熾天のウェルギリウス

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熾天のウェルギリウス

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「神はみていますよ」

マザー。
あなたの言葉を支えに生きました。
心を入れ替えました。
もう暴力は振るいません。
右の頬をぶたれたならば左の頬を差し出しましょう。
貧しきには施し、恵まれない者には与えましょう。
朝は日が昇る頃に起き、夜は誰よりも遅く眠りましょう。
一日一度は、聖典を読みましょう。

貴方の教えに従いましょう。
全ては、神の御心のままに。

ルクレス。
太陽の化身。
我らが“神”と崇める者。
聖典にはこうある。
『かつてこの世界を悪魔が支配していた時、ルクレスはその神威の焔をもって地上の悪魔を全て焼き払った』と。
我らが今、地上で生を謳歌できているのは、ルクレス様のお陰であると。

でもきっと私は、心のどこかで気付いていたのです。

貴方の言葉は嘘であると。この世に神はいないと。

だって神が本当にいるんなら。
私は、既に裁かれて死んでいるはずだから。

それでも私は無垢な子供のように、神は居ると自分に言い聞かせました。
これは自分のためではありません。

だって、本当に神がいないとしたら。
こんなにも敬虔な方達が、盲目的にそれを信じるこの方達が、あまりにも浮かばれないではありませんか。

・・・

フォルケンブルグから列車で三時間。そして駅から馬車で更に一時間。
海に面したザッハという村。
その岬に建つ小さな教会に私は来ていた。
村の外れの丘の上にあるそれが見えてくると、私は思わずため息を吐いた。

「はあ、疲れた」


こんな長旅は人生で初めてだ。
なんなら列車だって乗ったのは初めてだ。
一人旅が出来ないというほど子供ではないつもりだが、さすがに慣れない座席で腰と尻が痛い。

なによりこれから私がお世話になる教会は、妙な噂があった。
神都から遠く離れたこの地にぽつんと建つこのザッハ教会は、問題を起こした修道士の教育の場であると。そしてその責任者である司祭は、まるで魔王のようだと。

なぜならこの地で任を果たし戻ってくる修道士は軒並みげっそりとしており、それでいて品行方正になっていると。
更には司祭に取り上げられるとまで言われていたけど、だったらそれはもはやエリートコース。
さすがに付いた尾ひれが大きすぎる。

ちなみにこの教会を、面白おかしく“流刑地”などと呼ぶ者までいるらしい。

しかしいずれにせよ、よほどの鬼教官がいるようだ。
私の教育係だったマザーもかなりスパルタではあった。さすがにそれよりはマシと信じたいが、致し方ない。
これは罰なのだ。
罪を雪ぐ機会を与えてくださった大司教様に、そしてルクレスに感謝を。

首にかけた太陽十字を握り、目を瞑る。
そして、自身の身だしなみに乱れがないことを確認して、一歩踏み出した。

すると、教会の方がなにやら騒がしい。
見ると扉の前で男女が言い争いをしていた。
大きな旅行鞄を持った修道女の足下に、司祭服カソックに身を包んだ男がすがりつくように蹲っているようだった。

修道女はうんざりした様子で言う。

「ごめんなさい。もう限界です。無理なんです」
「そんなこと言わないでよ。あと一週間! いや、後一晩だけでも! 絶対に後悔させないから!」
「無理です司祭様。司祭様はいい人ですがこればかりはホント無理です今までお世話になりました。おい足触るなセクハラだぞ!」

縋り付く男に対して、修道女はそう一息に言い切ると顧みることなく、ずかずかとこちらに向かってくる。

「待って! いかないで!」

男の悲痛な叫びには目もくれず。

そうして、

「あら?」

修道女は、ようやく私に気付いた。
まるで痴情のもつれの現場に出くわしてしまったかのようで若干気まずい。

そんな雰囲気を変えるために、大きくお辞儀をして告げる。

「は、初めましてっ! 今日からお世話になります。ベアトリーチェと申します」

そうして頭を上げて、修道女の目を見る。
よくよく見るとなんとも美人だ。
切れ長の眉に少しばかり釣り上がった目付きは、少々きつい印象を与えるだろうが、燃えるような赤い髪に似合っている。
何より修道服越しでもわかるほどスタイルが良い。
そんなシスターは私に対し、どこか納得したような表情をしてから、答えた。

「そうシスター・ベアトリーチェ。でも挨拶は結構よ」
「え」

言葉を詰まらせた私に、シスターは続けた。

「私、今日で出て行くから」
「え、ええ!?」

突然の言葉に面食らっていると、シスターが言った。

「……ここには自分の意思で?」
「あ、いえ、その、大司教様のご指示で」

答えながら、ここの噂を思い返し、考える。
自分から来る人っているんだろうか。
自分に厳しい人などは修行目的で来るんだろうか。
そう考えていると、シスターの目が細まる。

「そう。あなた真面目そうなのに。一体どんな“無茶”をしたのかしら」

その言葉にドキリとした。
無茶とは言うが、要は違反行為のことだろう。
やはりここが左遷先という認識は正しいようだった。
少しばかり興味を滲ませるその目付きに思わず、「あ、あはは……」と苦笑いが漏れる。

すると、シスターは疲れたように小さくため息を吐いた。

「ま、私には関係ないか。今日で辞めるし。精々お許しが出るまでがんばんなさい」

……そうだった!
ひらひらと手を振って背中を向けるシスターに声をかける。

「あの、神父様は、教会にいらっしゃいますか?」

するとシスターは嫌な顔せず振り向いてくれた。
それから、

「神父様? ならそこにいるじゃない」

首を傾げて教会の方を指さす。

「え」

目に入ったのは、先ほどから教会の扉付近でうずくまっている男だった。

「あそこで泣き崩れてる男が、ここの責任者よ」
「ええ……」

あれが、魔王ですって?
威厳とかないの……?

・・・

「いやあ、先ほどはお恥ずかしいところをお見せしました。遠路遙々こんな辺境までようこそ。あ、お茶でもどうですか?」
「あ、ありがとうございます」

男はシスターの言うとおり、司祭だった。
私より少し年上くらいだろうか。
赤みがかった茶色い髪の好青年。

応接室に通された私は、出されたお茶を遠慮がちに飲んだ。
司祭はニコニコと笑いながら口を開く。

「それで、君が今日からうちに配属される、えっと」
「ベアトリーチェと申します。基礎的なことはマザーに教わりました。力仕事が得意です。よろしくお願いします」
「私はウェルギリウス。こちらこそよろしくお願いします。シスター・ベアトリーチェ」
「はい」

挨拶を済ませると、世間話をした。
どうやらこの教会、先ほどのシスター・エマと、神父様の二人で切り盛りしていたらしい。
そしてそのシスター・エマは出て行った。
出て行った理由は怖くて聞けない。

ちなみに宿舎はなく、この教会堂の一部がそのまま居住スペースになっていた。
案内された私室はとても綺麗だったので、「こんな綺麗なお部屋使ってもよいのですか?」と尋ねると、神父様は「ええ、もう使う人もいませんから。……はい」と、死んだ目で答えた。
どうやらシスター・エマが使っていた部屋らしい。

