ANGRAECUM-Genuine

清杉悠樹

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20 恋心

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「有難う。嬉しいよ。俺を選んだことを後悔しないよう、エマさんを大切にするから。まずは父親の説得が先だな」
 自分の名前を呼ばれたことに、破顔といった表現がぴったりな華やかな笑顔を見せてくれたレナート様。その明るい笑顔にエマの胸がとくんと跳ねた。

 どうしょう、言っちゃいましたっ・・・!

 自分の意見を積極的に言うなんてことは昔から求められなかった。だからたった一言。結婚するならどちらがいいなんて聞かれて答えたいと思った名前は決まっていた。「レナート様」のお名前。たったその一言を口にすることにエマは凄く勇気を必要とした。
「大丈夫、こんな年寄りの再婚相手になんかならないよう、必ずきっちりと話を付けるから。安心していい」
「はい。有難う、ございます」
「ん」

 物語にしかないような王子様に助けられるお姫様みたいな出来事が、実際に自分の身に起きていることがまだ信じられない。自分よりずっとずっと大人の、身分も職業もしっかりとした男性からのプロポーズ。
 父が決めたかなり年上の相手に無理やり襲われそうになっている所を助けられた。女の子であればだれでも夢見るようなシュチュエーションとは、ちょっと、ううん、随分違うけど。
 でも、右手に感じる手の温もりは確かに本物(現実)だ。
 時間にしてまだ一時間も経っていない相手からのプロポーズを受けるなんて、昨日まで、ううん、会ってからでさえも予想をしていなかった。勇気を出して良かった。心からそう思えた。

 レナート様の笑顔をもっと見たい。

 誰かにレイエス男爵から逃れたい一心で手を取ったと言われるかも知れないが、エマが今感じている胸のときめきは偽物だとは誰にも言わせない。

 まだ片手を差し出し片膝を付いたままだったレナート様は、私の手を持ったまますくっと立ち上がると、さっきまでしていたように腕の上に私を軽々と乗せた。
「あ、あのっ、降ろしてください、自分で歩けますから」
「ん?」
 急に抱き上げられてしまったエマは、彼の笑顔を見たいとは思ったが、至近距離で顔を合わせたいと思った訳ではない。こんなにひょいと気軽に女性を腕に乗せるのはどうかと思う。もしかして、かなり小さい子として扱われているのだろうか。男爵の脅威ももうなさそうだし、安全なことは間違いないと思う。周りに騎士さんも数人いることだし。一応白いドレスを着ているのだから、成人したことは分かって貰っている筈なのに。
「ああ、抱き上げた事?お互いの愛情をゆっくり育てる為に、最適だと思って。こうしていれば近い分話がしやすいし、それにエマさんの可愛い顔がよく見える」
「・・・っ!!」
 見たいと思っていた笑顔をいきなり至近距離で向けられたエマには刺激が強すぎた。ぽんっと音が出そうな程顔を真っ赤に染めた。
「うわー・・・、ほんっと、めちゃくちゃ可愛い」
 周りには聞こえない小さくぼそっと呟かれたレナート様の一言まで聞こえてしまい、エマは更に頬の赤さを増したのだった。

 レナート様って、レナート様って・・・!
 しっかりとした腕に乗せられながら、エマは羞恥で体を震わせた。

 世の中の男性全員が皆こんな風だとは決して思わないけど、レナート様が特別なの?それともこれくらいが貴族として一般的なの?
 自然に話して見えるのに、聞けば聞くほどその声の中に甘さが潜んでいるきがして、エマにはほのかに甘味を感じるどころか、どっぷりと体ごと浸かってしまっているような気さえした。
 唯一身近で知っている男女と言えば両親だ。父と義母の会話にはこんな甘い要素は無かったと思う。
 そもそもの基準が分からないエマは、レナート様から受ける甘い言葉の数々にひとつひとつ反応してしまう。真っ赤になった頬の熱の逃がし方が分からない。

 頼りがいがあって、素敵な男性だとは思うのだが、男性に対する免疫というものが全くなかったエマにはレナート様のしぐさ一つ、向けられるたった一言、何もかもが好きになる要素として映ってしまっている。随分後になってこの時を振り返って思ったのは、エマがこの日、「レナート様に恋に落ちた」という事だった。
(余談:詳しい事はここでは書かないが、アンナ、ホノカ、セオドール三名はレナートの聞いたこともない甘い台詞を次々と披露することに驚き、三人固まり緊急会議を開いている)

「ふむ。馬に蹴られてしまいそうで恐縮だが、レナート殿、ちょっといいか」
 クロード宰相の落ち着いた声にエマは我に返った。レナート様はというと急に話しかけられたというのに涼しいお顔をしている。流石だと思った。
「室長が結婚相手を見つけられたのは喜ばしいと思うし、支援が必要なら幾らでもしようと思う。だが、この騒動の残りの1人、肝心なエマさんの父親はどこにいる?」
「それは、その・・・」
 クロード宰相からの問いに、言ってもいいんだろうかとエマは悩んだ。
 父とレイエス男爵が話していたのを傍で聞いていたから、正確な場所までは知らなくてもおおよその行方は知っている。向かったのは娼館だ。こんな衆目がある中、父の醜態を晒してもいいのだろうか。

 言い淀むエマより先に、男爵を拘束していた騎士の中の1人が言ってくれた。
「この娘さんの父親と思われる男は、一人で玄関に向かって行ったのを見ました。恐らく先に帰ったものと思われます」
 自分の娘を置き去りにして帰ったことに怒りを感じたらしいクロード宰相は険しい表情をした。
「帰った?自分の屋敷にか?悪いが誰か今から追いかけてここへ連れて来てくれないか。今ならまだそんなに遠くまで行っていないだろう。ここにいるレイエス男爵も同席させた上で詳しい話を聞きたい」
 厳しい顔つきで命令を下す様子は、人に指示を出すことに慣れているのだろう。淀みなど一切なかった。
「はっ。顔が分かっている私ヨハンネスと、ここにいる同じくアーロンとマルクスが引き受けます」
 父の顔を見たと言ってくれた騎士さんが宰相に礼を取り、言い終わると顔を上げた。
「頼んだぞ」
「はい」
 行き先が違っているのを知っているエマは慌てて訂正した。
「あの、違います。父は家に帰ったんじゃありません」

 間違った行き先へ、夜の中に騎士さん達を走らせるわけにはいかない。
「では、どこに行ったのか教えて貰えないだろうか?」
 幾分厳しさを和らげたクロード宰相に尋ねられた。
「あの、その、・・・詳しい店名までは分かりませんが、・・・その・・・娼館・・・です。父とレイエス男爵が話しているのを聞きました」
「はあっ!?娼館ーっ!?」
 エマは娼館と言うのが恥ずかしくて、途中から小さくなってしまった声は多分クロード宰相には聞こえなかったと思う。ただ、レナート様の耳にはしっかりと聞こえていて、大声で叫ばれてしまった。

「何の騒ぎだ?賊が入り込んだのか?」
 曲がり角から数人の護衛を従えながら堂々とした威厳を持って現れたのは、金の髪が眩しい男性だった。その顔にエマは見覚えがあった。舞踏会主催者であり、この国のトップのフルメヴィーラ王、その人だった。
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