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北星の魔女
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王都から魔法汽車で半日。北星の森と呼ばれる広大な森には魔女が営む小さな宿があるらしい。
その名も愛の館Liebe。館主のネーミングセンスと知名度はさておき、館には実に不可思議な規則が設けられている。
一、宿泊は夫婦関係にある者のみとする。(重婚は原則不可。但し、両者とも重婚を認められている外国籍である場合及び夫婦の子供の同伴を希望する場合は予約時に要相談。)
一、宿泊予約は宿泊する者全員が館主と会い、正式な手順をおって行うものとする。希望者は宿場町シェル外れ、大梶の下にある小屋の郵便受けを利用すること。(詳細は郵便受けに記載)
一、宿泊可能かの判断は館主に委ねられる。予約訪問から一週間の時を経て郵送で伝えられる。
一、館内では共に宿泊する相手を知り、尊び合い、大切にすること。慮る心を第一とする。特定の行為だけに走るような事は以ての外である。
一、期間中は貸切とし、宿泊客以外の入館を禁ずる。また過度の飲酒、喫煙も不可とする。外出は推奨。
一、魔法薬の譲渡、持ち帰りは不可。館内での使用のみを許可する。
一、値切り交渉は不可。
などなど。
このような不可思議な館ではあるが、客が途絶える事はない。
今日も今日とて、愛の館は互いに愛し合っているが、何かしらの悩みから性行為がうまくいかない人々がやってくる。
とある夫婦は新たな家族を望み、とある夫婦は日中の穏やかな時だけでなく夜も深く心地よく交わりたいと願い。
そして本日もまた――。
元伯爵令嬢、現『愛の館』の主である魔女エルゼ・コルネリウスは碧眼を鋭くさせ、目の前の元弟弟子へと言い放った。
「帰りなさい」
対して元弟弟子、フォルクハルト・グラーツは彼の妻であるエアフォルクの背を撫でる。
「何故ですか?」
甘い相貌に微笑みをたたえて、彼は見せつけるように婚姻届を差し出した。
(何故って……!)
エルゼは目の前の男を睨めつける。
赤みの強い赤銅の髪に金の瞳、高い鼻梁に非の打ち所ない整った顔立ちと、記憶と寸分違わぬ点は多い。
一方で、記憶よりも体躯は鍛えられ、容姿も洗練されてた。
分厚い前髪は後ろへと撫で付けられ、ひとつの寝癖も見当たらない。背丈も頭一つ高くなり、態度も百倍以上尊大になっていた。
エルゼは濃い蒼の髪をかき上げ一呼吸するが、怒りにも似た呆れはおさまらない。ハスキーボイスが知的な印象の魔女――などという客人の前での役作りをかなぐり捨てて、持ち前の低音を響かせた。
「確かにこの国の婚姻届に間違いないわ。王家の許可も降りているようね」
ところが。
「ええ。ちゃんと役所の印もありますよ」
フォルクハルトは余裕綽々。
養成所時代、共に自由奔放な師や偏屈教師陣に鍛えられた結果であろうか。尚も妻の背を愛おしそうに撫でると、平然とエルゼに正当性を示してきた。
「同居開始日、それから住まいも。俺の職業と妻との生活において、最低限の保証を約束するサインはここに……」
「そうじゃないわ!」
あまりの事に耐えきれず、ついにエルゼは話を遮る。
妻を撫でるフォルクハルトの手が止まり、黄金色の瞳がこちらを捉えた。
「何が? 条件は全て揃っていますよね? 魔女様」
その通り。依頼については何の問題もない。
現に問題がないから、彼は入館制限のかかったこの館に入れているのである。
それに彼は別れ際に契った、エルゼとの約束もきちんと守っている。辻褄が合う真っ当な話をしているのだから、見蕩れるほどの余裕の笑みを浮かべてしまうのも当然だ。しかし。
エルゼの口元がひくりと震える。
「条件は揃ってるわね。でも……でも……っ奥さんが猫なんて聞いてないわ!!」
指摘に妻エアフォルクも「にゃあ」と同意。
そう、問題は彼の結婚相手が人外――それも愛らしい黒猫だった事なのだ。
「言ってなかったのだから、当たり前ですね」
にこりと笑う弟弟子にエルゼの怒りは爆発寸前。自然と青色の眼差しも語調も荒くなる。
「伝えてって事じゃないから! な、ん、で⁈」
「ごねたからですね」
「ごねたって、貴方今は伯爵でしょう?! せっかく貴族になれたのに猫と結婚したい! ってごねたって言うの?」
