CLOVER-Genuine

清杉悠樹

文字の大きさ
上 下
17 / 68

17 裸足

しおりを挟む
 セオドールさんに指摘されるまで自分が泣いている事に気付かなかった。仕事で家を空けることは教えて貰えても、内容までは教えて貰えなかったことにこんなにショックを受けるなんて。

「俺が所属している近衛騎士団という仕事は、国王や王族の身辺を警護することです。それ以外に俺には魔族の討伐というのも課せられています。俺が使う闇の力は魔族を滅ぼす事が出来る特殊なものなのです。この力を使えるものはとても少ないので、任務を断ることは出来ません」
 セオドールに抱きしめられていた腕はゆっくりと放された。
 真剣で凛々しい彼の後ろからは微かに月の明かりがその表情を照らしている。藍色の瞳を更に神秘的にしている。
「必ず貴方の元へと帰ってきます。だから泣かないでください」
「本当に?必ず?」
「はい、必ず。・・・約束です」
 そう言って目に涙が浮かんでぼやけている視界の中、額には温かで柔らかい唇がそっと押し当てられた。
「ふえっ?」
 額とはいえ、そんな事をされた経験は初めての事だった。
 私は泣くのも忘れ、ぽんっと音を立てたかの様に瞬時に顔が熱くなった。その原因を作った本人もまた同じように顔を赤らめていた。
 額キスに動揺してしまった。穂叶はまたもや洗濯物を手から滑らせたのだが、衝撃的な出来事に洗濯物を落としたという認識は無かった。

 固まったままの落ちた服を拾う様子が無いのを見たセオドールは、廊下に散らばった服を代わりに拾い集めた。服を拾いあげるとその下からは服以外のものが現れた。
 しかし、この世界では存在しない形をしていて何か分からなかったセオドールはその二つを手に取り真面目に聞いた。「これは何ですか?」と。
 手にしてたものは、風呂に入るまで実際に自分が身に付けていたブラとショーツだった。
 質問を受けて、額キスの余韻に浸りどこかへ意識を飛ばしていた穂叶はセオドールが手にしているものを見て普段は絶対上げないような大きさで絶叫した。

「いっやーっっっっっっ、それ、私の下着――――――!!」

 もちろん家全体にまで響き渡った悲鳴は、一階にいたシェリーにも聞こえ大いに慌てさせ、何事かと二階まで走ってやってきた。

「どうしたの?何があったの?」
「ふえーん、シェリーさ~ん」
 大声を出してしまった理由をぽつりぽつりと弁明した。
 洗濯物を奪い取り、しゃがみ込んで涙目になって顔を上げられずにいた私をシェリーさんは優しく宥めてくれた。
 分かってます。誰が悪い訳じゃないって。でも恥ずかしいんです~っっっ。
「もう大丈夫ね?穂叶さん、髪がまだ濡れたままだわ。そんなところで座っていると風邪をひいてしまうわ。下へ行って乾かしましょう」
 濡れ髪の私はシェリーさんの温かい手に引かれ、リビングへと降りて行った。
 誰も居なくなった廊下でセオドールは長い時間、顔を真っ赤にしたまま置物よろしく動くことは無かったのだった。



「御免なさいね、穂叶さん。後でセオドールはきっちり叱っておきますから」
「いえ、そんなことしなくていいですからっ。こっちこそ大きな声をだして済みませんでした」
 洗っていない下着を拾われてしまったことは、ただ恥ずかしいだけで怒っている訳ではないのだ。大体が手にしていた洗濯物を落した自分が悪いのだから。
 穂叶はリビングにある暖炉の前の椅子に座らせられると、シェリーさんが髪をタオルドライしてくれるというのでそのまま甘えさせてもらうことにした。
 汚れた洗濯は籐で編まれた籠の中へと入れた。洗濯の仕方は明日教えてくれると約束もしてもらった。

 タオルドライはシェリーさんが言うように仕事で慣れているという言葉通り、丁寧で素早いのに痛みなど全く無く、あまりの気持ちよさに眠気に襲われそうになった程だった。その後に、ホットミルクまで淹れてもらった。
「有り難うございます」
 お礼を言って両手で大きなコップを受け取るとゆるりと湯気が踊った。じんわりと手に感じる温もりにシェリーさんの優しさも感じられた。

 ホットミルクを全部飲み終わると、台所にいたシェリーさんは私に何も聞かずに二階へと戻る様促してくれた。
「でも、あのセオドールさんは?」
 一階へ来てからは姿を見ていないので、どうしているのかと思い聞いてみた。セオドールさんとは辺境へ行く事に付いて話をしている途中だったのだ。
「今、風呂に行っているみたいよ。まだ顔を合わせにくいでしょう?」
 シェリーさんにそう言われて、確かにまだ顔を合わせるのが恥ずかしいと思った。
「・・・はい」
 もじもじとしていると火が灯された状態のオイルランプを手渡された。大人しくあてがわれた部屋へと戻ったのだった。

