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こいに惑う

こいに惑う ③

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「エリス様、お顔の色が……」

 不安げな眼差しがエリスを見つめる。

「大丈夫です……きっと月明かりの影響です。どうか、続けて下さい……」

 エリスは無理に笑うと、カミラに気付かれぬようゆっくりと深呼吸した。

 彼女の恋人がノアと決まった訳では無い。金色の髪と青の瞳を持ち、魔法が使える者は決して少なくないだろうと不安な心を説き伏せた。

「良かった。ごめんなさいね。急に。私、彼の力になりたくて……なのでエリス様のピアスを見た時に、興奮してしまいましたの。使用感などお伝え出来たらきっと彼も喜ぶでしょうし、その……私はあまり彼の事を知らないので……」

 胸の奥底が重くなっていく。月光に照らされたカミラは美しく、彼を思うひたむきな姿は神々しささえ感じさせる。
 隣で疑いと嫉妬に悶々とするエリスとは雲泥の差。余計に自分が醜く見えた。

「よく知らない方なのに、」
 つと飛び出てしまった言葉に、エリスはハッと口を抑える。
「すみません。なんでもないです。ごめんなさい……」

 出過ぎた真似どころか、完全な八つ当たりだ。彼女の相手がたとえノアであっても、純粋に信じ慕う彼女を咎めるのは間違いである。
 ましてや、よく知らない相手を信頼し、愛す事など出来るのかなどという愚問。そんなもの、人それぞれとしか言いようがない。

 それにエリスとて、ノアの事をどれほど知っているだろうか。

 長年共に暮らしてきた信頼する義姉であっても、今日初めて知った姿があったというのに。

 必死に謝るエリスに、カミラはくすりと微笑む。

「いいのです。私も不思議です。でもお名前は存じ上げなくても、私だけが知ってる事は沢山あります。あの方が甘く愛して下さった夜と優しい言葉、秘密のやり取り。それが全てですわ」
「……すみません……」

 返答にならぬ謝罪を繰り返しながら、エリスは唇を噛み締める。誰に謝っているのか、気持ちがどこにあるのか、もうよくわからない。

 ノアの言葉と、深い青の瞳が記憶に蘇る。

 もう一度自分との事を考えてくれないか、一緒に生きていきたいと思っている。……それらの言葉に嘘はないと今でも信じている。

 しかし一方で、ノアの価値観や考え方が変化してないとは言いきれない。

 共に歩む伴侶とは別に、王族や貴族の中には複数の愛妾を囲うという話も耳に挟む。

 カミラのような絶世の美女ならば、囲って愛でたいと考えてもおかしくないのではないだろうか。
 現に同性のエリスでさえ愛らしく美しいカミラに見蕩れ、庇護欲をそそられたではないか。
 そんな考えばかりが浮かぶ。

(そんな、でも……)

「エリス様! 交霊会が始まるようですわ! 行きましょう!」
「え、ええ……」

 カミラに手を引かれるがままに、エリスは立ち上がる。

 途中でサラとフェリクスに出会い、四人は玄関ホールを横切った。

 酔った男の「魔術師に会わせてくれないか!」との声を後ろ背に聞き、サラに「気を引き締めるようね」と耳打ちされた後もずっと。エリスの意識はどこか晩餐会とは別の所にあった。


∞∞∞

 ギャラリー室は既視感のある薬草の香りで満たされていた。
 花のような濃密な香りと異国の甘い木の香り。微かに土と薬草の香りが混じる。

 薄暗い室内の灯りは、中央に置かれたテーブルと壁際に並ぶ蝋燭のみ。
 揺れる灯火が壁に飾られた不気味な絵画や仮面をぼんやりと浮かび上がらせ、おどろおどろしい雰囲気をかもし出している。