「いえ。愛のある結婚をしたいと縁談を断り続けていたら……運命的な出会いがきっかけで一年前に。貴女との約束は違えてないですし、良いじゃないですか」
語られぬ間と下がった眉に全てが表れている。
エルゼは頭を抱える。おおよそ彼の言葉に大きな嘘はないのだろう。
彼が業火の魔法騎士と呼ばれるようになって早数年。
元が魔術師であるが故か、二つ名の由来である彼の勇姿は優美で流麗。相手の魔物が凜々しさから服従するとの眉唾ものの噂まであるくらいだ。
本来の所属が医療班とあって医学にも長け、指揮や事務能力も高く、皆からの信頼も厚い。今や騎士団には無くてはならぬ存在であると、近隣の田舎町でさえ噂されるほどである。
だからこそ、つい先日までエルゼも「フォルも頑張っているんだ」などと尊敬の念を抱いていたのだが。
「良いって、いたいけな猫ちゃんをたぶらかして妻にして良いとでも?」
とんだ変た……更に変人になってしまった。
魔法騎士として将来有望、花形のように扱われる立場でありながらも、元々変わり者の魔術師、色恋にも興味が薄いフォルクハルトのことだ。
適齢期の乙女達が個人的な関わりを持とうと努力する姿に、得意の魔法で逃げ回るフォルクハルト、どうにか身を固めさせたい周りの苦労と……経緯は目に浮かぶ。
しかし一方的に惚れこまれ、巻き込まれた猫はさぞかし驚いたことだろう。多分。
「こんな、こんな可愛い猫ちゃんなのよ?! ……っまさか……」
一瞬、良からぬ想像も浮かびあがり、エルゼは口元を押さえた。一方、そんな兄弟子の内心を察したであろう彼は、胡乱げな瞳をエルゼへと返す。
「何考えてるんですか? エアフォルクは毛艶も良くて、従順で大人しくて賢くて良い子で……俺が性的感情を持っている訳ないでしょう」
「……それは……良かったけど」
毛艶が悪くて気ままでやんちゃな猫だったらあれこれを抱いていたのか? との疑惑は呑み込んだ。疑惑が拭えぬだけに、これ以上の詰問は再会を悲惨なものにしてしまう気がしたからだ。
「話を進めましょう。今回俺たちが来たのは魔女様のお力をお借りしたいからです」
「お断りします」
「二ヶ月前にレオン殿下と妃殿下がご成婚なされたのはご存知ですよね」
さらりと無視された挙句、いきなりこの国の王子が出てきてエルゼは面食らう。
フォルクハルトは妻の機嫌を取りながら、事の経緯を話し出した。
彼の主であるレオンは王の三番目の王子であり、他の兄弟に比べてかなり控え目な性格であるらしい。
思慮深く思い遣りのある優しい王子である反面、真面目な彼は女性との交流経験が非常に乏しく、王子妃との夜の交流にも苦慮しているという。
レオンは愛する妃を大切に扱いたいが、閨の際に妃を前にして冷静かつ情熱的に対応し続けられるかの自信は無い。そこでエルゼの計画と薬を利用し、妃との仲を深めたいと考えたそうだ。
「殿下は助けとなる薬をぜひ魔女様に処方して欲しいと。安全性は俺が保証しておきました」
「待って、館の規則にもあるように」
「館内に限っているのは魔女様の目が届くようにですよね。他の条項も皆、悪用されないよう、万が一の時は魔女様が責任を取れるように。ご安心を。今回は国の未来に関わる事ですから城へ来て貰います」
「待って! フォルならわかるでしょう? どれだけこの結界を張るのが大変か!」
防御や防音、結界内で起こった特定の出来事や言語の制限など単純なものならいざ知らず。館の結界は複数の特定事項の制限による監視に加え、エルゼ側へ一切具体的な事象が伝わらないなど、大衆的な目的に反して複雑に組まれているのだ。それがどれ程大変な事か、彼が知らぬ筈はない。
「大丈夫ですよ、貴女なら。俺もサポートします。それに城の立地を見て下さい」
彼は地図と資料を取り出し、胡散臭い笑みを浮かべたまま、やり手の商人の如く説得し始める。
(フォルめ……私が魔力と土地の問題を取り上げて拒否するって読んでたのね……)
防犯や報酬面、日程に情報の取り扱い、この仕事を受ける事によってどんな利点と欠点があるのかも。断る理由も受けない理由も尽く潰さていく。
「わかったわよ……」
エルゼはとうとう、憎たらしい元弟弟子と行儀良く椅子に座るその妻へと白旗を揚げた。
「にゃあ」
猫に罪はなく、大変可愛い。
