ANGRAECUM-Genuine

清杉悠樹

文字の大きさ
上 下
43 / 57

41 入籍

しおりを挟む
「イレーネさんには、明日からエマさんの専属の侍女としてついてもらおうと思う」
 そろそろ終着点が近くなってきた夕暮れ時、馬車の中でレナート様がこう言ってくれた。
「エマさんもその方が嬉しいだろう?」
 シルヴィオ家で雇って貰うとは聞いたけれど、自分付きの侍女にしてくれるとは思わなかった。同じ場所(ところ)で過ごせるのならそれだけで嬉しいと思っていた。
 お母さんが亡くなってからずっとイレーネと二人で暮らしてきたのだから、もし実現するのならこれ以上嬉しいことはない。
「いいのですか?」
 エマは後ろを振り返り、レナート様を見上げた。ようやく自分と顔を会わせてきたことが嬉しいらしく、レナート様は相好を崩した。
「エマさんには幸せに過ごして欲しいからね。もっと沢山の笑顔を見せて欲しいから」
 顔を綻ばすだけでなく、レナート様は声まで甘く響かせた。耳に直接注ぎ込むような至近距離からのこれは、エマの心臓を打ち抜くには十分な兵器だった。

 ―――レナート様って、レナート様って!
 エマはばっと元の位置に顔を戻すと、熱を持った頬を両手で覆って俯いた。早鐘を打つ心臓の音はきっとレナート様にも伝わっていると思う。
「イレーネさん、引き受けてくれるね?」
 くすりと笑ったレナート様の声は、耳からも聞こえたが、背中からは微かな振動として感じられた。
「勿論でございます。レナート様にはなんとお礼を申し上げていいのか分かりません」
 対面からイレーネの楽しそうな声を聞きながら、エマは早く馬車から降りたい。そう願っていた。

***

 発言の言葉通り、レナート様はシルヴィオ邸にたどり着くと、玄関まで迎えに出てきてくれていたボードワン様と、アンナ様にイレーネを簡単に紹介すると、早速エマの専属の侍女として雇ってもらえるよう許可を願い出てくれた。お二人とも初対面であるイレーネを快く受け入れてくれて、明日からシルヴィオ家で雇って貰えることが早々に決まった。
 エマはレナート様の横に控えながら、ほっと一安心した。
 小さな時からずっと一緒にいたイレーネが、エマの嫁ぎ先であるシルヴィオ家でも同じく自分の侍女として働いてくれる。それはエマにとってとても心強く、精神的にも安心感が持てるということ。急ぎ男爵家から子爵家へと嫁ぐことになったエマの心の支えになる。
 改めてレナート様という素敵な方が旦那様になるという事実にエマは神に感謝した。

 もし今日エマ達がマクレーン家へ挨拶へ行っていなければ、仕事を辞めたイレーネと会うことはきっと難しかっただろう。そう考えると、エマはホノカさんやレナート様と昨日出会ってからずっと不思議な奇跡が起き続けているような気がした。

「有難うございます、シルヴィオ子爵様、及び奥様。ふつつかではございますが心を込めて仕えさせて頂きます。今後はイレーネとお呼びくださいませ」
 イレーネは深く腰を折り、新たな雇用主となったレナート様のご両親に挨拶した。
「こちらこそ宜しくね、イレーネ」
 アンナ様はイレーネに優しく言葉を返してくれた。
 他の使用人達に挨拶や、明日からの仕事の内容など覚えなくてはならないことが出来たイレーネは、侍従長に連れられて行き一旦別行動となった。

