けられて、脳内が真っピンクに染まる。

 ちょっと慣れてきてたのに! せめて胸元のスリットを閉め直せ!

「そ、そうだが?」

「なわけないだろ。雑コラみたいな身体してるくせに」

 顔の前に突き出されたのは、手鏡。

 死んだ魚の目をした血色の悪い、見慣れた俺の顔が映る。

 我ながら、できれば見ずに一日を終えたい面だ。

「顔は、どこにでもいるオタクくんなのに」

「ねぇ、なんでくっついてくるの?」

 童顔のお姉さんが俺に頬をくっつけているのを鏡越しに見る。自撮りツーショじゃねぇんだぞ。

 隣の男おれの、赤面しまくって目を泳がせる様よ。我ながら、情けないこって。

「首から下がこれってのは、ねぇ」

 クイッ、と手鏡が下を向き、俺のシックスパックが映る。

 違和感しかないが、今はこれが俺の肉体だ。

「おまけに、雷を無効化できる異次元の絶縁体質を発現。今配備されてる絶縁スーツでも、雷を浴びて平気なものなんて、ないんだからね」

「そうなの?」

「そうなの」

「じゃあ、雷獣が出たらどうしてんの?」

「ん~……捕獲不可能と判断したら、射殺?」

「雷獣とはいえ、殺すのはオススメできないんじゃなかったのかよ」

「そ、こ、で。君なのよ。ただの学生から、特別な存在になった、き、み!」

 き、み! のリズムで乳首をいじるな。感じちゃうだろ。

「異次元の絶縁性能を持つ君に、雷獣を捕えて欲しいわけ」

「え? 殺すのはオススメしないって……倫理的な話じゃなかったの?」

「どうして教職でもない私が、余所の子に倫理を説かないといけないの?」

 至極当然の疑問、とばかりに四方津が小首を傾げる。おい、顎に拳を添えてかわい子ぶるな。

「これまでもね。お姉さんたちのチームの到着が間に合えば催眠弾やゴム弾で無力化して、キャプチャー弾で捕獲してきたんだけどね。対象の放電性能や戦闘力があまりに高いと、どうしても殉職者が出てしまって」

 キャプチャー弾、というのはさっきの雷獣をぐるぐる巻きにしたあれだろう。四方津がロケランを担いでいたのは、それを撃つためか。

 ……ロケランで撃つのか。

 ちょっと、いや、かなりかっこいいな。俺もロケラン、撃ってみたい。

「君がうちのチームで働いてくれたら、チームから出る死者が圧倒的に減ると思うわけ」

「でも俺、まだ学生ですし」

「もちろん、学業優先で構わないよ。進学するなら、返済不要の奨学金も出したげる」

「えぇっ!?」

 なんだか急に、このお姉さんの下で働きたくなってきたぞ!

「もちろん奨学金と別に給料、もとい、おちんぎんも出すよ」

「なんで言い直したんです?」

「就職だって、うちの組織にすればいい。ね? 悪くないでしょ? ホラ、お姉さんの扶養とこ永久就職キメなさいよ」

「どさくさに紛れて、何に同意させようとしてんですか!」

「チッ、騙されんか」

「俺、騙されてるんです?」

「んっ、んんんっ! 女力発電所の所長として、君をスカウトしたいの“も”本当よ」

「電撃無効を活用して、雷獣を捕獲しろってことですか」

 も、を鼻息荒く強調されたが、敢えてそこには触れないでおく。ツッコむのも疲れるし。

「頭脳労働こそがホワイトカラー、エリートっていう意識があるのはわかるよ」

「そこまで世間知らずってわけでは」

 世間が知らずにいさせてくれないんだよなぁ。

「でも、デスクワークの五流ブラックもあるから!」

「自己紹介にしか聞こえなくて怖い!」

「はにゃ? うちは国営インフラだから一流だにょ?」

 かわい子ぶって誤魔化してるつもりだろうが、四方津の口元はぴくぴくと痙攣していた。

「何にせよ、君の“主”戦場は現場だから」

「はあ」

「ちなみに、断ったら君は明日、知らない部屋で目覚めることになるからね」

 顔に影を落とした四方津がニチャア、と音がしそうな笑みを浮かべる。

「あ、汚ったね! 決定事項かよ! かーっ、ベラベラ秘密をしゃべったのは、そういうわけかよ」

「たとえ任務中に負傷して動けない身体になっても、死なない限りはお姉さんが面倒見てあげるから……いひひっ」

「怖っっっっ!?」

 こうして俺は、なし崩し的に女力発電所の雷獣捕獲部隊へとアルバイト入隊させられたのだった。
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