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スピンオフ・椿の場合
「この恋に決着を付けたいと思います」6
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「はい、椿の好きなスプモーニ」
環菜からカクテルを手渡されたグラスの冷たさで、私はいつの間にか居酒屋のボックス席に座っていることに気付いた。
会社からここまでの記憶が全くない。どうやって来たのかも覚えていない。
「有難う。・・・ねえ、ここって予約入れた店だよね?」
最初から振られた後は飲みに行こうと環菜と約束していたから、予約を入れた店で間違いはないみたいだけど。以前も利用したことがあるから照明や内装に見覚えがある気がしたけれど、自信が持てなかった。
「ようやく目が覚めたって感じ?椿、ぼうっとしてたもんね」
くすくすと環菜に笑われた。その右隣には、環菜の夫の木槌課長が座っていて驚いた。
「わっ、課長、いつの間に来られたんですか!?」
仕事が長引く事が多い課長も後で来る予定にはなっていたけれど、一体何時の間に?
私が振られたことを慰めて貰う為に自分で企画したのだ。
「永井、飲む前から酔うなんて器用だな。俺がいつ来たのか覚えてないのなら、隣にもう1人いることも覚えてないのか?」
課長に呆れた顔をされてしまった。
「隣?」
予約を入れた人数は3人の筈なのに、他に誰が?と思いながら自分の右隣を見れば、全然存在を感じていなかったのが不思議な程の相手がそこにいた。
「おおおお、奥沢さん!?なんでここにいるんですか!?」
誰も居ないと思っていた場所に人がいたのと、相手が奥沢さんだったから二重の驚きで声がひっくり返ってしまった。
2人用のベンチシートに肩が触れそうな距離に2人は並んで座っていた。
「なんでって言われても。全然覚えてない?沢に俺は永井さんと付き合うからって宣言した後、2人で食事に行こうって誘ったのを。そうしたら永井さん、木槌課長の奥さんとこの後慰め会の食事に行く予定になってるって言うから。それなら祝賀会に変更なんだから、俺もお願いして混ぜて貰ったんだけど」
奥沢さんは「思い出した?」と聞きながら、私の事を真正面から覗き込むようにして顔を前へと出してきた。
前置き無く、突然好きな人にこんな至近距離に来られるなんて思っても見なかったから、心に準備が全く出来ていないタイミングでどきっとした。
それと同時に奥沢さんがここへ来た過程を教えて貰ったけれど、やっぱり覚えてなくてふるふるっと勢いよく横へ顔を振って覚えて無い事を示した。
「まあ、いいじゃない。覚えてなくても。それよりも椿と奥沢さんの記念日の乾杯しよ?ね?はい、2人の付き合いが始まった日を記念して乾杯―」
満面笑顔の環菜が乾杯の音頭を取った。それぞれがグラスを持ち、高めに持ち上げ「乾杯」と答えた。私も遅れないよう慌ててグラスを持ち上げた。
流されるままに乾杯をしたけれど、内心はドキドキが止まらなかった。
付き合いが始まって日って!付き合いが始まった日って!
くぴりと赤い色のカクテルを飲みながら隣をちらりと盗み見た。振られる予定だった筈なのに、どうして隣に座って食事をする羽目になっているのか、未だに頭の中の整理が出来てない。
うーん、強いて言えば特別何も思っていない子でも、目の前で知り合いの男に搔っ攫われるのにムカついたから?それとも、二次元好きを言いふらされる危険がまだ残っているから、口止めをする為に取り敢えず了承したとか?
可能性としてはそれぐらいしか思いつけなかった。
「難しい顔してるね。もしかして、付き合うことは嫌だった、とか?振って欲しいって言ってきたぐらいだもんね。俺、勘違いしちゃった?」
盗み見してるつもりが、どうやらいつの間にかガン見していたようだ。奥沢さんは手にしていたビールのグラスをテーブルに置き、体を私の方へと向き直らせ困った顔を見せた。
うわっ、奥沢さんってこんな顔もするんだー。とレアな表情に胸がキュン。って、ちがーう。
もう思考が変だ。おかしい。自分が自分じゃないみたいだ。
「嫌だとか、そう言うのじゃなくて、ですね。なんて言ったらいいか。振られることしか考えて無かったから、どうして私と付き合うなんて言ってくれたのかが分からなくてですね。戸惑ってるというか」
「ああ。永井さんは俺が二次元好きで生身の女の子には興味がないって思ってるよね?」
そう言われ、私は小さく頷いた。奥沢さん自ら暴露したけど、いいんだろうか?