 二階へと上がって部屋へと入るのにドアを開けようとして、そこが洗濯物を落した場所だったと気付くと一人赤面した。
 昨日はお風呂に入る間もなくそのまま寝てしまったものだから着替えも出来なかった。今日ようやくお風呂に入ることが出来て新しい下着に着替え気分もすっきりしたところだったのに、汚れた下着を好きな相手に拾われるなんてどんな拷問だと唸らずにはいられない。
 せめて洗い終わった下着ならまだしも、と考えてぷるぷると首をふった。
 駄目っ、どんなものであれ下着は駄目っ!
 乙女心が切ない。

 そんなことを考えていたその時、下から上へと上がってくる足音が聞こえた。
 ちらりと階段下へと目を遣るとセオドールさんの頭部が見えたので、私は慌ててドアを開け滑りこむようにして中へと入った。
 まだ心の準備が出来てないから無理―っっ。
 中へ入り後ろ背にドアにもたれて息を吐いた。暫くして、同じ階にあるらしい何処かの部屋のドアの開け閉めする音が聞こえた。そこでようやく落ち着くことが出来た。

 手にしている以外に明かりが無い室内は、秋の夜を思わせる気温に相応しく、寒くて暗かった。
 壁には暖炉もあるが穂叶にはどうやって使ったらいいのから分からないので使えない。することも無いので仕方なくベッド近くにあるサイドボードの上にランプを置くと、ベッドへ腰かけスニーカーを脱いだ。もそもそと冷たいシーツへと潜り込んだ。

 横になり目を閉じて頭の中を整理する。
 マギ課で教えてもらった事よりも、やはり立ち聞きしてしまった事が頭から離れない。
 セオドールさんが危険を伴う辺境の任務で一週間もいなくなるなんて聞きたくなかった。しかも、魔物討伐なんて・・・。
 繰り返し見ていた夢の出来事が、またこの世界で繰り返されるんじゃないかという考えが頭から離れない。
 元の世界から訳が分からないまま落ちて来たのはつい昨日のこと。
 知らない世界にすべてが不安なままだというのに、この上さらに一人取り残されてしまうのかと考えだしたら、流れだした涙は溢れて止まらなくなってしまった。

 コンセントを探している時に偶然にもお姉ちゃんに電話で今の状態を伝える事が出来てある程度は気持ちは一度落ち着いたと思う。
 けれど一晩経って一人で慣れない部屋に寝ているとどうしても元居た世界の事を考えてしまう。

 お姉ちゃんは私の事を心配していないだろうか。
 仕事を無断欠勤してしまってどうなっているんだろうか。

 様々な事が頭をよぎってとても寝つくことが出来ない。
 気晴らしにカラオケやテレビ、映画でも見られれば少しは気がまぎれたかもしれないが。
 暗い部屋に閉じこもって、電気も無くて一人っきり。シーツに包まって寝ていると不安な事ばかりが浮かんでしまい碌な事を考えない。
 そして、明日からはセオドールさんまでが私の傍からいなくなるという事実。
 ランプの明かりでぼんやりとした闇の中、自分の手にある痣を見て、夢で見ていたように愛する人を亡くすという事が、現実として今度は私が遺される側になるんじゃないかという不安が拭えない。
 両親を無くした経験もある自分は、親しい人が亡くなるということにとても臆病になっている。例え昨日会ったばかりのセオドールさんとはいえ、穂叶の中では既にとても大事な人となっているのだ。

 ・・・お姉ちゃんに会いたい。

 嗚咽が漏れないよう頭まですっぽりとシーツで包まると、体を抱きしめて流れる涙をシーツへと吸い込ませ続けた。

***

 セオドールは微かな人の声が聞こえた気がした。それも泣いているような声だ。
「気の所為か?」
 しかし、自分だけなら空耳だと結論付けただろうが、聖獣のマートルも壁の向こうにある客室に向かって耳をそばだてているのを見て、自分の気のせいでは無い事を確信した。
「穂叶さん?」
 明後日から出発する為の荷物の準備をしていた手を止めた。立ちあがり部屋の明かりはそのままにして、移動式の小さなランプに明かりを点けて声が聞こえたと思われる客室へと向かった。