エルゼは変わり果てた弟弟子と無垢な彼の妻――元恋人とその妻の背中を見送りながら、心労を避ける為にそれだけを覚えておくことにした。
その名も愛の館Liebe。館主のネーミングセンスと知名度はさておき、館には実に不可思議な規則が設けられている。
一、宿泊は夫婦関係にある者のみとする。(重婚は原則不可。但し、両者とも重婚を認められている外国籍である場合及び夫婦の子供の同伴を希望する場合は予約時に要相談。)
一、宿泊予約は宿泊する者全員が館主と会い、正式な手順をおって行うものとする。希望者は宿場町シェル外れ、大梶の下にある小屋の郵便受けを利用すること。(詳細は郵便受けに記載)
一、宿泊可能かの判断は館主に委ねられる。予約訪問から一週間の時を経て郵送で伝えられる。
一、館内では共に宿泊する相手を知り、尊び合い、大切にすること。慮る心を第一とする。特定の行為だけに走るような事は以ての外である。
一、期間中は貸切とし、宿泊客以外の入館を禁ずる。また過度の飲酒、喫煙も不可とする。外出は推奨。
一、魔法薬の譲渡、持ち帰りは不可。館内での使用のみを許可する。
一、値切り交渉は不可。
などなど。
このような不可思議な館ではあるが、客が途絶える事はない。
今日も今日とて、愛の館は互いに愛し合っているが、何かしらの悩みから性行為がうまくいかない人々がやってくる。
とある夫婦は新たな家族を望み、とある夫婦は日中の穏やかな時だけでなく夜も深く心地よく交わりたいと願い。
そして本日もまた――。
元伯爵令嬢、現『愛の館』の主である魔女エルゼ・コルネリウスは碧眼を鋭くさせ、目の前の元弟弟子へと言い放った。
「帰りなさい」
対して元弟弟子、フォルクハルト・グラーツは彼の妻であるエアフォルクの背を撫でる。
「何故ですか?」
甘い相貌に微笑みをたたえて、彼は見せつけるように婚姻届を差し出した。
(何故って……!)
エルゼは目の前の男を睨めつける。
赤みの強い赤銅の髪に金の瞳、高い鼻梁に非の打ち所ない整った顔立ちと、記憶と寸分違わぬ点は多い。
一方で、記憶よりも体躯は鍛えられ、容姿も洗練されてた。
分厚い前髪は後ろへと撫で付けられ、ひとつの寝癖も見当たらない。背丈も頭一つ高くなり、態度も百倍以上尊大になっていた。
エルゼは濃い蒼の髪をかき上げ一呼吸するが、怒りにも似た呆れはおさまらない。ハスキーボイスが知的な印象の魔女――などという客人の前での役作りをかなぐり捨てて、持ち前の低音を響かせた。
「確かにこの国の婚姻届に間違いないわ。王家の許可も降りているようね」
ところが。
「ええ。ちゃんと役所の印もありますよ」
フォルクハルトは余裕綽々。
養成所時代、共に自由奔放な師や偏屈教師陣に鍛えられた結果であろうか。尚も妻の背を愛おしそうに撫でると、平然とエルゼに正当性を示してきた。
「同居開始日、それから住まいも。俺の職業と妻との生活において、最低限の保証を約束するサインはここに……」
「そうじゃないわ!」
あまりの事に耐えきれず、ついにエルゼは話を遮る。
妻を撫でるフォルクハルトの手が止まり、黄金色の瞳がこちらを捉えた。
「何が? 条件は全て揃っていますよね? 魔女様」
その通り。依頼については何の問題もない。
現に問題がないから、彼は入館制限のかかったこの館に入れているのである。
それに彼は別れ際に契った、エルゼとの約束もきちんと守っている。辻褄が合う真っ当な話をしているのだから、見蕩れるほどの余裕の笑みを浮かべてしまうのも当然だ。しかし。
エルゼの口元がひくりと震える。
「条件は揃ってるわね。でも……でも……っ奥さんが猫なんて聞いてないわ!!」
指摘に妻エアフォルクも「にゃあ」と同意。
そう、問題は彼の結婚相手が人外――それも愛らしい黒猫だった事なのだ。
「言ってなかったのだから、当たり前ですね」
にこりと笑う弟弟子にエルゼの怒りは爆発寸前。自然と青色の眼差しも語調も荒くなる。
「伝えてって事じゃないから! な、ん、で⁈」
「ごねたからですね」
「ごねたって、貴方今は伯爵でしょう?! せっかく貴族になれたのに猫と結婚したい! ってごねたって言うの?」
「いえ。愛のある結婚をしたいと縁談を断り続けていたら……運命的な出会いがきっかけで一年前に。貴女との約束は違えてないですし、良いじゃないですか」
語られぬ間と下がった眉に全てが表れている。