「さて。もう一度出かけようか、エマさん」
「えっ?どこへでしょうか?」
 帰ってきたばかりなのに、レナート様からもう一度出かけようと言われてしまった。馬車から運ばれてきた荷物を片付けるものだとばかり思っていたエマは首を傾げた。
「どこへって、入籍するために城へ行かなくてはならないからね」
「ええっ!?今から入籍しに行くんですか!?」
 確かにマクレーン家でレナート様は両親にエマを今日からシルヴィオ家の一員とすると宣言していたが、父達を言い包める為の言葉の綾だと思っていた。
「そう」
「そうって、そんな簡単に・・・」
 確かに書類一枚で入籍することは可能なのかもしれないが、そんなちょっと近くに買い物に出かけるみたいな気安さでいいのかと、エマは危ぶんだ。子爵家なのだから、沢山の形式的なものがあると思うのだけれど。

「なんだ、やっばり今日のうちに入籍をするのか」
 呆れたやつだなと息子に対してため息をついたボードワン様。
(え?やっぱりって、どういうことですか?今日入籍するということを予見していたらしたということですか?)
 レナート様もボードワン様からそう言われることを想定していたのか、不敵に笑った。
(ええ?結局ボードワン様は止めてくださらないのですか?)
 それ以上の苦情は無いらしく、ボードワン様の表情は苦くはなかった。

「ん、もう。予想通りね、一応ドレスを用意して良かったわ。本当はもっとエマさんの為に新しいウエディングドレスを作る予定だったのに。あ、でも、ウエディングドレスが出来上がったら、もう一度挙式を上げればいいわよね。そうね、そうしましょう!ということで、エマさん。流石に今日はウエディングドレスは用意出来なかったけれど、白のドレスは用意出来たのよ。さ、着替えましょ、着替えましょ」
 嬉々としたアンナ様に背を押され始めたエマは、レナート様に目でどうすればいいのかと訴えた。
「待ってるよ」
 にこりとレナート様には笑顔で送り出されてしまった。

 結局、保証人欄にセラフィード王直筆の署名がされた婚姻届けを持って、ホノカさん、セオドール様も一緒に城へ行き、教会に在中していた司祭に驚かれながらも入籍を認められ、祝福を受けた。
 新年初日に、慌ただしくも晴れてエマはレナート様の妻となったのだった。
しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

元妻は最強聖女 ~愛する夫に会いたい一心で生まれ変わったら、まさかの塩対応でした~

白乃いちじく
恋愛
 愛する夫との間に子供が出来た! そんな幸せの絶頂期に私は死んだ。あっけなく。 その私を哀れんで……いや、違う、よくも一人勝手に死にやがったなと、恨み骨髄の戦女神様の助けを借り、死ぬ思いで(死んでたけど)生まれ変わったのに、最愛の夫から、もう愛してないって言われてしまった。  必死こいて生まれ変わった私、馬鹿?  聖女候補なんかに選ばれて、いそいそと元夫がいる場所まで来たけれど、もういいや……。そう思ったけど、ここにいると、お腹いっぱいご飯が食べられるから、できるだけ長居しよう。そう思って居座っていたら、今度は救世主様に祭り上げられました。知らないよ、もう。 ***第14回恋愛小説大賞にエントリーしております。応援していただけると嬉しいです***

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

婚約者を母に奪われて婚約破棄!!!!!

tartan321
恋愛
王子様が愛したのはお母様でした。

子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる

佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます 「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」 なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。 彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。 私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。 それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。 そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。 ただ。 婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。 切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。 彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。 「どうか、私と結婚してください」 「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」 私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。 彼のことはよく知っている。 彼もまた、私のことをよく知っている。 でも彼は『それ』が私だとは知らない。 まったくの別人に見えているはずなのだから。 なのに、何故私にプロポーズを? しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。 どういうこと? ============ 番外編は思いついたら追加していく予定です。 <レジーナ公式サイト番外編> 「番外編 相変わらずな日常」 レジーナ公式サイトにてアンケートに答えていただくと、書き下ろしweb番外編をお読みいただけます。 いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。   ※転載・複写はお断りいたします。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~

卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」 絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。 だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。 ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。 なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!? 「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」 書き溜めがある内は、1日1~話更新します それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります *仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。 *ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。 *コメディ強めです。 *hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!

処理中です...