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穏やかな日々の終わり

夢から醒めた王子は ④

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「あんな男、忘れてしまいなさい」

 そうきっぱりとサラは告げると、乱暴にティーカップを掴み、冷めきった紅茶をあおった。


 窓から差し込む午後の日差しは小さな居間をオレンジ色に染める。外では山々が裾野を赤や黄で着飾り、おうごん色の麦畑の傍では牛がのんびりとあくびをしていた。

 ノアがこの村を出て行ってから一年あまりが経とうとしていた。


「あんなクソ男、記憶から消しなさい。忘れるのよ」
 サラは再び、吐くように告げた。彼女に似合わない物言いに、エリスは苦笑する。

 商人風のあの男に言われたことをすぐにエリスは信じられなかった。
 しかし目覚めれば隣のノアの家は焼け、男の言葉通り村は国王崩御の話でもちきりであった。加えてサラから深刻な顔で真実を伝えられてしまえば。これ以上疑うことは無駄だと悟る。

(でもまさかサラ姉が元公爵家のご令嬢だなんて。ノアもノアならサラ姉もサラ姉よ……。私だけが何も知らなかったのね……)

 詳しいことは危険が及ぶからと話してはくれなかったが、サラの父ブルーノはとある事情から爵位を返上し妻のハンナと幼いサラを連れこの村へ越してきたそうだ。越してきた時期を鑑みてもそれがノアを護り育てる為だったことは予想できる。


 これですべての謎が解けたのだ。

 商人風の男はノアと本当の家族とを結ぶ使者。ノアが村から出られなかったのは、出ればサラ達の護衛が及ばなくなる可能性があったから。

 あのペンダントもおそらく家族との連絡手段の一つだったのだろう。

 ミニアム村は王都から馬車で一週間もかからない。しかし地理的に山間に位置するため行き来する人間も人口も少ないのだ。隣の家との距離もあり、雪に閉ざされる冬ともなれば同じ村同士の住人であってもよほど家が近くなければ交流は少なくなる。

 第三王子を隠し育てるにはうってつけの村と言えるだろう。

 そしてエリスはそんなミニアムの只の村娘。たまたま元公爵一家に縁あって拾われ、本来なら会うことも叶わなかった王子と共に育っただけの人間だ。

「忘れはしないわ。それにノアはそんなサラ姉が言うような悪い人じゃないと思う。仕方なかったのよ。ノアも私も、夢を見ていただけ。良い夢だったけど、醒めて良かったわ」
「エリス! 貴方はなんでそんなに落ち着いているのよ!」
「だって……」

 そもそもノアのような優しく見目も良い男性がエリスのような人間と恋に落ちるはずがなかったのだ。そこからもうエリスは間違っていた。
 しかも彼は一国の王子。天地がひっくりかえっても自分などと結ばれるはずがない。

 元々ありえない話だった。寧ろ愚かな間違いにあの時点で気づいて良かった。結婚し子供が生まれた後にもしあの事が起きていたならば、生まれてきた子供にまでも辛い思いをさせてしまっていただろう。


 あるべき姿に、居るべき場所へ。戻ることは必要だ。

 これからはそれぞれの進みたい道へ進む。エリスとノアの道が交わることは無いけれど、確かにあの時間エリスはこれ以上にないほど幸せだった。
 そう考えればノアとの離別も少しは前向きになれる。

(良かったのよエリス。だからもう引き摺らないの……!)

「……とにかく大丈夫よ、サラ姉」
 苦笑するエリスにサラは全く納得していないのか、がたりと音を立てて身を乗り出した。
 しかし直ぐにまた椅子に座り、深いため息を吐く。

「だっても何も……あの子は……ノアは貴方のことが大好きだったのよ。好きだ好きだって貴方にあんなに迫って……私にまで素直に相談までするんだもの。だから手伝ったのに……。一度も会いにも来ないなんてあんまりよ」

 肩を落とすサラに笑いかけることは出来なかった。エリスもまた俯き机の傷をぼんやりと眺める。


「仕方ないよ」
 ぽそりと口から零れた言葉は、静まり返った部屋に滲んでいく。

 思いのほか重くなってしまった空気にエリスはハッとなり、慌てて顔を上げた。


「ところでサラ姉。ひとつ、お願いがあるの」

 わざと口角をあげ、明るい声を出す。
(いつまでも引きずっていちゃ駄目だわ。ノアだってきっと王子として新しい場所で頑張ってる。私は私の夢を、独りでも叶えなきゃ)

 彼は最後にエリスに「新たな幸せを」と言った。口先だけだとサラは言うがエリスそう思えない。
 エリスがノアの幸せを祈っているように、共に歩めなくても彼もきっと自分の幸せをと祈ってくれていると信じたい。

 きっとノアは第三王子として新たな道を歩む決意をした。

 ならばエリスは――。


「どうしたの? 改まって」

 不思議そうに首を傾げるサラに、エリスは半年あまり考えていたことを話し始めた。
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