荷物を置いて応接室に戻ると神父様が手を叩いた。

「さて、長旅でお疲れでしょうが、恥ずかしながら人手が足らず。早速お手伝いをお願いしてもよろしいでしょうか」
「は、はい」

神父様の言葉に思わず生唾を飲む。
一体どんな苦行を強いられるのだろうか。
神父様は言う。

「主な仕事は、礼拝堂や表の掃除ですね。礼拝堂は常に開放しているので村人達の相手もお願いしますね。時間が空いてればご自由に祈りも捧げていていいですよ」
「はい」

私が返事をすると、「では早速お願いします」と言って笑った。

……え。それだけ?
私はおそるおそる尋ねてみた。

「あの、炊き出しなどはしないのでしょうか」

神父様は言う。

「この村は食には困らないですからねえ。不要です」

それから、「心配しなくても、三食私が用意しますよ」なんて付け加えた。
なるほど。確かに小さいながらも漁港があった。
視界に入った市場の新鮮な魚は確かにとてもおいしそうだった。
今一度唾を飲み込む。
……いやいやだめだめ。私は旅行に来たんじゃないんだから。

私は気を取り直して尋ねる。

「では奉仕活動は?」

神父様は意外そうな顔をしてそれから顎に手を当てた。

「精々村の皆さんを手伝うくらいですかねえ。漁村なので正直あんまりやることはないです」
「そ、そうですか。では薪割りなどは?」

薪割りは得意だ。
ただ斧を振るだけだし、薪を作るスピードには自信がある。
マザーにも、あなたは薪を割るのだけは得意ですね、と褒められたくらいだ。

しかし神父様は言った。

「樵の知り合いがいるので、ご厚意で分けてもらってます。なので毎日お風呂に入っていいですよ」

その言葉に唖然とした。
え、じゃあホントに掃除だけ?

私の困惑をくみ取ったのか、神父様は笑う。

「ほっとしましたか?」
「あ、いえ」

むしろ拍子抜けです。なんて失礼なことを言えるわけもなく。
しかし神父様は、言う。

「掃除だけと言っても、この教会は二人で管理するには大きいですからね。結構大変ですよ」
「そ、そうですか」

そうして神父様に掃除用具の場所を教えてもらって、私はこの教会での生活を開始した。
私、本当にこれでいいんだろうか……?

・・・

この教会に来てから、あっという間に一ヶ月が過ぎた。

結論から言うと、想像していたような酷い生活はなかった。
むしろ聖典を暗記していると告げると、神父様は目を剥いて驚かれたくらいだ。
やっぱり拍子抜けというかなんというか。

ただ、想像していたものとは別のベクトルで大変だった。

神父様はお忙しい方で、度々教会を空けた。月に4、5回。大体数日から一週間ほど。
毎回少しばかり嫌そうな顔で出かけて、げっそりした顔で帰ってくる。
お風呂の準備が出来ていると、子供のように顔をほころばせた。

初めての留守番の時は緊張したが、特に気に病むようなこともなく、礼拝に来る村人達と気ままに過ごしては神父様の帰りを待った。

「私の部屋には入らないでくださいね。絶対に」

神父様は出がけに必ずそう言う。
私は言いつけを守って神父様の部屋以外を掃除した。
小さな教会ではあるが、礼拝堂もあり、一人で掃除するには広い。
神父様の言うとおり、掃除だけでも大変で、瞬く間に一日が過ぎた。
お陰で、掃除が得意になった。

・・・

教会に来るのは基本的には村の人たちだけれど、たまに村の外からお客様が来ることがある。
多くの場合、神父様のご友人のようで、それは商人のような男性であったり、娼館の女性のようだった。
その時は決まって、私は応接室には近づかないよう申し渡される。
仕方がないのでそういう時は礼拝堂で祈りを捧げた。

神父様が不在の時にもお客様は来る。
特に、神父様がいない時に限って、なんだか柄の悪い人たちがやってくる。
なんでも神父様には借金があるとか。
しかし私は、神父様からはそんな話は聞いていない。

ある日、礼拝堂の扉が叩かれたので、顔を出すと、顔に傷のある男が立っていた。
男は言う。

「なんだ。見ねえ顔だな。ウェルギリウスはどこだ?」

私は答えた。

「あいにく出かけております」
「そうか」

男は少しばかり何かを考えて、「まあ、いいか」と勝手に納得した。
そして言う。

「貸していたものを返してもらいに来た」
「存じ上げません」
「とぼけんな。お宅の神父様はうちにウン千万の借金があるんだよ」

凄む男はそれから私の身体をなめ回すようにじろりと見た。

「あんたが、代わりに払ってくれても良いんだぜ? 体で」

私は、その男に告げた。

「ここは神の家ですよ」

ああ、両腕が熱い。
そこでマザーの言葉を思い出す。
暴力はダメ。暴力はダメ。
身体を押さえつけるために、私は礼拝堂の扉を思い切り握りしめた。
それから男をじろりと睨めつけ、改めて言う。

「お帰りください。二度は言いません」

こうして丁重にお断りし、男には帰って頂いた。
この時、礼拝堂の扉がダメになってしまった。
神父様が帰ってくる前に直してもらわなければ。

・・・

神父様は村にいる時は、よく村人たちが礼拝堂にやってくる。
神父様は時間がある時は、村人を相手に教えを説いている。
神父様による聖典の解説を皆おとなしく聞く。

聖典を開き、村人達に神父様は語る。

「神とは、導くもの。迷える子羊たちを正しき道へと導き、支えるもの。神とは、謙虚なもの。決して驕らず我々の規範となるもの」

いつも賑やかな漁師の皆さんもこのときばかりは黙って神父様の言葉を聞く。

「我らが神は、全知全能ではありません。神の奇跡にも限界があります。ですが、いつも我々の側で、我々を見守っています」

子供達ですらも大人しく、席に着いたままだ。

私が前にいた教会の司教・グレゴリー神父とは違い、砕けた口調。
修道士への教えとしてはともかく、啓蒙としてはあれくらいが良いのでしょう。

「聖典とは、神の教えに他なりません。そして、聖典に背くということは、神に背くということ。それも神は見ています」

そこで神父様は聖典を閉じ、皆に笑いかけた。

「なので、もし悪いことをした時は、こっそり私に言ってくださいね。私が代わりに神に謝っておきますから」

礼拝堂に笑いが起きた。
村人達は皆温かく、丁寧でありながら気さくな神父様は、どうやらこの村では人気者らしい。
神父様が喋ると、笑いが起きる。
私は、その雰囲気が嫌いじゃなかった。

良いことなのか悪いことなのか告解室も大人気だ。

「神父様、耳寄りな話があるぜ。なんでもジョーンの奴が大物を釣り上げたらしい」
「お、いいですね。今晩はセルゲイさんのお店に行けば良いですか?」
「おう」
「では楽しみにしておきます」

神父様は、村人達の愚痴や悩みを丁寧に聞く。
礼拝堂は、礼拝がない日は村の子供達の遊び場だ。

この神父様が鬼教官だという話は、どうやら根も葉もない噂であるらしかった。

・・・

湯浴みも毎日出来るなんて、実はフォルケンブルグよりも良い生活してない私?
そんなことを考えて浮ついていたからだろうか。
私はうっかり脱衣所の戸を開けてしまった。

そこには上半身裸の神父様がいた。
神父様は一瞬きょとんとして、それから苦笑い。

「失礼。だらしない格好で」
「い、いえ」

神父様は差して気にした様子もなく体を拭いていた。
なんというか、神父様脱いだらすごかった。背中バキバキだ。
あと、背中に、太陽十時と翼を模した赤い模様が刻まれていた。
背中を埋め尽くすほどの大きな模様。
これは、聖痕だろうか。
私のとは位置も大きさも形も違うけど。