向かい側にいる木槌夫妻が、揃って驚いている。
「まあ実際、二次元が好きなのは事実だけど、三次元に全く興味がないって程でもなくてね」
ちらりと私が目線を反らした先を奥沢さんも見たけど、全然慌ててない所を見ると別に構わないらしい。
「よくある話で、昔俺が所謂オタクだってバレた時、その当時付き合ってた子に気持ち悪い、キモイとか面と向かって色々言われたことがあるからそれ以降は慎重にバレない様にしてただけ。だから永井さんが気持ち悪くないって言ってくれたことと、活字中毒っていう事も含めて付き合ってみたいなって思ったんだけど。これだけじゃ理由に足らない?」
「い、いえ、十分です。でも、私でいいんですか?背も小さいし、推理小説好きだし、刑事ドラマも大好きだし。料理も上手くないですけど」
社内で振られた人の中には、もっと綺麗でスタイルがいい人もいた。
環菜みたいに料理の腕がいいとか、例えば歌が上手いとか、髪が綺麗だとか、天然っぽい、いつも笑顔とかそういう特別な何かがある訳でもない。
ようするに自信がないまま告白して、受け入れられたことが信じられない。
「相手の事を知らないのは、お互い様でしょう?これからゆっくりと知っていけばいいよ。で、肝心な事を聞きたいんだけど。今日から俺の彼女となってくれますか?」
私の方から振ってくださいとお願いをしたのに、奥沢さんはそんな言い方をしてくれた。
「・・・はい、是非お願いします」
友人と上司の前で恥ずかしいなと思いながら、返事をした。
「良かった」
そう言って笑ってくれた奥沢さんの柔らかな笑顔は、あの日私が見た笑顔と重なった。
環菜からカクテルを手渡されたグラスの冷たさで、私はいつの間にか居酒屋のボックス席に座っていることに気付いた。
会社からここまでの記憶が全くない。どうやって来たのかも覚えていない。
「有難う。・・・ねえ、ここって予約入れた店だよね?」
最初から振られた後は飲みに行こうと環菜と約束していたから、予約を入れた店で間違いはないみたいだけど。以前も利用したことがあるから照明や内装に見覚えがある気がしたけれど、自信が持てなかった。
「ようやく目が覚めたって感じ?椿、ぼうっとしてたもんね」
くすくすと環菜に笑われた。その右隣には、環菜の夫の木槌課長が座っていて驚いた。
「わっ、課長、いつの間に来られたんですか!?」
仕事が長引く事が多い課長も後で来る予定にはなっていたけれど、一体何時の間に?
私が振られたことを慰めて貰う為に自分で企画したのだ。
「永井、飲む前から酔うなんて器用だな。俺がいつ来たのか覚えてないのなら、隣にもう1人いることも覚えてないのか?」
課長に呆れた顔をされてしまった。
「隣?」
予約を入れた人数は3人の筈なのに、他に誰が?と思いながら自分の右隣を見れば、全然存在を感じていなかったのが不思議な程の相手がそこにいた。
「おおおお、奥沢さん!?なんでここにいるんですか!?」
誰も居ないと思っていた場所に人がいたのと、相手が奥沢さんだったから二重の驚きで声がひっくり返ってしまった。
2人用のベンチシートに肩が触れそうな距離に2人は並んで座っていた。
「なんでって言われても。全然覚えてない?沢に俺は永井さんと付き合うからって宣言した後、2人で食事に行こうって誘ったのを。そうしたら永井さん、木槌課長の奥さんとこの後慰め会の食事に行く予定になってるって言うから。それなら祝賀会に変更なんだから、俺もお願いして混ぜて貰ったんだけど」
奥沢さんは「思い出した?」と聞きながら、私の事を真正面から覗き込むようにして顔を前へと出してきた。
前置き無く、突然好きな人にこんな至近距離に来られるなんて思っても見なかったから、心に準備が全く出来ていないタイミングでどきっとした。
それと同時に奥沢さんがここへ来た過程を教えて貰ったけれど、やっぱり覚えてなくてふるふるっと勢いよく横へ顔を振って覚えて無い事を示した。
「まあ、いいじゃない。覚えてなくても。それよりも椿と奥沢さんの記念日の乾杯しよ?ね?はい、2人の付き合いが始まった日を記念して乾杯―」
満面笑顔の環菜が乾杯の音頭を取った。それぞれがグラスを持ち、高めに持ち上げ「乾杯」と答えた。私も遅れないよう慌ててグラスを持ち上げた。
流されるままに乾杯をしたけれど、内心はドキドキが止まらなかった。
付き合いが始まって日って!付き合いが始まった日って!
