雷獣

ごったに

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 放課後。

 入学以来、新しい友達の増えていない俺は、明代と駅へ向かっていた。

 狭い道を、他の生徒に紛れてだらだらと歩く。

 左手側には大きな水路が流れていて、俺はそれを覗き見るのが好きだ。

 横幅五メートル、高さが七メートルと言ったところだろうか。水位は低く、水質もお世辞にも良くない。もちろん、大きな魚もいない。汚い藻ばかりが目立つ。

 だから面白くはないが、見ているとなんだか安心する。

 横から明代がどうでもいい話を振ってきて、俺も適当に受け答えをする。それが俺たちの下校ルーティーン、とでも言うべきものになっていた。

 入学式の帰りには、岸に張り巡らされたフェンスを明代が触り、手に付いた粉を下ろし立ての制服に擦り付けてきたっけな。ガチめに注意したら、その後はやらなくなったので助かっている。

「今日は久しぶりにぶっ放せて、気持ち良かったなぁ!」

 傍らで、んーっと奇声を上げて明代が伸びをする。

 気に入らない女をとっちめたのがよほどスッキリしたみたいだ。

 あの後すぐに教師はやってきたがその顔に赫怒はなく、むしろ青褪めていた。

「駅じゃ絶縁スーツの鉄道警察隊が来るし、力を制御せざるを得なかったからなぁ」

「絶縁スーツが配備されてないところでも、雷なんか使うなよ」

「いやいや。たまには全力出さねぇと、鈍っちまうだろ?」

 教師からも注意や指導はなく、明代は放電を控えるようお願いをされていた。

 電撃も暴力である以上、どんなに放電性能の高い女性教師がいたとしても、使えば体罰になる。よって雷に怯える生徒指導の女性教師が、やんわりと放電自粛を要請することしかできないのだ。

「まったく。雷獣かよ、お前は」

 三月三日以降、犯罪者の性別の多寡も逆転した。

 特に電撃で強盗を試みる放電能力に自信ネキが、爆増した。

 そういった卑劣な犯罪者を蔑んで雷獣呼ばわりする者もいるが、本来の意味はそれと異なる。

 金銭や怨恨、歪んだ承認欲求を動機とするのなら、まだ人間臭い。

「ひっでぇ! 私にはちゃんと理性があんだろ、あぁ?」

「文明人なら、電撃(ぼうりょく)でなく言葉で解決しろよ。女性脳は、そういうのが得意だって昔から言うだろ」

「アホ抜かせ。急に力を持ったイキリ陰キャ女に、言葉は通じねぇよ。あの三ブスも、駅でお前のこと脅して来たババアと一緒なんだよ」

「イキってるのは、お前もだろ」

「はぁ? 違ぇし。私は顔も胸もスタイルもいい」

「自分で言うかね、そういうこと」

「天より授かった放電性能も、雷を落とせる一級品。カスどもと違って、私のは実力に裏打ちされた振る舞い、ってわけ」

「あっそ。じゃあアイドルの研修生にでも応募し……ろ、よ?」

 晴れているのに、雨の臭いがした。

 より正確に言うなら、明代が雷を放ったときと同じ臭いだ。

 カッ、と閃く強烈な光を横っ面に浴び、反射的にそちらを向いた。

「なんだ、あれ」

 ドゴォン!