それから私の視線に気付き、神父様は言う。

「驚きましたか?」

その言葉に、私は応えた。

「はい。神父様、案外鍛えてらっしゃるのですね。もやしかと思ってました」

神父は笑った。

「いいですねえ段々遠慮がなくなってきて。慣れてきた証拠です。でも神父も人の子ですからね? ダメージは感じてますからね?」

そう言った神父様の目は死んでいた。
確かに今のは言い過ぎました。

・・・

神父様の言いつけで表の掃除をしていると子供達が駆けてきた。

「シスター様! 遊びましょー」

子供達のリーダーであるコーザがそう言う。
無垢な子供達に思わず笑みがこぼれる。

「もうしょうがないですねえ。神父様からお許しが出たらいいですよ」

私がそう言うと皆はぱっと表情を明るくした。
コーザが声を上げる。

「ウェル! 良いよね!?」

それから辺りを見渡して言った。

「いねえ!?」
「神父様は礼拝堂です。というか呼び捨てはよろしくないですよ」

そんなことを喋っていると子供達のうち一人が丘の下を指さして声を上げた。

「あ! エマだ!」
「え?」

目を向けると、そこには初めて会った時と同じく旅行鞄を持ったシスター・エマがそこに居た。
シスター・エマは子供達に囲まれつつも私に気付くとへらりと笑って手を上げた。

「や」

子供達ともに駆け寄る。

「シスター・エマ」
「ベアトリーチェ。元気してた? あの人とはうまくやってる?」
「ええ。神父様も大変良くしてくれて」

私がそういうと、シスター・エマは「そう」と表情をほころばせた。
子供達に手で遊ばせている。
彼女もやはり、村人達から好かれていたのだろう。
すると礼拝堂の扉が開いて、神父様がひょっこり顔を出した。

「お客様ですか?」

そうしてシスター・エマの姿を確認した瞬間、勢いよくこちらに駆けてきた。

「シスター・エマ! 戻ってきてくれたのですか!」

その勢いをまるで意に介さず、エマは愛想笑いを浮かべて言う。

「お久しぶりです神父様。今日はマザー・グロリアの遣いとしてやってきました」

懐かしい名前を聞いて、少しだけそちらを見た。
神父様が顔を顰めて言う。

「ババアの小間使いをやるくらいなら、やはり私の手伝いをやった方が良いのでは。忙しさなら変わらないでしょ」

シスター・エマは間髪入れずに答えた。

「いいえ。無理です。あなたの側にいては命がいくつあっても足りませんので」
「そう言わずに! 私こそあなたがいなければ体がいくつあっても足りません!!」
「だから、無理ですって。おい、触るなよ?」

なんだか私が来たばかりの時もそんな話をしていたような。
すると誰かに手を引かれた。
見ると私の手を引っ張っていたのはコーザだった。

コーザは不満そうに頬を膨らませて言う。

「シスター様! 早く遊ぼうよぉ」

むう。しかし、神父様達の会話も気になる。
子供達と追いかけっこに興じながら、二人の会話に耳をそばだてた。

神父様にしては珍しく、応接室には引っ込まないで、二人は立ち話を始めた。

エマが言う。

「いい加減後進を育てては?」
「後進を育ててから辞めてくれませんか?」

神父様がそう返すとエマはうんざりしたように顔を顰めた。

「ベアトリーチェがいるじゃないですか。ちゃんと遠征に連れて行ってますか?」

遠征とは、神父様が出かけるあれのことだろうか。
一度も連れて行ってもらったことはないけど。
というか、私を連れて行って何かすることがあるのだろうか。

神父様は言う。

「あんな虫も殺せなさそうな子に何を求めろと。良い子ではあると思います。留守を任せてますよ」

失礼な、虫くらい殺せます。
進んでは殺しませんけども。

エマの顔が歪んだ。

「は? あ、わかった。神父様経歴書読んでないでしょ」

神父様は表情を変えずに答えた。

「読んでません」
「私がここを出て行く前に、神父様の机の上に置いておきましたよ」
「机の上? 書類が多すぎて何がなにやら。っていうか私の部屋入ったんですか?」
「片付けしないのは自由ですが見られて困るものはちゃんと仕舞いましょうね」
「え?え? 見たんですか? 何を見たんですか! ねえ!」

え。経歴書なんて作られてたんですか私。

嘘。私のプライバシー筒抜け?
いや隠すようなこともありませんが。

エマは呆れたように息を吐く。

「……ま、私には関係ないか」

そう言って教会の蝋印で封をされた封筒を神父様に手渡すと、エマはさっさと帰っていった。
なんだろう。なんの手紙だろう。

「ねえシスター様! 聞いてる!?」
「聞いてません!!」
「そんな元気よく言うこと!?」

瞠目するコーザが目の前に居た。
どうやら先ほどまで話かけられていたらしい。
頭を下げると彼は笑って許してくれた。
良い子だ。
そんな彼に、私は気になっていたことを聞いてみた。

「ちなみになんでシスター“様”なんですか?」

コーザは言った。

「エマがシスターを呼ぶ時はそう呼べって」

本来、修道女とは修行中の身。
決して敬称をつけられるような立場ではない。

コーザは普段の無垢な表情を収め、少しだけ遠い目をしていた。
私は彼に告げた。

「……私のことはベアトリーチェと呼んでくださいね」

薄々感じてましたが、シスター・エマは、その、結構お茶目な人なんですね……。

・・・

この教会に来てから、半年が経った。

日は落ち、燭台の明かりのみが礼拝堂を照らす。
私は神像の前に跪き、祈りを捧げていた。
これは、私が修道女になった時からの日課だ。
マザーに教えられ、形から始めた日課。
最初は何がいいのかわからなかったけれども。
自分自身と向き合えるこの時間は、好きだ。
ただ、一人になり、冷静になると、ある考えが頭をよぎる。

本当に、これで良かったのだろうか。

今の暮らしに不満はない。
ここの神父様は親切で、村人たちも穏やかだ。

だからこそ、自分はこれで良いのかと不安になる。

神。我らが主神、ルクレス。
太陽の化身。燃えさかる八枚の翼を持った神。

私の目の前に居るのは、ただの石の彫像だ。
それでも。

私は神に問いかける。
私は、これで良いのかと。
答えは、返ってこない。

すると、礼拝堂の扉がギイと鳴る。

私は祈りの姿勢を崩して、音の方に振り返った。
そこには予想通りの人。

「おかえりなさい」

私がそう言うと、神父様はいつものように疲れた顔で笑う。

「ただいま戻りました」

神父様はまっすぐこちらに来ると私のとなりに立った。

「こんな時間までお祈りなんて、随分熱心ですね」
「神父様こそ、遠征ご苦労様です。予定より早いですね」

私がそう言うと、神父様は、

「今回は後始末を友人がやってくれたので。……前まではシスター・エマがやってくれていたんですが」

そうして肩を落とした。
シスター・エマ。私の前任者。
先日の会話を思い出す。
神父様の遠征には、シスター・エマはついて行っていたのだろう。
しかし、私は、声をかけられたことはない。
また、シスター・エマは神父様の部屋に立ち入っていたようだった。
それも、私には許可されていない。

まだ、信頼が足りないのだろうか。
それとももっと別の何かが必要なのだろうか。それとも。


私が、隠し事をしているからだろうか。


神父様が私の顔をのぞき込む。

「どうしました。浮かない顔をしていますよ」
「あ、いえ」
「シスター・ベアトリーチェもすっかり村に馴染みましたからねえ。そんな顔をしていては村の皆さんが心配しますよ」