くぴりと赤い色のカクテルを飲みながら隣をちらりと盗み見た。振られる予定だった筈なのに、どうして隣に座って食事をする羽目になっているのか、未だに頭の中の整理が出来てない。
うーん、強いて言えば特別何も思っていない子でも、目の前で知り合いの男に搔っ攫われるのにムカついたから?それとも、二次元好きを言いふらされる危険がまだ残っているから、口止めをする為に取り敢えず了承したとか?
可能性としてはそれぐらいしか思いつけなかった。
「難しい顔してるね。もしかして、付き合うことは嫌だった、とか?振って欲しいって言ってきたぐらいだもんね。俺、勘違いしちゃった?」
盗み見してるつもりが、どうやらいつの間にかガン見していたようだ。奥沢さんは手にしていたビールのグラスをテーブルに置き、体を私の方へと向き直らせ困った顔を見せた。
うわっ、奥沢さんってこんな顔もするんだー。とレアな表情に胸がキュン。って、ちがーう。
もう思考が変だ。おかしい。自分が自分じゃないみたいだ。
「嫌だとか、そう言うのじゃなくて、ですね。なんて言ったらいいか。振られることしか考えて無かったから、どうして私と付き合うなんて言ってくれたのかが分からなくてですね。戸惑ってるというか」
「ああ。永井さんは俺が二次元好きで生身の女の子には興味がないって思ってるよね?」
そう言われ、私は小さく頷いた。奥沢さん自ら暴露したけど、いいんだろうか?
向かい側にいる木槌夫妻が、揃って驚いている。
「まあ実際、二次元が好きなのは事実だけど、三次元に全く興味がないって程でもなくてね」
ちらりと私が目線を反らした先を奥沢さんも見たけど、全然慌ててない所を見ると別に構わないらしい。
「よくある話で、昔俺が所謂オタクだってバレた時、その当時付き合ってた子に気持ち悪い、キモイとか面と向かって色々言われたことがあるからそれ以降は慎重にバレない様にしてただけ。だから永井さんが気持ち悪くないって言ってくれたことと、活字中毒っていう事も含めて付き合ってみたいなって思ったんだけど。これだけじゃ理由に足らない?」
「い、いえ、十分です。でも、私でいいんですか?背も小さいし、推理小説好きだし、刑事ドラマも大好きだし。料理も上手くないですけど」
社内で振られた人の中には、もっと綺麗でスタイルがいい人もいた。
環菜みたいに料理の腕がいいとか、例えば歌が上手いとか、髪が綺麗だとか、天然っぽい、いつも笑顔とかそういう特別な何かがある訳でもない。
ようするに自信がないまま告白して、受け入れられたことが信じられない。
「相手の事を知らないのは、お互い様でしょう?これからゆっくりと知っていけばいいよ。で、肝心な事を聞きたいんだけど。今日から俺の彼女となってくれますか?」
私の方から振ってくださいとお願いをしたのに、奥沢さんはそんな言い方をしてくれた。
「・・・はい、是非お願いします」
友人と上司の前で恥ずかしいなと思いながら、返事をした。
「良かった」
そう言って笑ってくれた奥沢さんの柔らかな笑顔は、あの日私が見た笑顔と重なった。
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