「どうやら交霊会の前に、黒魔術占いをして下さるようですわ。皆さんも折角だから占ってもらいましょう」
「あっ、カミラ様……」

 カミラは意気揚々と待ち人の集まる端へと突き進んでいく。残されたエリス、サラ、フェリクスも各々警戒をしながら、カミラの後へと従った。

「独特なお部屋……ですね」
 辺りを見回しエリスは呟く。

「ああ。僕の美意識とは随分異なる部屋だね」
 引きつった笑みでフェリクスも同意。一方、サラは顔色ひとつ変えていない。
「あら? 奇遇ね。私もよ。あの頭骨なんて、偽物じゃない?」

 指さす先には牙を剥きだした獣の頭。偽物かどうかは、エリスにはわからなかった。

「へえ。でも、この部屋の匂いはなかなか良いね」
「……良い、かしらね?」

 小声で微妙に噛み合わぬ会話を交わしながら、三人は件の一角へと行き着く。新たな香りがエリスの鼻腔をくすぐった。

「三人ずつ入っていくみたいだね」
「ちょうど良いじゃない」

 不自然に天井から降りる布は天蓋のつもりなのだろうか。奥の部屋へと繋がる入り口を覆い隠している。
 付近では香が焚かれ、一層少ない蝋燭の明かりを煙らせていた。すぐ側の中庭が見える大きな窓も分厚い布で覆われている。お陰で月明かりさえ差し込まぬ一体は薄暗さと不気味さを増していた。

「……庭は見えないときてる」
「ですね」

 天蓋や衝立代わりの布は、中での行いをより神秘的なものに魅せる為の演出だけではないのかもしれない。

(相手にとっては絶好のチャンス……)

 エリスは自身に強く言い聞かせた。

 未だに胸の奥では先程の話が燻る。

 彼女の相手がノアだとは考え難い。だが、美しい伯爵令嬢が王都から来た誠実で優しい青年と甘い恋をする事自体は、決して珍しい話ではない気がした。

 その上もし、見目麗しく将来も約束された青年がこの国の王子であったならば、きっとそれは代々語り継がれるような素晴らしい恋物語となるに違いない。

 王子は王子である事を諦めずに、誇りを胸に抱いたまま、令嬢と真実の愛を手に入れる。二人は民と共に末永く幸せに暮らせるのだ。

(……って、違うでしょう……私がいますべき事は、ノアかもしれないって疑ったり、もし万が一の時はどうしたら良いのかうじうじ考える事じゃない)

「楽しみね。エリス。いえ、楽しみましょう?」
 震える肩を軽く叩かれ、エリスは我に返る。見上げた先で義姉のサラが片目を瞑った。
「はい」

 使用人らしき人物が先を促す。重なる布をたくし上げ、三人は異界との境界を越える思いで小部屋への扉をくぐり抜けた。


 室内はあまり広くなく、ギャラリー室よりも更に灯りが乏しい。サラ、フェリクス、エリスの三人に入り口脇の男、奥にも数人の気配を感じる。

「まずはこれを」

 差し出された盆には三つの杯。黒魔術には大きな魔の力が加わる為、聖水で身を守らねばならない、との演出らしい。

(怪しい……けれど、ここまで怪しいと相手の正気を疑ってしまうわ……)

 エリス達を捉える一つの手段としても、こちらの動向が知られてないとしても、こんな怪しげな催しにする意図は何処にあるのだろう。

 訝しがりながらもエリスは杯を取り、サラやフェリクスに続いて中身を煽った。甘ったるい液体が喉を滑り落ちていく。きついアルコールの香りが鼻に抜け、思わず眉をしかめた。

(遅効性かしら? 薬の効果で更に効きが悪くなるはず……だから、ある程度サラ姉達の様子を見て演技して……)

 遅効性かとの予想は見事に外れた。勧められた椅子へと行き着く前に、強い眠気に襲われ始める。椅子にくずおれたサラを見習う暇もなく、全身から力が抜けていく。

「おい、三人で良いのか?」
「ああ。若い男と女二人。間違いないだろ」

 押し殺したような男達の声が聞きながら、エリスは朧気な意識の中でブローチへと手を伸ばした。
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