その言葉に、私は返事を返せない。
神父様は少しだけ居住まいを正した。

「……言いにくいなら告解室を開けますが?」

それはつまり、私に耳を傾けてくださった。
なればこそ。

「いいえ。ここで、構いません」

私は、今こそ神父様に、罪を告白すべきだ。
私は跪き、手を組み、頭を下げる。

「……私は、罪を犯して前の教会を追い出されました」

この地に初めて来た日を思い出し、紡ぐ。

「罪を償う覚悟を持ってこの地に来ました」

少しばかりの緊張と、確かな期待が胸にあったことを思い出す。
どのようにして、私の罪を払ってくれるのかと。

「神父様はご存じかわかりませんが、神都から遠く離れたこの地はシスター達の間では流刑地と呼ばれています。素行の悪いシスターを教育するための地と」

実際にはそんなことはなかった。

「しかし村人達は優しく、神父様も、その、噂とは似ても似つかないお人柄で」

村人達は気さくで、神父様も穏やかだ。
だからこそ。それが偽りでないと気付いた時には拍子抜けしたものだ。
でも、今だからこそ思うことがある。

「だからこそ、私は罪の意識に負けてしまいそうです」

きっと私より前の罪人達も、同じ思いをしたかもしれない。

なるほど確かに、罪の意識がある者にとって、ここはある意味過ごしにくい地だった。
楽しい、幸せ、そう感じる度に、脳裏をよぎるのだ。

私は本当に、ここにいて良いのかと。

口を噤む私の肩に、暖かな感触が触れた。
それは、神父様の掌だった。

神父様は、慈しむような、憐れむような目で、言った。

「罪を抱えたまま自分一人が幸せを感じて良いのか、という話ですね」
「!!」


神父様は、正しく、私の心を突き止めた。

神父様の手が離れる。
少しばかりの寂しさを覚えた。
思わず見やると、神父様は神像を背に、こちらを見下ろしていた。

神父様が、言う。

「さて、シスター・ベアトリーチェ。あなたはなぜ、こんな辺境の地に飛ばされたのですか」

私は答えた。

「それは、私が、司教のご指示に従わなかったから」
「指示とは」

私がザッハへ転属の指令を受けた前の晩を思い出す。

「司教は、気に入った修道女を閨に呼び出していました」

司教様の私室で、その天蓋付きの寝台で、身体を差しだそうとしたあの晩を思い出す。
神父様は言う。

「いいえ。いいえ。ルクレス教では姦淫そのものは否定していません。聖典を暗記しているあなたならばそれは知っているはずです。だから問題は、そこじゃあありませんね」

私は、その問いかけに首肯した。

「はい、ですので私もそういうもの・・・・・・だと思って呼び出しに応じました」

そこまで言って、私は目を瞑った。

「呼び出された修道女は、姿を現さなくなる、行方がわからなくなるのです。司教に私は尋ねました。すると彼女たちは、神の元へ行ったと」

何でもないことのようにそう言った、あの男の顔を思い出す。
だから私は、

「私は、司教様を殴り、その場を逃げました。翌日司教様は何事もなかったかのように、私に接しました。しかし私は、その日のうちに、この地へ赴任することが決まりました」

歯を食いしばりつつ、そう伝えた。

「では貴女の罪とは、その司教を殴ったことですか」

頭上に、神父様の言葉が降りかかる。
私は答えた。

「いいえ」

違う。そうじゃない。

「いいえ。違います。神父様」

私は今一度目を開き、神父様を見上げ、

「あの時に、あの晩に、あの男を殺さなかったことこそが、私の罪です」

そう、告白した。

神父様は、表情をまったく変えずに、言う。

「殺したいほど憎んでいたと?」
「いいえ。あの男を殺さない限り、罪なき修道女達の命が奪われ続けるということです」

私の言葉に、ここで初めて神父様は表情を崩した。

「……命を奪うとは?」

怪訝さを表すように眉を顰める神父様に、私は真っ直ぐと告げる。

「私は見たのです」

私を抱かんとするあの男の悍ましい姿を今一度思い返す。

「司教が悪魔に取り憑かれている様を。私を抱こうとしたその腹に、悪魔の刻印が成されていることを」

その腹に刻まれた、毒のように禍々しい魔の刻印を思い出す。
神の元に行ったというのは嘘だろう。
いや、あの男にとっては、もはや悪魔こそが神だったのだろうか。
いずれにせよ、行方不明となった修道女達は悪魔の生け贄にされたのだろうと思い至った。

しかし、けれどもだ。

「しかしルクレス教では、聖典では、自分より位階の高い者に背くこと、暴力を振るうことは禁じられています。つまり、私の行動は正しくないことであると」

それにもしかしたら、私の勘違いだったのかもしれない。
何でもないと思っていながら、本当はあの男に抱かれるのが嫌で、幻覚を見たのかもしれない。
行方不明の修道女たちも本当は別の理由でいなくなったのかもしれない。
今となってはわからない。

ただ、事実として、私は聖典に背いた。
神に、背を向けた。

それは疑いようのない事実だ。
それなのに。

「それなのに、私は罰もなくここにいます」

気付けば、私は涙を流していた。

「神父様、教えてください」

私があの晩に重ねた罪は、誰にも裁かれず。
私なんかより、よほど信仰の篤い先輩方が報われず。私のような女が安穏と暮らしている。

“神はなぜ、それを許すのですか”。

「私はあの時、どうするのが正解だったのでしょう。どうすれば、良かったのでしょう」

唇を噛みしめても、あふれ出した涙は止まらなかった。

「何度問いかけても、神は、答えてくれません。神父様、神は、神は、」

そうして私は、



「神は、居ないのですか……?」



取り返しの付かない言葉を、口にしてしまった。

私は、そのまま堪えきれずに嗚咽した。
神父様は、しばらく何も言わずに、ただそこに居た。

そんな中。
ぎちり、と。

「ふざけるな」

何かが軋むような音と共に、誰かの震える声がした。

「こんなことが、許されてたまるものか。あのババアは一体何をしてやがる」

怒りに震えるその声が。
それが神父様の声であると、気付くのに時間がかかった。

燭台の“火”が揺れた気がした。

「神父様……?」

私が声をかけると、神父様は私の両肩に手を置き、顔を寄せた。

「いいですかシスター・ベアトリーチェ。心して聞いてください」

いつものような気の抜けた穏やかな表情ではなく、力のこもった目で、真っ直ぐと私の目を見て、言った。

「ここに、神はいません。今この場には私とあなたの二人だけです。だから私が今から交わす言葉は、全て本心です」

そう前置きをして、神父様は続けた。

「このザッハで素行の悪い修道士を教育しているというのは半分正解です。正確には血の気の多い見込みのある・・・・・・修道士がいた場合、ここに配属してもらうように頼んでいます」

見込みとは、なんだろう。
そう思っていると、神父様が笑う。

「あなたが来た時は正直終わったと思いました。だってどう見ても争いには向いていない」

それは、いつもの神父様で、私はその表情を見て少しばかり安心した。
神父様は続ける。

「しかしそれは、ただの私の思い違いでした。あなたの胸に秘めていた思いは、正しく私が求めていた者」

そこまで言うと、神父様は私から手を放し、立ち上がる。

「必要なのは、教会への妄信ではなく。悪を裁くためならば教会に牙を剥くことさえ厭わないという覚悟」

そして神像に目を向ける。
ルクレス様の表情は変わらない。

「闇雲な忠誠心も愚直な信仰も本当は必要ないのです。重要なのは過ちを正そうとする心。なればこそ、私は貴女の背を押しましょう。ベアトリーチェ。貴女は間違っていない。そして、だからこそ、私も真摯に答えましょう」

