ANGRAECUM-Genuine

清杉悠樹

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53 約諾 最終話

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「うーわ。不完全ってところがまた嫌らしいねー。それって最後のコツが書いてないレシピの事だよね?レナート兄さん腹黒だね~」
 ホノカさんは呆れた顔をしているが、エマは再び震えた。するとエマは更にレナート様の体に近く引き寄せられ、落ち着くようにと背中を宥められた。
「アホ。こんなのは簡単すぎて作戦とも言えないぞ。盗みを働いたのはそもそも向こうだ。それにウチからの事業支援協力もすべて親子のドレスの新調に回し、あわよくば先日の夜会で娘を売り込むつもりだったんだろうが、ウチの親族にもマギ課の若い連中にも碌に相手されなくてオルガの婚姻に繋がらなかった。名のある家柄ばかりだったから、さぞかしがっかりしただろうなぁ。でも、まあ、当然の結果だけどな。俺も両親も裏で手をまわしてたし」

 ・・・知らなかった。そんなことを考えていたなんて。シルヴィオ家からの支援金までも使ってしまって父達はこれからどうするつもりなんだろうか。
 レシピを盗み出したことは別として、エマがレイエス男爵の元へお金と引き換えに身売りされようとしたことと、やってることは余り変わらないのではないだろうかと思った。

「予測が立てやすい連中で何よりということだな。アルベルトの調べでは、マクレーン家では既に不完全なレシピをもとにシフォンケーキを販売が来週からでも開始されるらしいと報告を貰っている」
 ソファに深く座り手を組んだフルメヴィーラ王の言葉に、アルベルト様は頷いた。

「そこでこちらも同時期にシフォンケーキを販売することが決定している。―――エマさんには辛いことかもしれないが、先に伝えておく。今回のマクレーン家のレシピの盗みに関してはこちらからの罠ということで、刑罰は問わない。何故なら支援事業の資金も今後シルヴィオ家から望めない上に、自分達がエマさんに今まで与えていた非道が社交界で噂になり始めていること、マクレーン家の再起をかけたシフォンケーキは完全でないものしか作れないこと。これらよりマクレーン家はこちらが爵位を剥奪しなくても経済的理由によって身を滅ぼすだろう」

 説明を聞き、ようやくこの場にエマが呼ばれた理由が分かった。マクレーン家がいずれ無くなってしまうことをわざわざ王様自ら説明するためなのだろう。大して利用価値もないエマの為に呼んだのは、レナート様始めホノカさんが絡んでいるからだろう。

「そうですか。でも私は血の繋がった家族の事だというのにマクレーン家が無くなってしまうことが、薄情だとは思いますが・・・正直辛いとは思えないのです。私にとって大事な家族と呼べるのは、レナート様を始め、私を快く受け入れてくださったシルヴィオ家の人だけです」
 エマは顔をまっすぐに上げ、きっぱりと宣言した。
 ホノカさん、セオドール様。アンナ様に、ボードワン様。そして、シルヴィオ家で働いているイレーネや、バディアさん、その他の大勢の人達も皆がエマに優しい。
 マクレーン家でずっと他人よりも遠く恐怖としてしか感じられなかった家族という名の人が、貴族から一般市民へと変割ると聞いても痛みを感じれない。見下す感情も生まれない代わりに、なんとかしなくてはという温情の気持ちも湧いてこない。ただ、事実を受け入れるだけ。

「そうか」
 フルメヴィーラ王は優しく微笑んでくれた。

***

 夕方前にエマ達は自宅へと帰ってきた。外はようやく冬がやってきた証としてちらちらと今季初の雪が降り始めていた。

 あらかじめ温められている寝室に戻ってきたエマは、そのことを有難く感じながら外出着から部屋着へと着替える前にレナート様に確認してみたいと思っていたことを問うた。
「レナート様、義母が持って行った不完全なレシピってどこが不完全だったのてすか?手順に不備があれば販売を決めた時に気付いたと思うのですが」
 いくら何でも試作品くらいは作ったと思うのだ。それでも失敗作だと分からない程度にはちゃんとした仕上がり具合になったのだと思う。何が不備だったのかが知りたかった。
「ああ、そのことか。ホノカに書いてもらったレシピなんだが、手順や分量にも何も問題はないんだ。ただ、最後にしなければならないコツが切り取られたレシピだったというだけで」
 元々は全部が記入されていたが、下のその大事な部分だけ切り取ったレシピだったと聞かされ、今度はそのコツが気になった。
「その最後のコツって何ですか?」
 素人では気づかないコツが気になった。
「ああ、焼きあがったシフォンケーキを直ぐに逆さまにして、完全に冷めてから型から外さないと綺麗な仕上がりにならないんだと」
「逆さま?」
 それだけ?
 あまりの簡単さに意表を突かれた。

「ああ、逆さまにする。たったこれだけで見違えるほどに仕上がりに差が出るらしい。原物を知らないからこそマクレーン男爵は気が付かないまま販売しようと計画を立てたんだろう」
「そうですか・・・」
 エマはなんとなく気になっていたことが分って落ち着いた。

「エマ。さっきは俺を含めて全員を大事な家族と言ってくれて有難う。嬉しかった。これからもそう思ってもらえるようにするにはどうしたらいいだろうと改めて考えたんだが、今まで随分と言いたいことも言えずに我慢ばかりしてきただろう?だからエマにはどんな小さなことでもいい、これがしたい、あれが欲しいともっと我儘を言ってくれないか?」
「ええ?そんなことを言われても。今でも十分すぎる程にレナート様から頂いているのに」
 衣食住の事だけじゃない。言葉も、態度も、気持ちも沢山、沢山貰っている。むしろエマがレナート様に何かお返しをしたいのに。

「ドレスや宝石といったものはエマは自分からは言わないだろうが、例えば旅行に行きたいでもいいし、読んでみたい書籍を取り寄せて欲しいとか、趣味のレースの糸を沢山でも、何でも言ってくれ」
 レナート様と一緒の旅行や、読んでみたいと思っていた恋愛ものの書籍が頭に浮かぶと正直心が揺れた。きっと楽しいだろうと思う。それも嬉しいのだけれど。
 
「それでは、一つだけ、お願いしてもいいですか?」
「勿論。一つと言わずに、何個でも言ってくれ」
 少しだけ悩んだ末に決めたのは。
 
「私の事をいっぱい抱きしめてくれますか?生きていてもいいのだと、幸せになってもいいのだと信じられるくらいに私の事をぎゅっと抱きしめて欲しいのです」
 どんなことを言うのか期待に満ちた目を注がれているのが分かったが、エマが望む幸せはこんなにも小さなもの。でも、それが考えた上での一番の望み。今まで与えられてこなかったもの。消失して、これからも与えられることはないと思っていたもの。

 大好きな人を抱きしめて、抱きしめられる。

 たったそれだけの、誰にでも簡単に出来ることが願い。願うことはそれだけ。毎日、この先もずっと続くのであればもっといいのにと思う。
 エマの願いはすぐに叶えられた。

「―――エマ、これからは・・・これからも、共に幸せになろう」
「はい」

 エマは身を預け、確かな約束を胸に目を閉じ幸せだと感じていた。
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