エルゼは頭を抱える。おおよそ彼の言葉に大きな嘘はないのだろう。
彼が業火の魔法騎士と呼ばれるようになって早数年。
元が魔術師であるが故か、二つ名の由来である彼の勇姿は優美で流麗。相手の魔物が凜々しさから服従するとの眉唾ものの噂まであるくらいだ。
本来の所属が医療班とあって医学にも長け、指揮や事務能力も高く、皆からの信頼も厚い。今や騎士団には無くてはならぬ存在であると、近隣の田舎町でさえ噂されるほどである。
だからこそ、つい先日までエルゼも「フォルも頑張っているんだ」などと尊敬の念を抱いていたのだが。
「良いって、いたいけな猫ちゃんをたぶらかして妻にして良いとでも?」
とんだ変た……更に変人になってしまった。
魔法騎士として将来有望、花形のように扱われる立場でありながらも、元々変わり者の魔術師、色恋にも興味が薄いフォルクハルトのことだ。
適齢期の乙女達が個人的な関わりを持とうと努力する姿に、得意の魔法で逃げ回るフォルクハルト、どうにか身を固めさせたい周りの苦労と……経緯は目に浮かぶ。
しかし一方的に惚れこまれ、巻き込まれた猫はさぞかし驚いたことだろう。多分。
「こんな、こんな可愛い猫ちゃんなのよ?! ……っまさか……」
一瞬、良からぬ想像も浮かびあがり、エルゼは口元を押さえた。一方、そんな兄弟子の内心を察したであろう彼は、胡乱げな瞳をエルゼへと返す。
「何考えてるんですか? エアフォルクは毛艶も良くて、従順で大人しくて賢くて良い子で……俺が性的感情を持っている訳ないでしょう」
「……それは……良かったけど」
毛艶が悪くて気ままでやんちゃな猫だったらあれこれを抱いていたのか? との疑惑は呑み込んだ。疑惑が拭えぬだけに、これ以上の詰問は再会を悲惨なものにしてしまう気がしたからだ。
「話を進めましょう。今回俺たちが来たのは魔女様のお力をお借りしたいからです」
「お断りします」
「二ヶ月前にレオン殿下と妃殿下がご成婚なされたのはご存知ですよね」
さらりと無視された挙句、いきなりこの国の王子が出てきてエルゼは面食らう。
フォルクハルトは妻の機嫌を取りながら、事の経緯を話し出した。
彼の主であるレオンは王の三番目の王子であり、他の兄弟に比べてかなり控え目な性格であるらしい。
思慮深く思い遣りのある優しい王子である反面、真面目な彼は女性との交流経験が非常に乏しく、王子妃との夜の交流にも苦慮しているという。
レオンは愛する妃を大切に扱いたいが、閨の際に妃を前にして冷静かつ情熱的に対応し続けられるかの自信は無い。そこでエルゼの計画と薬を利用し、妃との仲を深めたいと考えたそうだ。
「殿下は助けとなる薬をぜひ魔女様に処方して欲しいと。安全性は俺が保証しておきました」
「待って、館の規則にもあるように」
「館内に限っているのは魔女様の目が届くようにですよね。他の条項も皆、悪用されないよう、万が一の時は魔女様が責任を取れるように。ご安心を。今回は国の未来に関わる事ですから城へ来て貰います」
「待って! フォルならわかるでしょう? どれだけこの結界を張るのが大変か!」
防御や防音、結界内で起こった特定の出来事や言語の制限など単純なものならいざ知らず。館の結界は複数の特定事項の制限による監視に加え、エルゼ側へ一切具体的な事象が伝わらないなど、大衆的な目的に反して複雑に組まれているのだ。それがどれ程大変な事か、彼が知らぬ筈はない。
「大丈夫ですよ、貴女なら。俺もサポートします。それに城の立地を見て下さい」
彼は地図と資料を取り出し、胡散臭い笑みを浮かべたまま、やり手の商人の如く説得し始める。
(フォルめ……私が魔力と土地の問題を取り上げて拒否するって読んでたのね……)
防犯や報酬面、日程に情報の取り扱い、この仕事を受ける事によってどんな利点と欠点があるのかも。断る理由も受けない理由も尽く潰さていく。
「わかったわよ……」
エルゼはとうとう、憎たらしい元弟弟子と行儀良く椅子に座るその妻へと白旗を揚げた。
「にゃあ」
猫に罪はなく、大変可愛い。
エルゼは変わり果てた弟弟子と無垢な彼の妻――元恋人とその妻の背中を見送りながら、心労を避ける為にそれだけを覚えておくことにした。
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