 右手側に建つコンビニの天井を突き破り、天へと遡行する雷を見た。

 同時、自動ドアが外向きにたわむ。

 一刹那の後、衝撃波で割れた無数のガラスが飛んでくる。

「危ない、辰雄!」

 想定外の出来事に呆ける俺の前に、明代が躍り出る。

「……怪我は、ねぇか?」

 下校中の他の生徒らの悲鳴がする中、明代の声で我に返る。

 というか、痛そうで苦しそうな明代に、血の気が引いた感じだ。

「あ、明代!? お前、血が……っ!」

 破片を背で受けた明代の足下に、血が滴る。

「馬鹿野郎、女のお前がなんで。そういうのは、俺が」

 出来もしないのに、強がりが口を突いて出る。

 内心を見透かしてか、明代が鼻を鳴らす。でも響きが弱々しくて、まったく俺の幼馴染らしくないものだった。

「なんでって。そりゃあ、決まってるだろ」

 力なく笑った明代が、よろけて俺に寄りかかってきた。


「お、おい! 大丈夫なのか!?」

「体力で勝る男のお前が……万全の状態で、私を背負って逃げるのが、合理的だからだよ」

「あ、明代っ!?」

 がくり項垂れる明代に、最悪が脳裏を過ぎる。

 身体を支えたときに触れた明代の背中から、嫌な感触が伝ったからだ。

 もちろんそれは、破片で俺も指を切ったことではない。

 指に纏わりつく生温かくて粘性のある、鉄錆臭いそれ。

 血が、いや、明代の命が流れ出ている!

「お、おい! しっかりしろ、しっかりしろよオトちゃん!」

 幼い頃の呼び名が出てしまうくらい、俺は狼狽えきって明代を揺すり起こそうとする。

「傷に響くだろ、馬鹿。早く、病院に」

「う、うん!」

 通学に使っているリュックサックを捨て、覚悟を決める。

 泡を食いながらも、なんとか明代を負ぶったときだった。

「うわああっ、助けてくれえぇっ!」

 切羽詰まった声は、コンビニの方から。

 滅茶苦茶に手足を振り回してこちらに逃げてくる、アルバイトらしき男。

「ぎゃっ!」

 だが、店内で稲妻が閃いた瞬間。男は顔からアスファルトに倒れ伏した。

 男に声を掛けようとして、明代に口を塞がれた。

「逃げろ、辰雄」

 照明が壊れて煤で汚れた、暗い店内から這い出して来る者があった。

 伸び放題の髪を振り乱し、煤けたワンピースを身に纏った女。スカート部分が力任せに破り捨てられており、腿が剥き出しになっている。

 あいつが、コンビニで雷をぶっ放した女か。

 四肢の筋肉が発達しており、一瞬、女装を疑った。だが、男に放電能力はないのだから、それはあり得ない。

「早く、逃げろ」

 再度、明代から警告されるも目を離せない。

 四つん這いでコンビニから出て来た女は、男の前で停止した。

 動向を見守りながら、自分が標的にされず済んだことに妙な安堵を覚える。

 数秒の観察の後、女はおもむろに男の足首に噛みついた。女の首筋が強張るのと同時、男の身体が地面から浮いた。

 嘘だろ!?

