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恋か愛か、欲か願いか

恋か愛か、欲か願いか ④

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「他にも動機の面、当時の警備状況、情報入手、能力的な問題、あと事件の捜査が一向になされないという観点でも彼は疑わしい。ただ、母が他界した時間のアリバイが彼にはあるし、誰かに依頼したような痕跡も、決定的な証拠も今まで手に入れられてない」

「じゃあ今回はその男爵家に取り入って、そこから件の伯爵、最終的にはエーミール卿に近付いて……? それとももう目星が……?」

 あまりにも見込みの薄そうな案に、エリスは言いながら首を傾げる。前者は”上手くいけば”が多過ぎるし、後者はあまりにもエリスは不適任だろう。

 案の定、ノアは首を横に振る。彼は唇に苦笑を滲ませながら、困ったように眉を下げた。

「エリスに頼みたいのは”無事に誘拐され、戻って来る事”」

「誘拐……?」

「ああ。十中八九、誘拐か、もう少し穏便に軟禁辺りを目論んでくるかもしれない。オルコット家遠縁のか弱い令嬢姉妹を装って事件に巻き込まれ、合図の音が聞こえたらすぐに、サラ姉とベークマンさんとで抜け出してきて欲しい。騒ぎを起こして逃げ出すだけと言えば簡単そうに聞こえるけれど。決して安全な仕事ではないし、僕は一緒にいけない……命の保証も出来ない。だから今、話した事を忘れてくれるなら断って」

 揺れる青の瞳を見つめて、暫し逡巡。エリスは答える。

「……やるわ」
「でもエリスが最も狙われる可能せ……」
「でもも何も」

 往生際の悪い幼馴染みにエリスは人差し指を立て嘆息する。

「一つ。ノアはわざわざ私に頼んだ。すごく重要な話を。二つ。わざわざ私が断れるように退路を用意して、『命の保証はしかねる』なんて、私から断りたくなるような脅し文句まで付けた。三つ。私が知る中でサラ姉は二番目に強いし素早い。熊や何人もの盗賊をナイフ一本で倒しているのを見たことがあるわ。サラ姉なら魔法も使えるのに。それからベークマンさんはああ見えても、かなり有名な商人のお家の人よ。一緒に居る限りは相手も気を付けるはず。四つ目。私の知ってるノアが頼んだ。以上。やった方が良いと判断したから、精一杯やらせて貰います」

 きっぱりと。強引とも言える程の態度でエリスは言い切る。
 鳩が豆鉄砲を食ったようにノアは呆気にとられていたが、エリスがもう一度受諾の言葉を繰り返すと、眉をハの字に下げて破顔した。


「エリスには一生叶わない気がするよ」
「別に……強情なだけよ」

 照れくさくなって俯くエリスの頬に、ノアの手が触れる。

「頼もしいよ。優しくて、真っ直ぐでキラキラしてて。僕はいつも誇らしく思う」
「うっ……嬉しいけど、あんまり実態が伴ってないような……」
「ただ、騙されないかちょっと心配だ」
「そ、それは、ノアの方でしょう……!」

 つい反論を零してしまった唇にノアのそれが重なり、すぐに離れ。悪戯っぽく笑む姿に、エリスも参ったばかりに相好を崩した。

「これを……」

 手渡されたは幾つかの小瓶。ノアの表情が再び強ばる。

「睡眠薬や麻痺毒のようなものを盛られた時に備えて、何種類か薬を渡しておく。この青い丸薬だけは前もって飲むと良いと思う。薬の効きが弱くなり、遅くもなる。あとは適宜、症状に合わせて飲んで効いたふりを。どれも嚙み砕ける。物が壊れるような大きな音が合図。逃走経路はサラ姉に従って」

「わかったわ。もしはぐれた場合は?」

「彼女の能力から余程離れない限りは無いとは思うけれど、万が一離れてしまった場合は大人しく捕まってるふりをして。眠っているふりでも良い。時間稼ぎをして欲しい。その場合、合図は無視して。必ず助けに行く。あとエリスには簡単な魔法をかけてあるから」

「えっ?」
 さらりと告げられた言葉にエリスは瞳を瞬かせる。

「守護魔法みたいなものだよ。ある条件に叶う人間がエリスに触れると、少しだけ電気が走るんだ。そんなに珍しいものじゃない」
「そうなんだ……。あとは自分の身は自分で……武器とか、サラ姉にも何か習っておくべきかしら?」

 身構えるエリスにノアは苦笑し、否定の意を示す。

「武器は警戒される。その魔法はさっき伝えた効果と、二回の電撃攻撃だけ。でも有名な魔法にそっくりだから、敵に魔術師がいるなら尚更、その魔法だけでも効果はあるはず。もし誘拐され一人になってしまった時に、相手が何も理解せずに触れようとしていたらエリスが言ってあげて。『守護魔法アマデウスが怖くないのか。命が惜しければ五日間は触れずに、丁重に扱った方が良い』と」