 コンコン
「穂叶さん」
 客室のドアを控えめにノックする音がした。相手の声はセオドールさんだ。
 ドアを叩く音に穂叶はとっさに聞こえなかったふりをして返事はしなかった。泣いている事を知られたくなかったから。黙っていれば寝ていると思ってもらえると思ったのだ。
 コンコン。
 それなのに間を置くことなく、もう一度ノックされた。次は音を少し大きくさせて。
「穂叶さん。起きてるんでしょう?お願いです、ここを開けて下さい」
 何故か私が起きている事は知られているらしく、時間が経ってもドアの前から去っていく気配が無い。
 諦めてベッドから裸足のまま降りると内鍵を外した。少しだけドアの隙間を開けると、空いた隙間から柔らかなランプの光が差し込んだ。
「やっぱり泣いていたんですね。さっきのアレが原因ですか?済みませんでした。ワザとではもちろん無いのですが・・・」
 まだ真正面から目を合わす勇気を持てなくて俯いていたが、その言葉に思わず上を向いてしまった。
 少ししか開けていなかったドアは勝手に一人が優に通れるくらいに開かれてしまった。
「えっ、違います。これはその・・・」
 涙は下着の事が理由では無い。泣いていた理由を正直にいってしまっても良いものなんだろうか?
悩んで口ごもっていると、急に涙の跡をセオドールさんの指の背でなぞられ驚いた。
「それにこの部屋、寒いですね。暖炉を使って無いんですか?」
「だって使い方、知らないから」
 部屋の温度の低さに眉を寄せられたが、今まで使っていた暖房と言えば、エアコンかヒーターだ。暖炉は見たことはあっても、普通の家庭ではまず見かけない。
「それは気が付かなくて済みません。ああ、しかも裸足で。風邪を引きます」
 そう言って裸足のままの私を簡単に抱き上げたかと思うと、そのまま廊下を出て歩きだしてしまった。
「きゃっ、えっ、ちょっと。どこへ行くんですか?」
 視界が高くなり体が不安定に揺れるのでセオドールさんの肩にしがみ付いた。説明の無いまま連れていかれた先はセオドールさんの自室だった。

「寒い部屋に穂叶さんを泣かせたまま一人にさせたくありません。今日は、このまま俺と一緒にいて下さい」
しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

ANGRAECUM-Genuine

清杉悠樹
恋愛
エマ・マクリーンは城で開催される新年の祝賀行事に参加することになった。 同時に舞踏会も開催されるその行事に、若い娘なら誰もが成人となって初めて参加するなら期待でわくわくするはずが、エマは失望と絶望しか感じていなかった。 何故なら父からは今日会わせる相手と結婚するように言われたからだ。 昔から父から愛情も受けた記憶が無ければ、母が亡くなり、継母が出来たが醜い子と言われ続け、本邸の離れに年老いた侍女と2人暮らしている。 そんな父からの突然の命令だったが背けるわけがなく、どんな相手だろうが受け入れてただ大人しくすることしか出来ない。 そんな祝賀行事で、運命を変える出会いが待っていた。魔法を扱う部署のマギ課室長レナート・シルヴィオと、その義妹、ホノカ・シルヴィオと出会って。 私、こんな幸せになってもいいんですか? 聖獣というもふもふが沢山出て来て、魔法もある世界です。最初は暗いですが、途中からはほのぼのとする予定です。最後はハッピーエンドです。 関連作品として、CLOVER-Genuine(注:R18指定)があります。 ANGRAECUM-Genuineは、CLOVER-Genuineのその後という感じの流れになっています。 出来ればCLOVER-Genuineを読んだ後にこちらを読んで頂いた方が分かり易いかと思います。 アルファポリス、小説家になろう、pixivに同時公開しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

悪役令嬢エリザベート物語

kirara
ファンタジー
私の名前はエリザベート・ノイズ 公爵令嬢である。 前世の名前は横川禮子。大学を卒業して入った企業でOLをしていたが、ある日の帰宅時に赤信号を無視してスクランブル交差点に飛び込んできた大型トラックとぶつかりそうになって。それからどうなったのだろう。気が付いた時には私は別の世界に転生していた。 ここは乙女ゲームの世界だ。そして私は悪役令嬢に生まれかわった。そのことを5歳の誕生パーティーの夜に知るのだった。 父はアフレイド・ノイズ公爵。 ノイズ公爵家の家長であり王国の重鎮。 魔法騎士団の総団長でもある。 母はマーガレット。 隣国アミルダ王国の第2王女。隣国の聖女の娘でもある。 兄の名前はリアム。  前世の記憶にある「乙女ゲーム」の中のエリザベート・ノイズは、王都学園の卒業パーティで、ウィリアム王太子殿下に真実の愛を見つけたと婚約を破棄され、身に覚えのない罪をきせられて国外に追放される。 そして、国境の手前で何者かに事故にみせかけて殺害されてしまうのだ。 王太子と婚約なんてするものか。 国外追放になどなるものか。 乙女ゲームの中では一人ぼっちだったエリザベート。 私は人生をあきらめない。 エリザベート・ノイズの二回目の人生が始まった。 ⭐️第16回 ファンタジー小説大賞参加中です。応援してくれると嬉しいです

婚約破棄なんてどうでもいい脇役だし。この肉うめぇ

ゼロ
恋愛
婚約破棄を傍観する主人公の話。傍観出来てないが。 42話の“私の婚約者”を“俺の婚約者”に変更いたしました。 43話のセオの発言に一部追加しました。 40話のメイド長の名前をメリアに直します。 ご迷惑おかけしてすみません。 牢屋と思い出、順番間違え間違えて公開にしていたので一旦さげます。代わりに明日公開する予定だった101話を公開させてもらいます。ご迷惑をおかけしてすいませんでした。 説明1と2を追加しました。

稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています

水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。 森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。 公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。 ◇画像はGirly Drop様からお借りしました ◆エール送ってくれた方ありがとうございます!

処理中です...