そこまで言うと、神父様は跪いた。
まるで私と同じように、私に向かい合って、神に背を向けて・・・・・・・彼は言った。


「この世に、神は居ません」


私が最も言って欲しい言葉を、言ってくれた。


その言葉に、一気に頭の中がクリアになった。
胸の中で渦巻いていた感情が霧散するようだった。
私は、はしたなくも袖で涙を拭い、神父様に言う。

「ありがとうございます神父様。ようやく胸のつかえが取れました」

そうだ。
思い返せばそうでした。
マザーも決して、ルクレスが居るとは一言も言ってませんでした。


意外そうな顔をして神父様は言う。

「取り乱さないのですね」
「なぜ取り乱すと? まさか、そんなことはありません。神は居ます、等というおためごかしを私が求めていたとでも?」

むしろ私の言って欲しい言葉を言ってもらえてすっきりしたところだ。
やっぱり、神父様はすごい人だ。
私が何でもないように言うと、神父様はいつものように笑う。

「近いうちに、遠征についてきてもらいましょうか」
「え? 良いんですか?」

私の言葉に神父様は立ち上がる。

「ええ。私の仕事がなんなのか、見てもらって、手伝ってもらいます」
「やったあ」

神父様は不思議そうに首を傾げた。

「そんなに嬉しいですか? エマはいつも嫌そうな顔をしていましたよ」

私も嫌です、なんて付け足した神父様に、私は答える。

「なんだか神父様に認めてもらったような気がして」

また一つ、心のしこりがとれた気がする。
でも、そうだ。

「ただ、明日はお休みをいただいてもいいですか?」

私の言葉に、神父様は、

「もちろん構いませんよ」

二つ返事で頷いてくれた。
私は、神父様に頭を下げた。
そして告げる。

「では明日は不在にしますね。用事が済んだら戻りますので」

一番の心残りを解消しに行かなければ。

・・†・・

――翌日・午前十一時。フォルケンブルグ。

半年ぶりの列車は、やっぱりおしりが痛かった。
けれど私は、フォルケンブルグに戻ってきた。
その中央に位置する教会の敷地に、私は足を踏み入れる。
今は懐かしき、かつては歩き慣れた道を歩く。

「神とは、導く者。迷える子羊たちを正しき道へと導き、支える者」

聖典を諳んじる。

「神とは、謙虚な者。決して驕らず我々の規範となる者」

この参道の先に礼拝堂がある。

「我らが神は、全知全能ではなく、神の奇跡には限りあり。しかして、常に我らの側にあり」

司教の私室は、礼拝堂の先の廊下の突き当たり。

「聖典とは、ルクレスの教えに他ならない。そして、聖典に背くということは、ルクレスに背くということ」

申し訳ございません、神父ウェルギリウス様。

「ウェルギリウス様、あなたのお陰で蒙が啓かれました」

私、あなたの命を破り、あなたの部屋に入ってしまいました。
だって、一週間も居ないんじゃ、さすがに部屋が埃だらけになってしまいます。

「あなたは、神は居ないとおっしゃいましたが」

部屋は、なんてことはない、男の人の部屋だった。
少しばかり書類を整頓して、掃き掃除をして拭き掃除をして、床に落ちていた本は、机の上に並べておきました。

「神は、この世に居たのですね」

それと。

「神の導きのままに」

私にも使えそうな武器・・があったので、少々お借りします。

「神の敵は、排除しなければ」

私は、礼拝堂の扉を開けた。

「シスター・ベアトリーチェ? ザッハ村に行っていたのでは?」

礼拝堂は、修道士達で溢れかえっていました。
どうやら祈りの時間だったようです。
声をかけてきた顔なじみのシスター・ロゼの言葉を無視し、私は礼拝堂に居る全ての修道士達に向けて告げた。

「二度は言いません。良く聞いてください」

何事かと息を飲む彼女たちに、私は簡潔に宣言する。

「私は今からグレゴリー司教を殺します。これより先、司教の部屋にたどり着くまでに私の前に立った場合、命の保証はしません。逆らう者は敵と見なします。命が惜しくば道をあけてください」

その言葉に、修道士達がにわかに騒ぎ出す。

「な、にを……?」
「二度は言いませんと言いました」

困惑している様子の修道士達を尻目に、私は懐から、神父様から拝借したナックルダスターを両手にはめる。
太陽十字がデザインされたそれを握り込む。
うん。やっぱり手に馴染む。

そんな時、シスター・ロゼが鬼の形相で私に向かってきた。

「何を考えているのですか!! シスター・ベアトリーチェ!!」

私を糾弾するロゼに答える。

「聖典には、こうあります。“暴力は非である。しかし、正しきことに使う場合に限って、それは是となる”」

どうしてこの一文を忘れていたのだろう。
マザー・グロリアに暴力を禁じられたからだろうか。

「神敵必殺」

私は、目の前までやってきたロゼの頬を思い切り殴りつけた。
ロゼは吹き飛び、椅子をなぎ倒した。
修道女の悲鳴が上がる。
その最中、

「べ、べあああああとりいちぇええええええ!!」

正しく亡者のような叫びと共に、ロゼが。
いや、ロゼのような何かが立ち上がった。
その顔はボロボロと崩れ、修道服を引き裂いて粗末な羽と角が生える。

「シスター・ロゼ。悪魔憑きでしたか」
「きゃ、きゃああああああああ!?」

今一度、修道女の悲鳴が上がる。

それを皮切りに、修道士達は我先にと礼拝堂から逃げていく。
人の流れを無視し、私はロゼの皮を被っていた悪魔を見据える。
そして理解する。

「つまり、司教も悪魔、ないしはその手先」

私は、歓喜した。

「やはり、神父様の言うとおり、私は正しかった。つまり神父様は正しかった」

気付けば人の流れはなくなり、残ったのは、明確な敵意を含んだ目付きで私を睨めつける修道女達。

「残ったのは、半数ほどですか」

その光景に、私は思わず嘆息した。

「なんだ、こんなに居たんですね、敬虔ではない者達が。なら、そこまで気にすることでもなかったかな?」

これだけ居たなら、私が気にするほどでもなかったのかもしれない。
この教会は、とっくに悪魔の手に落ちていたのだ。
それでも、悪魔は滅すべし。
ああ、両腕が熱い・・・・・

私の言葉を皮切りに、数十体の悪魔が私に殺到した。

・・・

――同日。午前八時。ザッハ教会。
――シスター・ベアトリーチェがフォルケンブルグ教会を目指し出発し一時間後。

シスター・ベアトリーチェがうちに来て、半年ほどになったか。
初対面の頃は、なぜこんな子がうちの教会に?と思ったが、なかなかどうして良い子だった。
勤勉に働き、村人達にも愛想良く、子供達にもたちまち人気になった。それから見た目に反して力もあるようだった。
なんなら彼女目当てで今まで礼拝に来てなかったおっさん達も礼拝に顔を出すほどだ。
シスター・エマの代わりにこそならないもののこの教会を任せるには言い人財だと思った。
マザー・グロリアババアグッジョブだ。

でも勝手に部屋には入んないで欲しい。恥ずかしいから。
昨日部屋に戻ったらどう見ても入られてた。

そして考える。
しかしながらエマが抜けた穴は大きい。
彼女は聖痕こそ持たないものの聖器の扱いに長け、知識もあり、機転も利いた。
討伐は元より、その下準備から後始末まで全て任せることが出来た。
そして何より体つきがえっちだった。
叶うものならずっと俺のサポートをして居て欲しかったがどうやら少々色々任せすぎたらしい。
彼女は出て行ってしまった。
その皺寄せが来ている今だからこそ彼女の有能さが身にしみて理解できる。