 咆哮するように女が首を振り上げた、瞬間────男は天高く放り投げられていた。

 呆気に取られていると、またも男を追って稲妻が宙を疾走はしる。

 轟音。

 晴天の霹靂。

 辺りに、硫黄臭の混ざった嫌な臭気が漂う。

 二度焼きされて黒焦げになった男が、ぐしゃり、曲がってはいけない方向に関節を向けて落下する。

 男は動かなくなった。痛いとも言わず、呻くことすらしない。

 殺人だった。

 あっけなく人は死ぬ、という現実を唐突に突きつけられ、呼吸が乱れる。

 だが、それで終わりではなかった。

 女は男の死体に近寄ると、ズボンを両手で引き裂いた。

 まさか性欲を満たそうとするのか、と過ったが、違った。

 バリッ、ガリッ……ピチャピチャクチャクチャ……。

 思わず息を呑んだ。

 パンツには目もくれず、女はすね毛の薄い腿裏へと喰らい付いたのだ。

 凄まじい顎の力で男の肉を噛み千切り、顔を血で汚しながら貪り食っている。

 ぐっしょりと嫌な汗が吹き出し、脚が笑いだす。

 遅れて、周囲からまた悲鳴が上がる。

 しかし、耳栓をしたかのように声が遠い。

 いやに放電女に遭遇する日だ。

 二度あることは三度ある、の諺の通り三度目があってしまった。

 だけど、これは限度を超えている。まさに、これは。

「ケダモノ……雷獣じゃねぇか」

 つい口に出してしまったのが、良くなかった。

 死体の太腿に空いた穴から雷獣が顔を上げ、俺の方を見た。

 白目を剥いた目が、細められる。血に濡れた口元が、歪められる。

 ダメだ。

 動物的直感により、俺は死を確信する。

 明代には申し訳ないけど、俺には何もできない。

 人間は、雷から走って逃げられるほど素早くはないのだから。

「──────────────────────────────────」

 奇声を上げた雷獣が、バチバチと音を立てて全身に紫電を纏う。

 ゴワゴワの髪の毛が逆立ち、蛇のように蠢いた。

 神話の時代、女怪メデューサと対峙して石化させられた者たちも、俺と同じ恐怖を味わっていたのだろうか。

「ごめん、オトちゃん」

 へなへな、と尻餅をついてしまう。

 背負っていた明代が滑り落ちて、フェンスが音を立てた。

 老朽化したフェンスは、触れると粉が付いてしまう。

 あぁ、明代の制服を汚してしまったな。

 目の前の脅威が大きすぎて、現実逃避で小さなことを考えてしまう。

 カッ、と雷獣が稲光を発した。

 落雷同様の轟音から何秒後だったかに、雷が俺の全身を電熱で貫き────

「え? あっ?」

 電圧は一億ボルト、温度も三万度にも達するという雷。

 それを受けたのに、俺は軽く胸を小突かれたような、衝撃とも呼べないものしか感じなかった。

 何らかの要因で、雷獣による電撃が不発に終わった?

 ならば、見下ろす自分の胸の有り様はなんだ?

 制服のシャツが消し飛び、胸板、と称するには弛んだ男の胸が露出している。

 誰にも需要はないが、プール授業以外でさらけ出すのも妙な気恥ずかしさがある。

 おそるおそる顔を上げ、雷獣の様子を伺う。

 電撃が効かなかったことに動揺してか、目を瞬いている。

 だが俺の視線に気が付いたからか、その呆けた顔を再び険しく歪めた。

 すぐに全身に紫電を纏い、髪の毛を逆立てさせる。

「──────────────────────────────────」

 先ほどよりも激しい、周囲を白く染め抜くような閃光。

 まぶしさに怯んだ俺は動けず、もう一度電撃を浴びてしまう。

 しかし。

「なんとも、ない……?」

 光を遮るのに上げた腕を下ろし、感電も火傷もしていない自分に戸惑う。

 まるで、絶縁スーツを着ているかのように、雷獣の電撃を無効化している……?

 よくわからないが、今の俺なら明代を守れるようだった。

 脳から得体の知れない汁がほとばしるのを感じる。

 自然、俺は立ち上がり、明代を庇うように雷獣と対峙した。

「ガアアアッ!! ウアアアアッ!! アウウウウウッ!!」

 ヒステリーを起こした雷獣が、ヤケクソのように電撃を乱発してきた。

「ふんっ!」

 そのすべてを、俺は腰に両手を添えて胸を張って受け止める。

 凄まじい電撃も俺の胸に当たるや、たちどころに雲散霧消した。

 やはりダメージもまったくなく、消しカスが弾けているくらいの感触しかない。

 むしろ、えっちなお姉さんみたいに胸を露出したシャツを着ているのが恥ずかしいのが勝る。

 上裸の方がまだマシだ、とシャツを脱ごうとして。

「は? なんじゃこりゃ」

 目を疑った。

 俺は運動部に一度も所属したこともなく、腕立て伏せが一回もできない。

 それなのに。

「秒でバルクアップしてるんだが?」

 肉厚な胸板に、六つに割れた腹筋。記憶の三倍くらいに筋肉で膨張した腕。

 全身に力が漲り、とてつもない自己肯定感に包まれる。

「はは……ははは。よくわかんねぇけど、すげぇな、これ」

 自らの胸から顔を上げ、雷獣を睨みつける。

 髪を掻きむしっていた雷獣の顔が強張り、四つん這いのまま一歩後退した。

 恐れているのか、俺を?

 生まれて初めて感じる種類の愉悦感から、俺は雷獣に背を向けた。

 即座に肩越しに振り返り、低音を意識して言い放つ。

「お、お前のような! 雑魚に用はない!」

 言ってやったああああああああああああっ!