「了解。その時が来たら大袈裟に話すわ」

「その時が来ないように、他にも手は打つよ」

 一体いつの間に危なっかしい魔法をかけられたのかはわからないが、今そこを聞くのも野暮な気がした。

「あと、これを」
 ふとノアの手が頬を掠め、エリスの左耳へと触れる。

 瞬間、青い光が両の耳元で弾け、小さな蝶にも似た灯りが宙を舞う。囁くような小ささで、ノアの唇が何かの言葉を紡いだ。

「っ……⁉」
「……僕の代わりに」

 神聖な儀式の終わりを告げるかの如く、穏やかなノアの声がその場に響く。幻想的な灯は消え去り、部屋の灯りはまた小さな電灯とランプのみへと戻っていた。

「え……と? あれ、これイヤリン……ピアス?」

 気になり触れた耳には、左右共に硬質な感触と久しく感じていなかった重みを感じる。耳朶の裏側には留め具も。

(これ、成人の時に贈り合った……)

 小ささとシンプルなデザイン、特殊な留め具。成人の儀の祝いに彼の幸せを祈り贈った、彼もまたエリスを想って贈ってくれた物と同じデザインだ。

「本当は全然足りないのだけれど……」

 悲しげに微笑み、最後に。消え入るような声でノアは告げた。

「…………ごめん、エリス」

 たった一言、幾重にも重ねられた意味がエリスの胸に重く響く。

「……大丈夫。その言葉、全部終わった時に『ありがとう』にしてみせるんだから」

 自らに誓って。エリスは椅子から立ち、ノアへと手を伸ばした。そのままぎゅうと抱き締め、顔を埋める。

 硬く逞しくなった体に刻まれた傷と、悪魔を縛る無数の枷が目に浮かぶ。

(”枷は効力の証。効力は互いに創る”……)

「任せて。か弱い令嬢を装っても、私はしぶとさを忘れずに絶対無事にノアの所に帰るわ」

 笑いを誘うように戯言めいた発言をしたはずが、何故か瞼がほんの少しだけ熱くなる。しかしその熱も、返された力強い抱擁にとけて消え。安堵と覚悟と、新たな熱へと変わっていった。

「エリス」
 柔らかく心地良い声が耳を擽る。

 このまま温もりに身を委ね、分かち合いたい気持ちもある。だが話は途中、この上から押し潰すような形での抱擁も重たいのではないだろうか。

「ノア、」
「エリス……」

 身を離そうとしたエリスを焦がれるような声がひき止めた。僅かに強ばった身体から微かな緊張が伝わって、

「本当に、僕の元へ帰ってきて後悔しない?」

 静かな問いが部屋に響いた。

 震えてもいなければ、縋るような声音でもない。ただ穏やかに告げられた問いかけ。ノアはゆっくりと抱擁を解く。

「……どうしたの? ノア」

 答える前に聞き返していた。すぐさま答えないと、そのままこの世界に溶けて同化してしまうのではないか。ふとそんな考えが浮かんだからだ。


 しかしエリスの不安も、確固たる意志を秘めた言葉によって打ち消された。

「この件が終わったら、病弱な王子はその命を終え、僕は『ミニアム村のノア』に戻る」

 揺らぎなき青の瞳に、淡い微笑が続く。

「なんの教育も受けていない病弱な王子は不協和音だ。緊迫は時に役立つけれども、ずっとは要らない。本人や身内がどう足掻いても何れは災いとなってしまう」

 微笑みながらも淡々と。自嘲も謙遜も揶揄もなく、それはおそらく素直なノアの意見。そして、大方真理でもあるのだろう。

「……だからエリスが帰る場所に王子は居ない。何一つ王子には敵わない、凡庸な僕だけ。それでも……」

 エリスはすぐさま否定しようとした。彼が薬師でも、王子でも、彼が決めた道をどうして拒もうか。ましてやその存在に対する想いや価値は決して揺るがないと。

 ところが。

「やっぱり僕は君と居たい。無事に帰ってきて欲しい」
 ノアは朗らかにエリスに伝えた。既に瞳には迷いも曇りもない。あるのは澄んだ深い青。夜を映す湖面を思わす、静かで穏やかな色だけ。

「ノア……っ」

 滲む視界が暗転し、懐かしい香りがエリスを包んだ。

「もちろん。絶対に、絶対に無傷で帰ってくるわ……」

 エリスもまた、力強い抱擁を返して微笑む。


 それから二人は飲みやすくなったカモミールティーを片手に、来週末の晩餐会について計画を詰めていった。
 場所、時間、予想される問題への対処法等々。春の夜はあっという間に更けていく。

 国王夫妻の事件解明にナールとの約束、そしてノアとの生活。道のりは決して易しくない。

(焦らずに、確実に……。でもノアが居てくれるお陰かな。大変でもきっと大丈夫だって思えるのは)


「エリス、また一緒にカモミールを摘みに行こう」

 空のカップを見つめ、ノアは思いついたように呟く。

「ええ。もう少しすればカシスも採れそう」

 何気ない未来の話を交わし合い、二人は互いの顔を見て笑った。


 近くで梟が鳴いている。つがいが出来たのか、呼応するような鳴き声が続いた。
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