されど昨夜の一件で、ベアトリーチェへの印象はがらりと変わった。

戦闘はともかく、サポートは任せても良さそうだ。
取りあえず危険度の低い遠征から同行させてみよう。

それから、彼女の話を思い出す。
フォルケンブルグ教会の司教といえばグレゴリーだ。
布教活動に従事し、フォルク地区での信徒拡大に多大な貢献をした。
だからこそ教区の管理者である司教に任ぜられたのだ。
そんな男が、悪魔に取り憑かれたと。
過去に数回会話をしたが決して信仰は低くなかった。

だが確かに、ただの敬虔な信徒であるとも感じなかった。
司教は信徒の中では事実上の最高位階だ。
それ以上を望むには“使徒”となる他ないが、それを知るものは少ない。
大方欲に目が眩んでつけ込まれたのだろう。
権力は、悪魔が良くつけ込む欲だ。
ともあれ証拠がなければ動けない。

未だに指令が来ないということは、ベアトリーチェの証言だけで十分な証拠とは判断されなかったということだ。

そんなことを考えていると、見慣れたシスターが丘を登ってきた。

「どうも神父様」
「エマ」

数日ぶりに見た元相方は、見慣れた忌々しい封筒を手にしていた。
俺は言った。

「また指令ですか。今はそんなことより優先すべき問題が」

そこまで俺が言うとエマがかぶりを振る。

「いいえ。いいえ。おそらくその件ですよ」

その言葉に、ピンときた。
俺は尋ねた。

「標的は」

エマは答えた。

「フォルケンブルグのグレゴリー神父です。大司教が、黒と判決しました」

予想通りのその答えに、しかし俺は意外に思う。

「おや、丁度証拠をどう用意すべきか悩んでいたところだったんですが」

俺がそうカマをかけるとエマは、口元だけ笑って言った。

「証拠は私です」

思わず顔を顰めた。

「……潜入したんですか」

少しばかりの非難が混じる。
それは決してエマに向けたものではなく、彼女にその任を与えた者に対する苛立ち。

「マザー・グロリアはいつも無茶を言います」

すました顔で言うエマにやはりと思った。
エマは続ける。

「苦労しましたよ本当に。でも奴の家には巧妙に偽装されていた魔の祭壇が。そしてサバトの招待状が。確かにこの目で見ましたとも」

俺はエマに言う。

「本当に、戻ってきてくださいよ」

絶対、あのババアより待遇は良いはずだ。
エマは目を細める。
そして言った。

「やです」

なんでだ。

そうしてエマは言う。

「ところで、ベアトリーチェは、“下見”にでも向かわせたんですか?」

下見ってなんだ。

「なんの話です?」

なんか話かわからない俺が正直にそう言うと、エマは意外そうな顔をして言った。

「え? 駅で偶然会いましたが彼女、フォルケンブルグに向かうと言ってましたよ」

休みを取るとは言ってたが、里帰りでもしたかったのだろうか。

「まさか」

なんて、さすがに俺の頭はそこまで脳天気ではない。
今一度自身の部屋の様子を思い出す。
いつもの場所になかったナックル。
俺には必要ないもので、元々はエマに持たせていたあれは、紛れもない武器だ。
武器を持って仇敵の元へ行く者の目的なんて、一つしか思い付かなかった。

・・・

――午前九時十三分。カラビナ鉄道・セントラル方面行き列車内。
――ベアトリーチェの出発から二時間経過。

ボックス席で、俺はエマと向かい合って座る。
相変わらず尻の痛くなる座席だ。乗客に長旅を強いるんだからもっと高級なクッションを使え。
そんなことを考えながら、俺はエマの話を聞いていた。

「ベアトリーチェはスラムで生まれ、孤児院に引き取られ育てられたそうです。その孤児院でも素行不良、すぐに手が出る、大人であろうと躊躇なく殴り倒す子供だったそうですよ」

ベアトリーチェの経歴についてだ。
俺は尋ねた。

「生まれもフォルケンブルグなんですか?」

エマは嫌そうに顔を歪めた。

「大事なのはそこじゃありません」

その表情に俺は肩を竦める。そして、改めて尋ねる。

「ただの子供が大人に勝てるわけないでしょ。ってことはまさか」

俺の疑問に、エマは頷き答えた。

「あったんですよ、聖痕が。だからこそ女の子がスラムで生き延び、だからこそ修道院が引き取ったのです」

聖痕。
神の力を宿すということになっている・・・・・・・・・・・紋様。
それを刻まれている者は、人ならざる膂力を持ち、神の権能を操れる。
使い方には少々コツがいるし、紋様にもよるが、刻まれているだけでも身体能力は常人の数倍だ。
聖典に描かれた使徒は、いずれも聖痕の持ち主である。

そんな神童。都合良く見つかるはずもない。
俺はわかりきったオチをエマに尋ねた。

「後見は?」

エマは言った。

「マザー・グロリア」

ほら来た。
辟易する俺を無視して、エマは続ける。

「ベアトリーチェの生まれはバルバットだそうです。たまたま遠征中のマザー・グロリアが見つけて、聖都の孤児院に連れ帰ったそうですよ」

俺は思わず舌打ちをした。

「あのババア……。わかってて俺の方に送ったのか」

つまり、シスター・ベアトリーチェは遅かれ早かれザッハに配属されることが決まっていたわけだ。

・・・

――午前十一時三十八分。フォルケンブルグ教会・礼拝堂。

ベアトリーチェが最後の悪魔を殴り、その頭部を吹き飛ばした。
それから自身に対して向かってくる悪魔が居ないことに気付き、汗を拭った。
その頬に煤の汚れが付く。
ウィンブルは裂け、金髪が覗いており、修道服は破れ、ベアトリーチェの腹部と右脚を晒していた。そしてその両腕には既に布と呼べるものは纏われておらず、彼女の両腕の上腕で青く輝く聖痕は外気に晒されていた。

倒された悪魔、その数二十八。
しかしそのいずれも、聖痕によって強化されたベアトリーチェの肉体には、一つの傷もつけられなかった。

そこで、ギィ、と。
礼拝堂の最奥に位置する扉が開く。
その扉を使う存在は、一人だけ。

「なんですか騒がしい」

司教の証である白い祭服に身を包んだ男が礼拝堂に足を踏み入れた。
男は机が砕かれ、神像がバラバラになった礼拝堂の中央で佇むベアトリーチェに気付くとにこりと微笑んだ。

「おや、おかえりなさい。シスター・ベアトリーチェ」

応じるように、ベアトリーチェが笑う。

「お久しぶりですグレゴリー司教。まだ生きておられたのですか」

グレゴリーと呼ばれたその男は、ベアトリーチェをじっとりとした目で見つめ、

「随分扇情的な格好だ。“聖痕”が丸見えじゃないか。あの晩のように誘ってくれているのかい? それとも、」

歯を剥き出しに、にたりと笑って言う。

「考え直して私の供物になりに来てくれたのかい?」

ベアトリーチェはそれに応えるように笑って言った。

「ぶっ殺す」

・・・

――午前十一時五十四分。フォルケンブルグ教会敷地内。

離れていても聞こえる轟音。
それは何かが壊れる音で。
何かが、何かを壊す音だ。

エマは言う。

「虫も殺せなさそうな子なんでしたっけ?」

俺は答えた。

「どうやら私の思い違いだったようです」

しかしまあ。

「随分派手にやってますねえ」

礼拝堂の外には、化け物の暴走に巻き込まれた哀れな修道士が何人か居た。
ある者は腰が抜けたのかひたすら泣きながら見えない何かに命乞いをし、またあるものは震えながら一心不乱に天に祈りを捧げていた。