 流暢には言えなかったが、こういう強キャラ感溢れるセリフを! 現実で!

 しかも雷獣のような、とんでもなく強い相手に対して!

 昂揚感に浸っていたかったが、フェンスにもたれてぐったりしている明代が目に入って、我に返る。

「あ、軽っ」

 ひょいっ、と上着でも羽織るように明代を担げてしまい、思わず口に出してしまう。

「誰か、あの雷獣通報しといて! じゃ!」

 野次馬に雷獣の対処を投げて、走り出す。

「うわっ、すっご」

 身体が軽い。まるでマジキュアの一話で、初めて変身した主人公みたいな気分だ。

 持久走でも一〇〇メートル走でも何でも来い、今なら陸上部にも負けないぞ。

 飛ぶように走る俺だったが、突如、前方に落雷があって急停止した。

 俺は電撃無効だが、明代はせいぜい耐電撃ってところだろうから。

 爆裂する稲光が収まると、雷獣が咆哮するライオンさながらの威嚇をしてきた。

「退けよ」

 拳に力が籠る。

 純粋な暴力に裏打ちされた自信。

 それが、聞いたこともない声色となって自分の口から出た。

「お前のせいで、明代が怪我したんだ」

 人語を解しているのか怪しいが、嘲るような笑みが雷獣の顔に浮かぶ。

 カーッ、と頭に血が上る感覚があった。

 俺は自分のやろうとしていることを、自覚した。

 命には優先順位がある。

 人を捨てて畜生に成り下がる知らない女と、身を挺して謎のバルクアップが起きる前の俺を守ってくれた明代。

 死ぬべきはどちらか。問うまでもない。

 ゆっくりと明代を下ろす。戦闘に巻き込まないよう、俺は雷獣と距離を詰める。

 同じ分だけ雷獣が後ずさるが、その顔に怯えは感じられない。

 全力を出すのに最適な間合いを調節しただけ、とでもいった様子。

 じゃあ遠慮はいらねぇな。元からするつもりもないが。

 拳を振り上げ、弓を引くように腕を引き絞る。

 対する雷獣も、激しく発光して放電する。

 まぶしさに耐えて相手を観察する。

 馬鹿の一つ覚えみたいに雷を撃つのなら、どうしてこいつの四肢に力が入っている?

 戦闘の経験は、俺と大差ないみたいだ。

 いっそう雷獣が姿勢を低くしたのを見て、俺は地面を蹴った。

 同時、雷獣も跳躍する。

 自らを雷としての、捨て身の攻撃か。

 いいだろう。

 お望み通り、男女平等パンチで顔を、いや脳みそを潰してやる。



「はい、そこまでぇ」

 不意に、雷獣が目の前から消えた。

 振り抜いた拳は宙を抉り、俺は勢いあまって顔から地面にダイヴ。

 鼻やら顎やらはもちろん、肘や膝にも痛みが走る。

「力に振り回されちゃダメだよ、青少年」

 急に雷獣が理性と知性を取り戻した、わけではないようだ。

 見上げれば、コーラのボトルが白衣を着たような女がこちらを見下ろしていた。

 二〇代の半ばくらいだろうか。年上なのは、間違いない。

 前髪の上にサングラスが載っていて、肩に担いでいるのは……ロケットランチャー!?

 しかも多連装だ。

「安心したまえ、雷獣は我々が捕獲した」

 サッ、と周囲に視線を走らせる。

 絶縁素材らしきものでぐるぐる巻きにされた何かを、数人がバンに運び込んでいる。

 状況から察するに、雷獣を捕獲した、ということか?

 女が担いでるロケランで、何らかの捕獲装置を射出して?

「おっと。そんなことより、そこの女の子が心配ね。乗りなさい、病院まで送るわ」

「でも、知らない人の車に乗っちゃいけないって」

「君はすべての救急隊員と顔見知りなの?」

 屁理屈だ。

 しかし、今は明代の怪我が心配だ。

 なに、騙されていたとしても今の俺には筋肉がある。

「わかりました」

「急いで」

 後部座席に明代を寝かせ、俺も車に乗り込んだ。
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