ANGRAECUM-Genuine

清杉悠樹

文字の大きさ
上 下
1 / 57

1 序章

しおりを挟む
 一日中、どんよりとしていた空だったが、なんとか雨が降ることもなく夕暮れになると藍色と茜色が二分し始め、徐々に藍色と闇色に変わってきている。
 星は雲に隠れてしまっていて、ほぼ望めない。それでも12月も終わりの今日、雪が降っていなくて恵まれた日だと思う。例年であればちらちらと降り始めている年もあるのだから。
 生まれて初めてこんな遠出をした私は、流れてゆく景色のどれもが珍しく目に映る。筈だった。

 雪や雨が降らなくて良かったとも思うが、内心逆に大荒れになってしまえばいいのに、とも思った。そうすれば、これから向かう場所へ行かずに済んで、まだ暫くは猶予が与えられたかもしれないのに。そう思った。

 午後から長時間馬車で移動している中から窓の外をそっと覗いては、私、エマ・マクレーンは誰にも分からない様にこっそりと溜め息を零した。
 エマの他に馬車に乗っているのは二人。
 一人目は父であるバシリー・マクレーン。年齢と共に多少質量に変化が見え始めた蜂蜜色の髪を丁寧に後ろへと撫でつけ、夜会用のフォーマルがややきつそうに見えるのは最近体重が更に増加したためであろう。
 もう一人は、マクレーン家で働く侍女のメレーヌ・ポズナー。多分40才位だと思う。目つきがきつく、長時間馬車に揺られ続けているのに背中をびしりと伸ばしたまま、父と同じくずっと無言で座り続けている。
 一つ同じ空間にいると、呼吸をすることさえ息苦しさを感じる。

 エマは数年前に亡くなった母親譲りの金色の髪を綺麗に結い上げ、デビュタントとしての白のドレスを着用している。
 乗り込んでからというもの、かなりの時間が経っているが父は一言も発しないまま、向かい側の席に腕を組んでしかめっ面で目を閉じている。その下にはエマと同じ緑の瞳が隠れている。瞳の色も母と同じが良かったのにと、誰にも言ったことはないけれどずっと思っている。
 滅多に顔を合わせない父と顔を合わせるたびに同じ血を引いていることを突き付けられているようで心が痛い。
 だから、狭い馬車の中、残り時間はどれぐらいか知らないが閉じられている父の瞳は開いて欲しくはなかった。

 舗装された道を走るようになってからは、揺れも少なくなってきて苦痛は軽減されてきたが、反対に気分が滅入るばかり。
 だが、更に気が重いのは今朝馬車に乗り込む直前に言われた一言だった。
『お前もようやくこれで成人となったのだから、身の振り方は私の指示通りに従ってもらう。なに、向こうには既に話は通してある。城の会場で顔を合わすことになっているから、失礼が無いように気をつけろ。いいな』
 直接的な言葉は無かったが、言われていることは分かった。
 ―――今日の目的地で父から紹介される男性が私の夫となるべき相手という事だ。

 予想していなかったから着なれていないドレスの窮屈さもあって衝撃的すぎる余り倒れそうになった。
 座っている今でも気を抜くと体が震えそうな気がする。
 いつかは嫁がなければならないことは分かっていたが、まだ成人したばかりだという時間的にまだ余裕があるだろうとの楽観と、醜い我が身を欲しがる相手がいるとは思わなかったのだ。

 そんな静寂と欝々とした空間が占める馬車が向かっている先は、パリス国カリス州ディランザース城。パリス州はカリス州、マダラス州、ラドラン州三つに分かれていて、その中でも肥沃な大地と、豊富な資源、そして魔法開発に力を入れている州として有名だ。先の尖った尖塔が幾つもそびえる巨大な城。
 そのディランザースで今宵開かれる新年の祝賀行事に参加するために向かっている。

 突然告げられた今回の祝賀行事の参加は、数日前になって義母からようやく教えられた。
 夕食をいつものように別邸と呼ばれる小さな建物で食べ終えた頃、義母に仕える侍女に本邸へと呼びつけられた。滅多にないことだったからなんだろうとは思った。
「お前も18になったのだから、社交界でデビューする日を決めたわ。年末の日にあの人と城の祝賀行事に参加しなさい。いいわね」
 玄関近くの謁見室で義母からは言い終わると同時にドレスを投げられた。エマは慌てて受け取った。
「新しいものを用意する時間が無かったら、家にあったものを探させたわ。それを着なさい」
 そう必要な事を言うだけ言って義母は部屋から出ていった。
 1人取り残されたエマは冷えた床にしゃがみ込んだまま動けなかった。

 エマ・マクレーン18才になってデビュタントの舞踏会に参加することが、嫁ぎ先である男性と顔合わせの為という事実がこの上もない失望となっていた。

***

 そろそろ到着すると外から御者からの声がかかり、父の目が開かれた。目線が合う前に外をエマは見たこともない巨大な建物に圧倒された。

 あれがディランザース城・・・。

 闇の中へと姿が隠れることなく、篝火と場内から漏れ出る明かりで巨大な姿がぼんやりと浮かび上がっているのが見えた。
 想像していた以上に大きな建物にエマはただ目を奪われた。
 幾つもの尖塔がそびえ立ち、下から見上げればきっと首が痛くなる程に頭を反らせなければならない程高いのだろう。城の周りは堅牢な外壁で囲まれていて、近づけば近づくほどその巨大さに目を見張るばかりだ。

 今日、私の運命が決まる。

 夫となる予定の相手の事は何1つ知らされていない。階級も、年齢も何一つ。
 父からは愛情を貰った記憶もない。そんな父親から今頃になって私が幸せとなれる相手を探してくれたとも思えない。恐らく自分の都合がいい縁談を取り付けた筈だ。
 だから、結婚という未来が楽しいものだとはとても思えず、エマの心は明るくなることは無かった。
しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる

佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます 「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」 なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。 彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。 私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。 それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。 そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。 ただ。 婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。 切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。 彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。 「どうか、私と結婚してください」 「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」 私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。 彼のことはよく知っている。 彼もまた、私のことをよく知っている。 でも彼は『それ』が私だとは知らない。 まったくの別人に見えているはずなのだから。 なのに、何故私にプロポーズを? しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。 どういうこと? ============ 番外編は思いついたら追加していく予定です。 <レジーナ公式サイト番外編> 「番外編 相変わらずな日常」 レジーナ公式サイトにてアンケートに答えていただくと、書き下ろしweb番外編をお読みいただけます。 いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。   ※転載・複写はお断りいたします。

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~

卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」 絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。 だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。 ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。 なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!? 「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」 書き溜めがある内は、1日1~話更新します それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります *仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。 *ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。 *コメディ強めです。 *hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

婚約解消は君の方から

みなせ
恋愛
私、リオンは“真実の愛”を見つけてしまった。 しかし、私には産まれた時からの婚約者・ミアがいる。 私が愛するカレンに嫌がらせをするミアに、 嫌がらせをやめるよう呼び出したのに…… どうしてこうなったんだろう? 2020.2.17より、カレンの話を始めました。 小説家になろうさんにも掲載しています。

処理中です...