まあ普通に暮らしていたら悪夢以外の何物でもないよなあ。

「シスター・エマ。認識阻害の結界を」

俺がそう言うとエマは、

「はいはい。私が張っておきますから神父様はさっさと奥へ」

言いつつ馴染みの旅行鞄から数枚の符を取り出した。

その手際の良さに俺は思わず言う。

「やっぱり戻ってきてくださいよお」

エマはにっこりと笑って言った。

「いやです。絶対に」

そうして当てつけのように付け足した。



「焼死体にはなりたくありませんので」



・・・†・・・

――正午。フォルケンブルグ教会礼拝堂。

神父ウェルギリウスは、ついに礼拝堂にたどり着いた。
既に木っ端微塵となり扉がなくなった礼拝堂に、ウェルギリウスはそのまま足を踏み入れる。

礼拝堂は、まるで室内で竜巻が起きたが如く荒れ果て、その床には数十体の悪魔が倒れていた。

そしてその中心では、頭部をはじめ身体の至る所から血を流し、跪くベアトリーチェと、

「まさかここまで粘るとは。やはりあの晩に頂いておくべきでしたか」

一切の汚れのない、白い祭服を纏ったグレゴリーがにらみ合っていた。

「そこまでだグレゴリー」

ウェルギリウスが声を上げる。


「……え?」
「ウェルギリウス。……そうか、とうとう嗅ぎつけられたか」

そこで初めて、ベアトリーチェとグレゴリーは、侵入者を認識した。

ウェルギリウスは、傷だらけのベアトリーチェと周囲に転がる悪魔の亡骸に目を向け呟く。

「ベアトリーチェ、まさかここまでやれるとは」

対して、信じられない者を見たという表情で、ベアトリーチェは口を開いた。
その両腕の聖痕の光は既に弱々しい。

「……ウェルギリウス様?」
「はい、ウェルギリウスです」

返事をするウェルギリウスに、ベアトリーチェは言う。

「見てください。悪魔です」

まるで親に自慢する子供のように、ベアトリーチェは言葉を紡ぐ。

「私は、間違っていなかった」
「ええ」

そして、ベアトリーチェはその消え入りそうな聖痕の光と同じように弱々しく笑う。

「つまり、あなたは正しかった」

ウェルギリウスは、

「……ええ、そうですね」

応じるように、静かに微笑んだ。


それからウェルギリウスはグレゴリーに目を向ける。

「貴方が悪魔と繋がっているというたれ込みがありました」

グレゴリーは肩を竦める。

「そうか。それは根も葉もない噂だ」

その言葉に、ウェルギリウスは頬を引きつらせた。
そして言う。

「やめねえかそういうの。俺たち“使徒”は証拠がない限り動かない。それに、さすがに状況証拠が揃いすぎている」

グレゴリーは、言葉を返さない。
それから諦めたように目を閉じ、息を吐いた。

「つくづく、あの晩ベアトリーチェを逃すべきではなかったかな」

言いながら、グレゴリーは自身の白い祭服に手をかける。

「まあ、いずれ君とは戦うことになると知っていた。早いか遅いかの違いだ。つけた力は十分とは言えないが、同じ聖痕持ちのベアトリーチェでこの程度だったんだ。案外なんとかなるかもしれん」

言い切る頃には、グレゴリーは上半身が裸になった。
その腹部では、交点が渦巻き状になった十字の紋様が黒く輝いていた。

対してウェルギリウスは、グレゴリーの言葉に眉を上げる。

「おや、それは甘く見られたものですね」

そして襟に手をかけ、一息に祭服をはだけた。

「“戦い”にはなりませんよグレゴリー」

ウェルギリウスの背の聖痕が、まるで血が通うように縁から赤熱していく。

グレゴリーが手を組み、跪く。

「悪魔の王よ。我に力を」

正しく神に祈りを捧げる姿勢。
すると、腹部の魔紋がまるで生き物のように蠢く。
うねる紋様は成長するようにグレゴリーの全身へと広がっていき、それに応じるように、グレゴリーの身体は二倍近く大きく、背には翼が生え、頭部には角が生え、その歯が乱杭歯に変わっていく。

「そ、んな……」

ぽつりとベアトリーチェが声を漏らした。
絶望に顔を歪めるベアトリーチェに、ウェルギリウスは笑った。

「神の御名において、使徒である我が、神に代って裁きを」

そして、聖句を述べる。

「熾天:廻炎」

直後、ウェルギリウスの聖痕が一気に輝きを増し、その聖痕を象るように、その背に、焔の輪が現れる。

「……は」

声を漏らしたのは、グレゴリーだった。

焔の勢いは止まらない。
回転を続けながら次第に大きくなり、そして、大きな音とともに、八本の炎柱が放射上にのびた。

そしてウェルギリウスの身体が宙に浮いた。

その圧倒的な熱量に、グレゴリーはただただ固唾を飲んだ。

そしてもう一人。

「やはり、やはり」

一人のシスターは、歓喜に震え涙を流した。

「やはり、あなたが、神だったのですね」

グレゴリーの肌が少しずつ焼かれていく。
そんな中、グレゴリーは笑った。

「……………………くっくっく何が使徒だ。何が神だ」

宙に浮かぶウェルギリウスを見上げながら嘲るように笑った。

「まるで貴様の方こそ魔王ではないか」

ウェルギリウスは答えた。

「さあ、お祈りの時間だグレゴリー」


その手が振るわれる。
直後。


グレゴリーに向けて、超高温の熱線が、礼拝堂の天井を突き破り、天から降り注いだ。

「ぐ、お、おおおおおおおおおおおおおお!!」

グレゴリーは絶叫した。
悪魔の力によって強化されたその身体は、しかし少しずつ焼かれ、崩れていく。

グレゴリーは叫ぶ。

「なぜ!!なぜだ!!なぜそれほどの力を持っていながら!!」

ウェルギリウスは答えない。
ただその悪魔が焼かれる様を見下ろしていた。

やがて熱線が止み、グレゴリーは地に崩れ落ちた。
その身体は、未だ人の形を保っていた。

ウェルギリウスは告げる。

「最期に、申し開きを聞こうか。事と次第によっては天上で課される罰も変わるだろう」

グレゴリーは目を閉じた。

「失いたくなかったのだ。権力を」

ウェルギリウスは答える。

「敬虔な信徒のままでいれば、失わなかっただろう」

するとグレゴリーは自嘲するよう鼻を鳴らす。

「君たちのように環境に恵まれた、……自分の力を持っている者には、追い立てられる弱い者の気持ちはわからないさ」

ウェルギリウスは、

「そうか」

そう、短く相槌を打ち。

「せめて、魂だけは迷わぬように」

目を閉じ、そう呟いた。
グレゴリーは、もはやピクリとも動かなかった。
やがてその身体は、白い灰へ変わり、吹いた風によって飛ばされた。

ウェルギリウスはその行く末を見届け、

「閉天」

そう呟くと、ウェルギリウスの背の光輪は消えた。

ベアトリーチェは、眠るように気絶していた。

・・・

――同日。午後四時。聖都・ルクレティア大聖堂。会議室。

八角形のその会議室には、円卓がひとつとそれに応じて椅子が並んでいる。
その内の席が埋まっているのは二つ。
一人はウェルギリウス。
そしてもう一人は、ウェルギリウスより少しばかり年上のように見える妙齢の女性。
修道服を纏った女性は目を閉じながら言う。

「シスター・ベアトリーチェは無罪放免となりました。彼女は司教に逆らったのではなく、悪魔に唆された司教を止めようとした英雄として処理します。そしてフォルケンブルグはグレゴリーの凶行により人員も不足しています。そのため、シスター・ベアトリーチェは、フォルケンブルグに戻すことにしました」

淡々と告げるその女性に、ウェルギリウスは言う。

「マザー・グロリア」

グロリアと呼ばれた女性は、目を閉じたまま応じる。

「なんですか」

ウェルギリウスは気にしたそぶりもなく、グロリアに言った。

「今回の件、気付くのが遅すぎる。あなたがもっと早く気付いていれば被害は、もっと少なく出来たはずだった」

その言葉に、グロリアは口を尖らせた。

「無茶を言わないでウェルギリウス。私は全智全能じゃない。グレゴリーは品行方正とは言わないが、信仰篤く、寄進も多く、これまで問題という問題を抱えていなかった。異変に気付けたのもたまたまベアトリーチェがいたからです」

ウェルギリウスは納得行かないという様子で、目を細めた。

「……そのベアトリーチェに、聖痕の使い方を教えなかったのはなぜですか」

グロリアは答える。

「彼女に常識を教え込むことを最優先としました。というか」

そして心なしかうんざりとした雰囲気で続ける。

「暴れるしか能のないあの脳みそ空っぽ娘に自分の意思で振るえる力なんか与えたら死ぬと思ったからです」

その様子に、なんだか居たたまれなくなったウェルギリウスは、口を閉ざした。

「それに、私の聖痕は人に戦い方を教えるのには向いてないんですよ」

そう言ってグロリアは目を開いて笑う。

その瞳は、太陽十字を象っていた。

それからグロリアは肩の力を抜く。

「まあ、彼女も力の正しい向け方を自覚したわけですし結果オーライではありませんか」

そこで数回のノック。
それから返事を待たずに一人の修道女が会議室に足を踏み入れた。

「失礼します」

ウェルギリウスがその姿を見て声を上げる。

「シスター・エマ」

するとグロリアは言う。

「いいえ。もうシスターではありません」

その言葉にウェルギリウスは首を傾げる。

「辞めたんですか」
「いいえ。いいえ」

グロリアはにっこりと笑って言った。

「これからは“マザー・エマ”と」

ウェルギリウスは目を見開いた。

「おや。出世ですね。おめでとうございます」
「……」

エマは、微笑んだまま何も答えない。
グロリアは言う。

「フォルケンブルグはグレゴリーの凶行により人員も不足しています。その立て直しのために彼女には、フォルケンブルグで司祭の任についてもらいます」

ウェルギリウスは改めてエマの顔を見た。
その顔は真っ青だった。
ウェルギリウスはグロリアに言った。

「あの、エマちゃんゲロ吐きそうな顔してるんですけど、いいんすか」
「断ったのに」

そう言うエマにグロリアはにっこり笑いかけた。

「拒否権はありません」

ウェルギリウスは伸びをしながら言う。

「人手不足ですか」

グロリアが応じる。

「後進が育たないのですよ」
「育てる気あるんですか?」

少しばかり当てつけのように言ったグロリアは心外とでも言うようにウェルギリウスに答えた。

「貴方が育てるんですよ?」

そうしてグロリアは続ける。

「エマを一人前の“使徒”に育て上げたように、次の子もよろしくお願いしますね」
「……」

悪あがきとして返事をしないウェルギリウスにグロリアが告げる。

「拒否権はありません。これは大司教の意思でもあります」
「その大司教の意思って言葉は免罪符じゃねーぞ」

それからウェルギリウスはわざとらしく音を立てて立ち上がる。

「帰ります」

背を向けるウェルギリウスに、

「お待ちなさい」

グロリアの言葉にウェルギリウスが振り返ると、エマが封筒を手にしていた。

グロリアは笑う。

「貴方には、このまま次の任務に赴いてもらいます」
「え? ……は? ちょっと待ていくら何でもおかしいだろ!? 今回の件も俺が片付けたんだぞ!? なのにそのまま連続って……!?」

往生際の悪いウェルギリウスに対し、グロリアはわざとらしくため息を吐いた。
そして言う。

「今回の賠償額の話をしましょうか? 随分派手にやってくれたので フォルケンブルグ教会ではしばらく青空の下で祈りを捧げることになりそうですが。これで借金の総額は大台に乗りますね」
「行ってきます!!」

ウェルギリウスはひったくるようにエマから封筒を受け取ると振り返らずに会議室をあとにするのだった。

・・・

――二日後。ザッハ教会。

今回もくそだるかった。
正直戦闘そのものよりも移動と後片付けがだる過ぎる。
しかし、ああ、しばらくは一人か。
掃除めんどくさいんだよなあ。
そんなことを考え、俯きながら歩いていると。

「おかえりなさい神父様!」

ここ半年で聞き慣れた、元気な声が聞こえた。
顔を上げると予想通りの修道女がそこに居た。

「シスター・ベアトリーチェ?」

驚き声を上げると、ベアトリーチェは嬉しそうににっこりと笑った。
俺は尋ねる。

「フォルケンブルグに配属されたのではないですか?」
「はい。ですが、断りました」

そうしてベアトリーチェは続ける。

「自分の意思で、ここへの配属を望んだのです」

俺は答えた。

「そうですか」

そうやって何でもないように微笑んでみせる。
内心、超スーパーめちゃくちゃウルトラ助かる。マジで。
あれ? この子もしかして天使なのか?
エマの話的に聖痕も生まれつきっぽかったし。
実は天使だったのか?

ベアトリーチェは言う。

「お風呂、もう出来てますからね」

俺は思った。
天使だったか。

「天使だったか」

口にも出た。

不思議そうな顔をするベアトリーチェを適当に誤魔化す。
そういえば。

「ところでシスター」

俺は前から気になっていたことを聞いてみた。

「私の部屋には入りましたか」

いや、うん。念のためね。
もしかしたらエマだったかもしれないし。
エマなら今更見栄張る部分ないからセーフ。

ベアトリーチェは、悪びれずに答えた。

「ええ。さすがに掃除はした方が良いと思い」
「……。おかしな物はありましたか?」
「特には」

そこでベアトリーチェが、「あ」と声を上げる。

「ですが、床に本を置くのはいかがな物かと思います」
「ああ……」

俺は膝から崩れ落ちそうになるのを必死に耐えた。
そしてベアトリーチェに言う。

「その、今度から、自分の部屋は自分で掃除しますので」

いやマジで。ほんと勘弁してくれ。
しかしベアトリーチェは俺の気持ちを知らずにきょとんとする。

「? 私は神父様がどういった性癖の持ち主でも。構いませんよ」
「言わなくて良いんですよそういうことは」
「例え神父様がシスターのコスプレもので性欲を満たしていたとしても、私は受け入れますとも」
「言わなくて良いんですよそういうことは!!」
「あと棚のエッチな本も順番に並べておきました」
「デリカシーないんですか!?」

そんなやりとりをしていると、

「お? なんだなんだ? 神父様帰ってきたのか?」
「あ! ウェル! 今日も聖典読んでー!」

なんて声ともに、わらわらと村人達が集まってくる。
あんたたちホント暇だねえ。
まあ、でも喜んでくれてるなら良いか。

「はいはいわかりましたから、礼拝堂はいつでも開いてますからね。今日も神様のかっこいい話を聞かせてあげましょう」

俺がそう言うと、何が面白いのかベアトリーチェが声を上げて笑った。

熾天のウェルギリウス 了
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